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九星学から見た日本政治家の不運 貴方は易を信じますか? 自分の運勢を信じる人は多いと思うが、社長や首相の運勢までは大抵の人は気にしないものである。 ところが、もし、社長や首相の運勢が悪かったら、その会社や国は不運に遭うということになったらどうだろうか? 今日は「そんなの関係ない!」と一括できない話をしよう。 運命学研究家の山口純一郎氏は、九星学で有名で、特に雑誌「致知」には17年間以上、回数にして2百回以上「今月のあなたのバイオリズム」というコ-ナ-に連載を続けてきた実績のある方である。 その山口氏が日本の政治家を中心に、運勢を見ているので掻い摘んで紹介する。 「今年、途中政権を手放した安部普三氏は、昭和29年生まれの一白水星。九星盤を見ると、中央に一白があり、八方塞がりの凶運年を示している。 問題は退陣後を引き継いだ福田康夫氏は昭和11年の一白水星でこれまた八方塞。 では、麻生太郎氏はどうかというと、昭和15年六白金星で、九星盤で見る限り北の凶運年の位置にあり、どちらが首相になっても苦労が多く衰運年。 自殺された松岡利勝農水相も昭和20年生まれの一白水星であった。 日本政府のトップがほとんど凶運年であることは、今後の日本の政治の不安定さを示している。 では、米国を見てみると、ブッシュ大統領は昭和21年生まれの九紫火星で、平成18年から21年2月節分までは、3年間強運の位置にある。 副大統領のチェイニ-氏は昭和16年1月、六白金星であり、つい最近辞任したラムズフェルド国防長官は昭和7年、日本の石原慎太郎東京都知事と同年の五黄土星で強運の位置。 米国政府のトップは平成17年から20年の九星盤を見ても強運の位置にあり、日本に比較して米国の政治が安定しているのは当然といえる。 日本の政治家、指導者の星が九星盤の衰運年、また来年が衰運年になる位置に入っている事は非常に困ったことである」。 どう見ても当たっている。 そうなると、運勢上からは石原慎太郎氏に首相になってもらうと良いということになる? 周りの人も運勢の良い人を選ぶ必要があるが、芯になる人の運がよければ、必然的に運の良いメンバ-が揃ってこよう。 さて、貴方はどう思われますか?
2007年12月17日
健康とは、健体(=すこやかな体)と康心(=やすらかな心)のことである。 体を健やかに保つこと。 それは天地から体を与えられた人間の努めである。 そしてそれ以上に大事なのが、心を康らかに保つことだ。 体が丈夫でも心が康らかでなかったら、健康とはいえない。 いや、たとえ体が病弱でも心が康らかなら、生命は健やかである。 これは人間個々から小さな組織、国家まであらゆる生命体にいえることであろう。 (月間誌 致知12月号より)
2007年12月13日
師走に入り、江戸下町である両国も忙しい風景が目に付く。 まず、赤穂浪士の討ち入り日12月14日が近づくにつれ、観光客の集団の数がぐっと増える。 30~50人位が一塊となって、先導員の掲げた旗を先頭に、観光拠点を次々に移動するのである。 その動きかたは、まるで、いま全国都市を糞公害で困らせているムクドリの集団に似ているかも知れない? 両国には、国技館やそれを取り巻く相撲部屋、大江戸博物館、赤穂浪士が討ち入った吉良邸、回向院等名所旧跡が実に多い。 800メ-トル程足を延ばせば、有名な浅草である。 そんな暮れの両国で目立つのは、赤穂浪士が目指した吉良邸である。 12月14日の討ち入り日にあわせ、観光客は一気に増えていく。 その集団は、ほとんど初老の男女で占められていて、修学旅行の行列や、渋谷、新宿に集まる若い男女の集団等ほとんど見たことがない。 このことは、忠義とか武士道など、精神的なものについて、今時の若い人達には余り関心がない事の表われであろう。 そんな初老集団の観光ル-トに、今年新たに加わった場所がある。 ニュ-スッポットである。 それは、集団リンチで若手力士を死亡させたといわれ、大問題となった○○部屋である。 角道を100メ-トル程行った先にあるその部屋周辺には、事件当時100人を越える報道陣が24時間陣取って、親方などの動向を見張っていたが、横綱朝青龍サッカ-事件になると火が消えたように収まっていた。 ようやく静かになった周辺に、今度はムクドリ集団に似た観光客の波が押し寄せている。 ○○部屋の直ぐ西向かいは、丁度吉良邸に当たる。 どうやら、この地点は、風水上何らかの深い因縁があるのかもしれない。 首をはねられた吉良様は、そんな子孫の師走の行動を、どんな気持ちで見ているのであろうか? テレビでは、「小島よしお」とかいうタレントの「そんなのう・・関係ない! ウパッピ-」が聞こえて、それにどっと沸く、小学生集団が映っている。 下町両国も、いよいよ忙しい年の瀬である。
2007年12月11日
玉手箱からは次々と絵や、版画、作文、詩集等飛び出して来た。 玉手箱を持つO君は、まるで大きい舞台で観客を魅了する手品師のように輝いて見える。 五十数年前の真実が、今ここに甦ったのだから、厳しい現実を生き抜いたため萎み、凍ってしまった老人達の心だって、溶けてしまうのは当然であろう。 解けるどころか、もう沸騰である。 「キャ-キャ-、ワ-ワ-」。 どの顔も皺くちゃで、頭は白髪や禿げているけれど、そんな事はもはや「関係ない!」。 玉手箱がすっかり空になってしまってからは、想い出話や、現在の状況などに話が移り、誰も部屋に帰ろうとはしない。 宴会場をこれ以上占領しては、ホテル側に迷惑をかける。そういえば、さっきから仲居さん達が、廊下で暇そうにしている。そんな事をしたら、M君の顔も立たないだろう。 流石副幹事のI君である。校歌をコピ-した用紙を黙って順番に配っていく。 そこには少し見えにくい小さな文字が並んでいる。「塩尻小学校校歌」。懐かしいタイトルの後、目に飛び込んでくる歌詞に自然に節がついてくる。「八伏せ山の雪消えて、霞みたなびく塩尻の・・・・」。 I君の指揮で校歌が歌われだした。 最初は頼りない小さな声が、段々と大きな声に変わっていく。 「人間の記憶って凄いな!」おそらく今は皆んな、そんな同じ事を感じて歌っているに違いない。 I君の指揮指がゆっくりになって、それを合図に皆は最後の章節を、顔を上げて一段と大きな声で歌った。 皆、実良い顔をしている。 その後小休憩した後、会場を幹事の部屋に移した。 時は瞬く間に過ぎ、午前2時近くになってもこの笑いの渦を誰も止めようとはしない。 その時、「ウ・ウ」という小さな唸り声が私の右側から聞こえてきた。 そこを見ると、H子さんが座布団を枕にしようとした体勢で顔をしかめている。 どうやら腰を痛めて参加していたH子さんが、痛みから体勢を変えようとした時、唸り声発したらしい。 近くにいたM子さんが気づき「大丈夫?」と声を掛けた。 M子さんは手を払うように頷いて、何とか笑顔を作ろうとしている。 どう見ても、帰る気配など全くないように見える。 ようやく皆は我に帰った。 「あれ、もう2時ずら!」「あら、もう、こんな時間ずらが!」 懐かしい方言も自然に出てくる。 「明朝早い人もいるから、エエ- これでお開きにしましょう。」 O君の辛そうな声が、少し冷えてきた部屋に響く。 五十数年前の空気が、「フウ-」と、何処かに消えていった。 「また、会おう!元気でな!」幾つの手が、私の手を握り締めていく。 その少しづつ違う温かい記憶は、きっとまた、あの玉手箱の中に帰っていくに違いない。 (完)
2007年12月07日
まずは、「北京オリンピック野球出場権獲得」 お・め・で・と・う・ございます! 中国オリンピック出場権をかけ、一昨夜は、死闘の韓国戦を僅差で勝利し、昨夜は宿敵台湾チ-ムを完璧に破り去り、念願の代表権を獲得した天晴れ日本代表チ-ム。 人はこのチ-ムを、別名「星野ジャパン」と云う。 闘将星野仙一監督が率い、誰もが認める国内最強チ-ムだからである。 星野監督を頂点に、田淵、山本、大野コ-チ陣を揃え、プロ、アマ野球界から選考された24人の選手を含む文句の付けようのない最強のチ-ムである。 今回は1試合も決して落せない、かつ逃げ道のない決戦の場。 絶対的な勝利のみが必要な、まさに緊迫した真剣勝負。 その緊張の中、先ずは比国代表チ-ム、続いて韓国代表チ-ム、そして昨夜は最後の砦である台湾代表チ-ムをも撃破して、遂に待望の北京オリンピック代表権を獲得したのである。 個人的なことをいわせてもらうと、星野監督は余り私の好きなタイプではない。何故なら、現役時代から、監督の少し、目立ちすぎるところが鼻につくのである。 しかし、このたびの監督采配には、文句の付けようのない凄いものを感じた。 特に投手起用方法について、全く脱帽である。 一昨日、宿敵韓国代表チ-ムを僅差で撃破した後のインタビュ-で、今回の投手起用方法についてこんな事を語ったのだ。 「日本の将来の野球を引っ張ってくれる若手を、先ず先発させました。後は任せておけというベテランを控えさせて中継ぎに起用し、最後は日本の押さえの最高の投手を起用しました。明日の台湾戦は若いガルッフシュを先発させます」 余程韓国戦の勝利がうれしかったのか、翌日の台湾戦の手の内を、すっかり相手に見せてしまったのである。 しかし、この投手の起用方法こそ勝利を導いた「王道」なのである。 そのほか、スクイズや、野手の交代など、あらゆる場面で「王道野球」を貫いていたと私には感じられた。 それでなくては、兵(選手)があんなに真剣に一糸乱れぬ動きは出来なかったであろう。 覇道でなく王道を貫いてこそ、最高の勝利、いや当たり前の勝利が日本チ-ムに訪れたのであると私は思う。 思い起こせば、WBCを制した「王ジャパン」も地獄に突き落とされた後は、戦略を王道に切り替え、見事貫いて、あれよあれよという間に世界一になってしまった。 「星野ジャパン」 久しぶりの美酒を本当にありがとう。
2007年12月04日
玉手箱といっても少し大きな紙袋。 O君はその中に手を入れて、先ず丸めた画用紙を取り出す。 そして、その中から一枚ずつ画用紙を剥がして、その中の外側の一枚を取り出し、胸の前に掲げて、裏を見せないようしながら皆に表の絵の方をゆっくり広げて見せた。 「さて、この絵は誰の絵でしょう?」 「オオ-、上手いね!」「凄く良く描けているわね!」「色がとても素敵!」「4年生の絵には見えないね!」 あちこちから一斉にその絵に対しての賛美の声が広がる。 その絵は椅子に座った男性をモデルにしたクレパス画で、戦時中児童も着ていたカ-キ色の国民服といわれる服を着ている。 服の色や顔の影の部分も描けていて、確かに11才の4年生の作品にしては良く描けている。特にバックの色は何色もの色を重ねていて、それが軍服の色とマッチしていて人物を活き活きと浮き上がらせている。 「エ-、この絵の作者は誰でしょう?」 誰の絵なのか、誰も覚えていないようである。 O君は、その絵を掲げながら、皆の周りを歩き出した。 ぐるっと一回したが、誰も手を挙げない。 O君は再び絵を掲げて歩き出した。 「エ-、誰か身に覚えがありませんか?」 学生時代のO君、確か彼のやった演劇で同じようなシ-ンを見た気がするが?? 私は一瞬そんな事を思い出していた。 するとO君は私の後ろに来て歩みを止め、「宇治橋君、この絵の作者本当に覚えていないの?」と絵を私の正面に向けて、更に良く見ろといわんばかりに顔に近づけてきた。 「誰の絵かね??」 O君は、「しかたないなあ!」と舌打ちすると、その絵をひらりと裏返した。 「宇治橋泰二」と裏面にいっぱいに、赤いクレパスで書かれた文字が私の目に飛び込んできた。 「ヘエ-」「ヤッパリ」「ウソ-」会場は一気に盛り上がった。 「ホント-??俺の絵ですか?」 本人は、まだ分からない。どう考えても思い出せないのである。 しかし、薄く茶色にくすんだ粗悪な画用紙の裏面には、私の名前が、それも大きな赤い字で、これをみよといわんばかりに、踊っている。 「全く覚えていませんな?」私は咄嗟に起立して、頭を掻きながら、O君からその絵を受け取った。 会場には一気に笑い声が満ち溢れた。 (つづく)
2007年12月04日
乾杯は副幹事のI君。 I君は軽く自己紹介を始めた後、乾杯に移った。(実はこれに要した時間は10分以上は掛かり、途中皆ビ-ルを置いてしまっていた。 しかし、誰からも乾杯をせがむ声など出ないから摩訶不思議である。 泡が全く消滅してしまったビ-ルが、やけに乾いた喉を通過した時、あちこちから「アア-美味いなあ!」の声が挙がった。 それはまるで昔、騎馬戦で勝利した時挙げた勝ち鬨の声に似ていた。 言い方を変えると、腹の底の底から絞り出た、滅多に出ない魂の唸りごえのようだった。 I君の紹介内容を振り返ると、彼は父の後を継ぎ、希望していた国鉄マンの道を貫いたらしい。 特に運転士に憧れていた彼は、蒸気機関車からジ-ゼル機関車、電車など全ての運転手を体験し、特急あずさ等、地元を走る車両には全て運転手として乗車の経験を持ったようである。 現役を引退した今も、引退車両の花道を走る車両の運転手をしたり、若手の教官として、活躍しているようである。 頑丈な体格から、落ち着いて話す彼の姿は、夢を実現した男のどっしりとした輝きが滲み出ていて、幼少のイガグリ頭の彼のイメ-ジは全く感じられない。 「引退車両の花の運転手として、新聞にも写真が良く出るのよ」と、隣の席に座った地元の商家に嫁いだM子さんが私に教えてくれた。 自己紹介は、2時間は続いただろうか?気がつくとほとんど料理に手を付けていない?。 それは、M君の圧力のせいでもあるようで、女中さんが次から次へと新しい料理を運んでくるため、テ-ブルに空きが出ないようなのである。 当時は、ほとんどは中学を卒業すると就職が50%、高校進学が50%で、高校から更に大学となると余程優秀か、家庭が裕福でないと無理な時代であった。 4部の仲間も、皆その時代のそれぞれの運命を背負い、兎に角一生懸命生き抜いてきたことが自己紹介から汲み取れた。 日本の最高学府T大学を出て、官僚になったN君もいれば、中学を出て就職し、途中失業し、結婚し、離婚し、美容師なって今は再婚して苦労しているM子さんもいる。 自分のことを飾らず、こんなに開けっぴろげに紹介し合えるのも、小学校の同窓生だからであろう。 離婚した話、失敗した話、過去も現在の出来事すら、皆笑いの渦の中に昇華してしまうのだから、すごい。 亡くなった5人の想い出話や、今日出席できなかった者達、音信不通の人の話になると、急にしんみりなるのも、すごいことであり・・うれしいことである。 自己紹介が終わった。 幹事のO君が立ち上がって語りだした。 「エエ-、では、今日出席できず、4年生のとき担当されたH先生の託を伝えます。実は、H先生は現在体調を崩しているため、どうしても出席できず申し訳ないが私に家に来てくれと依頼されましたので、先日先生の自宅に伺ってきました。そこで、皆から預かっている玉手箱をお返ししたいといわれ、頂いてきました。これからその玉手箱を開けます。」 一瞬静寂が訪れ、次に「何だって!?」と会場は蜂の巣を突いたような騒ぎになった。 「H先生が、当時の我々の絵や作文、文集、版画などの作品を蔵に保存しておいてくれたようです。それを君達に返したいとおっしゃり、預かってきました。今からその玉手箱を開けますよ!!」 幹事のO君の顔は更に高潮している。 少し自慢げに視線が天井を向いている。 当時も彼が自慢する時、視線を天井に向けながら話す癖があった。 あの当時のO君がそこにいる。 (つづく)
2007年12月03日
宴会場は3階の大広間に用意されていた。 席順は、当然くじ引きである。 K先生を真ん中に、10人ずつが一列に向かい合った少し細長い体形の宴席となった。 着席すると、幹事のO君が簡単な挨拶の後、今年5月に永眠された5.6年担当のY先生について報告があり、また、既に永眠された同窓生5名の冥福を併せ祈るため、全員起立し、1分間の黙祷に入った。 黙祷が終わると、いよいよ宴会が始まった。 始まったといっても、先ずK先生の挨拶があり、続いて幹事からの名簿が配られた。 一瞬静寂が訪れた。 名簿が、皆の目を釘漬けにしたからである。 名簿は、幹事が苦労して作ってくれたのだろう、当時の出欠順であるアイウエオ順に揃え、氏名、住所、電話番号等が分かりやすく記入されている。 私は全脳の毛細血管を開いてから、上から順に目を落していった。 そこには、懐かしい名前と、判別できない名前が飛び込んでくる。 別欄には、先生方の懐かしい名前もある。 最後まで目を通し、とりあえず混乱している脳を整理すると、名簿からこのクラス4部は男子18名、女子22名の合計40人の構成であったこと。 転校生として、8名の出入りがあり、死亡された方は5名。 そして、今日の出席者は19名ということ。 内訳は、男子9名に女子10名、それにK先生で総勢20名ということ。 これは、約50%の出席率となり、実に驚異のものだ。 出席者は地元長野県内ばかりか、神奈川や千葉、東京からも駆けつけてきているのだからすごい。 乾杯の後いよいよ自己紹介だ。 ようやく目の前の料理に気がつくと、凄く豪勢な内容である。 それもそのはず、チャボと呼ばれたM君が今は地元上諏訪に住み、それなりの名手となり、このホテルにも何らかの良い圧力をかけてくれたらしいのだ。 机の下をいつも誰かに追っかけられ、逃げ回っていたチャボと呼ばれていたM君が、約50年後の今は、立派な鶏冠を持つ雄鶏に大変身した訳である。 時の流れとは、摩訶不思議で、時には恐ろしいものでもあるらしい???。 (つづく)
2007年12月02日
厳しかったK先生が、仏さんのように変身したのは、その後の永い教員生活の中にあったようである。多くを語らなかったK先生だが、最後は有名校の校長まで勤められたのだから大したものである。 私の手を更に強く握り締め直した男がいる。 「分かるか?俺だ!」 「分かるはずがないではないか?」そう心でつぶやきながら、眼の奥を見つめた瞬間出てきた言葉に、自分が驚いた。 「A君だ!」少しうわずってかすれた声だ。 「ウムウム・・・」相手は更に強く手を握り締めてきた。 眼が笑い、その表面がかすかに潤んでいる。 次に手を取った男は、「久しぶり!分かる?」 そこには私より10センチほど背が高く、鼻筋が通り、洒落た眼鏡をかけたインテリ風の紳士が立っている。 当惑した私の顔を察してか 「昔チャボといわれていました?」 「エエ-チャボ?」・・。 チャボとは小型のニワトリの事か?・・ わからん?? 「私の特徴は鼻に傷が・・・」そういった瞬間、見覚えのある鼻の傷で玉手箱の電灯のスイッチが入った。 当時の木造のクラス風景が脳裏に広がり、そこに背が小さく、一番前に席があり、キョロキョロ、ウロウロしてい奴がいる。 「M君だろ!」 M君は両手で私の手を握りなおしてきた。 「50年ぶりだな!」声も全然変わっている。 それから次々と玉手箱は開かれ、あっという間に1時間は経過していた。 「さあ皆さん宴会場へ行きましょう!」 幹事のO君は立ち上がり、宴会の行われる場所を説明した。 久しぶりに見るO君の高潮した横顔も昔のままである。 (つづく)
2007年12月01日
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