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天王洲アイルのアートスフィアへダンスの合同公演を見に行った。アートスフィアは初めて行ったなあ。モノレールにごとごとゆられて・・・以前参加していたダンスグループの先生や先輩が出ている。私はバレエの人でもモダンの人でもないから発表会のときには、ジャズの振付をもらったり、自分で振付したりしてた。今はだいぶ人も入れ替わり、モダン一直線といった感じだった。先生の踊りは久しぶりに見たが、還暦を過ぎてもあいかわらず可憐で、あのエネルギーはすごい。特に「病葉(わくらば)」というタイトルの、痩せ枯れた葉の最後の輝きを自分に重ね合わせて踊ったときには感動して本当に泣けてしまった。あまりに切ない美しさで・・・今回案内をくれた先輩のNさんは、「鬼灯(おにあかり=ほおづきとも読みますね)」というタイトルの曲で、人の心に棲む鬼を3人で踊っていた。ひどく面白かった。前半は般若みたいな面をつけ、黒とグレーのもったりした衣装で、背を丸め、山んばみたいな鬼。あとの2人のダンサーは、ダンスを踊っていたが、Nさんだけは、「役」を踊っていた印象で(役者出身だから当然なのかもしれないけど)「性格俳優」ならぬ、「性格ダンサー」と呼びたくなるほど。手の動きも全体的にも、何とも言えずもじゃもじゃしていて、面白い鬼を見せてもらった。好きだ♪最近では、コンテンポラリーの人気に押され、モダンダンスってどうなんだろう?と思っていたが、他のグループやカンパニーの若いコレオグラファーの振付で期待できるところがいくつかあり、「おお~」と思った。まあ、今はダンスもボーダーレスな時代だけど・・終演後、先生や先輩や、見に来ていた昔の仲間の人たちに挨拶して心地よく帰ってきた。モノレールからきらきら輝く夜景を見て舞台の余韻に浸っていたら突然むしょうに「変わりたい」欲求が吹き荒れた。いつもいつも変わりたがっている私だが、ときどきそれがとても大きくなって私を襲う。友人にその話をしたら「いつものことじゃーん」と言われてしまった。そ、そうなんだけどね(^^;)でもいろんなことをやってる中でも、ダンスは「変わりたい」欲求と、割とダイレクトにつながっている。今年はがんばっていろいろチャレンジしてきた一年だったがその分、ダンスだけは淡々と地味だった。ライブの話もちょっと凍結してるし・・方向性は違うけど、モダンダンスの公演を見て刺激を受け、考えさせられた。また次のステップに踏み出すためのきっかけなのかもしれない。
2005.09.30
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初めて行ってきました!ブリヂストン美術館。今、「青木繁100年」展やってます。本当なら今日は六本木ヒルズで「ダ・ヴィンチ展」を見るはずで残業ぶっちぎって定時で上がったけど一緒に見に行くはずだったコヨーテさんが急な仕事でキャンセル~!がーーん!く~っどうしようっ(T_T)でも定時に上がっちゃうなんて滅多にないし、よ~し、会社から近いブリヂストン美術館へ行っちゃえ~!!と、めげずに方向転換しました。この変わり身の早さ。我ながらちょっとほれぼれしました・・(^▽^;)ブリヂストン美術館は、東京駅八重洲口から徒歩3~4分という近さ、平日は夜8時まで開館しているし、きっとこぢんまりとほどよいサロン風の規模なんだろうし、7時前に着けば余裕で見れるかな~♪と思ってたら・・ブリヂストン美術館、あなどっちゃいけません!興奮しました。常設展だけでもかなり見ごたえあります。国立西洋美術館の常設展のような大作はないにしても、つぶの揃った、上質な作品をたくさん所蔵してました。(さすが大企業は違う・・)展示室も落ち着いてきれいで、平日夜のせいかとても空いていて、まるで部屋でゆったり絵を見ているような感覚。思うに・・部屋に飾りたい、生活の中でもいつも眺めていたいような心地いい作品、というコンセプトで集めたのかな~?それくらい、なんだかどの展示室も居心地よい空間でいい「気」が流れているように感じられました。いや~、いいないいな、もっとゆっくり見たい!でも今日は青木繁、青木繁を見に来たのよ~と自分を戒め、常設展はさらさらっと流し、青木繁の展示室に戻って閉館ぎりぎりまでへばりついてました。↓彼の代表作「海の幸」、重要文化財に指定されてます。ちらっとしか知らなかったけど、青木繁は28歳の若さ(!!)で結核で亡くなってます。青木繁のピークは21~25歳くらいで、今回の展覧会もその短い期間の作品が多く集められていました。晩年(と言っても27,28歳)は思うように評価されない絶望で九州を放浪し、そのうち喀血して、病院で亡くなった・・と。先日の佐伯祐三にしろ、この青木繁にしろ、夭折の天才画家っていうのは、ほんとにその生涯を知っていたかのように早熟ですよね~。もちろん「海の幸」や、彼独特の神話の世界に題材を取った「わだつみのいろこの宮」などもよかったけれど、一番興味深い作品は、21歳くらいのときの「自画像」でした。彼独特の朱と暗い緑を多用した自画像で、不遜ともいえるほどの自信と野心と、憤怒に近いほどの情熱が暗い画面にほとばしっていました。そして当時(明治時代)としては珍しく、輪郭を、朱の荒々しいラインがいくつも走り、きっちりしてない未完成っぽい仕上がり。まるで彼の体の表面には、赤い電流が帯電していて触れると感電してしまいそうに見えます。ものすごいエネルギッシュな人だったんだろうな・・近くにいたらこわそう。でも、彼の友人へあてた絵入りの手紙を見るとずいぶん印象が変わります。ちょうど「海の幸」を制作中で、千葉の海辺でのとてものどかでのびのびした風景のスケッチと、獲れる魚を列挙したり、童謡を交えたりした楽しげな文章を残しています。また、彼の当時の恋人で画学生だった福田たねのイラスト風の絵には、「海の幸」に取り組む青木繁や仲間たちがほほえましく描かれています。「海の幸」は、大きなサメのような魚をかついだ、漁民たちの生命の行進が、力強く画面いっぱいに描かれているのに、思っていたより、ずっとうす塗りなのが意外です。額縁も魚のうろこのデザインで、なんとも味があります。なんとなく、この絵が彫刻だったら・・と想像してしまい、まるで状況や背景は異なっているのに、勝手にロダンの「カレーの市民」と頭の中で並べてしまいました。一方向へ向かう群像、ということしか共通しないんですけどね(^^;)むしろ反対、「カレーの市民」は死に向かって、「海の幸」は生に向かって、歩いているんだろうけど・・・この作品以外では、その舞台となった布良の海を描いたものもよかったし、「輪転」という小さい作品にもとても心ひかれました。「輪転」は金色に輝く太陽のもと、4人の裸婦(女神かなあ?)が踊っているような、背景の、緑の流れに翻弄されているような、でも確かな躍動が描かれ、印象深い1枚でした。21、22でこれを描くかあ・・・もうため息しか出ません。はあ~~・・死の床での手紙も展示されてました。「・・・二十数年の生涯も技能も光輝なく水の泡と消え候も是不幸なる小生が宿世の為劫にてや候べき・・・」22歳で人生の一番輝かしい光を見てしまい、その後落ちぶれ志なかばで病で死んでいく、その光と闇。そして死んだら骨の灰を、故郷のケシケシ山に埋めてくれ、と。・・痛切でした。常設展も後ろ髪ひかれるくらい、よかった(>_
2005.09.28
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練馬区立美術館で開催中の「佐伯祐三展~芸術家への道」、雨の中、佐伯好きな友人と見に行ってきました。電車にはってあるポスターは立派だけど入場料500円だし、きっと小規模なんだろうな・・と気軽に向かったところ、予想を裏切る140点もの作品・資料で、充実した内容でした!19歳ころ描かれた自画像から始まって、裸婦や家族を描いたもの、そしてパリでの街角や建物の壁や広告を描いたもの、一時帰国し、アトリエのあった下落合での風景を描いたもの、さらに彼の芸術を深めた2回目のパリ時代、と年代順に彼の足跡をたどることができます。すでに画学生のころから卓越した力、そして野心を持っていたことが自画像の数々から伺えます。タッチも数種類使い分けてるし・・・また、裸婦はピンクや赤のうねるような筆致で描かれて晩年のルノワールの影響かな~と思われるような。中には、貧しくてキャンバスがもったいないからか、裏表両方に描かれた作品もあったり。両側から見られるよう展示が工夫されていて、面白かった。そしてやはり素晴らしいのは2度目のパリ時代の作品。1度目のパリのもいい作品があるけれど、全体に暗ったくて重たくて鬱々としてしまいます。2度目のときは、広告の文字を絵としてとらえ、黒という色を使うようになり、木の描き方なども変わったそうです。↓今回のちらしにもなっている作品。「郵便配達夫」印刷だと黒く見える制服が品のいい濃紺で、赤いラインが入って生き生きしてます。荒いタッチと、全体が斜めの構図が味になってます。先日見たゴッホの「郵便配達員 ジョゼフ・ルーラン」をちょっと彷彿とさせられたのは私だけかな・・?ゴッホ「郵便配達員 ジョゼフ・ルーラン」↓今回のポスターになってる作品。「ガス灯と広告」NHK日曜美術館でも取り上げられてたなあ。友人もこういった広告の文字のびっしり躍ってる作品が好きみたい。(楽天でこういう絵もリトグラフとして売ってるんですね、知らなかった・・佐伯祐三『ガス灯』リトグラフ)広告の文字がびっしりすぎるのは、孤独がせまってくるようで独特でいいのかもしれませんが、私にはちょっと息苦しい・・私はこんな感じの↓カフェや店の入り口や壁の絵などが好みです。「テラスの広告」昨日見たモローにしろ、描きたい、追求したい、そのもだえんばかりの情熱が並大抵ではなくて、言葉を失ってしまう・・しかも佐伯は、病をおしてパリに舞い戻り活動したこともあり、30歳という短い生涯を生き急いでいた感も否めません。彼の残したメモに「今に見ていろ」「俺はやりぬく」などの言葉がありすさまじいエネルギーを短い間に爆発させ、流星のように駆け抜け、散っていったのを感じさせます。でもそれが佐伯を佐伯たらしめた魂なのだからほかの生き方はありえなかったんだろうな・・・一緒にパリの街角を描いた荻須高徳に、やはり名もない汚れたパリの黄色い壁の絵があって具象から抽象へと踊り出でようとしている素晴らしい作品があるけれど佐伯祐三ももう少し長生きしてたら、あんなふうに抽象への道を行ったのかな、とも想像したりしますが、それは無意味な想像かな?佐伯はすでに一個の完成された流星だったのかもしれない。この美術展、ほんとに500円でいいの?!と思うくらいすごく満足して、友人と2人、胸いっぱいになって出てきました。作品の一覧のパンフがなかったのが残念だけど・・興味ある方、ぜひ足を運んでみてください!帰りに中村橋をぶらぶらして、すてきなお店を発見!水色と白を基調とした「CHEZ GON」というケーキ屋さんで、洋食ランチもやってるよう・・佐伯祐三を見たあとは、雨もようの通りを眺めながらちっちゃいカフェレストランでランチ・・ってぴったりでした♪ケーキもおいしそうだから、今度はお茶しにくるのもいいな。
2005.09.24
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Bunkamuraミュージアムで開催中の「ギュスターヴ・モロー展」を見に行った。祝日ながら、仕事帰りに夜行ったので空いてて嬉しかった。これがBunkamuraミュージアムのありがたいところ♪空いてはいたけど、(空いていたからよりそうなのかもしれないが)展示室に入るとそこはとても充実した空気が満ちているのを感じられる。油絵の展示は50点足らずだが、その他の習作が100点以上展示され興味深いものが多かった。ある意味、習作こそ執念を感じ、圧倒される。彼の、絵を描く情熱の繭の中にからめとられているような。何度も何度も繰り返され、練られていく絵画の構図や形、そのエネルギー、苦闘、情熱、思考などを直に感じさせる。じっくり鉛筆などでデッサンされたものも多いが、インスピレーションを取り急ぎ色彩でざっと描いたようなものもありそれらはとても感覚を刺激する。「サロメ」や「キマイラ」などの習作は特に、一瞬の色彩の流れの中に、しかし確かに人物や物語の熱がうごめき、ただならぬことが起きてることを予感させ、それだけでも素晴らしい。すでに抽象画の様相を呈している。その情熱、色彩のほとばしりは、走墨を思わせるものもある。油絵では、今回のちらしにデザインされている「一角獣」とサロメに題材を取った「出現」が、やはりよかった。「一角獣」「一角獣」は印刷よりもずっとずっと明るく美しく瑞々しい。彼の色彩は、特に深く重厚な紅・緑・青が美しく、高貴な感じを与える。その中で一角獣の白も輝いている。また、パネルの説明を読んで驚き、より親しみを感じた。この絵は、パリのクリュニー美術館(中世美術館)の6枚1組の大きなタピスリを元にしているという。このタピスリは、ジョルジュ・サンドがフランスの地方の城館で見つけ、世に知らしめた織物で、私は数年前これを見にパリへ行ったようなものだ。辻邦生氏の「回廊にて」という小説が20代のころ私のバイブル的存在だったのだが、そのラストに出てくるタピスリだから。そうか~、あれが元になってるんだ、と嬉しくなった。見ていて心地いい作品だ。また、サロメを描いた「出現」はやはり圧巻だった。2002年秋に上野で開催された「ウィンスロップ・コレクション」でもっと小さな「出現」を見たが、そのときはそんなには感銘を受けなかった。ロセッティやバーンズの大きな美しい作品に目が奪われてしまってたし。が、今回初めてモローの凄さにがんとやられた。今回はいくつか描いている「出現」の中でも一番出色の作品じゃないかな~?他にもあるのかも知れないけど・・これは見れば見るほどいい作品だと思えてくる。物語では、ヨカナーンは聖者で、サロメはその首を褒美として欲する、血のにおいのする悪女として書かれているがこの絵では、サロメは悪女に見えなくなる。サロメはいったい何と対峙しているのだろう?周囲のすべてが遠のいていくような描写だ。すでに物語の役割を超えて、サロメとヨカナーンの首、その超現実的な邂逅が、緊迫感をみなぎらせている。物語に引き込まれるというよりは、物語の中から2人の緊張関係がこちらへぐわっと踏み出してくるようだ。背景のもやめいた色彩、くすんだ緑、茶、えんじなどが大きな宮殿内の空気や人々を描いているが、後に描き加えられたという建物の装飾模様などの丹念な輪郭線が、不思議な神秘的な雰囲気をかもし出している。意図したかどうかわからないが、そのことにより、まるで幻が立ち上がってくる感じが出ている。二重うつしの世界 ─虚と現─のようだ。「出現」したものを見てしまったときから、現実から浮遊してしまっているような・・ある意味四次元的空間が描かれているのかもしれない。しかし、サロメは意志的なまなざしと指先で自己の存在を今ここに踏みとどめようとしているようにも見える。決然と「NON!」と叫んでいるように見える。彼女はこの後、王から踊りの褒美として男の首を手に入れるが、結局、忌むべき者として王の命により殺されてしまう。そうしたこれから起こる(まさにこれから"出現"する)、未知のことすべてに対し、強い意志を掲げているように見える。裸で、白い蓮の花を持ち・・サロメの絵には、豪奢な衣装を着てこれから王の前での踊りをはじめるためにしずしずと歩き出す構図もあるし、習作では実際衣装を翻して踊っている構図もあった。豪奢な衣装は美しく、オリエンタルな雰囲気で当時のフランスでは喜ばれたに違いない。しかし、さまざまに構図やポーズの変奏曲を重ね、結局裸で、この意志的な強いポーズに行き着いたのではないだろうか。サロメの踊りがストリップ的なものだったということもあるだろうけどでもこれまでいろんな絵を見てきて、初めて「裸」であることの強さ、をこの絵で強烈に感じた。この超現実的な現象と向き合っているサロメは、彼女自身が盾であり、剣であったのではないだろうか。これはサロメであって、サロメを超えている、と思った。その意志こそが私たちの前に「出現」した作品だ。そのことに、心打たれた。ああ、離れがたい作品だった。そのうちぜひパリのモロー美術館へ行ってみたいものだ。彼のアトリエ兼自宅にところ狭しと作品が飾られ、きっと濃密な時間の流れる、ひとつの小宇宙のようだろうな・・・帰りは近くの店によっていつものあたたかいチャイを飲み、渋谷の街並みを眺めながら、ぼーっとモローの世界に浸った。ここは小さい間口だけどオープンカフェになっていて、これくらいの季節だとほどよく涼しく心地よいし、壁などが適度に古びたいい感じになっていて、アメリカン・レトロなカラーリングや装飾がうるさすぎない程度で、いい。とてもいい夜だった。そういえば、先日名古屋で「ボストン美術館展」を見たとき、ミュージアムショップで美術の手引書を2冊購入した。オールカラーで平易で、図説やイラストもたくさん、読みやすい。かなりくだけた雰囲気なので、眺めて楽しい入門書を手元に置きたい方におすすめです♪視覚デザイン研究所 編「巨匠に教わる絵画の見かた」↑こっちのほうが画家別の目次になっていて、より平易な入りやすい本。知ってる人には物足りないかもしれないけど・・私にとっては、ある画家に対し、同時代または後世の画家がどんな感想や評価を持っていたかが、イラストで描かれていてそれを読むのが楽しかった!しかし、入門書とは言え、私の好きなホイッスラーが取り上げられてない・・・ホイッスラーを切るなんて!ラファエロ前派もばっさり抜けてるし・・・視覚デザイン研究所 編「名画に教わる名画の見かた」↑こちらは「自画像」「アトリエ」「説明」「構成」「オマージュ」などテーマや手法を切り口に、絵画の進化に沿って繰り広げられているので絵画そのもの、芸術そのものがどこへ向かうのかそれを探る旅に出かけるような感覚が楽しいし、興味深い。
2005.09.23
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明日は秋分の日。でも仕事です~いつもよりゆっくりめの出勤だけど。そういう祝日を利用して、仕事前か、仕事後に美術展を見に行ったり新宿をぶらぶら買い物したりします。平日はできないことだし、完全休みの日は、遠出するのがおっくうになってしまって・・・明日はどうしようかな~。
2005.09.22
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おとといは江国香織「ホリー・ガーデン」を読み、昨日は村上春樹「風の歌を聴け」を読み終え、今日は宮部みゆきの「R・P・G」を読んでいる。また読書の時期なのかなあ。私はその差が激しい。読まないときはぜんぜん読まないし、読むときは、一気に読むから生活の中でひどく疲れる。通勤、休憩、自宅での時間がほとんどすべて読書に集中して差し向けられるから。頭も目も休まらない。あんまり本を読みすぎると早死にするかも・・と言ってもこの3日間で読んでいる本はみな平易で先日の「存在の耐えられない軽さ」などに比べればちっとも苦ではない。江国香織さんの本は友人の影響で読み始め、7~8冊目くらいになるかな?大ファンというまでは行かないけれどこの人の作品は、いつも「今」が痛いくらいに鋭敏に描かれていると感じる。明日や未来は感じない。過去にとらわれている人物は出てくるけれどそれでも、過去を内包する切実な「今」という感じがする。生は、「今」という針のむしろの上にいるようなものだと思わされる。村上春樹は「ノルウェイの森」には興味があったけど、まだ読んでない。「1973年のピンボール」と「スプートニクの恋人」をだいぶ前に読んで、特に「1973年のピンボール」はなんじゃこりゃ??とちっとも良さがわからなかった。男性のほうが共感するのかなあ。しかし今回「風の歌を聴け」を読んで少し興味がわいた。彼の作品に出てくる無気力っぽい、でも女にもてる、「つまり、そういうことだ」といつもまとめてしまうような男性主人公が、あいかわらずあまり好きではないけれどでも彼の小説の中には哲学の糸が通じているのを初めて感じた。何だろう?それを手繰るために、またいろいろ読んでみようと思った。宮部みゆきの「R・P・G」はまだ半分くらい。でも前にテレビドラマでラスト付近だけ知らずに見てしまったので面白さもわくわくさも半減していると思う(T.T)ミステリーはラストを先に見てしまってはいけませんね~。宮部みゆきもいろいろ読んだ。一番好きなのは「火車」。何度読み返しても興味深い。ラストなどは、まるでオーケストラの息長い調べがバックに流れている、スローモーションの映画の一場面を見ているような鮮やかさだ。こんな見事なラストシーンの小説は他にちょっと思いつかない。「模倣犯」も面白いし圧倒されるが、ちょっと長すぎる・・(^^;)しかし、その細やかな筆力には、いつも感嘆してしまう。下巻冒頭のカズとヒロミのからみから事故までの部分が一番好き。読書の秋・・読んでみたい本はいろいろあるけど、とりあえず「R・P・G」の後半を少しでもわくわくしながら読みまーす。江国香織「ホリー・ガーデン」村上春樹「風の歌を聴け」村上春樹「ノルウェイの森(上)」村上春樹「ノルウェイの森(下)」村上春樹「1973年のピンボール」村上春樹「スプートニクの恋人」宮部みゆき「火車」宮部みゆき「R.P.G.」宮部みゆき「模倣犯(上)」宮部みゆき「模倣犯(下)」
2005.09.21
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名古屋の友人の家へ遊びに行ってきました。いよいよ万博も大詰め、東京はすでに秋の雰囲気なのに、名古屋は真夏のようにアツく燃えてましたよ~。この日、初めての入場制限があったほど万博は超人気、街はどこへ行ってもモリゾーとキッコロ!また、この春東京を沸かせていた「ゴッホ展」が名古屋を巡回中だし、道路や駅前が改装され、地下鉄やリニモなど新しくいろいろできてて、ものすごく活気にみちてました!その中で万博にあわせた特別展にしてはいまいちぱっとしないのか、割とすいていた名古屋ボストン美術館での「ボストン美術館の巨匠たち」展。すいてて嬉しいんだけど、ちょっとなあ・・私は一時期名古屋近郊に住んでいたこともあり、名古屋ボストン美術館はけっこうお気に入りの場所。(名古屋や愛知県というのは、なかなか雰囲気のいい美術館が多いと思う。)今回の「ボストン美術館の巨匠たち」展はアメリカのボストン美術館の作品の中でも「人間の姿」に焦点をあて企画されていて、目玉はなんと言ってもルノワールの「ブージヴァルのダンス」・・・私もとっても楽しみにしてたのだが、悔しいことに、思ったほど感動できなかった。パリのオルセー美術館で見た「田舎のダンス」や「ムーラン・ドゥ・ラ・ギャレットの舞踏場」などはそれまでルノワールをそんなに好きでもなかった私の目のうろこをぼろぼろっと落としてくれるほどの衝撃があった。同じダンスシリーズである「田舎のダンス」は頬はばら色、背景の緑は萌え、色彩が踊り出でてくるようだった。ところが、今回見た「ブージヴァルのダンス」はそうした色彩の躍動が感じられずに、内心焦った(^^;)思うに・・・ヨーロッパと日本の湿度の違いではないかと・・・(あるいは照明の方法?)ルノアールは日本で見ると案外感動しにくい。オルセーではあんなにきれいなのになー。もちろん湿度などは調節しているはずだが、それにしてもやはり違いは多少出てくると思う。海外へ行くと、空の色や地平線の見え方も違うもんな~。でも色彩はおいといて、そこに描かれている男女の微妙な関係、内面などを想像して楽しんだ。一緒に見に行った友人と「この2人は恋人だと思う~?」という話になって、2人とも「違うよね~」と結論づけた。男のほうは帽子に目が隠れているが、どう見ても女性への情熱があふれている。女性のほうは、男性にしっかり身を寄せつつも、目線はそらしている。女性の左手薬指には結婚指輪が光っている。しかしこの2人が夫婦であるようにはあまり見えない。(まあ、絵のモデルなんだから・・・そうだよね・・)軽やかな音楽と踊りのざわめきの中で、ほんの一瞬かわされる男のささやき、女の思わせぶり、ふわりとつれなくゆれるドレスのすそ、2人をどこかで見ているかもしれない夫の視線・・・(後ろの山高帽の男が夫みたいに見える~)ルノワールは特にドラマなどは描かず、ただただ幸福感を描き続けた画家であるが、事実、これまでルノワールの絵でドラマ性を感じるものは1つもなかったがこの絵には他の絵にない相反した心理的な描写を勝手に読み取ってしまう。いつもながら、うがちすぎな見方でごめんなさい・・ルノワールはまたぜひオルセーなどで見たいな。同じ展示室にあったやはり縦長のキャンバスに男女の図、ココシュカの絵(パンフを名古屋に忘れてきてしまった(>_
2005.09.18
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いつもながら金曜日はジムでバレエのレッスン。今日は珍しく、最後にかなり難しいパ(ステップ)をやった。みんな必死すぎて、ばたばたしててなんだか可笑しい。って私もちっとも笑ってる場合じゃないんだけどね。ここ何日か、食が細くてあまり食べられなかったせいか、1週間の疲れが出たのか、バーの途中からぼーっとなってしまって、時間の感覚もヘンだったし、集中力も弱くなってしまった。だから最後の難しいパはぼろぼろだった。心残りだったのでレッスン終わってから少し練習した。それから、先生にどうしても質問したくて先生が片付けをしてスタジオから出てくるのを待ち構えて質問した。背中の反らせ方と、シャンジュマン(ジャンプの一種)のコツについて。すると、背中や腹部のストレッチ不足とバーレッスンでの足や背筋の鍛錬不足を指摘された。それらを普段から意識してストレッチしたりレッスンしたりしないと結局は体を痛める、と。最近だいぶ背筋・腹筋、ももの筋肉など使えるようになってきて喜んでいたけれど、そう指摘されると多少がびーんとくる・・・でも他のことを少しずつ克服して、やっと次の課題にきたのだからこれでいいんだ、と思いなおした。それにしても・・先生に腕や背中をひっぱっていただいたら本当はものすごく遠くへ伸ばす感覚なんだ~!びっくり。これに比べると私は、背中を反らすとき、ちっとも伸びてなかったと実感してしまった。ここ1年くらいは体の軸やポードブラ(腕の動き)に重点を置いてきたからこれからしばらくは背中、足裏をテーマにしてみようかな。先日鍼のY先生に指摘されたあごの使い方も気になるな・・バレエでの鍛錬は、底なし沼のようだ。でも踊ることも喜びなら、鍛錬すること自体も喜びだ。だから次回は、もう少し体の状態をよくしてぴしっ!とやりたいな。
2005.09.16
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このブログで初期のころから交流させてもらってますデザイナーのコヨーテさんにお会いしました!バーチャルからリアルになると不安もあるけど、わくわくもしますね♪1年半交流があった中で、ときどき私がくらーく後ろ向きになってたときにいつも励まし、あたたかい言葉を書き込んでくれてて嬉しかったから会ったときは、お礼を言うぞ~って思ってたのにすっかり忘れちゃいました。すいません。すごく楽しかったから忘れちゃったんです。本当です。絵のこと、仕事のこと、映画、音楽、趣味などいろんな話をしてとっても刺激を受けました。うーむ、コヨーテさんはやっぱりプロだな~、それに、自分の心の棲み処みたいなもの、そのセンスを力むことなく貫いているのを感じました。さすがデザイナーさんだ。なんだか自分の甘さやいいかげんさをひしひし感じてしまった・・ちょっと見習わないと・・絵の話をしてて、先日ブログでも絵を描くことについてあれこれ書いたけど、また考えさせられた。今描きたいものがない、と書いたけど嘘だった。描きたい絵本はラフがいくつかできてて、ただ数年前に封印してしまったのだ。もちろん絵を描くことの大変さから、描いてないというのもあるけどそれだけでなくて、その絵本を描くことによって、克服すること、メッセージを発すること、態度を表明すること、そのことの困難、つらさがあって数年前封印してしまった。また、私は本質的に絵描きじゃないように感じているが、私にとって、絵は絵だけでなりたたないからだろうな。絵だけでは力がなくて、言葉とどうしてもからんでイメージされて出てくる。絵を描くコヨーテさんと話して、より浮き彫りになったように感じた。自分の中のイメージに形を与え、命を吹き込めるのは自分しかいないわけだから本当にそれを生まれさせようと思ったらどんなに稚拙でも、どんなに自分や人が傷つこうとその作業をしなければならない。大げさに言えば、心の血で絵を描かなければならない。まあ、そこまで影響力のあるものでもないけれど自分の意識の問題として・・・そんなことを改めて気づかされた。まあ、こんな↑重いことばかり考えていたわけでもなくてコヨーテさんも小気味いいかわいい絵を描くから自分もまた描いて形にして、人に見てもらったらやっぱり嬉しいし楽しいよね、とちょっと気軽に思えた。充実したいい時間を過ごしたなあ。コヨーテさんに感謝です。また遊んでやってくださいね♪
2005.09.14
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今日、書画の教室へ向かいながら去年の夏に始めたから、もう1年経つんだなあとしみじみ。今後、自分がどうするんだろう、どこへ向かうんだろう、と絵や書画に関しては模索中であるがとにかく今は続けている。いつものように、家で練習したものを先生に添削していただき、墨をすり、今日のお手本を見ながら練習する。まずは太筆で楷書、次に少し崩し遊び心の入ったもの、それから細筆で、秋の七草を書いた草書っぽいもの。最後に今日の作品づくりで、今日は葡萄の字と絵を組み合わせたものだった。いつも楷書はうまくいかない。抑制がきかず、字が大きすぎて半紙におさまりきらない。自由な情感の流れは大事だけど、抑制が効かないと美しくない。これはダンスも一緒だなあ。遊び心の入ったものや最後の作品になると、先生との感性の違いが出てしまうのでぱしっとはまるとほめられるが、今日はいまいちだった。自分の好き嫌いも出てしまうし・・・その辺が、難しい。細筆での草書は「力が抜けていていい」と、ほめられて嬉しかった。ほぼ直しが入らなかった、珍しい・・・漢字と仮名のまじった秋の七草の名前をひらひらと書いていくのだが先生のラインはほんとうに美しくて、ちょっと艶っぽい。そこに感銘し、手本を見ながらも感性の流れで書いた気がする。楷書だとそうは行かなくて、いつもぎこちないばらばらな出来になってしまうのだが・・・そういえば、細筆の草書は「字」を書いてる意識があまりなかった。ラインの流れを描いている。楷書は、手本を見ながら形をまねしている感じ。ダンスだったら、ひとつひとつ振りを追ってポーズをまねして踊るのと手本は見ても、自分の中でひとつの流れやリズムを感じてそれを踊るような、そんな違いかな?決してうまくはなくても、流れになってるとそれなりに良さとか美しさとか心地よさがあらわれるのかもしれない。そういえば、年末に大量の宿題が出て「ひーーっ!」となりながらも細筆で必死で書いたあげくにふとうまく書けたときに感じたことがあった。「手本を見ながら、手本を捨てる」それと一緒かもしれない。初心者なのだから、手本は絶対必要に感じるが、手本にとらわれているだけでは、よく書くことはできない。よく書けるときはたいてい、手本からふと自分が浮いている感覚がある。手本を左に置きながら、手本から自由になっているような。しかし、手本の中にある美しさのエッセンスをつかまえないとよくは書けない気がする。エッセンスをつかまえたときに自由になれるのか、自由になったときにエッセンスを出せるようになるのかわからないが、そのエッセンスを自分のラインに出せると、手本とは違っていても、先生に「いい」と言われたりする。葡萄の作品自体はあまり満足できずに終わってしまったが、また来月までに家で練習しよう。何でもそうだが、感じたこと、考えたこと、わかったことはいつでもすぐ体現できるわけじゃなく場数を踏まないと定着しない。ところで、先日姉のところに遊びに行ったときに姉に「絵は描いてるの~?」と聞かれた。姉も以前は絵を描いたりデザインをやったりしていて今は写真に夢中だ。姉や一部の友人は、私が絵が好きで「絵の人」と思っていると思う。しかし、私はほんとは絵描きじゃないな~と自覚している。絵も好きだけど、本質はちょっと違うような気がする。だからそう姉に言って「絵は、私にとって実は苦痛」ともらしたら「苦痛を乗り越えてやっていくものだよ」みたいなことを言ってたのでちょっと意外に思った。昔から姉は好きなこと、楽しいことしかやらない人だと思ってたので。一時期、イラストなどの仕事をもらっていたけど、私も、仕事だったら苦痛でもやる。仕事としてなら苦痛を乗り越えてやっていくのは当然と思う。また、本当の芸術家であれば、いわゆる「仕事」でなくても苦痛であっても、乗り越えてやっていくんだろうなあ・・・でも私は今は楽しくなければ、描きたくないなあと思う。あるいは描きたいものがない。何かがわき上がってそれが、絵や絵本の形でしか表現できない、と思うときしか絵を描かなくなっている。それは結局自己満足的な趣味でしかないからかもしれない。いや、「趣味」とまでも言えないかもしれない。それでもそこから離れないのは、やはりこだわっているのか、捨てきれない血があるのか・・絵について、今後どうするかわからないけど今は墨と筆で、ラインと格闘したり対話したりしながら模索し続けていく。
2005.09.10
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先日の御岳山での山歩きで右足が痛かったのが気になり、十月末の100km大会に備える意味でも一度鍼のY先生に見てもらおうと予約した。Y先生には、去年100kmで右足を痛めたときにもお世話になった。鍼の先生、と言っても柔道整復、整骨、理学療法、いろいろやる。ものすごく鋭いことを言ってびっくりさせられることもあればものすごくとぼけたことを言ったりもする。超マイペースというか、ちょっと不思議な雰囲気のある先生だ。見てもらったら、右脚の前と後ろの筋肉の使い方のバランスがあまりよくなくて、平坦な道を歩く分には問題ないけどアップダウンのあるところを歩くには、痛みが出るらしい。また、逆に膝下は右のほうが筋肉がしまっていて、歩くときによく働いていて、大げさに言えば左足をひきずって歩いているような形で右に負担がきているらしい。去年の100km大会で右脚がひどく痛かったし、昔は左にいつも体重をかけて「休め」のかっこうをしていたせいか、左脚のほうが太く、短いので左のほうが筋力が強いと思いこんでいたし、大きな認識違いだった。お尻とももは左のほうが発達しているから右のお尻と脚の付け根を鍛えなさいと以前先生に言われたが膝下はどうも逆らしい。Y先生とは、朝何回か道ですれ違って挨拶したことがあるけれど歩き方などよ~く見ているらしく、「いついつ歩いていたときの、あの歩き方がいいよ」「ときどき急いで歩いているけど、あの歩き方はよくないね~」とか言われるので、びっくりする。見られている・・・・・やはり大きな問題は右股関節で、(生まれたときに股関節脱臼しかかってたのが原因だと思う)それ以外は「まあまあいいんじゃない」と言いつつも歩くとき、座るときの注意と、右の膝裏を指圧することなど具体的に教わった。また、肩や首、頭部を触診してあごの使い方まで指摘された。左右のあごの使い方がかなりバランス悪く、特に左は口を開けるとき、ただ下に下がるだけであご本来の動きになってないらしい。確かにバレエでもあごが上がりがちになってしまって気にしていた。外側からいじるだけでは全然直らなかったらしくて、口の中に、手術用みたいな手袋した手を入れて、「別にいじめてるわけじゃないよー」とサボっている筋肉や縮まってしまっている筋肉をぎゅーぎゅー刺激された。イッターーーーーーーっっ!!痛くて痛くて涙が出た・・あんまり痛くて、背中が浮き、手でベッドのへりをつかんだりしてまな板の上でぴちぴちしてるサカナになった気分。でもこういうところからも、体のゆがみは出るだろうしね~。こんなことはこれまでどの整体や整形外科や鍼の先生にも指摘されたことがなかった。恐るべしY先生。今回もまたいろんな気づきをもらって、不思議時間を過ごした。今度は100km大会の一週間前にまた見てもらうことにしたので、それまで歩き方を気をつけて、筋力トレーニングもがんばろう。
2005.09.10
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このごろバレエでは、体がぴしっとしている。なぜだ?うれし~~。6~8月半ばまで体調を崩してばかりであまり続けてレッスンできてなかったのに・・筋トレの効果は少し前から部分的に感じてはいたが、よりレッスンに結びついてバランスよく生かされてきたのかもしれない。バーレッスンでの基本の動きがだいぶやりやすくなってる。多少は軸がしっかりしてきたのかな?と言っても、パンシェ(片脚を後ろに上げさらに上体を前傾させる動き)などはやっぱり大の苦手で脚も上がらないし、重心のバランスを取るのもなかなかうまくできない。鏡に映る姿は我ながらなんじゃこりゃ、って感じ。アダジオ(ゆったりした振り付け)では曲がサン・サーンスの「白鳥」だったので「ちょっと白鳥をやりましょうね♪」と先生は言って振りの中に白鳥の腕の動きを入れ、最後にオデットのソロのラストのポーズを入れた。それは後ろのアチチュード(片脚を後ろに上げ、膝を曲げるポーズ)をしながらつま先立ち、さらに上体を後ろに反らすポーズでこんな写真や公演でしか見たことない難しいポーズを実際レッスンでやるのは初めて。興奮して楽しくやれたが、なんともさまにならない白鳥になってしまった(>_
2005.09.09
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今日は、同じ振り付け3回目なせいか、振りが体に入り、少し力を抜いてリズムに耳を傾けて流れるように踊ることができた。楽しかった!でもHIPHOPはあんまり流れちゃいけないなあ。そのへんのメリハリがまだまだできてない・・インストラクターと一緒に踊ると体の切れがまったく違っているし。でもいつもは振付についていくのが精一杯で今日は久しぶりに「踊る」ことを楽しめたのがとても嬉しかった。公演やライブなどからしばらく離れているので、そろそろ1曲をみっちり自分のものにして踊りこみたいなあ。
2005.09.07
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本日はジムでジャズファンクのレッスン。昨日いっぱい歩いたので右足に軽く痛みがあり、気をつけながらゆっくりのばした。実際踊ってるときは、ほぐれてかえって痛みが消えてしまった。先週のレッスンは千葉へ行った疲れが出たせいか、あまりよく踊れなかったけど今日はのびのびやれたので気分がいい。振付は月が変わったのでまた新しい振りに入った。一応の振りはついていけるけどどう見てもブラックのノリというか、体の使い方がなってなくて、かっこわるい~。多分、単純にステップ踏むときはある程度できても振付に入ると、ダウンやアップのリズムが体に、呼吸するようにぴったりとは入っていないんだろうな。でも振りを覚えると、余裕が出て後からリズムが取れるようになるときもあれば先にリズムに慣れて、リズムにのることでできなかった振りが急にできるようになるときもある。体に関してはとっても不器用というか本来運動音痴っぽい私なので、しつこく、でものんびりやっていこう。痛みのあった右足を中心に、じっくり指圧&ストレッチをし、マシンで筋トレを軽くして、今日のメニューは終了~。
2005.09.05
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昨年参加した100km歩くイベントが、今年もまた10月末にある。今年も申し込み直前まで腰がひけていたけど申し込んでしまうと、開き直った。よし、ちょっとずつ練習しよう!で、友人に話したら「こんなのがあるよ~」と駅に出回っているウォーキングマップを見せてくれ、その友人も歩くの好きだし、ダイエット中だし急遽、一緒に御岳山に出かけることにした。朝7時半から、おにぎりもって電車にゆられ、青梅方面へ。電車には同じようなハイキング客がけっこういる。もっと本格的に山歩きのかっこうの人も多い。山を歩く人は案外多いんだなあ。知らなかった世界。こんなの初めて。マップにはいくつか参考コースがのっていたけど、いきなり10kmとかばてるかもしれないから、短めの6kmのコースを選んだ。御岳駅からバスにのり、ケーブルカーで一気に山をのぼる。山の上は空気が違う!すがすがしくてほんとに気持ちいい!普段ものすごく空気の悪いところに勤めてるけどそれにしてもこんなに違うのかとあらためてびっくり。ケーブルカー降りたところでさっそく休んでいるおじさんたちもいたけど地図を見ながらさっさと歩き始めた。が、山頂付近にある御岳神社の手前の坂道でかなりへばってしまい、おみやげやさんでひと休み・・みそおでんを注文し、持って行ったおにぎりをひろげて食べた。御岳神社の250段の階段をのぼってお参りし、そのあとは本格的に山や沢べりを歩いた。曇っていたせいもあり、山は涼しくて歩くには心地いい気候。沢の水はとってもきれいで、すくってのどをうるおした。大きな石についた緑の苔が美しい。木の根っこがうねうね地上に出て階段をなしているところがあったり断崖絶壁があったり、木々を押しつぶしている巨大な岩があったり滝があったり、なかなか変化に富んだコースだった。たった6kmとは言え、アップダウンがあり、すべりやすい沢の石があり、少々の休憩をはさみ約3時間のコースで、最後は右足首と右ひざに痛みが出てきた。昨年の100km大会でも、右足がだめになった。鍼の先生にも「右足を鍛えなさい」と言われたけれどやっぱり右足のほうが筋力が弱い。来月末の100km大会までに、対策を講じないと、と改めて痛感した。帰りはどっぷり疲れ、下りのケーブルカーではたった6分の乗車時間なのに、友人はうとうとほんとに寝てた。私も電車でごうごう寝て帰ってきた。疲れたけど、とっても健康的な疲れだなあ。空気はいいし、木がいっぱいあるし(私、木が好きなんで・・)山歩きはいいもんだなあ。次はあまり険しくないコースがいいな、あと、ゴールに温泉のあるコースものっててそれが一番魅力的♪無理のないよう、でも少しずつ鍛えるためにもまた山に来よう。
2005.09.04
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