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わすが11日間で漫画が出来上がった。46ページ。タイトルは「私はあきらめない」。お陰で身体がボロボロ。今の顔はとても他人には見せられない。身体が全体筋肉痛。集英社の担当さんに送って拝見して頂いたあと集英社YOUの春季 YOU大賞に応募する。MIKIMIKIMIKIは2年前の2004年度のYOUの春季大賞の期待賞だった。今度は別の雑誌の大賞先へ応募する形になる。今度は少年漫画になるかもしれません。MIKIMIKIMIKIのペンタッチはどちらかというと力が入っているペンタッチなので少年漫画に向いてると言われてます。試しに少年漫画に応募してみたい。(まだあきらめないのね・・・MIKIMIKIMIKIは)
2006年03月31日
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「ラッキーウーマン」のネタを昨夜3時まで考えていた。今目が目が覚めたけど、頭がいたい・・・締め切りまで・・・あと31日まで・・・・11日しかないのでしばらく仕事を休んで家にひきこもることにした。持ち込みもあるけど、同時に漫画大賞にも応募するとMIKIMIKIMIKIはナミねぇと担当さんに相談の上決めた。昨日決まったばかり。二人とも応援のメールを何度か私に送ってくれた。こういう励ましは嬉しい。といっても31日まであと11日しかない。けれど、プロはこの11日で漫画40ページなら仕上げる才能はある。MIKIMIKIMIKIもこれに賭けてみます。毎日栄養ドリンクを飲みながら机に向かいます。というわけで。。。。月末まで日記おやすみしますね。
2006年03月21日
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今日、集英社のYOUの担当さんに助言を頂いた。「ずっと応援していますので、ぜひこれからも描き続けてくださいね!」そうやっていろんな雑誌社の担当さんにアドバイスをもらいながら私は「ラッキーウーマン」を違う角度、いろんな角度から見極めてからあらたに描くつもりです。ずっと描いていこうと思う。チャンスとかタイミングとかではなくて、本当に描きたいものを描いていくこそが、本当に作品は生まれてくると思う。17歳から集英社の担当さんたちといろいろぶつかり合ってきた。電話ができないから予約なしで体当たりで集英社の門をたたいたようなものだった。今思えばあの原稿の持込は唯一の私の青春だった。あきらめも絶望もあったけど、気がついたら20年目を迎えてしまった(笑)長い・・・たくさんの担当さんにMIKIMIKIMIKIは連絡をとって「ラッキーウーマン」の漫画化に向ける。確率は低いけど、まだまだ可能性は残ってる。MIKIMIKIMIKIはマンガを通じて多くのひとに心を伝えたい。それが、昔からの夢だったので頑張るよ!
2006年03月17日
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今日、息子のドラマのオーディションの結果の連絡があった。「先日は遠くまでオーディションに行っていただきましてご苦労様でした。 先方よりご連絡がいただきまして、今回は少しイメージと違うとの事でした。また何かあればお話をいただけるとのことですので、一成くんには次回オーディションに向けてまたがんばっていただきたいと思います。 よろしくお伝え下さい。」私はかなり凹んだ。レベルの高いオーディションとは言え、東京までTBSまで行って受けたオーディションだから、凹んだ。息子が帰ってきてその報告を伝えると、なぜか息子はにこにこ。「なんで明るいの?」と私が聞くと、「次があるんじゃない。今度のオーディションを頑張ればいいんだから」うう、と泣けてきそうだった。「お母ちゃんと一緒だよね」ええ?私と一緒?「ほらあ、漫画を長い間描き続けて落ちても落ちても長いこと描いてるんでしょ。お母ちゃん、全然落ち込んでないし」そうかぁ~息子はよく見てるなぁ。自分のことは平気やけど、やはり息子の結果を聞くのは凹むよね。ああ、フィギュアの荒川選手のお母さんが泣きながら倒れそうになるほど喜ぶ気持ちがわかる。親ってああいうもんよ。私は漫画のことは30年以上も持ち込みやってるから、慣れてる。メゲてないんだよね・・・・悔しい!という気持ちより、描くことが習慣になってしまったかもしれない。
2006年03月14日
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ラッキーウーマンの漫画化に向けてMIKIMIKIMIKIは担当さんと打ち合わせしながら、これまでお世話になった集英社の担当さんに「ラッキーウーマン」の作品のコピーをどんどん見せていくことにした。「ラッキーウーマン」の内容は母親が障害児を育てていく様子も描かれてるけど、MIKIMIKIMIKIが何故これに力を入れてるのかは、すべての母親に対しての気持ちがあるからである。私は生まれつき原因不明で聴覚に障害を持ったが、それに対して母は何度も心中を図った。私の父は遠洋漁業の船長で家にいないし、母の親は早死して近くにいなかった。最愛の弟が海の事故で突然亡くなったとき、私は母のおなかの中にいた。母は身重の身体で多くのショックを受けながらも生きていった。その絶望の中、母は私をどんな気持ちで育てていったのだろう。その母の気持ちも漫画で語りたい。母は周りから「鬼」と言われるほど、私に対して厳しかった。私に"友愛"というカード(障害者手帳)を首にかけてひとりで町を歩かせていた。毎日私は白い目で見られていた。でもそれに私もなれてしまった。胸にはイチゴ柄のブラジャーみたいな大きな補聴器をふたつはめられていたので子供たちからは「ロボットみたい」「耳坊」「アメリカからきたの?」といわれても私は????していた。(なぜか幸せな子でした)昔の食卓はそれほど楽しくなかった。おかずの名前を全部いえないと食べさせてくれなかった。やっといえた、と思ったとき口にした食べ物は冷たかった。私にとって言葉をうまく言わないと生きていけないものだった。私が言葉をひとつ言えるようになるたび、母は少女のように喜ぶ。どんなに悪い言葉でもだ。「くそばばぁ!」と言うと怒るどころか、「え!もう一度いってみて!」と喜ぶので私はこれ以上いえなかったエピソードもある。母に甘えたいと思っても甘えると「あんたはひとりで生きていけない!」と母は私を突き放す。反抗期に入った私は家出を繰り返した。その母から離れた私はどれほど解放的になったことか。しかし、私はなぜか母と離れたとたん複雑だった。離れて嬉しい気持ちと、離れてむなしい気持ち。母は私を抱きしめてくれなかったけど、母は私を誰よりも思っていたことがよくわかっていたからだ。私から母に親孝行らしいものは何もしてない。いつかラッキーウーマンの中で母を語ることができたら母の生き方をつづってみたい。母の生き方を伝えることで世の中の障害児の母を励ますことができたら嬉しい。私を自立させることが母のせめての私への想いだったのだ。
2006年03月14日
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昔、私の家にはイルカが泳いでいるような(3匹だったと思う)三角のタイルの風呂があった。今思えばレトロ的な風呂だったかもしれない。風呂に潜ればイルカの泳いでいるような絵が底にあった。とても深くて、座るのではなく立っていたんだと思う。今、この風呂は見たことないかもね。このお気に入りの風呂はシロアリに食われてしまった。そしてこの風呂はステンレスのひまわりの風呂に変わってしまった。私はこのひまわりの風呂が嫌だと母にぶつけたのは覚えてる。昔の思い出である。庭には鯉がおよぐ池があった。亀もいたな。。。動物もたくさん住んでた。おうむ、りす、ハムスター、マルチーズ、うさぎ。。。。鯉がいる池。それも母が掃除が面倒臭いという理由でなくなった。あとは。。。窓がない私の部屋。最初は窓があったけど、台風で窓が割れてしまって2階の部屋が飛んでしまったため、私の部屋は窓なしの部屋になってしまった。私は暗い部屋で暮らしてたけど性格は明るい性格に育ってました・・・あとは大好きだった人形が日増しに髪が伸びるので怖くて本棚の引き出しにしまって10年その引き出しを開けることがなく、その本棚を捨てた。それも私の苦い思い出である・・・・あとは急な階段。15歳の私はからだを壊して夜中に薬を多量飲んだためのどが渇いて下に下りようとして、転落。意識を失ってしまったため救急車に運ばれてしまった。意識が戻らなくて電気ショックを打たれた。そして意識が戻ったのである。電気ショックを3回受けた翌日の朝はなぜか胸が痛かった。この急な階段も私にとって苦い思い出。
2006年03月10日
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私は高齢者・福祉世帯向けの府営住宅に住んで7年目になる。37年築。大阪万博が開催されたとき作られた千里ニュータウンのモデルだ。私は4DKの広い府営住宅を借りてのびの~びと(息子と二人で)暮らしてた。しかし・・・・あちこち傷んでいくのだ。トイレの天井が落ちてきそう、台所の床は腐って取れそうな気配。この前もテレビを見て「ガハハ」とわらってたら壁が落ちてきた。それは釘なしだったので壁を元にもどして「ゴン!」とたたけば戻る。家賃を払ってるんだから、修理してもらおう!と住宅センターに連絡して今日きてもらった。トイレは便器はぐらぐらするわ、天井の板ははがれるし、「ああ、ひどいわ」と修理の兄ちゃんもぼやいてた。「とにかく今日は便器を直しておきますので明日はベニヤ板を持って天井をふさいでおけば大丈夫でしょう」「あ、台所の板も腐ってるんです。洗い場に立つのが怖いですねん」と私は床を指差した。ところが。。。兄ちゃんは床をチェックしたあと「あ、これは大丈夫ですよ。下にもう一枚の板があるのでこれは放っといても大丈夫です」「!!!!!!!!!」私は目を丸くした。「あのぉ。。。この家はあと何年持つでしょうね」兄ちゃんは「う~ん、早くてもあと3年じゃないの?」この言葉で明らかにうちの住宅も建て替えの予定があると確定。やだ!!やだ!!ここを出たくない!ここの団地の右の団地も左の団地も建て替えのため、みんな出て行った。何故、ここだけ残されてるのか???高齢者がたくさん住んでるから最後になるだろう。やだ!ここを立て替えとかいうけど大阪府は赤字を埋めるためにウソついてみんなを追い出して企業に売って分譲マンションを建ててるんだもん!駅から15分以内にあって便利やし、土地は高い。大阪府の赤字を埋めるために、私を追い出すなぁ~ここを追い出されたら私どこに行けばいいのぉ?今から老後のための住むところを計画しよう・・
2006年03月09日
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3月4日のことだった。所属してるリトルキャット(息子が通ってる歌とダンスの専門学校)から推薦を受けてTBSに行った。台本を渡され、息子はブツブツと暗記。「ねぇねぇせっかくだから写真撮ろうよ」と私が言うと、「あっちへ行って」と息子に言われてしまった・・・。しくしく。「ウルトラマンだよ!テレビでよく見かけるやん!」という私はまるで子供だった。きゃーきゃー♪写真の下にいる赤い服を着てるのは息子。隣は同じリトルキャットでダンスと歌を習っているお友達。1時間で息子は台詞7枚を暗記して、オーディションに向かった。オーディションを少し覗くと、母親役、父親役、監督、助監督、・・・らしい人が7人くらい並んでた。台本をちょっとだけ見せてもらうと、「なんじゃ?????」よく見ると内容はすごいものだった。教育ママが子育てに頑張りすぎて、ノイローゼになり、虐待する内容だった。つまり虐待される息子の役だった。裸にされるシーンもあるし・・・・父親に訴えても父親は「気のせいだよ」と気づかない。これ、現代らしいドラマやな、と思いつつも私が思ったのは「この役は半端じゃない。遊びじゃない。泣いてもおかしくない。」合格してもこれは大変な仕事やな・・・・30人位の男の子の中から2人選ばれる内容になってるのでかなりレベルが高い。どうなるんやねん???と思った私だが、息子は落とされても積極的に数々のオーディションを受ける。去年も角川映画の子役のオーディションの誘いがあったけど、息子は断った。しかし、11歳になってから息子は積極的に「受けるわ」というようになった。今年もたくさんオーディションを受ける気なので、息子の頑張りに私は何もできないけど、応援しますね。来週の日曜もCATで特待生のオーディション。特待生は学費が半額になるので私としては嬉しいが。。。。特待生もレベルが高く、多くの生徒から4~5人くらい選ばれて特待生になる。頑張れ!息子。息子は今「遥かなる甲子園」の漫画にはまっている。今日、図書館に行ってみたら隣の図書館にあるみたいなので取り寄せてもらうことになった。あさって息子に取りに行かせる。「遥かなる甲子園」の次は「歌のオーケストラ」を読ませたいなぁ。少女漫画は読まないといわれたけど、少年漫画なら読んでくれるので山本おさむのまんがなら読ませよう!しかし、漫画を読むのに黙ってくれない。台詞を読んで一人芝居してるのだ。。。。しかも繰り返して。録画した「ミュージカルステーション」も繰り返して見て歌って踊る。「笑いの金メダル」も録画してボケと突っ込みも一人でやってる・・・・今、やってるのは「西遊記」このドラマも録画して、台詞を全部暗記してる。この台詞を覚えてどうするねん???遠くから見ると変わった息子だなぁ、とつくづく思う。
2006年03月08日
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鹿児島から兄貴からよくメールが(私は大阪)来るようになった。兄貴が18年勤めていたマグロカツオ漁業組合が倒産。兄貴は3月31日で辞めることになった。私は兄貴のこれからのことを心配してると、「仕事が決まった」すぐ仕事が決まるもんで????と思った。聞いてみたら、なんと、父が死ぬまで働いていた濱田漁業組合。父はそこの遠洋まぐろの船長だった。そこには多くの私の親戚が亡くなった。おじも3人なくなっている。おまけに父も亡くなった。マグロカツオ漁業組合も関係ある会社だが、10年前から社長から声かけてきてたらしい。社長とは子供の頃から顔見知りである。兄弟のように育ってきた記憶はある。確かに昔、私が5歳の頃、船が完成したときテープカットを見たとき高校生の社長、6歳の兄貴がテープにはさみを入れていた。お祭りのような雰囲気の中で私はいろいろ旗や飾った華やかな船がたくさん港から出発するのを見ながら走っていったのを覚えている。村は同時、日本一のマグロの水揚げ量のトップの港だった。私はそこの港で生まれた。ここは海の男の世界で、女からはまったくの無縁な世界。亡き父はこの港の祭りで踊った母に一目ぼれしてすぐ、社長に使いを出して求婚の申し込みをしたらしい。兄はやはり、亡き社長(社長の父)と亡き父と縁があるようで、これからも社長のパートナーとして世界を回るのだろう。オーストラリア、南アフリカ共和国、大西洋あたりの国にいくこともあるだろうね。事務だと思うけど、英語がしゃべれるし・・・。それだけはすごい羨ましいMIKIMIKIMIKIです。本人いわく、外国で暮らした経験があるのでやはり日本が一番といってます。天国にいるお父さん、兄貴を見守ってやってくださいね!
2006年03月02日
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LITTLECATより急なオーディションがあって、急に東京に行くことになった。TBS(大阪は4CH)で昼1:00~放送されているドラマシリーズ「花王愛の劇場」というものをご存知?5/22~OAされる分の出演者(男の子)募集があり、オーディションを受けに来ていただきたいとの連絡が入った。ただしオーディションは3/4(土)東京で行われるので仕事を休んでいくことに。でも合格するまで交通費は実費。。。。。もちろん日帰りの新幹線で行く。のぞみで。私は息子に聞いた。「行きたい?」「うん。」「受けたい?」「受けたい」多分応募者は多いだろうから、無理だと思うけれど。。。息子が頑張りたいなら私もついて行こう。今度こそ漫画の件で東京に行こうとしていたが。。。息子の件で行くことになった。時間がないので担当さんと会えないだろうから、またいくつもりで。お金はかかるが、東京と大阪は近いからね。ちなみに家は新大阪までは30分くらいのところにある。
2006年03月01日
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