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【鬼子母神】 (きしもじん)京都・三十三間堂の 1001体の観音さんの前に観音さんの護法神・二十八部衆【国宝】が並んでいます。昨日の【阿修羅像】と同じく 【鬼子母神】 も並んでいます。【鬼子母神】は自分に千人ともまたは万人とも言われる子供を持ちながら、他人の子とみれば、奪って食べてしまうという。恐ろしい輩(やから)でした。お釈迦様はあまりの事で、戒めのため、最も彼女の可愛い「末っ子」をそっと隠されました。それを知った彼女は、吾が子は何処や、と悲しくって、泣き叫びました。其処でお釈迦様が諭され、「吾が子がかわいいか?」「はい、とても悲しいです」「お前のために、食べられた子の母親は如何ばかりに悲しいことか、わかったか?」「はい、よく判りました」と改心180度変身して、仏の護法神と化し、【求児・安産・育児】の祈願を叶えるほどになりましたとさ。関東方面での【鬼子母神さん】信仰は熱つく、広まり、鬼子母神の像の胸のところに、末っ子一児をかかえているのを見かけます。広辞苑に絵が掲載されています。ご参考までに、かくして、最悪の業も、お釈迦様は、最高の善へと、改心させられました。【邪鬼】も仏の護法神として、最下部組織として、仏の道に適って居る様です。
2010.07.31
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【阿修羅立像】 (あしゅらりゅうぞう)奈良・猿沢の池の近くにある 【興福寺】に有る【阿修羅立像】 は、私の最も好きな仏像です。昨年、東京国立博物館での、展示には、毎日鑑賞する人で、大人気になりました。意外と、小柄で手足も細く、顔が三面有って表情が夫々違います。眉間にしわをよせて、悲しみを寄せて居るようで、するどく前方を見つめています。足許を見ますと、わらじを履いています。ユーモラスです。一見怖そうで、優しく・誠実で純真な少年の顔に見受けられ、人夫々に、感想は違うでしょう。【阿修羅】 は、もともと闘争のすきなインドの神でしたが、 【お釈迦さん】 の説法を善く聴くことにより、一変して、お釈迦さんを守護するように成りました。阿修羅像は。京都三十三間堂でも、又違った形相で鑑賞出来ます。
2010.07.30
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【津崎村岡局】(つざきむらおかのつぼね)幕末の勤皇派の女性嵐山・渡月橋の少し上流、大堰川沿いに【亀山公園】が有ります。少し小高い丘に、【村岡局】の銅像が有りました。地元の人に聞いて、側まで行かないと、判らない程、茂みの蔭にひっそりと、しかも凛として、和風姿で構えて居られました。NHK大河ドラマで、鹿児島・島津斎彬の養女【篤姫】が京都で左大臣【近衛忠煕】(このえただひろ)に面会その養女の位として、第13代徳川家定の室として、江戸へ侍女【津崎村岡】とも親交が厚かったようです。安政の大獄の事件後、幕府は、勤皇攘夷派を厳しく取り締まり、村岡局も西郷隆盛等、取次ぎ役とみなされ、江戸に投獄されました。後に開放されて、嵯峨野の【直指庵】で、読み書きを教え、地元の人々に大変尊敬されたそうです。日本の大革命であった、幕末に勇気ある信念で近衛家に一身を投じられました。女傑の一人として忘れる事が、出来ません。【直指庵】(じきしあん)は、失恋の人が掛け込み、書院に置かれた、帳面に自分の気持ちを記すことで、心を癒し、そして再出発の動機になるとして、かなりの記帳文が、置かれています。村岡局の生き様にも励まされるのかも知れませんね。
2010.07.29
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【平家物語・横笛と滝口入道】嵯峨野。【祇王寺】に隣接して【滝口寺】があります。平家の六条の屋敷で、年のころ18歳、艶やかな白拍子の舞姿に、一と目ぼれした。宮中擁護役の【平重盛】の家臣【斉藤時頼】は、交際を希望するも父から身分不相応の理由で、猛反対にあいました、時頼は、出家して【滝口寺】に僧となり、【滝口入道】となりました。或る寒い夕暮れに、【建礼門院】に使えていた【横笛】が滝口寺に入道を慕って、尋ねてきました。讀経の声で、心おどらせ、戸を叩きその旨伝えるもややして、取次ぎの小僧は、「本人は此処にいません」と断わられてしまいました。讀経も静かになりました。余りの切なさに、【横笛】は、庭に、据え付けられた岩に指を切り、その血染めで、悲しみと恋心を記して、嵐山の【大堰川】(おおいがわ)に身を投じたという。悲しい結果でした。血染めとされる岩だけは、【滝口寺】に遺されています。救われる事は、もう一説あり、奈良の大仏さんの近くに【法華寺】(ほっけじ)があり、其処には、恋文で作られた【横笛像】が現存しています。やはり出家して、【高野山】に、共に仏に仕える身として、祈りの余生を送ったのでしょう。 一方【滝口入道】は横笛の出家を知り、安堵して、【荒野の聖】(こうやのひじり)と成られました。嵯峨野めぐりは、こうした昔話も、知られた上で訪問されると一段と、周りの環境に光が射してくるものと信じて止みません。
2010.07.28
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【琴きき橋と小督局】(こごうのつぼね)嵐山・渡月橋の北の川岸に 【琴きき橋】の塔が立っています。大勢、景勝地嵐山には、訪れられますが、先ず関心は持たれていません。有名な歌、【黒田節】の二節「峰の嵐か 松風か 尋ぬる人の 琴の音か 駒引き止めて 立ち寄れば 爪(つま)音高き 想夫恋」宮中一の美貌で、琴の名手であった【小督局】は、80代高倉天皇の寵愛をうけていました。実は、中宮は、【平清盛の娘】【徳子】のちの【建礼門院】でした。徳子11歳の幼年で縁組されました。それで父、平清盛の逆鱗に触れ、此処嵯峨野に小督を追放しました。高倉天皇は、それでも恋しく家来の【源仲国】に命じて此処嵯峨野に、駒(こま)(馬のこと)を進めて行く内に激しい、琴を弾く曲に、立ち止ったところが、「琴きき橋」の地でした。琴の音は、爪を激しく弾く、お互いが思い会う曲でした。仲国は、近くに庵居のある屋敷を訪れ、主人高倉天皇の意志を伝え、宮中に連れもどされたそうです。現代も、庵の跡地として、「小督庵跡地」の石碑が建っています。国道1号線、山科からトンネルを抜けますと、東海道の終着京の都が望める、感激的な地、【清閑寺】をとおります。その寺の横に、高倉天皇の御陵と天皇の遺言により、そのお側に、【小督の宝筐印塔】即ちお墓が、今もご一緒に眠って居られます。
2010.07.27
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【天神祭・船渡御】 日本三大祭・大阪7月25日は、大阪・天神祭でした。温度36.7度菅原道真公を御祀りする、【大阪天満宮】の祭りでフィナーレでは、船渡御(ふなとぎょう)と奉納の花火が打ち揚げられました。飾り付けた船100艘が、淀川に浮かべ、鐘の激しい囃子で、賑わいました。24日には、祇園祭りも、神輿が八坂神社に戻る比較的、静かな行列でした。【後の祭り】と言います。【大相撲名古屋場所】横綱・白鵬の三場所連続の全勝優勝の新記録も、涙のインタビューでした。汗水不屈の稽古も、手放しで、報われず。一日も早い、相撲界の浄化による、復活を望みたいです。
2010.07.26
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【平家物語の女性の哀話】【祇王・祇女・母刀自そして仏御前】【平清盛】に仕える白拍子(しらびょうし)【祇王】は、美貌で、舞にも右に並ぶ人は居ませんでした。とても寵愛されていました。ところが在る時に、屋敷に一人の女性が、門を叩きました。【仏御前】の同じく、白拍子として仕えたいと。清盛は、直ちに門前払いして追い遣りました、心の優しい、【祇王】は、清盛に一度で良いから、舞をみてからにされては、と進言されました。そして清盛も承知して、館で仏御前の詩と舞を観られました。すると、あまりにも艶やかで、採りあげた詩も、母からよく聞かされた「子守唄」でもありました」涙してその美しさに清盛の心は、仏御前に移ってしまいました。それだけでなく、祇王に仏御前の身の回りの世話役を仰せ付けました。祇王は、折角仏御前を取り成した、恩人ながら、そんなことは通りませんでした。襖絵に「萌え出ずも 枯るるも 同じ野辺の草 何れか秋には あわではつべき」と書き残して、妹の祇女と母の刀自(とじ)とが、静かな嵯峨野の庵に、親子三人で、出家して尼僧と成られました。有名な【祇王寺】です。時も過ぎて、或る日祇王寺に女性が門を叩きました。何と、仏御前でした。普通の人間であれば、恩知らずめと、けんもほろろに追い返すでしょうが、こころの優しい祇王は、どうされたのですかと、聞かれると、「書き残された襖の詩を観て過ごしていました」と、ここに一緒に仏に仕えたいと、願うと、抱きかかえるようにして祇王は、受け入れられました。一権力者の、自己本意で、生を受けた同じ人間の思い遣りなどかけらもなかつたのでしょう。親子三人の墓は、祇王寺に眠っています。そして仏御前は、加賀の里に眠っています。嵯峨野巡りは、とても女性に人気のある観光地であることもうなづけます。紅葉時季は、最高です。此処をご案内するたびに、祇王さんの「心の広さ・優しさ」で救われる事を、心を込めてご説明して来ました。
2010.07.26
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【京都の阿弥陀如来坐像】【宇治の平等院】日本最初の仏師【定朝】(じょうちょう)作【藤原頼道】(ふじわらよりみち)は、権勢は充ちて、更に生きて居る間でもこの世に「極楽浄土」を実現しようと、阿弥陀如来坐像を中心に、その支える柱には、【法相華】(ほうそうげ)という、極楽浄土にしか咲かないと花をあしらい周りの壁には、【雲中供養菩薩像】(うんちゅうぼさつぞう)を配し、夫々、浄土で奏でられる、楽器を持っています。恐らく京都一の阿弥陀さんと思います。足利義満は、【金閣】と庭園で極楽浄土を再現しました」頼道は、仏を主体に再現し、一般大衆にも分け与える思想の表れとして、阿弥陀さんの顔だけが、見えるように【丸窓】を配しています。どちらにも、浄土にしか住まないという、【鳳凰】が屋根に表現しています。権力者から、去り、出家された尼僧の拠り所も、【阿弥陀さん】だったのですね。阿弥陀さんは、極楽浄土に招き護ってくださる仏です。皆様のご家庭での、仏壇にも親指と人差し指を丸く輪を作られた、阿弥陀さまが祀って有ると思います。
2010.07.25
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【歴史人物の相関関係】【祇園祭り】から【八坂神社】の何気なく建っている【忠盛の燈籠】 から、リンクして、平家一族の人間関係が私自身も、始めて発見した感じで勉強に成りました。23日昨日のブログには、貴重な三名の方からの、コメント頂きました。天皇の中宮(皇后)の身であって、出家・尼僧になられたのですね。現代ではとても想像も出来ません。今まで、観光も部分的に、「だれだれが...」と説明してきましたが、人物の相関関係を全体で知る事で、関心と謎が判る様に、感じました。今後、嵯峨の巡りの「女性の哀話」も殆ど、男性権力者の犠牲になっていることに、哀れを感じます。それを偲びつつ嵯峨野巡りをされる所に、人間性が回顧されるので、人気があるのでしょう。【定朝様作】【日野法界寺】の【国宝・阿弥陀如来坐像】も【親鸞上人】が幼少の頃からの、優しい心が養われたと云われています。尋ねる人は、少なく、ゆっくり対座して礼拝することが、出来ます。
2010.07.24
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【建礼門院】と【大原三千院・往生極楽院】昨日は、【待賢門院】と【阿弥陀如来】の安住の場所をご紹介しましたが、【建礼門院】も、心痛の極に達し、三千院の【阿弥陀三尊】の慈悲深き、お側にと大原【寂光院】にやはり、阿波内侍がお供して、出家尼僧として、仏にお仕えになりました。宮内庁御陵も、寂光院に隣接して建てられています。【平清盛】の娘【徳子】が、後に【建礼門院】になられました。少し前にご紹介しましたとおり、【平清盛】は養父【平忠盛】が【白河法皇】と【祇園女御】の子を、ご褒美で養子として授かった者で、。皇位の血筋も流れ、吾が娘【徳子】を【高倉天皇】の中宮に縁組み、【安徳天皇】が授かりました。平家滅亡の「長州・壇ノ浦」で、母子が瀬戸の海に入水されるも、建礼門院だけは、義経によって、引き揚げられ生命を保たれました。ひと時、京都円山公園側の【長楽寺】に落ち着かれ、後に【寂光院】へと赴かれ、わが子【安徳天皇】と【平家一門】の菩提を弔う為に、中宮(皇后陛下)の立場でありながら、貧しい生活を好んで選ばれたそうです。村人達は、健康を心配して、食事が進み、栄養にと「柴漬け」が考案され、生まれたとされています。大原の観光人気の高いのも、こうした、哀話があり、阿弥陀如来によって、人は救われていく、自然の心の拠り所を、求めて訪れる方が多いです。【建礼門院お住まい跡】の碑の側に立ちますと、霊気を感じ森閑な雰囲気で、自然の別世界に佇む感触を覚えました。そして今でも、絶えない、「清水の涌水場」では、此処で野菜など洗われたのではと、親しみを覚えました。
2010.07.23
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【待賢門院】(たいけんもんいん)【法金剛院】(ほうこんごういん)JR山陰線「花園駅」の向いに有ります。地元の新聞では、蓮の花 が見ごろと写真が掲載されていました。開基が【待賢門院】 山号は【五位山】そして宗派が清水寺と共に、珍しく奈良の【律宗】となっています。【阿弥陀如来坐像】 仏師 定朝様作品 仏間に同じ高さで対峙して、優しく厳かな、阿弥陀さんのお顔を拝しているととても落ち着きました。恐らく京都では、外に体験出来ないと思われます。先日、【白河法皇】と【祇園女御】のお話に触れましたが、【待賢門院】 【藤原璋子】(ふじわらのしょうし)は、藤原公実の娘でありましたが、白河法皇の養女として、祇園女御にやしなわれました。後に【74代鳥羽天皇】の【中宮】として、【75代崇徳天皇】【77代後白河天皇】を産まれました。然し、白河法皇が崩御されてからは、夫、【鳥羽天皇】に【美福門院】が付き、寵愛を失いました。出家して、此処【法金剛院】で、静かな余生を仏と共に過ごされました。歌僧【西行法師】もよく訪れているようです。出家にお供した、【待賢門院堀河】は詩に富み、小倉百人一首80番が選ばれています。「長からむ 心も知らず 黒髪の 乱れて今朝は 物こそ思へ」【待賢門院】は、中宮のため、宮内庁の御陵「花園西陵」として、境内の【五位山】の北東に祀られていました。ひと目に付かない、静寂そのものの木陰で、今は眠って居られます。「平家物語」の主人公の一人【後白河天皇】を育てた方でした。歴史は動きました。
2010.07.22
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【東寺】【弘法さんと天神さんは、仲がよくない】本日21日は、弘法さんの縁日で賑わう日です。25日は、北野天満宮の天神さんの縁日が開かれます。約一週間の間で、晴天か、雨天かに気象変化することで、地元では、21日が天気なれば、25日は、雨降りかと面白い表現を取っています。それにしても暑いですね。京都も36度の予報です。クマゼミが鳴き出しました。蝉時雨なおさらに暑く感じます。【縁の下の力持ち】【東寺五重の搭】木造建築で、日本一高い【国宝】の塔が、京都駅の南に目立ちます。三代将軍徳川家光の再建されたものです。過って、観光の勉強会で仲間と、東寺のご住職のご説明で最下層の四角の軒下に、注目そこには【邪鬼】(じゃき) が、建物を踏ん張って構えている像が有りました。形相は、厳しいですが、何とも云えぬ、ユニークにも感じられました。ご住職は、「縁の下力持ち」の語源が相応しいと仰りました。その後、お客様をご案内して、見過ごしそうな、為になるお話しの隠れている事に、歓んで居られました。修学旅行生は、「おじさん。ジャッキーですね」と。東寺をはじめ、奈良・京都外、仏像の形式で、四天王・明王などの足下に【邪鬼】を天邪鬼(あまのじゃく)と称して、それを懲らしめる為に踏みつけている。という観察が、常識的ですが、ご住職ならびに、人間国宝となられ、故人と成られた、嵯峨野。愛宕寺(おたぎじ)のご住職で、国宝級の仏像を修理された【仏師・故西村公朝和尚】の説明では、邪鬼も仏の護法神として、仏一族に属する観点で踏みつけられているように、見えて、実は、踏ん張って支えている姿と観るべきと説かれていました。観察は、自由ですが、仏の世界の寛大さが広がるように見えました。「縁の下の力持ち」
2010.07.21
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【八坂神社】京都も34.4度の暑さに耐えています。鴨川の水の流れも、平常に落ち着きつつありますが、濁りは、消えていません。祇園祭りで、賑わった「四條通り」の東突き当たりに、八坂神社があります。昔は【祇園社】とも呼ばれていました。勿論周囲には、舞妓さんたちが活躍する【祇園花街】が有名です。4月に【都をどり】から始まって、各花街での催しが行なわれます。雅(みやび)の世界です。八坂神社の祭神代表は、【素戔鳴命】(すさのうのみこと)とされています。天照大神のやんちゃの弟神です。別名【牛頭天王】(ごずてんのう)は、仏教の守護神として、現在、知恩院の境内北方に【瓜生石】(うりゅうせき)が置かれていますが、「知恩院の七不思議」の一つでこの石に、牛頭天皇が天下られ、石の割れ目から瓜が生えたと言う、伝説が有ります。その他、与謝野晶子の歌碑が境内にあり、円山公園も皆様の憩いの場所です。山際には、坂本龍馬と中岡慎太郎の銅像もあり、日本の前途を心配しているようです。「しっかりせんとあかんぜよ」と。
2010.07.20
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【八坂神社】【忠盛燈篭】(ただもりとうろう)祇園祭り山鉾巡行も終えました。勇壮な「鉾回し」は【辻回し】が正式でした。八坂神社境内に、面白い伝説がありますので、ご紹介してみます。本殿の東の方に、「円山公園」から八坂神社の境内に入った場所に建っています。【白河法皇】が【平忠盛】を伴って【祇園女御】(ぎおんにょうご)を尋ねて、祇園社に来られたときに、雨の中怪しげな光を伴う妖怪を目の当たりにされました。「白河法皇」は「忠盛」に命じて、「射止めよ」と次の忠盛の仕草が、歴史を作りました。生け捕りにして、正体を確かめたのです。やはり正体は、祇園の社僧が、燈籠に火を灯すために、蓑笠からもローソクの火で光っていました。沈着冷静な、忠盛により、尊い命は救われました。よってこの地に、忠盛を讃えて、八坂神社の境内に飾られています。お話に続きが有ります。白河法皇は、即命令に応じず、叱るべきところ、社僧を誤ってあやめる事がなくってすみ、その功を讃え、褒美をとらせようとして、既に、法皇により、腹ぐんだ祇園女御の子が男子であれば授けようと結果男の子でした。それが何と【平清盛】として、平家棟梁に成りました。祇園女御は、妹の説もあります。「祇園精舎の鐘の音 奢れる平家久しからず」何か因果がありそうです。【白河法皇】は権力者で、この世で適わないものは、ひとつとして無い。然し有名な言葉が京に残っています。白河法皇でも、思うようにならなかったもの。鴨川の水双六の賽の目比叡の山法師でした。白河天皇御陵は、京都南インターを降りて、城南宮の南当時、鳥羽離宮を建てられていた跡地に鳥羽天皇と隣接して眠って居られます。
2010.07.19
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【祇園祭巡行直前の様子】地元の者こそ、余り参加しません。然し本日は巡行の開始前に見てきました。地元夕刊の報告では、梅雨明け宣言と相まって、昨年より7万人多い20万人の観客だったそうです。長刀鉾が先鋒で、次いで今年の一番籤を射止めた【孟宗山】が目を引きました。 長刀鉾はビルの高さほどに 孟宗山は、中国の孝行息子の故事に因み 八坂神社からのお旅所です。地元KBSの放送席です。お旅所の前で実況です。タレント【大桃さん】出場です。門川京都市長が大名姿で、籤あらためする場所です。小学生の代表も多く上手く行われると拍手が起ります。一番の見所です。 長刀鉾の発信直前です。 お稚児さんは、後僅かで登場でしたが、人並みであきらめました。 函谷鉾 油天神山菊水鉾の室町通での鉾回しの姿 四條・河原町での鉾回しは、勇壮です。 月鉾の出番です。 月鉾の上に兎と三本足の烏が肉眼では見えますが残念。芦刈山です。四條通は、電線もありません。双方二車線で歩行者天国中です。 【蟷螂山】(かまきりやま)の出番です。 ユニークなかまきりの動きは注目の的です。巡行も9時発進。正午過ぎ一巡して元の位置に戻ります。桜の花が散る如く、即解体する慣わしとなっています。24日には、神輿がお旅所より、八坂神社へ帰られます。後の祭りです。巡行の華やかさに比べて、ひっそりしていますので、語源が此処から産まれたとされています。巡航中の写真は、動きがとれず、一箇所と成りがちなので、歩行者天国をあるきつつ一連の祭りの様子を撮って見ました。そして17日で報告もおわりとします。祇園祭が日本だけでなく、世界の祭りとして、災禍から免れ世界平和のメツセージでもあることを念じて止みません。
2010.07.17
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【祇園祭り】昨夜は、梅雨の末期も雷と共に、雨にもたたられましたが、宵山のクライマツクスの頃には、雨もあかり、地元の新聞では、47万人の祭りに参加したの人出という報道でした。各地に梅雨期の異常なまでの豪雨と川の氾濫。がけ崩れなどで被害を受けられた方々に対し、こころよりお見舞いしたいです。祇園祭りの趣旨も、疫病退散を主とするもので、あやかって欲しいです。本日は、朝から久方振りの快晴、久しくおめにかかれませんでした。盛大に巡行が行われる事でしょう。
2010.07.17
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【金閣寺】 その6夕佳亭の茶室から、夕べの金閣の輝きを佳しとしたのでしょう。茶室の雨だれの下には、木炭の炭が敷かれて居ます。軒下ではねない工夫と、雨だれの音に趣があるのでしょう。いよいよ出口になりました。 出口には、おうすのお茶を、一服楽しめる事が出来ます。 最後に、弘法大師が彫られたと言う【石不動尊】(いわふどうそん)が祀られて居ます。そして例により、蟇股には、龍が飾られていました。大型駐車場に向かって、【左大文字】が観られます。銀閣寺に、大本の【大文字】があり、本山【相国寺】を真ん中に挟んで、対照の位置に有ります。【相国寺】は義満が建てた【花の御所】が有った周辺です。一休さんと頓智比べしたユニークな将軍のイメージで終わりたいですが、中国明との外交では、「日本国王臣源」として署名したり、親子の間柄では、次男「義嗣」を偏愛して、4代将軍「義持」とは不仲で時代を超えて現代でも悲しい現実が有りました。義満死後、金閣を残して全て一旦は廃墟になったそうです。何故か【義満】の墓だけは、見当たりません。検索しても【相国寺】と書かれたものがありますが、【義政の墓】は確認とれても、見当たりません。合同菩提寺は、【等持院】そして戒名が有るのは、嵐山渡月橋の【臨川寺】です。親孝行出来る雰囲気の家族が一番恵まれるということでしょうか。歴史はミステリーが多いです。16日は、祇園祭り宵山ですが、雨になりそうです。通院のため15日に重ねて記しました。
2010.07.15
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【金閣寺】 その5梅雨末期の各地の豪雨被害に会われた方々の悲惨さをお慰めしたいです。当地金閣寺の鏡のような美しい池も泥水で氾濫した旨全国のニュースにも成ったほどです。【鏡湖池】の上段に【安民沢】が有ります。中央の島に【白蛇の塔】即ち水神の弁才天の化身とされています。更に進みますと、有名な【夕佳亭】(せっかてい)金森宗和作の茶室です。南天の床柱と萩の違い棚で有名です。南天は、「難を転じて福と為す」とめでたいものとされています。ここにも 教訓が隠れているようでした。茶室の前庭の飛び石の三つ目には、名石を配置するそうです。そして「見回り石」とも言われ、そこから周囲360度見渡してみると、種々の宝物・景観が味わえるとします。正面の床柱を鑑賞し、右に向けば、【富士方の手水鉢】を発見します。八代将軍義政寄贈と書かれています。そして更に右へ、金閣・鏡湖池・衣笠山が見え、そして更に右に回ると、美しい落ち着いた安民沢・白蛇の塔が観られます。 人間って、安外前へ進むだけの行動がちです。此処でも、観光客の殆どの人は、前へ進むだけで後ろを振り向きもせずに、サツサと去って行かれれます私のお客様には、その石の上に立ってもらって、右に向いてくださいますか。と体験して頂きます。他の観光客も、思わず注目されます。富士の手水鉢の存在を発見されました。金閣をもう一度観られました。 以外や、たまに後ろを振り向く事で、宝物を見落としている事に気づくものでした。外野のある社長さんが「君、この話貰った。明日の朝礼で使わして貰う」と。とても嬉しかったです。
2010.07.15
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【金閣寺】 その4義満の【極楽浄土】をこの世で、表現したい野望は、緒国の管領に布令を出し、各国の【名石】を集めました。金閣からの正面に【三尊石】を配し、日本本土と模る【細川石】を船頭に【葦原島】 を配し、【鶴島】【亀島】そして奥には、富士の形をした【畠山石】最も名石は、秀吉の名石狩からも免れた 【九山八海石】(くせんきっかいせき) は、中国より取り寄せた名石です。 一般人は、側面からしか鑑賞できませんが、金閣の正面からは、素晴しい景勝として、眺められる事でしょう。 金閣の裏側から舟着き場 立ち入り禁止の西側 金閣寺垣根 鯉魚石(りぎょせき) 鯉の滝登り 登竜門
2010.07.14
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【金閣寺】 その3 【金閣の美】は三層に建築様式を変えているところにもあります。上層には、極楽にのみ住むと言う鳳凰を屋根として。【仏殿造り】に中層は、【武家風造り】にそしてこの二層に、金箔が施されています。三層目には、【寝殿造り】として、地肌の木材と【白い壁】が全体の美の調和を保っているようです。一説では、義満は傲慢で、武家は公家を凌いでいる形に造らしたのではと。観光客の殆ど方は、「うわあ~」と歓声で、【金閣】のみに、目は注ぎそのまま、過ぎ去って行かれます。勿体無いです。【金閣寺の本堂は何処に?】 有りました。皆様左に見える【金閣】に対し、右に目を向けるだけで、垣根越しに【本堂・方丈庭園】が写せました。 左側が【本堂・方丈】です。非公開 白川砂と岩の配置の方丈庭園です。 本堂の裏に、義満が盆栽から育った樹齢500年余の【陸舟・五葉の松】です。【宝船】とも云われ、【鏡湖池】即ち極楽浄土に向かっているとしています。【陸舟の松】の向かう、【鏡湖池】 前方の山が 【衣笠山】で、龍安寺の【鏡容池】と同様に、池に映る美しい姿を愛でているようです。
2010.07.13
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【参議院選挙】も国民の審判がが下りました。日本を正常化しょうとする民意と願望が結果として出たようです。折りしも。大河ドラマ【坂本龍馬伝】で、日本を皆で立ち上がろうとのシーンでした。200号を記念に、【金閣寺】を掲載しました。【鹿苑寺】(ろくおんじ)は、三代将軍・足利義満の戒名から付けられました。頓智くらべで有名な【一休さん】が漫画で金閣寺に登場します。何故なら、【一休さん】は、【百代・後小松天皇】の皇子さんだったから、将軍さんと対等に、お話しが出来たのでしょう。奉行も「一休どの」と敬称でよんでいますね。【金閣寺】その2梅雨時、観光客は、中国人か、外人そして修学旅行生程度でした。 拝観受付では、【お札】が手渡されます。 左が団体入り口 右が個人入り口です。入り口から、苑への最初のパノラマです。「おお~」と思わず歓声を発せられます。【鏡湖池】(きょうこち)に映された、金閣の鑑賞もお勧めします。【鏡容池】(きょうようち)は【龍安寺】でした。何れも【鏡】が付きます。 角度を変えて西から観た金閣 回遊式庭園で立ち入り禁止の所 鏡湖池の西側の風景梅雨空でしたが、何とか撮れました。人込みを避けて難しかったです。
2010.07.12
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【金閣寺】 その1 世界文化遺産つゆの晴れ間に、訪問してまいりました。やはり中国の方ほか外人さんを多く見かけました。【鹿苑寺】(ろくおんじ) 通称金閣寺の参道です。喧騒な社会から、禅寺への静寂な【参道】を肌に感じて心鎮めます。【総門】の前に世界文化遺産の碑が建つ様に成りました。殆ど中国の方達です。 総門横に臨済宗としての【五戒】が書かれています。殆どの人は目にも留めてくれません。日本人一般に、仕草に五本の指で表現します。親指 殺すなかれ、親指で小さい虫などひねりつぶします。人差し指 指先を曲げる仕草で、人の物を盗むなかれ。中指 嘘をつくなかれなかれ 眉唾物として中指をつばをつけて、眉間に薬指 暴飲・暴食すれば、薬の世話になります。小指 心ならぬ不倫はさけること、小指で 彼氏 彼女の仕草は常識のようです。くれぐれも ご用心 ご用心 金閣寺の本堂・唐門と 庫裏 バックに金閣の屋根が見えます。
2010.07.11
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【祇園祭り・鉾建て】本日より、鉾建てが始まりました。釘は一切使わず、組み立て方式により、形作られ、伝統の縄締めの技法で、山鉾巡業に、囃子等の可也の人を乗せても、倒れる事が有りません。【山鉾と動物】飾りのオンパレード【動く美術館】とも云われ、芸術文化が楽しめます。【兎と八咫烏】(うさぎとやたからす)月鉾の屋根のてつぺんに三本足の八咫烏がそしてその下に月に住むと言われる兎が屋根下の懸魚(げぎょ)の下に居ります。白うさぎは名工【左甚五郎】の作と云われています。八咫烏は、神武天皇の水先案内をしたと言う、神の使いの太陽の象徴とも云われます。【獅子】長刀鉾(なぎなたぼこ)の「胴掛け」【虎】函谷鉾(かんこぼこ)の「胴掛け」【鴛鴦】(おしどり) 蟷螂山(とうろうやま) 「胴掛け」水辺に浮かぶ22羽のおしどりが画かれています。【白鷺】郭巨山(かっきょやま) 「胴掛け」【蟷螂】(かまきり)蟷螂山のカラクリ人形。かまきりの斧で、国を防いだとする。中国の故事に因みます。手足羽そして頭まで動くカラクリは大評判です。【鯉】鯉山のご神体とされています。何かを目安に、鉾街を散策するのも、一興かも知れません。
2010.07.10
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【祇園祭りと粽(ちまき)】 祇園祭に欠かせないのが、各山・鉾から巻かれる【粽】です。中身が菓子餅が、入っていると思っていましたが、ここでは入っておりません。何と【護符】が入っています。【蘇民将来之子孫也】(そみんしょうらいのしそんなり)八坂神社の境内に「疫神社」の祠として祀られて居ます。何でも大昔八坂神社の祭神【牛頭天王】(ごずてんのう)が旅の途中「蘇民将来は貧しかったが温かく一夜の宿で持て成してくれた」天王は感謝してその子孫にも疫病を免れるようにと約束された故事から、現代もあやかり、手に入れて、家の玄関に飾ることで、疫病息災の護符としています。【祇園祭りには、胡瓜を食しない】たまたま胡瓜(きゅうり)の切り口の形と、八坂神社の紋とが、よく似ている為に、祭りの間だけ、堪えようとする、祇園街の慣わしとなっています。【祇園祭りと鱧(はも)料理】暑い時の、栄養のためにも、京料理として祇園祭りと鱧料理は欠かせません。関西でよく食されます。鱧の骨切りが難しく、料理人も10年掛かるとのこと。とてもあっさりして、美味しいです。
2010.07.09
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【祇園祭りの山】皆様,鉾に興味ガ集中しますが、山にも文化と歴史を適えて持っています、山鉾街を訪れますと、歴史有る各家の部屋には、由緒ある文化財が展示し開放されています。•1. 岩戸山•2. 北観音山•3. 橋弁慶山•4. 南観音山•5. 芦刈山•6. 油天神山•7. 霰天神山 (あらてんじんやま)•8. 占出山 (うらでやま)•9. 郭巨山 (かっきょやま)•10. 太子山 (たいしやま)•11. 蟷螂山 (とうろうやま)•12. 木賊山 (とくさやま)•13. 伯牙山 (はくがやま)•14. 白楽天山 (はくらくてんやま)•15. 保昌山 (ほうしょうやま)•16. 孟宗山 (もうそうやま) 今年の一番籤•17. 山伏山 (やまぶしやま)•18. 役行者山 (えんのぎょうじゃやま)•19. 黒主山 (くろぬしやま)•20. 鯉山•21. 浄妙山 (じょうみょうやま)•22. 鈴鹿山 (すずかやま)•23. 八幡山 (はちまんやま)山鉾巡行は、7月17日宵山・宵宵やまそして宵宵宵やまが14日・15日・16日祇園囃子で賑わいます。浴衣姿に扇子を片手に、観光客が多いです。全て手製の提灯が、山鉾を飾り、祭り気分が最高潮に達します。
2010.07.08
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【祇園祭り山鉾】7月5日には、【長刀鉾・吉符入り】の行事が華やかに行なわれました。【稚児の太平舞】が披露されました。世の中の太平を願う舞いです。真ん中に、【お稚児さん】が、両脇に【禿さん】(かむろ)が控えお稚児さんの頭には、孔雀の羽を飾った「蝶とんぼ」の冠をつけふじ色の振袖に若草色のかみしも姿で祇園囃子あわせて、行なわれました。•1. 長刀鉾(なぎなた.)•2. 函谷鉾(かんこ)•3. 放下鉾(ほうか)•4. 船鉾(ふね)•5. 綾傘鉾(あやがさ)•6. 菊水鉾(きくすい)•7. 月鉾(つき)•8. 鶏鉾(にわとり)•9. 四條傘鉾(ししょうかさ)鉾は9基・山20基・曳山3基計32基が巡行します。10.大船鉾(おおふな)は来年から復帰。
2010.07.07
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【東山三十六峰】 布団着て寝たる姿や東山 服部嵐雪新幹線「京都駅」に到着されますと。先ず身近に東山が歓迎してくれているようです。1. 比叡山2. 御生山(みあれやま)3. 赤山(せきざん)4. 修学院山 修学院離宮5. 葉山6. 一乗寺山7. 茶山8. 瓜生山(うりゅうやま)9. 北白川山10. 月待山(つきまちやま) 銀閣寺11. 如意ガ岳(にょいがたけ) 大文字12. 吉田山 旧三高・校歌13. 紫雲山14. 善気山15. 椿ガ峰16. 若王子山(にゃくおうじやま)17. 南禅寺山 南禅寺18. 大日山19. 神明山20. 粟田山21. 華頂山(かちょうざん) 知恩院22. 円山 八坂神社23. 長楽寺山 将軍塚24. 双林寺山25. 東大谷山26. 高台寺山 高台寺27. 清水山 清水寺28. 霊山(りょうぜん) 護国神社29. 鳥辺山 西大谷30. 清閑寺山(せいかんじやま)31. 阿弥陀ガ峰 豊臣秀吉廟所32. 今熊野山33. 泉山(せんざん) 泉涌寺(せんにゅうじ)34. 恵日山35. 光明峰36. 稲荷山 稲荷神社
2010.07.06
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【京都三大祭】【葵祭】 【上加茂神社】 5月15日 【下鴨神社】【祇園祭】 【八坂神社】 7月17日巡行【時代祭】 【平安神宮】 10月22日京都の誕生日祭りのルーツを考えますとき、【雨乞い】【疫病退散】【五穀豊穣】と四季に寄る事が、考えられます。京都の場合地形が盆地であり、元々が湿地帯で、【伏流水】を含み顕著に現れていました。【稲作田植え】の前に、雨乞いを【葵祭り】で祈祷。さらば【梅雨】が来て、川が氾濫、疫病蔓延当時多くの住民が、被害に会いました。そこで【疫病退散】の祈願のために、【祇園祭り】が盛大に町衆によって行なわれました。笛や太鼓と踊りは、大昔【天照大神】が弟の【素戔鳴尊】の凶暴で【天の岩屋戸】にお隠れになったとき、【天鈿女命】(あまのうずめのみこと)が岩屋戸の前で、篝火を燃やし、笛や太鼓鳴り物で踊り続ける事で、お慰めしたところ、そっと岩戸を開けて。覗かれた所を【手力男命】【たぢからおのみこと】が岩戸を開け、光が戻された神話は、未だに頭に残っています。祭りがそれにあわせて、賑やかに皆の衆が参加します。日本全国でも、【夏祭り】は、疫病退散【秋祭り】は【五穀豊穣】の感謝の祭りとして、賑わっています。「村の鎮守の神様の、今日はめでたい、お祭日。どんどんひゃらひゃら、どんひゃら....」と。
2010.07.05
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【祇園祭】 【くじ取り式】【山一番】は【孟宗山】(もうそうやま)「冬に母さんが、筍を食べたいと所望、孝行息子が、雪の中の筍を掘り当てて、母親を喜ばせたと言う、中国の故事」日本でも、「孟宗竹」として嵯峨野の名勝が観られます。【日本三大祭り】東京・神田祭大阪・天神祭京都・祇園祭従って京都では、市長まで行事に一役借って貰います。7月2日祇園祭山鉾巡行の17日の順番が毎年籤で決められます。京都市役所市議会議場で行なわれました。くじ取り式は【門川大作市長】が立会いで行なわれました。先頭は、【長刀鉾】は決まり、お稚児さんも鉾に乗ります。そのあとの一番籤を引き当てたのが【孟宗山】でした。京都検定でも、注目です。山と鉾は、32基有ります。長刀鉾の先の刃物は、回転式となつているそうです。何故なら、刃先は、常に「御所」に向かない様に仕組まれています。
2010.07.04
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【宇治】 その4【平等院】 世界文化遺産パンフレットを受付で貰いました。一枚の紙ですが、四か国語で書かれていました。 日本語・英語・中国語そして韓国語です。今や特に中国の観光客が、7月1日より、渡航制限が緩和されましたので尚更多くなることでしょう。当日も、雨降りの中、殆どが外国の方でした。【藤原頼道】(1052年)が藤原家が隆盛の時代、この世でも、極楽浄土を再現すべく造られたのが、【鳳凰堂】です。日本初代の仏師【定朝】(じょうちょう)作の国宝【阿弥陀如来坐像】と何れも雲に乗って楽器を奏でる【運中供養菩薩像】が飾られ柱には、極楽浄土にしか咲かない、【宝相華】(ほうそうげ)が画かれています。残念ながら堂内撮影禁止で紹介出来ません。 【阿字池】に写る【鳳凰堂】 庭園は名勝史跡西定され「州浜」「橋」が整っています。10円硬貨のデザインは、この鳳凰堂が刻まれています。 丸窓は、頼道が、一般庶民にも極楽浄土の一部を分け与える意味で、阿弥陀さんのお顔だけ、対岸から観られるように造られました 日本三名鍾の鐘楼本物は、【鳳翔館】に展示、傷みが激しいので、昭和47年11月復元平等院は、【形の美】神護寺【銘文】そして滋賀県三井寺では、【音】【三井の晩鐘】 平等院参道宇治茶店舗 源氏物語。紫式部の像 宇治橋 宇治橋の飛び出た欄干宇治川 琵琶湖からの下流になります。
2010.07.03
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【宇治】 その3宇治上神社に隣接して、地元【宇治神社】もあります。宇治神社の前が、宇治川の川沿いとなります。鳥居の前に 源氏物語の【浮島】の像が建っていました。背景に【朝霧橋】が望めます。朝霧橋です。突き当たりに平等院が見えます。渡り切った場所が【塔の島】(中の島) 【宇治川】と【宇治川先陣の碑】が橋の渡り切ったところに有りました。官軍・源義経が木曾義仲と対陣した有名な場所です。義経の名馬「するすみ」に乗った「梶原景季」(かじわらかげすえ)と同じく名馬「いけづき」に乗った「佐々木高綱」との戦時あらそいで、策に秀でた、「梶原の勝」となりました。 十三重の石塔です。僧・【叡尊】が宇治川の魚の供養のため、建てたそうです。塔の島の中心的存在です。次回は、世界文化遺産【平等院】に参ります。
2010.07.02
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【宇治】 その2【宇治上神社】 世界文化遺産祭神 中殿 応神天皇(父君) 左殿 菟道稚郎子(弟)(うじのわきいらっこ) 右殿 仁徳天皇(兄)参道に紫陽花国宝 拝殿 右に受付が有ります。国宝 本殿 内殿三社・覆屋 日本最古の神社造り(1060年) 阿吽の狛犬 日本三名蟇股 格子戸から撮れました。上醍醐寺の薬師堂・平泉中尊寺金色堂 蝦蟇蛙は、水に関係し、火災に対する魔除け。 桐原水(宇治の七名水) こじんまりした神社ですが、平成6年世界文化遺産に登録されました。日本最古の神社造りが要素の様です。権力争いになりがちですが、父君応神天皇崩去後、兄弟で高位を譲り合う仲で、弟君は、死を以って譲られた。弟君は、幼きころより学を好み博学多識で明徳の方だっただけに惜しまれます。結果親子三人同じ祠に眠って居られます。京都検定試験1級に出題されました。さわらびの道・桐原水三名蟇股も、遠くから訪れられても、全く関心もなく、見過ごして行かれるのが残念です。そして此れが「世界文化遺産?」疑問を抱えて帰って行かれます。
2010.07.01
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