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日本は良い国だろうか? ここでは、自然を度外視した人間としての住みやすさをみて見よう。 その答えを得るためには、部分部分を切り取ってみると、それが良く分かる。 まず、素晴らしい面は、現在この国で、飢える人はほぼいない。 社会放棄した人々さえ、コンビの賞味期限切れを狙えば、生き延びることは簡単だ。 愛玩動物の猫や犬は、太り過ぎて腹で道路をヨタヨタと掃除してくれている。 そして、日本のほとんどの都市では、さらに余った食料をごみ袋にいれて処分するため、そのおこぼれを受けて、カラスや鳩、ムクドリ等が群がり、異常増殖している。 日本で廃棄処分される食料品は年間約1千万トンで、後進国なら1億人を養える量だと云う。 餓死するしかない国の他人さまの事を考えなければ、これは素晴らしいことである。 さすがニッポン! しかし、その食料はほとんどが輸入品、故に食料自給率は40%を切り、先進国で最低である。 ひとたび食料危機が来れば、総崩れの西軍の如しである。 農耕を疎かにしたその結果、田んぼや畑は、休耕地ばかりで、ペンペン草やススキら雑草の天国である。 次に何と言っても、福利厚生面は素晴らしい。 特に国民皆保険制度に守られた、医療面は世界一平等で素晴らしい。 誰でもがどんな病に罹っても、大抵医療保険で取り合ってくれる。 高額治療の心臓疾患や、癌治療など千万を越える治療費も補ってくれる。 例え生活保護を受けていようが、それが理由で放置されることはまずない。 行政がしっかりフォロ-してくれ、非人道的な事態があったら、マスコミや世論も放っておかない。 その結果、医療費は37兆円を越えて、国家予算の40%近く、さらに毎年1兆円強づつ、増え続けている。 バルブが弾けてもなんのその、こちらは確実に今でも高度成長を続けている。 それに難病といわれる難治の病にも、まだまだ不充分だが、決して放置していない。 日本でのこの難病の定義は、1972年の難病対策要綱により定まった。、 実際の取り組みは1974年 10疾患 約2万人から、まずは始まった。 そして現在では、56疾患 約70万人が対象となっている。(一部助成加えると130疾患) その費用負担をみると、2024年度で負担総額1278億円。 この方面も、今年度(25年)更なる見直しが予定されており、その対象は300疾患以上になるという。 基準の原則は、患者数が人口の0.1%以下の疾病を対象とするという。 何とも素晴らしいことであり、他の予算を削ってもこれは充足して頂きたいものである。 しかしである、これでも現在治療方法の全くない疾病が、まだ数百以上あるという。 それに、もう一つ費用負担である。 原則は国と都道府県が半分ずつ負担となっているが、近年国からの負担額が財政難を受け減少しており、その分都道府県の負担が増えているという。 財政も医療も、云うならば対処療法。 根本問題は、もっともっと違うところに、あるのかも知れない?!??? 対処療法で何でもかんでも先送り! 従って、全く未来が見えないニッポン! こんなニッポン! はたして良い国だろうか??!・・・・。
2013年01月26日
3.11大震災の以降大きな問題となったのは、日本の電力諸事情問題であったが、その中で東西周波数の異なる問題があった。 当時関西地区には、余剰の電力があった。 それを補おうとしても設備が不足して僅かしか出来なかったのだ。 富士川を境に、東側が50ヘルツ、西側が60ヘルツの問題である。 日本に近代化の波が押し寄せて来た明治・大正時代、取り入れた国の技術が関東と関西で違っていたために起こった現象であり、この小さな国で、2つの異なった周波数があると云うこと自体、世界的にも珍しいことである。 その後昭和・平成時代にも統合・修正されないまま、3.11で、遂にその高いツケを払わされる結果となった。 もし日本全国周波数が一緒だったら、震災後に関東地域があんなに長期間電力不足問題に苦しまなくても良かった訳である。 なぜなら影響の少なかった関西電力や北陸電力から、余剰電力の供給を受けられた筈である。 昨日1月24日の新聞報道では、長野県松本市山形村にある周波数変換所(新日本電力)の能力をようやく増強する運びになったという。 現同変換能力は、原発1基分の100万KWだが、これを倍増して210万KWにするという。 費用はざっと1300億円で、完成は平成25年という。 1300億円もかかり、将来これも電気量に上乗せされることから、またまた無駄な費用だと云う人もいるかもしれない。 しかし、原発1基で5千~1兆円要すとされている事を考えれば、大したことではない。 このシステムを有効に活用すれば、危険な原発は2~3基直ぐにでも止められるだろう。 夏場や冬場の地域特有の万年電力不足問題もようやく解決するだろう。 それに、発電部門が自由化されれば、太陽光、そして風力や潮流、地熱発電など、日本各地で様々で多様な発電事業が育ってくると予想される。 問題は増能力が110万KWで良いだろうかという不足の心配である。 最低現状の3倍、300万KW程度にしておいても良い気がする。 理想的には、全国同一周波数だが、今となってはそのためには混乱が起こるし、経済的にも無駄となるだろう。 本来日本は、本来もっと早い時期に周波数の統一を計っておくべきだったが、信長、秀吉、家康のいない絶対的指導者の欠慮する今となっては、時すでに遅しである。 さて、今回の増説の決定は、自民党に政権が移った中だからこその早い決断のひとつだったと思う。 しかし、増設する場所が現存の周辺1ヶ所に集中し過ぎても、これもまた防災上危険なことである。 災害時のリスクを考慮して、日本海側、太平洋側など2~3か所に分割するのがベタ-だと思う。
2013年01月25日
「師の恩」?について、 入試、そして学期末が迫る季節となった。 そんな中で、教師や警察官などの最も公僕と云われてきた尊敬されるべき公務員に信じられない事態が起こっている。 財政危機の折、公務員の年収が一般民間平均よりかなり高額であることから、削減を手掛けて来たが、退職金においても高額であることが判明した。 その処置として、一部地方公務員の退職金削減を今年2月から実施するように決定された。 そのため、期間内に退職すると平均110万円徳をし、それから1カ月働いた場合は逆に110万円損をすると云う、へんてこな現象となった。 今回の対象は、地方公務員の内、教職員と警察官だという。 これを受け、埼玉県や愛知・徳島・佐賀県など、合計で450名にのぼる早期退職が出たのである。 教職員を例にとると、卒業式や、期末の申し送り、更には就職指導をやらないまま、職を辞して行くと云う訳である。 これらの者は、今まで偉そうなことを言ってきても、所詮は自分自身しか考えていなかったという訳である。 たった百万円のために、30十年余りの誇りある聖職を泥で塗る行為と取る人もいよう。 そんなことより、このとばっちりを受け、まず行政としては、至急新たな先生を補填する手続きが必要であり、現場は更に大混乱を来すだろう。 当然一次的ではあるが、相当の経費増も来すだろう。 それに、何といっても一番被害を被るのは生徒達である。 これでは、「仰げば尊し」にある、「わが師の恩」を謳う対象が全くなくなってしまう。 そして、その傷跡は今後一生こころの奥に残るだろう。 それは卒業生だけに限らず、在校中の全国の学生にも、少なからず悪影響を与えるだろう。 ある専門家の話だと、こんな無作為ともいえる方法を行政が出した裏には、それでもこの方法により、早期に辞める公務員が増え、国から見ると得策だと考えるからだという。 それが今回の国の狙いとしたのなら、子供の心の被害による国家的損失など全く無視した、これこそ稀に見る蛮策である。 アフリカのアルジェリアで、ガスプラント建設に技術協力していた日本人民間技術者が、9人もテロリストの凶弾に倒れ、犠牲となったようである。 彼らは、かつて「仰げば尊し」を謳い、それを糧として日本を飛び立ったに違いない。 残念ながら、彼らの行為は砂漠の渇きを僅かに潤すものとなってしまった。 けれども、今日は彼らの勇気とその行為を高らかに讃え、 ご冥福を深く祈りたい。 ・・・・・・・。
2013年01月24日
先日アルジェリアで、人質を捕る卑劣なテロが発生した。 隣国リマのイスラム過激組織の仕業と言われ、アルジェリア政府は強権姿勢を貫き、武力解決を図ったようである。 その結果、テロは鎮圧されたものの、現地でガスプラント建設に参加していた諸外国の多くの技術者が犠牲になった模様である。 日本人の技術関係者も含まれるようである。 なんとも、耐えられない悲しい事件である。 自我の強い人間の社会においては、思考の違いが争いを生み、最終的には命までやり取りする馬鹿げた世界ともいえる。 他の動物の世界では、生殖のためオス同士が争うことは有っても、命まで賭けた戦いは滅多にあり得ない。 しかし、精神的上位の人間社会は、少しの主義主張が違うだけで簡単に命を奪い合う。 人類の歴史とは、悲しいかな命の奪い合いの歴史と云ってよいのかもしれない。 どうしてなんだろうか? その面から見ると、人間とは実に情けない、下位の精神を持った動物である。 ところで今朝、当院では、一番せわしい最中に、インタ-ネットを見たと言って、女性からの電話があり、私が受話器を取ることになった。 話では、愛犬が癌を発症してしまい、是非何とかしたいと云う女性の方からであった。 犬とは云え、この方にとっては子供と同様に大変深刻な問題なのだろう。 言葉の隅々から、心配の気持ちがあふれ出ていて、小生はその優しさに打たれて、直ぐに電話を切らず、しばらくお話をお聞きすることにした。 しかし最後は「残念ながら、・・・・」とお断りするしかなかった。 今は、アルジェリアのテロ犠牲者がひとりでも少ないことと、・・・わんちゃんの病気が、何とか改善されることを・・・祈るしかない。
2013年01月21日
【日本は文明国か?】 福沢諭吉は「文明論之概略」の中で、文明の水準について語っている。 彼は、文明の水準を「未開国、半開国、文明国」の3つに暫定的に分けて次のよう に論じている。 まず、「未開の国」とは、安定的な衣食住すらまかなえない状況にある国。 そして「半開の国」とは? 「農業の道大に開けて衣食すなはらずに非ず。 家を建て都市を設け、その外形は現に一国なれども、その内実を探れば不足するもの 甚だ多し。 文学盛んなれども実学を勤る者少なく、人間交際について猜疑嫉妬の心深しといえども、 事物の理を談ずるときには疑を発して不審をただすの勇なし。 懐疑の細工は巧みなれども新たに物を創るの工夫に乏しく、旧をおさむるを知て旧を改 るを知らず。 人間の交際に規則なきにあらざれども、習慣に圧倒せられて規則の体を成さず。 これを「半開」と名く。未だ文明に達せざるなり。」 要するに、普通に衣食住はあり暮らしていけるが、人々は嫉妬深く、真実を巡る議論をき ちんと重ねることはできない、真似はできるが創造することができない。 古い習慣をただ繰り返すだけで改善することはない。 これが彼が「半開」と名付けた状況である。 そして彼は文明国については、 「天地間の事物を規則の内に籠絡すれども、その内に会あって自ら活動を逞ふし、人の 気風快発にして旧慣に惑溺せず、身みずからその身を支配して他の恩威に依頼せず、 みずからの徳をおさめみずから智を研き、古を慕はず今を足れりとせず、小安に安んぜ ずして未来の大成を謀り、進て退かず達して止まらず、学問の道は虚ならずして発明の 基を開き、工商の業は日に盛にして幸福の源を深くし、人智は既に今日に用ひてその幾 分を余し、以て後日の謀を為すものの如し。これを今の文明という。野蛮半開の有様を 去ること遠しと云うべし。」 要するに、人々はたくましく、活発で、古い習慣にとらわれず、自分自身を自分自身の理 性で節制し、外部の権威に頼らず、徳を修めて智を磨き、現状に満足せず、常により大 きな安寧とより高い秩序の形成を目指し続け、それぞれの仕事に真剣に従事する。 作り出したものを全て使い切ってしまうのではなく、後日、後世のためにも残したり投資し たりする、という国、それこそが「文明国」だと彼は言っている。 さて、これを現在にあてて見ると、多くの人は、早速現状の中国を見て、間違いなく半開 の国家と言うであろう。 では日本はどうであろうか? 冷静にみて見ると、残念ながら、平成日本も「半開の国」に留まっていると言わざる を得ない。 なぜなら、日本が文明国なら「身みずからその身を支配して他の恩威に依頼せず、 みずから徳を修めみずから智を研く」ことをいるとは言えないからである。 盲目的にコンプライス(=屈従=媚びへつらう)し、「事物の理を談ずるときには疑を発し て不審を正す勇」を持たず「新に物を造るの工夫」が乏しい一方、「模擬の細工」が上手 であるが故に、よそからの借り物を盲目的にコンプライスしている。 今こそ、驕らず休まず、福沢諭吉の論じた真の文明国を、目指すべき時ではなかろうか!
2013年01月15日
明けましておめでとうございます。 小生、昨年は古希高齢者となり、後期高齢者の悲哀をつくづく感じた一年であったが、迎えた新年もその後遺症なのか、今日までなかなかブログを書く気になれなかった。 その理由のひとつは、年末に取引関係にある某銀行を訪れ、借入返済終了の個人借入枠の延長を要望したが、あっさり断られた事なのかも知れない。 理由は唯一、70歳に到達したという年齢問題である。 この言葉には、正直かなりショックであった。 担当者の話だと、個人的に借り入れる場合には、年齢制限があるという。 例えば、例え健康で勤めていても、その報酬や持ち家など不動産担保すら担保は認められず、唯一担保価値があるものと問うたところ、年金手帳だという。 年金だとしっかり現金が見えているので、それなら貸しても安全ということのようである。 しかたなく、返却された担保書類をもって、地元法務局に出向き、手続きを済ませる。 窓口の職員 は、書類の書き方を事務的に指示し、私が書き終わると、この場所に印紙2千円をあそこで買って、ここに貼りなさいと云う。 そのようにして、ようやく手続きが終わると、3日以降書類が出来るから取りに来なさいという。 銀行とは、転んでもタダで起きない、うらやましくお堅い商売であるし、法務局は法務局で座ったまま、実に気楽な商売である。 ところで、老いは誰にでも等しく訪れるもので、どんな魔法も、最先端技術も敵う相手ではない。 その意味では老いてこそ、ようやく神々の意向と、その見姿の気配を感じられるのかも知れない。 その意味で、老いは誠におめでたく、ありがたいことでもある。 安岡正篤師の言葉に「学問は命を知り、命を立つにある」とある。 ありがたいことに、この道には担保や、ややこしい手続きなど一切いらない。 さらに、宇宙のように果てしなく未知なる世界である。 また、一歩ずつ歩を進めて行こうと思う。 本年もまた、気楽なお付き合いを・・・よろしく!
2013年01月10日
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