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【琵琶湖疏水物語3.】山科からの第3トンネルからの出口。右の方へ蹴上浄水場へ流される。 水力発電に流れる水力発電の水を落とす菅。現在も発電しています。 疎水の流れ南禅寺から哲学の道へと流れていきます。南禅寺・水路閣へと流れていきます。水路閣は、南禅寺の三門の高さと同じ位で、京都の鴨川は北から南へ自然はながれていますが、疎水は南から北へ流され、哲学の道では、其の様が見られます。琵琶湖疏水は、かくして、【水運】【浄水】【発電】【潅漑】 (かんがい)【景観】として多様化して、京都の文化を高めました。疎水の周辺の美しい池の水は琵琶湖から採り入れているのです。
2010.10.31
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【琵琶湖疏水物語2.】近江の国から、追分峠そして東山を人馬で物を運ぶには難所でした。そこで舟を使って、水路を造り、京の都に運ぼうとしました。疎水の第一目的でした。インクラインに乗せた船を降ろす処、噴水の向うは動物園。舟を載せる所、 インクラインの長さ582m 高低差36m インクラインの巻き検索器ウエスティーン京都ホテル 蹴上浄水場 下水道の水を浄化京都市民の水道として、枯れない水源琵琶湖の水を供給されています。今でも断水は殆ど無く、恵まれました。地名が【蹴上】(けあげ)の名残は、源義経が頼朝に追われ、東北に落ち延びる際に乗馬の名手で(ひよどりごえを実行したほどの)でありながら、落人になると、馬にも蹴られた、エピソードがあり、花筒にも有るように【義経大日如来】石像が祀られていました。
2010.10.30
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【琵琶湖疏水物語1】滋賀県の琵琶湖より京都は低く、 人の知恵で 琵琶湖疎水 が、明治に誕生しました。工学博士 【田邉朔朗】(たなべさくろう) 像 地下鉄東西線【蹴上】下車 【蹴上浄水場】ウエステイィン京都ホテル 隣接して建てられています。京都最高級ホテル。 蹴上交差点初めて電車が走りました。日本初の 【水力発電所】 レンガ造りが明治を象徴しています。【インクライン】 の堤防。舟を上流で載せて、傾斜を降り下流で離す。【インクライン】
2010.10.29
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【南禅寺2】石川五右衛門で有名な 【南禅寺三門】南禅寺 三門「絶景かな、絶景かな、春の眺(なが)めは値千金とは小さなたとえ、この五右衛門の目からは万両。最早(もはや)日も西に傾き誠に春の夕暮れの桜は取れわけ一入(ひとしお)一入、 ハテ、麗らかな眺めじゃなあ」 歌舞伎 「楼門五三桐」 南禅寺三門裏側から 南禅寺 【水路閣】(すいろかく) 京都の代表的 明治のロマン風景此の右側に 【南禅院】の名園がありました。 水路閣の上に登りますと、琵琶湖疏水が流れていました。
2010.10.28
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【南禅寺1.】 臨済宗南禅寺派大本山京都五山【天龍寺・相国寺・建仁寺・万壽寺・東福寺】の上位方丈庭園 小堀遠州作 特別史跡庭園【国宝】 おうすを飲める 部屋からの瀧法堂(はっとう) 釈迦三尊が祀られ 天井に龍が描かれています。
2010.10.27
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【南禅院】南禅寺の塔頭の一つ、【夢窓国師】の作庭亀山上皇の像が祀られて居ます。庭園入り口 少し紅葉しています池泉回遊式庭園鶴島瀧南禅院の本堂亀島南禅寺の塔頭として、もみじ頃には、更に美しさを味わえるでしょう。観光客は意外と少ないです。天龍寺の庭園形式の縮図を思わせます。
2010.10.26
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【金地院】南禅寺の塔頭(たっちゅう)の一つで、南禅寺中門の西南にあります。特別名所【国宝】 【鶴亀の庭】の全景 小堀遠州の作庭手前の白砂は宝船を象徴又は大海をも表します。背景の刈り込みは、連山の如く 深山幽谷を表現しています。東から【亀島】 甲羅石 亀頭石中央 【三尊石】【遥拝石】 平らな石で【東照宮】を遥拝する石【鶴島】 嘴(くちばし)石 羽石 【明智門】母の菩提のため建てられた。弁天池【東照宮】 天井に【鳴龍】狩野探幽作 【権現造り】の屋根【東照宮】は和歌山と此処が関西で、祀られて居ます。慶長の初めに徳川家康に使えた【崇伝長老】(すうでん)が南禅寺に移築して建てたもので、家康の遺髪を祀っつて居ます。東照宮の前に、お寺の計らいで面白い掲示を見つけました。東照公遺訓•一. 人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如しいそぐべからず。•一. 不自由を常と思へば 不足なし。•一. 心に望みおこらば 困窮したる時を思い出すべし。•一. 堪忍は 無事長久の基。 怒りは敵と思へ。•一. 勝事ばかり知って 負くる事を知らざれば 害其の身に到る。•一. 己を責めて 人を責むるな。•一. 及ばざるは 過ぎたるより まされり。 金地院歴史上の徳川家康の真意は、ドラマなどで、種々人間像が想像されましたが、この遺訓を見る限り、個人としてでなく、将軍としの生き方を示しているようで考えさせられました。幼少より「人質」の体験から、困難な戦国乱世を生き通して来ただけに、重みを感じました。今、中国の反日デモ、国として【堪忍】を警告しているようにも思えます。 外に、特別拝観として、小堀遠州作 【八ツ窓茶席】 方丈には、狩野探幽・尚信兄弟の襖絵が拝観できます。別料金。南禅寺の観光に隠れて、観光客は殆ど無く、静かに往時の事が偲ばれそうです。
2010.10.25
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【永観堂3.】もみじは、未だの様子で。11月下旬には真っ赤に彩り大勢の鑑賞する人で賑わいます。極楽橋 みかえり阿弥陀堂より 西に庭園が広がります。放生池 山の中腹の 屋根 みかえり阿弥陀堂放生池北側 おしどりが泳ぐ石橋を亘りますと、弁天堂が有ります(水を司る神) 少し彩ったもみじと水面に映っています。多宝塔を望みます。かなり広々とした境内で、方丈並びに庭園は、禅寺のようであって、【浄土宗】のお寺で、みかえり阿弥陀さんを祀り、そして法然上人を大切に【御影堂】が建ち境内は、清浄に掃き清められ、庭師の方が何れもみじの最盛期のために整備されていました。心の糧も収穫が一杯有りました。
2010.10.24
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【永観堂2.】哲学の道の銀閣寺から南禅寺に向けた最終の場所に位置し、紅葉の名所 と共に、みかえり阿弥陀 としても全国でも類例の無いお顔を左向きに、阿弥陀堂に祀られて居ます。紅葉がかったもみじの向うに、【御影堂】(みえいどう)が望めます。法然上人を祀り、諸堂の中で最も大きく造られています。みかえり阿弥陀如来が祀られた【阿弥陀堂】です。寺の境内が意外とと広くそして阿弥陀堂は、最も高所の奥に建てられて居ました。 【みかえり阿弥陀と永観律師】夜を徹して念仏に励まれました、永観律師和尚さんが、東の空がしらける頃道を歩まれたとき、前に人影があって、お顔を「左」に振り向けられ「永観、遅し」と声がけがあったそうです。お顔お身体全体に漂う穏やかな微笑み、永観を 励まされた阿弥陀さまの慈悲のかたちをこれほど具体的に表された仏の姿は他に類例が無いようです。 広い寺院の境内で一番高所に「阿弥陀堂」があり、そのみかえり阿弥陀像の前に手書きで素晴しい,ことばが書かれていましたが、今回,紙に控え下記の通り記してみました。 このみかえり阿弥陀如来のお姿勢を現代に問うならば「おくれる者たちを待つ姿勢」「自らの位置をかえりみる姿勢」「愛や情けをかける姿勢」 「思いやり深く周囲をみつめる姿勢」「衆生とともに正しく前へ進むリーダーの把握のふりむき真正面から おびただしい人びとのことを案じて 横をみかえる事には しばられない姿勢」これがこの仏さまの み心ではないでしょうか。現代最も欠けている、他人への思い遣り、振り返って待ってあげる大らかな気持ちが持てない人が、私を含めて多いです。今回も左向き正面で、鐘を鳴らして礼拝してきました。新たな反省を覚えました。写真は撮影禁止で皆様に披露できませんが、グーグルで検索して「みかえり阿弥陀さん」を是非ご覧になってはと存じます。
2010.10.23
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【永観堂1.】 浄土宗西山禅林寺派 総本山 紅葉の名所本日は、【平安京の誕生日】【時代祭り】が盛大に行われるでしょうね。昨日の雨も止み、絶好の祭り日和のようです。京都の紅葉の名所 少し赤らんでいますが、お寺でもあと1ヵ月後が最盛期とのことでした。拝観入り口 小雨で薄暗かったです。永観堂諸堂の入り口、東山と多宝塔が見えます。 方丈には【釈迦如来】三尊が祀られていました。 方丈前の庭園は市松模様に線が交互に作られています。人生の苦楽のさまを表現しているようです。此処も手入れが、良く行き届き、清浄観を味わう事が出来ました。400年前韓国から渡来した珍しい燈籠多宝塔への、龍の形をした廊下を登ります。多宝塔からの京都の見晴らしは素晴しいですが、小雨のため撮れませんでした。
2010.10.22
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【霊鑑寺】臨済宗・南禅寺派哲学の道のほぼ半ばを東に入った少し小高き所に有ります。門跡尼寺で、谷御所とも云われています。特別拝観のときしか内部は観られません。本堂・書院・居間が佇み立石を多く使った石組みで、池泉回遊式庭園はこじんまりしても心和みます。後水尾上皇の遺愛の散り椿ほか、黒に近い濃い紫の椿など各種の品種が見事で,【椿寺】としても有名です。。代々皇女が尼僧として継がれ、寺宝には、皇室で使われた宝物が多く、特に御所人形は200点にも及ぶといわれています。
2010.10.21
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【安楽寺】 住蓮、安楽両房・女官松虫鈴虫の法難銀閣寺より、哲学の道沿いに、【法然院】【安楽寺】そして【霊艦寺】が鹿ケ谷の地として散策の道となっています。安楽寺の立て札、内容は下記のとおりです。安楽寺住蓮山と号し、浄土宗の寺院である。鎌倉時代の初め、現在地より東一キロメートルばかりのところに法然上人の弟子住蓮坊、安楽坊二僧が、念仏場を建てて人々に念仏をすすめた。たまたま後鳥羽上皇官女松虫、鈴虫が教化をうけてひそかに出家する事件がおこり、上皇の立腹をうけ、「念仏停止」の宣下によって、二僧は死刑、法然上人は土佐へ親鸞上人は、越後へと配竜流された。これがいわゆる建永二年(一二0七)の法難であるが下って室町時代の末、天文年間(一五三二~一五五五)二僧の供養のため伽藍を之の地に再興したのが、当寺である。本尊阿弥陀尊像を安置し傍らは、住蓮、安楽両上人松虫、鈴虫両姫の座像、法然上人張子の像等をまつっている。また境内右手に住蓮、安楽両房の五輪石塔東方山林中に松虫、鈴虫両姫の五輪石塔がある 京都市信仰の自由も、奪われた時代でした。現代の中国の姿を見ているようです。当時は、情報も市民、村民には与えられなかったことでしょう。毎年七月二十五日に京都の伝統野菜の一つである瓢箪型の【鹿ケ谷カボチャ】の供養が行なわれます。中風にならないように願う行事です。
2010.10.20
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【法然院】(ほうねんいん) 浄土宗京都に住み、今回初めて訪問しました。駐車が出来ないのでご案内は出来ませんでした。萱葺きの門が印象に残りました。砂で四季の花模様白砂と池が有る程度でした。法然院の正面の石段、法然院の象徴の萱葺きの門。白砂の四季の花模様、現在は紅葉葉と川の流れを現していました。 道場への入り口の塔、と右に瀧の流れ、 塔観光として観るべきより、浄土宗の法話を聴く道場が主と思われました。11月1日より7日まで、寺の内部に特別拝観ができ、本尊・阿弥陀如来・法然像が拝めるようです。正面石段を上った所に墓地があり、谷垣潤一郎経済学の河上肇そして東洋史学の内藤湖南 ほか著名人の墓があるそうです。
2010.10.19
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【銀閣寺5.】 世界文化遺産【西芳寺】(苔寺)に模した、一つに庭園の要素の滝組を枯山水の形式で両寺に組まれています。修学旅行生では、ただの崖崩れの姿にしか映りませんでした。大勢の観光客が、丘へと登ります。正面に枯山水の瀧組。石橋の手前に【北斗石】が飾られています。仏教的にも北を大切にしました。南から観た銀閣。京都の【鏡】の付く池。何れも池に映る姿も鑑賞して美しさを楽しみました。金閣寺 鏡湖池銀閣寺 錦鏡池龍安寺 鏡容池
2010.10.18
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【銀閣寺4.】 慈照寺(じしょうじ)が本名 義政の戒名から銀閣が改造されてから、美しくなりました。庭師の方のお世話もあってか、塵一つ無い清浄なまでの庭園が展開していました。洗月泉から東求堂を望む 義政の茶の湯の泉 杉苔 杉苔 杉苔近くの山が【吉田山】遠くには金閣寺左大文字が見え更に遠く高い山が【愛宕山】です。
2010.10.17
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【銀閣寺3.】 世界文化遺産【西芳寺】(苔寺)に模して、義政は造ったと述べましたが、幾度と訪問し今回初めて、【苔】の種類のさまざまそして美しさに目が留まりました。苑内が塵一つ無く十人程の庭師の方に「何種類ありますか?」「解らない、腰が痛いです」と、美の蔭に尽くす方にも感謝の気持ちでした。【東求堂】(とうぐどう)国宝 苔寺には西求堂が有ります。義政の像が置かれています。4畳半の部屋も有ります。特別公開していました。 東求堂の前の【鶴島】 【大内石】大名石で、金閣寺で奉納せず、痛めつけられた為銀閣寺では、庭園に一番に寄贈しました。【洗月泉】月の影が映る所から其の名が付けられたようです。向月台と共に月をこよなく愛でたようです。今回これほど美しい苔に目が留まりました。【錦鏡池】(きんきょうち)に映る銀閣。
2010.10.16
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【銀閣寺2.】 世界文化遺産 臨済宗相国寺派銀閣は国宝です。 一昨年平成の大改造され、美しく蘇られました。修学旅行生に聞きました、「金閣と銀閣とどちらが素晴しい?」答えは殆ど金閣でした。観光客の殆ども「何だ」とか゜っかり、然しある男の子か「歴史を感ずる」と名言でした。 拝観受付場所 入り口入った処に「五葉の松」の小庭園 唐門から大文字山が背景に 花頭窓(かとうまと)から庭園を望む 銀閣 向月台 銀砂灘(ぎんさだん) 銀閣寺の本堂本堂から銀砂灘を通して、銀閣を望む
2010.10.15
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【銀閣寺1.】【慈照寺】 世界文化遺産八代将軍【足利義政】が【西芳寺・苔寺】に模して文化に富んだ庭園を造り上げました。銀閣寺を小山から全景を写しました。辿り着くまでの順路を述べていきます。 琵琶湖疏水 哲学の道銀閣寺道の前に有ります。 商店街の一軒の大文字の燃えかす(厄除け) 商店街 浄土院(大文字担当の寺が隣接) 銀閣寺の門前 商店街のざわめきから,禅寺に入るための【洗心の道】竹垣と椿・茶外の樹に高く囲まれ、少し心が沈みます。
2010.10.14
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【白沙村壮3】 国の指定【名勝】【重要文化財】大正・昭和に掛けての日本画家 【橋本関雪】の記念館芙蓉の池と【存古楼】(ぞんころう) 池に青空が映る 石橋 七重の搭(平安時代・河内の国)と存古館 九重塔 舞台石と右は、京の大仏殿に有った燈籠(五七の桐) 白松(中国産)幹が白い 燈籠 すすきと燈籠 円い窓 四角い窓レストラン・ギャラリーが西洋風に有ります。11月下旬の紅葉は、人影が少なく鑑賞に相応しい場所でも有ります。
2010.10.13
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【白沙村壮2】 国指定 名勝庭園銀閣寺は、銀座散策並みにも拘らず、殆ど訪れる人は居ない。入場料800円は、(ギャラリー鑑賞を含む)紅葉の頃美しいでしょ。バックに 【大文字山】 が見えます。庭園入り口微笑ましい羅漢さん大分県 国東(くにさき)半島から収集
2010.10.12
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【白沙村壮1.】(はくさそんそう) 橋本関雪記念館体育の日【銀閣寺周辺】に行ってきました。観光シーズンに入った感じで何処も人で賑わいました。情報ですが、【法然院】並びに【安楽寺】の秋の特別拝観,前者は11月1~9日後者は、11月3~9日で紅葉の装いを考慮の拝観となります。【白沙山壮】は銀閣寺道にあります。橋本関雪は、素晴しい絵画と、此の庭園では、燈籠・塔等コレクションを記念に遺しています。大分県の国東半島からのコレクションも多いです。【不許葷酒入山門】 にんにく・酒を口にしている人は、山門から入ることを許さないの意で、寺院の山門前でよく見かけます。右の灯篭は、国東(くにさき)のものです。羅漢の籔。このユニークな石像も国東のものです。明日庭園を御紹介します。そのあと銀閣寺は見所一杯です。
2010.10.11
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【将軍塚の由来】 【平安京の誕生の地】天皇両陛下をお迎えし10月8日【平城遷都1300年記念祝典】が行なわれました。710年のときでした。その後784年に京都南部の【長岡京】に然し、災禍多く794年(なくよ)10月22日(時代祭り)(京都の誕生日) 【桓武天皇】を狩猟にさそった【和気清麻呂】がこの場所から、三方が山に囲まれた盆地を見おろして、自然の城そして幾筋かの川の流れを示し、都に定められるのに最も相応しいと進言しました。そのすすめに了承され、整然とした大きな都を造られました。中国の風水によると「君子南面は永久に栄えよう」とされているそうで、現在に至るまで、京都御所は、南面しています。南側だけ山がなく難波・奈良に通じます。山を背にしているので「山背の国」を「山城の国」と改め、都を「平安京」と定められました。尚、都を護る為に、高さ2.5mの武将をかたどった土人形。甲冑を着せ、鉄の弓矢を持たせ、太刀を佩かせ、西向き地中に埋められたことから、【将軍塚】と言われるようになりました。「源平盛衰記」「太平記」にも記されているそうですが、国に大異変の兆しがあるときに、塚の大地が鳴動し、俄に暗雲が漂ったとか。旧跡としても、重要な場所とも思われます。明治元年(1868年)東京に「奠都」(てんと)されました。将軍塚から京の街を見渡すと、三方が山に囲まれている京都の街の全景の鳥瞰は素晴しく、永い歴史的栄枯盛衰、文化の推移に想いを馳せる事が出来ます。清閑寺から東山ドライブウエイを1km進んだ位置にあり、観光の穴場的存在で、京の街が全面、高からず低からずの見渡しは、ご案内するお客様全てが、感動される場所でも有ります。タクシーで利用するしかないと、交通機関が無い為、訪れる人が少ないのかも知れません。【三鈷の松】(さんこのまつ)第1展望台の側にあり、珍しく普通の松は、2本又は5本ですが、3本で、お寺では「三福が来る」として縁起物で100%お持ち帰りされます。知恩院の隣接に、【青蓮院門跡寺】が有りますが、その山上に【別院】として、とても心和む場所でも有ります。(入園料500円)値打ち有ります。昨日の写真をご参考にして見て下さい。
2010.10.10
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【将軍塚】青蓮院別院大日堂【平安京】が決められた場所 表門 大日堂本堂 庭園入り口 第1展望台右の樹木【三鈷松】(さんこのまつ) 大文字山・比叡山を望む御所を望む将軍塚1本だけ紅葉 第2展望台 庭園を展望台から写す京都南部
2010.10.09
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【清閑寺】 (せいかんじ)真言宗智山派高倉天皇陵の隣接した位置で、少し坂を登った所に有ります。「源平盛衰記(巻25)」「平家物語」の小督局は、宮中を追われてこの寺の尼にさせられたと寺伝にあり、高倉天皇は「私が死んだら。局の居る清閑寺に葬ってくれ」とも記されていました。21歳にして崩御清閑寺で葬儀が為されたとのこと。境内に【要石】があり、今でこそ新幹線で京都に来られますが、昔は、江戸からも歩いて,近江から山科を経て、東山の峠を越す,この位置で思わず「おお、都の灯が見えた」と感歎の声を挙げられた事でしょう。左側に「阿弥陀が峰」(豊臣秀吉御廟)右に「清水山」を配し、要石の位置が丁度、扇を開いた要ともなり、眺望が息を飲み込む思いをされた事でしょう。現代は、昨日紹介しました、国道1号線トンネルを出た位置の山中に有ります。右側の山道を辿りますと、清水寺の子安の塔の裏門に辿り着けます。扇塚清閑寺の本堂。菅原道真公が彫られた本尊十一面観音菩薩を祀られています西郷隆盛と勤皇派の月照和尚とが蜜会された場所。梵鐘も有ります。
2010.10.08
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【高倉天皇御陵と小督の御廟】由緒を知る為には、一箇所に留まらず、リンクして関連を広げて行きますと、史実もよく理解出来るのではないでしょうか。 嵐山渡月橋の琴きき橋と昨日の忠盛塔からの、平の清盛と本日の関係で、訪問して来ました。高倉天皇御陵小督の墓は、高倉天皇御陵の東隣に眠っています。樹の間に永い石段が有ります。 国道1号線東山西口トンネル出入り口、此の側少し登った所に御陵があります。高倉天皇は、宮中一の美人琴の名人、【小督】(こごう)の優しさに心開かれまましたが、中宮は幼少のときに政略的に婚姻が定められた【建礼門院徳子】でした。父である【平清盛】は我が娘を差し置いて何事ぞと烈火のごとく起こり、小督を追放しましたが、嵐山で述べましたとおり。宮中に呼び戻されました。御歳21歳で崩去される前に遺言で「我が墓地の側に葬って欲しい」との意志で、現代にいたるまで東山・清閑寺山に、お二人揃って眠られています。
2010.10.07
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【八坂神社】祇園祭りの大本、附近は祇園で舞妓さんの姿を垣間見ることができます。八坂神社の本殿です。左の法で結婚式が行なわれ呈した。 【平家誕生の秘話】【忠盛燈篭】 (ただもりとうろう) 207号を再録しました。八坂神社境内に、面白い伝説がありますので、ご紹介してみます。本殿の東の方に、「円山公園」から八坂神社の境内に入った場所に建っています。【白河法皇】が【平忠盛】を伴って【祇園女御】(ぎおんにょうご)を尋ねて、祇園社に来られたときに、雨の中怪しげな光を伴う妖怪を目の当たりにされました。「白河法皇」は「忠盛」に命じて、「射止めよ」と次の忠盛の仕草が、歴史を作りました。生け捕りにして、正体を確かめたのです。やはり正体は、祇園の社僧が、燈籠に火を灯すために、蓑笠からもローソクの火で光っていました。沈着冷静な、忠盛により、尊い命は救われました。よってこの地に、忠盛を讃えて、八坂神社の境内に飾られています。お話に続きが有ります。白河法皇は、即命令に応じず、叱るべきところ、社僧を誤ってあやめる事がなくってすみ、その功を讃え、褒美をとらせようとして、既に、法皇により、腹ぐんだ祇園女御の子が男子であれば授けようと結果男の子でした。それが何と 【平清盛】 として、平家棟梁に成りました。祇園女御は、妹の説もあります。「祇園精舎の鐘の音 奢れる平家久しからず」何か因果がありそうです。【白河法皇】は権力者で、この世で適わないものは、ひとつとして無い。然し有名な言葉が京に残っています。白河法皇でも、思うようにならなかったもの。鴨川の水双六の賽の目比叡の山法師でした。白河天皇御陵は、京都南インターを降りて、城南宮の南当時、鳥羽離宮を建てられていた跡地に鳥羽天皇と隣接して眠って居られます。
2010.10.06
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【天龍寺3.】 世界文化遺産入り口を入りますと、【方丈】(禅宗の本堂)並びに方丈庭園が【枯山水】の形式で広がります。そして、白砂と苔の左の方には、入りこみ、【心字】を表現しています。【方丈】の裏には、特別史跡(国宝にあたいします)第1号指定の【曹源池】が、嵐山まで借景に入れて、雄大な【池泉回遊式庭園】が鑑賞されます。夢窓国師作庭です。一番奥に【多宝殿】があります。足利尊氏が、【後醍醐天皇】を弔う為の霊殿として建てられました。ご幼少の頃の学問所として所縁のある場所とされています。 多宝殿の前には、苔の間に供養塔が静かに眠っています。右は、供養塔の前に、芙蓉の花と秋の代表萩の花が美しく咲いていました。春には、多宝殿の前に左近の紅梅そして右近の白梅が咲き、供養塔は枝垂桜で飾られます。かくして 【後醍醐天皇】 を大切に思った【足利尊氏】の優しさが現代でも勇壮な天龍寺で、回想出来る事は、日本人の在り方を現しているようです。戦前では、足利尊氏は朝敵として、 極悪人の様な教育を受けてきました。遺跡により、そんな人物では無かったと、信じられるように成りました。嵯峨野めぐりの玄関とも申すべきでしょう。
2010.10.05
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【天龍寺2.】 世界文化遺産臨済宗(禅宗)天龍寺派総本山 京都五山の第一位 天龍寺表門 天龍寺建物全景雲龍図は堂内写真は厳禁のため、パンフレツトでご紹介しました。紅葉もこの程度です。【加山又造画博】龍は雲を呼び水をもたらす恵みとして、禅宗でよく表現されます天龍寺【法堂】(はっとう)と【雲龍図】画天井に描かれ、特別公開が10月中で堂内に入れました。八方睨みで、何処からも龍の頭が正面に見られました。法堂は、師匠がお弟子さんたちに法を説かれる場所です。正面に釈迦三尊が祀られ、お釈迦さんを真ん中に仏から見て左に文殊菩薩そして右には普賢菩薩が控えておられました。又堂内には、開山【夢窓国師】建てた【足利尊氏】の像が祀られていました。 庫裏に到る菱形の石は、龍の蛇腹を表現 右図は鬼瓦です。 庫裏には、懸魚(げぎょ)と蟇股(かえるまた)共に水に関連防火の意右図は、庫裏のまえの三尊石です。庭園への入り口になります。
2010.10.04
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【天龍寺1.】 世界文化遺産1339年 後醍醐天皇 を弔うために 夢窓国師 を開山として 足利尊氏 が建立しました。嵐山を借景とした、特別名勝指定第1号の庭園【曹源池】正面枯山水の滝組手前が船石借景に愛宕山。諸堂が見える。亀島庭園形式で、鶴島・亀島・滝・石橋・船石等が整った京都では雄大な最高の庭園と思われます。
2010.10.03
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【嵯峨野の竹林】小高き亀山公園を越しますと、 【大河内山荘】の門前 に出ます。其の前の 竹林 には、訪れる人が思わず感歎の声を発してしまいます。手前に【大河内山荘】の入り口があります。竹林の小道を天龍寺の方に歩みます。コマーシャルに良くこの背景を撮った写真が採りあげられます。竹林と小柴垣との調和は、嵯峨野散策に、映えます。孟宗竹 中国の有名な孝行息子の故事です。昔、昔、中国にとても心の優しい青年が居りました。年老いた母親が、冬の最中に「息子よ、筍が無性に欲しくなった」と、息子は母親の願いに叶えたいと、竹籔に向かって、仏様に懸命に祈ったところ、雪の中から窪みが生じ、掘って見ると、筍が顔を出していました。そして持ち帰り、母親に食べさせたと。その親孝行のおはなしで、「孟宗竹」となづけたそうです。次回は【天龍寺】に参ります。
2010.10.02
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【嵐山5.】【嵐山公園亀山地区】大堰川を後にして、小高き亀山公園を経て、大河内山荘前に歩みました。やはり、女性の組かが多く出会いました。途中二箇所に銅像が立っていました。【角倉了以銅像】大堰川の開削の立役者として、燦然とした形で地元の人が建てました。了以は、過って【瑞泉寺】も紹介しましたが、【高瀬川】遠くは【天龍寺川】の開削にも、貢献有ったとされています。此の銅像は、幕末勤皇家 【津崎村岡局】の銅像です。NHK大河ドラマ【篤姫】にも登場します。名は矩子(のりこ)父津崎左京地元嵯峨の出身で、宮中【近衛忠熙】(このえただひろ)公家に使え、篤姫は鹿児島藩島津家より養女の位で、徳川将軍の正妻に立てられ、其の節村岡の局と親交がありました。勤皇の志士らの運動を助け活躍されました。幕府に捕らえられ江戸で永い謹慎を命じられました。後に徳川幕府は大政奉還し、局は、嵯峨に戻り、【直指庵】に隠居附近の子女の教育に尽くされ、八十八歳で逝去。維新の女傑そして嵯峨庶民の慈母として尊敬されました。亀山公園の奥に嵯峨野の【小柴垣】の美しい小道を歩みました。風情が素晴しいです。秋を思わせる、萩らしきものが可憐で撮りました。「アレチヌスビトハギ」と名付けられているそうです。
2010.10.01
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