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今週は怒涛のように過ぎ去っていった。月曜日・私が病院へ薬を取りに行く。二時間待たせられる。康平怒り爆発。仕方が無いので帰りにお寿司をご馳走する。しかし彼はお刺身と言ってネタが高いものが好きだった(T_T)。おかげで私は下のにぎりばかり食べていた。でも奇妙な人がいた。二十五・六の大きい男性で、あごひげ、刺青、黒いシャツと言う格好なのだが、二十センチくらいのサルのぬいぐるみにお寿司を食べさせ、お茶を飲ませいてた。あまりにも当たり前のようにやっていたので、最初気が付かなかったくらいだ。火曜日・近所の奥様達とお昼にお茶・ソーメンを食べた。子供が九人なかなか大変。午後は私がベビープールの監視員。五人もごちゃごちゃはいって、ごぼうが並んでいるようだった。この日から三日間連続でバイトが入っている。水曜日・私ダウン。念のため、総合病院へ行った。パパも仕事を休んだ。結果はストレスと、風邪のために胃がやられているようだ。夜私がいないので、康平も情緒不安定。食べたものを吐いたりしていた。木曜日・薬さえ飲めば、吐き気もなく、動けるので、パパと康平三人で特売の日替わり品ゲットへ。お一人様ひとつなので、三つ買えた。夜の塾。パパから、康平が泣いているのでなるべく早く帰ってきて欲しいとのこと。終了後直ちに帰る。康平ご飯も食べずに泣いていた。金曜日・午前中近くの公園のプールへ。幼稚園以下が対象なのだが、いかにも小学生と言う感じの子がいて、監視員の人に注意されていた。ここはただなので嬉しい。康平は滑り台が気に入ったが、最初加減がわからずに、一直線にプールへ落ちたので、二回目からはとっても慎重。でも滑り台から出ている水を飲もうとして回りのお母さん達に必死で止められていた。(-_-;) 夕方子供達を寝かしつけ、お互いのだんながいないのをいいことに友人と「千と千尋の神隠し」を見た。あれは何回か見たほうが良いようだ。土曜日・パパは仕事。体温と同じ気温なんて冗談じゃないと、康平とひたすら昼寝を決め込む。パパごめん。夕方近くの保育園の夏祭りへ。金魚二匹。誰が世話するの!!。康平はもっぱら保育園の中のボールプールで遊んでいて、園児達の踊りも花火も興味なし。花火が怖いと大泣き。そして今日。生理痛と疲れで私は何も動きたくない。康平とパパはお出かけしているのでお昼寝しよう。来週はHPに誕生日からの写真をUPできるよう頑張ります。
2002年07月28日
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康平がおかげさまで、熱も下がり、口の中の水疱もだいぶ良くなり、元気になりました。ウィルスによる口内炎ということで、抗体が出来たので、熱が下がり、その落し物と言うことで、水疱が出来たんです。と言われました。掲示板に、いろいろアドバイス有難うございました(^o^)丿何のウィルスだったのかはまだ判明していません。「手足口病」かとも思ったけれど、他のところには何も出てこなかったので、今もって???です。仲良しの近所の子達が一軒に一人ずつ高熱をほぼ同時に出して、康平ともう一人の子が点滴を受けました。そりゃあ、「マグマグ」がおなじでどっちがどっちのだかわかんなくなったり、同じお箸でツバメの子みたいに「あーん」とご飯をあげてれぱ、同時に病気にもなるよね、とママたち。でも「奥様集会」はやめられません。「私達、長屋的生活だもんね」ダンナサマ達は、今日は朝から連れ立ってゴルフの打ちっぱなしに出かけていきました。
2002年07月21日
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午後九時ごろ、康平がお口にぶつぶつがあると言うので見てみたら、あちこちに水泡が出来ていた。調べたら「ヘルペス性口内炎」の症状に良く似ていた。高熱・脱水・のどの痛み・水泡。熱は数日で引くらしいが、口の中の水泡は十日から二週間ともかかれていた。ひぇー。ただでさえ食べないのに、なにを食べさせればいいの?私達の夏は何処に・・・。明日病院行こう・・・。だれか良いレシピあったら教えてください。
2002年07月18日
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近所の仲良しのお友達が、「ヘルパンギーナ」になったと言う。あらあらと思っていたら、火曜日の夜、康平が「のどが痛い」と言い出した。自分から痛いところを言うのは珍しい。もしや康平もと思ってのどを見てみたが、素人の私がみてもわからなかった。とりあえず風邪薬を飲ませて寝かせた。朝、38度4分。私は疑いを強めた。早速この前入院した病院へ。到着したらますます康平の身体は熱くなっていた。40.1度。脱水傾向もあったので直ぐに点滴が始まった。先生に呼ばれ説明を受けた。「夏風邪の一種です。このまま1本点滴して、座薬を入れて、熱が下がらなかったら、二三日入院してください」えーまたぁ?!。午後三時看護婦さんが二本目の点滴を持ってきた。覚悟をきめた私。熱も座薬で一時38度台になったものの、薬の効果が切れると共に、また39度台に戻ってきている。1本約三時間半の点滴。午後五時半、また看護師さんがやってきて、「今日が初日の熱だし、これが終わったら帰っていいって。お母さんが心配なら止まっていっても良いし。って先生が言ってるよ。」そうだ私には大きい赤ちゃんが家に控えているんだっけ。康平も家のほうが安心するだろうと思って「帰ります」といった。帰りがけ、康平をおんぶしていたら、康平が吐いてしまった。康平は着替えを持っていたけれど、私はくさいTシャツのまま家に帰った。でも、調剤薬局でやったことなのだけど、皆に見てみぬふりされた。もちろん薬局の人も。ふらふらの康平をいすに座らせ、ありったけのポケットティッシュで後始末。すこし悲しかった。ティッシュぐらい頂戴!薬局さん。午後九時。寒さに震え始まった。九度5ブ。すかさずダンナが、「座薬!」今回のダンナは少し頼もしい。昼間一応学校に連絡を入れておいたら、早退して、病院に駆けつけてくれた。そして何も食べていない康平に自分の弁当を食べさせ、家に戻って、やり半端の家事をこなし、康平のためにジャガイモのポタージュを作ってくれていた。しかもヘルパンギーナの近所の子供の分も作って届けたそうだ。とってもおいしかった。近所の子も喜んで飲んだそうだ。肝心の康平はまだ食べていない・・・。
2002年07月17日
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今日は台風が通過予定なので、家で遊んでいる。午前中は2人でごろごろ。ずーと台風情報を見ていた。不謹慎だが、中継で、東京駅がうつると、新幹線が見えるし、羽田がうつると飛行機が見えるので喜んでいるのだ。こういう日は私も休養日。最低限のことしかしない。お昼の食器をテーブルに出しっぱなしで転寝していたら、いつのまにか康平が片付けておいてくれた。なかなか役に立つ息子だ。玩具は出しっぱなしだし、散らかし放題だけど、本人はそれなりに楽しんでいる。そして「台風さん」が家に「ごめんください」と訪ねてくると信じている。これから私達の近くを通過するそうだが、「台風さん」の正体を教えなければ。
2002年07月16日
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今日は私達の街の球技大会。パパが近所の仲良しさんたちとソフトボールに出場したので、応援に行った。午後は、お昼のお弁当(応援者にもでる)を食べてから、「宝探しと言う競技があった。去年康平はピストルの「どん」と言う音を聞くだけで怖がって泣いていたのが、今年は出ると言う。いよいよ出番。お兄ちゃん、お姉ちゃんの後にくっついて、スタートラインまで走っていった。小さい子からスタートするらしい。途中宝が入った袋を拾ってゴールすると言うものだ。ちびっこの中でも康平は一番小さいらしい。加えて、白のタンクトップに赤い半ズボンをはいていたので、直ぐに康平がわかった。近所の人たちも「康平君ちびっこですぐわかるー」と言いながら応援してくれた。果たして無事にゴールしてくれるのだろうか。ピストルの音で泣かないかな。などと私達夫婦はどきどき。宝袋が並べられた。私達はゴールラインのずーと後方で見ていたのだが、スタート前にちょこちょこ途中まで出てきてるやつがいる。康平だ!!係りの人もあまりにちびっこなので多めに見てくれているらしい。「パンッ」ピストルがなった。康平は最初訳がわからなかったようだが、皆袋を拾っているのを見て、自分も拾ってにこにこしてゴール。「ママー康ちゃんもらってきたよー」得意そうにお菓子が入っている袋を高々と掲げた。 その後、参加者が少ないため、普通お年寄りと子供だけの競技なのだが、私達も年代別に参加することになった。六十代・・誰も出てこない。五十代これもなし。四十代、三十代。わらわら出てくる。みんな年ごまかしてないか?袋の中身は、キッチンクロスやら、こんにゃくゼリーやら、歯ブラシ。ちなみにどさくさにまぎれて、康平ももう一回走っていた。 球技大会終了後、パパ達は反省会へ男四人で出かけていった。残った奥様アンド子供達で、共同夕飯。私達、結構仲がいい。子供達もお互いの家を行き来している。公園で子供を遊ばせているうちに仲良くなって、(とはいっても、皆公園の直ぐ目の前)ダンナ衆を巻き込み、家族ぐるみの付き合いをしている。一説によると、「長屋的生活」ともいう。先週もバーベキューをやったばかりだったのだが、だんなが飲んでるんだからというわけで「奥様反省会をしたのだった。ガストから、オードブルをとり、宴会。楽ちん楽ちん。子供にはご飯を食べさせ、遊ばせておいた。これが一人だと、おっくうだもんね。途中ダンナ衆ご帰還。うちのダンナは、会場で叔母ちゃん集団に挨拶に言って、そのままつかまり、だいぶ飲まされてきたらしい。「マダムキラー」とあだ名をつけられへろへろで帰ってきて、そのまま友人の家で爆睡。途中ピーチボールを皆にぶつけられても起きなかった。(後で聞いたら、気が付いていたらい)私はチューハイ派なので、ひとりで、缶チューハイを飲んでいた。家主の奥様が、酔っ払ってダウンしたので、後片付けして、午後十時ごろ帰ってきた。四本ぐらい飲んでいると思うが、子供らの世話などで忙しかったので、ほとんどよっている暇など無かった。八時半を過ぎると、一人、2人と子供がダウンしていく。いつも元気なのはちびっこ康平。結局家に帰ってから寝た。先週は二時過ぎまで大人同士で話していたが、今日はさすがに明日のことも有るので、早々に解散。このご近所サングループのことは後日に。
2002年07月14日
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今日は私の両親が遊びに来た。康平は起きると直ぐ、「ばあちゃんは?」待ちきれなくて携帯にTEL。「もうすぐだよー」車が通るたびにそわそわわくわく。「ばあちゃんとじいちゃんきたよー」買い物に行ったり、砂遊びしたり、夕飯食べたり。でもバイバイの時がやってきた。「康ちゃんも行くー。」「帰らないでー」車に乗り込もうとする康平。ばあちゃんはいつも涙ウルウルで帰っていく。行ってしまった後も、泣き止まず、外に飛び出し、戻ってくるのをけなげに待っている。すると私もウルウル。車が通り過ぎるたびに、「あっ、ばあちゃんたち戻ってきた」そしてそれは一時間近く続いたのだった。今度は康平が遊びにいこうね。
2002年07月13日
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今日康平と買い物をしていたら、あるブランドにある子供の遊びコーナーがあったので、私が会計をしている間、康平はそこでいすに腰掛けていた。すると同じぐらいの子が康平をいすから引き摺り下ろそうとし、それが出来ないと、康平が座ったままの椅子をひきずり、店のすみに追いやっていた。康平はただ唖然とされるがまま。そういえばずっとその子はそのコーナーで遊んでいて、私達親子があちらこちらのショップをのぞいてまたその店に戻ってきたときにもまだいたのだ。親の姿は無い。康平がそこに近づくたびに意地悪をしていた。さすがに最後は私も頭に来て、隅に追いやられ、洋服に埋もれている康平に、「誰にやられたの」と大きな声で言った。すると康平は「いいの」と首を振る。でもその目には涙がいっぱい。私は一部始終を見ていて、康平がどう解決するか見守るために、あえて声を掛けなかったのに、ちよっとびっくりしてしまった。でも私は腹の虫が納まらず、その子の親を目で探した。その親は買い物に夢中。その友人らしき人が自分の子と一緒にただみている。そして「いっぱい買っちゃったー」とはしゃぐにっくき親子にらみつけた。でも素通りされた。康平は「いいよ、ママ。」「康ちゃんねあの子にやられたの」とうとう康平が言った。どうして康平ってばそこで「いいよ」と言えるの!?やさしすぎるよー(T_T)さっき楽天のミキハウスの福袋が買えた。今年はあきらめていただけに嬉しかった。
2002年07月12日
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私の夫は康平との良い関係を築くのに、努力している。康平に「パパは嫌い」といわれたからだ。康平にしてみればパパは、いつでも寝ている(休職中も)・お酒ばっかり飲んでいる・ママを殴る・蹴る・物を壊す・遊んでくれない・二人でお留守番をしていると強制的に寝かされる。などなど、私に訴えたことでもこんなにある。だから「ママは好きだけどパパは嫌い」になってしまうのである。さすがに落ち込んだ夫は仲人さんに相談したそうだ。すると、「怒るのは半分にして、いっぱい抱きしめて、遊んで上げなさい。」といわれたそうだ。夫に言わせると、自分には父親と触れ合った記憶がほとんど無いばかりか、傷つけられたことが沢山あつたそうだ。だから子供にどう接していいかわからない。ということだ。仲人さんと言う人は、小さいころからの主人を良く知っていて、父親代わりのように面倒を見てくれた人だ。小学生のころなんて、夏休みになると、家にいたくなくてずっと仲人さんの家にいたそうだ。その人から見ても、夫と舅、いや夫の兄弟と舅は親子関係が今もって出来てないそうだ。 舅は八人兄弟の長男。四十代で楽隠居してしまった父親の代わりに、下の兄弟達の面倒を一生懸命見てきたそうだ。しかしその影で犠牲になったのは家族。夫なんて子供のころ、その日の朝まで兄と寝ていた二段ベットが学校から帰ってくると忽然と姿が消えていたらしい。後日東京のいとこの家にあるのを見て愕然としたそうだ。また、商売をやっている関係で、人との付き合いもいろいろ有ったらしく、修学旅行から帰ってみるととても可愛がっていた生まれたての子犬がいなくなっていた。仕事がほしかったので、あげてしまったそうだ。舅はきっと一生懸命だったのだろうが、子供はひどく傷ついた。二十代後半、夫がうつ病になり、それと共にアダルト・チャイルドだと診断された。そしてうつ病で仕事にもいけなくなった夫をみて周囲は、舅が悪かったんだと口々に言った。母親が恋しくて泣いている子供がいながら、夜な夜な義母を仕事につきあわせたからだ。と。 商売が軌道に乗るにつれて、自分より上の階級の人々や、権力者と付き合うことを好んだ。その上昇志向の真っ只中に夫は思春期を迎え、そんな父親を嫌悪していった。「議員の○○と知り合いだから」「どこそこの社長と知り合いだから」これが自慢になり、就職の斡旋も随分したようだ。何事も自分のおかげである。私がまだ主人と付き合っていたころ、ある住宅メーカーに転職した。仕事がきまってから話をしたのだが、そのとき自分の妹がそのメーカーで家を建てたから就職出来たのだと言われた。私はその名前を出したことも無かったし、自分で情熱をもってその会社にアタックしたのに。 子供がなにを欲しているか、なにを考えているかなんては考えない人である。傷口に塩を塗りこむようなこともする。 夫は次男であるが、実家の商売を継ぐためにいま資格をとっている。これは仕事を継ぐと、予想されたことであったが、私達の家庭と自分の家庭との境目を無視し始まってきた。そして夫は、「俺はもうひとつの家庭を築いているんだ。もうお父さん達とは別の家庭を持っているんだ。それがわからないのなら、もう行かない。公私混同しないでくれ。第一結婚するときに、長男が当てにならないから、俺達が同居しようかっていったのに、日本の家督相続とは長男がするものだ」といって断ったのはあんたらじゃないか。それをいまになって、孫がかわいいからって同居するだなんて虫が良すぎる!」と義母に言ったらしい。今私達は借家住まいだが、そのことで「こっちに家があるんだから」という主旨のことを言ったのを私が聞いて、ひどい精神不安状態に落ちたからだった。たしかに頻繁に我が家に立ち寄ってしかも玄関からではなく、窓からのぞいて声を掛けると言うことが康平が生まれてからずっと続いていて、私は疲れていてもおちおち寝ていることも出来ず、本気で自分の車を隠して居留守を使おうかと思いつめていたくらいだ。 今の夫と舅との関係も、ちぐはぐである。夫は父親に会いたくなくて、いないときに行く。まっすぐでお腹にためなくて悪気は無いのは承知しているのだが、(その点ではいい人だと思う)言っていい事と悪いことの区別がつかないのだ。 孫をとっても可愛がってくれるおじいちゃんではあるし、根はいい人だと思うし、兄弟のため必死にやってきた舅を大変だったと思うが、やはり相容れないものがある。ある意味では父親になれなかった舅は家族の犠牲者だったのかもしれない。 夫には、自分がしてもらえなかったから子供にもしない。ではなく、ある意味舅を反面教師にして、子育てをしてもらいたいと思う。そしていつまでも自分の父親にこだわっていないで、早く自分が父親になって欲しいと思っている。
2002年07月11日
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台風の影響で、朝からすごい雨。今日は康平のおたふく風邪の予防接種日。あんまり雨がすごいのでやめようかとも思ったが、頑張っていってきた。「康平病院行くよ」「何処の病院?」「康ちゃんが入院していた病院だよ」「もしもしだけ?」「先生に聞いてみようね」「やー。康ちゃんもしもしだけするー」「点滴とちっくんどっちがいい?」「どっちもいやー」「もしもしだけだよね」「・・・たぶん」あっうそついちゃった。康平はごまかしが利かない。それに私も嘘をついて信頼関係を崩したくない。難しい・・・。 そして康平はちっくんされたのでした。「いたーい」大粒の涙。「頑張ったね。えらいね」のどもと過ぎればなんとかで、すぐにけろっとして「康ちゃんちっくんしたんだよね。泣いたけど」次は日本脳炎。どういおうか。
2002年07月10日
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今日は、楽天でふとした事でお知りあいになった方と、やっと会うことが出来た。一ヶ月ほど前から、2人でオフ会をしようと話になっていたのだが、康平の入院騒ぎで、のびのびになってしまっていたのだ。とても楽しい時間を過ごすことが出来た。 そのあと前々から康平と約束していた駅前のビルの展望台に行った。そこまでのエレベーターは演出のためか、真っ暗になってどどどーっと言う音がして赤や青のライトが中を回る。何かで読んだことが有るが、小さい子供連れの親には不評のようだ。わかる気がした。展望台は、ぐるっと回れて、市内を見渡すことが出来た。下には新幹線や、電車、貨物列車が走っている。展示物にSLや新幹線の模型があって康平は大興奮。片寄せあっているカップルの邪魔になりそうだった。聞けば夜はカップルで一杯だと言う。私は小さな恋人と、景色を見ながらアイスクリームを食べた。 その後康平をおぶって、丸井に買い物へ。我ながら、すごいことをしたと思う。でも康平は背中で、気持ちよさそうに寝息を立てていた。小さいので、いまだにおんぶOK。康平もおんぶしてもらうのがむ大好き。おんぶしたままパンツを試着した私はつわものだと思う。
2002年07月09日
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先週の金曜日、私の友人の子が、とんでもない目に会った。その子が通っている幼稚園では、朝、車で登園する場合は、いったん駐車場に車をとめてから、園内に子供を送ると言う決まりがあるそうだ。ところがその日、あるお母さんが、門のところで横付けし、自分は車に乗ったまま、子供を降ろし、そのまま発進したそうだ。そのときその車のそばを通った友人の子が、車に接触したのだ。時は大勢の子供が登園途中。友人は思わず悲鳴を上げたそうだが、怪我はなかったようだ。しかしその車は、急停止したものの、無事も確認せず、車からも降りず、走り去っていったらしい。友人の子も、友人もその車の主が、同じクラスのお母さんだと言うことはわかったそうだ。幸い、次の日になっても、痛いところは無く、子供は無事だった。相手方からは全然連絡も無い。これがまったく見ず知らずの車だったら、警察に被害届を出していたところだ。今回は無事だったし、事を荒立てたくないと言うことで、幼稚園のほうから、全保護者に注意を促すお便りをだすように、友人は事を納めたそうだ。 そんな非常識な人もいるものだと他の友人達も憤慨していた。接触したことすらわかっていないかもしれない。 もし康平にそんなことがあったら、きれちゃうだろうなぁ私。
2002年07月08日
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昨日の午後は激しい雨。近所の男のこが遊びに来た。せっかくなので皆で七夕飾りを作ることにした。短冊に願い事。康平は「新幹線がほしい」「新幹線に乗りたい」年長さんのお友達U君は、「ハリケンジャーになりたい」「ウルトラマンになりたい」パパは「十キロやせたい」私は「一攫千金」「二十キロやせたい」なんて欲深い家族だ(^_^;)お飾りの作り方をすっかり忘れてしまっていたので、とにかく画用紙にすいかやナスを書いた。あと折り紙でリングをつくった。U君が幼稚園で習ったと言って、貝殻を作ってくれた。なかなか可愛い。手裏剣をつくって星の代わりにし、完成。なかなか楽しかった。
2002年07月03日
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康平にプラレールがプレゼントされたのは今年のお正月。初めてセットというので、レールが少しとのぞみ、つばさの新幹線でした。たちまち夢中になり、カインズホームで見つけた980円の新幹線のビデオを見せたらすっかり新幹線にはまってしまいました。駅に実際の新幹線を見せに行ったら、通過電車にびっくりして、大泣き。めげずに二度三度と見せに行くうちに、段々慣れてきました。 プラレールは今年二十八になる私の弟も遊んでました。レールも情景の木も変わっていないのにびっくり。 新幹線の種類も増えてきて、MAX・こまちと買ったのですが、それらが連結しないので、康平が納得しないしない(^_^;)。そのうちセロハンテープで自分で連結させて走らせるようになりました。レールも最初は大人に作ってもらっていたのが丸く組み合わせるようになり、ひとりでも出来るようになりました。そして近所の人から大量にレールをいただいたのです。しかし狭い我が家。線路の大きさには限界があります。情景も増えていきました。駅・鉄橋・踏み切り・橋。これらを組み合わせてレールを作ってあげると、集中して遊びます。駅にはストップ機能もついているので、駅については止まらせ、「出発進行」と独り言をいいながらじっと見ているのです。 そのうちある変化がおきました。情景を自分で作り始めたのです。家にあるブロックを使って、たとえば郡山駅の近くには「ビック・アイ」という高いビルがあるのを見ていたのでしょう。ビック・アイをブロックで作り始め、トンネルなども作りました。新幹線を街の風景として捕らえ始めたのです。レールを組んだ中央に陣取り、自分が作り上げた世界を飽きることなく見ています。 入院したときに、何かプレゼントをと思い聞いてみると、「長野新幹線のあさま号がいい」というので、早速病院の近くのヨーカドーへ。でもあさま号はなく、同型で色が弱冠違う200系やまびこにしてしまいました。しかしそれを見た康平、「やまびこでしょ」判らないと思っていたのは親ばかり。ごめんね康平。じいちゃんが後で買ってくれるって言ってたよ。 でも子供がそういうものに夢中だと親も必然的に詳しくなってしまいます。でもこれも康平のおかげで物知りになれました。 ひとつの玩具でもこうやって子供の成長と共にその遊び方が変わっていくことができるんだと思いました。 今度はどんな世界を展開させるのやら。
2002年07月02日
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私達親子が最近知り合った女の子の話をしましょう。Mちゃんというその子は小学二年生です。Mちゃんはある病気で入院していました。付き添いは優しいおばあちゃん。両親が離婚してしまったため、お母さんの実家にいます。Mちゃんはいつも眉間にしわを寄せています。なかなかその顔が笑顔になることはありません。Mちゃんは気に入らないことがあると、小さな子供のように泣き、おばあちゃんに悪態をつき、大暴れします。Mちゃんのお母さんはいつも夕方少しだけ病院に顔を出します。彼らしき人も一緒です。そして直ぐに帰ります。おばあちゃんは、「まったく他人事なんだから」と諦め顔。Mちゃんはおばあちゃんが大好き。おばあちゃんも本当の母親のように惜しみない愛情を注いでいます。Mちゃんは小さな子にも容赦しません。たたいたり、つねったり。でも私達夫婦は気がつきました。Mちゃんが一番意地悪になるのは、康平のところに、パパが看病にきているときだということを。康平のパパが帰るときは私と手をつないでエレベーターまで送ってくれます。ちょっぴり淋しそうです。Mちゃんと病院の廊下を歩いているとそっと私と手をつなぎます。康平に薬を飲ませようとすると、手伝ってくれます。ちよっと手荒ですが。退院の日、康平の口の脇が真っ赤にはれていました。どうしたのと聞くと、「お姉ちゃんがぎゅーってやったの」どうやらつねられたようです。康平の顔にくっきりとついた爪の後は、Mちゃんの気持ちが現れているようでした。康平も泣きもせず、しかも私が聞くまで黙っていました。「康ちゃんね。やめてよーって言ったんだ」康平なりに抗議はした様子。康平が「ママの車で帰るんだ」と言っていましたから。Mちゃんの癇に障ったのでしょう。同じ日、Mちゃんも退院できました。おばあちゃんと一緒に帰るそうです。お母さんはゴルフだそうです。先に帰る私と康平。エレベーターのところでお別れです。ぴょこんと頭を下げる康平。手を振るMちゃん。おばあちゃんにはとってもお世話になりました。数日後、退院後の受診で顔を合わせた私達。会ったとたん、Mちゃんの眉間のしわが取れ、笑顔になりました。そして2人は、キャンディーを一緒に食べました。そして診察が終わり、先に帰る私達を駐車場まで見送ってくれました。そしていつまでも2人は手を振り合っていました。 Mちゃん。淋しかったんだよね。でもあなたのおばあちゃんはとってもとってもあなたを愛しているんだよ。 おばあちゃんMちゃんのためにもうんとううんと長生きしてくださいね。
2002年07月01日
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