ジージの南からの便り

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2011.12.22
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カテゴリ: 鹿児島の歴史
 19日の拙ブログに取り上げた「江田どんの屋敷」の石垣の写真と記事を見た「やまももの部屋」のやまももさんから貴重なコメント書き込みをいただいた。


 早速読み始めたのだが、まだ読破はしていない。ただ「江田どんの屋敷」がどういう建物や庭を持っていたかなど概要は分ってきた。
尚、この小説は昭和16年朝日新聞の連載小説として5月22日から11月23日まで掲載されたようだ。

 主人公の六郎太がその母親・春乃と妹・康子の三人で鹿児島駅(鹿児島駅とは書いていないが、車に乗って行く途中の風景からして恐らくそうだろうと思う)に降り立ち、出迎えをうけた後、車で屋敷につくまでのことを次のように書いている。

 「車は、舗装のできた広い路を、走りだした。白亜の堂々たる建築が、二つ三つ見えた。県庁とか、市役所とかいう話だった。鹿児島も、相当な近代都市だと、思わせた。そのうちに往来が狭くなり、家並みが低くなってきた。建築にこれという特徴がなく、潤いの欠けた、殺風景な印象を与えた。
 車は長い橋を渡った。甲突川という河だそうだ。やがて、町外れの風景になって、山が、両側に迫ってきた。車の駐まったところは、一軒家の古色蒼然たる武家門の前だった」

 昭和15年生まれの私は、上の記述のような風景は全然見たこともなかったのか記憶にもなく、ただ県庁や市役所など大きくなってからの記憶と結びつき当時からそうだったのかと、感慨深いものがある。甲突川を渡り、町外れの風景になり、山が両側から迫ってきて着いたのが武家門のある家だったというのも、今の水上坂の手前にある「江田どんの屋敷」の風情と変わらない。そして文章は屋敷の様子へと続く。

 「古いというよりも、今や、崩壊に瀕している門の柱や、扉や、苔蒸した瓦を、眺めていたのである。武家門は麹町区あたりにも、少しは残ってるが、どれも、きれいに補修されて、原型そのものを見たのは、これが初めてだった。

 「六郎太一人が、靴を脱いだ玄関は、門に比べると、意外なほど小さかったが、シンとして、薄暗く、不思議な威厳があった」
 「彼を奥へ案内した。曲がり縁を、二度ほど曲がって、眼下に庭の見える、八畳の客間へ通ると、中廊下から母親や康子も、出てきた」「なんちゅてん、百七十年にもなりもすで・・」
 「島津公が江戸へ参勤交代の途次、この座敷で、休息したこともあった」
 「間数は全部で十一間で、勿論平屋であるが、地位(ちぐらい)が高い上に、さらに石留めの盛土をして、土台ができている。その上に廊下より座敷が、一段高くなっている・・・床下に悉く、厳重な柵を張ってあるのは、敵の間者が忍び込むのを、防ぐ用心でもある。広い屋敷に、押入れが一つもないのは、事ある時に、襖を取り払って、槍、長刀を自由に振わんがためである・・・六郎太は、一抱えもあるような自然石の手洗鉢を見た。活花になりそうな、太い孟宗竹の雨樋を見た。その他、建具や家具まで、すべて、ガッシリ、ドッシリして、彼には気持ちがよかった」
 「門といっても、長屋つきの武家門は、細長い家のようなものである。・・・武者窓に、簾が掛けてあって、窓際に、床机が置いてあった。それに腰かけて、家の主人は、外を通る農夫や商人の片言隻句を聞いて、下情上通や、弾圧の緒を捉えたのだそうだ。仲元部屋は、いかにも寒そうな、三畳だった。その隣が駕籠部屋で、鼻を抓まれそうに、暗かったが、よく見ると一台の塗駕籠が寂然と置いてあった。・・・家そのものが、博物館のようで・・・」

 長々と引用してきたが、江田どんが薩摩藩の中級武士だったことからして、中級武士の住まいの広さや佇まいが大体分った。ただこの小説からは、間取りなど平面図は描けないが、図面は残存しているとの話もあるので、いずれ見ることが出来ればいいなと思う。
この小説から見える「江田どんの屋敷」は相当に広大なものだったようだが、現状は石垣が一部残り、その上の土地には普通の民家が数軒建っているので昔を偲ぶ建物の名残は一切ない。

 それにしても、獅子文六は、鹿児島の研究を取材旅行もふくめて念入りによくやったものだと思う。鹿児島出身の作家ではないかと思うほどである。神奈川県横浜市に出身である。
全部読み終わっていないが、西郷隆盛研究の学者を登場させて歴史のこと、“かごっま弁”鹿児島の地名、名所、名物などなどその博識にはびっくりした。
この「南の風」では他にも書きたいことがあるが、またの機会にしたい。






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Last updated  2011.12.23 09:11:31
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