【西洋陶器を求めて】 0
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鳥の「うそ(鷽)」は、縁起の良い鳥。九州大宰府天満宮、あるいは大阪の天満宮など。天満宮や天神社では「うそ替え」の神事が行われます。「悪いことを、うそ(嘘)にするために」「嘘を真にするために」木彫りの鷽は、忌まわしい出来事を、嘘に変えてくれるお守り。今年の鷽は、とても忙しいことでしょう。忘れたいこと、嘘であって欲しいことが、あまりに多くありすぎるから。
2014.07.29
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マサカリ、かついだ、金太郎。雷神と山姥の子、金太郎。怪童丸と呼ばれた子は、元服して坂田金時となりました。金太郎が持つマサカリは、中国の雷神の象徴です。そして、雷神が人の前に現れる時、しばしば童子の姿になります。雷神の子として、山の神の巫女である山姥の子として、金太郎は、神様としても祀られます。また、子供を守り、成長を促す神ともされています。金太郎様、子供たちを守ってください。夏休み、山に、海に、安全にすごせますように。「金太郎神を祀る神社」・金時神社(神奈川県)・栗柄神社の金時塚(岡山県)
2014.07.27
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こんぴら ふねふね♪ 追い手に 帆かけて シュラシュシュシュ♪海難守護の、こんぴらさん。「金毘羅」は、インドの水神「クンビーラ」。クンビーラは、ワニの姿をした神。金毘羅大権現は、ワニでした。しかし、香川県の金比羅宮は「クンビーラ」を祀っていません。神と仏を同一とする権現様は、神仏分離令の攻撃の的となりました。そのため、明治時代、主祭神は「大物主神」に変えられました。追い出された、クンビーラ。クンビーラは、薬師如来十二神将の「宮比羅(くびら)」として、その姿をとどめます。クンビーラが嫌われたのは、ワニの姿からでしょうか。でも、水神らしい、本当のこんぴらさんは、やはりクンビーラだと思うのです。「クンビーラ(マカラ)」
2014.07.19
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欧州などで見られる、背が高い箱型の振子式時計。正式名称は、ロングケース・クロックと呼びます。かつて、イギリスではこの大きな時計を、「棺桶時計(Coffin Clock)」とも呼んでいました。その呼び名は、ある音楽をきっかけに変わりました。ジョージホテルの経営者、ジェンキンズが生まれた日に買ってきた時計。その大きな時計は、ホテルに置かれました。正確な時を刻み続けた時計ですが、彼が亡くなった日に止まりました。そして、その時計が指していた時刻は、彼が亡くなった時刻でした。ヘンリー・ワークは、この実話を元に、有名な曲を発表しました。それが、あの「大きな古時計」。その曲は、大ヒット。そして、大きな箱型の振子式時計は、どれも「おじいさんの時計(Grandfather's Clock)」と呼ばれるようになりました。死を指し示した神秘は、「棺桶時計」に相応しいものでした。それでも「おじいさんの時計」と呼ばれたのは、時計自身が持つ「命」を感じたからなのでしょう。【YouTube】 「大きな古時計」
2014.07.15
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天然痘の赤で、思い出す話があります。写真は、奈良県の鴨山古墳です。以前に、小さく見つけにくい、この古墳を見に行ったのには理由があります。この古墳は石室がなく、組み合わせ式の箱型石棺が直接埋められています。そして石棺の上部は、写真の様に露出しています。この石棺には、成人男性3名、成人女性2名、幼児2名の、7名も合葬されていました。また、石棺は、この地域では珍しい、緑色の緑泥片岩でできています。7名もの合奏の理由には、様々な説があります。家族墓として代々使われた、後に他から移して合葬したなどとも言われます。しかし家族墓としては、石室のない石棺直葬は不便です。古墳時代後期にしては簡素な造りで、珍しい緑色の石を使っているのも不思議です。その答えとして、天然痘にまつわる説があります。それは、家族7名が、天然痘で次々に病死したという説。古墳は簡素になり、天然痘の「赤」を封じるために、補色の「緑」の石で囲いました。墓自体も、俄か作りで簡素になりました。天然痘で、家族が次々と病死。緑の石で、病魔を封じた。その真偽は、今となっては分かりません。ただ、そう思うと、古墳といえども、手を合わせないではいられません。
2014.07.13
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いつも元気な、飛騨の「さるぼぼ」。大の字で、生き生きしています。かわいそうな、奈良の「くくり猿」。手足を縛られて、吊るされます。「さるぼぼ」も「くくり猿」も、本来は赤色。赤色は、魔よけの色。赤い人形は、天然痘の感染を意味します。恐ろしい天然痘を、サルに宿して、魔よけとします。奈良では「身代わり猿」とも呼ばれる、この魔よけ。それにしても、手足を縛って吊るすのは、少しばかり、かわいそう。
2014.07.11
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先日の日記「階段」の「それから」。日記「階段」に、絞首刑台の13階段のコメントをいただきました。2010年に、13階段の日記を書きましたが、振り返りをします。日本の絞首刑台に、13階段はありません。絞首刑台は、階段を上るのではありません。床が抜けて、階下に落ちる方式です。私の日記の後にも、テレビでCGを使って説明されていました。ただし、GHQが戦犯を処刑した巣鴨拘置所(巣鴨プリズン)には、13階段があったと言われます。それも、あくまでうわさです。巣鴨拘置所があった場所は、今はサンシャイン60が建っています。正確には、拘置所はサンシャインシティにあり、処刑場の跡地は、隣接する東池袋中央公園。13階段を避ける理由は、処刑台にはありません。都市伝説に、すぎません。それよりも、巣鴨拘置所の跡地のサンシャイン60は、有名な心霊スポット。こちらの方が、避けたいもの。夏はぜひ、サンシャイン60へ。クーラーに、心霊に。きっと、涼めるに違いありません。【13階段の日記】 「だれか かぞえてください - 13階段 -」【先日の日記】 「右足から、右足へ - 階段 -」
2014.06.14
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階段の段数は、奇数段が良く似合う。和洋を問わず、神社、寺院、そして神殿の石段・階段は、奇数段が多くあります。その理由は、古代ローマの建築家ヴィトル・ヴィウスが残した「建築書」にありました。「階段が奇数であれば、初段の足と最終段の足が、同じ正しい足となる。」「建築書」には、そう書かれています。正しい足は、その本では右足。右足で奇数の階段を上りだせば、聖所には、やはり右足で踏み入ることができます。さらに、中国や日本では、七・五・三などの奇数は、吉数。そのため、寺院・神社では、特に奇数段が多くあります。右足で踏み出して、右足で上りきる。奇数も、偶数も関係ない。百貨店でも、あなたも、できる。なぜなら、それはエスカレーターだから。
2014.06.12
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「巨人伝説 それから」先日の日記、「巨人伝説」には多くのコメントをいただき、ありがとうございました。北欧神話やギリシア神話、さらに旧約聖書にも、巨人の神話があります。そのためか、欧米では巨人の都市伝説が好まれるようです。日本で巨人というと、ダイダラボッチ。ダイダラボッチは骨が残る気がしませんので、日本では「巨人発掘」も真実味がありませんね。画像処理ソフトで生み出された、画像による都市伝説。その中には、原画が分かっているものもあります。たとえば、先日の1枚目の画像。その原画は、下記に示す、古代の大型哺乳類マストドンの発掘現場の写真です。先日の「巨人発掘」現場の画像と比較すると、大幅に加工されているのが分かります。都市伝説に過ぎないとはいえ、その画像処理に費やした時間は膨大でしょう。画像処理への熱意に敬服します。【過去の日記】 「いつか、きっとその姿を - 巨人伝説 -」冷え込んできました。年末年始でお忙しいこととも思います。体調管理にはご配慮いただき、良い年越しの準備をされますように。
2013.12.18
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都市伝説は、言葉を通じて広まるもの。しかし、インターネット上には、ネット特有の都市伝説があります。それは、写真や動画を使った都市伝説。例えば数年前、世界中で、多くの巨人の骨が「発掘」されました。そして、巨人の発見と発掘は、写真や動画で世界中に配信されました。言葉より、写真や動画は、容易に嘘が見抜けるもの。それでも「巨人発掘」は、瞬く間に広まりました。言葉から、写真へ、さらに動画に。次々と、姿を変える都市伝説。徐々に真実に近づく都市伝説は、現実との区別を見失いつつあります。だから、都市伝説は、広く、遠く広がるのでしょう。人々が、願うから。いつか、都市伝説が、伝説ではなくなる時を。
2013.12.16
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16年一緒だった、雑種犬のチビとお別れしました。私をライバルのように思っていた、やんちゃなチビ。でも、彼の時間は、私より早くすぎました。目や耳も弱くなり、チビも年をとりました。それでも、ライバルの私の前では、彼は虚勢をはっていました。いつも一緒にいたかったけど、私は引越し、チビは実家に残りました。数百キロの遠い距離が、私と年老いたチビの間にありました。寂しさがつのる、春のある夜、私は不思議な夢を見ました。その夢の中、たしかに私は、彼の声を聴きました。「苦しい。もうだめ、助けて…」夜が明けて、あわてて、実家に電話をする私。幸いにも、電話の答えは、チビは大丈夫とのことでした。でも、その2日後、彼は旅立ちました。予知夢を、私は信じない。それでも、あの彼の声は、今も私のこころに残っています。そして、あの夢で、なにより私が忘れられないもの。それは、最期に、彼が見せてくれた姿でした。春の夜、哀しい声を聴いた夢の中で、彼はなぜか人の姿をしていました。 ・・・・・・・・・・・テーマ「ペットとの思い出は」のために、私の思い出を書きました。 < ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2013.11.20
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全国のいくつかの神社にある、要石(かなめいし)。暴れて地震を起こさないように、要石はナマズを押さえているという。地表にわずかな頭を出す要石も、地中には大きく深く埋まっています。そのあまりの大きさに、要石は地下深くのナマズを押さえていると思われました。あがめられる要石ですが、きっと神社を建てるとき、掘り出しを放棄された石でしょう。掘り出すには予想外に大きくて。事実、要石を掘り出そうとした徳川光圀が、7日間掘り続けてあきらめた記録があります。動かせない大石は、いつしか霊石になりました。人では容易に動かせないものに、人は強い力を感じます。動かない要石が、神秘の霊石になるように。揺るがない信念が、人にあっても、人々の尊敬を集めるように。【ウィキペディア】 「要石」
2013.11.13
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「墓場」にはたくさんの情報を、コメントからいただきました。腐敗によるガスや汚水が問題になるほどの量の土葬。想像するのも嫌なものです。当時は井戸水だったようですから、なおさらです。イノサン墓地は、1785年には閉鎖されたとの情報をいただきました。それまでは、教会の貴重な資金源だったようです。スリランカでは土葬の異臭を「金持ちのにおい」と呼ぶとの情報もいただきました。それだけ教会で管理される土地に埋葬されるのには、資金が必要ということのようです。ヒトダマを見たという情報もありました。私も見たいと思っていますが、夜の墓場に行きませんので。それに最近は火葬ですから。ヒトダマとは何かの議論もありますが、それは議論の余地があるところでしょう。最近の欧米の埋葬では、エンバーミングをするのが一般的との情報もいただきました。エンバーミングは、遺体を消毒、腐敗防止処理する化学処理です。衛生面の配慮からで、アメリカ南部ではエンバーミング率が95%超えるとのことです。口蹄病の牛の埋葬では、衛生管理をどうしたかの質問もありました。私はよく存じませんが、この場合は腐敗とともに病原菌の問題もあるでしょう。最後に、誤診から「生きたままの埋葬」があったとのコメントもいただきました。そのため、棺桶の中から「生きていることしらせる装置」も人気商品として販売されたことがあります。その内容は、昔、下記の日記に書きましたので、ご紹介します。【過去の日記】 「生きたままの埋葬 ― ベートスンの鐘楼 ―」 ※ 棺桶の中から生きていることをしらせる発明、「ベートスンの鐘楼」です。まだ、暑い日が続いています。みなさん、体調管理にはお気をつけて。
2013.08.22
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古代エジプトの、女神バステト。バステトは、頭が猫の猫神でした。バステトを崇拝したエジプトでは、猫が大切にされました。猫を殺した者は、死刑にされました。人々は火事でも、家の消火より、猫を守ることを優先しました。猫を国外に持ち出すことも、禁止されていました。女神バステトの神殿があったのは、都ブバスティス。ブバスティスは猫の聖地、猫の埋葬の場でもありました。それでも、エジプトが猫だらけにならなかったのはなぜでしょう。それは、猫のミイラに理由があるかもしれません。女神バステトには、多くの猫のミイラが捧げられました。その多くは、殺された仔猫でした。猫は、神に捧げるために、大切にされていたのです。愛を超えた崇拝は、その対象を不幸にします。猫への崇拝も、幸せになったのは、猫ではなく、ただ崇拝した人だけでした。
2013.07.06
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取るに足らない、都市伝説がある。それは視覚障害者のための、音響信号機の話。ピヨピヨと音を出し、横断可能を教える音響信号機。その音響信号機が、減っているという。その理由が、犯罪だというのが都市伝説。その音をまねて口ずさみ、視覚障害者を事故に誘う犯罪者がいるからだという。真実は、信号機の騒音に、苦情の声が多いため。また、誘導性が高い異種鳴き交わし型への置き換えの、信号機の整備がされているため。その真実を知らなくても、都市伝説への疑問の声は多い。ある人は、音響信号機は減っているのか、と問う。ある人は、信号機音の口まねは無理、と言う。ある人は、視覚障害者は聞き分けに長けてだませない、と断言する。多くの人が疑問視する、都市伝説。しかし、「そんな悪い人はいない」と明言する人は、だれもいない。都市伝説には、人の闇が見え隠れする。だから、わたしは、都市伝説がこわい。【参考:警察庁】 「音響信号機の異種鳴き交わし方式とは」
2013.04.17
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ヒイラギがない節分に、鬼は笑う。ヒイラギは、とげのある葉を持ち、そのとげで鬼の眼を突く。さわると、ヒリヒリ痛む葉のとげは、その名の由来「疼ぐ(ひいらぐ)」になる。最近の節分の夜は、鬼が恐れるヒイラギはない。ヒイラギのない節分に、鬼は安堵し、高笑いするにちがいない。ただ、ヒイラギは、老いれば、とげが減り、葉は丸くなる。ヒイラギは、円熟する人のように、老いてゆく。丸い葉のヒイラギは、きっと鬼を払わない。老いればヒイラギも、鬼を受け入れることだろう。多くの人は、節分の、ヒイラギを忘れてしまった。さらには、豆をまくことすら忘れつつある。今、人は、鬼を払うより、鬼を招いているのかもしれない。鬼を招くのは、人が丸く老いたからではない。ヒイラギより、豆よりも、鬼が、人を恐れるからだろう。
2013.01.31
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今年もサンタの追跡が始まります。北米航空宇宙防衛司令部NORADは、今年もサンタを追跡します。【NORAD】 「サンタ追跡」昨年は、サンタは日本の東北の被災に、世界で一番初めに訪れてくれました。今年はサンタは、どちらに来てくれるでしょうか。サンタが行動開始するまでは、サンタ追跡サイト内のゲームをお楽しみください。 【過去の日記】 「ミッション・インポッシブル - クリスマス -」
2012.12.20
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今年の奈良県の年賀状の絵柄は、吉野水分神社です。水分は「みくまり」と呼び、奈良にいくつかある水分神社は、この地域の特徴的な神社です。吉野水分神社も悪くはありませんが、できれば大神神社にしてほしかったと思います。奈良県の大神(おおみわ)神社は、日本最古の神社のひとつ。大神神社の主祭神 大物主大神は蛇神。つまり、大神神社は蛇を祭る神社。蛇の神社なら、来年の干支の巳によく合うと思うから。ところで、私は「蛇の皮を財布に入れるとお金がたまる」と聞いてきました。しかしどうも、この俗信は全国で言われるものではなさそうです。富山、広島、兵庫など、その俗信の分布は広いようですが。皆さんの地域では、蛇の皮を財布に入れると良いと、言いますか?
2012.12.11
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あなたにとって、ミサキは何でしょう。神の使いの”御先”、それとも先祖のミサキでしょうか。今日、語るのは、たたり神のミサキ。ミサキは、人にたたります。病をもたらし、時には命を奪います。ミサキは、特定の場所に現れます。その場所に、近づく人にたたります。川、山、森。ミサキが現れるのは、危険な場所。たたるとおどし、人が危険な場所に近づくのを防ぎます。嫌われることで、人の命を守るミサキ。それは限りない、犠牲のこころ。だからこそ、ミサキは妖怪であって、神なのです。・・・・・(結果)・【 「占い TM」:「キエテユク ヒトノオモイ - イタコ -」掲載】
2012.03.22
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龍の絵で、残念でならないことがある。龍の手のひらを見てほしい。国宝、重文の絵でありながら、肉球が描かれていない絵があるのに気付く。生き生きと、躍動感のある龍の絵にあって、その手のひらに肉球がない。まさに、「画竜肉球を欠く」である。それらの画家は、注意力散漫にもほどがある。やれ、狩野派の龍の屏風でござれと言われても、その手に、肉球なきを見出しては、もはやそこに、なんの価値も見いだせない。よく動物を描く、画家にあっても、肉球がない、ぬるぬるとした手の龍を描くとは、なんたることか。私にはわかる。断言してもよいだろう。その画家は、龍を見ずに、その絵を描いたに違いない。龍をよく見れば、あの愛らしい肉球を、描き忘れるはずもない。観察力と、描く対象への愛。肉球のない龍の絵を描く画家には、それらが欠けている。人は絵や模様の中に、顔を探す本能があるという。風景の中に亡霊の顔を見る、心霊写真の原理である。我々が肉球を探し求めるのも、人の本能であるのだろう。肉球の探求は、まさしく人の「心理」を越えた「真理」である。ましてや、肉球のない絵を我々に見せるのは、拷問であり、犯罪に近い。絵を描くを志す方々に、願いがある。よく見て、描いてはくれないか。龍の手足には、愛らしい肉球がある。神々しさに、荒々しさに、一点の癒しと親しみを与えてくれる、あの龍の肉球を、描き忘れないでいてほしい。【参考】 山中 理,「その龍に肉球はあるか?」,里文出版,252P ※「白地黒掻落龍文梅瓶」(北宋時代,白鶴美術館蔵,重文)など、肉球が描かれた龍の絵は少なくありません。 ※ 3月11日を過ぎました。 辰年の、これからの龍は、肉球がある、やさしい龍。 この日記が、明日を見つめる助けになれば。 ・・・・・・・・・・・・「おにぎりのお話 TM」・【 「おにぎりのお話し TM」:「ころりん こんころりん - おむすび -」掲載】
2012.03.12
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オオカミ少女、アマラとカマラ。1920年、インドで発見された二人の少女は、オオカミに育てられたという。オオカミの乳で育った彼女たちは、生肉を貪り食う。嗅覚も異常に鋭く、わずかな言葉しか話すことができない。彼女たちは、よつんばいで走り、その走る速度は誰よりも速い。目は夜、光り、犬歯はオオカミのように鋭い。当時広く信じられ、今なお心理学の図書で紹介されることもあるオオカミ少女。しかし、その存在は、今日では偽りとされています。オオカミが、人の子を育てることはありません。人の子は、オオカミの母乳を消化することはできません。人の目は、夜行性の動物の目の様な、タペータムがありません。だから、けっして夜も光りません。よつんばいで、2足歩行より早くも走れず、犬歯がオオカミの様になることもありません。オオカミ少女の証拠とされた写真も、その嘘が暴かれました。彼女たちが、ふつうに2足歩行していたことも知られています。彼女たちは、可哀そうな捨て子にすぎませんでした。欧米では、オオカミに育てられた子の伝説が、昔から伝わります。人はその伝説を信じたいあまり、その嘘を見抜けませんでした。信じたいものが現れたとき、ひとは疑うことをわすれます。私たちの目をくもらせるものは、私たち自身のこころに他なりません。【参考】 鈴木光太郎,オオカミ少女はいなかった,新曜社,2008年,255P ※ 最近でも、ピアノマンの話を思い出します(継続中)・【 「第2回いぬのきもち TM」:「ただ 分かって欲しい - イヌの気持ち -」掲載】
2012.02.07
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暗い闇の中、誰もいないホーム。その駅で待っていても、決して電車は来ない。幻の地下鉄が、東京にはあるという。東京地下鉄3号線、新橋駅。にぎやかな新橋駅から、虎ノ門へ向かう途中。3号線銀座線から、分岐する複線がある。それをたどれば、幻の駅のプラットホームが現れます。昭和14年1月15日から9月16日。わずか8か月だけ、この幻の駅”東京高速鉄道”新橋腺は使われました。しかしすぐに、”東京地下鉄道”新橋駅を使うようになり、幻の駅となりました。地下の闇に眠る、新橋駅。その幻の駅を、使う人がいないともかぎりません。ご注意を。着いてしまうかも、しれません。いつか、あなたが乗る、その地下鉄が。【参考】 梅原淳,「毎日乗っている地下鉄」,平凡社,2010年,303P(継続中)・【 「キャラクターグッズの話題 TM」:「秘密の お約束 - ペコちゃん -」掲載】・【 「第2回いぬのきもち TM」:「ただ 分かって欲しい - イヌの気持ち -」掲載】(確定)・(3位)【 「家づくりの話 TM」:「守り 守られて - 敷居 -」掲載】
2012.02.03
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今年のクリスマスも、サンタの追跡システムは作動中。監視するのは、ご存知の北米航空宇宙防衛司令部、NORAD。インターネットの普及で、さらに多くのサンタ情報が入ることでしょう。NORADのリンク先は、下記の昨年の日記からどうぞ。【昨年の日記】 「ミッション・インポッシブル - クリスマス -」キッズカウントダウン村は、昨年よりにぎやかになっています。ただし、キッズカウントダウン村のリンク先は、大きな音が出ますのでご注意を。クリスマス、間もなくですね。
2011.12.18
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また、カラスに襲われました。昨日、東京の街中で。通りを歩く私。すれ違いざま、女性が悲鳴を!何か私に、いたらぬ点でも?そう思い、振り返った私。その時、背後から頭に衝撃が。頭をカラスに両足で、ワシヅカミにされたのでした。その感覚は、頭を犬にアマガミされた感じ。でも、貴重な体験、ちょっと嬉しい。しかし、なぜ?犯行現場から、わずか100m。小さな、熊野神社がありました。そこで、手がかりを発見。「犯行現場付近に残された、犯人のてがかり」なるほど、そうでしたか。先日の八咫烏神社の日記以来、2回もカラスに襲われました。きっとあの八咫烏神社の日記で、彼らの秘密をもらしてしまったに違いありません。カラスの情報網は、空を通じて。奈良から東京への情報も、電光石火。彼らの情報網は、あなどれません。そういえば、あの頭をつかんだカラス、3本足の感触だったような・・・。いけません。カラスに、指名手配されました。ちょっと、姿を隠します。なんとか、カラスから逃げ切って、また皆さんにお会いする時まで。【問題の八咫烏神社の日記】 「いままで きみに逢えないでいた -八咫烏神社-」 ・・・・・・・・・・
2011.06.22
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素直な気持ちは、だれにも伝わる。飾らない姿勢に、だれもが慕う。だから、きみは、いまでも愛されている。1843年、もうきみが生まれて、170年もの時が過ぎようとしている。天保14年、だれの手から、きみは生まれたのだろう。くるしいときも、きみをみれば、笑顔になる。さるたちも、両脇で、笑顔をくれる。素直に、飾らなければ、笑顔にあえる。きみをみて、ねがいます。笑顔がほしい、いまだから。いまさらかも、しれないけど。ねがいます、もういちど。あのころの、素直なぼくで、やり直せたら。きっと、いまよりきみに、より添えるから。 「おちゃめ庚申」
2011.06.05
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いままで、きみに逢えないでいた。きみを、誤解していたばかりに。きみのよさを、見ようともせず、きみに逢えないでいた。距離と、誤解が、ふたりを裂いて、きみに逢えないでいた。似つかわしくないと、思っていたのは、なにもかも、ぼくが愚かだったから。そんな愚かな、あやまちを、いままで、ぼくは、なんどくりかえしたことだろう。ときが流れ、でも、無為なときではなく、成長したぼくは、ようやく、きみと逢う。大地をふみしめる、その三つ脚と、くもりのない、きよいまなざしと、優美なまでの、つばさをもつ、きみ。やたがらすさん。ぼくは、やっと、きみに逢えた。 「八咫烏神社の八咫烏」
2011.06.03
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かつての日本文化、お歯黒。南方の島国には、ビンロウジュの実をかむ習慣がありました。かむと清涼感がある、この実。しかし、歯が黒くなる副作用もありました。ビンロウジュをかむ人は、高貴な身分。黒い歯は、高貴な身分の象徴。それが日本に伝わり、お歯黒になりました。鉄分の膜が、歯を覆うお歯黒。そのため、虫歯予防の効果もあります。既婚女性の習慣ですが、未婚者も使ったお歯黒。地域によっては、男性も使いました。特に、妖怪「一反木綿」が出る地域。一反木綿は、人の顔を覆ってきます。一反木綿は、通常の歯ではできません。お歯黒の歯でのみ、一反木綿をかみ切ることができます。そのため、男女を問わず、お歯黒を使いました。今日では、お歯黒を使うことはありません。空を舞う、一反木綿。彼も、きっと、安心していることでしょう。・・・・・・・・・
2011.04.29
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法隆寺 夢殿、救世観音像に会ってきました。年2回公開される秘仏、救世観音像。かつては、絶対秘仏で非公開でした。見れば災害が起きるとされ、数百年間、僧侶さえも見ていなかったこの秘仏。その禁と解いたのは、フェノロサでした。明治17年、白い布で何重にも巻かれたこの像を、フェノロサは解放しました。その時、僧侶たちは、祟りを恐れて逃げ出しました。謎の救世観音像は、長屋王の変から歴史が始まります。729年、長屋王は、藤原氏の策略で、無実の罪で自殺に追い込まれます。しかし天下を取った藤原4兄弟は、737年に天然痘で全員命を落とします。さらに呪いを恐れた宮子も、精神を病みます。その災いを鎮めるため、739年に夢殿が建てられました。長屋王の変は、人々に同じく蘇我氏系の聖徳太子を思い出させました。聖徳太子の子、山背大兄王も、蘇我入鹿の襲撃で、悲劇の死を遂げたからです。そのため、夢殿は、聖徳太子,山背大兄王の住まいがあった斑鳩宮の跡に作られました。いつしか、天然痘の災いは、聖徳太子一族の呪いに変わっていました。救世観音は、聖徳太子をモデルに作られたと言われます。また179cmの大きな像は、その子で大柄の山背大兄王とも言われます。なぜ救世観音像は、秘仏となったか。梅原氏の説は、聖徳太子の呪いを恐れたこと。夢殿を造った行信僧都は、晩年に呪術で左遷された説もある僧侶。梅原氏は、救世観音像は、光背を頭に釘で打ち付けていると述べています。それが、呪いを封じるためであるとも。救世観音像の顔も、様々な文学者が「気味が悪い」と酷評です。その呪いを封じる意味から、救世観音像は秘仏化されたとしています。しかし光背は、打ち付けられているのではなく、金具に掛けられています。また写真では気味悪く見える表情も、実際はそうでもありません。しもぶくれで、厚い唇。その顔は、たしかに絵画の聖徳太子や、山背大兄王によく似ています。あまりに写実的で、人間らしすぎるとは思いますが。人間らしくて、ちょっとキモい救世観音。わたしは、よく似た人を知っています。救世観音様。あなたは、「飛鳥時代のせんとくん」。・・・・・・・・・・・・・・・・救世観音像公開: 2011年4月11日~5月18日(秋は10月22日~11月23日)※ 昨年からLED照明で照らされ、少し明るくなりました。 しかし観にくいので、私は単眼鏡持参です。※ 夢殿のみの拝観なら200円と安価。法隆寺共通券は1,000円です。※ 写真撮影不可。上記は、著作権フリーの写真を転載しました。 しかしこの写真はイメージが違います。 他のカラーの写真を、ネットでご覧ください。※ 下記の本は、聖徳太子以外を救世観音像のモデルと述べています。※ 就学旅行生は多いものの、意外に空いています。 今年はゆっくりと、救世観音像とお会いするチャンスかもしれません。
2011.04.24
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油掛地蔵を後にして、近くの廣瀬大社に向かいます。龍田の風神、廣瀬の水神。廣瀬大社は、水神を祀る神社。物部氏ゆかりの、廣瀬大社。2月には、砂かけまつりがありました。砂かけまつりは、水のまつり。砂の音を、雨音にたとえた、水のまつり。砂をかけあう、このまつり。砂がかかれば、厄除けになります。訪れたのは、3月、震災後。境内は、まつりの砂で、清められていました。境内を、歩きます。まつりの後の、砂をふみしめて。踏みしめるたび、水難をはらいながら。幸を招く、その砂を、一握り。はっと、手をふり、そらたかく、砂は舞う。希望よ、北へとどけ。【過去の日記】 「油掛地蔵」。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2011.04.03
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油掛地蔵様に、会いに行きました。奈良のこの地は、川が集まる地。何度も、くりかえされた、水害の地。お地蔵様に、願をかけて。お地蔵様に、油をかけて。油が水を、はじくように。油が水難を、除けるように。油が水害を、除けるように。あなたに会うため、今日は来ました。あなたは、水害を除ける、お地蔵様。あなたのちからが、もっとあれば、遠いあの地も、救えたのに。北のあの地も、救えたのに。なのに、あなたのちからは、よわすぎた。わたしのねがいも、よわすぎた。だれがあなたを、せめるだろう。だれがあなたを、なじるだろう。あなたのほおの、そのしずくが、なみだのしずくと、わかっているから。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2011.04.01
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鬼を知る魔の時は、獣の数を語ることにしよう。新約聖書の「ヨハネの黙示録」に記された、獣の数。悪名高き、その”666”の3桁の数。「ここに知恵が必要である。 思慮のある者は、獣の数字を解くがよい。 その数字とは、人間を指すものである。 そして、その数字は666である。」(13章18節)キリスト教徒を迫害した、暴君ネロ。キリスト教徒は、動物の皮を着せられ、犬に喰い殺された。キリスト教徒は、十字架に縛られ、灯火の代わりに燃やされた。そして、ネロは、それを円形劇場で見世物にした。皇帝ネロ。その名、ネロ・ケーザルは、ヘブライ文字で”NRVN QSR”と記される。かつて、ユダヤ人は、ヘブライ文字に数字を与えた。Nは50、Rは200というように。”NRVN QSR”を、数字に変えよ。”50、200、6、50、100、60、200”。そして、その全ての数を足し合わせよ。50+200+6+50+100+60+200=”666”。666。その数字は、人間を指すものである。そして、死をもたらす、最悪の獣の数である。【参考】 ルドルフ・タシュナー,数の魔力,岩波書店,2010年,273P< ↓ ランキングクリックはこちらから > にほんブログ村
2011.02.04
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四国には狐はおらず、狐憑きもないという。それならば、四国にいるのは何か。四国にいるもの、それは犬神様。犬神憑き。その者は、食をしきりに要求するという。犬神は、餓鬼に似て。飢えた犬を、土に埋め、飢えた犬の、首を刎ね。その首が、変じて犬神に。そして、いま。犬神すら、姿を消し。犬神すら、かえりみず。飽食と、強欲と、冷淡と。狐も、犬神も、恐れるもののけ。私たちを、憑き殺すのは、狐でも、犬神でもなく、おぞましき、その人自身。【参考】 倉光清六,憑き物耳袋,河出書房新社,2008年,213P
2011.01.18
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決め手は、最新のテクノロジー。北米航空宇宙防衛司令部、NORAD。空域、宇宙、海上の防衛を、アメリカとカナダの共同で担当します。初めは、北米警戒システム。それは、アメリカ47拠点からの、レーダ監視システム。次に、人工衛星監視システム。地球上空、約 36,000 km の静止軌道から、赤外線センサーで監視します。さらに、監視カメラシステム。全世界の、インターネット経由で、ライブ情報を監視します。そして、ジェット戦闘機追跡システム。CF-18 戦闘機は、標的を逃しません。これら、NORADが誇る監視システムが追跡する、最高のターゲット。それは、サンタクロースです。下記のNORADのウェブで、間もなく、今年のサンタの追跡が開始されます。この追跡は、もう50年以上続いています。【NORAD】 「サンタ追跡サイト」全指揮を担当する、NORADの司令官。サンタとの連絡方法を質問され、彼は答えました。「それは、最高機密です。」今年のサンタ追跡ミッション、無事に成功するでしょうか。【参考】 日本新聞協会,心がぽかぽかするニュース,文藝春秋,2009年,151P
2010.12.21
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睡眠中、息苦しさに目を覚ます。しかし、体が動かない。いわゆる、金縛りです。残念ながら金縛りは、心霊現象ではありません。脳は起きているが、体は眠っている状態が金縛り。呼吸の障害もあるこの症状を、医学的には「睡眠麻痺」と呼びます。思春期に起きやすく、不規則な生活や、環境変化による興奮も一因。有酸素運動も、金縛りの原因となります。「金縛り」は、仏教用語。不動明王が敵を動けなくする術、金縛法の呼び名です。不動明王の、金縛りにかかっては大変。睡眠麻痺に、とどめたい。かなしばり。脳は起きても、眠る体。そして感じる、動く不思議。つらく、くるしく、もがくのは、あたりまえが、手が届かぬものに、かわるから。
2010.12.17
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最近、また夢を見ない。だから漱石の「夢十夜」を、私なりに読み解くことにしました。第一夜を読む。もうすぐ死ぬ女性がいる。ほどなく女性は亡くなり、私は女性を埋葬する。「死」の夢は、苦しみからの解放の象徴。相手を遠ざけたいという願い。そして再生への願い。女性の目は、真黒く死を象徴するけれど、「赤い」,「唇」は、エロティシズムを意識させる。女性は、真珠貝で穴を掘り埋められる。「貝殻」も女性を象徴するけれど、「真実と母の愛」を示す「真珠」色に、貝殻は「母の愛」を示す「月」の光で輝く。100年の約束を待つ私は、百合の花弁に接吻する。それは母性に満ちた、新たな愛の受け入れを思わせる。その時、「百年はもう来ていたんだな」と気づく。なぜ、過去の決別や、再生への願いが読み取れるのでしょう。なぜ、こえほど、エロティシズムに満ちているのでしょう。漱石の時代背景から、それは納得できました。1907年、漱石は教職を辞し、東京朝日新聞に入社、作家活動に専念します。「夢十夜」が掲載されたのは、その翌年の1908年。さらに、1907年、長男純一氏が誕生。1908年、次男伸六氏、誕生。「夢十夜」が書かれたとき、漱石は作家としての独立に「再生」を期待していました。また長男、次男の誕生が、エロティシズムと母の愛の受け入れにつながるのでしょう。素人なりの夢診断。不思議なほどに、漱石の時代背景に合いました。それにしても、自分で夢を見ないで、人の夢を読む。これほど、むなしいこともありません。【夢十夜】 「本文: 一夜~十夜」 リンク先の「第一夜」を読まれると、日記がよくわかります。
2010.10.19
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霊柩車に会ったら、親指を隠せ。人の霊気。霊気は指先からも、逃げてゆきます。霊気を吸い取られないよう指を隠す。それが言い伝えの真意。親を守るために、親指を隠す。そういう俗説もあります。両親への愛情を感じる、素敵な話。最近「霊柩車で親指」の話を聞きません。実際に、隠す人もあまりいません。なぜ親指を隠さなくなったのか。そこに寂しさと怖さを感じるのは、悲観的過ぎるのかもしれません。【参考】 新谷尚紀,なるほど民俗学,PHP研究所,2006年,223P
2010.06.18
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テーマ日記「ほしかった、あの超能力」超能力が欲しかったかと問われれば、当然イエスである。しかし、大人になって、いま思う。私たちは、すでに超能力を得ているのだと。科学、文明は、動物にはない超能力を、私たちに与えてくれた。テレポート(瞬間移動)。音速を超える移動手段を、私たちはすでに手にしている。サイコキネキス(念動力)。機械、磁力、超伝導、圧倒的な力が思いのままに。プレコグニション(予知能力)。天気予報は、未来の天候の予知をする。クレヤボヤンス(透視能力)。レントゲンは、体の中さえ透視する。念写。CGの描く世界は、念写の限界も超えた夢の世界。そして、テレパシー(遠感知能力)。文学や芸術は、時と場所を超えて、作者の想いを届けてくれる。科学、文明がくれた、超能力。私たちの超能力は、生き物の限界を超えている。しかし、このむなしさは何だろう。聴能力は、異能者の孤独さえ、私たちに与えてしまった。ヒーリング。そのこころを癒す能力こそが、私たちが、いま欲しい超能力。【過去の日記1】 追いつめるもの 追いつめられるもの ―御船千鶴子―【過去の日記2】 超能力 公開実験 ―リングの世界―
2010.05.26
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今年は奈良も、観光でにぎわうでしょうか。三角縁神獣鏡。卑弥呼の鏡として有名です。鏡の円い形が示すのは、宇宙。そして鏡は、魔よけでもあります。魔よけになるのは、鏡の面。真実を映し、魔よけとなります。古墳の副葬品の鏡。それらは全て、鏡面が外向き。外部からの、魔物の進入を防ぐため。今日、街中は、鏡にあふれています。ビルのガラスさえも、まるでガラスの様。あまりに多くの鏡に追われ、行き場を失った魔物たち。その魔物たちが、鏡を避けて潜む場所。それはきっと、鏡に映らない、人の心の闇の中に。
2010.03.20
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葬儀後のお清めの塩。これを死者の冒涜という声があります。お清めの塩は、死者を祓うのではありません。生者を死に導く厄を祓うのです。玄関に塩をまく。体に、左肩、右肩、左肩の順に、塩をふりかける。入浴剤に岩塩を使う。いずれも祓いばかりではなく、抗菌などの作用もあるでしょう。盛り塩は、客を招く縁起物。牛車の牛が、玄関の塩をなめるのに立ち止まるから。秦の時代の故事に基づきます。清めの塩は、清らかでなくてはなりません。湿気たり、ほこりで汚れた盛り塩は厳禁。じめじめせず、ほこりがない部屋を常に保つ。盛り塩の作法は、部屋を清らかに保たせます。お祓いにこめられた先人の知恵。その作法を知れば、そこには科学がみえてきます。【参考】 加門七海,「お祓い日和」,メディアファクトリー,2009年,157P
2010.03.08
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小泉八雲が定着させた、雪女。吹雪とともに現れ、男を死の旅に誘います。八雲が描いた雪女は、宿命の女。運命でもあり、男を破滅に導く、魔性の女。「運命の女」は、当時の欧米文学の流行。八雲は、その影響を受けたと思われます。八雲以前の雪女は、人を殺すことはありません。山の吹雪の極限状態。恐怖は、人の心をあらわにします死を恐れ、それでも死に誘われてしまう。破滅への道のりは、時として限りなく甘美。破滅への憧れ。それは私の、明日への活力でもあります。さあ、もう一献。運命の、魔性の声が、きこえるまで。
2010.02.01
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妖怪が、まだ憧れであった頃。私が子供のころ、トイレに花子さんはいませんでした。理科室にも人体模型はなく、二宮金次郎像もありません。十三段に変わる階段もありませんでした。ただ、街中には口裂け女が現れていました。なぜポマードと叫べば助かるのか。100メートルを3秒で走るなら、なぜオリンピックに出ないのか。その疑問を抱く友達もいませんでした。ただ、誰もが関心を持ち、惹かれていました。その後、口裂け女の正体が暴かれます。岐阜県のある町の、進学競争が生んだ幻想。塾通いに翻弄される、子供たちの不安心理が生み出した幻想。マスコミは、そう報道しました。私たちが、そのマスコミこそが妖怪のすみかと気づくのに、時間はかかりませんでした。最近、新たな妖怪の声を聞きません。これほど世界が不安に満ちているならば、妖怪の出現は当然のこと。妖怪たちは、今、どこに。テレビ放送が力を弱め、ネットが強力な影響力を持ちつつあります。そして、妖怪たちは、そのすみかをネットに移しつつあるのでしょう。世界規模のその漆黒の闇を、誰も照らすことはできません。2008年2月、私は今年は件(くだん)が生まれると書きました。そしてその年、世界経済の崩壊が起きました。恐怖に身がすくむ今。助けてください。次に生まれる件を、もう私は受け止めることができません。【過去の日記】 あらゆる不幸を 予見して ―件(くだん)―
2010.01.27
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月が綺麗なこの季節。満ちては欠ける月。その満ち欠けは、人の命に似た輪廻再生。月に浮かぶ、うさぎの姿。うさぎは多産の象徴。たましいを揺さぶる月に、人は生命の神秘を見ています。日本では、月で餅をつくうさぎ。中国では、月でうさぎは漢方薬の粉をつきます。月に似た丸い餅。命をつなぐ糧としての餅。病を治す命の薬。それは竹取物語の不死の薬かもしれません。サーカディアンリズム。人の体内時計の一日は25時間。25時間は、まさに月の一日。月と人の神秘な関係。満ちては欠ける月。月に見る、命の不思議ただひたすらに、ルナティック。【日記】 運命を 切り開く -ウサギ-【日記】 光に目を開き 闇に目を閉じる -サーカディアンリズム-
2009.12.05
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オカルトには、だましも多くあります。心霊手術も、そのひとつです。メスを使わず、人の体に手を入れ、悪い臓器をつかみ出す心霊手術師。しかも人の体には、切開痕さえも残しません。その方法は簡単です。心霊手術師は、親指に偽のゴム指をはめ込んでいます。そしてそのゴム指の中には、動物の血や脂肪などが入っています。この血などは、時には助手に手渡されることも。手術開始。心霊手術師は、患者の体の皮膚を指でつかみ、しわを作ります。そしてそのしわに指を押し付け、同時に指を曲げる。すると、あたかも指が体に入ったように。さらに、ゴム指の血を流し出せば、心霊手術の始まりです。心霊手術は、今でもフィリピン,ブラジルで盛んです。しかしこの心霊手術ほど、忌むべき罪はありません。患者は心霊手術にだまされ、無駄に時間を浪費します。その結果、治るはずの病気が手遅れに。心霊手術は、治療費ばかりではなく、命さえも奪い取ります。心霊手術師が、つかみ出すもの。それは悪い患部ではなく、患者の命そのものなのです。【参考図書】 C.M.ウィン,「疑似科学はなぜ科学ではないのか」,2009年,海文堂出版,219P
2009.10.22
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明朝の13人の皇帝が眠る世界遺産、明の十三陵。その神路には、石獣と石人が並びます。獅子、ラクダ、象、麒麟、馬、武官、文官、功臣。そしてあまりなじみのない“カイチ”。善悪を知るカイチは、正義、法治の象徴。不正な者を、頭の角で突き倒すという。そのため法を司る者の衣装の装飾などに使われます。神路でカイチに出会った私ですが、角で突かれることはありません。私が清く正しいからか、それとも世の中のあまりの不正にカイチが麻痺したのか。いずれが真実かは、言わずと知れたことでしょう。「カイチ(?豸)」
2009.10.14
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空想で、いたずら書き。そのいたずら書きは、捨てないでおきましょう。ヴォイニッチ手稿。世界で最も難解とされ、今なお解読不明な書物。中世の古書ですが、解読不能な言語が書かれ、挿絵も意味不明。挿絵は植物らしきものが多くありますが、文章との関連も分かりません。そのため長年、多くの言語学者を悩ませてきました。この挿絵の持つ、空間的な配置は私の感覚を揺さぶります。そう、そのイメージは、まさにいたずら書きの感覚。捻じ曲げ、広げてゆく感覚に、私は思わず微笑みます。作者も不明なこの手稿。これがもし、いたずら書きならば・・・。私の書いたいたずら書きも、そっと残しておきましょう。タイムカプセルか何かに入れて。後年に、誰かに見つけてもらえるように。賢者を悩ませ、愚者を微笑ますように。**ヴォイニッチ手稿の各頁は、こちらから見ることができます。【ヴォイニッチ手稿】 手稿各頁この手稿を公開しているエール大学のBeinecke Libraryには、他にも面白い書物があります。文字を読まなくても、タロットカードなどは面白い。【Beinecke Library】 一覧
2009.10.12
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占いを越えて、イタコに想う。死者の口寄せをするイタコ。現在では、青森県の恐山が有名です。しかし江戸以前には、青森,岩手,秋田に広くイタコはいました。20種の経文、祭文、呪詞を習得してイタコになるには、4~5年の修行が必要でした。その間、イタコの両親は、師匠の生活費まで負担しなくてはなりません。イタコの修行には、大きな経済負担が強いられました。しかし一人前のイタコになれば、状況は変わります。村々の病気の治療や祈祷、吉凶占いに引っ張りだこ。米一升と祈祷料が支払われ、イタコは家に米や銭を降らすと言われました。現在、イタコは恐山にしかいません。皆、高齢になり、イタコを志望する人もほぼ皆無。このまま、イタコは消えてゆくのかもしれません。私は人の神秘を求める気持ちが、愛おしくてなりません。神秘を糧に、夢見る想い。それが、そこにあると、思うから。
2009.08.11
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足がない幽霊。円山応挙が描いた足のない霊は、日本的美学に基づくとも言われます。本来は、幽霊の着る経帷子(きょうかたびら)では、足元は裸足。しかし裸足の足は、幽霊にしては生々しすぎます。人形浄瑠璃でも、女の人形には足はありません。男の人形には、足があるにも関わらず。女性が足元を人目にさらさないのが、たしなみだったころのなごりです。足のない幽霊にも、この日本的美学がうかがわれます。もっとも人形浄瑠璃でも、「曽根崎心中」のお初には足があります。足を使った芝居があるから。1703年、元禄16年に公開された曽根崎心中。この近松門左衛門の作品は、心中ブームを巻き起こします。次々と若者が心中する大混乱。1723年、享保8年に幕府は心中禁止令を出します。1.心中した男女の埋葬禁止2.ひとり生き残れば、殺人罪で打ち首3.双方生き残れば、戸籍を削って非人とするあまりの厳しさに、心中はまさに命がけ。幽霊になって、この世に戻る気もないでしょう。日本的美学が、失われつつあるこの頃。現代の幽霊は、まだ足を見せることを恥じるでしょうか。【参考図書】 輝峻康隆,「幽霊」,桐原書店,1991年,207P
2009.07.31
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三本足の鳥、八咫烏(やたがらす)。神話にあるやたがらすは、神武天皇の軍勢を熊野(和歌山)から大和(奈良)に案内した巨大な黒い鳥。太陽の中に描かれることが多く、太陽の黒点が由来とも言われます。事実、対比するように、月にはうさぎが描かれます。奈良県宇陀市の八咫烏神社にも、三本足の鳥が描かれます。しかし、やたがらすは、初めから3本足ではありませんでした。那智大社の境内に作られた、やたがらすの銅像も2本足です。いつしか、やたがらすの足は3本に増えました。やたがらすの3本足の示す意味は不明です。動きにくいが、安定する3本足。3本足のやたがらすは、安定を願う人々の願いの象徴なのかもしれません。* **下段に掲載の作品は、楽天ブログも開設されている「平八工房」さんの作品です。平八工房さんの作品はユニークですね。
2009.06.26
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変わった本をご紹介。「戦国時代のハラノムシ」という本を読んでいました。これは、1568年の鍼師、茨木二介という人物が書いた「針聞書」を引用して書かれた本。戦国時代、病気は体内に住む虫によって、引き起こされると考えていました。その数は63匹。この本では、そのすべての虫を掲載しています。当時の奇妙な虫の絵は、下記の本の表紙にも見ることができます。もしこの絵の虫が体内にいたら・・・。そう思いながら見る虫の絵は、とても奇妙で面白い。本には虫の生息域(体内の)、特徴、病状、治療法が書かれています。多くの虫は、鍼、灸、漢方薬で駆除されますが、治療法のない虫も。詳しくは書けませんが、一例だけ紹介します。「大酒のむし」生息域: 腹部と推定される特徴: キンチャク型で、砕くと正体は赤土状の砂利。内部に多くの虫が寄生病状: 取り付かれると大酒飲みに。その人が死んだ後も、体内にいすわる治療法: なし治療法なし・・・。そういうことなのですね。
2009.04.15
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清水寺の阿弥陀堂の敷石は、魔除けだという。敷石には、格子状の溝があります。これは魔除けでいえば、九本の溝が交差する模様“九字”。実際には、溝が九本ないものも多くありますが。何気ない魔除けは、なかなか気がつかないものです。魔除けといえば、唐辛子。これは、韓国、中国、イタリアなど、多くの国で魔除けだという。辛さが悪霊をはらい、赤が魔を避け、福を招きます。唐辛子と呼べば、魔除けにもなるでしょう。しかし“ペペロンチーノ”と呼ぶと、途端に魔除けの力を失いそうだから不思議です。美味しく食べられそうでは、悪霊も逃げはしないから。“鷹の爪”と呼んでもよい。ただ最近では、鷹の爪と聞くと、手首を揺らしながら世界征服をしたくなります。無理に理解されなくてもかまいません。この気持ちは。清水寺の石畳を、いつか確かめたい。そして先人の、安らかな願いを感じたい。魔除けの石畳に囲まれて。【日記】 悪霊退散 -魔よけとしての窯印-【参考】 岡田保造,魔除け百科 世界編,丸善株式会社,2008年,112P*昨日は楽天外のブログのご訪問に時間がかかり、楽天ブログのご訪問が途中までになってしまいました。すみませんでした。
2009.04.01
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