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「病気の真犯人は?」 もし、病気の真犯人が分かったとしたら、完治も必ず可能なはずである。 ガンやたとえどんな難病でも、治療法が見つかり、対処できるはずである。 逆に、もしその基本的な考え方に誤りがあったとしたら、治癒はおろか、その間違った理論から生まれた治療方法により、改善はおろか命さえ失うことになる。 恐ろしいことではあるが、良かれと思ってやっていることが、殺人行為にもなるわけである。 小さい例ではあるが、一昔前まで、広範囲に火傷を負った人に対しての救急処置は、傷には大気に触れるのを避けるため油(チンク油)を塗り、体温が冷えないよう毛布を被せ保温に努めた。 しかし、現代ではこの処置方法は全く逆で、患部をとにかく冷やす治療法である。熱により細胞が死滅していくのを防ぐこと、再生を促す事がベストの治療法といわれている。 患部に油等を塗布することは、保温効果になり、細胞を蓄熱で殺してしまうし、病原菌を育成する事になるとして禁止事項である。 古い治療法は、全く逆な解釈により、火傷を更に悪化させてしまっていたのだ。 一昔前の治療で、命を落としたり後遺症を残した人も多くいたはずである。 過ぎ去った事とはいえ、恐ろしい話である。 では、今の医術は本当に正しい理論によって組み立てられ、治療法が確立しているのであろうか? その最も基本的で重要な質問に対し、残念ながら、答えは「ノ-」なのである。 私が、両国のはずれで小さな旗を立てている理由は、実はそこにある。 血液は無害であるとの学説から、近年、輸血や血液製剤による治療が盛んになった。 しかし、そのお陰でエイズは多くの人たちに感染してしまった。 また、エイズ以降、C型肝炎感染も血液錠剤から感染し、現在日本において訴訟問題が起き、政府は苦しい立場に追い込まれている。 何故だろうか? 生物学や、近代医学の基礎的な部分で、何処かに大きな勘違いがあるのではないか? 私の疑問は、今では確かな、確信に変わりつつある。 (つづく)
2007年10月30日
今日は当院の自慢話をひとつ! 今月9日当院を知る方の紹介で、Nさんというご婦人が尋ねてこられた。 お話をお聞きすると、半年前、車事故に合われ、ムチ打ち症になられたようだ。 それ以来毎日マッサ-ジや針などやってもらっているが、首や背中の痛み、頭痛が治らないという。 かなり重症で、医師さんには、脳脊髄液減少症の疑いがあるといわれたという。 「友人から噂を聞いて来たのだが、当院のMRS治療で治るでしょうか?」と不安そうな顔で私の眼をジット覗く。 確かに青白く血の気の少ない顔から、ご婦人の言いようのない苦しみが察してとれる。 「さあ-やってみなければ分かりません!」 これが私の答え。 「よく来てくださいました。とにかく勇気を出してトライしてみましょう」と続ける。 何故なら、経験上、どんな怪我や病気の場合でも、状態や深さが違いから、治療結果に100点は絶対ないからである。 初回の治療は1時間。 治療が終わり、「如何でしたか?」の質門には、「分かりませんが・・・何だか良いみたい」と、首を左右振りながら答えてくれた。 少なくとも、青白い顔は消え、高潮した美しい笑顔がそこにあった。 それから6日後の10月15日、ドアが開き、はじけるようなあの美しい笑顔が現れた。 「あの痛みや、モヤモヤが嘘のように消えました。・・・信じられません!」といきなり彼女。 「良かった。良かったですね!それに運が良かったですね!」と私もスッタフは大喜び。 運が良かったとは、 1.致命傷ではなかったこと。 2.縁あって当院を知っていた友人がおられた事。 3.当院の治療が効果を出せた事。 「彼女はもう一回治療をお願いします。」と言って、2回目の治療を受け、2時間後美しい笑顔を更に輝かせて帰って行った。 全てが縁であり、すべてにまた、運も絡んでいるような気がする。
2007年10月27日
「人生で成功する人の法則」はあるのだろうか? それが、あるらしいのである。 ところで、亀田大毅選手の世界戦の反則事件は、ボクシング一家亀田家の崩壊に進んでいる。 また、元防衛省守屋次官の業者癒着問題は、民主党の格好の政府追求のエサとなり、大切な国会を空転させてしまっている。いずれも、一度は成功したと思われた人達の、突然の崩壊劇である。マスコミや世論は、こんな話題が大好きであるが、政治家はこの機に一気に攻勢をかけ、醜い争いに拍車をかける。相手の隙をつき、政権確保のためには、世界平和や庶民の生活の往き末など結局のところ政治家には余り関係のないことらしい。血税がクダラン議論に使われているのかと思うと、また血圧が上がる。こんなところが、私の悪く、損なところである。 とにかく、眼が醒めれば、相変わらず騒がしい現実が飛び込んでくる。 生きている限り、しかたがないこれが現実である。 さて、長年人材派遣・支援に尽力されてこられたAさんが、あるコラムの中で、仕事や人生に成功する人、失敗する人には共通点があると言っている。おいしそうな話なので、抜粋して紹介する。 「失敗する人の特徴」 1. 会社や上司への愚痴、悪口、不平不満などマイナス言葉、否定語の多い人。 2. 自分の損得にこだわる傾向にある人。 「物事が順調に行く人」 1. 感謝や褒め言葉のようなプラスの言葉を発し、周囲を和ませる明るい人。 2. 自分の損得に余りこだわらない人。 人間は普段思っている通り、発している言葉どおりの人生を送る。 心を変えようと思っても、上手くいかないが、習慣を改める事は可能である。 そのための第一歩は、まず、言葉を変えることである。 物事を謙虚に受け止めることで、マイナスの言葉遣いが変わる。 それでも歯が立たないマイナス思考の強い方には、それを指摘せず、逆にプラスの言葉をかけてあげること。 「強い意志をお持ちですね」とか「笑顔が美しいですね」と少しでも良い所を見つけ褒めてあげる。 ことばの力とは偉大だ。 人は自分の発した言葉通りの人間になるし、また、人から言われた言葉とおりの人間にもなる。 それまで殻に閉じこもっていた人が心を開き、いつの間にか発する言葉が変わっていく。 朝起きて顔を洗うように、プラスの言葉が習慣化すれば、周囲の評価も変わり、人生も好転していく。 人生は思い通り、言葉の通りになる。 そして徳を相手に与えていけば、必ず物事は進展していく。 短期的な損得だけで動けば、いつか障害にぶつかる。 これもまた人や組織に共通する科学的な法則ではないかと思う。」 冒頭の亀田一家、元防衛省守屋次官も、この「成功の法則」から外れているしまったのだろうと思う。始めからか、途中からなのかは本人が振り返ってみれば分かる事であろう。 しかし、人生とは誠、厳しいものである。 どちらかと言うと、偉そうに言う私などマイナス思考が強い、失敗タイプの人間である。 上司や会社の悪口は、押さえてもつい出てしまう。 何故だろうかと、周囲の含め考えてみると、家庭環境や、学校環境などが大きく影響しているのではないかと私はと思う。 もっと具体的に言えば、愛情が十分に満たされた環境に育った者には前者が多く、愛情不全のまま育った者には後者が多いように思う。 兄弟でも、比較的長男長女それに末っ子は前者で、次男や三女など挟まれた者たちは後者の性格を持っているようである。 A氏が、どうしても修正できない者には、「長所を褒めてやること」といっている事を見れば、私の発想は、多少は当たっていると思う。 ちなみに私は6人兄弟の三番目。 上と下に挟まれて、育った。 兄貴と末っ子は、誰から見ても前者の人間に育っている。 私がへそ曲がりなのは、まだ十分に、褒めてもらえず育ったためなのかもしれない。 そんなことは兎も角、人間は強く見えても、実際は弱い動物である。 弱い故に群れを成し、生きていかねばならない。 そして、群れの中で、日々、すざましいを争いをする。 傷つけ合う事に関しては、悲しいかな、どの動物よりもすざましいものがある。 そして、些細な事で堅固であった筈の王国すら、内部から崩壊してしまった歴史もある。 犬などの動物は、腹を見せれば、それ以上味方は決してイジメはしない。 しかし、人間の場合は必ずしもそうとは限らない。 一旦拳を上げると、徹底して憎み、虐め、ブレ-キが効かないことも多い。 亀田一家事件も、そんな人間の心の奥の真理が働いているのであろうか?。 個人的には、もう十分である。 さて、そろそろ、A氏の教えをまとめよう。 「人生は思い通り、言葉の通りになる」。 素直に、感謝し、和の心を持って、明るく生きる事。 そう努力したいものである。 何より、日々、プラス思考で、春風のように爽やかに生きたいものである。
2007年10月26日
「いまここに生きる奇跡」(その2)写真作家 中山万理さんの、人間としての素晴らしい魂のひびきをお伝えします。万理さんは、昭和45年生まれで、写真家として活躍中の平成16年乳癌発症。手術を受けた。しかし平成18年4月肺に転移、余命1年を宣告され、現在ホルモン療法中。余命宣告期限を過ぎたいま、全身にがん転移し病床に伏せておられます。その万理さんが、雑誌致知に寄稿され、掲載された「いまここに生きる奇跡」の中から宝玉の言葉の幾つかを2回に分け抜粋して紹介します。 その2: 「感謝と喜びでいっぱいの人生」 再発してからの一年半、間違いなく私は人生で一番「死」に近づきました。 そして死がすごく近くにきた時、生きる事が当たり前ではないと知って、生命と真剣に向かい合いました。 それはその瀬戸際まで行かないと、リアルティ-を持って実感できなかったと思います。 私は表現者だから、自分が体験したこと、感じたことをみんなに伝えたい。 私の目に映った景色を写真で表現したい。 いまここに生きていることがどれだけ奇跡的なことかということを、そしていっぱい愛されていて、感謝で溢れているかということを-。 余命宣告から一年以上経ちましたが、その間、私が病気になった意味は何だろうと、何十回、何百回と考えました。 もしも、私が死を身近に感じて命と向き合った時に感じ取ったものを、みんなが感じ取ってくれれば、絶対に世の中が平和になって、幸せになれる。 苦しいことがなくなって、すべてが感謝と喜びに置き換えられると思います。 そんな確信にも似た思いがあるから、私はこれからも伝え続けたい。 それは写真になるのか、言葉になるのか、あるいは笑顔になるのか、生きざまになるのかわからないけれど、私が自分の天真に目覚めて喜びと感謝でいっぱいになったように、一人でも多くの人に気づいてほしいと思います。 8月下旬、体調が思わしくなく、検査に行ったところ、がんが全身に転移していると告げられました。それから1ヶ月でほとんどのことを一人ではできなくなりました。でも、ほとんどのことを誰かがしてくれる。助けてくれる、支えてくれる・・・・・。私は本当に幸せ者です。ありがとう。 万理さんは、病になって自分の天真に気づいたばかりでなく、誰もが簡単には到達できない、高い、高いところの人としての真理に到達したようです。 その言葉は重く、そしてなんと春風のように爽やかでは有りませんか! 大きな宇宙の力が、彼女におよびますようお祈りします。
2007年10月18日
「いまここに生きる奇跡」 今回は、写真作家 中山万理さんの、人間とし素晴らしい、「魂を震わす言葉」の幾つかをお伝えします。 万理さんは、昭和45年生まれで、写真家として活躍中の平成16年乳癌発症。手術を受けた。 しかし平成18年4月肺に転移、余命1年を宣告され、現在ホルモン療法中。 余命宣告期限を過ぎたいま、全身にがん転移し病床に伏せておられます。 その万理さんが、雑誌致知に寄稿され、掲載された「いまここに生きる奇跡」の中から宝玉の言葉の幾つかを2回に分け抜粋して紹介します。 その1: 「今生きるとは、一瞬と永遠を同時に生きること」 時間を大切にしたいということはもちろんですが、もしかしたらこの思考が病気をつくり出しているのかもしれない、時間の過ごし方を変えたら治るのではないかと考え始めました。 自分自身の思考を振り返ると、すでに取り返しのつかない過去の言動に対して「あの時、こうしたから.・・・・」という思い、いまだ訪れていない未来に対して「これからどうなっていくだろう・・・」という不安が大半を占めていました。 私に与えられた「いま」は、過去と未来によって使われていたのです。 いまやること、そしていまのこの時間に心と体を合わせて生きていれば、ものすごく充実した一日が過ごせることが分かりました。 そうすると、寝る時も「いい一日だった」と心から思える。 たとえ体の痛みがあっても、「大丈夫!」と思って眠りにつけました。 結局、時間を早くしたり、短くしているのは自分だったんだなと思います。 いまこの瞬間にちゃんとピントを合わせて生きていれば、どこまでも濃密な時間が過ごせる。 一時間とか二十四時間という時間の垣根はなくなって、永遠を感じられるのです。 そんな「時間のトリック」が暴けた時、「一瞬の中に永遠がある」という言葉の意味を理解しました。 いま、ここにピントを合わせて生きる。 それは美しい空地、人との出会い、そしてがんの痛みにさえも感謝することだと思いました。 (つづく)
2007年10月16日
昨日、当院の患者さんでもあるA子さんが、両親をお連れして治療に来て下さった。 お父さんは、長年音楽関係の道におられ、有名な演奏家として活動されていたのだが、5年前に脳梗塞を発症し、右半身不随となってしまったようだ。 それまで健康で、幼少期を除いては、病気には全く無縁であったという。 それがある日突然、右手が挙がらなくなったのを契機に、脳梗塞を発症してしまったようだ。 異常になる前に、血圧が多少上がり、病院に行ったのだが、検査でも原因が掴めず、老化の一貫でしょうということになったようである。 ところが、仕事が忙しくなった時、突然前記の症状が現れ、急遽入院したのだが、右半身不随となってしまったという。 医者からは、梗塞した場所が良かったので、軽症に済んだのだが、あと少し場所がずれていたら命に関わっただろうとの話であった。 その後の治療とリハビリで、何とか機能が半分くらい戻ったところだという。 右手がもっと使えるようになれば、また演奏活動もしたいとの夢も話して下さった。 年令は74才と高齢、それに発症して5年経過しており、何処まで改善できるかやってみなくてはわからない。 お父さんが笑顔一杯に演奏しているステ-ジを連想しながら、祈りを込め治療に入った。 次にお母さんの方だが、こちらの方が大変である。 年令は71才だが、20年来の糖尿病から心臓を悪くして、狭心症のバイパス手術を13年前に行っている。 今年7月に狭心症発作を起こし、再入院。 ステント処置するも、血管固く、バル-ン処理でも広げられず細いところは1ミリ程しかないとのこと。 体内には、心臓血管に2本のステンスが入っているばかりでなく、まだホッチキスも残っているという。 おそらく、こんな患者さんなら何処の病院や整体院でも、治療はきっと断るだろう。 いつもより入念に、注意深くコ-ドを選び、2人の治療に入った。 「もし」は、決してあってはならないからである。 それからスタッフと、この老夫婦の治療に、しばし付きっ切りとなった。 1時間後、血色が良なった老夫婦の明るい笑声が院内を包んだ。 「おかげさまで、体がずいぶん楽になりました」。 「胸のあたりのツカエが取れました」。 私達にとった、何よりうれしい言葉である。
2007年10月15日
先日、世界ライトフライ級王座決定戦で、亀田大毅選手の挑戦を大差の判定勝ちで退け、初防衛に成功した内藤大助選手。 日本最年長王者記録(33才1ヶ月)をも塗り替えた、天晴れな勝利であった。 亀田陣営からゴキブリと呼ばれ、戦歴や環境から、また正直な話、見た目からも、殆どの人達が、大差で負けるだろうと予想していたのではないだろうか? でも、試合では明らかに一枚上の技術と根性、それに付け加えさせてもらうと、頭と性格の良さで、勝利を掴んでしまった。 今や日本中のヒイロ-である。少なくとも同じ境遇を持つ不登校の学生達には間違いなくヒイロ-なのである。 そんないい話が、日刊スポ-ツ新聞に載ったので紹介したい。 「内藤が不登校生徒に勇気を与えた」内藤大助(33=宮田)が不登校の生徒を「更生」させた。12日、都内のJBC事務局には大毅の反則行為に関する多数の抗議電話の一方で、内藤に感謝するファンの電話もあった。不登校だった中学生が、内藤の試合を見た次の日から学校に行き始めたという。「電話口の父親は泣いて感謝していた」と安河内事務局長。元虐められっ子の内藤は「自分の試合で勇気をもらった人がいればうれしい」と喜んだ。 2007年10月13日 08時51分 日刊スポ-ツ さて、内藤選手は北海道生まれ。小さい時から家庭環境に恵まれず、貧乏といじめで、幼少にして胃潰瘍を味わったというのだから、その精神的苦痛がいかに深かったのか分かるというものだ。 上京するやボクシングを始めたのも、虐められない男になりたい願望からだという。 20才でボクシングを始め、真面目な練習が実を結び、早くも22才でプロとなった。 27才で世界大王座戦に挑戦も1ランドでKO負け。これは世界記録とかで、余りにも早いKO負けに、日本ボクシング会の恥といわれた。 31才で再度挑戦するも、判定負け。 そして昨年32才で、これで最後と覚悟した王座ゴンザレスとの試合で、「まさか?」の判定勝ちを納め、新チャンピョンとなった。 結婚は25才の時で、奥さんは2つ年上だが、これが凄い美人なのである。 凄いというのは、容姿だけでなく、内助の功を兼ね備えた、近代そうお目にかかれない出来た女性なのである。 喫茶店で働きながら、親子3人の家庭を切り盛りして、旦那の夢を支えてきたのである。 生活費が、二人の所得を合わせても、たった10万円というのだから、凄い。 腕利きカ-チャンでもこれだけの人はそういないだろう。 こちらもチャンピョン間違いなしである。 是非、福田政権の番頭にしたいものである。 この夫婦こそ、正に生活力旺盛な「ゴキブリ夫婦」である。 どんな粗悪な環境であろうと、辛抱し、耐え生き抜く。 それが、「ゴキブリ」。「ゴキブリ」とは、名誉ある生き方の称号でもあるわけだ。 「頑張れ、ゴキブリ夫婦!」 いつまでも見せて欲しいネ-。 その生き様! たれ目で、かつ、地を這うようなボクシングスタイル! 似ているぜ! 確かに! 「いいね-!」 正に、われらがヒイロ-だ。 「ゴキブリボクサ-大助君!」。
2007年10月14日
2007年度のノ-ベル平和賞が決まった。 地球温暖化問題に積極的に取り組んでいる、元アメリカ副大統領のゴア氏と気候変動に関する政府間パネル(IPCC)。 賞金は分割するため、ゴア氏の取り分は日本円で約1億8千万円という。 もちろんゴア氏は、NPOの気候保護同盟に全額寄付を表明した。 暗いニュ-スの多い昨今、ホッとする出来事である。 ゴア氏は前回のアメリカの大統領選挙で、現大統領のブッシュ氏と争い、同率の支持をを得ながら、甲乙つけがたい選挙結果に、混迷する世相を察知して、自ら大統領の椅子を辞退し、ブッシュに大統領にそれを譲った男である。 裏には何かがあろうとは思うが、世間にはそのように映ったと思う。 そして、タカ派のブッシュ大統領になって、アメリカの方向は変わって行き、アルカイダへの攻撃となり、最終的には9.11事件が起こり、イラク戦争、さらに日本の自衛隊派遣協力となったのである。 もしゴア氏があの時大統領になっていたら、現在の生臭い世界情勢にはなっていなかったのかもしれない。 少なくとも、京都議定書を無視し続けるアメリカの、現政権の環境対策は少しは変わったものになっていたかもしれない。 世界中で最高の軍事力と、情報施策と資金施策を持ってしまったアメリカの我が侭は、地球温暖化対策には実に消極的であった。 一番温暖化ガスを排出し、やりたい放題の事をやっているとも見える場合さえある。 そんな中、ゴア氏の現状までの行動と、今回のノ-ベル賞受賞は、アメリカの懐の深さを印象づける結果となったことは喜ばしい事である。 しかし、アメリカには、暗殺という影の部分がその内必ず現れてくる。 自分の利権が損なわれた場合には、どんな方法もとる個人主義の野蛮な一面だ。 気にくわなければ、銃で決着の西部劇時代そのままの実に短絡的な身勝手な部分だ。 ゴア氏の行動が、裏のないものであることと、ゴア氏の身の安全を心より祈りたい。 そして、何より、地球温暖化が一日も早く収まる事を期待したい。
2007年10月13日
昨夜、ボクシングWBAライトフライ級王座決定戦が行われた。日本人同士の争いで、現チャンピョン内藤大助選手(33才)が勝てば、国内最年長記録の更新、一方挑戦者亀田大毅(18才)が勝てば世界最年少記録をつくることとなる珍しい試合となった。 内藤選手と亀田選手には、他にも対照的な点が幾つかある。 幼少時はイジメに合い、苦労の果てにようやくチャンピョンとなった内藤選手。家庭を持ちながら、月給は12万円という実に恵まれない貧乏オジサンボクサ-である。 所属する宮田ジムも、無名の小さなジムで、今回の試合の資金も不足したため、条件面で様々な不利な面があったと聞く。例えば、このたびの対戦のための練習中に、古傷の額を切るアクシデントがあったようだが、十分に完治しないまま試合日を迎えたとも聞く。 こんな場合は、当然チャンピョンだから延期できるのだが、そうなると亀田選手が勝った場合の世界最年少王座の権利が失われる。そこで、亀田陣営・共栄ジムの意向に従う羽目になったようだ。 それに対し亀田選手は、幼少時よりボクシング一家として有名で、ボクシングに関しては実に恵まれた環境にある。 トレ-ナ-でセカンドの父、さらに長男興毅は世界チャンピョンだ。業界では老舗の共栄ジムに所属し、マスコミにも騒がれ、千人以上の熱狂ファンを持つといわれている。 若く、エリ-トの駿馬と雑種でかつ、弱いが努力の果て、たくましくなったロ-トル馬との戦いである。 驚いた事に、実況テレビ局の、「この試合の勝者はどちらか?」との事前視聴者アンケ-トでは、圧倒的に内藤選手が得票を得ていた。 視聴者は、日本人らしく、オジンボクサ-に夢をかけていたのである。「多分内藤選手は負けるだろうが、できたら、何とかあの生意気な鼻を明かして欲しい」 「俺が負けたら腹を切る。だからお前が負けたら腹を切れ!」と挑発した亀田選手に「負けても俺は腹など切らない!」と冷静に交わした内藤選手。そんな試合前日の口戦も、「内藤勝利」という大衆の願望心理に、大きく影響したのかも知れない。 そして、12ランドの激戦?が終わった。 結果は、10点差という大差をつけた、内藤選手の圧倒的判定勝利であった。 亀田選手は最終ランドには若さが出て、相手を担いで倒そうとする違反を犯した。 それも2度。 これでは、もう、おおおまけ・・・大負けである。 余程腹が立ったのだろう。 それだけ内藤選手のテクニックが優れていたという事である。 彼は相手の頭を押さえ、打たせない。 撃とうとする前にドンドン先制攻撃。 そして相手が出てくれば、かわし、クリンチでしのぐ。 流石の自称「浪速の弁慶」もこうなったら歯が立たない。 まるで「京都五条大橋で、牛若丸にカラカワレている弁慶の図」の近代版であった。 天晴れ内藤選手! でも良く頑張った若い亀田選手。 でも、「負けたら腹を切る!」。 そんな試合前の約束をどうとるのか?亀田選手の今後の行動が実に見ものである。 まさか本当に腹を切る事はなかろうが、彼が今回の失言で言葉の重さと、人生の臍のうの端っこを捕まえてくれたらいいと思う。 きっとその時、彼はすごい世界チャンピョンになっていることだろう。 最後に、駄馬連オジイより「大助ありがとう!」
2007年10月12日
今朝の朝日新聞は、トップがこの事件で占められていた。21歳の自殺願望女性の依頼を受け、殺人を実行したのである。それも、20万円という金額を前払いさせ、ビジネスとして行ったというのだから驚く。逮捕されたのは34歳の、ごく普通の青年で、妻子もあるというのだ。近所の人の話だと、子煩悩で人当たりも良く、ありふれた家庭人であったようだ。 もし、私の両親が生きていたら、きっと、この事件で腰を抜かしたに違いない。この事件が、どれほどの人たちを傷つけ、人間不信に陥し入れたか、想像すると恐ろしくなる。特に若い魂を持つ年少者には、できたら知られたくない事件である。 一体日本はどうなってしまったのか? 朝日新聞の記事によれば、このようなサイトは日本だけで数百あるというのだから、開いた口が塞がらない。 こんなサイトを開くことはむろん、自殺を助けるという殺人行為を思いつくこと事態信じられないし、私には到底理解できない。 そんなサイトが数百あるという現状には、ただ溜息しか出てこない。 日本にもサイトを管理するシステムもあり、日々チェックしているそうなのだが、この種のサイトを取り締まる法的処置が未整備らしいのだ。従って、警察も取り締まれないし、プロパイダ-もビジネスを優先するため、実情は野放し状態らしいのである。 国会は、勢力争いの愚問の応酬で明け暮れているが、足元では崩壊が始まっているわけである。 「一日にして成らず」の栄華を極めたロ-マ帝国が、つかの間に滅びたのは、帝国の秩序の乱れによると言われている。 繁栄の先、自由という虹の先には、たいがい破滅という断崖絶壁があると、幾つかの歴史は物語っている。 現代の日本、および、世界は、人類にとって、史上未曾有の自由で豊かな世界である事は間違いない。 空、地上、海には、人間本位の乗り物や建物で満ち、耕作地は人類のためにのみ切り開かれている。 しかし、飽和点に達した今、地球温暖化問題が加速し、天候不順、エネルギ-危機、食糧危機が直ぐ目の先に見え出してきている。それらの主因こそ、我々の心の中に棲む、何でも自由という発想から生じてくる人間自身のオゴリというウイルスが原因だと、私は思っている。 この事件を契機に、我々は、自由という虹の先には、断崖絶壁が必ず潜んでいる事を、もっと真剣に肝に銘じるべきであろうと思う。
2007年10月11日
当治療院の所在地は、両国である。両国といえば、有名なのは国技館と東京都博物館のあるところだ。特に有名なのは、国技の相撲の本拠地国技館である。国技館を中心に、相撲部屋も多数存在している。 その両国が今騒がしい。 まず、八百長問題から始まり、朝青龍の仮病問題で、震度4の揺れとなった。 ようやくその影響が収まりかけたところに、時津風部屋の新弟子死亡事件である。 昨日、時津風親方が相撲協会の理事会で解雇処分となった。譴責処分の中で、一番の厳しい永久追放の処分を受けた事になる。もはや震度6である。 時津風部屋は、かの有名な横綱双葉山が開いた名門の道場である。その道場は、当治療院から1本横道を入り、50メ-トルほどのところにある。いつもは静かなその場所は、今は日夜報道陣がたむろし、テレビ局の中継車まで横付けして、異様な風景である。それに先日はどこかの街宣車が、ボリュウムをあげ、痛烈に批判して町を行き来する。 事件の良し悪しは、事件に対する専門家の調査結果や、世論の判断に委ねたいが、近頃の傾向として、余りにも野次馬的意見が多すぎるような気がしてならない。これは多分にテレビの影響が大きいと思う。 ところで、お相撲さんといえば大食漢である。食べて、稽古して、寝て、如何に体を大きくするかということが第一の仕事であり、これは宿命でもある。しかし、そのつけは引退後、殆ど病気多発、短命と言うカタチで現れてくる。 水野南北の唱えた「節食開運説」に照らし合わせると、合点が行く。 動物という生命体は、生き物を食してのみ、生を維持することができる。 噛み砕いて言うと、他の命を己の生のために殺すことを意味している。 従って、製造主が「幾つの命までよ!」と定めているのかもしれない。 生きるために、他の命を犠牲にしているのだから当たり前の理屈である。 霊長類の長としての人間は、食す前後に「申し訳ない。ありがとう。」という感謝の心くらいは、持ち続けたいものである。
2007年10月06日
節食は、「病い知らずで長生きの最高の健康法」だけでなく、最高の開運法でもあることを南北は教えてくれている。 しかし豊かになった現在は、世界中どこに行ってもお金さえ出せば、豊かな食を得ることが出来る。特に日本は、飽食のグルメ花盛りである。どのテレビ局の番組表を見ても、料理、グルメ番組がない日はないくらいである。 そして、大食い大会を実況し、勝者は英雄視され、タレントとして活躍する者すら出てきている。こういう人たちを見ていて、特に運が悪いとも、運勢が衰えているとも思えない。むしろ美味を楽しんで、運気隆盛のように見える場合さえ多い。 こんな状況を見ている多くの人たちは、「節食で運が開けるなんて嘘じゃないか」と、思うかもしれない。 しかし、今日・明日の短いスパンではなく、長い目で見ていただきたい。 必ず、必ず、差が出てきて影響が及んでくるはずである。 本人に及ばなくても、その家庭に、親族に、やがては民族、即ち国家に及んでこよう。 日本は、そういう意味から、実に危険な状態にある。 いや、世界が既に非常に危険な状態にあるのかもしれない。 原油の奪い合いが、拝金主義の現代の投資家の対象になって久しい。 原油価格の異常な上昇は、植物から燃料を採取する事業を誕生させ、そこにまた、投資家の資金のサイクルを生じさせ、食糧危機を更に悪化させるばかりか、環境問題、温暖化進行を加速させている。 この悪のスパイラルは、地球温暖化を加速させ、急激な食糧不足を生み、やがて民族や国家の貧富の差を更に広げ、紛争や戦争を、必ず引き起こすであろう。 人類の生存を脅かしているこの現象の根っこは、「生を食せねば生きられぬ」、人間という動物の、「食に対する感謝」と、そこから発生する「節食」という人間にとって、地球上で最も基本的なル-ルを無視したところにあると私は思う。 今日の世界(人間界)は、実に危ない方向に動いていて、「ある日突然」のカウントダウンが始まっているのは確かである。 それを防ぐために私達は、まず「飽食」を慎まなくてはならない。 そして、水野南北の示した「節食」こそ、その基本である事を、気づくべきであろう。(了)
2007年10月04日
自らの悪相を、麦と豆だけの節食で変えた南北の、その後を辿ってみよう。 彼は、まず3年間床屋で働いた。多くの人相に接するためである。つぎの3年間は風呂屋、次の3年間は火葬場の人夫になり、骨の相まで研究した。このような実践研究によって、人相見としての技量を磨き、高い評価を得るようになった。 しかし、彼の予想が百パ-セントと言うわけには行かない。いい人相の人が不幸なめにあったり、悪相の人が意外な幸運に恵まれたり、ということが時々ある。この見誤りはなぜなのか? 意思堅故固で探究心の強い彼は、さらに研鑽を続けた。だがこの悩みを克服できないまま時は流れ、南北が50歳になった時のことである。お伊勢詣りに出かけ、五十鈴川のほとりで21日間の断食と水垢離の行を行った。その時、外宮の豊受大神(トヨウケノオオカミ)の次の声を聞いたという。 「人の運は食にあり」。 南北は、悟ったのである。自分は麦と豆だけの食事で剣難の相を消した。食は人相を変えるのだ・・・・・ということは、食のあり方で運命もまた切り開く事ができるのだ。これを契機に南北は食のあり方を研究し、「節食開運説」に到達する。それは南北の観相学の完成でもあった。以後南北の観相は「百発百中」といわれるまでになり、悪相の人には食のありの改善を指導し、多くを幸せな運命に導いたという。 節食改運説を、実践する南北の運も大きく開け、名古屋に構えた屋敷は1丁四方、蔵四軒を連ねるまでに財をなし、当時の寿命50歳を大きく上回る78歳まで健康に生きて、天寿を全うしたという。(つづく)
2007年10月02日
「節食が運まで左右する」 そんな説を唱え、大成功した水野南北とはどんな人であったか、今回はその生い立ちに迫ってみる。 南北は宝暦7(1757年)江戸時代に生まれた。今から250年前である。幼名を熊太といい、幼くして両親を失い、鍛冶屋の叔父に引き取られて育った。性格のすさみは激しく、10才頃から酒を飲み、喧嘩ばかりしていたという。 18才の時、ついに酒代欲しさに悪事を働き、牢屋に入れられてしまう。だが、これが南北の転機になった。 南北は牢屋に入ってある事に気がついた。周りの囚人の人相が、普通の人と明らかに異なることである。これが観相学に関心を持つきっかけとなった。 牢屋を出された南北が真っ先に訪ねたのは、大阪で評判の人相観であった。自分の相を知りたかったのである。すると、南北は希に見る悪相狂相で剣難の相もあり、あと一年の命と断ぜられた。助かる方法はないかと尋ねると、出家以外にはないと言われ、すかさず禅寺を訪ねたが、南北の悪相を警戒し、入門に条件をつけた。「向こう1年間、麦と豆だけの食事を続けられたら、入門を許す」 と・・・。助かりたい一心の南北は、浜沖仕をしながら、麦と豆だけの食事を続けた。 1年後禅寺に向かう前に、まず例の人相見を訪ねた。 人相見は南北を一目見て、驚きの声を上げた。剣難の相がきれいに消えていたのである。南北が麦と豆だけの食事をしていたことを話すと、それが良かったのだろうということであった。 こうなったら禅寺に入る必要はない。南北は観相家を志し、諸国遍歴の旅に出た。21歳のときである。(つづく)
2007年10月01日
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