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夜桜の帰路Ado歌う呑んだくれ 上野にて春の雨まで美術かな 春の霧待ち焦がれた父の車 場所取りの恩賜の桜花ふるさとぞ 高架下揺れる酎ハイ春怒涛 通過待ちのA寝台や雪のひま 六合を花に埋もるる上野山3月27日のプレバト俳句。お題は「春の上野」。◇サンドの博士ちゃんを見て、最新の「芭蕉=忍者説」に驚きました。そんな人が俳句文化の創始者なの?仙台藩の動向を探る隠密だったっぽい。仙台藩ってサンド伊達の先祖でしょ!茶人や俳人を名乗れば、疑われずに関所を越えられたのだと。千利休はキリシタンだったとか?今週の #博士ちゃん は教科書が変わる⁉️【戦国時代ヤバい新説🔥3時間半SP✨】最新研究によって覆される歴史に📚#伊集院光 #田中圭 も興味津々🤩🔥本能寺の変 真の黒幕⁉️⚔️信玄VS謙信 一騎打ちはウソ⁉️🥷松尾芭蕉は忍者だった⁉️ヤバすぎる新説⚡️ベスト10を大発表🎉3/29(土)よる6:30~ pic.twitter.com/cNnnwLycrU— サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん(テレビ朝日) (@hakasechan_5ch) March 27, 2025◇みりちゃむ。夜桜の帰路 Ado歌う呑んだくれこれが今週の1位。前回も採点が低すぎただけで、最下位にするほど悪くなかったしね。今回も句またがりで詠んでるところを見ると、俳句の作り方は分かってるんだろうと思う。ただ、今句は助詞を省略してるので、《Adoが呑んだくれのことを歌ってる》のか、《呑んだくれがAdoの曲を歌ってる》のか、ちょっと分かりにくいのが難点です。ためしに、花の帰路 酔いどれ人のAdoの歌と直しました。◇伊原六花。上野にて春の雨まで美術かな絵画めく上野は春の雨もまた(添削後)原句は、上五「にて」と中七「まで」が説明的だし、下五の「美術」という比喩も抽象的。添削句はいつもながら、上五が終止形か連体形かでやや読み迷う。ためしに、春雨も絵となり 上野美術館としてみました。◇キスマイ二階堂。春の霧 待ち焦がれた父の車春霧や 迎えの父の車待つ(添削後)5・6・6の破調。実景描写に徹するなら、中七の「待ち焦がれる」という心情表現は不要。これは添削が妥当かな。他の案は思い浮かびません。◇八嶋智人。場所取りの恩賜の桜花 ふるさとぞふるさとの苗木とおもふ桜かな(添削後)故郷の桜を詠んだのかと思いきや、作者の話によれば、> 上野の恩賜公園の桜は> 故郷の奈良から移植したのだなあという詠嘆らしい。これは読み手には伝わらないけど、添削句のほうも、どういう状況か分からない。ためしに、吉野より来し花なるか 上野山としてみました。◇ネルソンズ青山。高架下 揺れる酎ハイ 春怒涛高架下 轟く春よ酎ハイよ(添削後)原句は三段切れ。下五が意味不明ですが、打ち寄せる波を意味する季語を、高架下の轟音の比喩に使ったらしい。添削句では、「怒涛」を「轟く」に置き換えたそうですが、《高架下に揺れる》と書けば、電車の轟音は想像できるわけだし、実景の描写に徹するなら、酎ハイの揺れるや 高架下の春と書けば済むのでは?◇キスマイ横尾。通過待ちのA寝台や 雪のひま上6の字余りではあるものの、中七を「や」で切って、下五に季語を置くのは型どおりだし、取り合わせも良いと思います。◇梅沢富美男。六合りくごうを花に埋もるる上野山掲載決定でしたが、わたしは直しが必要だと思う。原句は、《上下四方を桜に埋もれている上野山》という意味ですね。しかし、四方はともかくとして、上下も桜に埋もれるってどういうこと?そもそも、どこに立ったら、それを実景として視界に収められるのか。むしろ、これは先生が言うように、《上下四方を桜に埋もれて(上野山に)いる私》と解釈するしかない。つまり、四方だけでなく、頭上にも桜が咲きほこり、地面にも花びらが敷かれてるってこと。そして、それならば、六合を花に埋もれて上野山と書かなければなりません。◇清水アナ。上野のセロ弾き チップ箱に桜8+9の句またがりですが、地名の情報を省けば、セロ弾きのチップの箱に花吹雪のような定型に出来るし、そのほうが動画的で華やかかも。/📣木曜、夜7️⃣時からは #プレバト !!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥惜しい!欲張らないこと大事!😭#清水チャレンジ#夏井いつき 先生#俳句 pic.twitter.com/XbP0CBP8GI— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) March 24, 2025▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2025.03.31
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NHK「おむすび」の最終回と、日テレ「アンサンブル」の最終回を見ました。どちらのドラマも、さほど出来が良いとはいえなかったけど、奇しくも最後は同じテーマに挑んでました。それは《血の繋がらない家族を選ぶ》ってこと。◇まずは朝ドラ「おむすび」から。わたしがいちばん驚いたのは、母の愛子が最後まで故郷の名古屋に帰らず、実の家族とも和解しなかったことです。それどころか、血の繋がらない義母を「本当の母」と慕って、糸島に永住することを決意した。◇従来の朝ドラなら、きっと実の家族との和解を描いたでしょうが、現実社会には、そんな解決の出来ない人たちも多いし、今作もそれを明確に拒否した形です。つまり、血縁主義的な家族幻想を捨てた。今回の「おむすび」は、《ギャル》という設定を使って、常識の枠を打ち破ることを目指しましたが、その意味でいえば、愛子がいちばん《ギャル》だったと思う。◇しかし、愛子だけでなく、家出少女と結婚した父の聖人も、かなりの常識破りではあったし、そんな嫁を受け入れた糸島の祖父と祖母も、息子以上に常識破りだったわけよね。そのうえ、ヒロインの姉の歩も、母に劣らない《ギャル》だったので、最後は血縁じゃない孤児の少女を引き取った。◇わたしは、先月の記事にも書いたように、https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/202502080001/歩とナベべが、年の差を超えて結ばれる可能性もなくはない、…と思ってたし、孤児の少女の詩ちゃんが震災で亡くなった真紀ちゃんと瓜二つなのを見て、それがいよいよ現実味を増したと感じてました。◇実際、そういう脚本の構想はあったかもしれない。歩は、常識や世間体にとらわれないギャルなのだから、たとえ年の差結婚をしても、わたしは全然よかったと思うけれど、さすがに、親子ほど年の離れた男女が結婚して、孤児の少女を養子にする展開は、朝ドラとしてはあまりに斬新すぎて、視聴者から批判を浴びる恐れもあるし、最後にヒロインを差し置いて、歩のほうが主役みたいになりかねないので、その構想にストップがかかったかもしれません。◇とはいえ、歩は未婚で後見人になったわけだし、いずれは詩とナベべが対面するはずなので、歩とナベべが結婚しないにしても、その3人がゆるい関係で結ばれていく未来は、十分に想像できる結末だったと思います。…以下は、リアルサウンドのインタビュー記事です。制作統括の真鍋斎は「通常、朝ドラの最終週ではエピローグ的な話が続くものですが、『おむすび』は何かを成し遂げた女性の物語ではないので、ドラマが終わった後にも彼女たちの人生は続いていくだろうと。つまりは最後までストーリーを緩めずに、回収編ではなく物語を前に進める構成にしたんです」と語る。詩を“社員として雇う”のではなく、“未成年後見人として育てる”という踏み込んだ展開には驚かされたが、真鍋は「そうした選択はものすごく重いことであるかのように捉えられますが、令和になった今、新しい家族のあり方へのブレイクスルーにならないかなと。実は、最初に脚本の根本(ノンジ)さんは『歩が養子として詩を迎える』とおっしゃっていました。ですが、養子にすると相続の問題など家族を巻き込んだかなり大きな展開になってしまう。もし聖人や愛子、歩が亡くなったときに糸島の土地は誰が継ぐのか、神戸の土地は誰が継ぐのか、という問題もはらんでくるので、1週では描き切ることができないんです」と説明。さらに、「もう一つ里親制度もありますが、これは少し概念が異なるというか。児童養護施設から社会的養護が必要な子どもを委託されるかたちになるので、“詩を引き取る”ということとはまた少しニュアンスが違うんですよね。そういった中で、未成年後見人という比較的柔軟性があり、一番リアリティがあるパターンを選択しました」と明かした。「血縁関係のない家族」。これは本作の大きなテーマとなっており、真鍋は「このドラマでは米田家を中心に “どう人と人とが結ばれていくか” を常に考えてきました。というのも、根本さんと話していると、どうも根底にそういう気持ちがあるんじゃないかと思うんです。セリフにはありませんが、根本さんは『血の繋がらない家族』という言葉を随所でおっしゃっていて。『家族って何なのか』を考えたときに、血縁ではない家族像。ダイレクトに人と人とが繋がっていく家族像をきっと描きたいんだろうなと。1年を通してそう感じていました」と、根本の思いを汲み取る。【コラム】『おむすび』は最終週でなぜ物語を“進めた”のか? 制作陣が意図した現実と地続きの未来https://t.co/Hy7kdohm9e#朝ドラおむすび #仲里依紗 #大島美優 #橋本環奈 https://t.co/Hy7kdohm9e— リアルサウンド映画部 (@realsound_m) March 26, 2025◇日テレの「アンサンブル」でも、最後まで恋愛の障害になったのは、男女間の三角関係じゃなく《毒母》の存在でした。そして、それは完全には解決しなかった。かろうじて、血縁ではない家族や恋人や同僚たちの力を借りて、毒母との関係を乗り越える未来を示して終わった形。そういう意味では、朝ドラ「おむすび」と同じテーマを背負ってました。以下は、tellingの記事です。血縁を超えた新しい関係性瀬奈が勤める法律事務所に集まる人々の繋がりは、血縁に縛られない新しい関係性を示している。家族とは、決して血縁や形式だけで決まるものではない。『アンサンブル』が示したのは、選び取った関係性のなかにこそ本当の家族が生まれる、そんな希望に満ちたメッセージだったのかもしれない。最終回を通して『アンサンブル』が提示したのは、どんな過去を持っていても、人は自ら幸せを選び取れるという小さな希望だった。瀬奈と優をはじめ、過去の痛みや家族の呪縛にとらわれるのではなく、自分の意志で前に進むことを選んだ登場人物たちの姿が、確かにここに残されている。【ドラマレビュー書いた✍️】 #アンサンブル 最終回のレビューが公開されています🙇♀️ さようなら、痛みの記憶。『アンサンブル』最終回が見せた、自ら幸せを選び取る希望 - telling, https://t.co/3o7JV7cG6m #川口春奈 #松村北斗 #長濱ねる #戸塚純貴 #SUMIRE #田中圭— 北村有 | 映画ドラマ本 (@yuu_uu_) March 26, 2025 たしかに。> はじめからリーガルラブストーリーなんて謳わずに毒母アンサンブルで良かったんじゃない?パターンの違う毒母からの脱却を主軸にしていれば、両想いの男女のしょうもない擦れ違いを見せられるより、はるかにおもしろかったと思います。https://t.co/Mf5UZuPLEQ— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) March 29, 2025日本テレビ系土ドラ10「アンサンブル」オリジナル・サウンドトラック [ 澤田かおり ]価格:2,750円(税込、送料無料) (2025/3/30時点) 楽天で購入
2025.03.30
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NHK「火の鳥」太陽編&未来編を見ました。◇まずは太陽編。白村江の戦いに敗れ、将軍の猿田とともに倭国へ来た百済王が、犬神などの土着神を守るべく、仏教の導入に対抗しようとするものの…最終的に、大海人皇子の決断によって、倭国は仏教を導入するという内容でした。大海人皇子は次のように語る。たしかに古き神は尊い。だが、今は古き尊さを守るよりも、強き国を作るため民をひとつにまとめることの方がより大切なのだ。父が、亡き大王が、仏教を広めようとなさったのは、今までのように豪族たちがそれぞれの神を奉じていては決して国をひとつにまとめることはできない…と悟ったからだ。この倭国をひとつにまとめるには仏教を中心とせねばならない。寺院の建立もまた国をまとめる手段に過ぎないのだ。なお、猿田将軍のモデルは阿倍比羅夫です。◇百済王の善光が、日本に永住したのは史実なのだけど、白村江の戦いには参加してないようだし、日本の仏教導入に反対したという史実もない。※追記:阿倍比羅夫とともに白村江の戦いに参加したのは、百済王善光の兄の扶余豊璋ふよほうしょうです。そもそも、仏教は百済から導入したのだから、その百済王が仏教導入に抵抗するってのも、ちょっと変な話ではあるのよね。でも、この手塚治虫の物語では、百済王が狼の頭になったせいもあって、日本の犬神(狗族)に味方するという展開です。◇ちなみに狗族の男たちは、アイヌみたいな入れ墨をしてましたが、おそらく縄文人なんでしょうね。百済王を助けるマリモちゃんは、さしずめ「もののけ姫」って感じです。そして縄文のストーンサークルが、エヴァのATフィールドみたいになって、仏僧の法力による調伏攻撃から防御していた。ガッチャマンのように空を飛ぶ呑風は、迦楼羅のような顔をしてましたが、迦楼羅って土着神じゃなく仏教守護神よね…(^^;狗族は最後に北方へ向かいましたが、出雲族が東北へ移ったことを示唆してたのかしら。◇◇それはそうと、わたしは、日本の神仏習合は空海が実現させたものだ、…と、いままで理解してたのだけど、あらためて大海人皇子(=天武天皇)のことを知ると、日本が仏教を導入した目的は、たんに最新の国際文化を取り入れるためでも、ましてや個人に瞑想をさせるためでもなく、最初から神仏習合のためだったと思えてきます。たしか聖徳太子も、「個人の坐禅より国家の問題のほうが先決」…みたいなことを言ってたはずだし。◇仏教の導入は、古代の西洋や中東の国々が、一神教を導入したのと同じことですね。そのほうが中央集権体制を確立しやすい。もちろん、仏教は一神教ではないけれど、神仏を本地垂迹で習合できれば、土着の神々が階層化するわけだし、神々をヒエラルキー化できれば、アマテラスを頂点に据える形で、天皇主義的な体制を確立しやすくなる。◇明治政府の廃仏毀釈も、神々のヒエラルキーを残したまま、仏教色だけを除去するという政策でした。復古などというのは建前にすぎず、実際には伝統的な信仰を取り戻すわけじゃなく、たんに天皇信仰を絶対化するための政策だった。◇つぎに未来編。ついに永遠の生命を手に入れて、ほとんど火の鳥みたいになった男が、数十億年かけて生命史のやり直しに立ち会う。…という、とんでもない話でした!マサトの手に入れた永遠の生命が、猿田博士の研究の成果だったのか、ムーピーの生命力によるものだったのか、火の鳥の力によるものなのか、よく分かりません。◇いずれにしても、火の鳥いわく「生命は永遠」であるらしい。ややユング的な意味合いのようでしたが…。ちなみにロビタくんは、レオナの精神を機械化したものだと思うけど、ちっとも永遠じゃありませんでしたね。銃撃されたら、修理しても元には戻らなかった。◇人間の幻想を具現化する宇宙生物ムーピーは、現代でいえば、メタバースの「ヴァーチャル彼女」っぽいですが、おそらくは惑星ソラリスが元ネタなのでしょう。手塚治虫は、タルコフスキーが映画化するより前に、スタニスワフ・レムの小説を読んでたわけね。火の鳥(10(太陽編 上)) [ 手塚治虫 ]価格:1,650円(税込、送料無料) (2025/3/29時点)楽天で購入惑星ソラリス アンドレイ・タルコフスキー 2Kレストア【Blu-ray】 [ ドナタス・バニオニス ]価格:5,116円(税込、送料無料) (2025/3/29時点)楽天で購入
2025.03.30
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TBS「クジャクのダンス、誰が見た?」が終了。全般的に、物語も、脚本も、演出もマンガじみてた。マンガ原作だから仕方ないけれど。これが原作どおりだったなら、原作に忠実すぎるのも考えものです…。◇京子さんが出産した歌ちゃんを、林川家の娘にして戸籍を捏造したの?そんなこと出来るかしら?かりに戸籍を改ざんできるとしても、警察は誰が産んだか把握してなかったわけ?つーか、親類だって、近所の人だって、奥さんが妊娠してなかったのを知ってるよね。◇本来なら、歌の産みの母である京子が、真っ先に捜査線上にのぼるはずだけど、それを赤沢と山下が強引に捻じ伏せて、遠藤力郎に罪を着せて、最終的には、歌ちゃんを、山下家の娘にして戸籍を改ざんしたってこと?赤沢がどこまで知ってたのかも謎だけど。京子の通帳の大金も謎だし…。赤沢と山下は、産科の阿波山夫妻とも共謀してたのだから、阿波山夫妻が嘘を吐かないかぎり、あるいは京子が身分を偽装しないかぎり、歌の実母が京子であることは把握できるはず。◇事件現場で、山下春生は、歌ちゃんを1階から2階へ移動しましたが、現場保全義務を破ったことを隠すべく、遠藤力郎の冤罪に加担したとすれば酷すぎる。そもそも、現場の保全より生存者の保護を優先させるなら、それなりの正当な理由や手続きがあるはずよね。写真を撮るとか、上司の許可を取るとか。◇春生は、生前に真犯人に辿り着いてたのに、その情報を記者の神井にも共有せず、謎めいた手紙だけを小麦に残したのは、わざわざ遠回りな探偵ごっこをさせただけ。まあ、ドラマだから、多少のご都合主義があってもいいけど、サスペンスの前提部分がご都合主義すぎる。◇ご都合主義といえば、もともと畳屋だった染田が、いきなり筆跡を偽装する技を見せたり、ラーメン作りが出来たりするのも意味不明。そういうところにも、マンガじみたご都合主義を感じました。◇ヤメ検弁護士の鳴川のことは、たぶん暗闇指令みたいに描きたくて、顔出しせずに声色も変えてたんだろうけど、これまた漫画じみててわざとらしかったし、林川家の名誉のためとはいえ、家族の死体をぜんぶ階段に吊るしたのも、いかにも漫画じみたコケオドシで、ほとんど無意味な演出としか思えません。◇無理のある後出しジャンケンも多すぎた。検事時代の鳴川が、林川事件を担当してたことや、阿南検事の父親であることは、松風が素性を調べれば分かるはずだよね。それから、当初は友哉と敬語で話してた神井が、途中からタメ口で話しはじめて、「じつは幼馴染の親友でした」ってのも、いかにもわざとらしい後出しです。◇けっこう凄惨な話だったので、あまり暗くなりすぎないように、コメディタッチで演出したのは分かるけど、そのコメディ部分も、さして面白かったわけではなく…(^^;ウケ狙いの台詞も、ウマいこと言ったっぽい台詞も、全般的にスベってた感じがありますね。日本語として変な台詞もあったし、「粋だ」とか「粋じゃない」とかも、いまいち意味が分からず、面白くもなかった。◇阿南検事が父を憎んでたとか、京子の弟が貧しくて死んだとか、貧乏だった神井が人を信じてないとか、いかにも重たげなエピソードを並べて、ヒューマンドラマっぽくしてましたが、どれもこれも描写が上っ面で薄っぺらいし、そういうところも子供だましで漫画っぽい。やっぱり、漫画原作に沿って機械的に脚本にしたり、その脚本に沿って機械的に演出するだけじゃ、映像作品のリアリティは出てこないのよね。脚本や演出の段階で、細部への想像力を膨らませなければ、映像的な描写力は十分に発揮されないってこと。◇そういえば、染田の水死体も、まったく水死体に見えなかったし、染田の離婚のエピソードも、帰宅して「ただいま」を言う前に、妻に不渡りのことを言わなかった、…みたいな話でしたが、これも細部の描写力が弱くて説得力に欠けた。◇◇◇あ!磯村勇斗の演技は素晴らしかったです。唯一、彼だけが、漫画でなく実写の世界を生きてた…って感じ。かなり嘘っぽい光文社のコタツ記事↓ 前日の夜に終わったドラマの調査結果が、翌朝6時に出るって…。いつアンケート取ったわけ?【最後まで面白かった「冬ドラマ」ランキング!3位『クジャクのダンス、誰が見た?』、2位『ホットスポット』を僅差で抑えた1位は?】https://t.co/ebYdERMZOV #2025年 #アンケート #テレビ #ドラマ #ランキング #女性自身[@jisinjp]— 女性自身【公式・光文社】 (@jisinjp) March 28, 2025 クジャクのダンス、誰が見た?(6) (KC KISS) [ 浅見 理都 ]価格:759円(税込、送料無料) (2025/3/29時点) 楽天で購入
2025.03.29

NHK「みんなのベスト紅白」を見ました。いちばんの見どころは、萌音×AIのデュエット「アルデバラン」だった。◇先日(…というか先月)の、The Covers「広島フェス」もそうでしたが、全体的な人選もふくめて、音楽的なクオリティの高さを重視してる感じ。広島フェスもすごく聴き応えがあって、なにより演奏してる人たちが楽しそうでした。NHKのポップス部門は、何かしら構造改革があったのかしら?…って気もする。◇萌音の歌の上手さについては、いまさら言うことでもありませんが、もともとハモリが得意だったし、相手とぶつからない声質だから、それなりにデュエットが出来るとは思ってた。でも、昨日のパフォーマンスは、たんに「ハモれてた」だけでなく、全体の音を共振させてたし、ソウル・ゴスペル的な掛け合いも上手くて、一段と進化を感じさせるものでした。武道館やロンドンの舞台に立っただけの度胸もある。📣 #みんなのベスト紅白放送100年スペシャル ❗️🟢🔵📺今夜19:30~ 総合で放送📡NHKプラスで配信🔗https://t.co/Xx3XPmIaa7朝ドラ #カムカムエヴリバディ主題歌 #アルデバラン でSPコラボ ☀️歌唱後「うれしすぎて幸せすぎてもう顔が笑ったまま」な#上白石萌音 さん #AI さんのコメント💭 pic.twitter.com/ww6zUo3UBF— NHK紅白歌合戦 (@nhk_kouhaku) March 25, 2025📣 #みんなのベスト紅白放送100年スペシャル ❗️🟢🔵見逃し配信は4/1(火)まで👀👉https://t.co/3d3MKqTzPX「あうんの」呼吸で司会を務め上げた#内村光良#大泉洋#上白石萌音#桑子真帆 アナ4人からのコメント🎁 pic.twitter.com/D7rUP4quGm— NHK紅白歌合戦 (@nhk_kouhaku) March 25, 2025◇もともと日本の歌手って、全般的にデュエットは下手だよね。それは、たぶん、西洋的なハーモニーの文化がないからだと思うけど、音階的にはハモれても、声質がぶつかったり、ビブラートがバラバラだったりして、重なった音が汚くなる場合が多い。自分の歌にばかりとらわれて、全体の音を共振させる発想が出てこない。たいていのデュエット企画は、歌番組の話題性を狙っただけのもので、音楽的な質を目指したものにはなりません。フォークソングとか、ソウル・ゴスペルをやってる人なら、それなりにデュエットも学ぶだろうけど、それでも、日本の歌手で「デュエットが上手い」と思える人は少ない。◇先日のThe Coversの広島フェスでは、田島貴男のパフォーマンスが圧巻でしたね。もともと彼は何を歌わせても上手いけど、世良公則とのデュエットもすごく上手だった。日本であれだけデュエットの上手い人は、ちょっと他には思い浮かばない。共演する相手の特性を考慮して、全体を見渡したディレクションが出来るからでしょうが、もしかしたら、NHKの制作側のディレクションも向上してるのかも。◇田島貴男がソロで歌った、矢沢永吉の「I love you, OK」も、ブルース的な解釈で生まれ変わらせて、率直にいえばオリジナルを超えてたし、田村芽実の「Don't wanna cry」も、歌の説得力はオリジナルを凌いでました。カバー曲がオリジナルを超えるのは、なにやら不遜なことのように思われがちだけど、21世紀のポップスは、創造の時代から再解釈の時代になってるのだし、オリジナルを超えるカバーが出てくるのは当然。むしろ、そうあらねばならない。◇そういえば、ラブサイケデリコの「Imagine」の話も面白かったな。もしビートルズが解散してなければ、ジョンじゃなくビートルズの曲だったかも…ってこと。実際、ラブサイケデリコのカバーは、ポールがピアノを弾いて、ジョージがギターを弾くのを想像させる演奏でした。
2025.03.25

TBS「御上先生」が終了。3/9放送の第8話では、御上が「ゆとり教育からの揺り戻し」を批判しました。なぜ「考える教育」が浸透しないのかというと、それは暗記力に頼った詰め込み式の教育を変えようとすると、一時的に見た目の学力…つまりテストの点数が下がるからなんだよね。「ゆとり教育」から「脱ゆとり」がいい例だ。ゆとりの時間をうまく扱えなかったばかりか、成績が下がったことに焦り、「脱ゆとり」ともっともらしいことを言って詰め込み型の教育に戻した。これを「ゆとり教育批判」と逆に解釈した視聴者がいるっぽい…(^^;◇偶然だとは思うけど、2/17の成田悠輔のYouTubeチャンネルでも、今後の教育は結局「ゆとり」の方向へむかうと話してました。なぜなら、人間の価値を測る指標が多元化して「競争」の概念が変わるから。ただし、そのためには、指標が数値化されなければなりませんよね。◇たとえば、政府は、「国民の幸福度」が客観的に数値化されないかぎり、結局はGNPやGDPなどの数値を指標にしてしまう。医療の場合も、血糖値やコレステロール値のように、客観的な指標がありさえすれば、それを制御する方法を確立しやすいけど、身体的な「痛み」とか精神的な「辛さ」とかは、数値化されずに主観的なものと見なされるので、はっきりした対処法を確立できません。◇SNSの世界でも、人々は「いいね」や「フォロワー」の数に翻弄されるけれど、本来なら、指標として数値化されるべきなのは、情報の「正確性」や「希少性」や「独創性」のほうですよね。◇教育の場合も、「個人の幸福度の予測」とか、「社会への貢献度の予測」が数値化されない限り、それを指標にすることは難しいし、結局は学力テストの結果に左右されてしまう。とはいえ、AIの進歩によって、それらの指標を統計的に数値化できる可能性は高まってます。◇今回のドラマが重視したのは「考える力」です。それは、答えの出る問題についてではなく、答えの出ない問題について考え続ける力。教室の中でもそういう課題に取り組まねばならない。教師の役割も必然的に変わってきます。もはや出来合いの「答え」を教えるのが教師の役割じゃない。◇◇◇今回のドラマは、最後に伏線が回収されたときに、すべて1本の線で繋がるような物語じゃありませんでした。弓弦の殺人と、御上の兄の死と、槙野の部下の死と、不正入試の問題はそれぞれ別々の事象だった。ただ、これは見せ方の問題でもあるのだけど、様々なテーマをコラージュ的に描く手法があってもいいし、こういう脚本が失敗だとは思いません。今季の作品群のなかでは、やはりいちばん意義のあるドラマだったと思う。◇弓弦の殺人は、直接的には母の問題とは関係なかったけど、家庭や社会における弱者であり犠牲者だった母の、代理としての「社会への復讐」という面がありました。そして被害者が加害者になって、本当の加害者が見逃されてしまう矛盾がある。御上の兄や、槙野の部下の自死は、制度の歪みや内部の腐敗の結果でもあるから、たんに「バタフライエフェクト」と言って済む話じゃない。◇AI時代になって、若者が社会を変える可能性は高まってるし、官僚候補のようなエリートたちに、高い志が求められてるのは間違いありません。もう一度考えたい「ゆとり教育」の意義 [ 辻村哲夫 ]価格:1,980円(税込、送料無料) (2025/3/24時点) 楽天で購入
2025.03.24

春風を入れてマーブルチョコに蓋 ケトルの湯春日のタマゴポケットに 朧夜や薬の横のミニボーロ チキンラーメン兄と割る四畳半の春 おみやげの銀だこ熱し春の雪 かつサンドつまむ日永のロケ現場 コーラグミ3回噛んで春一番 夏近しビッグマックの箱に鉤 ぼんち揚割れば春陽の実家かな ピノ溶ける春暁や『山月記』閉づ ポッキーも春もボートと浮いている モノクロの桜にグリコの赤い箱 馬連かワイドかエクレア喰む春夜 たんぽぽやヘッドロココと通学帽 ポッキーポリポリ受験子スパークす 飛花の夜や鴇羽ひとひら親子丼 フルーチェのミルク増し増し草萌や 歌舞伎揚げの家紋三枡や竜天に シーフードヌードル春夜の反航 花曇ため息代わりフエラムネ3月13日のプレバト俳句。お題は「ついつい買ってしまう人気フード」。◇予選1位はフジモン。春風を入れてマーブルチョコに蓋これは文句なしの1位。マーブルチョコを持ち歩く子供のリアルに、春風についての幻想を重ねた句です。色とりどりのマーブルチョコが春らしい。◇決勝2位のフジモン。シーフードヌードル 春夜の反航こちらもいい出来です。下五は「反抗」でなく「反航」。逆向きの航行という意味らしい。夜の船の上で、シーフードヌードルを食べながら、すれちがう船を見てる場面なのね。なかなか詩情があります。◇予選3位の犬山紙子。朧夜や 薬の横のミニボーロ個人的にはこれが2位。薬の横にミニボーロが置いてある。そこに生活感があってリアルです。不定愁訴を暗示するような季語の選択も的確。◇決勝3位の犬山紙子。花曇 ため息代わりフエラムネ花の日のため息代わり フエラムネ(添削後)花曇 ため息めけるフエラムネ(添削後)こちらも不定愁訴に悩まされてるのか、おなじような作風なのね。原句の中七・下五は、助詞「の」を省略したため三段切れに見える。商品名はカタカナ表記ですが、わかりやすく漢字表記でもいいと思うし、三段切れを回避するなら、ため息を笛ラムネとす 花曇のようにも書けます。◇予選6位の森口瑤子。かつサンドつまむ日永のロケ現場個人的にはこれが3位。タイトル戦の森口瑤子にしては珍しく、奇をてらわないオーソドックスな作風。すんなりしすぎてフックがないので、優勝は狙えないのかもしれませんが、どこにも欠点はなく、情景もよく伝わります。◇13位の皆藤愛子。馬連うまれんかワイドか エクレア喰む春夜馬連かワイドか 春の夜のエクレア(添削後)個人的にはこれが4位。競馬に夢中になりながら、片手間にエクレアをむしゃむしゃ。下五の動詞を、あえて「食う」でなく「喰む」としたのも、それなりに必然性がある気がするし、かならずしも音数合わせではないと思います。◇9位の内藤剛志。ぼんち揚あげ割れば春陽はるひの実家かなふるさとや 春日にぼんち揚割れば(添削後)個人的にはこれが5位。俳句は現在の実景を詠むのが基本だけど、記憶のなかの「実家」を詠むとすれば、原句のような形にするしかないでしょうね。かりに過去を詠んだとしても、「春陽(春日)」は現在に繋がってるので、季語の鮮度は落ちていません。一方、添削句の「ふるさと」は、かえって実景に見えてしまいます。◇予選2位の梅沢富美男。ケトルの湯 春日のタマゴポケットに上五で切れる二句一章なのか、助詞を省略した一句一章なのか分からない。かりに二句一章と解釈したら、一方に「ケトルの湯」があり、他方で「春日」が冷蔵庫の卵ポケットにある、と誤読されかねません。助詞を省略せず、固有名詞をカギカッコで括り、やかん湯を春日の「たまごポケット」にと書けば、兼題を知らない読み手にも、かろうじてチキンラーメンの句だと分かる。◇決勝1位の梅沢富美男。歌舞伎揚げの家紋三枡みますや 竜天に上六を字余りにする一方、中七は助詞「は」を省略してる。下五も助詞「に」で終える省略形。かりに「昇龍」を子季語と考えれば、昇龍や 三枡家紋の歌舞伎揚げと定型に出来ます。◇10位の三宅香帆。ピノ溶ける春暁や 『山月記』閉づピノは溶け果て春暁の『山月記』(添削後)固有名詞の「ピノ」は、いろいろと誤読の可能性があるけど↓https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/202207180001/動詞「溶ける」があるので、かろうじてアイスだとは判断できる。最後にオチをつける形なら、『山月記』閉づる春暁 溶けしピノのような定型にも出来ます。◇8位のフルポン村上。夏近し ビッグマックの箱に鉤かぎビッグマックの紙箱に鉤 夏近し(添削後)良句のような気もするけど、いつにもまして評価の難しい問題作です・・・(^^;紙箱の蓋が開かないようにロックする部分を、日本語で何と呼ぶのか知りませんが、それって、いつでもどの箱にでもあるし、べつに発見するまでもないことだから、せいぜい、「箱の中に金属の鍵が入ってたのかしら?」と誤読されるのがオチ。むしろ、夏近し ビッグマックの鉤の箱と書いたほうが誤読の畏れは少なく、箱のなかの熱々のハンバーガーの予感が、夏の予感にも響き合うことになる。そもそも、《紙箱の技術的な構造に気づいた》ってところに詩情があるとしても、それは村上の過去句の、「ペンの減り」「目の潤み」「窪みの浅さ」「ハンコのかすれ」と同じように、俳句の季節感とは無関係なのよねぇ。その点、添削句のほうが、季語が立ってるのは間違いない。◇4位の千原ジュニア。チキンラーメン 兄と割る四畳半の春7・5・8の字余り。おなじ字余りでも、兄と割るチキンラーメン 四畳半の春のほうが定型に近いわけだけど、意図的に破調にしたのかしら?あえて「四畳半」とは詠まずに、兄と割るチキンラーメン 春寒しのように書くだけでも、質素な暮らしぶりは想像できます。◇清水アナ。U.F.O.を賭けたじゃんけん 春の昼兼題を知らなければ、カップ焼きそばかどうか分からない。「ピノ」や「卵ポケット」もそうだけど、「UFO」も誤読を避ける必要があります。商品名をカギカッコで括り、動詞の過去形も回避すれば、「U.F.O.」を賭けるジャンケン 春の昼のように出来ます。なお、わたしは季語が動くとは思いません。/📣木曜、夜7️⃣時からは #プレバト !!3/13は2時間スペシャル!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥まだまだ勉強が必要!💪#清水チャレンジ#夏井いつき 先生#俳句#春光戦 pic.twitter.com/TlA4kxZsk5— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) March 10, 2025◇14位の森迫永依。たんぽぽや ヘッドロココと通学帽中七の「ヘッドロココ」は、ロココ風の被り物かと思いきや、ビックリマンチョコのキャラだそうです・・・(^^;子供らしいアイテムを3つ並べただけ。とくに「通学帽」は当たり前すぎて面白みがない。誰の視点なのか分かりませんが、《道端→子供の手元→子供の頭》というカット割りもチグハグした印象です。◇5位の本上まなみ。おみやげの銀だこ熱し 春の雪本上まなみにしては面白みに欠けた。銀だこが熱いのも当たり前だけど、銀だこを手土産にするのも当たり前すぎるし、季語も意外性に乏しい。本人が話したエピソードを使って、銀だこを上着にくるむ寒き春のようにも出来たかなと思います。◇7位の蓮見翔。コーラグミ3回噛んで春一番接続助詞「で」は、《3回噛んで春一番(を待つ)》の省略なのか、《3回噛んで春一番(を受ける)》の省略なのか分からない。前者なら季語が実景ではなくなる。季語を実景にするには、コーラグミ3回噛めば春一番と書いたほうがいい。◇12位の立川志らく。モノクロの桜にグリコの赤い箱モノクロの桜 グリコの赤い箱(添削後)モノクロの記憶のなかで、グリコの赤い箱だけを鮮烈に覚えてる、・・・ってことなのだろうけど、やはり俳句は、現在の実景を描くのが基本だから、モノクロ写真と誤読されるのがオチです。◇16位の的場浩司。飛花の夜や 鴇羽ときはひとひら親子丼親子丼に飛花のひとひら鴇羽色(添削後)原句の「鴇羽ひとひら」は、《鴇の羽根》なのか《鴇羽色の桜》なのか分からない。前者だとすれば季重なりだし、後者だとすれば「飛花」と重複する情報です。リズム的に三段切れなのも欠点。鴇色も鴇羽色も同じなのだし、鴇色の花一片と親子丼と書けば定型になります。◇11位の春風亭昇吉。ポッキーも春もボートと浮いているポッキーと恋とボートと春と雲(添削後)原句の「春」は《恋》の隠喩ではなく、池に落ちた《花びら》の隠喩に見えるし、ポッキーも池に落としたように見える。実景描写に徹すれば、ポッキーの春や 二人乗りのボートと出来ますが、あくまで浮かれた気分を表現するのなら、案外、添削句が正解なのかもしれません。◇15位の中田喜子。ポッキーポリポリ 受験子しスパークす句材に面白みがないし、「ポリポリ」「スパーク」などの語彙も、やや安直で俗っぽいです。◇17位の馬場典子。フルーチェのミルク増し増し 草萌もえやミルク増し増しのフルーチェ 草萌ゆる(添削後)切れ字「や」で締める型破りには、さしたる意図も感じられず、たんなる音数合わせにしか見えません。その点でいえば、添削の連体形止めのほうがマシだし、「萌ゆる草」「萌ゆる春」「春の草」などの名詞止めにするのも可能です。とはいえ、あえて8・4・5に直した意図は分からない。▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2025.03.17

朝ドラ「おむすび」を、むやみには批判したくなかったのだけど、さすがに第21週の内容は看過できない。このドラマには、NHKのコンプラ面の監修が入ってるのかしら?ギャル礼賛ならまだしも、ヤクザ礼讃となると話が違ってきます。◇地震などの被災地には、山口組などの暴力団も支援に入ってることが知られてます。いくら災害で全財産を失ったからといって、被災者が一般支援者やヤクザ者に借金する行為を、NHKは奨励するのでしょうか??大鶴義丹は在日韓国人4世だと思いますが、ドラマに出てきた「小松原」という岐阜の被災者は、公的支援を受けられない立場の人という含意でしょうか?◇岐阜の豪雨災害は昭和51年ですが、すでに昭和47年には「災害救助法」が施行され、財産を失った被災者でも、自治体や国の支援を受けられる制度が存在してます。外国人をふくむ被災者を救助する規定です。https://ja.wikipedia.org/wiki/災害救助法まずはそういう制度を利用すべきであって、かりに寄付やボランティアは奨励されるとしても、素性のわからない一般人に金を借りるべきではないし、貸すべきでもありません。石破茂の防災省構想では、寄付やボランティアだけでなく、一般人どうしの借金のような助け合いまでを、奨励していくつもりなのか問われます。◇ギャルの美化だけでなく、親の「呪い」を美化し、ヤクザの「義理人情」を美化し、さらに「万博」を美化してるところを見ると、今回のNHK大阪制作の朝ドラは、万博とIRを推進する大阪維新や、統一教会の意向を反映してるのでは?…と疑ってしまいます。第21週の内容についてはコンプラ面での調査が必要です。
2025.03.05

あまりにインプットが多すぎて、ほとんどアウトプットできない状態に陥ってるのだけど、昨夜のNHK「うたコン」は由貴ちゃんと石川ひとみの共演だったので、とりあえず備忘録的に「白い炎」のことだけ書いておきます。◇ちなみに先日のDVDで発表されたスタジオライブ「水響曲・冬」のセトリは次のとおり。1.情熱2.MOON WALTZ~月の輪舞3.Woman”Wの悲劇”より4.白い炎5.翼をくださいこの曲目だけを見ると、なぜ「白い炎」が1曲目じゃないのかしら?と不思議に感じるけど、それは今回の武部のアレンジが今までにない特別なものだったからかもしれないし、由貴ちゃんと武部のトークで「白い炎」について言及することを前提にした曲順だったからかもしれない。武部はそのトークのなかで、> 「白い炎」と「かなしいことり」と「卒業」は84年の段階で出来ていた。と話しました。一方、由貴ちゃんのほうは、そのあたりの記憶が完全に欠落してるらしい。いちばん最初に録音した曲が何だったかさえ覚えてないのかしら??◇ライブツアーのなかで「白い炎」についての言及があったかは確認できないのだけど、武部の上記の話は、かつて中島愛に語っていた《いちばん最初に録音したのは「かなしいことり」だった》という話にも合致するし、先日の長岡のインタビューの《「白い炎」はスケバン刑事のタイアップ曲じゃなく、石川ひとみへの提供曲として準備された》という話とも矛盾しない。私が解説しております。https://t.co/HjmdYpssSJ— 長岡和弘 (@K8u0G4EKhZKAjPA) February 20, 2025 とはいえ「白い炎」はスケバン刑事ありきで作られたとしか思えない内容の曲だし、あんなハードボイルドな曲を石川ひとみに歌わせるつもりだったのかしら??ってのは驚きです。…ただ、あらためて聴き直してみると、由貴ちゃんの「白い炎」は石川ひとみの「まちぶせ」の続編のようにも思えてくる。どちらの曲も《意中の彼の動向を覗き見する》みたいなサスペンスフルな内容だからです。武部は《「卒業」は「木綿のハンカチーフ」の前日譚》と言ってるわけですが、もしかしたら《「白い炎」は「まちぶせ」の後日譚》を意識してたかもしれませんね。玉置浩二と森雪之丞がどんな発注を受けたのか分からないけど、ユーミンの書いた「まちぶせ」を意識して作った可能性はある。ウタコンに斉藤由貴さんと石川ひとみさんが出演してました。同じ乙女座で同じB型…私は素晴らしいアーティスト、素晴らしい作品に出逢えたホントにシアワセ者だと思います。歌を聞いてたら涙が出ていました。 pic.twitter.com/ribKELGJy9— 長岡和弘 (@K8u0G4EKhZKAjPA) March 4, 2025なお、玉置浩二は1983年に石川ひとみへ「恋」を提供してますが、これも「まちぶせ」と同じ路線の片思いの曲。ただし、作詞は森雪之丞じゃなくて岡田冨美子です。森雪之丞は「まちぶせ」よりも前の1979年に「あざやかな微笑」という曲を石川ひとみに提供してる。◇長岡のインタビューによれば、なんと「情熱」も相米慎二の雪の断章とは無関係に制作されてて、さらに「悲しみよこんにちは」も高橋留美子のめぞん一刻とは無関係に制作されてる、とのこと。にわかには信じられないけど、ディレクター本人が言ってるんだから信じるしかない。そうなると「終りの気配」のメロディが朝ドラはね駒の頃に出来てたって話も信憑性を増します。まあ、それでも山口美央子の《詞先で曲を作った》というツイートに矛盾することには変わりないけど。先日の松本隆と由貴ちゃんとのラジオトークでは、「情熱」の1番と2番の歌詞がドラマティックに転換してることが話題になってて、今回の「水響曲・冬」でもその場面転換を強調するようなアレンジになってるわけですが、あの松本隆の歌詞も佐々木丸美の小説とは無関係に作られてるの??…それがホントなら「探偵物語」とか「メインテーマ」とか「Woman」とかも、薬師丸ひろ子の映画とは無関係に作られてるのかしら?ってことまで気になってくる。◇長岡は以前にも《「卒業」はカップラーメンのCMタイアップで作った曲じゃない》と言ってたし、おそらく「MAY」とか「さよなら」も映画とは無関係に作られてる可能性が高い。しかし、この「タイアップ前提で楽曲制作をしなかった」という話は、長岡自身の音楽制作に対する姿勢としては事実だったろうけど、実際のところ「ORACION」や「夢の中へ」なんかは映画やドラマのタイアップ前提で作られたのが明らかなわけだし、さほど厳密な話とも言えません。そもそも一口に「楽曲制作」と言っても、作曲や作詞や編曲/オケ作りなどの色んな段階があるわけだし、おそらく長岡がストックしてたデモテープに入ってたのは、まだ歌詞のついてないメロディだけのものだったはずだから、かりに作曲がタイアップと無関係におこなわれてても、作詞はタイアップを前提に書かれた可能性がある。玉置浩二の石川ひとみへの提供曲が1983年に出来てたとしても、森雪之丞の作詞はもっと後だったかもしれない。銀色夏生の「かなしいことり」についても、武部のオケは1984年のうちに完成してたかもしれませんが、由貴ちゃんの歌入れはもっと後だった可能性がある。そこらへんの詳細は、今回の長岡のインタビューを読んでも明瞭ではありません。◇それにしても…昨夜のNHK「うたコン」は、石川ひとみだけでなく、2代目のナンノといい、中山美穂を追悼したガンダムの森口博子といい、コゼットを引き継いだ生田絵梨花といい、録画出演の薬師丸ひろ子といい、なにかと由貴ちゃんがらみのメンツが揃ったちょっと異様な回でした。イルカも出演してましたが、由貴ちゃんは過去にイルカと「なごり雪」をデュエットしたことがあったよね。石川ひとみは65才とは思えない素晴らしい歌声でした。今夜の #うたコン は…春!放送100年を彩る名曲SP🌈https://t.co/2mM2LF7OJv≪出演≫#AquaTimez#生田絵梨花#石川ひとみ#石丸幹二#市川由紀乃#イルカ#斉藤由貴#氷川きよし#南野陽子#森口博子#薬師丸ひろ子#安田祥子#由紀さおり歌のお兄さん・お姉さんも!📺3/4(火)19:30~ 総合 pic.twitter.com/TpJFLsypkX— うたコン (@nhk_utacon) March 3, 2025 #アメブロ 投稿‼️『85年デビュー同窓会のような?』3月4日(火)◆「ヒルナンデス!」#斉藤由貴 さん #いとうあさこ ちゃんと本音ショッピング◆ NHK」「うたコン」中山美穂ちゃんの名曲を追悼の意を込めて歌わせていただきます #森口博子 https://t.co/70gFR3Ul0u— 森口博子 (@hiloko_m) March 3, 2025
2025.03.05

春宵や初稿とエシレバター缶 2番線春風運ぶバターの香 大蒜のたっぷりバターは罪作り はるかより愛の菓子待つ陽春や 春隣姉と甥とバター待つ 笊に土筆手鍋耀うバターの香 蓋かぶせアサリバターを黙らせる 入社式の朝バターナイフがない2月27日のプレバト俳句。お題は「バター」。◇三宅香帆。春宵しゅんしょうや 初稿とエシレバター缶字面からは、初稿が完成した場面かと思えますが、本人の説明によれば、執筆中の息抜きにバター缶を開けてるらしい。俳句の形は出来てるものの、表現すべき内容と描写にズレがあるのでは?どちらかといえば、春宵の執筆 エシレバター缶のように書くべき場面じゃないかと思う。前回の「置き土産」の句も、特待生にふさわしいとまでは思えなかったし、たった2回での昇格はやや不安含みです。◇コットン西村。2番線 春風運ぶバターの香バターの香はこぶ春風 2番線(添削後)中七の「春風運ぶ」は、助詞「を」の省略か「が」の省略かが分かりにくい。また、上五に置くにせよ下五に置くにせよ、季語のない「2番線」だけをワンカットにするのは、二句一章の形式としてバランスが悪い。一句一章で、バタの香を呼ぶ春風の2番線とも出来るし、二句一章にするとしても、春風や バターの香る2番線と書くほうが形式上のバランスはとれる。◇トラウデン直美。はるかより愛の菓子待つ陽春や陽春や ドイツの祖母の愛の菓子(添削後)表現が抽象的すぎたね。作者の話によれば、上五の「はるかより」は、時間的な意味じゃなくて空間的な意味。中七の「愛の菓子」は、バレンタインチョコじゃなくドイツの祖母のクッキー。どちらも読み手には伝わりません。かたや添削句のほうは、動詞「待つ」を省いた結果、日本にいるのかドイツにいるのか分からなくなってるし、主観的な「愛」という形容を残したことで、やっぱりバレンタインチョコかと勘違いさせます。明瞭に描写すれば、陽春にドイツの祖母の菓子を待つのようになるはずです。◇小山慶一郎。春隣 姉と甥とバター待つ春隣 バターの溶けてゆく時間(添削後)なぜ字足らずなのかしら???意味としても、《姉と甥と》でバターを待ってるのか、《姉と甥とバター》を待ってるのか不明瞭だし、まして、《バターが溶けるのを待ってる》とは分からない。添削句は「姉と甥」を切り捨てましたが、姉と甥 バターの溶ける春隣のように書けなくもありません。◇千原ジュニア。笊ざるに土筆つくし 手鍋耀かがようバターの香中七の「手鍋耀う」は、助詞「に」の省略ではありえないので、あくまで助詞「が」の省略なのだけど、意味として考えると、《手鍋に耀うバター》とか、《手鍋を耀かせるバター》ならともかく、《手鍋が耀うバター》ってのはちょっと変なのよね。耀う主体が「手鍋」なら、いったい「バター」は何なのか?って話。嗅覚に焦点を当てるなら、笊に土筆 手鍋にバター香り立つ視覚に焦点を当てるなら、笊に土筆 手鍋にバター耀けりどちらか一方で描写は足りると思います。◇梅沢富美男。蓋かぶせアサリバターを黙らせるここで蓋 アサリバターを黙らせよ(添削後)性懲りもなくクサい擬人化!添削句のほうは、全体をセリフ形式に変えることで、クサい擬人化を人物の滑稽描写に変えてます。苦肉の策ではあるけれど、擬人化を添削する際の有効な手法なのかもね。◇安藤和津。大蒜にんにくのたっぷりバターは罪作り罪作り バターに焦がす大蒜は(添削後)下五の「罪作り」は、客観的な描写じゃなく主観的な判断なので、俳句に用いるべき語彙ではありません。ただ、これもセリフ形式の表現に変えれば、大蒜のたっぷりバター 罪な奴みたいな滑稽句には出来るかも。なお、助詞の「は」で終わる添削について、先生は例のごとく「余韻が云々」と説明してましたが、ただの倒置法だよね…(^^;◇清水アナ。入社式の朝 バターナイフがないこれもセリフ形式で、入社式の朝 バターナイフはどこと書いたほうがいいのかもしれませんね。/📣木曜、夜7️⃣時からは #プレバト !!\清水アナが次回のお題に挑戦!🔥チャレンジすることに意味がある!💪#清水チャレンジ#夏井いつき 先生#俳句 pic.twitter.com/oSOrirnvCG— 「プレバト!!」毎週木曜よる7時【公式】 (@prbt_official) February 24, 2025▽過去の記事はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/ctgylist/?ctgy=12
2025.03.03

ゼレンスキーが、トランプの外交にイチャモンをつけました。彼は戦争を続けたがってるらしい。自力で戦争する力がないにもかかわらず。◇言うまでもありませんが、わたしは「プーチンを許せ」と主張したいわけじゃない。戦争犯罪人のプーチンを許すべきではないし、国際社会に復帰させるべきでもありません。犯罪人はそのペナルティを負うべきだからです。トランプは、たんに停戦交渉をしているにすぎず、プーチンを許したわけでもなければ、国際社会に復帰させたわけでもありません。また、そのように解釈すべきでもありません。かりに、トランプが独断でプーチンを国際社会に復帰させたなら、そのときにはトランプにもペナルティを課すべきですが、今のところ、そのような事態にはなってない。◇それにもかかわらず、愚かな西側メディアは、「戦後レジームが変わった!」などと、まるでネトウヨみたいな主張をしはじめてる。バカなの???日本の頭の悪いネトウヨも、「戦後レジームが変わったから日本も核武装すべき!」などとわめいてるわけですが、西側メディアの解釈も、それと同じ過ちに傾いていると自覚すべきです。◇戦後レジームは、今後も変わらないし変えるべきでもない。むしろ、今こそ戦後レジームを徹底すべきです。たとえば、ブッシュJr.は、プーチン以上の戦争犯罪人だったのに、西側メディアはその罪を追認してきました。戦後レジームは、これまで十分に徹底されてこなかった。それこそが問題だったのです。◇そして、トランプの登場によって、新しい国際秩序のレジームが加わろうとしてる。すなわち、戦争は外交交渉で未然に防ぐべきだということ。ここで批判すべきはトランプではなく、戦争を未然に防がなかったバイデンのほうです。バイデンがその責務を怠ったために、トランプの交渉が「事後」になっているにすぎません。そのことでトランプを責めるのはお門違いだし、まして「戦後レジームの崩壊」などと、愚かなロジックを吹聴してまわるべきでもない。◇西側メディアは、ウクライナを支持してきたメンツにこだわるあまり、まるで頭の悪いネトウヨみたいに、国際秩序についてのロジックの立て方を誤っています。
2025.03.02
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