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【上賀茂神社・賀茂別雷神社】 (かもわけいかづち)世界文化遺産に登録祭神(賀茂別雷神)(かもわけいかづちのかみ)下鴨神社に祀る「玉依姫」の御子(男無しで神から授かった神の子)【本殿・権殿】【国宝】本殿の前には、「山城一の神社」と表示してありました。【御神徳】欽明(きんめい)天皇の時、雨は降らず作物実らず大飢饉でありました。天皇が勅して占われたとこめ、人心が大変乱れているその祟りと言うことで、本殿でお詫びの祭祀行なわれたところ、「護国豊穣・天下泰平」となったと日本書紀に記されているそうです。「雷の神」の由縁でしょう。【葵祭り】この「欽明天皇」の起源により、毎年5月15日【京都三大祭り】として、全国から大勢の方が、観に来られます。【行事】【競馬】(くらべうま)【烏相撲】【八咫烏】(やたのからす)神武天皇が東征の時「加茂建角身命」(かもたけつぬみのみこと)が先導した際に、天皇の弓の先に止まったとされています。当時の「加茂族」を「烏族」ともいわれています。【百人一首】風そよぐ楢(なら)の小川の夕暮れは 禊ぎ(みそぎ)ぞ 夏のしるしなりけり 藤原家隆上賀茂神社の手洗い場、バックに楼門楼門本殿(国宝)神楽殿楢(なら)の小川
2010.12.31
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【伏見稲荷大社2.】本殿前には、個の秋収穫された、京都府の丹後地方で収穫された稲穂 が飾られ、五穀豊穣を祈願されます。 本殿 多くの鈴が用意されています 稲穂が飾られています拝殿と奥が本殿です。本殿の奥に稲荷山に向けて「千本鳥居」が奉納されています。入り口奥の院へは二手に分かれています。鳥居一つずつ奉納者の名前が書かれています。奥院の出口です。おもかる石の塔籠(奥の院)にありました。おもかる石 おもかる石燈籠の前で願い事を記念して石燈籠の空輪頭を持ち上げ、そのときに感じる重さが予想していたよりも軽ければ願い事が叶い。重ければ叶わないとする試し石で、一般には 「おもかる石」の名で親しまれています。皆様方の願いが叶いますように
2010.12.30
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【伏見稲荷大社1.】初詣で、賑わう前の静かな年の瀬に、訪問してきました。全国4万とある【稲荷神社】の総本社とされ、「五穀豊穣」「商売繁盛」祈願のため、大阪からも多く参拝が有ります。来年【祭神 4体の大神(おおかみ)鎮座1.300年】の奉祝記念大祭が行なわれるほどに【古い神社】とされています。 聖徳太子に仕えた「秦氏(はたし)」が開拓した地でもあります。特に楼門は、永年懸かって、化粧直し、12月28日お披露目されました。鮮やかな朱色に輝き、桧皮葺の屋根は落ち着きを表しているようです。安土桃山時代に豊臣秀吉が母の病気平癒を祈願して寄進したと伝わります。1589年の銘が遺されています。伏見稲荷大社・楼門伏見稲荷大社・楼門 手前は、拝殿 JR奈良線 稲荷駅 今は閑散としていました。 柱が朱塗りとなっています。 JR奈良線・稲荷駅です。横断歩道道路は北向き一方通行です。参道参道手水洗所 外人の方が多かったです。次回は本殿からご報告します。
2010.12.29
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【桓武天皇御陵】過日、322段の山上の【嵯峨天皇御陵】を訪問しました。ならば其のご尊父に当たる、第50代【桓武天皇】の御陵を訪問したいばかりに、今朝案外寒気が緩みましたので行ってまいりました。【明治天皇御陵】の広い敷地の西北隣接地にあり、雰囲気は神々しいものが有りました。此処も、産まれて初訪問になります。相変わらずジョギングする方のちらほらと、人影が有りました。【長岡京】そして【平安京】を造り上げてこられた天皇の御陵でした。桓武天皇柏原陵 参道桓武天皇柏原陵 掲示 京都の都を誕生させて下さった、桓武天皇を大切に偲びたいです。
2010.12.28
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本日は、天皇誕生の祝日、回想すれば、「再生不良貧血」と言う、現代の医学会でも、病因の解明されていない国定難病に突如京都御苑ゲートボール場で、知らせを受け、4ヶ月余の入院治療を受けました。退院後何か可能な目標をと、薦められ自信は全く有りませんでしたが、体験してきた「京都観光」の生のポイントを遺した一念で、観ていただく方々の皆様の京都を綴って1年目の節目を迎える事が出来て、感慨無量な物が有ります。一重に皆様方の温かいご後援によるものと感謝致します。 【仏像のセット形式】、 ゼスチアーで、【仏】(ほとけ)を無言で表現するには、「右手」を上にかざし、「左手」は膝前に、手の平を開けた姿で、直ぐ解かりますね。奈良の大仏さんを想像して見て下さい。過日ご紹介した「故西村公朝和尚さん」の著書「祈りの造形」は、初めて仏像に接するに優しく判り易く書かれています。其の中に書かれています 【施無畏・与願】(せむい・よがん)の形と称し、「右手」をかざして居られるのは、「不安・悩み等の畏れを取り除く、恵みを施しましょうの仏の意向と考えられ、一方「左手」は、お願いすれば、与えましょうの意向の姿と考えられます。人間自由意志があり、「求めよさらば開かれん」とも言われ、寺社への参拝は、その現れにあるようです。 奈良の法隆寺の金堂に【三世三仏】の思想が有ります。南正面に本尊の釈迦如来三尊 遣送の如来(けんそう)【現在】釈迦尼仏東に薬師如来三尊遣送の如来(けんそう) 【過去】薬師瑠璃光仏西に阿弥陀如来三尊来迎の如来(らいごう) 【未来】阿弥陀仏人は、太陽の出る東方浄瑠璃世界から送り出され、現在釈迦の教えに基づき、太陽の沈む、西方極楽浄土に迎えられる三世の思想の表現とされているようです。【脇侍の教え】(きょうじのおしえ)釈迦三尊の場合【智恵の文殊】(左)【慈悲の普賢】(右)阿弥陀三尊 【慈悲の観音】(左)【智恵と意志の勢至】(右)薬師三尊 【暖かい光の日光】(左)【冷たい冷静な智恵の月光】【釈迦如来の眷属】文殊菩薩・普賢菩薩 十大弟子 【涅槃図】(ねはんず)【阿弥陀如来の眷属】観音菩薩・勢至菩薩 二十五菩薩 【御来迎の図】(ごらいごうのず)【薬師如来の眷属】日光菩薩・月光菩薩(がっこう) 十二神将【観音菩薩の眷属】二十八部衆 東京博物館で一大人気になった【阿修羅像】(奈良・興福寺所蔵)も含まれます。既に、ご招介しました【清水寺】そして何れ記します、【三十三間堂】で観られます。仏像は、1体でも信仰の対象と成りますが、三尊。眷属等複数の仏で更に深いほとけの慈悲が与えられるとしています。三尊は、庭園で【三尊石】として良く観られます。庭園自体が【極楽浄土】を表現したり、仏の世界を現します。
2010.12.23
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本日は 冬至 一番長い日ですね。そして、天体ショウーとして 皆既月食 が゛北海道あたりで16時40分より約1時間観られたそうです。 【仏像の種類】 京都・奈良の観光も、景勝地・史跡を訪ねることも多くありますが、寺院が多く、従って仏像の豆知識】は知って置かれると、観光の興味が倍加することでしょう。仏像は、経典により考え出されたもので、釈尊入滅後後200~300年後造りだされました。種類分けも、悟りの高い仏様から順次表現されています。判り易い様に、会社組織で表してみました。【如来】(会長) 大日如来(真言密教の根本仏) 毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)奈良東大寺の大仏、唐招提寺の本尊【如来】(社長) 薬師・釈迦・阿弥陀・弥勒(唐招提寺)阿?(あしゅく)・宝生(ほうしょう)不空成就(ふくうじょうじゅ)(東寺密教)【菩薩】(専務・常務)日光・月光 文殊・普賢・観音・勢至 弥勒・虚空蔵・地蔵 金剛宝・金剛薩睡(こんごうさった)・金剛業・金剛宝(東寺密教)【六観音】 聖(しょう)観音・十一面・千手・准提(じゅんてい)・馬頭(ばとう) 如意輪(にょいりん) 天台宗以外 不空羂索(ふくうけんじゃく)【明王】(部長) 不動・愛染・孔雀・降三世(ごうさんぜ)・軍荼利(ぐんだり)大威徳(だいいとく)・金剛夜叉(こんごうやしゃ)【天部】(課長) 梵天(ぼんてん)・帝釈天(たいしゃくてん)金剛力士(仁王)・風神・雷神四天王(持国・増長・広目・多門)・十二神将・二十八部衆(観音を護る)吉祥天(毘沙門天と夫婦)・弁才天(梵天と夫婦)・聖天・鬼母神(きしもじん)技芸天(奈良秋篠寺)大黒天・韋駄天・毘沙門天・執金剛神(三月堂)【羅漢】(らかん)(係長)釈迦の十大弟子・十六羅漢・五百羅漢・維摩居士(ゆいまこじ)・無着・世親空也・聖徳太子・弘法大師・伝教大師・法然上人・親鸞上人・日蓮上人達磨大師・祖師・高僧【人間】(平社員)【感謝のご挨拶】皆様の絶大なるご支援で、私の京都観光についてのブログも本日を以って1年経ちました。当初から手探りで,どの程度まで掲載できるかと、不安だらけでしたが、ほぼ毎日続ける事が出来ましたのは、温かいコメント・アクセスして頂いた応援があってのことで、此処に改めて皆様に御礼と感謝を申し述べます。京都は広しといえど限りは有りますので、今後は間を取らさせてもらって、資料の出来次第、適時に継続してまいりたいと思いますので、変わらぬ、ご厚情をよろしくお願い申し上げます。有難う御座いました。
2010.12.22
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【京都御苑】東西700m・南北1300mの長方形の敷地です。塀沿いに、ジョギングしますと、4kmとなり、適度な運動に成るようです。建礼門 葵祭・時代祭は此の門の前から出発します。内部に【紫宸殿】があります大宮御所・皇族の宿泊所仙洞御所京都御苑・貴賓室清和院御門 御門は9箇所有ります。梨の木神社京都御苑・外塀 ジョギングに使用京都御苑・外塀京都御苑・ゲートボール場 私の仲間たちが競技しています。とてものどかです。京都御苑のもみじ
2010.12.21
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【蛤御門】 (はまぐりごもん)【蛤御門】は、京都御苑の西側、【護王神社】の東向かいにあります。【天明の大火】【光格天皇】のとき(天明8年1月30日)京都御所も炎上蛤御門は、開かずの門でしたが、大火のため、初めて開門、「蛤も焼くと蓋を開ける」ところから、「蛤御門」と呼ばれるようになりました。その後、 【蛤御門の変】 (1864.7.19.) でも激戦地と成りました。新しい日本を考えた、長州藩は、徳川幕府と対抗、そのため京都では【池田屋騒動】等で長州藩の志士は、暗殺され、遂に兵を挙げ、徳川慶喜を要する御所防御の【会津藩・桑名藩・そして薩摩藩】との激戦で、結果、長州藩は敗北その上、天皇に背いた逆賊扱いにされ、長州藩の居場所に 火をつけました。【どんど焼き】として、再び京都の街は火の海となりました。激戦の傷跡京都御所 【むくの木】(樹齢300年)不思議と大火から免れる。平和なひととき、蛤御門を入った所、紅葉狩り京都御所・大文字が北に向いて(相国寺に向いて)見えます。
2010.12.20
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【護王神社】 (ごおうしんじゃ) 祭神 和気清麻呂 平安遷都の際、【桓武天皇】に忠実に使えた人で、将軍塚で京の都に天皇を狩りに事寄せお誘いして、定められました。或る日、弓削道鏡(ゆげのどうきょう)が皇位を奪わんとした事件があり宇佐八幡の神託をもって其の野望を封じました。そのため鹿児島の大隅に流され、【宇佐詣で】の際、周りの草むらに火をつけられ、殺されかけたところ、【猪300頭】ほどが現れ、火は消され、何れともなく姿を消した謂れがあり、宇佐の神のお使いとして、狛犬の替わりに珍しく【猪】が護っています。 現代も京都御所の西側に有って、歴代天皇を見守って使えています。【菅原院天満宮神社】学問の神様【菅原道真公】がお産まれに成った霊地で祖父・父の住居でもありました。護王神社の100m南に存在しています。殆どの方は気が付いておられません、道真愛好の【御遺愛の燈籠】が残っています。猪の狛犬と新年の兎歳の絵馬 阿吽の阿形の猪阿吽の 吽形の猪 本殿和気清麻呂の銅像菅原院天満宮神社菅原公・産湯の井本殿御遺愛の燈籠
2010.12.19
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【退蔵院】 (たいぞういん)妙心寺で、唯一常時観光出来る塔頭です。寺宝 如拙(にょせつ)筆 【国宝】【瓢鮎図】(ひょうねんず)室町時代の水墨画です。「瓢鮎図」瓢箪(ひょうたん)と鯰(なまず)の絵が書かれていて、禅問答の答えが幾つか書かれています。人を信仰へと導くにも、鯰のようにのらりくらりと一筋縄にはつかめません。そこで禅問答となり、如何にして、鯰を瓢箪に入れられるかの解答のようです。【方丈庭園】(本堂)室町時代の「狩野元信」作の庭園で築山の滝から蓬莱島を経て石橋に流れると言う趣向で、絵描が作庭するのは、極めて珍しさが感じられます。【余香苑】(よこうえん)近代の庭園で「中根金作」の設計で造園されました。入り口に「陰・陽」の庭そして奥へ滝から大量の水が流れその水音が静かさを象徴するようで、とても親しみやすく、そして広々と自然の姿で鑑賞出来ます。【水琴窟】(すいきんくつ)土中に「かめ」が埋められ。手水鉢から柄杓で、水を静かに流すと「かめ」水音が反響して、妙なる音が聞える仕組みに成っています。是非お試しになってください。【東林院】【沙羅を愛でる会】と沙羅双樹(夏椿)の咲く頃(6月15日から末日予定)精進料理(阿じろ料理)を賞味しながら、苔の丘に落ちる花を愛でる催しが有ります。沙羅の大樹から朝開花、夕べには散る、儚さを平家物語で語っています。【涅槃】(ねはん)お釈迦さんが入滅されるときに、周りに「沙羅双樹」の樹が有ったそうです。退蔵院入り口の門受付国宝【瓢鯰図】の模写鶴の板戸狩野元信の庭狩野元信(絵描)の庭陽の庭陰の庭庭園全景羅漢の庭水琴窟(すいきんくつ)キン・コン・カラン・コロンと妙なる音がします。茶室の紅葉12月15日でも
2010.12.18
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【妙心寺】 (みょうしんじ)臨済宗妙心寺派総本山 開基 関山慧玄(かんざんえげん)JR「花園駅」の近くにあります。「妙心寺」の境内に【七堂伽藍】(がらん)と47院の内塔頭(うちたつちゅう)が存在する、大規模のお寺です。殆どが拝観謝絶で開放されていません。外塔頭の代表格が【龍安寺】で本堂の名札に全国の外塔頭の寺院万を数えるほどに掲げて有りました。 お客様に感動を与えたのが、【本坊前】の【法堂】(はっとう)天井に描かれた【龍の絵】でした。【狩野探幽法眼】 (かのたんゆうほうげん)二条城二の丸の豪華松を画いた画家です、見る位置により【昇り竜】になったり【降り龍】にも観られる豪華さは、他に比類無きものと思われます。是非一度訪問してみて下さい。堂内では親切にお寺さんより説明が有ります。先ず「本坊受付」にて20分置き時間制で案内されます。其の後「明智風呂」にも案内されます。本坊で待機中に、本堂の名札を見上げられる事と、内陣には「釈迦三尊」が祀られ前庭は、「方丈庭園」に成っています。妙心寺七堂伽藍朱塗りの山門仏殿法堂(はっとう) 天井に狩野探幽の龍の絵本坊臨済宗(禅宗)で大柄の妙心寺本坊です。龍安寺も広くって大きいですが、妙心寺派の外の塔頭(たつちゅう)と成っています。
2010.12.17
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【法金剛院2.】【待賢門院】はどんな歴史的存在でしょうか?(1101~1145)先ず有名な第77代【後白河天皇】の母君です。第74代【鳥羽天皇】の中宮(皇后)第72代【白河天皇】が代父として側女祇園女御に父が7歳にして亡くなり養われました。白河天皇は「天下三不如意」で有名な独裁者。77歳で崩御、その後、偉大な後援者がなくなると、主人の鳥羽天皇は、美福門院を寵愛、中宮を辞して、女院号【待賢門院】となられる。名は【藤原璋子】(ふじわらしょうし・たまこ)藤原全盛時代から100年後。美貌で、仏への信仰厚く、平安時代にあった、「天安寺」を法金剛院として、余生を送られ、45歳の若さでこの世を去られました。兼ねてね八坂神社で記しました。【平忠盛】に白河天皇のこ゜褒美に祇園女御の妹の子を養子に迎えたのが 【平清盛】 と言うことで平家物語の主人公に関係する時代背景でした。庭園 仏足石 仏手柑(ぶっしゅかん)双ケ丘青女の滝(せいじょのたき)日本一古い滝の石組み待賢門院堀河の百人一首の歌碑 門院の侍女待賢門院の御陵法金剛院を出て、五位山の裏手北方に歩いた場所地元の人に尋ねても、知らないとして探すのが大変でした。宮内庁案内板
2010.12.16
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【法金剛院1.】 奈良の宗派「律宗」 開基 待賢門院(たいけんもんいん) 山号 五位山JR「花園駅」駅前に有ります。「妙心寺」の観光の際には、近くですから是非ともご訪問をお勧めします。過日お知らせしました「特別名勝指定」国宝級の庭園の一つです。極めて小規模ですが、いにしえを偲ぶに相応しい、落ち着いて鑑賞出来ます。自家用では、嵐山に向かわれる途中に道路沿いにあり、駐車場もゆったりしています。 蓮の開花季節7月中旬から8月初旬には、門前にその旨の案内が掲げて有ります。常時では、礼堂の西側裏に「仏殿」が有り、平等院の阿弥陀さんを彫った、「定朝様式」(じょうちょうようしき)の【阿弥陀如来坐像】が私たちの礼拝する、真ん前に拝する事が出来ます。(撮影禁止)八角九重型の蓮坐は、阿弥陀さんを一際引き立てているようです。阿弥陀さんは、「東向」で極楽浄土をイメージして造られた、【待賢門院】の蓮池が保たれて現代も活き活きした状況を感じ取りました。横には着飾った【十一面観音菩薩】がお厨子の中に立像として拝する事が出来ます。 平安時代前期、右大臣 藤原夏野の別荘から「双丘寺」(ならびがおかじ)として建てられましたが、その後奈良の唐招提寺の僧によって再建され、「律宗」となっています。寺の荒廃により、 「待賢門院」 が出家され再建されました。 京都の北方に目立つ、「ラクダのこぶが二つ並んだ丘」を「双ヶ丘」(ならびがおか)と言いますが徒然草で有名です。その南麓に「五位山」がありそこに法金剛院が建っています。 【待賢門院】お父上藤原公実とは、若くして死別 【藤原璋子】(ふじわらのしょうしたまこ)として、74代鳥羽天皇の中宮(皇后)・75代崇徳天皇・76代後白河天皇の母君後に「女院号」【待賢門院】と呼ぶようになりました。大変美貌でお父上無き後.白河院の加護を受けて居られる内は、良かったようですが、保護者の逝去後、旦那の鳥羽天皇が「得子」後の「美福門院」に心を寄せられ、待賢門院は、信仰も厚く、出家して「法金剛院」で、生涯を送られましたとか。五位山の北麓に、【花園西陵】として御陵が有りました。とても静かな場所に眠って居られました。【妙心寺】のほんの側でした。【青女の滝】 (せいじょのたき)石組みは平安時代で、日本最古の人造滝石組みと言われています。【歌碑】待賢門院の侍女【待賢門院堀河】の百人一首。 尚【西行法師】も訪れたということです。「長からむ心も知らず黒髪の 乱れて今朝は物をこそ思へ」 法金剛院正門 奈良の宗派 平安時代の庭園庭園入り口 特別名所(国宝)の庭園・平安時代州浜(すはま)池に石畳を施します。平安時代の名残苔が美しかったです。バックに【五位山】があり池に映っていますもみじが未だ美しいです本堂の側に【千両】がそして阿弥陀さんは撮影禁止でご紹介できません。ク゜ーグルで検索して観て下さい。一番大事な事柄です。
2010.12.15
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【嵯峨天皇山上陵】 (さがのやまのえのみささぎ)大覚寺をご紹介して居る内に、平安遷都と言えば、【桓武天皇】が有名ですが、その次男の【嵯峨天皇】の在位(809~823)の25年間都の体制が整いました功績の大きいことで、魅力を感じました。文化的には、三筆に、【空海】とも親交あり、皇子。皇女も49名源の姓名を臣下に降籍、源氏の発祥ともなり、皇室の礎ともなりました。一方、藤原冬嗣から良房へ藤原家の藤原全盛期の元にもなりました。葬儀は遺言で「薄葬」を望まれました。「人は死ねば天地に帰る」草花の自然の環境を望まれたそうです。そういえば、檀林皇后も「風葬」を願われたとのことです。過日、直指庵にタクシーで行く途中、見かけたので、今回12月12日82歳にして、京都に住みながら始めて、登ってきました。70歳代のお婆さんが、たまたま駆け下りて来られました。「どうでしたか?」「「今日は計って来ましたで、往復、往は15分復は10分ときどきジョギングしている」とそういえば、案内板に15分と書かれていました。杖を付きながら、休み休みを重ね、階段の数が322段でした。途中男子高校生の部活動で、駆け足で30名ほどと追い越され、ターンしての元気さ「こんにちは」と丁寧にこえがけしてくれました。気分爽快でした。260段目から嵯峨野が見下せました。そして遂に、嵯峨天皇陵に辿り着けました。想像通り質素な佇まいでした。往時のことを偲びつつ、きっと嵯峨野、否、京都の都を高き山から見守って居られるのでしょう。と感動に耽っていました。これで嵯峨野の全てを御紹介出来たとの達成感を覚えました。目的無しでは、とても適わぬ行動だと思います。帰りの坂道は、脚に応えるので、山道を選びました、お恵みか地元の男の方に出会い、親切に教わり自信持って始めての山道を楽しめました。おまけに,【愛宕山の雄姿】も眺められました。健常者の4倍2時間掛けました。山道を歩くのは何年振りでしょうか、清々しい大自然の中で、ひとりぽっちで謳歌して参りました。歴史は、尋ねれば尋ねるほど意義深いものがあり、新発見を覚えました。 嵯峨天皇山上陵参道入り口 参道 260段当たり嵯峨野・広沢の池を見下ろす堀川高校生部活動で駆け足特訓、「こんにちわ」と声がけあり。正面、嵯峨天皇陵到達322段嵯峨天皇山上陵。簡素に観られました。帰途、獣道を選択 下山、山道シダの葉がなぐさめてくる地元の親切な男性に恵まれ、御陵より更に登り【愛宕山】の雄姿を観る事が出来ました もう直ぐ下へ到着出口近し、樹木も背が高くなりました。嵯峨野の魅力、この最後の御紹介は、私の人生としても忘れ得ぬ達成感溢れる良き想い出になりました。人間、実行すれば、結果が出る。でも危険は避けねばと休み休み身体と脚に、充分言い聞かせながら、歩みました。目的は人様に喜んでもらえる一心にありました。
2010.12.14
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【広隆寺】本日(13日)はブログ 2通 記載しています。【広隆寺】が主体ですのでよろしく。 【参考】 仏像の見方は、過去に既に記述しましたが、今回阿弥陀如来さんは、両手と指の構え方で9種類に変化があります。【平等院】宗派は単立(天台宗と浄土宗) 開基 明尊 琵琶湖「瀬田」から流れてきました「宇治川左岸」に昨日の「宇治上神社」と対峙して存在しています。 初代仏師【定朝】(じょうちょう)作の【国宝】【阿弥陀如来像】が実に落ち着いて素晴しい一語につきます。付随した【天蓋】【雲中供養菩薩】そして【壁画】も【国宝】で、「藤原頼道」が1000年前に末法思想が取り沙汰された時代で、生前中でも「極楽浄土」を再現しょうと考え、(金閣庭園を足利義満も同じ)貴族と僧侶によって、建てられました。 阿弥陀さんの座します【鳳凰堂】(ほうおうどう)もそして屋根の両端に飾られる【鳳凰】一対も【国宝】です。お堂の前に池があり鳳凰堂を池越しに眺めますと、池にも反射してとても美しい情景が観られます。「十円硬貨のデザイン」ともなっています。 頼道の思い遣りが、「阿弥陀さん」の顔の前面に、「丸窓」が見えます。「極楽浄土」を庶民にも一部垣間見ることが出来る様に、存在しています。 【日本三名鐘】「形の平等院」【国宝】 「音色の滋賀・三井寺」 「銘の高尾・神護寺」 【鳳翔館】(宝物館)では、名鍾・雲中供養菩薩像・壁画・鳳凰【国宝】その他が展示されています。【藤棚】藤の花が咲く頃は、とても美しいです。【阿弥陀さんの九印相】阿弥陀如来は、西国極楽浄土を支配されてると言う事で、鳳凰堂の壁画も、【御来迎の図】が画かれ、九壁画に分かれているそうです。平等院の阿弥陀如来像は、【上品上生印相】(じょうぼんじょうしょうのいんそう)で最高位。阿弥陀さんの手の指が、「親指」と「人指し指」「中指」「薬指」と円く交わる事で、夫々、「上品」「中品」「下品」と称し、阿弥陀さんの両手の位置か゛「膝の前で結ぶ」「両手を開いてお説教するように、上に揚げる」「右手を揚げて、左手は手の平を開けて膝の上に」(施無畏・与顔) (せむいよがん)「上生」「中生」「下生」(げしょう)と称します。この組み合わせで、九印相の阿弥陀像が表されます。極楽浄土へのランク付けでしょうか。「上品上生」「上品中生」「上品下生」「中品上生」「中品中生」「中品下生」「下品上生」「下品中生」「下品下生」太秦の広隆寺・講堂には、「中品中生」の阿弥陀像が見掛けられますが、殆どは、「上品」クラスのようです。御家庭での仏壇では、「上品下生」(じょうぼんげしょう)の阿弥陀さんが多いです。次回は、比叡山に参りましょうか、いよいよ大詰めです。
2010.12.13
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【広隆寺】 (こうりゅうじ)真言宗御室派 開基 聖徳太子 京都には、国宝が多いです。そこで「クイズですが、国宝指定が存在する日本では何処の都道府県が一番多いでしょうか?」聞くところによれば、最も多いのが、東京都265件国立博物館が殆ど管理しています。次いで京都226件そして奈良県198件の順に成っています。 広隆寺は、地元では。「太秦(うずまさ)の太子さん」と親しまれています。 その【国宝指定第1号の仏像】が、此処広隆寺・霊宝殿に納められている【弥勒菩薩半跏思惟像】(みろくぼさつはんかしいぞう)です。京都検定試験1級で出題されました。漢字で正確に覚えなければ解答出来ません。半跏とは、韓国流で半分あぐらをかかれたお姿を指します。思惟とは、片手を頬にあてがって、人類をどのようにして救おうかと、想いに耽っておられるお姿指します。何ともいえない微笑を浮かべられたお顔を見上げているだけでも心打たれる仏様です。室内の放送に寄れば、弥勒菩薩さまとは、人の救いを考えられつつ、56億7千万年後に、この世に如来として現れられる仏さんと言われ、地球学の学会でも、この数とほぼ一致していると聞いた事があります。(567と覚えます) 前述しましたが、「弥勒如来像」は奈良の「唐招提寺」で観られます。 韓国にも、全く類似した「弥勒菩薩半跏思惟像」が現存しているようです。 【飛鳥の三弥勒】広隆寺にもう一体「泣き弥勒」【国宝】が隣接して納められています。べそを描いておられ、仏像には、金箔の一部が残っています。もう一体は、奈良法隆寺の東側に隣接した【中宮寺の弥勒菩薩】を飛鳥時代の三弥勒と称されています。 【霊宝殿】四隅には、「四天王」「じ・ぞう・こう・た」即ち「持国天」「増長天」「広目天」「多聞天」が少し大きめに立っています。西側に薬師如来・日光菩薩・月光菩薩そして前列に十二神将【国宝】正面に弥勒菩薩二体と天平時代の作の弥勒菩薩一体他に大日如来・聖徳太子そして使えた「秦の河勝夫妻(藤原時代)が並び、東側には、毘沙門天・吉祥天(夫婦)(尚多聞天は毘沙門天は一諸)愛染明王。不動明王が、そして南側に観音菩薩像が三体内二体は【国宝】となっています。修学旅行生も勉強の為多く案内しました。寧ろ「じぞうこうた東南西北」は中学生から教えてもらいました。 【本堂】【国宝】聖徳太子の立像が祀られて居ます。【講堂】阿弥陀如来【国宝】「下品中生」の珍しい印相をされています。【阿弥陀如来9つの印相】については、2月9日【平等院】をご参照願います。両脇に地蔵菩薩・虚空蔵菩薩(重要文化財)【南大門】仁王像 阿・吽(あ・うん) 広隆寺・仁王門 講堂・阿弥陀さんの特殊な印相を持つ【国宝】写真禁止聖徳太子堂案内板に柿霊寶殿此処に国宝第1号の弥勒菩薩が観られます。何れも写真は禁止、グーグルで検索して観て下さい。
2010.12.13
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【等持院2.】等持院の庭園も【夢想国師】の作庭です。京都では、【天龍寺】【西芳寺】(苔寺)【南禅院】も作庭しています。本来ならバックに衣笠山が池に写される物が立命館キャンパスが建ってしまいました。時代の波によるものです。 茶室・清漣亭 水面に映る茶室・清漣亭 奥にある「心字の池」何れも水面に写る紅葉が際立ちます。足利尊氏の墓墓の上部の九輪塔の先が欠けています。右翼・「高山彦九郎」(三條大橋で御所に向かって礼拝の像があります)に刀で切られた芙蓉池「等持院」は足利尊氏の戒名で死後、尊氏の人柄から「寺」の字を二字採用されるほどに、尊敬されたとも云えます。結果十五代まで政権は続きました。
2010.12.12
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【等持院1.】 (とうじいん)臨済宗天龍寺派 開基 夢窓疎石 歴史上に登場する人物で、時代に応じて、イメージで印象の悪いと考えられていた者が、理由が有って善良な人物とも取れる事がよく。出てきます【足利尊氏】がそのひとりです。戦前歴史で朝廷に背いた国賊と教えられました。然し現代に残されている寺院からは、そうとも思えない足跡が観光によって感じられました。 等持院然りです。映画監督「牧野省三像」が立っているその奥に玄関口門前に大きく「等持院」と書かれた門標がありました。足利尊氏の戒名「等持院仁山妙義」から付けられたとされます。寺院の格式から「寺・院・坊・庵・軒」とされています。戒名は残った人がその人の遺徳を偲んで贈名とするとすれば、「等持」の漢字に寺が二字含まれて居ます。慕われ尊敬された方と思えます。そして寧ろ何か原因があったのでしょう。敵であった、「後醍醐天皇」の菩提の為に、建設費を「天龍寺船」での貿易で立派な「天龍寺」を建て、その立役者の足利家は等持院で、一歩下がって礼を尽くしているように思えて成りません。【順路】•1. 表門に等持院の額が掛っています。•2. 玄関口の瓦及び蟇股には二引きの足利の家紋が見られます。•3. 廊下の突き当たりにダルマの絵が目立ちます。天龍寺の管長さんが描かれたそうです。座禅を続けていますと足が立たず、それがダルマさんの姿に成られた、「ダルマ禅師」の絵です。(天龍寺住職の絵画)•4. 方丈前の廊下は、「うぐいす張り」できゅっ・きゅっと歩くと音がします。•5. 方丈(本堂)には、釈迦三尊が祀られて居ます。•6. 【霊光殿】正面に尊氏の母堂が大切に振興つき「地蔵菩薩」を尊氏のの仏の庇護のため賜った尊氏の念持仏両脇に禅宗の祖師「達磨大師」と「夢窓疎石」が、足利将軍15代の像(5・10は除く)何故か徳川家康の像有り。7..【足利尊氏の墓】上部の宝塔が欠けています。何でも三條大橋東詰で御所に向かって、平伏している像、「高山彦九郎」が朝敵として刀で切り付けたと言う伝説が有ります。8.【池泉回遊式庭園】夢窓疎石作庭「芙蓉の池」と称し、蓮の形した「亀島」書院正面の這い松の「鶴島」「石橋」「滝の石組み」天龍寺の庭園形式になぞらえています。9.【清蓮亭茶室】八代足利義政が建てた武家床の貴人席があります。等持院型灯篭と自然石で出来た司馬温公型手水鉢が有り、茶席からの庭園の眺めもやや高台からとなり素晴しいです。 借景に、衣笠山が近年まで、眺められたのですが、時代の波に逆らえず、「立命館キャンバス」の校舎で、遮られてしまい、致し方がないとは言え残念です。 天龍寺・金閣・銀閣と足利将軍の関係する「菩提寺」としてひっそり佇んでいます。 衣笠山が見えます。映画監督・マキノ省三銅像 等持院庫裏 円の中に二の字 【二引きの足利家の家紋】禅宗では、座禅に超越した聖人は足が無いほどに修行された「達磨大師」天龍寺の住職が描かれました。方丈庭園廊下は「鴬張り」きゅ・きゅと歩けば鳴ります・霊光殿等身大の足利歴代の将軍像が置かれています。何故か徳川家康もくわわって、大厄の歳(42歳)を免れる為。
2010.12.11
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【仁和寺2.】宸殿庭園 表玄関 宸殿 左近の桜 右近の橘勅使門と仁王門庭園 五重塔 宸殿 回廊上段の間 宇多天皇肖像画 格天井は位の高い方の間 螺鈿の飾り 孔雀の襖絵庭園上段の間からの上皇が眺められる庭園風景尚裏山には、弘法大師さんの威徳にちなんで、【御室八十八ケ所】四国八十八所をまねて。山道にそってお堂が立っています。 【今年の紅葉は美しかった】気象情報会社「ウェザーニューズ」「夏の長い日照時間や秋の寒気のめりはりなど色月に好条件がそろった」1位 嵐山 (京都府)2位 清水寺 (京都府)3位 香嵐渓 (愛知県)4位 鳴子峡 (宮城県)5位 東福寺 (京都府)6位 奥入瀬渓流 (青森県)7位 いろは坂 (栃木県)8位 裏磐梯高原 (福島県)9位 元箱根 (神奈川県)10位 大原三千院 (京都府) 10位 南禅寺 (京都府)10位 中禅寺湖 (栃木県)皆様のご要望に応えて、今年の嵐山のもみじをご紹介出来て 良かったです。日本一の高評でした。次回は等持院に参ります。
2010.12.10
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【仁和寺1.】 真言宗御室派総本山 開基 宇多法皇 世界文化遺産に登録 【龍安寺】に隣接した場所に有ります。従って宇多法皇が「夏でも雪景色を見たい」「衣笠山」も近くに望めます。正門には「仁王さん」が逞しく「阿吽」(あうん)の形相で睨んでおられます。仁王門から、正面に大内山を背景に国宝【金堂】が佇み、京都御所から移された、「紫宸殿」で「現存する最古の建物」とされています。 仁和寺は、888年(仁和4年)年号と同じは、比叡山の「延暦寺」も同様です。この辺りでは、タイムカプセルのように、いにしえの御所の雰囲気で満ちています。本尊は阿弥陀如来そして、「脇侍」(きょうじ)には、観音菩薩・勢至菩薩が祀られて居ます。同じ阿弥陀三尊も、「霊宝館」には、国宝の仏像が有り、常時拝観出来るようです。手前には、「五重の搭」があり、春の遅咲きで有名な、御室の桜園が有ります。見所は、仁王門を入って左手に【仁和寺御殿】があり、二条城二の丸御殿と同じく、ボタンを各部屋で押すと、説明が聴けます。1.【本坊表玄関】玄関前の庭には、大きい這い松がみごとです。 仲に入ると「御室流の生け花」が見事です。2.【白書院】四季の襖絵が画かれ、廊下から白砂の向かいに「勅使門」「仁王門」を眺めると雄大さを感じとられます。3.【宸殿】前には、「左近の桜」「右近の橘」が備わっています。4.【宸殿の北側】に廻りますと、五重の搭が借景で心和む庭園の池にめぐり合えます。庭園要素「天龍寺の曹源池」と同じく、瀧は水が流れ、「鶴島」「亀島」そして石橋が整っていました。部屋の襖絵は、大和絵・春の桜・夏の加茂の祭り・秋の嵐山の「三船祭りの絵」冬の交野(かたの)(大阪)鷹狩り5.【上段の間】宇多法皇の居室で、最も要と成るお部屋です。此処からの庭園の眺めは最高です。天井は貴賓の方が居られる「格天井」(ごうてんじょう)で、螺鈿(らでん)細工の床。違い棚付書院が有ります。6.【霊明殿】近衛文麿公の額・秘仏薬師如来が祀られ、此処からの高台からの眺めも素晴しいです。7.【黒書院】堂本印象の襖絵。「リス」等動物の存在が可愛いです。 阿吽の阿型仁王口を開けています。阿吽の吽型(うん)型仁王 口を閉ざしています。仁王門より「大内山」を望みます。国宝「金堂」本堂です。御所の雰囲気を持っています。重要部文化財「五重の搭」未だ残ったもみじがわずかみえます。嵯峨野【常寂光寺】並びに【大河内山荘】から【徒然草】で有名な【双ケ丘】の北方に位置します。次回は、本坊庭園にご案内いたします。
2010.12.09
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【嵯峨野】小倉山山荘を後にして、途中【小倉山】を背景にしたもみじ。 表通りに出て、エムケイタクシーを拾い【直指庵】へ、途中【嵯峨天皇御陵】は、小高き丘のため、見過ごして直指庵で待ってもらって、写真撮りに更に、嵯峨野の道を走行、嵯峨野ののどかな風景。前方に【大覚寺】が見えます。広沢の池、観音島が見えます。 正面は、【遍照寺山】(へんしょうじやま)【広沢の池】も周囲1キロメートルで、京都三大池のひとつです。【京都三大池】 大沢の池、広沢の池・鏡容池(龍安寺)本日は、干潟(ひがた)にして、鯉の養殖を引き上げていますが、水面には、【遍照寺山】が美しく映るようにみえます。この山は【大沢の池】にも写す仕組みに成っています。人造池は、何かを写す対象にしてその水面の影を楽しむ目的にしました。此処も観月の名所です。広沢の池をあとにして、タクシーは仁和寺で降りました。
2010.12.08
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【直指庵】 (じきしあん)【想い出草ノート】 失恋の女性が訪れて、このノートに書き込む事で全ての苦しみを捨ててしまえる事ができるということで有名な庵です。現在保存されているノートは5000冊以上にのぼるとされています。 愛宕道とは外れますが、女性の哀話として、欠かせない閑居が有ります。NHK大河ドラマ【篤姫】が鹿児島から都の近衛家に養女となり、其のときの理解者が、【津村村岡】でした。【直指庵】浄土宗 開基 独照性円(どくしょうせいえん) 山号 祥凰山大覚寺の北方に位置します。やはり孟宗竹籔に包まれたひっそり佇む庵が建っています。隠元禅師の高弟「開基独照性円」が草庵を結びました。「直指人心見性成仏」 (じきしにんしんけんしょうじょうぶつ)禅宗の悟りを示した言葉です。枯れた松の枝が地に落ちる姿を観て悟られました。荒れ果てた「庵」を幕末の勤皇家、近衛家老女「津村村岡」によって再興されました。「村岡局の胸像」は、亀山公園の敷地内にひっそり座しています。【村岡局】は「大覚寺」の寺侍(てらさむらい)津村左京の娘でして、名を「矩子」(のりこ)といい、8歳で近衛家に仕えました。「勤皇」のこころざし厚く、女性でありながらも、国事に、奔走されました。「安政の大獄」の際、投獄されるはめにまでなりました。その後釈放後に、嵯峨野に帰り、「直指庵」にて、静かな余生を送り、88歳で亡くなりました。嵯峨野の心を癒し鎮める適所なのでしょうか、「悩める女性」の「かけ込み寺」しても世に有名でして、その悩み事を記した【想い出草】として、大學ノートが侘びしく置かれて居ます。境内には、【想い出草観音像】が優しく見守って居られる様に思えます。隠れたもみじの名所竹林ともみじそして白い山茶花本堂境内もみじ 境内もみじ津崎村岡の墓道場への道 道場 思い出草ノノートが置かれています。道場の庭先もみじのじゅうたんモミ氏の庭園大覚寺の北方に位置しますが、自動車が辛うじて奥まで通れる侘びしいところで、訪れる人はそれでも可也居られました。
2010.12.07
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【大河内山荘2.】読者の皆様のご後援で、昨日アクセス数30,000件のご訪問を受けました。此処に改めて御礼申し上げます。難病からの夢を息子の勧めで「ブログやってみる」と声かけられ、挫折するところを、コメントではげまされ12月23日からもう1年殆ど毎日書く生活のリズムと成りました。今後ともよろしくお願い申し上げます。大乗閣 大乗閣と嵐山嵐山持仏堂山荘の全ては 此処から始まりました。1931年(昭和6年・34歳)すでに大スターだった 伝次郎は、関東大震災(1923年・27歳遭遇)からの念願であった持仏堂を建て、撮影の合間にここで念仏し、瞑想し、静寂を得たことから、映画創りから庭創りの庭へと創作にあけくれました。1962年64歳逝去。 茶室と苔 茶室適水庵路地保津峡京都市街図資料館
2010.12.06
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【大河内山荘1.】 12月4日に嵯峨野の残りに行ってきました。何処も一昨日の突風で、もみじは殆ど落葉の、じゅうたん化してしまいました。 天龍寺から嵐山を望む。12月4日豪壮な竹薮の路は、嵯峨野の風情たっぷりの雰囲気です。突き当たった所を左に行きますと、「亀山公園」経由嵐山に辿り着きます。本日はその突き当たった所にある「大河内山荘」に入山してみましょう。【大河内山荘】映画俳優・大河内伝次郎の別荘 2万平方メートル(6,000坪) 故大河内伝次郎は、常に「二枚目」を維持する事によって、この景勝地を確保すべく、精神的には、山荘内に「持仏堂」を祀り信仰も厚く、体力維持には、広々とした我が所有地内を「ジョギング」して努力されたとのことです。獲得に30年要されたそうです。海老蔵も斯くあって欲しかったです。亀山に隣接し、小倉山にも望める別荘で、坂道も含む、自然の起伏のある庭園です。小高き丘から、京都市街の眺望も素晴しく、比叡山・双ケ丘(ならびがおか)も良く見えます。向きを変えると、嵐山の遠景も目を見張る景勝に歓喜を覚えます。場所を変えると、保津峡の直ぐ側に面し、「山紫水明」の絶景も観られます。【大悲閣】のお堂も見られました。 暫し、故大河内伝次郎を偲びつつ山道を巡られるのも、良い想い出に成ると思います。 「記念館」もあり、「お食事処」も有ります。受付で貰った「お茶券」で、ゆっくりお菓子と「薄茶」で一服されるのも、心落ち着いて暫しの憩いとなりましょう。大河内山荘への道 竹薮 竹薮の突き当たり、うすぐらいです。入り口、受付入り口から暫しあゆみますと、山荘の風景が目に入ります。苔の庭 おうすと菓子をよばれる処。 門大河内山荘とバックは嵐山次回は、2万平方メートルの庭園を回遊しましょう。
2010.12.05
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【車折神社】 (くるまざき神社) 【芸能神社】本殿 祈念神石芸能神社有名俳優奉納札三條通参道入り口社名は、【後嵯峨天皇】が大堰川(おおいがわ)へ行幸の際神前で御車の轅(ながえ)が折れてしまったため神威を恐れ車折大明神の号をおくられました。【三船祭】 5月第日曜日に大堰川で行なわれます。境内に 【芸能神社】が芸の達成の為、名札を奉納しています。2千枚飾られています。昔は、美空ひばり・五木ひろしの名がありましたが今は無くなりました。祈念神石 はじめに、社務所にて祈念神石を授かり神前で願い事をして、持ち帰り、願い事が適えば、神前に返納するもので、山のように詰まれていました。嵐山・大堰川(おおいがわ)【三船祭】 宇多上皇の行幸のあった大堰川のご船遊びに因み、御座船・龍頭船・鷁首船(げきしゅ)など二十数隻が様々な古典芸能・芸術を奉納し平安時代の船遊びを再現します。豪華さは、菅女たちが、川面に扇子を多く流しそれを競って拾う観光客の姿でした。
2010.12.04
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【清凉寺】 (せいりょうじ)【嵯峨釈迦堂】浄土宗 開基 ちょう然(ちょうねん) 山号五台山(中国にあり)清凉寺表門 嵯峨野巡りも終えて、嵐山の方に戻った位置に「嵯峨釈迦堂」があります。この一帯は「源氏物語」に登場する「源融」(みなもとのとおる)が営んだ山荘(栖霞観)(せいかかん)と言われています。「源融」は嵯峨天皇の第14子の皇子で、「源氏」の性を受けました。【源氏物語の主人公光】がモデルとなっています。宇治の別荘は後に【平等院】として世界文化遺産に登録されています。墓は此処清凉寺に有ります。 奈良の東大寺の僧、「ちょう然」が中国「宋」から帰国し、中国の五台山にならって、「愛宕山」を五台山に見立てて「清凉寺」を建立、「栖霞寺」内に釈迦堂を建てました。有名な【三国伝来の釈迦如来像】【国宝】(インド・中国・日本)仏像に独特の筋が入り、頭髪は渦巻きのように現されると言う「清凉寺式釈迦」として異色の雰囲気を持つ、「お釈迦さん」です。 【阿弥陀堂】阿弥陀如来・観音菩薩勢至菩薩(両脇侍)【国宝】左大臣「源融」は、晩年、阿弥陀如来像の建立を発願しましたが、完成を待たずに他界しました。息子達は亡父の意思を継ぎ、一周忌に完成しました。 死後極楽浄土を願っての造像は、後に「藤原頼通」発願の宇治平等院鳳凰堂の阿弥陀如来像に繋がりました。 【釈迦堂内】の【釈迦十大弟子】足には靴を履いています。奈良の興福寺は草履を履いているようです。十大弟子像には【通肩】(つうけん)は少なく、「右肩」を出している姿が多いようです。この着方を「偏担右肩」(へんたんうけん)と言い、仏や師匠を礼拝するときの恰好とされています。 「十大弟子」にまつわる二題【阿那律】(あなりつ)釈迦の従姉妹にあたり、お説教中居眠りし、反省して「私は、一生眠りません」と誓い、目がわるくなって失明します。顔を右に向け必死で目を見開いている姿。結果彼は失明しますが、「天眼智恵の目」を得ました。【優波離】(うばり) 阿那律の従者でありながら、主人より先に出家してしまいました。奴隷の身分で、自分のように身分の低い者でも釈迦の弟子に加えられた歓喜の表情を浮かべています。 【宝篋院】(ほうきょういん)臨済宗天龍寺派「清凉寺」仁王門の西に位置します。二代将軍足利義詮(よしあきら)の塔所で戒名から寺名にしています。有名なのは楠正成の子「正行」(まさつら)の首塚が義詮の墓所に隣接して、「三重の搭」「五重の搭」の石塔が立っています。南北朝の敵ながら。義詮が正行の人柄を慕い、其の側に葬るように遺言されたということです。秋には【紅葉】の素晴しい穴場ですので、是非覗いて見て下さい。【森嘉】(もりか)仁王門の東へ直ぐの所に「嵯峨の豆腐」の老舗が有ります。「愛宕水」の名水で作り上げた豆腐は、朝一番に売切れてしまうほどです。ひろす・湯豆腐等本堂本堂大覚寺が父親の【嵯峨天皇】そして極めて近い場所に息子の【源融】然も【源氏物語】で話題に成るほどに、嵯峨は京都の歴史を築き上げた、文化発祥の地とも考えられる様です。本日定期的通院に待たされて一日がかりでした。遅くなりまして御免なさい。
2010.12.03
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【大覚寺門跡4.】 写真は一目で雰囲気を理解していただきますが、文章では下記の通りです。【大覚寺】真言宗大覚寺派総本山 開基 嵯峨天皇 山号 嵯山 いよいよ嵯峨野巡りの集大成の「大覚寺」に参りました。現代で有りながらも、未だに「時代劇のロケ地」として、大自然の趣を見せています。「大沢の池」池畔からのシーンが多いです。中国の洞庭湖を模して造られ、向いに「遍照山」(太陽のこと)が池面に写され、舟を浮かべて観月にも興ずることが出来ます。池の随分北の方面に歩みますと「名古曽の滝跡地」が、ひっそりと存在していました。百人一首に歌われています。「滝の音は 絶えて久しくなりぬれど 名こそ流れて なを聞えけれ」 藤原公任(きんとう)この状況で、作詞家 永六輔は、「女ひとり」1節「大原三千院」2節に「栂ノ尾高山寺」そして3節に「らんざん大覚寺」を「京都」として選ばれました。ディュクエイセスの歌「京都らんざん大覚寺 恋に疲れた女がひとり 塩沢かすりに名古屋おび 耳をすませば滝の音 京都らんざん大覚寺 恋に疲れた おんなが ひとり」「直指庵」も近くにあり、女性の心の安らぎ憩いが得られる環境に嵯峨野はあるようです。 「大覚寺」は「嵯峨天皇」の離宮を寺に改め、代々法親王が継がれた格式の高い門跡寺院でも有ります。境内は渡り廊下で繋がり、広く、今でも御所風の雰囲気に満ちて、優雅な気持ちを味わう事が出来ます。 玄関(何故か「明智門と言います)の門を潜りますと、豪華な「御嵯峨流」の生花が歓迎してくれます。各部屋の襖絵には、狩野派の画家によるものが、観られます。【宸殿】(しんでん)後水尾天皇の中宮(皇后)「東福門院」の旧殿を移築されたものです。前庭に、「左近の梅」「右近の橘」が構えています。「桜」のはずが、100代後小松天皇まで「梅」でした。【御影堂】嵯峨天皇・後宇多法皇が祀られて居ます。【御霊殿】後水尾天皇の御法体尊像が祀られて居ます。【五大堂】弘法大師御作と言われる「五大明王」は「嵯峨天皇」が祈願される「本尊」でした。【霊明殿】嵯峨天皇・後宇多法皇を始め歴代御門跡の尊牌、全国華道の師範の霊が納められています。【心経殿】般若心経の写経場。 嵯峨天皇が弘法大師のお勧めで、写経された所、世の悪病が鎮まり、その後も引き継がれています。【正寝殿】南朝・北朝が講和された歴史的場所と成っています。結果南朝の後亀山天皇から、北朝の後小松天皇(一休和尚の父君)へ譲位されました。 京都観光の人気の高い嵯峨野巡り、スケールの大小、壮大さ、侘びしさ、祈りの場、紅葉・桜の名所、景色の名勝、竹や苔の美しさ、悩める人には慰めてくれる環境。変化があって、四季を通じて、又感想が違うそして、詩歌の跡の文化を味わう観光地でした。 表門 表玄関這い松宸殿 宸殿の左近の梅。右近の橘 100代後小松天皇より左近の桜 宸殿のもみじ 勅使門と嵯峨菊回廊 展望台から大沢池展望台もみじ 勅使門御所車 境内の紅葉表玄関と嵯峨菊
2010.12.02
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【大覚寺門跡3.】 日云暮 稽首傷離望雲烟【嵯峨】の石碑の近くで発見しました。池畔の広場の一角に立て札と共に立っていました。 与海公飲茶送帰山一首かいこうと、ちゃのみ、やまにかえるをおくる。 嵯峨天皇詠道俗相分経数年 今秋晤語亦良縁どうぞくわかれて、すうねんをへたり、こんしゅうごごするも、またりょうえん。香茶酌罷 日云暮稽首傷離望雲烟こうさくみて、ひここにくれる、けいしゅして、わかれをいたみ、うんえんをのぞむ。 嵯峨天皇と弘法大師空海との深い親交を物語る。ひさしぶりに空海と歓談した嵯峨天皇が高野山に帰って行く空海をいつまでも見送っている情景を詠んだ歌。だれしもリーダー格になりますと孤独に成るものですね。然し茶を酌み交わして歓談出来る親友の存在は、人間として、至福のひとときとなるのでしょう。共に【三筆】に【橘逸勢】(たちばな・はやなり)と【書】の達人とされています。嵯峨野の風景、【朝原山】(遍照寺山) 大沢池 そして山の南の【広沢池】にも映ります。大沢池東から、背景は嵐山です。大覚寺の建物も見えます。大覚寺と嵐山 多宝塔が見えます。 菊島 池の南から大沢池1キロを巡ってまいりました。初体験です。尚【名古曽】の和歌には、人生を詠んでいるともいえます。解りやすくすらつと詠まれていますが、意義はとっても深いと感じました。「滝の音は絶えて」 人は生るもの等しく命は絶えても「久しくなりぬれど」 遠く日は過ぎ行きても「名こそながれて」 其の名こそ伝わって残され「なお聞えけれ」 未だに其の名声は聞えて来る。そうした人生を送りたい。平安時代に詠まれた名句は未だに残され居る事に感銘を新たにしました。是非機会があれば、ご訪問をお勧めします。
2010.12.01
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