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別に宣伝ではないが、「新グロモント・ゴールド」のおまけにはまってしまった。お腹を押すとマスコットの目がぐにーっとでる。種類は十種類あるらしい。かばとか牛とか、消防士とか女の子とか・・・。目の出方も少し違っている。ちょっと面白い。義姉は集めているらしい。私も五種類買ってしまった。これからはやるのかなぁ?
2002年10月31日
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康平と、近所の年長サンのお友達と、公園で泥団子作りをした。なんでも、幼稚園でも泥団子作り教室なんてものがあるそうだ。ぴかぴかになった泥団子が、どうしても見たくてつい一生懸命になってしまった。「康ちゃんママ、やらかすぎるよー。だめだめ」と子供達に怒られながら、少しずつ作り上げていくと、康平が横から手を出して破壊。とうとう完成品を作れずに終わってしまった。でも、あれは奥が深い・・・と思った。ちょっとはまってしまうかもしれない。
2002年10月28日
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最近、お肌がつるつる、しっとり。きめも細かくなってきた。どうしてだろう。多分、十月の初めから毎日欠かさず飲んでいる「にがり水」の効き目だろうか。最初はダイエットのつもりではじめたのだが、意外な効果にびっくり。あと、泥の石鹸も効いているのだろうか。なんにしても、嬉しいことだ。
2002年10月27日
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十七日の夜、私は夢を見た。「ばあちゃんなくなったから、いろいろ仕事しなくちゃ」と掃除をしたり、客布団を出している夢だった。 十八日の朝電話がなった。夫の母方のおばあちゃんが亡くなったと言う知らせだった。夢を思い出してびっくりした。 義母も二三日前に夢を見たそうだ。それで十六日に康平を連れておばあちゃんに会いに行ってきたばっかりだった。おばあちゃんは「もうこんなに大きくなったのか。俺もこんなにしてらんないなぁ」と康平を見ていっていたそうだ。康平も「ひいばあちゃん、ねんねしていたよ」と言っていた。 通夜、告別式は自宅だった。所変わればというが、昔ながらのその風習にびっくりした。 火葬、告別式が終わって、お墓にというとき、男性は襟元に白い布を、女性は頭に手ぬぐいをかぶり、お金を半紙に包んだものをまき、お米をまき、旗をもった人を先頭に、お骨、遺影、位牌と行列を作ってお墓まで歩いていくのだ。まるで昔の映画やドラマのワンシーンを見ているようだった。 康平は「曾ばあちゃん死んじゃったの?にょんにょん様になったの?」としきりに言っていた。寝ているおばあちゃんしか記憶に無いため、よくわかっていないようだ。何度も棺を見に行き、そして木魚と鐘で何時間もワンマンショーを繰り広げていた。恐縮する私だったが、周りの人たちは「にぎやかでばあちゃん喜んでるよ」と康平の好きにさせてくれていた。そして今日初七日。康平は義母と一緒にお墓参りに出かけている。
2002年10月23日
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今日康平と出かけて戻ってきたらなにやら近所ママたちが我が家の前に集まっている。大家さんに排水溝のつまりの修理をお願いして出ていたので、それを見物してるのかと思ったら、そんな暇な人はいなかった。Y君が靴をポーンと蹴り上げたら、我が家の屋根に乗ってしまったらしい。さすがはY君。やることがヤンチャだ。で、問題なのがどうやって取るかということ。平屋とはいえ、屋根に登れるはしごがある家なんてそうそう無い。 そこで目をつけられたのが、我が家の大家さん。近所に住んでいるので、家の修繕は専ら大家さんが自分でやっている。早速聞いてみると、有るとの事。そしてもってきてくれ、Y君のママがはしごを押さえている中、六十を当に過ぎた大家さんが屋根に登っていった。無事靴回収。しかし我が家の屋根には靴だけではなかったのだ。ボールやらなにやら。しまいには大家さんが屋根を一通り見て、何も無いのを確認して降りてきた。さすがは公園前。なにがあがっているかわからない。でもみんなY君のだったね(^_^;)Y君ママ。大変です。
2002年10月17日
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今日は予約しておいた康平とわたしのインフルエンザの予防接種日「病院いくよ」といったら、「康ちゃんちっくんするの?」「ママはするけど康チャンはどうする?」「いやー」「先生に聞いてみようね」わたし達が行っているクリニックは診察室と、健診室に分かれている。予防接種は健診室。「いやー。康ちゃんあのお部屋はいんなーい」過去の経験より察したようだ。「ママが先にするね」とわたしが先に注射してもらった。「ママはえらいねー。えんえんしてないよ」看護婦さんたちが康平をあおる。結構わたしも痛かった(T_T)でもここは康平のために笑顔。「ほーらママも終わったから今度康ちゃんね」「いやだー。やめてってば。いやーっ!!!」康平終了。けろっぴのシールをもらって先生がバイバイ。康平は「・・・。」怒っている。かなり。受付でご褒美の風船も貰った。私三千円。康平二千五百円。他の病院に比べれば安いと思う。去年までの康平のかかりつけのところは1回四千円だったもの。二回受けたら大変。でも今年は二回で五千円なので、二回目の予約も康平だけしっかり入れてきた。覚悟してナ康平。ママは一回で結構です。 今日は家の周りが騒々しい。空にはヘリコプター。そしてパトカー。何気なく外に出てたら、幼稚園にお迎えに行ってた近所のママが、「車乗荒らしがこの辺逃走してるんだって。かぎかけておきなよ。男の人が一人出歩いていると職務質問されるよ」といったので、今日も自主休校をしていた旦那に、絶対外に出るなと念をおし(ぜったい怪しまれるもんね。あのダラーんとした服装に無精ひげだもの)出かけた。まだつかまったという話は聞かない。
2002年10月16日
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十月十三日はパパの実家の方の秋祭りだった。康平もはっぴを借りて参加させてもらった。パパ達の姿をみて「早く康ちゃんもわっしょいやりたい」でも、康平が戦力になるにはあと十五年ぐらいかなー。パパは現役引退してるだろうな・・・。ページもUPしたので見てくださいね
2002年10月15日
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今日はジャズダンスの日。先週気管支炎で休んでしまったので、進行具合が不安だった。 そんなには進んでいなかったけど、以前の記憶がぱぁっと飛んでしまっている。汗だくになってレッスン終了。ある方が、休んでいた分のレッスン様子のビデオを貸してくださったので、家で復習した。ディズニーの曲は康平が大好きで、何度か一緒にビデオに合わせて踊っているうち、すっかり覚えて(わたしより飲み込み速い)ターンなんかわたしより上手にきめちゃっている。突然画面にわたしの姿が映った。「あっママだ!」といったとたん、指差してげらげら笑っている。なんなのその笑いは!! 夜ビデオをダビングしていると、旦那がやってきた。見られたくは無かったが、一緒に見ていた。「おまえワンテンポずれてるー」など言いたい放題。「康平が笑ったのわかるような気がする。それに線も太いし」そうビデオで示された逃れられない現実。 とりあえず一週間は続けられた「にがり水」これからも続けていこう。
2002年10月11日
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今日は風が強くて、寒かったが、公園には、いっぱいの子供達が遊びにきた。康平は大好きなサッカーボールをもって遊んでいた。わたしはRちゃんママとおしゃべりしていた。康平が泣き出した。どうやらお兄ちゃんたちにボールを取られたらしい。私のところに来たので、「康ちゃんのボールだから康ちゃんもまぜてって行ってきな」といったが康平がそのとおりにしてもまったくの無視。基本的にわたし達は危険なことが無い限り、口出しはしていない。大きい子達のお母さんは公園には来ないし、けっこうRちゃんママとわたしが見ていることが多い。そのRちゃんは年中サン。下に1歳の妹がいる。 一番年上の小学四年生のDくんが「Rちゃん入れないようにしようぜ]と言う声が聞こえた。このD君、おやまの大将で、みんな自分の思い通りにしたいし、自分が中心にいたい子。康平のことも邪魔にしている。そのくせ康平がお菓子をもっていたりすると、頂戴といってもらうくせにあとは無視。このD君にはRちゃんママも家の旦那も苦々しく思っていた。近所の子ではあるが、あまりにもやることが幼すぎ。親の前ではいい子のようだ。 康平が泣いているにもかかわらず、サッカー、ドッチボールととうてい小さい子がやれないようなことを次々と先導していく。康平のボールで。 去年こんなことがあった。近所の何件かでいもに会とバーベキューをした。D君の家にも声をかけ、お母さんとD君も参加した。ところがD君は自分のお友達2人も連れてきた。なんでも少し先の子供らしい。親の顔は知らない。もちろん会費なんて物は払うわけも無い。その2人は軽く大人二人前はバーベキューを平らげ、お菓子を食べるだけ食べて帰った。しかも自分のおわんとお箸も持ってきていたのだ!食事時に自分の子供がいないなんて親は不思議だと思わないのだろうか。その後も親からは何のフォローもなし。わたし達は何も言えず、その場は終わった。なんでもDくんのお母さんが友達呼んでもいいといっていたらしい。それからなんとなくわたし達はD君の家とは少しずつ距離が出来ていた。RちゃんのままもD君には結構悩まされてきたらしい。もちろん自分の子が仲間はずれにされることも、目に余る行動も。暗くなってきたので、ひとまず康平を家に入れた。ドッチボールはまだ続いている。門限のある子は早々に帰ったので何人かしかいないようだ。ひとまずボールは貸しておくことにした。しばらくして、遊ぶ声が聞こえなくなったので、ボールが戻ってこないのが気になって外に出てみた。ボールは家の水道のところにぽんと置いてあった。空気が抜けてふにゃふにゃになって。これでは明日康平はボールで遊べない。直せるかどうかもわからない。この一部始終を旦那は知っていた。それ以上に怒っていたのはわたしで、すぐにでもD君の家に行こうかとも思ったが、女同士だと感情的になってしまうかもしれない。しかもD君ママは一回り以上も年上。ここは旦那に行ってもらった。旦那はDくんにお母さん立会いの元、・小さい子がいるときはそれにあった遊びをする。・物を借りたときは、ちゃんとお礼を言って返しに来る。・小さいこの遊び道具を取らない。・康平にお菓子をねだっておきながらその後まるっきり無視とはどういうことだ。・四年生なんだからその辺のことをもっとよく考えなさい。と注意してきたそうだ。狭い公園。だけど小さい子にとってはそこがすべて。康平より小さい子が沢山いる。そしてボール遊びは道路でしている状態。せめてのびのび遊べるところが近くに有ったらと思う。
2002年10月10日
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この季節になると我が家の食卓によく登場するのが、秋刀魚のお刺身。わたしが作るのではなくって、だんなの仕事。魚関係はみんなだんなの仕事です。おかげで、三枚卸もろくに出来ず、秋刀魚を焼くのだって、頭とって、内臓はどうしようと真剣に悩むくらい。駄目なんです。 火曜日はわたしのバイトの日。先日近所の方にいただいた秋刀魚があったので、旦那に焼いて食べるように、お願いして出かけた。夜十一時ごろ、康平が「お腹とお口が痛い」とないて起きてきた。また霊に襲われたかとびっくりしたが、口の中を見てみると、口内炎があちこちに出来ていて、唇もなんとなく腫れている。これはわたしがくるみを食べたときとおんなじ症状!!旦那をたたき起こし、「今日秋刀魚刺身にしたの?」「うん。ちょっと鮮度は落ちてたけど」「ばかぁ」今まで、秋刀魚の刺身なんてなんでもなく康平は食べていたのに、どうしてだろう。やっぱり鮮度が落ちている秋刀魚の刺身のせいか。お刺身大好きな康平。マグロもカツオも何でもこんってかんじ。これからは生ものは気をつけよう。 そして今日は街まで出かけて、康平とデートしてきた。来月妹の結納があるし、スーツを買いに出かけた。あわよくば、春の康平の入園式にも着られたら何て思っていた。グレンチェックのワンピーススーツ。高かったけど着まわしが効きそうだし、年相応かななんて気に入って買ってしまった。値段は旦那には絶対内緒。康平は試着室の前でいい子で待っていて、出テ着たわたしに「ママ可愛いよ」何ていってくれる。その言葉で決めてしまったわたし。
2002年10月09日
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昨夜、夜中に康平が突然起きて、「まま、康ちゃん怖い。」とある方向を指差し、そのまま隣の部屋に逃げ出した。こっちのお部屋に寝るというので、そのまま布団を引きずり、隣の部屋で就寝。その後はグッスリ寝ていた。朝旦那もぐったりした顔。寝苦しかったらしい。旦那は昔から霊感が強くて、憑かれたり、霊を感じることがあるらしい。早速会津の薬師寺に電話をしたが、今日はあいにく不在との事。それならばと、私達が結婚式を挙げたお寺の住職さんに相談した。昔はその方も徐霊などやっていたらしいが、いったん霊を体の中に取り入れてから成仏させるため、年をとしをとってしい、耐えられなくなったのでやめてしまったそうだ。どこか紹介して欲しいといったら、「不動尊」で「修験者」がいるところに行きなさいといわれた。そこで私達一家は福島市にある、「中野不動尊」に行くことにして、出発した。 到着し、ご祈祷受付所で事情を話し、早速ご祈祷をしてもらうことになった。康平は最初キョロキョロしたが、ご祈祷が始まると暴れだした。怖いのだ。頑張って抑えつつ、私達も必死で合掌。途中康平の耳元で、「終わったらおいしいの食べようね」となだめるためにささやいたら、それからの泣き声は「おいしいのが食べたいよう」に変わっていた。ご祈祷は太鼓や鐘などを激しく打ち鳴らし、経を読み、まるでテレビの一こまのようだった。終盤、お経の本のようなもので私達三人の頭を軽く叩いていった。私は訳もなく涙がこぼれ、その瞬間旦那は全身が軽くなったという。 お札と康平のための身代わりのお守りをいただき、無事帰ってきた。早速寝室にお札を飾った。今夜は今のところ平穏無事に過ぎている。最初私は、康平は昼間興奮したりする為かとも思っていた。確かにそういう日もあるが、そのときは少しトントンと叩いてそばにいれば落ち着く。寝室からも逃げ出さない。ところがそうでない日。これが結局康平には見えていたのだろう。 何はともあれ、これで落ちってくれるといいんだけれど。ちなみに鈍い私でも、その異常な空気は感じたし、ラップ音まで聞いている。そして不思議なのは、終わった後から、ここに二三日痛かった腰が痛みが軽減したことである。
2002年10月07日
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昨夜から、主人が金縛り状態に何度もあっています。どうやら霊がいるようなんです。ちょうど寝室なんですが、通り道のようなんです。康平も一昨日の夜、怖いと騒いでいました。徐霊?お札?どうしたらいいんだろう(T_T)
2002年10月05日
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ご心配おかけしました!。無事希望の幼稚園入園決定です(^o^)丿。今日はもう三日。実は一日にはもう願書提出して決定していたのだけれど、屈折三日間の疲れが出て、夫婦ともども寝ていたのでした。十二日には、もう親子面談と、制服合わせがあります。臨戦体制宣言から、一夜明けた土曜日午前十一時半、偵察に行った旦那から℡。「もう並んでるー。俺このまま並ぶから」。急いで私は食事の支度をして、雨が降っていたので完全防備でいすを持って旦那と交替。雨の中傘を差しつつ四時間。園長先生が出てきて、「先は長いです。十月一日にならないと受け付け整理券は配れません。どうぞお引き取りください」そして年中・年少の親合計二十六人は一致団結。名簿をつくり、各一人ずつ計2人で、二時間毎の当番製をしき、順番を死守することにした。うちは六番で、当番は夜中の二時半から四時半まで。旦那が行った。 日曜日は晴れたため、さらに人が増えることが予測されたが、実際人が少数のため、様子を見に来ては帰っていく人が多かった。段々みんなとも打ち解け、差し入れまできて、和気藹々としたものだった。この日の当番は、月曜日明け方の五時から七時まで。一番人が来そうな時間帯。みんなとの申し合わせで、年少は定員残り三名になった時点で、全員集合をかけることになっていたので、いつ呼び出しがきてもいいように、洋服をすぐそばにおいて寝ていた。年少定員は二十七名。月曜日午前中には規定人数に達した。しかし虎視眈々とキャンセルを待っていて、一緒に並んでいる人もいる。お昼から雨が激しくなり、みんなの口数も少なくなっていった。私はリュックを背負って椅子に座っていたのだが、傘のしずくがリュックに染み込み、携帯が水浸し。ディスプレイは真っ黒。かろうじて電源が入った。午後四時。幼稚園の保育が終わったので、お遊戯室に案内され、そこで待つことになった。そう夜中の十二時まで。そして整理券が配られ、一日の午前七時に受付開始。無事に使命を果たしたのだった。 携帯は「水没」だと保証が効かないらしく、機種変更となった。不幸中の幸いだったのは、電話帳データが生きていたこと。しかしいたい出費となってしまった。入園料三万円払ったばっかりだったというのに・・・(-_-メ)
2002年10月03日
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