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私は漫画を描くようになったのは母の手作りのカードがきっかけだった。母はただ、私に言葉を覚えてほしいばかりに絵を描いてそのとなりにその絵の名前を書いて私に見せた。2歳の私はその絵のカードにとても興味を持ち、母のように絵を描きたいと自分も画用紙を引っ張って絵を描いてばかりしました。小学生になってもまだ片言しか話せなくて、お友達の欲しさにお姫様の絵を描いてあげるのが私のコミュニケーションのひとつでした。つまり私の漫画は手作りの絵カード→手作りの絵本→手作りの漫画とたどり着きました。もしかしたら私は耳がきこえなかったら、言葉が話せなかったら、漫画は描いてないかもしれない。ごく普通の鹿児島県の奥様になってたかもしれない(笑)う~ん、生まれ変わっても耳がきこえない人になりたいやね。それだけははっきりいえます!
2006年07月31日
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ここでナミねぇという存在を語るのははじめてだけど、プロップ・ステーション理事長の竹中ナミ。私は彼女に出会ってから12年になる。この12年の間、彼女はドン底から這い上がるような生き様を私に見せてくれた。まるでヤンキーな姉御だった。ナミねぇから見たあたしは野良猫みたいなものだったかもしれない。「かかってこい」みたいな迫力もあったし、「あきらめるな!」みたいなこともたくさん言われてきた。不思議なことにナミねぇの言葉には励まされていた。気がつけば私はパソコン教室で障害児たちに教えてるのもあれはナミねぇのチャレンジド精神を継いだものであり、いつか障害児が大きくなって障害に関係なく、みんなと同じように国に税金を支払って働く誇りという人間としての喜びを与えたいからだ。私から見た・・・ナミねぇは麻紀さんという娘の存在に彼女は走り続けてるのだ。時間がない。この子を残して死ねないという気持ちがよく伝わってくる。私にできることは、子供たちにチャレンジドとしてパソコンを教えていくこと。将来、成長したら社会人として働けるような技術を身につけてほしい。彼女は社会を変えようとしている。自分がこの世からいなくなっても娘が安心して生きていけるように彼女は必死なのかもしれない。そして・・・私は彼女が書いた「ラッキーウーマン」漫画化に協力してくれるスポンサーが現れるまで待つ。そういうタイミングを私は見つけたい。私は彼女から教えてくれた「チャレンジド精神」をいつまでも忘れずにいられない。障害者だから甘えて許されるものではない。障害を持つことは試練。その試練を乗り越えるこそ、自分のトロフィーみたいなものである。そのトロフィーは私の頭の中にたくさん並んでいる。「MIKIMIKIMIKI、よく頑張ったぁ」と自分に晩酌します。何を頑張ったかは忘れてしまう性質ですが、今日も頑張ったよ、みたいにMIKIMIKIMIKIは明かりをぼんやり眺めてお酒を飲むのが趣味です。
2006年07月29日
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チャレンジド・ジャパン・フォーラム2006国際会議inTOKYOが行われた東京ビッグサイト。息子も招待スタッフとして参加しました。さすがにでかい。思わずシャッターを押しました(MIKIMIKIMIKIは田舎もんで・・・?)会場前日の夕方6時からスタッフは大忙し。これは参加者らに渡す資料です。中央で息子も一緒にお手伝い。ここで会議が行われる。大きい!MIKIMIKIMIKIの主人です。プロップ・ステーションの企画担当の責任者です。ステージの隣で会場の様子を見守りながらディレクターで作成した映像を会場に写します。息子もはじめてお父ちゃんの仕事をしてる姿を拝見します。息子はスタッフと一緒に受付をお手伝い。MIKIMIKIMIKIは受付で参加者に挨拶を済ませたあと、国際会議を見守りました。障害者の走るエロス!わびすけさんです。今日も会議で見事みんなを斬って?くれました。彼のスピーチを聞くMIKIMIKIMIKIは何故かさっぱりします。国際会議が無事に終わった翌日。ひとつの仕事を終えたナミねぇを囲んでみんなでチーズ。本当にお疲れ様でした。最後に息子が行きたかった東京タワーで東京の景色を眺めたあと、月島に行ってもんじゃ焼きを食べて大阪に帰りました。バタバタの3日間でしたが、息子にとっては大きな経験でした。プロップの関係者の方々、お世話になりました、そして主人をとりまくスタッフの方々、本当にありがとうございました!MIKIMIKIMIKIより
2006年07月24日
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天気は相変わらず悪いが、明日は曇りだそうだ。 場所は東京ビッグサイト。東京のお台場から近いところにあるので、ものすごいビルがあちこち建ってたので 思わず「うわ~」と声あげそうだった。 漫画の担当さんと打ち合わせしたあと、 ミキティはひとりでゆりかもめという初めて モノレールに乗ってびっくり! フジテレビも目の前を通った。 なんか田舎から出てきたような気持ちだった。 大阪のスカイビルみたいなのがたくさん建ってるので 驚きました。 建設中のビルもたくさんあった。 これからここは日本のニューヨークになるだろうか??? ここが東京ビッグサイト。 第11回チャレンジド・ジャパン・フォーラム 国際会議in TOKYOがここで行われます。 ミキティはここで英語で対応されてしまいました。 「ノー、プリーズ」←レストランで日本人から席を譲られたとき。 「ワン?」←切符を買うとき駅の人から言われてしまった。切符の枚数のことやと思うけど・・・ ちょっとがっかり。もう少し日本語を練習しないとなぁ。
2006年07月21日
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あと30分したら東京に行きます。新幹線に乗って品川駅で主人とカズと別れて私は東京駅へ漫画の打ち合わせに行く。主人とカズは国際展示場駅の近くのワシントンホテルに向かう。カズをつれて漫画の打ち合わせをしようかと思ったけど、子供の前で過去の話を懸命に話すこともできないからつれていくことはやめました。カズはワシントンホテルでゆっくり待ってもらい、主人はワシントンホテルの近くのビッグサイトで打ち合わせ。そして私は打ち合わせが終わったらワシントンホテルに行く。夕方の6時からカズと私はビッグサイトで明日のフォーラムの準備のお手伝い。それじゃ、行ってきま~す!
2006年07月21日
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障害者の4コマ漫画依頼を断ってから数日後、4コマ漫画の依頼が入った。内容はインターネットサービスの4コマ漫画。テーマでのアウトプットを確認して3~4案のラフのデザインを提出して、それから契約するかしないか決まる。決まったら4~5本続けて連載が決まる。MIKIMIKIMIKIは東京から戻ってから26日水曜日、マミーの事務所でラフのデザインを描きます。久しぶりの4コマ漫画の仕事に頑張りたい。明日21日は東京で上ちゃん(これまで私を支えてくれた漫画の担当者)に数年ぶりに再会する。彼はやり手のプロの編集者でもあります。いつも、彼にいろんな出版の世界を教えて頂いております。「ラッキーウーマン」(竹中ナミ著漫画化について今後どの出版社に持ち込みするかを相談します。漫画の仕事は楽しいです。つらくてもやはり好きで好きでたまらないから続けられるんだと思います。
2006年07月20日
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ホームページの中で探してみたら私の漫画が公開されていた。 記憶のあるうちに公開しておこう。(忘れてしまうので) もう少し探してみないとまた漫画が出てくるかもしれない(^_^;)プロップで唯一がんばろうとしていたチャレンジド。 彼はどうしてるだろう。 彼の生き様を漫画に描いていた時期があった。 最後に見た彼が口にしてたのは 「仕事をどうやったら見つかりますか?」 あれほど必死だった彼を私は何もできなくて見守るだけだった。 それから彼とは会ってない。 どうしてるかな? と気にしてたら主人が教えてくれた。 「彼はプロップでも仕事をしているよ」 ああ、仕事をしてるんだ。最近顔を見ないからどうしてるのかと気にしてた。彼と一緒に仕事を頑張っていた日々があった。共に夢を語り合った日々もあり、同じ希望を持ちながら立ち向かった。
2006年07月19日
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衝撃だった。昨日から昔漫画を描いてたノートを探してたら高校生の頃描いてた漫画を発見。タイトルは「海・海男物語」。コメディ漫画を描いてたのだ。これは単なるストレス発散のために描いてたもの。漫画の中は男ばかりだった。(何故かおかまが目立つ)しかし、当時、カトリック制の女子高校生だった。聖書を持ち歩きながら毎日校門のところでマリア様の像に向かって「心清き者は幸いなり」と挨拶してから校門をくぐる。廊下は右側を歩く。先生(先生と呼ぶのではなく“シスター田中”と呼ぶ)が教壇に立つと起立して「心清き者は幸いなり」と全員頭を下げる。そして聖書の言葉を読み上げる。こんな学校にいたからなのか、中学校の友人は男友達が多かったからなのか、漫画に影響が出ていたかもしれない。だんだん過去の漫画を見て面白い。息子はびっくりしてた。「こんな変態を描いてたんだ」
2006年07月14日
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これは産経新聞社に載ったイラストです。平成12年6月16日産経新聞夕刊掲載のイラストです。女性という強さ。美しさをイラストに描くなら曲線で描きます。MIKIMIKIMIKIはこのような絵を描くようになったのは大学生。ずっと女たちに囲まれてきた。高校も大学も女性ばかりのカトリック制の学園だった。小学生から非行を繰り返した問題児だったMIKIMIKIMIKIがめざした高校は「鹿児島純心女子高等学校」だった。担任の先生に笑われた。「この学校がAランクならお前はDランクだ!」はっきり覚えてる。この先生の一言が私を変えてしまった。「まぁ、安藤。この学校に合格してもあの厳しい学校生活を送れるだろうか?まっ、合格しただけでも奇跡だと思わんとなぁ」「私はこの学校を卒業し、将来は考古学で土の中に眠っているお宝を掘るか、もしくはイタリアのフィレンツエの建築に眠っている壁画を修理したい」そんな私を先生たちは扱いにくかったかもしれない。中学生のMIKIMIKIMIKIは不気味な絵を描いていた。不気味なのは・・・・この古い建物ばかり描くのだった。そんなMIKIMIKIMIKIに親は将来どんな子になるだろう?と心配したのも無理もない。これは小学校6年のとき描いた建物。初公開です。息子にも主人にも誰にも公開しなかった漫画です!台詞は読まない方がいいですよ。不気味な子でしたので。はい・・・・。(ちなみにこの漫画も手作り)これが小学校6年が考えることか?ちなみに息子は小学校6年。ここまで考えないよぉ~。ああ、息子が普通に育ってくれてよかった~
2006年07月13日
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仕事の依頼があった。 プロップ・ステーションの来年度のカレンダー。 タイトルは「住みたい街」。 どんなイラストを描くか考え中。 去年のカレンダーのイラストは 「夢」。 子供たちの描いたイラストと並べるので ミキティは聴導犬を抱く少年を描きました。 イラストレーターとファイヤーワークで描きました。 ペンタッチのマウスは故障中でしたのでこれはマウスで作成。 プロップ・ステーションとは長いお付き合いになる。もう13年になる。ナミねぇにはじめて会ったとき、私はおなかの中に息子がいた。生むか、生まないか、選択を迷っていた時期だった。息子の父親は私の妊娠を喜んでくれなかった。後悔してないのは可愛い息子が生まれたお陰だからだ。今となっては「あの人に会わなければ可愛い子が生まれなかっただろう」と想っている。今はとても優しい配偶者に恵まれている。今の配偶者はプロップ・ステーションの主任だ。息子がとても小さいときからなついていた私の友人だった。プロップ・ステーションのパソコン教室の同期だった。息子が「この人なら"おやじ"とよべるかも」と言われて、一緒になることを決心。息子が認めた彼と一緒に手をつないで私は絆というものを感じた。私にとってプロップ・ステーションにできることはプロップ・ステーションを頑張る彼を支えること。今、彼はプロップ・ステーションのイベントに懸命だ。裏方の監督の仕事だ。毎日、彼は目をこすりながらも家でもパソコンでイベントの仕事に向かっている。今日も朝早く起きてパソコンに向かっていた。私にできることは彼が倒れないようにすること。以前は昼ごはんも食べない彼だったが、私と一緒になってからは私は彼に弁当を持たす。弁当を作れば食べてくれる。(まずいかもしれんが)仕事に懸命な彼の姿を私の息子にも見せてやりたいといってくれたナミねぇにも感謝する。あと少しでイベントが始まる。私は息子と会場からイベントを見守る。成功を祈りたい。
2006年07月12日
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もうすぐ夏休みになる。 今日、くるりんでパソコンの講師たちが集まって 新しい企画の話し合いをした。 本当にくるりんのパソコン講師もマミーのパソコン講師も 懸命に内容を考え合ったミーティングでした。 かつて私は耳はまったくきこえないが、聾学校には幼稚部に 入っていた。しかも私立の幼稚園と両立しながら通っていた。 小学校は西郷隆盛が創った小学校に入学。 4年まではそこの小学校以外のある小学校で難聴者クラスというところが週に1回あった。私はそこに通うのが唯一の楽しみだった。 発音の練習のための教室だったが、聾唖に理解のある先生だったので私はここがストレス発散だった。つまり“駆け込み寺”みたいなところだった。ここでは唯一、きこえない自分に戻れる。 周りは聞こえる人ばかりだったので・・・ それが5年になると教室はいけなくなった。4年までだからだ。ストレスが溜まってしまい、授業がわからなくてボーっとしてる日々、家に帰ると英語の家庭教師、算数の家庭教師が待ってた。それが終わっても母親との言葉の訓練。 子供なりにストレス発散するところがなかったのでプチ家出を繰り返してしまった。登校拒否。学校のトイレになわばりを作ってた。(今思うととんでもない子でした) あの時はみんなに申し訳なかったが、あの時の自分は自分探しみたいなところがあった。 「耳がきこえない」ことについて誰も教えてくれない。 それが一番の原因だったと思う。 それを考えるとやはり子供の話を聞いてくれる人が近くに 必要だった。 単に私はその場所を求めていただけ。 それを考えると普通の学校に通っている聴覚障害児はどうしてるだろう、と思ってる。 話を聞いてあげたり、パソコンを教えてあげたい。 そういう子がひとりいる。小学校3年の女の子だが、 とても私になついている。 可愛い。そしてその子の悩みを「うん、うん」と聞いて あげたりする。 パソコンもあっという間に上達していく。 あの頃の私が重なってしまう。 きっと障害を持つことで疑問が出てきたら 答えてあげたいと思っている。 その話をすると、くるりんのパソコン講師も一緒になって 考えてくれた。 聴覚障害児にパソコン教室にきてもらえるように これから宣伝していくつもりだ。 くるりんのスタッフはみんな聴覚障害者について いろいろ考えてくれる。 店長を含めてパソコンの講師たちは私にとってかけがえの ない仕事仲間であります。本当にありがとう!
2006年07月08日
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MAMIEのスタッフは現在11人いるが、大阪では毎日のように3人集まって仕事をしている。この3人が何故かうまくバランスがとれてるのか、仕事があっという間に広がった。4コマ漫画の依頼が入ったけど・・・、先日4コマ漫画の仕事を断ったこともあったので今回はなんとしても最後まで引き受けられるようにしたい。ネタはインターネットが中心だが、4コマ漫画5本。最後までいい交渉ができますように。これがうまくいけばMAMIEの漫画製作としてスタッフとともに頑張りたいと思っております。スタッフの一人がかつて漫画家志望だったこともあり、才能がある。(すごい画力なのに、投稿をしょうとしないとこがもったいない)これまで私の漫画のアシスタントもやりこなしてくれた私のパートナー。通称は“紫の君”。今はMAMIEのサブリーダーとして毎日頑張ってくれてる。彼女の頑張りがなければ私も頑張ってこなかったと思う。喧嘩に近いほど衝突することもあるが、ある意味でお互いの気持ちをぶつけ、分かり合えることができる。そういう意味で、長年信頼している。もうひとりのサブリーダーの“いっちゃん”は大ボケだが、真面目なときは真面目にやってくれる。時には雰囲気を和らげるごまかしが彼女の特技だ。社交的で、なんでも挑戦する。自分のやりたいことをとことんやってくれる。いっちゃんは私が22歳のとき、何故か?私のルームメイト(現在、オーストラリア在住)と仲がよかったのか、毎週休みになれば赤いヘルメットをかぶって黄色いバイクに乗ってやってくるのだ。このときはまさか、この年になっても一緒に働いてるとは思わなかったなぁ~。やがて、彼女は私の親友(男友達)と結婚してしまった。水臭かったなぁ。二人とも私にいろいろ言われるのが嫌なのか?こっそり?付き合って、ギリギリのとこで私に告白。普通なら「付き合っている」なのに、いきなり「結婚しようと思っている」だった。めっちゃ、親友(男友達)は私に告白するのに、わざわざみんなのいるところで目をそらしながら言うのだった。よほど私が怖かったのか・・・?(卑弥呼だから?)「相手は誰や」というと「いっちゃん」。「はぁ?いっちゃんは毎週うちにきてんねん。」と親友に言うと、「美紀ちゃんにはいっちゃんから聞いてると思うてたわ、でも美紀ちゃん、何も言ってくれないし・・・」私も鈍感だったので気がつかないのも変だった。(この状態が1年も続いた)そういう縁でここまで15年たってしまった。縁というものは不思議なものである。(追加・・・“紫の君”は12年の付き合いである)
2006年07月07日
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まだ2日目ですので事務所はまだ作業中。2004年8月1日、MAMIEは聴覚障害者ママを応援するために設立。それから早くも2周年になろうとしてる。多くの人々の協力でMAMIEは新大阪(大阪市淀川区)に事務所を置くことができるようになりました。西中島南方駅から徒歩1分という快適なところを知人の紹介で見つけることができた。ここでMAMIEスタッフと共に力を合わせて聴覚障害者の仕事を繰り広げていくことになりました。ここでお客様を迎えます。ここでMAMIEの中心でもある3人のリーダーの打ち合わせをしながら、次々と仕事を進行させたいと思います。リーダーたちが打ち合わせする丸いテーブル。業種は委託販売、風水画製作、HP製作、パソコン教室。パソコンを武器にした、MAMIE。子供のためのプレイルーム。ご協力いただいた方々にここを借りてお礼を申し上げます。皆様のあたたかい見守りの中、MAMIEはここまで続けられることができました。みんなで頑張って作った棚。
2006年07月04日
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漫画の仕事を断った・・・ ミキティはある漫画の仕事を断ってかなり凹んでます。 断った理由はある仕事で障害者をネタに4コマ漫画を 描いてほしいと言われて、 「障害者をネタに4コマ漫画に描く???」 今までそんなことは描いたことはない。 障害者をネタにして描くのは非常に難しい。 4コマ漫画は基本的に笑うためにある。 障害者をネタに描くなら苦情やクレームが出ても おかしくはない。 「なぜ?4コマ漫画なのに、障害者をネタに?」 コミックエッセイなら描けるかもしれないけど 「相手の希望の作品にイメージが沸かない」 「漫画を描くなら納得できるような漫画を描きたいが、 イメージが沸かないので他の方に頼んでください」 と断った。 そしたら相手はあわてておわびのメールをしてきた。 その相手を紹介してくれた知人からもメールがきた。 それでもミキティはダメなのはダメ。 「イメージが沸かない私が原因なのでお断りさせてください」 といったものの、 漫画に対して弱点が見つかったのでかなり凹みました。 障害者を4コマ漫画に描くのは難しい! こんなこともあるんだなぁとしみじみ。 過去にクレームや苦情の経験があるので 障害者をモデルに漫画を描くというのは 本当に細かく考えてから描かないといけないものですね。 漫画を依頼されるのはとてもうれしいこと。けれど、話し合っていくなか、自分の描くイメージが沸いていくのだけれど、今回はどうもイメージが沸いてこなかった。迷惑をかけることになるので最初から断ることにしました・・・自分に無力があることを理由にして。そういう面でちょっと無力な自分に凹んでおります・・・障害者をネタにした4コマ漫画って見たことないな・・・・
2006年07月01日
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