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またひとつ、とても訴求力のあるデモ・アイテムをFacebookで見つけた。「あのね、原発はエネルギー問題じゃないんだよ。人権問題なんだよ!」という善養寺 ススムさんのポスターである。 原発をエネルギーや電力の問題、ひいては電力を要する産業の問題として括ろうとする人間がいるが、人命を超えてエネルギー問題を選択することは〈普通の人間〉には許されない。 自分の周囲に放射能被爆で亡くなったり、傷ついたり、病んだりする人がいないことをいいことに、原発を擁護しつつエネルギー問題を論じることを「大所・高所から社会を考えている」と思い込んでいるのは、たいてい田舎政治家である。それを「自分は立派な〈高い〉政治意識を持っているのだ」と自己欺瞞で思い込んでいるので、偉ぶって威張り散らす人間が多い。 彼らは、ただ単に社会全体に対する想像力が劣悪であるに過ぎない。「田舎」というのは、ローカルな周囲を世界の全てと信じているような視野が狭い喩えなので、東京に田舎政治家がたくさんいるのは不思議ではない。代表格は、東京と大阪に一人ずついる。私はそれを「大所・高所シンドローム」と呼んで、精神的(厳密に言えば思想的)な病気の一つに数えている。 善養寺 ススムさんのポスター(FB投稿をシェア)。 それにしても「あのね」と怒っている女の子が秀逸である。幼稚園か保育所の帽子の紐をきちんと締めた姿の可愛くて凛々しいこと。私には絵の才能がないので、嫉妬というか妬みに似た感情が湧いてくるほどである。 このような巷の才能について、毛利嘉孝さんが『ストリートの思想』という本に書いている。 二〇〇〇年代のストリートの叛乱は、名人芸を身につけたポストモダン・プロレタリアートが、名人芸を国家や資本に回収させずに、自分たちで使いこなすことで起こった。 [1] そして、マルチチュードによる〈帝国〉への叛乱を思い描くネグリ&ハートを援用して、「ストリートの叛乱」を支える人々のありようを描いている。 ネグリとハートは、人々を運動へと駆り立てる「愛」や「情動」を、「ポッセ」という語で表現している。ポッセとはラテン語で「活動性としての力」を意味する。ルネッサンスの人文主義において、この語は「知と存在をともに編み込む機械」として、「存在論的動性の核心部」に位置づけられていた。 ネグリとハートがおもしろいのは、この古い哲学用語をヒップホップ用語の「ポッセ」と重ね合わせているところだ。「ポッセ」はヒップホップ文化では、「集団」「仲間」「連中」「奴ら」というニュアンスで用いられる。ヒップホップ用語と重ねられることで、この古い哲学用語は、現在のマルチチュードの存在様式の核として再生するのである。ここで発見された「ポッセ」とは、いかなる対象をも超えていくような「公共性とそれを構成する諸々の特異性を持った個の活動」であり、「新しい政治的なものの現実の起源に存在する」とされる。 ここで重要なのは、「ポッセ」が、何かに対抗して生まれるもの--たとえば、資本主義の不当な搾取に抗して生まれる反対運動のようなもの--ではないということだ。それは、労働を通じて人間が自らの価値を決定する力であり、ほかの人とコミュニケーションをはかりながら協働する力であり、究極の自由を求める力である。 [2] 確かに私たちは、今、「反原発」あるいは「脱原発」として、つまり、「何かに対抗して」集まっている。それでも、「ポッセ」である人々の参集と「ポッセ」の発揮によって、「反原発」「脱原発」を実現しながら、その先に、この社会に向けての多様な「協働する力」を生みだしていけるのではないか。そんな希望を私はずっと抱きつづけている(老いて旧弊な自分に苛立ちながら)。 さて、大所・高所の話ならぬ日々のデモのことである。「みやぎ脱原発デモ」が始まって19回目だという。毎回参加していて、そのたびにブログを書き、それに使う写真整理のためのファイル番号が21まである。つまり、21回はデモに参加している。そのうち1回は東京の〈11・11〉で、これはすぐに思い出した(つい先日なので忘れるほうがどうかしているが)。もう1回がなかなか思い出せない。 それで過去ブログを調べたら「金曜デモ」のタイトルがあるのは18だった。それ以外のデモは3で、7/27(金)の勾当台公園の集会、8/11(土)の昼デモ、そして〈11・11〉である。合計は合うが、明細は微妙に違う。まぁ、何が問題というわけでもないのだが。 京都大学の学生さんのスピーチ。 (2012/11/30 18:11) まもなく、衆議院選挙なので雰囲気が変わるかな、と思っていたのだがそんなこともない。立候補者の一人が公示後には参加できないという挨拶をした。選挙は脱原発運動にとって、重大事である。もちろん「シングル・イシュウ」を尊重しての集まりなので、誰かを推すなどという話は出ない。政治は原発だけでは語れないなどという人がいるが、私は少なくとも今回は(場合によっては今後もだが)原発問題一点で投票するつもりである。 今度の総選挙に対して『原発危機と「東大話法」』の著者である安冨歩さんがtwitterで次のような提言をしている。【投票の方針の提案】(1)比例区は脱原発方針を明確にしている党のいずれかに投票。どれにするかは趣味で決める。(2)小選挙区では、当選しそうな候補のうち、原発により賛成していない奴に仕方ないから入れる。(3)選挙区でなくとも信頼できる人を、資金やツイートやボランティアで助ける。 確かに、「原発0」を目指すリアルな提案である。じつのところ、それなりの年齢に達するまで生きてきた経緯の中で、私にはどうしても許せない政党、イデオローグたちがいる。ずっと拒否してきたし、時として争ったこともある。あるいはまったく関心がわかない政党や政治家もいる。それでも、今回だけは「原発イシュー」だけで判断しようと思っている。 また、デモの話から逸れてしまった。 京都大学の学生さんの「京都大学で頑張っている」というスピーチ。中年の司会者は若い人のスピーチに大感激という図になった。 1番町のイルミネーション天井(定禅寺通りと広瀬通の間)。 (2012/11/30 18:45) デモはいつものコース。1番町の仙台三越前を過ぎて気づいたが、青緑色のイルミネーションが天井のように張られている。LEDが発明されてからは、こんな色彩のイルミネーションが多くなった。胸が締めつけられるほど懐かしい遠くに見える黄色味を帯びた灯火、などという光の世界は放逐されてしまった。世界は明るくなった。光という電磁波に満ち満ちている。おまけに、ガンマ線という電磁波まで降りそそいでいる始末だ。 「フクシマ返せ!」 [1] 毛利嘉孝『ストリートの思想--転換期としての1990年代』(NHK出版、2009年)p. 248。[2] 同上、p. 243。
2012.11.30
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柚木ミサトさんのイラスト(FB : 多田篤毅さんの投稿、芳賀直さんのシェア写真から) フェースブックに出ていた「たのむぞ、おとな」という柚木ミサトさんの絵が、とてもいい。だらしない大人としては「がんばります、なんとか」と返事しそうになる。大人たちがだらしないから、地震の巣のような国に五十基以上の原発ができ、あげくの果てのメルトダウンで人が住めない国土を作ってしまった。 この絵を見つけたのは、ちょうど安冨歩さんの『幻影からの脱出―原発危機と東大話法を越えて』 (明石書店、2012年)を再読していた時だった。その本にこういう記述がある。 私が最も大切だと思うことは、子どもの利益を最大限に考える、ということです。すでに論じたようこ、子どもは、現在のところ全ての政治的過程から排除されています。その「子ども」を中心に考えることです。 なぜなら、現代日本社会で最も欠乏しているのが子どもであり、彼らを守り、その創造性を伸ばすことが、社会全体にとつて何よりも重要だからです。それ以上に、子どもこそは我々の社会の将来であり、子どもこそは我々の創造性の源です。 [p. 215] 「こどもの利益を最大に考える」というのは、将来の社会構築のための選択肢の一つなどということではない。これなしの社会構築などはあり得ない、という必須の条件なのである。人類が処理できない放射能とそれを生みだす原発を残すことは、明らかに子どもたち、そのまた子どもたちにとって恐るべき不利益である。だから。安冨さんはこう結論する。 我々が既に作り出してしまった放射性廃棄物の量は、もはや頭を抱えるほどに多く、それ以上に、福島第一原発の処理は、一体、何十年かかるのか、そもそも可能なのか、全く見当がつかないのです。あの原発の処理責任は、まだ生まれていない人にまで背負わされています。これほどの罪を犯しておいて、未だに原発がこの列島に存在する、ということ自体が、私には信じられないことです。これを不道徳と言わずして、何を不道徳と言うのでしょうか。 [p. 222] 子どもには選挙権がない。自らが自らの利益を代表することができない。子どものように、この社会の中で自らの利益を主張し、社会に反映させる手段、システムをもたない人びとがいる。そのような人々を安冨歩さんは「非体制派」と名付ける。ある時は農民であったり、ある時は非正規雇用労働者であったりする。 現時点での最も象徴的な非体制派は、福島第1原発の激しい放射能汚染区域で作業する二次、三次の下請け労働者であろう。彼らは、過剰被爆を防ぐための線量計も与えられず、さらに「放射線作業手当」すらだまし取られている。 かつて、その非体制派としての農漁村民を「票」として取りこむことに成功したのが田中角栄で、その過程で原発立地が非体制派の農漁村に定められた、というのが安冨さんの説く原発をめぐる現代史である。 子どもと同じように非体制派の利益をも最大にする社会こそ、私たちが目指すべき社会であることはいうまでもない。 今日は祝日(勤労感謝の日)で、昼デモである。金曜日の昼は108才の妻の母のために介護ヘルパーさんが来る日で、妻にとってはある程度の時間調整が可能になる。先週のデモの後、今日のスケジュールを話したら、「私も行ける」ということになって、今日は妻の初デモである。 滅多にないことだからと、一番丁で昼食をとったのが裏目に出て遅刻である。休日なので一時過ぎまでその店が混んでいたのだった。 錦町公園、野外ステージ前(近づいていくのは妻)。 (2012/11/23 13:59) 30分の遅刻である。定禅寺通りから公園に入ったのだが、スピーカーの声はするのだが、集まっている人たちの姿が見えない。何の工事か分からないが、公園の1部が仕切られていて、公園口から見ると野外ステージは蔭になっているのだ。 西村茂樹さんが唱う。 (2012/11/23 14:02) 集会場に着いたちょうどその時、東京から来られた西村茂樹さんが紹介されて、『ありがとう!さよなら!原子力発電所』(リクオ作)の歌が始まったところだった。マイクなしの熱唱で、大喝采である。 放射性廃棄物入れのドラム缶を叩きながら野菜などをもってノーコールデモをするという若い女性のスピーチを聞いてから、急いできたために我慢していたトイレに行った。 その間に東北大学の学生のスピーチがあった、と妻が教えてくれた。学内で反原発の集会(デモ?)をやろうとしたら大学が許可しない、それでも何とかやりたいという意思表明だったという。 大学は変質しつつある。経済至上主義の先兵であろうと自ら望んでいるような気配がある。もともと「大学法人化」はそのような国家意志の表現そのものである。法人化後は学内統治機構が変わって、文科省から天下りの理事が来て、学内統治に関与するようになった。「大学の自治」などという意識は大学人から消えつつある。 幼い子どもを持つお母さんたちの反原発活動をすすめている「カエルノワ」の若いお母さんのスピーチ、弁護士さんのスピーチ、東北電力本店ビル前で抗議のスタンディングを続けている人のスピーチなどがあってデモは出発した。 仙台の「ドラム隊」、いずれ独立部隊編成か?。 (2012/11/23 14:33) 私たちのちょうど後に楽器を持つ1団がいて賑やかだ。「11・11反原発100000人大占拠」の東京では何組かの「ドラム隊」を見てきたが、仙台でももうちょっとで「ドラム隊」が編成できそうなほど楽器を持って集まる人が増えている。 左:昼の一番町。(2012/11/23 15:03) 右:夜の一番町(2012/11/9 18:53) 先頭から遅れ気味に、ゆったりと進んでくる本隊。 (2012/11/23 15:04) いつもは夜7時頃に一番町を歩くのだが、今日は真昼である。週日の夜7時の一番町を歩く人と休日の昼に歩く人はきっと人種が異なっているにちがいない。そういった意味では、昼デモの意味はそれなりに大きい。 私達は先頭集団に入って大声をあげていたが、振り返るといつも後に続く人たちが横断幕を先頭に離れ気味で、まるで私達が斥候部隊、後続集団が本隊のような雰囲気である。左:デモ終了後のシバ君(撫でている妻の手にご機嫌な斜め)。 (2012/11/23 15:28)右:デモに出かける私たちを見送るイオ(ご機嫌斜めというより、ふてくされている)。(2012/11/23 12:37) デモを一緒に歩いてきたシバ犬がいて、飼い主さんに抱っこされている。妻が走り寄ってあごを撫でるのだが、いくぶん緊張気味で、なれなれしいおばちゃんにだんだんご機嫌斜めになっていくのが分かる。 ご機嫌斜めといえば、我が家のイオは、玄関でふてくされた格好のまま、デモに出かける私たちを見送っていた。最近は、私がデモに出かけることを知っていて、追いかけることをしなくなった。 ところが、今日は出かける時間帯が違う。さらに妻までが外出支度である。そわそわ落ち着かなくなったので、早めに「るすばん!」と宣告する。もちろん、このひと声であきらめてくれるのだが、今日のふてくされ方はひどい。玄関に長々と寝そべって、私たち(私も妻もヘルパーさんも)はそこを何度も通るのだがよけようとするどころか、耳をピクリとさせるぐらいで顔も上げないのだ。 人混みを嫌がりさえしなければ私だって連れて歩きたいのだ。人混みはイヤ、誰もいない山がスキ、という性格なのでどうにもならないのである。私も似たような性格だが、努力して人混みに出るようにしている。わざわざ東京に通ったりもしているのだ。 犬はそんな努力をしない。
2012.11.23
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それを語るであろう人は誰も私達のあとにやって来ない。私達がなさずに置いていたものを、手に取りそして終らせる人は誰もいない。 ヒルデ・ドミーン「誰も私達のあとにやってこない」部分 「後に続くものを信ずる」というのは古典的左翼運動の常套句であった。そう信じなければ前に進めない、という心情を私はけっして否定しない。しかし、振り返ったら誰もいない、ということはしばしば起こる。私のような者にすら、似たような経験はあった。だから、「後に続くものを信ずる」ことによって行為のエネルギーを獲得することは、普遍的に可能なわけではないし、誰かに推奨できるわけのものではない。 「私はこれをやりたい」、「いま、ここ、この私が私の意志を表明する」といった、さながら古典的左翼がプチブルと罵りそうな心情がその古典的左翼の情動を凌駕しうる、と私は思っている。それこそが、古典的左翼が力を失い、反原発運動は括りようのない雑多な市民、組織されていないが多数を形成しつつある市民によって担われ続けている情動としての機制である、と考える。私は誰も代表しない。私は私しか代表していない。そのような〈私〉が集まっているのだと思う。 「11・11反原発1000000人大占拠」の群集の中に入って、ある種の高揚感を感じながらも、いわばその感覚に抗うようにヒルデ・ドミーンの詩句のようなことを考えていた。抗議に集まる大群衆はスペクタクルである。視覚が感情を支配するかのように圧倒的ですらあった。 2001年9月11日のスペクタクルに圧倒された私たちはツインタワーの死者たちを悼む。しかし、それ以前の湾岸戦争、それ以後のイラク戦争あるいはアフガニスタンの死者たち、ツインタワーの死者数をはるかに凌駕する死者たちをどのように悼んだのか。情報操作の嵐の中で、私たちはいつの間にか〈命〉に差別を持ち込んでいたのではなかったか。だからこそ、「誰が人間としてみなされているのか? 誰の生が〈生〉と見なされているのか?」 [2] とジュディス・バトラーは語りはじめるのだ。 スペクタクルは私たちの認識、想像力を保証しない。時として危うくする。いつもそのように自分に言い聞かせなければならない。大群衆のデモの中で、そのように考えていた。 いつものように、今日も脱原発デモに向かう。だが、いくぶん不調である。10日ほど前から神経不安症的な気分に悩まされている。職業人であったときと較べれば、まったく軽度な感覚なのだが、アクティヴィティが落ちるのがよく分かるのだ。まともに本を読むことなどは、その後に続くであろう思考のプロセスを面倒に感じて、ほとんど何も読んでいない。 先週の「みやぎ脱原発金曜デモ」も「11・11反原発1000000人大占拠」も自らに課した義務のような気分で参加した。外形的(つまり、肉体的にだけ)ではあるけれど、アクティヴィティがあるように感じることができて、少しばかり救われるのだ。 こういうことが神経不安症的な気分の私なりの遣り過ごしかたなのである。 すっかり暗くなった集合時間。 (2012/11/9 18:15) 仙台の午後6時はもう夕方ではない。すっかり夜である。かといって、元鍛治丁公園は夜の闇ということはなくて、飲食店街の光に照らされている。参加した人たちの挨拶やビラ配りに支障はない程度には明るい。 私はいつものように、ずっと後方の低いコンクリート垣に腰掛けて時間を待つ。薄暗い公園の中の人混みとざわめきは、なにか昔懐かしいというか、幼年時にこのような気分に浸っていたような気がするが、記憶は定かではない。 スピーチで、TPPの危険を訴える人がいた。TPP(Trans-Pacific Partnership、環太平洋戦略的経済連携協定)は、太平洋を囲む国々の間に自由貿易圏を構成しようとするもので、文字通りグローバリゼーションの名でアメリカ合州国が画策する経済的世界戦略の一つである。貿易に依存する工業経済にとっては有利で、国際競争力の弱い農業は大打撃を受けるだろう、というのが概括的な理解で、当然ながら妥協できない政治的対立をもたらしている。 スピーチは、とくにTPPに含まれるISD条項の危険性を訴えるものだ。ISD条項とは、TPPに加わる国(政府)がTPP協定国の企業に不当な差別を行ったとき、その企業が差別によって受けた損害の賠償を相手国政府に求めることができる、とする条項である。 つまり、たとえば日本政府が全原発廃炉を法(政策)によって定めた場合でも、外国の1私企業がそれが不利益だと主張して賠償請求を通じて国家主権に一定の制限を加えることができる、ということである。次第に強くなりつつある日本の脱原発の機運に、すでにアメリカの政府関係者はあからさまに反対の意思を表明している。それですら日本の国家主権に対する露骨な干渉である(政府や民主党、自民党の態度から、日本はアメリカの植民地であって国家主権は無いように見えるが、外形的には独立国家である)ばかりでなく、日本の原子力政策に対して、将来的にはアメリカ企業と一体となって国家戦略としてISD条項を振りかざす危険性が高いのである。 「フクシマ返せ!」 (2012/11/9 18:54) いつも心の不調は体の不調を伴う。デモが出発するときは何でもなかった私の体は、だんだん重くなっていくようだ(じつは、翌日から発熱して3日間寝て、4日目にこの文章を書いている)。 それでも、今日はデモの後、本屋によって本を探す予定で出てきた。心の不調で10日以上も本を読んでいないので少し焦ってもいて、それを乗り越えるほどに興味を引く本がないかと期待しているのである。 仙台最後の屋台(たぶん)。 (2012/11/9 19:11) デモが流れ解散になって、そこから仙台駅方向に少し歩くと仙台で唯一の屋台が出ている。この屋台は看板暖簾は裏返しで、提灯の文字は逆さまである。2ヶ月ほど前のデモの後、この屋台の店で「支那そば」を食べたのだが、その「逆」の意味を聞き漏らしてしまった。将来のささやかな課題とする。 本屋を出て、駅前通を北上して「東北電力本店ビル」前に行ってみた。午後8時40分を回っていて、抗議のスタンディングは終わろうとしていた。 政党または政治という視点で眺めれば、日本は昏迷をきわめている。政治理念のもとに政治家が結集するなどという姿はなく、政治権力把握の方便としての離合集散ばかりが目につく。そして何よりも、ポピュリズム的な手法に容易に絡め取られているマジョリティの存在が日本を暗くしている、と私には思えるのだ。 くらがりの中におちいる罪ふかき世紀にゐたる吾もひとりぞ 斎藤茂吉 [3]現代といふ傲慢な発想法 あらあらしくも日輪まはる 永井陽子 [4] [1] 「ヒルデ・ドミーン詩集」(高橋勝義・高山尚久訳)(土曜美術社出版販売、1998年)p.99。[2] ジュディス・バトラー(本橋哲也訳)『生のあやうさ 哀悼と暴力の政治学』(以文社、2007年) p. 50。[3] 「斎藤茂吉句集」山口茂吉/柴生田稔/佐藤佐太郎編(岩波文庫 2002年、ebookjapan電子書籍版)p. 260。 [4] 「永井陽子全歌集」(青幻社 2005年)p. 343。
2012.11.16
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朝の散歩で、愛宕大橋から大橋までの広瀬川河畔の紅葉を見てきた。天気予報とは異なり、午後になってもときどき日が照る。それなら、さらに仲の瀬橋から上流も見ておこうと家を出た。 仲の瀬橋の上流の河原に出ると、プロのカメラマンらしい人がやはり河畔の紅葉を撮影している。同じ場所で、安物のデジカメを出して撮影するというのは何となく恥ずかしくて、仲の瀬橋の下流に下る。そこには数日前の朝の散歩で見つけて美しい紅葉があるのだ。 仲の瀬橋は2階建ての新しい橋である。下の道は市街地からトンネルに入り仲の瀬橋から青葉山トンネルにふたたび入って東北高速道に接続し、さらに山形へ向かう国道48号になる。 その仲の瀬橋の東詰の橋脚の蔦紅葉を見つけた。橋の構造から全体に広がることはできそうにないが、もう少し陸の方へ拡張できそうである。ほとんど見る人もいなさそうな場所だが、蔦の頑張りを期待している。 Point A 仲の瀬橋東詰橋脚の蔦紅葉。 (2012/11/14 14:01) 仲の瀬橋の上流へ戻ると、カメラマンは帰っていくところだった。西公園(桜ヶ丘公園、この辺の人はたいてい「西公園」と呼んでいる)の崖のモミジの紅葉が美しいところである。 Point B 西公園(桜ヶ丘公園)の崖の紅葉。 上:(2010/11/20 14:56), 下(2012/11/14 14:12) 写真には3・11大地震前の同じ場所の紅葉も一緒に示している。陽の射し加減もあるが、今年の発色は悪い(時期が早いということもあるかもしれない)。写真中央に地震によって崩落した剥き出しの部分が写っている。写真に写っていない下流側(右方)にも崩落箇所がある。Point C 胡桃淵(佐久間さんの淵)の崖の紅葉。 上:(2010/11/20 13:07), 下(2012/11/14 14:23) 仲の瀬橋から右岸堤防を上流に歩いて行き、赤門自動車学校を過ぎると胡桃淵付近の河原に下りることができる。この胡桃淵の左岸も毎年美しい紅葉を見せる。 しかし、ここもまた地震による崩落が起きている。そのうえ、水面に近い下部のモミジの木がきれいになくなっている。写真の右、下流側の崖の崩落で数軒の民家がきわめて危険な状態になって、その復旧工事のためのブルやユンボが通る道を崖下に造ったとき、伐採されたのである。 胡桃淵の上の右岸の河川敷公園から澱橋に上がって左岸に渡る。澱橋から上流の牛越橋までの広瀬川の左岸は、よく整備された堤防道路と河川敷公園が続く散歩道になっている。 このあたりは右岸が崖になっているが、北斜面のせいか、生えてる樹種のせいか、紅葉はさほどでもない。新兵淵の下流、岩盤瀬が続く付近の黄色の木々が目立つ程度である。 Point D 新兵淵の下流(宮城県美術館裏)。 (2012/11/14 14:51)広瀬川Map A~Dは紅葉ポイント。地図のベースは「プロアトラスSV4」。
2012.11.14
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朝四時半、真っ暗な中でイオに起こされた。布団の中に入れろ、というのである。それで「ああ、今日は寒いのだな」とわかる。暖まると出て行く。体が冷えるとまた入ってくる。その回数で朝の最低気温の見当がつく。1回であれば8~12℃、2回だと5℃前後、3回以上だと氷点下である。今日は1回だけで、9℃という最低気温の予報は当たったようだ。 携帯で今日の天気予報を見ると10時頃までは陽が射すらしい。少し遠出をして、広瀬川河畔の紅葉を見に行くことにする。陽が射す時間狙いで、いつもより遅い6時過ぎに家を出る。 Point A 広瀬川堤防の道に咲き乱れる小菊。 (2012/11/14 7:20) 滅多に歩かない散歩道のせいか、道端の匂いの確認に夢中でイオはなかなか前に進まない。さくさくと散歩が進まないのだ。紅葉を見ること、写真を撮ること、などと散歩に散歩以外の目的を付与するとこんなことになる。道をはずれる自由のない散歩は散歩ではない、と思いながらも、まっすぐ目的地に歩くのである。 Point B 崖の上は愛宕神社。 (2012/11/14 7:00) 愛宕神社、大満寺の裏手の崖が見えるところまで、霊屋橋から広瀬川の左岸の河川敷公園を下っていく。広瀬川が川底を削って、その両岸または片岸が崖になっているのはこの辺までである。ここから上流に歩くことにする。 さっきまで日が照っていたのに、曇ってしまった。日が照らないとやはり紅葉はくすんでしまう。写真には写っていないが、左手の上流側の崖は3・11の地震で崩落が起きたところだ。高い崖の上には人家が並んでいて、緊急工事でコンクリートの吹きつけがされている。下部には流れで岸がえぐられないように石積みがされている。 その上流がPoint Cで、同じように上流左岸からの眺めである。 Point C 宮城県立工業高裏。 (2012/11/14 7:05) 県工裏の河川敷公園の中をさらに上流に歩くと霊屋橋が見えてくる。霊屋橋の東詰に紅葉する木々が見えるが、これは片平市民センターに隣接する片平公園の桜の木だ。 Point D 霊屋橋東詰付近。 (2012/11/14 7:08) いったん、右手(左岸)の米ヶ袋の住宅地の道に上がってから霊屋橋を渡る。霊屋橋の上流は左岸が崖になっていて、右岸の堤防上に歩道がある。 Point E 片平市民センターと高等裁判所の間。 (2012/11/14 7:17) Point Eは市民センターの上流で、かつて「源兵衛淵」と呼ばれた淵があったあたりに相当する。写真の左手上は仙台高等裁判所である。 右岸堤防の上の歩道を歩いて行くと、何種類かの小菊が咲き乱れている(Point A)。小菊、乱菊というのがいい。これが石垣に生える懸崖菊だったなおさらいい。 Point F 評定河原グランドの銀杏。 (2012/11/14 7:24) 堤防道から評定河原橋に上がって左岸に渡る。評定河原には野球場、テニスコート、陸上競技用グランドがあって、そのまわりには銀杏の木がたくさん植えられている。 Point G 伊達家の廟「瑞鳳殿」のある経ヶ峰。 (2012/11/14 7:28) 左岸の堤防道路を上流に進むと、対岸は伊達家3代の廟(瑞鳳殿)がある経ヶ峰である。写真の左に白く見える崖は「評定河原大露頭」とよばれ、チョウゲンボウの巣があることで有名だったが、最近はハヤブサが棲んでいるらしい(ある愛鳥家の話で、私はハヤブサをまだ見ていない)。 評定河原大露頭(右岸)、花壇自動車大学校(左岸)を過ぎると早坂淵で、堤防は途切れる。花壇住宅地の細い路地道を辿って銭形不動尊のあたりでふたたび堤防道路に出る。この堤防のない区間は、崖上に住宅があって、やはり3・11大地震で土台近くまで崩落が起きている。 Point H 広瀬川から望む仙台城趾の紅葉。 (2012/11/14 7:38) 仙台城趾も石垣の崩落などの被害がたくさん出た。写真左上の白い剥き出しの部分も崩落跡である。 左岸堤防を少し上ると大橋に出る。端の西側部分は蔦に覆われていて、いつも紅葉が美しい。時期が早いせいか他の紅葉はあまり鮮明ではないけれども、ここの蔦紅葉はだいぶ葉が落ちてしまって盛りを過ぎたようだ。 大橋の上流の右岸(仙台国際センター)も崖になっているが、紅葉はさほどでもない。 Point I 大橋の橋脚の蔦紅葉。 (2012/11/14 7:43) 広瀬川Map A~Iは紅葉ポイント。地図のベースは「プロアトラスSV4」。
2012.11.14
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Photo I ドラム隊がやって来た。 (2012/11/11 15:52) Photo J 国会前抗議エリア(の端っこ)のドラム隊。 (2012/11/11 15:55) 「霞が関1丁目」交叉点を左折し、さらに「外務省上」交叉点を右折して「国会前」交差点方向に向かっていると、後から見事なリズムで「ドラム隊」がやってくる。ドラム隊をやりすごしてその後をついて行く。何となく元気で軽快な足運びになる。「国会前」交差点を渡り、「国会前抗議エリア」に向かうのだが、すでに歩道はびっしりの人で、ドラム隊はずっと手前に陣取って定点演奏を始めた。 人混みの中を少しずつ前に進む。公園の鉄柵と道脇の植え込みの間を這うようにして進むが、photo Kの写真を撮ったあたりで身動きができなくなった。ほんのわずかの隙間から見ると、歩道の端(車道側)に人が歩けるくらいのスペースが確保されているのだった。Photo K ファミリリーエリアに人がびっしりと(国会前抗議エリアから)。 (2012/11/11 15:59) 歩行スペースに出させてもらって国会方向に歩き出す。本当にゆっくりだが「国会正門前」交叉点までは順調に進む。しかし、角を左折すると私と逆方向に歩く人が大勢いて大混雑になった。そこそこ強い雨が降っているものの傘を差して歩くのはきついので畳むことにした。さいわい、上下とも登山用ウェアなので多少の防水性はある。だが、手に持った「プログラム&MAP」はすっかり濡れてくちゃくちゃになってしまった。 国会前の直角三角形の公園の二辺の歩道は、人でびっしりである。「本部」がある「財務省上」交叉点から「国会前」交叉点までの一辺(歩道)は歩きやすい。もう1度「国会前」交差点に出て「ファミリーエリア」に向かう。 ファミリーエリアはゆったりと、などということはまったくなくて、やはり人はびっしりである。人の後をついて歩けば必ず動けなくなる。すぐに公園に入って憲政記念館のトイレを使わせてもらい、それから反対側、「憲政記念館前」交叉点の方から国会正門前に向かうことにした。 憲政記念館では雨を避けてベンチで休んでいる人が大勢いた。私と同年齢の人が多い。そういえば、抗議エリア歩道に頑として座り込んでいる人にそんなに若い人は多くないような気がする。 中には、雨の中を歩行器を押して抗議エリアに向かう高齢の女性もいた(我が家の108才の義母は、この歩行器を使ってかろうじて4、5メートルを歩く)。びっくりして、感動して、ずっと眺めていた(家に帰って、写真を取り忘れたことを妻になじられた)。 憲政記念館の所から公園を出て国会正門前に向かうが混雑はまったく同じで、ぞろぞろと人について歩いて行くとすぐに動けなくなる事情はまったく同じで、やはり、国会側の二辺の歩道は人で埋め尽くされている。 わずかに作られた歩行スペースを進む。このスペースでは、ちょっとで立ち止まると「立ち止まらないで下さい」とお巡りさんの注意が飛んでくる。このエリアでのお巡りさんの声掛けが際立って多い。ファミリーエリアなのでことさら安全に気を配っているのかもしれない。 交差点を渡るときも、「雨で濡れていますので、滑らないようにして下さい」と声を張りあげているお巡りさんがいる。「ありがとうっ」と女性の大きな声が応える。「石つぶてと警棒」の全共闘時代とは天国と地獄ほどの差である。 Photo L 国会前抗議エリア(ファミリーエリアから)。 (2012/11/11 16:27) ファミリーエリアを「国会前」交叉点に向かう頃には、少し雨脚が強くなってきた。雨天のせいか、薄暗くなるのも早いようだ。「立ち止まらない」と注意されながら急いで撮る写真はピンぼけばかり。 「外務省上」交叉点でまた「ドラム隊」に出会ったが、前のドラム隊とは違うようだ。ドラム隊の傍にいると、私のような年齢のものでも元気に浮き立つような感じなって楽しい。 「霞が関2丁目」交叉点まで戻る頃には完全に夕暮である。まだまだ大勢の人が交叉点を渡って国会前へ向かっている。信号が赤になると、歩道は人で溢れて通り抜けられない。交叉点を渡るわけでもないのに、赤信号を4回ほど待って、国会通りを日比谷公園方向に左折することができた。 Photo M 薄暗くなっても国会前、首相官邸前へ続く人波(国会通り)。 (2012/11/11 16:42) 私としては、もう帰り足である。心はとても元気になったが、体はへとへとである。人混みの中は山登りよりきつい。それでも、今日は珍しく人酔いはしなかった。 新幹線に乗って、地図を出して眺めていて、大失敗に気づいた。全エリアを歩いたつもりだったのに、「官邸前抗議エリア」が抜けていた。官邸に首相がいたかどうかは知らないが、肝心なエリアだったのに。霞が関界隈Map A~Mは写真撮影ポイント。地図のベースは、「プロアトラスSV4」、 歩行軌跡(往路のみ)は、「GARMIN GPSMAP60CSx」によるGPSトラックデータ(乱れはビルの影響)。
2012.11.11
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欠かさず参加している仙台での脱原発金曜デモは2~300人の規模が普通で、17万人を集めるような東京の抗議集会がどのようなものか、想像するのはなかなか難しい。 「11・11反原発1000000人大占拠」と名付けたデモ・集会を東京で行うというので、出かけてみることにした。しかし、集合場所としての日比谷公園の使用許可が下りず、さらに東京地裁、高裁も不許可を追認したため、デモの部分は急遽取りやめになり、舗道上での抗議集会のみということになった。 ネットをさまよっていると、「7月以降の集会が次第に勢いを失っていて、そのために権力が公園使用不許可などの攻勢に出て来たのだ」という主催する首都圏反原発連合への批判含みの論調が見られる。 権力が弱り始めた抵抗運動を叩き始めるという「えげつなさ」を有しているという説明は確かにもっともらしい。世田谷公園を管理する東京都の責任ある人(たち)の顔を思い浮かべれば、その「えげつなさ」はなおさらもっともらしい。 反原発デモをマスコミが取りあげることは少ないので、首都圏での運動が退潮傾向にあるかどうか、私には判断できない。しかし、そのような批判的な言動にもかかわらず、twitter上での反原発の意見表明の盛んな様子は相変わらずだし、仙台では金曜デモが退潮気味だということはまったくない。 だから、私としては、デモを妨害しようとする行政の機制はまったく反対なのではないかと思うのだ。本当に運動が弱り始めているなら、わざわざ手を汚してつぶしにかかるよりは、むしろ、ほっといてその消滅を待つ、というストーリーもそれなりにもっともらしい。つまり、私は、いつまでたってもあきらめない運動にうろたえ始めて攻勢に出て来たのではないかと思っているのだ。「8月に東京都からやるなと言われた」とか「いろいろ圧力がある」と都の担当者が話していたという [1]。その最終責任は首長にあるとしても、「過剰な忖度」 [2] (つまりは、上位者へのおべんちゃら)として、うろたえやすい中、下級役人が突っ走っている可能性もありうる。 いずれにしても、この「公園使用不許可」は反原発運動が明確な効果を生みだしている証左である、と私は考えている。原発推進派はあわて始めているのである。 Photo A 日比谷公園で待ち合わせ? (2012/11/11 14:29) 仙台駅から11:13発の新幹線で、東京駅に13:44に着いた。「東京駅から日比谷公園まで散歩しましょう」というtweetがあったので、東京駅から歩いてみたが、リニューアルした東京駅見物の群集を抜ければ、特別なことはなく日比谷公園に到着である。公園広場には、何かのお祭りらしくたくさんのテント屋台が出ていた。公園を突き抜けて、霞門口までくると、旗を持ったり襷を掛けたりして、集会への参加者がたくさんいる。待ち合わせか、時間調整ということらしい。抗議集会は午後3時からということなので、私も少しここで時間を潰す。 3時10分前に日比谷公園を出て、まず「厚生労働省前抗議エリア」に向かう。厚労省前には50人ほどが集まっていた。まだ早いのだろうか、と訝りながら少しだけスピーチを聞いて「経産省前抗議エリア」に向かう。 Photo B 歩道に人がこぼれそう。経産省前テント広場。 (2012/11/11 15:00) Photo C その中で「甘藷踊り」。 (2012/11/11 15:04) 国会通りに出て「「西幸門前」交叉点を右折して、「霞が関2丁目」交叉点まで来ると、道の向こう、「経産省前テント広場」には車道に溢れそうに人が密集している。どうみても歩道に隙間はないように見えるのだが、交差点を渡って車道の端を歩いてかろうじて一人分の空間を見つけて入った。 その人混みの真ん中で「甘藷踊り」が披露されていた。そのあと、「甘藷踊り」の踊り手を先頭に経産省前、財務省前......と「おねり」行進をするということらしいのだが、なかなか進まない。ほとんど立ち止まった状態で、しばらくはシュプレッヒコールである。 Photo D えっ、全共闘。「昔の名前で出ています」って。(2012/11/11 15:10) たくさんの旗が立っていて、その中に「明大全共闘」だの「専大全共闘」だのという旗も混じっていて一瞬「えっ」という感じだったが、脇に小さい字で「昔の名前で出ています」とあって、何となく納得した。旗を持っている人を見たいと思ったが、ほんの5mほどを近寄れなくて、それは叶わなかった。私は、全共闘運動のど真ん中にいたわけではない「全共闘世代」なのだが、とくに「全共闘」に思い入れがあるわけではない。それでも、少しばかり微笑ましい「全共闘」の旗だった。 Photo E 文科省前。 (2012/11/11 15:29) Photo F 「ノ~ダッ~、ノ~ダッ~」は合唱付き? (2012/11/11 15:30) やや甘藷踊りの「おねり」が早まるとわずかな隙ができたので、甘藷踊り隊を追い越して「文科省前抗議エリア」に向かう。「霞が関3丁目」交差点を渡ると、文科省前は結構な人だかりである。人だかりの中では、石段に並べられた被爆者の写真の前で抗議ライブが行われている。 Photo G 経産省前を進む人々(財務省前から)。 (2012/11/11 15:38) 「財務省前抗議エリア」に向かいながら、桜田通りを挟んだ道向かいを眺めると、経産省前の歩道は人がびっしりと張り付いている。よくまぁ、あそこを通り抜けてきたな、と我ながら感心する。 財務省の前に着いた頃(15:30すぎ)から雨が降り出した。登山用レインウエアを突っ込んできたはずだとザックを開けたが、折りたたみ傘しか入っていない。なんということ、人混みの中は合羽が最適だというのに。朝、急いで大型の山ザックから移し替えたとき、間違えたのだ。入っていたのは小分けにした下着の袋2個とこんな人混みで使えるはずのない登山用携帯トイレだった。 Photo H 財務省前。 (2012/11/11 15:38) 傘を差して歩き出す。「霞が関2丁目」交叉点角には「子どもを逃がせ」という大きな横断幕を掲げ、福島からの子どもの避難を訴えるグループがいる。若いお母さんの悲痛なスピーチを聞きながら交差点を渡り「外務省前抗議エリア」に来るが、ここはパラッと30人ぐらいの人たちが交替でスピーチをしている。省庁の原発への関わりがはっきりと人数に現れている。 (続く) [1] 「11・11反原発1000000人大占拠」プログラム&マップ。[2] 森達也「A3」(集英社インターナショナル、2010年) p. 471。
2012.11.11
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今日のデモの集会場所は宮城県庁前の勾当台公園だが、前の時とは違って、少し高い場所にある「野音広場」である。150人ほどが集まったが、これくらいの人数に見合ったくらいの椅子がある理想的な集会場所である。 このような椅子があると、人の集まり具合がよく見えて何となく心強い。ただの広場だと参加者が増えていく様子がはっきりしなくて、気がついたら集まっていたという感じがする。 いい雰囲気です。 (2012/11/9 18:03) 「11・11反原発1000000人大占拠」に合わせた仙台での集会・デモの案内があった。全国の2百数十カ所でもそれに同期して集会・デモが行われるという。これは60年安保の結集を越えるという紹介があったが、60年安保に遅れた世代としての私にとって、安保闘争は東京の戦いという印象であった。そういう意味では、現在の反原発の運動は明らかに60年安保闘争とは質的に異なる。 60年安保闘争は労働者と学生によって担われた印象が強いが、いま反原発の運動は「ふつうの市民」という括りでしか表現できないような人々が中心である。組織動員なしで、これだけの数の場所で無数の人々が意志表示をするということは、「まったく新しい出来事」であるし、そうであり続けるだろう。 「11・11」には東京へ行こうと思っているが、車中2泊の「弾丸バスツアー」での参加は体力的に不安なので、新幹線利用になるだろう。 60年安保に遅れた世代としての私には、集会・デモに参加するというより、東京で起きていることを見ておきたいという感情が強い。 スピーチ向きの会場。 (2012/11/9 18:23) 一番丁は電飾できらびやかに輝いている。「記号消費の時代」を象徴するような街に、「きれいな福島を返せ!」、「きれいな海を返せ!」というシュプレッヒコールが響くのだ。放射能に汚染された私たちの国土は、少なくとも私たちの世代が生きている間に元に戻る可能性はない。そんなことは百も承知だが、「返せ!」というしかないのだ。 デモを歓迎する電飾? (2012/11/9 18:53)
2012.11.09
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輸血するごとく原発稼働せり救はんとしてほふるや未来 (長野県)井上孝行 [1] 原発を再稼働することは、その場しのぎのエネルギー対策に過ぎない。しかも、再稼働しなくてもどんな電力不足も起きなかった。大飯原発の再稼働という野田佳彦の「決断」は、この秋の臨時国会の所信表明で繰り返した彼の好きな《明日》そのものを葬り去ろうとして決断したのだ。そうでないというのであれば、彼の《明日》と私たちの《明日》は、まったく異なった世界に属する。 それにしても寒い。気温がそんなに低いわけではないが、北風がこたえる。急激に寒くなって、体が追いついていないのだ。夕方、ちょっと外出する用事があって、その時から数えて3回も着替えた。昨日までのジャケットより少し厚めを引っかけるくらいでは対応できないくらい寒く感じた。 寒いので、かなり早足で歩いた。おかげでいつもより早めに元鍛治丁公園に着いた。人はまだパラッとしか集まっていない。仙台人がこれくらいの寒さで行動を左右されるはずはないのだが、この季節のこの寒さでの集会はさすがに厳しいかな、という感じだった。 寒風の中、少しずつ増えていく。 (2012/11/2) しかし、そんな心配は余計なことだった。やはり、仙台人は寒さに強いのである。ポツポツと、またポツポツと、さらにまたポツポツと、集まって来る。この寒さで150人というのはすごい。 福島から山形へ家族で避難したご夫婦のスピーチ、国立(たぶん、その辺)でデモや集会を行っている東京からの参加者は、山形出身でお父さんは東北電力に勤めているということで、それでいっそう真剣に原発事故のことを考えるようになったという。「女川原発の再稼働を許さない! 2012みやぎ秋のつどい」と田中三彦さんの講演会の告知、「11・11反原発1000000人大占拠」のための仙台発貸し切りバスの案内などがあって、デモへ出発である。 知人と一緒にデモの最後部付近を歩いた。職場で一緒だった人である。デモの途中、彼が突然別れの挨拶をするので驚いた。「私は脱落します。来週の水曜日、田舎に行きます。」 生まれ故郷に帰るということらしい。握手をして別れた。デモを途中で抜け出した彼は、急ぎ足でビルとビルの間の路地へ消えて行った。たぶん、もう2度と彼とは会えないのである。 彼の姿が見えなくなってからも、突然の出来事にドギマギしてしているうちにデモは終わった。 最後尾の前と後。 (2012/11/2 18:56) これまでの4つのデモコース。(地図のベースは、「プロアトラスSV4」)。 [1] 「朝日歌壇(高野公彦選)」(2012年8月13日付け『朝日新聞』)。
2012.11.02
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