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幕末期に豊後日田の生んだ日本最大の私塾咸宜園の創立者に、広瀬淡窓という人がいます。 ”広瀬淡窓”(2002年1月 西日本新聞社刊 深町 浩一郎著)を読みました。 1782年に豊後国日田で博多屋三郎右衛門の長男として生まれ、名は建、字は子基、通称は求馬、別号に苓陽青渓、遠思楼主人などがあります。 深町浩一郎さんは、1951年日田市生まれ、1970年に日田高等学校を卒業、1974年に鹿児島大学法文学部法学科を卒業し、大分県庁に就職し長く地方の行政に携わりました。 広瀬淡窓は少年の頃より聡明で、10歳の時、久留米の浪人で日田代官所に出入りしていた松下筑陰に師事し、詩や文学を学びました。 13歳のとき、筑陰が豊後佐伯毛利氏に仕官したため師を失ない、16歳の頃に筑前の亀井塾に遊学し亀井南冥、昭陽父子に師事しました。 その後、大病を患い19歳の暮れに退塾し帰郷し、一時は命も危ぶまれましたが、肥後国の医師倉重湊によって命を救われました。 病気がちであることを理由に家業を継ぐのを諦めて、弟の久兵衛に商売を任せ、一度は医師になることを志しますが、倉重湊の言葉によって学者、教育者の道を選びました。 1805年に長福寺に初めの塾を開き、これを後の桂林荘咸宜園へ発展させました。 咸宜園は1805年に創立された全寮制の私塾で、咸宜とは“みなよろし”の意味で、天領でもあることから、武士だけでなく、どんな身分でも、男女を問わず受け入れるということで名づけられました。 入学金を納入し名簿に必要事項を記入すれば、身分を問わず誰でもいつでも入塾できました。 また、三奪の法によって、身分、出身、年齢などにとらわれず、全ての塾生が平等に学ぶことができるようにされました。 咸宜園では四書五経のほかにも、数学や天文学、医学のような様々な学問分野にわたる講義が行われました。 毎月試験があり、月旦評という成績評価の発表があり、それで入学時には無級だったものが一級から九級まで成績により上がり下がりしました。 塾生は遠方からの者も多かったため、寮も併設されました。 全国68ヶ国の内、66ヶ国から学生が集まりました。 江戸時代の中でも日本最大級の私塾となり、80年間で、ここに学んだ入門者は約4,800人に及びました。 淡窓の死後も、弟の広瀬旭荘や林外、広瀬青邨等以降10代の塾主によって明治30年まで存続、運営されました。 淡窓の指針である敬天とは、人間は正しいこと、善いことをすれば天から報われるとする敬天思想です。 咸宜園の門生に、高野長英・大村益次郎・長三洲等がいます。第1章 広瀬淡窓の生涯第2章 教育者としての淡窓第3章 詩人としての広瀬淡窓第4章 儒学者としての淡窓
2015.04.19
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いまから、そして、これから、北京で働くことはどんな意味があるでしょうか。 ”北京で働く”(2006年10月 めこん社刊 浅井 裕理著)を読みました。 海外へ飛び出すシリーズの北京編です。 北京でばりばり働いている本人19人へのインタビューと、暮らすため・仕事を探すためのインフォメーションの2部構成となっています。 日本の会社から駐在員として赴任してくるのは、圧倒的に男性です。 そうではない人たち、つまり現地で仕事を探して就職したり、自ら起業しり、フリーランスで働いている日本人は、むしろ女性のほうが多いのではないでしょうか。 第1部のインタビューは縦組みで右ページから始まり、PP.1-191となっています。 インタビューした日本人は、俳優・日本語教師・コンサルティング会社社長・アナウンサー・ホテルウーマン・旅行会社勤務・客室乗務員・設計士・歯科医・美容院経営者・フリーコーディネーター・雑誌主宰者・翻訳会社社長・システム開発会社社長・駐在員事務所代行業・エステサロン社長・弁護士・料理長・翻訳者です。 第2部のインフォメーションは横組みで左ページから始まり、PP.1-141となっています。 インフォメーションの中身は、あなたは北京で働ける?(適性、必要な学力・スキルなど)、仕事を探す(仕事に探し方、労働条件など)、いよいよ北京へ(ビザ、持っていくもの、部屋探し、トラブルなど)、北京で暮らす(交通、医療、IT事情、銀行、生活費、関係機関など)、北京で学ぶ(中国語、スクール一覧、大学一覧、留学関係など)となっています。 浅井裕理さんは、1997年から北京に住んで、人民日報電子版・編集担当、日系メディア企業の北京特派員として勤務したあと、フリーのライターになった人です。 書籍・雑誌・ウェブサイトなどで、中国経済、中国文化に関する情報を多数発信しています。 北京での12年間で、三環路以内の市内に住む中国人が激減したということです。 露店の市場がどんどん減り、大型店やショッピングセンター、高層ビルが増えました。 インフラ整備など、ハード面の変化が一番大きいようです。 また、欧米の商品や情報も入手しやすくなり、中国人女性がとてもおしゃれになったそうです。 中国は歴史が長く、特に北京では古い物や文化に触れることができます。 その一方で、経済急成長の恩恵を受けて、世界最新の技術や商品に触れる機会も多いそうです。 このように、空間の広がりと時間軸の広がりの両方を実感できる点が、北京の大きな魅力です。 また、日本人、中国人とだけでなく様々な国の人と交流ができ、いろいろな国の文化に触れることができます。 海外で働くことは、それまでの常識が通じない面もあり大変ですが、やりがいも大きいそうです。 北京で働くことで、いい意味でも悪い意味でもタフになります。 日本ではなかなか出来ない様々な体験ができますが、それが中国で働く最大の魅力なのかもしれません。 あなたは北京で働けるかという項では、食べ物の好き嫌い、異文化への適応能力、体の健康、5年後10年後の自分を思い描けるか、いいたいことをはっきり口にできるか、自分をたくましいと思う瞬間、失敗してもくよくよしないか、中国語が好きか得意か、孤独に強いか、3日お風呂に入らなくても問題ないかと問われています。 60点に届かなかった人は、なぜ北京で働きたいかの再考を勧めています。
2015.04.11
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