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おとといからずっと新しい漫画のプロット作成にかかってる。MIKIMIKIMIKIは漫画のプロット作成するだけなのにまる一日かかってしまう、いや、3日以上もかかってる・・・・。自分が納得しないと先に進まないのである。納得するシーンは、プロットが決まった時点でイメージできる漫画が頭の上に浮かんだら「これでよし!これでやってみよう」と先に進む。今はまだ浮かんでこない。“起承転結”の中で大事な部分は“転”の部分です。読者が感動するシーンだ。それを頭の上でイメージが浮かんだらステップアップするのだ。今はまだ浮かんで来ない。もう少し時間をかけてみよう・・・という感じで普段通りの生活を送る。本当は仕事も放棄したい気分だが、そうはいかない。漫画を描くと決めたのだから、仕事も家事もやりこなせるような人間にならなくては。でないと好きな漫画は描けないんだから。でもね、仕事はやりこなせても家事は時間かかってしまうんです。洗濯機が回るのを見るのが何故か心が落ち着くんで・・・時間をとられてしまいます。だから食器洗い機は何が何でも買わないようにしてます。(でもヨドバシカメラ梅田に行くと透明なケースの中でお皿を洗う食器洗い機をついつい眺めてしまう)一番好きなのは掃除機だね。掃除機は主人にわがままをいって、中のごみが見えちゃう優れものです。掃除機をかけるのに2時間かかってしまったことも(けっして部屋が広いわけではなく、そこそこの置物に浮気してしまうMIKIMIKIMIKIなのです)
2006年09月27日
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久しぶりに漫画をUPします。吉田幾俊さんの体験を元にした漫画をアップします。2000年8月です。今から6年前の作品ですが、MIKIMIKIMIKIは当時、飲みに行く仲間同士でした。今は長らく会ってませんが・・・。今会っても「やあ」と笑顔でいってくれるような気がします。心の温まる話でしたのでどうぞ、ご覧下さい。web漫画「吉田幾俊さん」
2006年09月20日
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おとといの夜だった。「ぎゃああああああ!」私は自分の大きな机の上に飾ってあったガラスの龍を見てショック!異変は起こった。なんと、龍の右手が取れてるのではないか。落ちたといってもガラスのテーブルからおちてもそんなに割れやすくもないし・・しかも先週、息子の負傷が奇跡的に早期回復してギブスが取れたのは医師も私も驚いた余り「子供の骨は治るのが早いからね~」と言葉を交わしたほどだった。龍の取れた部分はしかも右手!「もしかしたら・・・身代わりになってくれたのかしら?」この龍は私のお気入りだった。(意外だがMIKIMIKIMIKIは欲がないのに、これは欲しいと思った品物だった)それをMIKI8194さんに話したらMIKI8194さんも「ええええ~!」と驚き。「うん、息子にそれを触ったか?と聞いても触ってないよ、と言うし、龍の右手が取れてねん」というと息子も顔が青くなってた。「それどういう意味やねん」「つまりあんたを守ってくれたんだよ」とMIKIMIKIMIKIと息子は龍に拝んだ。偶然とはいえ、守ってくれておおきに!この龍は塩で処分して、また新しい龍をMIKI8194さんに買ってきてもらいます。
2006年09月19日
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昨日、オーストラリアの友人と長いことチャットメールしてた。もちろん、オーストラリアでもMAMIEの仕事をしたいという彼女の強い希望に私も更に頑張ろうとやる気が出ました。パソコンがあるんだから、不可能ということはないし。ドリームウェーバーのソフトをこれから独学すると言ってきた。慣れてきたらMAMIEの英語版のHPもできるかもしれない。いろいろ話し合ってるなか、私はMAMIEは事務所ができたばかりであれこれと壁は当然できてくる。慣れていない仕事にスタッフが時間がないばかりで自分のベースがうまく取れなくてイライラするのも無理もない。だけど、その一方、海の向こうで頑張りたい人がいる。その彼女の懸命なまっすぐな考えに私も頑張ろうという気持ちになれた。みんなで支え合って頑張っていくその道へ向かうためにも、MIKIMIKIMIKIはみんなそれぞれの気持ちを察しながらチームワークで仕事を作っていくものだと思いました。MIKIMIKIMIKIはスタッフのつながりはとても大事なものだと思っております。オーストラリアのさっちゃん、徳島のYUKIちゃん、ひとみちゃん、頑張って下さい!徳島のYUKIちゃんとひとみちゃんは驚くほどの裁縫の才能があり、これまで多くの犬服のドレスを作成しました。一枚だけ美樹丸が着用してるドレスがそうです。
2006年09月18日
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昨日、病院でギブスが取れた。ええ、もう大丈夫ですか?息子の腕のヒビがもう見えないからギブスをはずしましょう、と医師がニコニコ。「よかった!運動会の人間のピラミッドが見れる!」「・・・・」「最後の小学校の運動会やもんね!」「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」返事のない息子。ついにまた来た!朝起きたら、反抗期の息子に戻ってた。昨日までは犬のように「クゥーン」と甘えてきた、可愛い息子だったのに・・・。“甘える理由”がなくなった複雑な気持ちだろうね。微妙な息子。昨日まではお風呂で髪の毛を洗ってあげたのが、今は元に戻ったからね。「お母さん、あんね、あんね」となんでも話してくれた息子の瞳が一番可愛かったなあ。今は、これからも中学生になろうとしてるから見守るしかない!
2006年09月15日
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他の漫画家さんからメールを頂きました。 3ヶ月前のことですが。名前は公開しませんが、 「聴覚障害者の漫画家のMIKIです」という必要があるか?というメールでした。 「え?」と噛まれた気持ちでした。 言い方が悪かったかもしれない・・・が。 「漫画を描く側としてわざわざ障害者を名乗る必要があるか?」 というメールでした。 「・・・ああ、そうか」と思いました。 「なるほど、そう思われることもあるんやな、」と思いました。 でもMIKIMIKIMIKIは聴覚障害者として自分を誇りに思っているからその言葉を使う。けっして可哀想と思われたいために 使ってるわけではないですよね。 そんなに思われてるなら、じゃあ、聴覚障害者に対して偏見が残っているんだな、と思いました。 私は・・・・20歳までは普通の学校に通っていて、まわりに障害者がいなかった。そのお陰で私は聴覚障害者であることを半分隠していた。 今は「聴覚障害者です」と名乗るようになってからずいぶん楽になった。生まれ変わっても聴覚障害者になりたい。 と思うようになったのです。 私にとってはこの言葉は楽な言葉なんだけどねぇ。 ひとつ勉強になった出来事です。
2006年09月14日
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おととい、息子が痛い、痛い・・・・というので昨日、病院に行ったらなんと、腕の骨にヒビが入ってた。原因は「腕相撲」です。学校で友達とここ最近「腕相撲」にハマッてた。もちろん、家でも家族みんなで「腕相撲」してた。ゲームよりも「腕相撲」はいいことだ!と思ってたMIKIMKIMIKIだが、負傷するハメになるとは・・・・。お陰で明日も学校を休んで病院へ行かなければならない。しかも右腕だから鉛筆もおはしも持てない!最後の小学校の運動会の「人間のピラミッド」があるのに!歌とダンスのオーディションもあるのに!・・・嗚呼、哀れな息子よ、早く治ってくれ~(ちなみに全治一ヶ月だそうだ・・・)
2006年09月10日
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お仕事の依頼があって作成した4コマ漫画です。カラー漫画です。これはコミックスタジオというソフトを使って、ペンのマウスをなぞって作成したもの。色はフォトショップで塗りました。これまでは白黒の漫画が多かったのでちょっと手間がかかりましたが、なんとか終わってホッとしてます。
2006年09月07日
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MIKI8194さんとMIKI2004さんは私が22歳のときに現れた太陽みたいな友人でした。15年前。私は父を亡くしてしまうだけでなく、愛犬のマミーもあとを追うように亡くなった。母は生きるために自分の道を見つけるために実家から離れていき、兄も南アフリカへ転勤してしまう。残された私は一人で大阪で生きて行けるように頑張らなくちゃと思ってた22才。そんな私にMIKI2004さんが現れる。友人の友人だった。その頃MIKI2004さんは田舎から家出した身だった。「行くところがないから行くところが決まるまで泊めてあげてほしいの」友人に頼まれて一人暮らしの私に相談してきた。「一週間だけよ」と私はMIKI2004さんを迎え入れた。そしたら毎晩遅くまで私はMIKI2004さんと語り合う。不思議な縁だった。一週間たった後も私はMIKI2004さんに「これからもここで狭いところだけど一緒に暮らさない?」そういうわけで8帖の1DKで二人暮らしがスタート。それからMIKI2004さんがMIKI8194さんを連れてくる。「あれ?どっかで見たような顔だ」私はMIKI2004さんがMIKI8194さんを連れてくる前に会ったことがあった。「世の中はほんまに狭いわ」と私はMIKI8194さんにぼやいた。MIKI8194さんはそれからというもの、日曜日になると必ず黄色のバイクでやってくるのだ。赤いヘルメットをかぶって黄色のバイクでやってくる。「またきたか」と私はつぶやきながら、二段ベッドの上で寝る。私は新聞社の制作局勤めのため、夜帰ってくるのが遅いため、朝の10時までには寝ないとしんどい。MIKI2004さんとMIKI8194さんは何故か朝に強くて、朝からきゃーきゃーと盛り上がる。補聴器をはずして寝るのだが、ベッドが揺れるので私はよく上からきこえない二人にぬいぐるみをたくさん投げて「静かにしろ!」と怒ってた日もあった。懐かしい。二人とも二段ベッドの下でちっちゃくなってた。「ごめんなさい、ごめんなさい、もうしません」とおびえた二人の顔。めっちゃ可愛かったです。今は二人ともかけがえのない存在です。今もこうして楽天の日記で隣同士のように書き込みをする。友情ってええね。
2006年09月03日
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「きらっといきる」が無事に放送されました。恥ずかしながらテレビでご拝見頂き、ありがとうございます。障害児たちは今もなお、自分自身と戦い続けているということをテレビを通じて伝わったと思います。本当にこの場というものは全国に少ないのです。 多くの方々が力を合わせて障害児の場所を作るべきです。将来は一人前の人間として、国に税金を支払える、自分に誇りをもてるような社会人になってほしいと願う日々です。作業所に働くためにお金を支払ってわずかな給料しかもらえない。しかも給料より働くためのお金が高い。(馬鹿みたいな話です)これでは何のための障害者の働く場なのか?そういう社会に負けないでほしい。守れる社会ではなく自分(障害者)が胸をはって守る社会であってほしい!最後に子供たちは本当に私の宝物です。 この放送で子供たちの将来の可能性が更に広がることを心からお祈り申し上げます。多くの方々の応援、本当にありがとうございます。 安藤美紀
2006年09月02日
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MIKIMIKIMIKIはプロップ・ステーションと不思議な縁にある。気がつけば家族同様にプロップの仲間はMIKIMIKIMIKIをあたたかく迎え入れて下さる。イベントでナミねぇは私を見かけると手を引っ張る。そして私を会場のみんなに紹介してくださる。(いきなり)そのお陰でMIKIMIKIMIKIの視界が広がっていく。本当にMIKIMIKIMIKIはここで「ひとりの人間として」認めてくれてるんだと喜びを感じる。何故か生きてるのが必死だったようなそんなドン底をやっと這い上がってきたかと思うと、逆に当たり前のことを「あたしはめっちゃ幸せやて」と思うMIKIMIKIMIKI。苦しいとき、私はプロップのパソコン教室で勉強してた。 それをナミねぇはずっと見てきたのか、男に捨てられてもただひとつ、信じられるものはあった。「私には子供がいる。」子供と生き別れしててもなお、私は母親としてあの子のためにしてやれることだけを懸命に頑張りたい・・・・ただそれだけを一途に頑張ってきた。けれどそんな中で障害者は弱者と扱われていることを知った。裁判でも、社会でも、生きて行く上、障害者である限り差別を受けてきたのは障害者は弱者だからあきらめて国から守られながらその狭い枠の中で我慢してサポートを受けて生きること。障害者は介護を受けておとなしくしなさいと頭から押さえつけられてきたように感じた。私はこれが現実なのか?とショックを受けたけれども、竹中ナミねぇに教えられたものは大きかった。吠えてるばかりではダメ。訴えてるばかりではダメ。関西人の特有なボケ・突っ込みでうまく人間関係を築いていくこと。敵を作ってはいけない。自分を下げて、相手を支える。そして障害者が自立しやすい、国に税金を支払えるような立派な社会人に育てていけるような社会にするために何が必要か?をナミねぇは今も走ってる。「プライド」は必要ない。人のつながりを保つもの。それは思いやりと言葉である。MIKIMIKIMIKIは半人生は守られて愛されて充実した人生を送ってた。けれどそれは父の死によって人生が180度変わってしまい、残された母親のことを思うと自分がしっかりしなければと強く頑張ったけれど・・・それは間違っていた。「プライド」だけではうまく行かない。MIKIMIKIMIKIは第2の人生でナミねぇに出会ったことを誇りに思う。自分の人生に感謝する。
2006年09月01日
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