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【京だより7】【城南宮】昨日29日に伏見にあり、都の南の方除けの【城南宮】で【曲水の宴】(きょくすいのえん)が開かれました。いにしえの貴族の衣装に男女が、池からの「遣り水」(やりみず)の曲がりくねった角に坐り酒杯の流れに、歌を詠んで「短冊」に記し、次に回す、平安時代の宮中での年中行事に成っていました「風そよぐ 若葉に映えつつ 城南宮 袖ひろがへす 天つ乙女か」などが詠まれました。風がいささか強く、晴天の中で、若葉の眼に美しく映える一日でした。多くの方が観賞しておられました。。
2010.04.30
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【京だより6】【長岡天神】日本一と称する樹齢百数十年の「きりしまつつじ」が参道並びに「八条ケ池」周辺に群生し真っ赤な美しい景色に魅了されて、訪れる人の顔が輝いて居ました。昨日、家族連れで、「京都」から「長岡天神」まで、阪急電車で、帰途は、JR「長岡京」からでした。タクシー業務でなく、時間にゆとりがあり、久し振りの春日和に、有意義な一日でした。「長岡京」が「平安京」までの僅か10年の都の中に位置し、菅原道真」が祭神となっています。歌人、「在平業平」と詩歌を楽しまれた館でもあり、讒言により、九州大宰府に左遷されたときこの地に寄られ【吾が魂長くこの地に留まるべし】と仰せられた由縁で建てられたそうです。広い神前の「八条ケ池」は後日、桂離宮を造営された、「八条宮智仁親王」が開かれたもので、「池の上の橋」は、広い池の中に掛けられ、其処からの「きりしまつつじ」に囲まれた景色は、池面にも映り、背景の山の新緑と合わせ、素晴しいの一語に付きました。「きりしまつつじ」といえば、【曼殊院】の庭園西側にあしらわれた、「浄土」への真っ赤な扉もさぞかし、美しいと想像されました。
2010.04.29
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【京だより5】【腹案あり?】【北垣国道】(きたがきくにみち)第3代京都府知事滋賀県琵琶湖から京都市への【疎水建設】にあたり、反対住民を自宅で幾度となく説得その信念に着工されましたが、莫大な予算超過で、非難ごうごう挙句は、「今度キタガキはゴクドウ者」とまでののしられましたが、時間の推移とともに、市民の生活に潤いを来たし、現代では、偉大な、政治家として、銅像も建ち、讃えられています。 学生の「卒業論文」を当時採り上げるだけでも、メンツも伴い勇気が有ったとと賞賛されます。東京帝国大学の前身の学校を卒業の「田辺朔郎」(たなべさくろう)も関東在住で有りながら、京都の地形そして、峠を二ヶ所越える運送の便を水路で、発電・水道・日本初の電車交通の便そして庭園の池には、水を豊富に、沿路は、市民憩いの景観等、よくぞ頭にひらめいたと驚くばかりです 今回地元の新聞に、北垣知事の20年間の日記の記録が発刊されました。と掲載されました。【塵海】(じんかい) 恩文閣出版 600部刊行 A5版 640頁 定価 10,290円幕末の北垣は、攘夷派の志士で「坂本龍馬」「勝海舟」らと交流があった旨も記されています。
2010.04.28
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【京より4】【銀閣寺・観音殿修復完成】足利義政の意向で、金閣寺に対応して、銀閣寺を建てましたが、完成を見ずして他界しました。古きに至り、傷みが酷くなり、やぐら柱を立てて、修復していましたが、今回完成し、蘇った、「観音殿」を観る事が出来る様に成りました。 修学旅行生が、タクシーによる京都観光が、盛んで、やはり運転手の説明案内と。時間の有効そして、他校生とのトラブルからも安全で、採用されています。 よく質問するのですが、「金閣」と「銀閣」とどちらが良かった?」殆どの学生は、「金閣」と言いました、 その中で、「おじさん、 銀閣には歴史を感じました」と感動しましたね。銀閣は【国宝】ですものね。
2010.04.27
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【京だより3】【非公開寺院・特別文化財ご開帳】4月24日~5月9日 拝観料 800円今年は、桃山時代を代表する絵師【長谷川等伯】没後400年に当たり、等伯ゆかりの寺院【真珠庵】(一休さんの寺・大徳寺の塔頭)【妙蓮寺】(上京区)【天授庵】(左京区南禅寺塔頭)【智積院】(東山区・三十三間堂の近く)【隣華院】(右京区・妙心寺塔頭)長谷川等伯展はね京都国立博物館で開催中です。等伯に対抗していた【狩野派画家】ゆかりの寺院【大徳寺・本坊】【知恩院・三門内部】そのほか【上賀茂神社】【玉林院】(大徳寺塔頭)【下鴨神社】【聖護院】(左京区)【冷泉家】(御所の西北)【東寺・五重の搭】【大統院】(建仁字塔頭)【幽霊の図】「円山応挙筆」詳細は「京都古文化協会」 075-561-1795 までお問い合わせ下さい
2010.04.26
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【京だより2】【平城遷都1300年祭主会場・平城宮跡オープン】4月24日~11月7日【平城宮跡での第1次大極殿完成式典】4月23日皇太子殿下ご臨席後に【唐招提寺】を、ご訪問 国宝 鑑真和上像(がんじんわじょう)、盧遮那仏(るしゃな)坐像 薬師如来立像そして実際千に近い手を持たれる「千手観音立像」を鑑賞され東京へ御帰りになりました。【都の遷都】 【平安遷都】【794年】(なくよ)を中心に考えました。【飛鳥京】【藤原京】の東南694年 【藤原京遷都】橿原市周辺 大極殿等本格的都構成707年 天明天皇(女帝)ご即位710年和銅3年3月 【平城京遷都】奈良 724年 聖武天皇ご即位740年 【恭仁京】(くにきょう)京都府木津市加茂町741年 【紫香楽宮】(しがらきぐう)滋賀県信楽町黄瀬744年 【難波京】745年 【紫香楽京遷都】即【平城京】に戻される。753年 東大寺大仏の開眼供養が行なわれる。「平安遷都」の41年前781年 桓武天皇ご即位784年 【長岡京遷都】794年 【平安遷都】1869年・明治2年 【東京奠都】明治天皇 天皇即位の式は、京都御所紫宸殿で行なわれる。1894年 【平安遷都1100年】に記念して【平安神宮】が建つ。京都の都の千年以上続いたこと、平城京遷都(710年)も平安京の(794年)84年前の出来事と考えられます。
2010.04.25
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【京だより1】 【清水寺・成就院】前述の通り、「非公開寺院」の「春の特別拝観」で本日から5月9日まで公開します。拝観料大人 1,000円 「月の庭」として、静かな借形式庭園です。 故「大西良慶和尚さん」が108歳で遷化されました。 今回、「中島潔氏画家」奉納による「襖絵」4室46面が披露されます。 是非此の機会に、ご鑑賞をお勧めします。
2010.04.24
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昨日、「よい夫婦の日」にアクセス10,000を越す、記念の日を迎える事が出来ましたこれもひとえに皆様方の温かい、ご後援があってのこと、心より感謝致します。有難う御座いました。【京都観光をご案内して学んだ事】継続して4ヶ月、改めて【京都】の魅力、歴史、文化の豊富なことに、感銘を受けました。やはり【世界文化遺産】17箇所は、世界が認めるだけあって、内容の深さを感じました。体験上、心有るお客様にじっくり、ご説明し内容の豊富な観光地は、【清水寺】【龍安寺】【曼殊院】【天龍寺】【三千院】【東寺】【三十三間堂】で庭園・建築・仏像の基本が判り、【曼殊院】は、「良尚法親王」の厳しき環境に在って、優しいこの時代で、民主的な思想を懐いておられたことに、其の形が遺された寺院として、最も評価されるべきと感じています。 女性の方に、人気有るのは、【嵐山】から始まる【嵯峨野巡り】の女性哀話と共に、侘びを感じさせる雰囲気でしょう。そして【大原三千院・寂光院】にも興味を持たれます。 大自然は、その人の感じるものが重要ですが、やはり人が造形した庭園・建物・仏像そして絵画は、観どころの視点を指摘するだけでも、より深く興味が、持たれるものと、存じます。【ご希望社寺の記事検索方法】小生のブロッグ・カレンダー下に、【キーワード検索】欄の【このブロッグ内】にクリックされ、ご希望の「社寺名」で検索されますと、 写真が無くって、説明・鑑賞しにくいですが、当初の世界文化遺産からの文章が、出てまいりますので、参考にして頂ければ、幸甚です。例えば「清水寺」と入録され、検索をクリックされると、その文章が選び出されます。 日本の故郷【京都】世界の注目の文化豊富な【京都】ご来訪の切は、少し観光ルートに、目を通して戴ければ、更に興味が沸き、ご参考の一部に貢献出来ると存じます。 今後は、ブロッグの背景も、一新し、「京だより」として短文で、感想を綴って行きたいと存じます。今後ともよろしく。 長々、拙い文章にお付き合いしていただいて、本当に有難う御座いました。
2010.04.23
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皆様方の御蔭で、本日アクセス数【10,000】の大台に達することが出来そうです。感謝。 京阪電車宇治線沿いに「万福寺」「三室戸寺」が有ります。【万福寺】(まんぷくじ)黄檗宗総本山 開基 隠元隆埼 山号 黄檗山「三門を 出ずれば 日本ぞ 茶摘歌」の詩の如く、広い寺内は、中国風建物伽藍が、整然と回廊の様に建てられています。「都七福神」の「布袋さん」「三門」を入った正面「天王殿」に笑顔で坐っています。【大雄宝殿】(本堂)には、「釈迦如来像」・脇侍として「迦葉」(かしょう)「阿南」尊者両脇に十八羅漢像が配置、中でも「羅喉羅尊者」(らごら)はお釈迦さんの実子で、胸には、「お釈迦さん」の顔が観られます。宇治茶の始まりとして、三門前に【駒蹄影園碑】(こまのあしかげ)が有り「栂ノ尾高山寺」明恵上人に見習って、茶種を馬の歩く足跡に従って撒く、として建っています。【三室戸寺】天台宗 開基 光仁天皇 山号 明星山西国三十三所観音霊場第10番札所 本堂 本山 本尊 「千手観音菩薩像」京阪電車本線沿いには【石清水八幡宮】代々皇室の崇敬が厚いです。勅社として、北の「加茂神社」に対し、南の勅社として、位が高いです、近畿鉄道の沿線に「京田辺市」がありそこに【酬恩庵】(しゅうおんあん)【一休寺】臨済宗大徳寺派 開基 一休宗純 後小松天皇の皇子のため、寺の敷地に「御陵」が有り、其処に眠って居られます。方丈庭園もこじんまりと在り、【虎丘庵】は一休禅師の居所跡です。【観音寺】「三山木駅」下車、西へ【国宝】の【十一面観音菩薩像】が祀られて居ます。同志社キャンパスの南出口から直ぐの所に有ります。【寶壽寺】(ほうじゅじ)「三山木駅」東へ50m先の北側【十一面千手観音菩薩】日本で、実際に手が1000本備わった仏像、希少価値が有ります。【奈良・唐招提寺】【大阪藤井寺・葛井寺】【京田辺市・寶壽寺】JR奈良線 「たなくら」下車【蟹満寺】「釈迦如来像」【国宝】悪戯っ子たちの蟹をいじめているとき、乙女が戒めて蟹を助け手放します。その後幾年か経って、乙女に大蛇が巻きつく危機に接し、蟹の大群が襲い、大蛇を細切れにして乙女を助け、「恩返し」をしたと言う。現場には蟹の大群の屍が散らばっていたそうで、供養のために。「蟹満寺」で法要を捧げたという伝説。【浄瑠璃寺】「笠置」の山奥。奈良市内からもバス路線が有ります。東に薬師堂を池を配して、西に九体の阿弥陀如来像が配置されています。何れも【国宝】常には秘仏でも、時折開扉される【吉祥天像】はとてもカラフルで、美しく拝観出来ます。佐伯住職さんの発行された本には、仏像の成り立ち等、とても判りやすく書いて居られます。【長岡京大内裏跡】阪急「西向日」駅前公園784年~794年の僅か10年の平城京からの遷都掲示の当時の地図によれば、中央朱雀大路を小畑川(おばたがわ)の通称地元で「暴れ川」と称しますが、斜めによぎっていました。何か不吉な予感がします。雨が降ると、洪水をもたらし、疫病が蔓延したようです。官邸で変死も横行、呪われた都と化しました。【向日神社】向日村の産土神(うぶすな)が祀られて居ます。【長岡天満宮】菅原道真が大宰府に左遷される際に名残を惜しんだ地として、のちに祠が建てられたようです。【乙訓寺】(おとくにじ) 真言宗豊山派 開基 聖徳太子向日神社の南西に有ります。桓武天皇の弟君【早良親王】(さわら)が、皇位を画策していたとして、幽閉された寺で、応仁の乱で焼失、五代将軍綱吉の母「桂昌院」によって再建。怨恨の故に鎮魂のため、京都では、上・下御霊神社を祀っています。「牡丹の名所」として、多くの参詣者が訪れます。【光明寺】 西山浄土宗総本山法然上人が念仏を説いた念仏発祥の地とされます。浄土宗としても重要な聖地。熊谷直実が、法然上人に使え、法難で、小人の遺体を移そうとしたときに、この聖地に「光明」が指し、この地に御廟をおさめる事にしたとのことです。石段を登り詰めますと、本堂があり、法然上人が祀られ、その東に阿弥陀堂が静かに佇んでいました。紅葉の名所でもあり、多くの方が参詣されます。【妙喜庵】(みょうきあん) 大山崎町。大阪府との県境の位置にあります。「山崎の合戦」【国宝】【待庵】(たいあん)の茶室の在る所です。京都府北部は省きます。 以上、一般に観光される場所をご紹介して参りました。詠みづらいところも多く有ったでしょうが、辛抱して読んで戴き、感謝申上げます。 次回は総括で終わります。ありがとう御座いました。
2010.04.22
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【初のママさん宇宙飛行士・山崎直子さん 無事日本時間午後10時8分帰還おめでとうございました】【寺田屋】伏見「中書島」を中心とする難波からの船便の船宿として、栄えていました。今でも寺田屋の前に三十石船の船着場が存在しています。NHK大河ドラマの【坂本龍馬】が、常宿としていました。維新当時の女将、「お登勢」は「坂本龍馬」と養女の「お竜さん」を結婚させました。縁結びとして、狭い庭に祠が設けて有ります。尊皇・攘夷を唱える不穏の時代、薩摩藩の穏健派と急進派の渦中で、危うく龍馬はお登勢(とせ)とお竜(りょう)の機転で、一命を取り留めました。柱には、生々しい刀傷と銃弾の跡が遺されています。【月桂冠酒造】近くに、柳の美しい壕(ほり)に。酒蔵の風景は、「伏見の酒」としての情緒が漂っています。見学も出来ますし、涌水が何ともいえない美味で醸造の基となるのでしょう。明治の頃、「疎水」が出来、発電所も出来て、京都駅から中書島まで。日本で初の電車が走りました。難波から船便で、電車で岡崎の万国博覧会輸送のため造られたと言います。【御香宮】(ごこうぐう)日本第一の安産守護神といわれる【神功皇后】が祀られて居ます。【御香水】は現代も、多く出て、近所の人々や喫茶店の方も汲みに来られます、蟇股が多く使われ、中国の故事の彫刻が観られます。例えば「孟宗竹」孟宗の親孝行の場。等【城南宮】名神京都南インターを降りた所にあります。【方除けの大社】(ほうよけ)平安遷都の際、都の南に国の守護神として、「大国主命」が祀られて居ます。「源氏の庭」では「曲水の宴」など雅やかに儀式が行なわれます。【鳥羽離宮跡】「城南宮」近辺では、都を「鳥羽」にとの構想があったそうです。【安楽壽院】(あんらくじゅいん)阿弥陀如来像の胸に「卍」が彫られています。(京都検定1級に出題)。をはじめ天皇陵が3箇所有ります。即ち【鳥羽天皇御陵】【近衛天皇御陵】そして【白河天皇御陵】特に「白河天皇」は何事も、権力で適わないものは無いとされていましたが、三つは出来ないと。1. 加茂川の水の流れ2. 賽の目3. 比叡山の山法師【石峰寺】(せきほうじ) 「稲荷大社」の南隣にいちします。【五百羅漢】(ごひゃくらかん)石像が庭園の籔伝いに、配置されています。とてもどれをとっても、ユーモラスが有り、飽きないものでした。「涅槃像」も有りました。画家【伊藤若冲】(じゃくちゅう)も晩年隠棲者として、寺の古庵に住み、85歳の生涯を閉じられました。【伏見稲荷大社】初詣は、全国十位内に多くの参拝者で賑わいます、商売の神様とあって、自家用車の車版には。難波・和泉番号が殆どです。(商都大阪を象徴) 以上京都市11行政区を巡ってきました。アクセス10,000にもう少し届きませんでした。皆様のご後援に感謝します。 もう1.2回郡部について、記し筆を置きたいと存じます。
2010.04.21
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伏見区と言えば、世界文化遺産に登録された【醍醐寺】が燦然と輝いています。今年は桜の期間が、冷気のため長く楽しめました。「太閤の花見行列」も4月始めに毎年行なわれています。其の年に、秀吉は、亡くなりました。【伏見城】は、現代【明治天皇陵】の広大な「桃山」御陵内に、跡地としてありますが、私たちには、見る事が出来ません。「醍醐寺」に対し、西側丘陵の「小栗栖地区」の竹薮で、秀吉と「山崎・天王山の戦い」で、野望も遂げられず、敗戦の「明智光秀」が、居城「滋賀県・坂本城」に逃れようと此処まで辿り着きながら、農民の竹槍で、あっけなく亡くなりました。天下取りの宿命が、この地で、同じ運命を閉ざしているのも、不思議なめぐり合わせと思われます。「醍醐寺」を南に行きますと、「日野」の地に参ります。代々「日野家」は足利将軍の奥方として迎えられる風習だったそうで、「応仁の乱」を引き起こした「義政」の妻「日野富子」もこの地の出身です。【法界寺】真言宗醍醐派 開基 最澄 山号 東光山【阿弥陀堂】【国宝】「応仁の乱」から免れました。藤原時代に流行した典型的な建物です。宇治の「平等院鳳凰堂」に習い、浄土への願望を表現しています。【阿弥陀如来坐像】【国宝】仏師【定朝】(じょうちょう)様式で、福々しく豊かな心の落ち着きを感じさせます。受付で希望されると、懐中電燈持参で、未だ遺された「絵画の色彩」の一部が紹介されます。阿弥陀如来の後背は、透かし彫りで、後ろ壁にシルエットのように映し出され,七体の楽器を持った「飛天」が映し出され、柱にも「両界曼荼羅」の彩色が一部遺され、上の格天井には、極楽浄土にしか咲かない、「宝相華」(ほうそうげ)が映し出されます。小さい寺院ですが、藤原時代の歴史を充分味わえる、貴重な見所と存じます。【日野薬師】同境内に有ります。「乳薬師」とも呼ばれ授乳期の育児に優しい仏さまです。【日野誕生院】親鸞上人の誕生の地で、産湯の井戸があり、「胞衣塚」(えなづか)が建って居ます。ここにも、「青蓮院」と同じく、「明日有りと 思う心の仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものとは」 上人の出家への決意の歌碑が有ります。更に南に下りますと、【大善寺】(だいぜんじ)【六地蔵】巡りの拠点の寺で、昔「小野篁」(たかむら)が夢告により木幡山の桜の木で六体の地蔵菩薩像を彫り、京洛の要の道路の入り口に配置して祀られて居ます。現代も、JR・京阪電車そして京都市地下鉄の「六地蔵駅」として、要所に成りました。江戸時代は、船舶の要所でもあり、港の町名が残っています。【明治天皇・昭憲皇太后御陵】「桃山」または「小幡山」とも呼ばれた、大変広大な敷地で、静かに、日本の将来を見つめられています。高台からは、宇治・八幡そして奈良方面を見渡す事ができます。長い参道を歩むだけで、心が洗われます。 次回は、坂本龍馬に関係する「寺田屋」から「伏見区」を見て参りましょう。
2010.04.20
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<昨日は、阪神タイガース【金本選手連続フルーイニング試合出場】【1492】で途切れました。極めて残念です。理由は、チームに迷惑を掛けたくないと言う、本人の心情からの申し出だそうです。大記録よりも集団の仲間のため、強いてはファンの大局にたっての決断と思われます。凄い人格者でした。山科区は、京都市街から東山を超え、滋賀県への山に囲まれ、南が平地で開けた地形です。京の都を小さくした盆地とも云えましょう。北の山手に、琵琶湖疏水が滋賀県から流れてきた水路が、静かに大量の水が流れています。疎水沿いの桜並木は、豪華で皆様の憩いの場でも有りました。【毘沙門堂】天台宗 開基 行基 山号 護法山天台宗五門跡寺の一つで【三千院】【青蓮院】【妙法院】【曼殊院】そして【毘沙門堂】を言います。山科盆地の北の山中に属し、北部護守の「毘沙門天」を祀って居ます。現在は観光寺院として開放していますが、とても静寂で、長い石段を登り詰めた所に本堂が有ります。中庭には、樹齢150年と云われる枝垂桜「般若桜」が美しいです。 私ごとに成りますが、私の尊敬する伯父(父の兄)(妻帯せず)が、此処の門跡として住持、その身の回りの手使いで親子が、仕え、昭和22年に、天台宗の宗議で、伯父、中山玄秀が第250代天台座主として、推挙されました。身内として、この上ない名誉でしたが、当時はそれ程感じませんでした。 池には、瀧の音が、石橋・鶴島・亀島が存在して居たのですが、ただ蓮の花が美しく、静けさだけは、大自然の中で感じていました。当時終戦後で、中々手に入らないレコード、ベートーベン第九の曲を下宿の大学生の方と聴き入りましたことは、未だ忘れ得ず、想い出として懐かしいです。【岩屋寺】(大石寺) 曹洞宗稲荷山の東麓に有り、【大石蔵之助】ゆかり寺院です。本尊は、念持仏不動明王像を祀り、主君「浅野内匠頭」と「四十七士」の像を安置した木像堂と遺髪塚が有ります。その北には、【大石神社】が有ります。【勧修寺】(かじゅうじ)真言宗山階派大本山名神高速道路沿いに有ります。【庭園】氷池園が静かで穏やかさを感じます。平安時代の面影を漂わせています。樹齢750年「ハイビャクシン」が這い、水戸光圀寄贈の【勧修寺型灯篭】が見事に治まっています。【隋心院】(ずいしんいん)真言宗善通寺派大本山町名も「小野」と称します。【小野小町】にゆかりある寺院です。秘仏は、如意輪観音菩薩そして阿弥陀如来像。小町文張り地蔵像が安置されています。境内には、「化粧井」「化粧橋」「文塚」そして「百夜通(ももよかよい)の榧(かや)の木が有ります。「深草少将」が百夜通いごとに断わるも、榧の実だけはひとつひとつ残していました、百日満願の前夜、事きれ、恋は成就出来なかったという事です。山科区の南端で、南隣は、世界文化遺産、醍醐寺・伏見区と成ります。次回はその「伏見区」最終区となります。
2010.04.19
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「西京区」は京都市街の西部、桂川よりも西に位置します。山を越えれば、丹波地方に南は、「長岡京」に隣接しています。【大原野神社】784年(延暦3年)(平安京794年の10年前)の長岡京遷都の際、藤原氏の氏神社として、奈良の春日神社の分霊が祀られて居ます。奈良の興福寺の側に「猿沢の池」に対して、当地境内に「鯉沢の池」がのどかに存在しています。「藤原高子」が大原野神社参詣の折に、「十輪寺」で「在原業平」(ありはらなりひら)が、塩を釜で焼いたことによる、「紫色の煙」が、恋心を姫に示したと言う。優雅な話です。【勝持寺】(しょうじじ)【花の寺】天台宗 開基 役行者(えんのぎょうじゃ) 山号 小塩山【如意輪観音菩薩像】【国宝】と薬師如来三尊・十二神将が宝蔵舘で拝観出来ます。400本の桜も美しく、秋には、紅葉も綺麗です。四季折々に、各種花を愛でることが出来ます。何時しか、「花の寺」として親しまれて居ます。【西行桜】西行法師がこの寺で庵を結びました。【十輪寺】天台宗僧が黄色の法衣をまといスリランカ風雰囲気に誘われます。本堂でも楽器鳴り物を伴うお経を唱えられるようです。「在原業平」で有名で、多くの詩歌が残されています。墓も有ります。【小塩(おしお)の塩釜】は塩を焼くと、「紫色の煙」が昇り、恋心を「藤原高子」に示したということです。現代「地名」も「小塩」(おしお)と称します。【善峰寺】(よしみねてら)天台宗三門派 開基 源算 山号 西山紅葉の名所でも有ります。【本堂】三十三所観音霊場第20番札所。可也山腹にあり、徒歩では厳しく、自家用では、本堂前の「山門附近」に駐車場があり、利用されるべきと思います。千手観音菩薩と二十八部衆が祀られて居ます。尚【山門】の文殊菩薩像及び両脇の仁王像は何れも【運慶仏師】の作と云われています。【遊竜の松】五葉の松で高さ2m全長54m有りましだ、半分は、惜しくも近年になって、枯れてしまいました。樹齢600年【天然記念物】に指定されています。見事な景観です。【桂昌院遺髪廟所】藤原玉子 三代徳川家光の寵愛を受け五代綱吉の母となました。身分が低かったのですが、天下人に嫁ぎ「玉の輿」と言われました。79歳で逝去。犬歳であったため、生類哀れみの令により、「犬公方」(いぬくぼう)と言われました。京の都を眺められる高所にあり、正面には「淀の競馬場」が、眼下には、長岡京が見下ろせます。 次回は、東山を越えた「山科区」にぐーんと移動しましょう。
2010.04.18
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【東福寺】臨済宗東福寺派総本山 開基 聖一国師 山号 慧日山「泉涌寺」から更に南に、歩を進めますと、広い敷地として、「東福寺」をはじめ塔頭が、存在します。「紅葉」の時期には、京都駅にも近いことからか、立錐の余地も無いほどに、人出が殺到します。足利義満の決めた、禅宗の五山の第四番目に当たります。大きさを誇張するように、寺名も奈良の東大寺と興福寺から、一字ずつ採って名付けられたそうです。【七堂伽藍】(しちどうがらん)形式を採り、【伽藍面】(がらんづら)ともいわれています。【三門】【国宝】禅寺としては、日本一古く大きいとのことです。扁額には【?雲閣】(みょううんかく)と書かれ、足利義持公の筆跡です。三門の上に登りますと、正面に釈迦如来像・十六羅漢像は定朝作と云われています。特別拝観で内部は拝観出来ます。【法堂】(はっとう)釈迦如来が祀られ、天井の龍の画は、【堂本印象】作です。時節(3月14日~16日)に【涅槃図】が、拝観できますが、【猫】が神妙に構えて画かれている事で話題と成っています。何故なら「お釈迦さま」が亡くなる前に中毒の病で、空から「摩耶夫人」(まやふじん)母上が薬袋を投げられたところ【投薬の語源】【沙羅の小枝】(さら)に袋がひっかかり、【ねずみ】が木に登り取りに行こうとしたとき、猫が阻み、お釈迦さまのもとに間に合わなかったとのことで、十二支からも外され、功を得て、ねずみから始まる事に。【本坊】方丈の西と北庭には、苔で【市松模様】で飾られ、芸術を感じさせられます。庭園は「重森三玲」(しげもりみれい)作です。【通天橋】(つうてんきょう)この周辺が、「紅葉」で最も楽しめるところです。渓谷「洗玉澗」(せんぎょくかん)のもみじは、最高に美しいです。【開山堂】【普門院】開基聖一国師の入定の地で、ちょっとした庭園が広がります。【竜吟庵】(りょうぎんあん)塔頭【方丈】が【国宝】です。「本坊」の東側にあり、特別公開しか拝観出来ません。先ず入り口に、「通天橋」に似た【偃月橋】(えんげつきょう)の廊下の様な橋が有ります。【竜文苑】と【敬愛の庭】があり、特に「竜門苑」の敷石は、鋭角にとがり、竜が飛び回っている豪壮なさまを見せ、枯山水の庭園としても、異様な活動的に心が躍ります。そして竹垣には、「いなずま」が走った模様で囲み、いやが上にも庭園の雰囲気が盛り上がります。京都でも珍しい庭園として、是非ご鑑賞の機会があればとお勧め致します。【退耕庵】(たいこうあん)塔頭 北門の近くに有ります。小野小町作と伝える高さ2mの【玉章地蔵】(たまずさ)(文)と「小町100歳」像が有ります。伏見区醍醐の「小野の随心院」にも有ります。【同聚院】(どうじゅいん)塔頭 本尊不動明王坐像。モルガンお雪の墓が有ります。【霊雲院】(れいうんいん)塔頭 重森三玲作枯山水庭園。【臥雲の庭】(がうん)と【九山八海の庭】(くせんはっかい)金閣寺にも「九山八海の名石」(中国より取り寄せた)が有りました。凹凸に飛んだ又美しい庭園です。九山八海は、「蓬莱山」の形を現しています。【芬陀院】(ぶんだいん)塔頭 【雪舟寺】(せっしゅうでら)雪舟作と言われる、「鶴・亀」の庭が有ります。 京都駅の近くで「東福寺」だけでも、充分夫々変化のある庭園その他文化財を観ることが出来ます。東山区の南端に位置します。 次回は、西京区に移ります。そして山科区・伏見区の予定です。
2010.04.17
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【養源院】浄土真宗三十三間堂の通りを挟んで、東側に隣接して有ります。此処も【血天井】の供養された寺院です。時間制で、説明が入ります。「淀君」の父「浅井長政」の追善のため、秀吉によって建てられました。後に徳川秀忠夫人のために、「伏見城」の遺構の一部を移し、以後徳川家の菩提所として歴代将軍の位牌が祀られて居ます。襖絵と唐戸は、「俵屋宗達画」(建仁寺・雷神風神の図も)とされています。【後白河天皇御陵】「養源院」の隣にあります。【南大門】と【太閤塀】は、「三十三間堂」の南東に位置します。【泉涌寺】(せんにゅうじ)真言宗泉涌寺派總本山 開基 月輪大師(がちりん) 山号 東山御寺と書いて、「みてら」と称します。皇室に縁あり、今年も天皇両陛下お揃いで、「京都国際会館・世界大会」に御臨席の際に、行幸が有りました。当初、弘法大師が草庵を建てられ、「法輪寺」とされましたが、後に月輪大師が再興されたその落慶の時に泉が湧き出したので「泉涌寺」と改名されました。現代でも残っています。「山門」をくぐりますと、左側に「楊貴妃観音像」の祀られたお堂があります。そして再び「山門」に戻り、広場の坂道を下った正面に、【仏殿】があり、高坐に「運慶作」と言われる「釈迦・阿弥陀・弥勒」の三尊が祀られています。天井の龍の絵と堂裏に画かれた「白衣観音菩薩」絵は、「狩野探幽」の作です。「涅槃図」も有名です。【霊明殿】四条天皇を始め、歴代の天皇・皇后・親王のご位牌が奉納されています。特別に別拝観料を払って、入れます。是非皇室の雰囲気を味わって下さい。霊明殿の奥には、別世界の様に、東山を背景にシーンと鎮まり返った雰囲気の御陵「十二帝陵」が有り、今回も両陛下が玉串の奉納を捧げられました。小鳥もさえずり自然の静けさは心が洗われます。【泉殿】今でも泉が涌いて居ます。境内に【今熊野観音寺】が有り。西国三十三観音霊場の15番札所となっています。第1の山門前には、【即成院】(そくじょいん)があり、仏像で阿弥陀如来三尊と眷属二十五菩薩を控えての【ご来迎】(らいごう)の形式を構えて有るのは、極めて希有と思われます。本堂の裏には、源平合戦で有名な那須与一の墓が有ります。 京都では、「ポックリ病」に適うとして、信仰が厚いです。本命は、奈良の「吉田寺」(きちでんじ)です。他人に下の世話も受けずに、あつけなく亡くなりたい願望でしょうか。 次回は、東山区最終の「東福寺」へ参りたいです。
2010.04.16
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「三十三間堂」に思わず、力が入りましたね、文章だけの読み物には、あまり目を通したくないほど、皆様もお忙しい時代と成りました。 写真は、グーグルで検索されますと、夫々立派に写されています。文章を会わせ観られましたら誌上で、京都観光が楽しめるかと存じます。 此処まで、行政区単位で、位置関係がご想像できるとして、組んできました。東山区の残りと後、余す所、伏見区・山科区そして西京区の3箇所となりました。宇治市・京都府南部地区を入れても、後僅か。ブログの右上に、皆様方から応援賜りました「アクセス数」が昨日までに、「9360」と応援戴きました。大変光栄に感謝しています。「10,000」までは続けたいです。 【京都観光】は、皆様方の望まれる事柄ですが、難しい年数・時代・人名の詳細は、他のガイドブックに写真付きで、紹介されていますので、タクシー乗務員として、「実地」に何回も重ねてお客様にご案内しての、「現地の主な見所」をお客様の歓ばれた、体験談として、毎日112日間綴ってきました。 拙文ですが、訪れられなくっても、「京都の凡その観光地」そして「寺院の教訓の表現」そして「仏像」が少しはご理解得たと思います。 「京都紹介」は、4ヶ月懸っても、紹介仕切れませんでした。増してや、祭り・行事に到っては、筆舌では際限が有りません。 後暫くご辛抱の上、ご後援のほどお願いします。 京都博物館では、長谷川等伯の展覧会が開催されています。毎日8000名の来場とか、5月6日まで開催中です。裏千家の近くの日蓮宗の「法住寺」の大きい「涅槃図」も出張中で此処で観られます。 次回は東山「泉涌寺」皇室のお寺に参りましょう。
2010.04.15
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【妙法院】天台宗 開基 伝教大師 山号 南叡山天台宗五門跡寺の一つ。格式が高い寺院です。非公開。末寺に三十三間堂が有ります。【智積院】(ちしゃくいん)真言宗智山派總本山 開基 玄宥 山号 5百仏山「妙法院」と南北に対峙して、建って居ます。天台・真言と大物の宗派の対峙に映ります。【庭園】と【収蔵庫】だけ、一般に公開されています。特に「収蔵庫」には、【国宝】の【長谷川等伯】の襖絵が見応えが有ります。【国立京都博物館】「妙法院」の西側向いに存在します。現在、【長谷川等伯展】開催中です。【蓮華王院】【三十三間堂】天台宗 開基 後白河上皇 山号 なし外人観光客・修学旅行には、人気の高い寺院です。明治の煉瓦風の建物「京都博物館」の南向いに有ります。受付を入りますと、長方形に三十三の間の扉で仕切られた、日本一長い建物に驚きます。観音さまは、人の願いに応じて、三十三身に変化される数に合わせているようです。更に堂内に入りますと、これまた観音さんの立ち姿の多いことに、感歎の声を発せられます。何せ、真ん中に十一面千手観音菩薩坐像【国宝】(仏師法印湛慶作)が蓮華坐に安置され其の両脇に五百体づつそして、その裏手に一体の十一面千手千眼観音菩薩立像が所狭しと整然と並んでいます。そして観音菩薩の護身役として前列に二十八部衆と風神雷神【何れも国宝】が並んでいます。左右対称の場合は、本尊より左手が上位です。(私達より向かって右側)例えば。「雷神・風神」「仁王の阿・吽形像」「梵天(宇宙)・帝釈天(太陽)」この形式は、「清水寺」も観られましたし、外でも良く観られますので、参考にされるには、最も身近に大きいお姿で拝観出来ます。何でも「後白河上皇」頭痛持ちだったそうで、夢のお告げにより、紀州「熊野権現」の附近で、自分の頭蓋骨にすすきが生え、その穂が揺れる度に、ずきん・ずきん痛むと。そのことにより34回に及ぶ「熊野行幸」され参詣されると共に、「平清盛」に命じて、数の量の多い仏を祀り頭痛納めに努められたと言う伝説も有ります。お守りの中にも「頭痛封じ」が有るのは珍しいです。廊下を巡ると「通し矢」の歴代の名人の額が掛っています。現代でも伝統として、正月成人の日に、女性による「通し矢」の行事が行なわれています。何故?「昔紀州の殿様が鷹狩りをしていました、すると大事な鷹が、柳の枝に絡みつき離れず、短気の殿様が家来に命じて、木を切ってしまえと、其の時弓の名人横曽根平太郎が名乗り出て、枝を払うことで無事、鷹が救われ、柳の精が喜んだ」後に弓の名人の許に「お柳」(おりゅう)と言う別世の美人が訪れ、お嫁にと二人の間に「緑丸」が産まれました。平和な家庭でしたが、ある時、お柳が悲しくも「私は実は貴方に助けられた柳の精です。京の都に狩り出されることに成りました」と実は此処三十三間堂の「棟木」に供出されることになったのです。でも誰の手でもびくとも動かなかった柳の木に、「緑丸」が優しくお母様と泣く泣く言って、手で優しく摩ると、動き出したと言います。廊下の壁に「三十三間堂と柳の棟木」と題して、掲示されています。皆様、急がれるため殆ど見ておられません。仏師「西村公朝和尚」さんの二十八部衆の面白い観方を一部披露します。【神母天王像】は【鬼子母神】(きしもじん)関東では信仰が厚いそうです。シンバルを両手で鳴らし、その音を目を真中に細め、静かに聴こうとしている彫刻。我が子が500人も有りながら、他人の赤ちゃんを見ると全て食べてしまう鬼女でした。お釈迦さんが堪らず、彼女の子1人を隠されましたところ、彼女は気が狂ったように泣き叫び探したそうです。其処でお釈迦さんは「500人の内一人でも亡くした母親の悲しさ、喰われた他人の母親の嘆きや如何ばかりか」と諭されました。心を180度改め,幼児を護る安産の福の神に成りました。【阿修羅王像】(あしゅら)喧嘩・闘争を好み、梵天・帝釈天とも闘いました。これも、お釈迦さんに諭され仏の味方と成りました。眉間にも目がある三つの顔を持ち合わせています。奈良・興福寺の【阿修羅像】は、東京でも大人気となりました。私個人としても、仏像で最も愛好しています。【迦楼羅王像】(かるら)コブラ(蛇)を常食の巨鳥。鳥頭人身の形を採り、横笛を吹き、右足先で リズム・調子を採るユーモアな像に観られます。インドの神さまです。【帝釈天王像】(たいしゃくてん)右手に太陽をあしらった鏡を持っています。【摩喉羅王像】(まごら)眼が眉間も合わせ5個もありますよ。こうして観ていきますと「仏像」にも興味が沸いて来るのではないでしょうか。【十一面千手千眼観音菩薩】(じゅういちめん・せんじゅ・せんげん・かんのんぼさつ)形として両方に20の手しか有りませんが、一つの手に25の法力を持たれ40×25で1000とされ、実際千の手に近いのは、奈良・唐招提寺の観音菩薩。大阪葛井寺(ふじいでら)そして京都府京田辺の宝壽寺です。
2010.04.14
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「高台寺」参道入り口から、「1年坂」「二年坂」そして「三年坂」と京都の風情溢れるみやげ物店をめぐって「清水寺「に参ります。途中2・3年坂の交わる場所より、西に行くと、京都の代表的な【八坂の五重の搭】【法観寺】が有ります。塔に登る事も可能で、京都の街が近くで見おろせます。本日は「清水寺」の詳細はブログを始めて頭書の方で述べましたので「清水道」を西へと降りていきます。其の前に清水寺の西隣接地に「西大谷」(西本願寺)の墓地が有ります。大変広いです、此処を昔は、【鳥辺野】(とりべの)と称し、京都三箇所の埋葬の場所とされていました。「蓮台野」「化野」「鳥辺野」と。「清水道」を更に「東大路通り」を西に参りますと、看板に「幽霊飴」と書かれた店が2軒あります。「鳥辺野」で嬰児をお産した母親が、亡くなりその霊が「幽霊の姿」で「飴」買いに訪れ、毎日続くので、不思議に思った店の亭主が、秘かに後を着いて行きました。何と母親が嬰児を抱きかかえ、飴をしゃぶらせていました。やがて姿も消し、赤ちゃんだけ残されました。不憫に思った亭主は、その幽霊の法要を務め霊を弔い、赤子を立派に育てました。そして高僧の僧侶にまでなられたという伝説が有ります。「飴」を食してみました。とてもあっさりした甘味で栄養が採れたと思いました。【六道珍皇寺】(ろくどうちんのうじ)臨済宗建仁寺派「鳥辺野の入り口」【小野篁】(おののたかむら)は、黄泉(よみ)の霊界と交流された官吏で、地獄道でせっせと介護する僧を見付け、問うてみると「吾は地蔵菩薩なり、お前は、娑婆に戻り、地蔵信仰を為せば、救われることを説いて行きなさい」と託されました。娑婆に戻り、早速各地に地蔵菩薩を設け、普及しました。「六地蔵巡礼も然り、此処には、黄泉に行かれたと言うそして帰られた「井戸」が有ります。お盆のシーズンには、「高野槙」の葉を買って水に浸して、死者の冥福のため奉納する儀式を多くの「六道さん参りとして、参拝する人で賑わいます。「閻魔大王」も祀られて居ます。此処の鐘は、撞くのでなく、手前に引いて撞きます。【六道の辻】「珍皇寺」より更に西に行きますと、やはり小さいお寺に「閻魔さん」が控えていました。「六道の辻」と言われます。此処より南に下りますと、【六波羅蜜寺】(ろくはらみつじ)真言宗智山派 開基 空也 山号 補陀洛山西国三十三観音霊場第17番札所都七福神唯一の女神「弁天」さんが祀られて居ます。「平清盛」の邸宅跡でもあり、鎌倉幕府は、「探題」を構えた所でも有ります。空也上人が悪病を退散させるため十一面観音像を造られ、祀られました。宝蔵庫には、念仏されたときに、口から六体の阿弥陀さまが現れたという像があり、「清盛像」外仏像が見ものです。石庭には、南北に「彼岸」及び「此岸」が有り、この庭には、自己を磨く為の「六つの修練」として自然石が置かれています。
2010.04.13
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【高台寺】 臨済宗建仁寺派 開基 弓箴(きゅうしん) 山号 鷲峰山 豊臣秀吉の夫人「北の政所ねね」が秀吉没後9年後に建てたお寺で、後陽成天皇より下賜された「高台院」にちなんで名付けられました。秀吉並びに生母・養父母そして木下家の菩提を弔うべく建てられたようです。徳川家康も普請に要する費用も援助したとか。伏見城に有った【薬医門】【観月台】【傘亭】【時雨亭】なども移築されて残っています。当時広い境内でしたが、焼失したり、明治の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で規模が現代のように縮小されました。三門薬医門の「蟇又」には、「見返り狐」が飾られています。庫裏横の受付より庭園に入っていきますと【臥龍池】(がりゅういけ)が「蓬莱形式庭園」として広がります。鶴島・亀島はおおきいです。池を巡りながら【楼船廊】(ろうせんろう)の最中に屋根を一段高く「四方唐波風」で【観月台】が目立ちます。此処から東山より出る月の眺めは、侘びを感じます。【開山堂】開山和尚と北の政所の兄「木下家定夫妻」も祀られて居ます。格天井がみものです。【臥龍廊】「開山堂」から「霊屋」への渡り廊下です。龍の様に曲げられています。【霊屋】北の政所は、寛永元年(1624年)9月6日77歳で逝去。此処に眠っておられます。「おたまや」と愛称されるほどに、【蒔絵】(まきえ)が豪華で、「五七の桐」紋を交え、特に夫、秀吉が好んだ「朝露」を、「秋のすすきの葉に露の玉」を採り入れた「ねねさん」の気持ちが痛々しく伝わるようでした。「花筏」「浄土の様、楽器」の蒔絵には、ねねさんの思い遣り、希望の念じ方が伝わるようでした。霊屋の内陣に、秀吉・ねね夫人の坐像が安置されていました。 「大阪城の落城」で燃え盛る火炎を、どのような悲しみで、眺められた事でしょうか。 「つゆとをち つゆときえにし わがみかな なにわのことも ゆめのまたゆめ」 秀吉辞世の句。更に高台に、【傘定】と【時雨亭】が昔のままに残されています。中には自由に入れます。【方丈】は、最近立派に建てられ、【書院】では「おうす茶」も楽しめます。【方丈庭園】では、近代的に「ライトアップ」の行事もあり、観光京都の存在を謳歌しておられます。【台所坂】の長い石段を降りますと、「ねねの道」に至ります。降りたところに、【円徳院】が有ります。襖絵は、長谷川等伯作と云われています、小さな庭園が楽しめます。院内に「三面大黒天」という珍しい像が祀られて居ます。ねねさんも時折寝泊まりされたとか。【霊山観音像】「高台寺」の南隣接して、大きい観音像がコンクリートで戦後造られました。「ねねの道」の南端から、東に掛けて「維新の道」が急な坂道として登りますと、北側に【京都霊山護国神社】があります。戦争で戦士された英霊が祀られて居ます。観音像は、更に目だって大きく、航空機でも存在が判るほどです。やはり戦没者の慰霊のために建てられました。幕末の頃に「招魂社」として建てられ、維新の頃の亡くなった550柱の墓もあり、特に「坂本龍馬・中岡慎太郎そして、木戸孝允」の墓は、有名です。高台から京都の街が見おろせます。 霊山は「りょうぜん」と読んでいます。 次回は、「三年坂」から「お盆」に関係する寺院を巡りましょう。
2010.04.12
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【円山公園】市民の憩いの場所とも云えましょう。枝垂桜が満開です。池には噴水が、広々とした公園には、樹木が、何かホツとするものを感じます。上段の方には、「坂本龍馬・中岡慎太郎」の銅像が立っています。更に登ると、「知恩院の大鐘楼」の側に至ります。即ち【安養寺】の門に至ります。【安養寺】宗派 時宗 開基 伝教大師 山号 慈円山【法然上人】の【吉水草庵跡地】(きっすいそうあんあとち)でも有り、近くの弁天堂の側に【吉水の井】が有ります。法然上人はこの地で、往生念仏の教えを始められた場所で浄土宗の発祥の地でも有ります。大勢の門弟が法話を聴き念仏を唱えられました。「親鸞上人」もそのお一人でした。そして宿泊場所が必用となり、現在円山公園附近で「左阿弥」外、料亭が残され、又遊興もときには、ともない、芝居小屋等、南座・祇園の街が、華やかに誕生したとも言われています。当初「阿波の阿国」(あわのおくに)女歌舞伎から後に男歌舞伎になりました。京阪電車「祇園四條駅」には、「阿国」の像が立っています。【長楽寺】円山公園の南東に位置し、建礼門院が源義経に助けられて、ひととき出家して、留まれた寺院でも有ります。後に大原「寂光院」に余生を平家一門の霊を弔いつつ過ごされました。【八坂神社】祇園祭りの主たる神社で、祭神の牛頭天王(ごずてんのう)は厄除けの神とされます。【大雲院】八坂神社の南東に位置し「祇園閣」といって、祇園祭りの鉾の形をしています。義賊「石川五右衛門」の墓があります。何故か、義賊にあやかりたいのか、墓石が削り取られてるということです。祇園会館の南に「建仁寺の裏門が有ります。【建仁寺】臨済宗建仁寺派大本山 開山 明庵栄西 開基 源頼家 山号 東山足利義満が定めた禅宗「五山の第三位」に属します。禅寺として日本最古栄西禅師は、中国より、お茶の種を持ち帰り、高山寺で初めて栽培、喫茶の茶祖。【方丈】「大雄苑」の名の枯山水庭園が広がります。【茶席・東洋坊】茶室の西側に有名な「建仁寺垣」が観られます。【法堂】釈迦如来と脇侍に迦葉・阿難尊者が祀られ、天井に平成に入って画かれた【双龍】が小泉淳作筆が観られます。【風神・雷神図】【国宝】(俵屋宗達絵)は、見事で有名です。【両足院】(建仁寺の塔頭)長谷川等伯の襖絵が素晴しく、庭園も池泉回遊式で、建物から円周に観られます。現在「京都国立博物館」にて、等伯の展覧会が模様されています。【恵美須神社】都七福神の「恵美須さん」が祀られて居ます。新春「初恵美須」の日は、老若男女で賑わいます。「建仁寺」の西側の通りの向いに位置します。 次回は、「高台寺」からその附近を歩いてみましょう。
2010.04.11
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東山区には、かなりの見所の観光地があります。其の最も北即ち「岡崎・平安神宮」の南に【青蓮院】(青蓮院) 天台宗 開基 最澄 山号 なしがあります。天台宗五門跡寺の一つとして、【粟田御所】とも云われる、格式の高い寺院です。「天明の大火」で御所も焼失した時に、「後桜町天皇」は此処を「仮御所」とされ、その玉座の間も残されています。門前には樹齢800年の楠が、迎えてくれます。5本の筋塀を見ながら表御門を入り、受付より、履物を脱ぎ、廊下伝いに「勅使門」からの玄関間に至ります。その勅使門の院内に歌碑が有りました。実は、【親鸞上人】がこの寺院で、【得度】(とくど)(出家なさること)されました。未だ幼少の身で、出家の決意に悩まれた結果の句が書かれています。「明日有りと 思う心の仇桜 夜半(よわ)に 嵐の 吹かぬものかわ」廊下伝いに【宸殿】に、此処には、堂内に「親鸞上人・得度をされた場所」として、立て札が立っていました。此処も「宸殿」の前は、左近の「梅」右近の「橘」が配置されていました。本堂の西部屋には、「浜松の襖絵」が、東部屋には、【青不動三尊】【国宝模写】の掛け軸が、掛けてありました。【日本三不動】園城寺(おんじょうじ)(滋賀・三井寺)黄不動・高野山明王院の赤不動が有ります。黄は、人間の皮膚の色、赤は動脈そして、青は静脈、を表わすとか。更に渡り廊下を進みますと、先ほどの「後桜町天皇」の玉座の部屋が有ります。格式の高い「格天井」(ごうてんじょう)の間に中国風の襖絵がきらびやかに画かれていました。滝と池を伴う回遊式庭園が最も相応しく、鑑賞出来る部屋でも有りました。更に廊下伝いに、【一文字手水鉢】一の字が長く彫られた手水鉢が、目立ちました。そして【書院造りの間】へ、此処からの庭園の眺めも落ち着きが有って良いものです。亀島・鶴島・石橋・滝そして灯篭・茶室が眺められました。一旦、履物を履いて、庭園を巡る事も出来ます。昔は、庭園の芝生の上で、舞妓さんたちが、お琴の演奏を興じて居られた時がありました。一般には、出来ませんが、庭園の奥から山道を辿りますと、以前にご紹介しました【将軍塚】に、至ります。【青蓮院別院】としての尼寺に成っています。 隣接が当初に御紹介しました【知恩院】です。次回は円山公園から八坂神社へ。
2010.04.10
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【京都駅】は、行政区「下京区」と「南区」の正に境界線上に位置します。然し観光京都の表玄関ですが、訪れる寺院は僅かです。下京区の代表は【西本願寺】【東本願寺】そして南区は、【東寺】で何れも世界文化遺産のご案内で、記しました。ただ一箇所、「東本願寺」の「別邸」が本願寺の東に有りますので其処に訪れてみましょう。NHK京都放送で、桜の見ごろの場所として放映されました。【渉成園】(しょうせいえん)【枳穀邸】(きこくてい)枳穀(きこく)即ち「からたち」の樹で周囲が覆われていましたので、「枳穀邸」とも呼ばれます。平安時代「源氏物語」に登場の「源融」(みなもととおる)の「六条河原院」邸宅跡地との伝説が残っています。庭園に、奥州の【塩釜】の景色をなぞらえ、難波から「塩水」を運び入れたと言われています。京都駅表前の通りを塩小路通り」として名が残されています。徳川3代将軍家光が、「本願寺」信徒の勢力を分ける政策で、東西に分け、土地を寄進しました。そして「詩仙堂」の石川丈山作庭により、現代の書院形式の池も配した庭園が残されています。何処となく、平安貴族の愛した庭園に見られます。茶室等十三景と充分に楽しめそうです。 新幹線京都駅でお迎えしたお客様にご案内する場合、斯くして近辺に観光場所が少なく、御希望に従って、目的地へ直行するのが、常道のようです。 京都駅から、七条通りを東へ、「七条大橋」西詰めから、車を停めて「東山三十六峰」を眺めやりますと、頭を南に大きいお腹をつきだして、脚を伸ばす姿が、正に人が寝ている姿にも見えます。「布団着て寝たる姿や東山頭が豊国廟のある太閤秀吉の墓で、「吾が屍を都の見下せる場所に葬れ」と言うことで「阿弥陀が峰」の頂上に置かれています。石段500余段有り、脚がわらってしまうほどです。石垣に包まれた五輪塔の石碑があるのみでした。寧々夫人は、脚元の「高台寺峰」に、「旦那が高い所ならば、わたしは地中深く掘り下げたところに」と謙虚に高台寺に眠っています。お腹は、「清水峰」で、東山区では、代表的な【清水寺】が有ります。【豊国神社】(とよくにじんじゃ) 太閤秀吉を祭神として祀られて居ます。徳川家康により焼き払われましたが、明治時代に再建され、拝殿は伏見城の遺構を持ってきています。【方広寺】釣鐘に有名な「国家安康・君臣豊楽」の銘があり、徳川家康の曲解で「大阪城冬・夏の陣」と豊臣家は滅びてしまいました。家康の名を安の字で分断・豊臣が栄えるの意。【耳塚】「豊国神社」の前の道の側にあり、秀吉が韓国に野望を広げて攻め入り、韓国の罪無きひとびとの耳や鼻を船で日本に持ち帰り、その数で論功功賞を図った惨い仕打ちに、目を覆いたくなるのですが、その被害の霊に対して「供養塔」が建てられています。昨日の「瑞泉寺」での、身内でも痕跡無くなるまでの自己防衛の仕打ちと重ね、歴史上真意は如何に。一方神にまで奉じられている現実、太閤贔屓の方も多いでしょうが、その蔭も京都には遺されて居ます。人間の神格化。野望に残忍な犠牲そして、釣鐘によっての大阪城の滅び。因果報応が、この一画に集められた異様な場所でもあります。 次回は、祇園八坂神社から東山区に移ります。
2010.04.09
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【京都御所】春の一般公開が、4月7日から11日まで、始まりました。紫宸殿の左近の桜が満開です。十二単衣の人形も観られます。 中京区といえば、【二条城】が代表になります。その敷地に、一部を取り込んだ京都の都を定めるに欠かせない。【風水の原点】である【神泉苑】が南側に存在します。【風水の北の原点】は【船岡山】といわれ、二点を結ぶ線上に、【大内裏】(だいだいり)があり、都造りの吉兆を願ったとも云われています。創建当時、北は二条通り南は三条通りと広く池中には、【龍頭鷁首】(りゅうとうげきしゅ)の船を浮かべて遊園が行なわれたとあります。お池通りの名は、此処から生まれ、京都市民にとっては、東西に通ずる主要道路となっています。池の中ノ島に【雨乞い伝説】を伝える【善女竜王】を祀り、池の水は常に満ちて枯れた事がないそうです。又逆に雨が降りすぎて洪水等により、【疫病退散祈願】のため、鉾を作り【祇園祭の発祥の地】とも言われています。現在はこじんまりして、往時を偲ぶことも想像出来ません。【本能寺】 法華宗本門流本山現在、京都市役所前、寺町通り御池に豊臣秀吉の政策で移されました。元は六角通り油小路跡地があります。織田信長の墓が此処にもあります。【行願寺】(ぎょうがんじ)【革堂】(こうどう) 天台宗西国三十三ヶ所観音霊場第19番札所都七福神【寿老人】【頂法寺】(ちょうほうじ)【六角堂】西国三十三ヶ所観音霊場第18番札所聖徳太子ゆかりの寺または親鸞上人にも関係するお寺です。池坊の華道にも深く関与しています。【へそ石】本堂の前に置かれています。【壬生寺】(みぶでら)壬生狂言で有名。境内に【新撰組】関係【近藤勇】の墓が有ります。【瑞泉寺】(ずいせんじ) 浄土宗西山禅林寺派 開山 立空桂叔 山号 慈舟山三条大橋を西へ高瀬川小橋の南東角にありました。人通りの多い街中にあって、大変悲しむべき歴史の痕跡を見ました。豊臣秀吉の生き様を此処でも伺えた感を受けます。秀吉の姉の子【豊臣秀次】は、秀吉に実子世継ぎが産まれなかったことで、養子縁組、豊臣家を継ぐべく「関白太政大臣」まで押しておきながら、その後「淀君」との間に【秀頼】が産まれたことで、秀吉を取り巻く者達で、事は急変秀吉よりうとまれ挙句は、「謀反の罪状」で関白を剥奪の上「高野山」に追放、自刃させられその首だけ京の三条河原の刑場に晒され、「秀次の一族」実子・側女たち39名が次々加茂の河原で露と消されていきました。あまりの惨状に、後の世に【角倉了以】が高瀬川開削に当たって刑場と思われる中州のこの地に菩提を弔う為に開山【立空桂叔】和尚と計って建てられました。瑞泉は秀次の戒名から、そして山号は、高瀬川の舟になぞらえて付けられたそうです。小さいお寺ですが、首塚の塔を囲んで39霊の石塔が囲み、鈴を鳴らすと連続に悲しさを訴えるように「カラン・コロン」と聞えました。殆ど訪れる人はなく、淋しい雰囲気の一杯歴史の一齣を感じるところでした。 近所は、【坂本龍馬】に関係する、悲劇の場所でもありました。 次回は、下京区へ参ります。
2010.04.08
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毎年、年末には、【全国高校駅伝】が、年始には【全国都道府県女子駅伝】が都大路を駈け抜きます。そのコースの一画に、金閣寺から大徳寺前を通って、北大路通り堀川を右折そして、紫明通(しめいどおり)を左折します。大徳寺の地名が「紫野」(むらさきの)と称します。何れも紫式部に因んで名付けられたと思われます。【紫式部・小野篁(たかむら)の墓】北大路通り堀川を南へ西側にひっそりと、眠っています。地元に住む人さえ知らなかったと言われるほどに、見過ごされる狭い敷地です。お客様にご案内すると、殆どの方が感動されます。どちらも、文人で、共に語り合って居るかも知れません。場所を北へ、【鷹が峰】に参りましょう。【光悦寺】(こうえつじ) 日蓮宗 開基 日慈 山号 大盧山本阿弥光悦が、徳川家康から拝領した鷹が峰の地に、一族縁者や、工芸職人と共に移り住み光悦を中心とする、芸術村を営みました。境内には茶室が5室有り、茶会には全国のお茶の師匠が一同に会されます。「紅葉」の名所でも有り、【臥牛垣】(ねうしがき)が一際垣根として目立ちます。【常照寺】日蓮宗 開基 日乾 山号 寂光山光悦寺の近所に「常照寺」と「源光庵」があります。吉野太夫と帯塚で有名です。「西陣」織物関係の敬うお寺でもあります。桜の季節に、名妓慰霊のための「太夫道中」による墓参と供養茶法事が行なわれ、野点(のだて)茶席が設けられます。「紅葉」の名所でも有ります。【源光庵】 曹洞宗 開基 卍(まんじ)山道白 山号 鷹峰山「紅葉」季節に、最高の見せ場を鑑賞出来ます。丸窓【悟りの窓】四角の窓【迷いの窓】越しに庭の「紅葉」がとても感動を受けます。紅葉のシーズンにお客様から何処が良いかと、問われましたらご案内する穴場です。【血天井】鳥居元忠一党の位牌が祀られて居ます。【正伝寺】 臨済宗南禅寺派 「方丈」伏見城の遺構。「襖絵」狩野山楽筆。「山水図」で「中国杭州西湖」の景色。「庭園」小堀遠州作。比叡山を借景に白川砂にツツジの刈り込みが7・5・3調に配され、龍安寺の「虎の子渡し」に対し此処では「獅子の子渡し」と云われています。【血天井】大原三千院の奥にある、「宝泉院」で述べましたように、伏見城の篭城で、徳川方の鳥居元忠一党が、関が原の合戦の結果を待てずに、1,200余名の自害により流された血染めの板を天井に配し、その霊を弔うために京都の数か寺に慰霊しています。 次回は、中京区にまいりましょうか。
2010.04.07
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山崎さん初のママさん宇宙へおめでとうございます終始笑顔で【大徳寺3】4月4日は、カトリック教徒は、バチカンのローマ法皇を中心に「キリストの復活」を祝う「復活祭」でした。イースターといって、世界的に、国を挙げて歓喜の行事が行なわれる諸国も有りました。わが国の歴史では、「踏み絵」等でキリスト教徒への、弾圧が厳しく、公には信仰を保てなかった中で、此処大徳寺の塔頭で、2箇所公に信仰を守っこうた人物の菩提寺が有ります。一つは【高桐院】(こうとういん)【細川ガラシャ夫人】です。公開しています。明智光秀の娘で、千利休の七哲の一人細川忠興の正室【玉】でした。石田三成の「人質政策」に反抗して死を選ぶ際に、キリスト教徒は、自殺は禁じられていますので、家臣の刃で亡くなりました。【欠灯篭】豊臣秀吉の名石狩りをさけるためと、銘に「無双」と印し、完全を忌(い)む公自身が一部を欠いたそうです。茶室【松向軒】(しょうこうけん)は、黒壁で質素に造られています。【瑞峰院】(ずいほういん)公開。キリシタン大名【大友宗麟】(おおともそうりん)が菩提寺として建てました。庭園の一箇所に、十字架の庭がわかり易く、鑑賞出来ます。何と云っても【方丈庭園】は、枯山水で、荒波が岬に。怒涛の如く押し寄せる風景に、砂をするどく、深めに形作っています。外に類例が無い、豪壮な姿を表現しています。茶室で国宝は3箇所その一つ、大山崎に有る【待庵】(たいあん)のモデルが新装なり、特別に申し込まれましたならば観られると思います。【弧蓬庵】(こほうあん)非公開 (中国風景に出てきます、菰の帆かけ小船)「小堀遠州」が故郷「近江八景」を庭園に作庭。「船岡山」を借景に採り入れています。茶室【忘筌】(ぼうせん)中国の諺に「得魚忘筌・得兎忘蹄」(とくぎょぼうせん・とくどぼうてい)があり、其の中から名付けられたようです。説明では茶人の心得といわれました。魚や、兎を手にすると、人は、世話になった魚や兎捕獲の器に感謝する事をわすれてしう。戒めとも考えられます。功成れば師の恩を忘れてしまいがちの戒めでしょうか。【聚光院】(じゅこういん)非公開 千利休・三千家の墓有り菩提寺。【総見院】織田信長の墓が有ります。【大徳寺焼香】大葬儀が行なわれたところです。【龍光院】黒田長政が父如水の菩提のために建てました。日本国宝三茶室【蜜庵】(みつたん)が有ります。外に愛知県犬山市【如庵】(じょあん)そして京都府大山崎の【待庵】(たいあん)です。【三玄院】非公開 石田三成の墓があります。【芳春院】非公開 前田利家夫人芳春院の創建です。【呑湖閣】(どんこかく)小堀遠州作といわれ、前田家は、上洛の際「琵琶湖」に関係有り、金閣・銀閣・飛雲閣(西本願寺)と京都の四閣にあたります。 塔頭が外にもあり、何れも織田信長・豊臣秀吉に関係した武将達の菩提寺で、「茶室」もあり、京都では、【茶面】(ちゃづら)とも云われています。
2010.04.06
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本文の前にNHK古代史ドラマスペシャル【大仏開眼】を4月3日・4日と観て主人公【吉備真備】(きびのまきび)戦いを避ける持ち主が【上御霊神社】の祭神に祀られて居る事を知りました。天平6年734年の出来事で、794年は平安京が遷都されています。そして淡路配流された淳仁天皇ま【白峯神宮】に祀られて居る意味も理解出来ました。【大徳寺2】【大仙院】塔頭で公開している中で最も大きく、見所も多いです。入り口の隣に一休禅師の住持された【真珠庵】が有ります。非公開で特別公開の時は、七五三の石組みの庭園などが観られます。 臨済宗(禅宗)の寺院を訪問するときに、掃除の行き届いている姿に、驚き且つ気持ちよく拝観が出来ることに、幸せを感じます。禅宗では、座禅を主としますが、日常の「作務」(さむ)として特に掃除する事を大切にされます。「大仙院」の入り口を入ると、お釈迦さんに関係する樹が植わっています。一つは「菩提樹」で、お釈迦さんが、こ樹の下でよくお説教なさったそうで、他の一つは「沙羅双樹」で、お釈迦さんが、亡くなられたときに回りに有った樹とされています。「涅槃図」(ねはんず)に良く出てきます。更に門をくぐると、十二支に因んだ石が、各方向に並べて有ります。庫裏の入り口に【何妨】(かほう)の額が掛っていました。禅宗では来訪者は、どなたでもさまたげないの意味だそうです。 受付を済ますと、直ぐに【庭園】に遭遇します。【特別名勝・史跡】ですから国宝級です。渡り廊下の【花頭窓】から【透渡殿】(すいわたどの)が庭園の中心にあり、それを通して、枯山水の絵が美しく、瀧の滔々と流れる姿を想像させます。そして下流には、船石が有り、何れは、【方丈庭園】の白川砂で広がる、大海へとそそぐ形式を採っています。庭園の中程の茶室は、過って「豊臣秀吉」と「千利休」が対峙した場所で、当時何を語り合ったのか、考えさせられます。「鶴島」「亀島」そして「石橋」もあり。庭園の要素を全て整っています。方丈の北側には、【拾雲軒】(しょううんけん)が有り。「沢庵禅師」の書院で、「宮本武蔵」とも対面したことでしょう。【方丈】(本堂)は【国宝】で、襖絵 【四季花鳥の図】狩野元信筆 【四季耕作の図】狩野之信筆 【四季山水の図】相阿弥 筆広々した方丈庭園も、座して暫し眺めますと、心が静まります。右奥に【沙羅双樹】が配置されています。
2010.04.05
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北区の代表は、【金閣寺】であることは、云うまでも有りません。でも近所に住まれる方程、観られないのが通常の様です。何時でも行ける感覚があるからです。人間良い事は、実行しなければ、結果は得られないようです。【大徳寺1】臨済宗大徳寺派 開基 宗峰妙超 (大燈国師) 山号 龍宝山紫野大徳寺と言う、広い境内の中に21の塔頭(たっちゅう)が有ります。殆どが一般公開されていませんが、4箇所は、常に公開されていますので、序々に訪れたいです。先ず本坊からまいりましょう。「大燈国師」により、創建され、位も臨済宗として「五山」の上位に有りましたが、三代足利義満により、十刹(じゅうさつ)の内9位に寺格を下げられた為、辞しました。現代「南禅寺」が「五山」の上位にされたままです。応仁の乱で、焼土化し衰退しましたが、一休宗純により、難波堺の豪商の支持で再建されました。一休さんの庵は、「大仙院」の隣に「真珠庵」として今も残されています。1582年豊臣秀吉は、全国大名に対しての威信を保つ為、主人「織田信長」の葬儀を「総見院」で執り行いました。いわゆる【大徳寺焼香】として、歴史に残されています。千利休と茶道にも関係あり、利休の墓は、「聚光院」にあり、各塔頭には、夫々「茶室」が設けています。豊臣秀吉に関係する緒大名が競って塔頭を建てました。「石田三成」も有ります。【大徳寺の七堂伽藍】(ひちどうがらん)【勅使門】御所の陽明門を後に下賜されました。桃山時代の遺構です。【三門・金毛閣】(きんもうかく)初め初層のみの唐様の三門の上に「利休」の弟子たちが上層の【金毛閣】を建て増し、「利休像」を置きました。そして秀吉をその門をくぐらしたことから、秀吉の逆鱗に触れ、遂に切腹の原因の一つと成りました。【仏殿】(本堂) 本尊 釈迦如来 狩野元信の図があります。【法堂】(はっとう)法要を営む。狩野探幽の九龍の図があります。【浴室】昔、和尚さんが入浴された場所。【経蔵】(きょうぞう)天平時代から、南北朝時代の写経が納められています。【鐘楼】(しょうろう)この鐘の合図で、現在も一山の和尚さんたちの諸行事に、出頭されます。【大徳寺本坊】(非公開)【唐門】本坊に据え付けられています。「聚楽第」の遺構とされています。本坊が非公開でも、外から観られます。獅子・松・孔雀・滝に鯉。見渡している内に日が暮れると言うところから、【日暮門】とも言われています。 次回は、塔頭の代表寺院【大仙院】にまいりましょう。
2010.04.04
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【御霊神社】(ごりょうじんじゃ) 祭神 【崇道天皇】【早良親王の追称名】(さがらしんのう) 「相国寺」を北に行ったところにあります。桓武天皇が都を京都に移されるとき、弟君の「早良親王」(さがらしんのう)非業の死に対して、祟り(たたり)を恐れ、その霊を納めるべく建てられた古い神社の由来が有ります。ここ北に「上御霊神社」を御所の南東近くに「下御霊神社」があり、両社で鎮魂を目的に現在に至って居ます。【応仁の乱発祥地の跡】上御霊神社の南西角に石碑が建っています。一人の女性の執念から、京都の歴史上、街全体火の海となり、殆どが焦土と化す、悲劇がもたらされました。 将軍職の跡目争いがその原因でした。1467年(応仁元年)~1477年(文明9年)三代将軍足利義政は、政治をうとみ、風雅な生活を望み、そのとき、未だ継ぎ子が居らず、弟の「義視」(よしみ)に次期将軍職を譲ろうと約束しました。ところが翌年、実子が「日野富子」との間で誕生したため、「富子」は、黙っておられず、わが子「義尚」(よしひさ)をと、跡目騒動になり、時の幕府の有力者、「山名宗全」【西陣】に「富子」が頼り、「細川勝元」【東陣】を「義視」が頼りました。戦禍のため、貴い大切な文化財も、多く失いました。奇しくも「宗全」も「勝元」も同じ年に病死、戦いは自然消滅しました。結果は、「富子」の願う「義尚」が次期将軍職に就きました。【上善寺】(じょうぜんじ) 浄土宗 【額縁の門】で有名で、門前より、【比叡山】が額に収まって、美しい、一幅の絵が観られます。豊臣秀吉が「寺町通り」を制定した、最も北に位置した寺でも有ります。【晴明神社】(せいめいじんじゃ) 祭神 安倍晴明平安時代の天文陰陽博士を祀っています。北側の井戸水は、悪病を癒す「霊水」と云われています。当社の「神紋」は【晴明桔梗印】で陰陽道で用いる呪符の一つです。 次回は北区に移ります。
2010.04.03
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皆様の応援で、本日お蔭様で「100号」を迎える事が出来ました。それだけ京都にはご紹介出来る対象の「社寺」と「歴史」があると言う事でしょうね。 京都文化検定試験が、始まりで今ではブームに乗って、全国に360余の検定が有るそうです。【京都御苑】周囲4kmで、市民の広場に開放されていますが。「紫宸殿」を含む、【京都御所】は前以って「宮内庁」の許可証が必要です。春・秋1週間程度の特別拝観も有ります。京都御苑内の南端に【厳島神社】があり池と橋が架かっています。【日本三珍鳥居】鳥居の上が「唐破風」に飾られています。【護王神社】祭神 和気清麻呂(わけのきよまろ)桓武天皇に使え、「平安京」を推挙して長岡京から遷都されました、立役者です。狛犬が、「猪」で「阿吽」の形で、神殿の前に構えています。故事として、「弓削道鏡」(ゆげのどうきょう)が、皇位を奪おうとしたことが、宇佐八幡のご神託で知りえて、その野心を封じようとしたために、清麻呂は大隅(鹿児島県)に流されました。その上、狩に出掛けた清麻呂を周りの野草に火をはなち、焼き殺されるところ、何処からかともまく、猪の大群が、火のついた草をなぎ倒し、何処ともなく立ち去ったことで、一命を救われたと言う事です。神のお使いとして、狛犬に代わり猪を奉じて居ます。一説では蓑傘(猪の姿に見えた)を着けた農民の方々の援けが有ったとも言われています。 常に御所の側に在って、皇室を護る意味で、京都御苑の西側に位置します。【盧山寺】(ろさんじ)円浄宗 開基 良源 山号 盧山源氏物語の作者「紫式部」の邸宅跡とも言われます。苔でくっきり区切られた「源氏の庭」も小さいながら、趣は深いです。皇室に関係した展示もあり、境内の墓地には、「慶光天皇盧山寺陵」があり、豊臣秀吉の造った「お土居跡」も見掛けられます。 秋には、桔梗の花が清楚で美しく「源氏の庭」を彩ります。【梨の木神社】萩の名所で、京都御苑の東側「盧山寺」の向かいに有ります。京都御苑の北側は、同志社キヤンパスそして【相国寺】が広く構えて居ます。
2010.04.02
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劇場満席でいよいよ開演の引き締まる一瞬の静けさの中、一声先唱者が「都をどりを」と問えると舞妓・芸妓さんの総勢が「よおいや さあ~」掛け声で、華やかで美しく豪勢な「総をどり」が祇園甲部歌舞練場で4月一杯開催されます。正に京都は、春の最中へと華やいで行きます。 京都で不幸な出来事の一つが【応仁の乱】です。「東陣」細川勝元「西陣」山名宗全によって、都の殆どは、焼き尽くされました。地名として、山名宗全の「陣羽織」から、「西陣」だけは、残りました。その「西陣」の街から、今出川通りを東へ少し行った処に「白峯神宮」が有ります。【白峯神宮】祭神 崇徳天皇・淳仁天皇【蹴鞠】(けまり)の祭事から、今流行りの「サッカー」に関係する方のお参りが多いそうです。【保元の乱】で讃岐に移された崇徳天皇を追慕された孝明天皇のご意向を継いで明治天皇が讃岐の白峯から神霊を迎えいれられました。境内の東側に「鞠の精大明神」和歌の宗家「飛鳥井家」の鎮守社といわれています。【室町幕府跡】足利義満の造った「花の御所」は、白峯神宮の東側に、同志社キヤンパスの建物の中に存在しています。岩石が置かれたり、遺跡の一部をガラス張りで囲まれて観られます。【宝鏡寺】(ほうきょうじ)臨済宗 開基 華林宮恵巌尼 山号 西山尼門跡のお寺で【人形寺】で有名です。後水尾の皇女から代々皇族の方が引き継がれ【百々御所】(どどごしょ)とも呼ばれています。皇族の方々が寵愛された「人形」数百体に及び、特別公開で展示されます。【本法寺】日蓮宗 開祖 日観 山号 叡昌山日蓮宗の観光寺院は、極めて珍しく、豊臣秀吉が、監視の意味で、寺町通りに一般の寺院を一同に集めましたが、自分の信仰する「日蓮宗」を特別に都の北部「寺の内通り」に集めました。本阿弥光悦作庭の「三つ巴の庭」は簡素で有りながら、趣は深いです。真ん中の「石台」には「日蓮」と読める様に刻まれていました。此処での見所は、建物3階に及ぶ吹き抜けに。【釈迦如来涅槃図】長谷川等伯絵の超大型の掛け軸は、見ものです。【表千家不審庵】(おもてせんけふしんあん)【裏千家今日庵】(うらせんけこんにちあん)「本法寺」の東門の門前に、隣り合わせで、一般人は入場お断りの侘び式門が構えています。 次回は100号「御所周辺」を回りましょう。京都の社寺はまだ続けそうです。アクセス8000台です。皆様のご後援よろしくお願い致します。
2010.04.01
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