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部屋の中央には、大きな男がどっしり腰を下ろして、こちらを見ている。 咄嗟に混乱していた頭に電流が流れ出した。 「あっ-K先生ですね!宇治橋です!ご無沙汰いたしております!」 K先生は3年の時の担当で、私の記憶では最も厳しく怖い先生であった。 K先生のすごかったのは、男女を問わず愛のムチを使った事である。 ムチも身長180センチはある体格から、振り下ろされる人一倍大きな手の拳骨である。 私の脳裏の奥には、当時確かし宿題を忘れたKちゃんという女の子の反抗的な態度に、怒った先生は、平手で愛のムチを使った。 Kちゃんの左頬に命中したかと思った瞬間、運動神経抜群のKちゃんは体を引き、平手をひらりかわした。 次の瞬間K先生の顔は真っ赤くなり、額には青筋が浮いている。 「き・お・つ・け! 足・を・開・か・ん・か!」 後はKちゃんの体が左に倒れたかと思うと、右からの平手で中央に戻り、続けざまに左からの平手が彼女を立たせている。 倒れないのだ。彼女はしばらく宙に浮いていた記憶が私の中にはある。 後から知ったのだが、K先生は予科練にいて、終戦を迎え、代用教員として当クラスを受け持ったそうだ。 我がクラスを1年で去ったのは、正式に教員になるため、大学に進学したらしいのだ。 大学では、先生の予科練の実績と、当クラスの教育実績を高く評価され、極短期間の実習で教員免許を取得されたようである。 愛のムチが人一倍激しいはずである。 予科練の先生だったのだから無理もない。 「オウ-・宇治橋君か!」 「君の兄さんとは・・・」 実は私の兄は、小学校の教師で、5年ほど前某学校の校長を最後に定年で引退したが、その兄貴とK先生は今でも接触が深いらしい。 「自分は、S小学校の校長を最後に引退したが、君の兄さんとは・・・」 どうやらK先生は私の印象より、兄貴の印象が強いようなのだ。 そんなK先生は83歳という。 そんなお年には到底見えない若さである。 それに、穏やかでゆったりとした優しいものの言い方である。 あの当時の厳しい先生の姿は何処にも感じられない。 ただ、横を向いた時に、鼻が高く鼻筋の通ったその横顔から、かすかに当時を偲ばせるなにかを私は感じたのだった。 時の流れとは、人をこんなにも変えることが出来るのか? 私は次に掛ける言葉をしばらく失っていた。(つづく)
2007年11月27日
秋の夕暮れは釣瓶落としといわれるが、高度の高い信州のそれも初冬の夕暮れである。日が落ちると、あたりは瞬く間に闇の世界に変身していく。 湖畔の温泉旅館群には明かりが灯り、車は一斉にライトを点ける。 水辺には岡谷方面だろうか、ネオンも混じった、美しい光の帯が揺れている。 Mホテルという、指定された場所に着いたのは、17時少し前であった。 受付で薄青色系の着物の良く似合う30歳前後の女性は、満面に気取りのない笑顔で私を迎え、軽い会釈のあと、「××小学校の同窓会の方ですか?」と聞いてきた。 「はいそうですが・・・どちらに行けばよいのでしょう?」と私。 「3階の301号室に幹事さんがおられます。どうぞ、ご案内します。」 いつの間にか私の右端には40歳前後の男性が近づき、エレベ-タ-はこちらですとエレベ-タ-まで案内してくれた。 エレベ-タ-には私が一人だけである。 2階を通過したエレベ-タ-は、あっという間に3階に到達した。 ドアが開くと、廊下に沿って幾つかの部屋が並んでいる。 正面は302号室、左が304号室だ。としたら、どうやら301号室はその奥の右側の部屋らしい。 和室の301号室は、ドアがいっぱいに開けられ、玄関には脱ぎ捨てられたスリッパが10足ほど乱舞している。 中からはざわざわした弾んだ話し声と、何だか懐かしい匂いがしてくる。 深呼吸をひとつしてからコ-トを脱ぎ、スリッパを隅の方に揃えて脱ぎ捨てから、「こ・ん・ば・ん・は!宇治橋です」と私にしては近頃にない少し大きな声を張り上げた。 少し音程も高いようだ。 中から一斉に人が飛び出してくる。 「おお宇治橋君か!」大きな手が私の右手を強引に握り締める。 「おおよくきたな!」左手は眼鏡の良く似合うインテリの男が握り締める。 「エエあの宇治橋さん?」奥にいる女性群が立ち上がって奇声をあげている。 私だけが誰が誰なのか、さっぱりわからないまま、「やあやあ!久しぶり?」とただ同じ事を繰り返し立ちすくんでいた。 久しぶりに額にジワリと汗の出る気配を感じた。 (つづく)
2007年11月26日
初冬の強い北風が吹く夕暮れの諏訪湖は、沈んだうす青色の世界だった。 同窓会の集合時間までには1時間ほどあるので、今年のNHKドロマ勘助の登場する高島城を見学した。 実は黒田勘助の登場するのは上原城といって、諏訪湖湖面近くにある高島城から4キロくらい甲府よりの山の中腹にある山城である。 高島城の天守閣からは、その位置が微かにかすんで見える。 諏訪盆地の東南側に覆いかぶさるように山々が迫っているが、ぽっかりV字型に開いた場所がある。 その突き出た小山の山腹に上原城があったわけである。 上原城跡のはるか彼方、丁度V字型の空の中央には富士山がどっしりと腰をすえている。 その偉大なシルエットは、この世のものとは到底思われぬ程の、威圧感と崇高感に満ちている。 上原城の庭園には巨大な銀杏の木が数本あり、天に見事な真黄色の手を広げている。 足元には黄色の絨毯が敷かれ、ご婦人がひとりうずくまっている。 銀杏の実を拾っているのだ。 湖面には水鳥が低く飛び、北の塩尻峠付近には、雲から灰色の陰が周辺を包んでいる。 きっとあのあたりに初雪が落ちているに違いない。 日が落ちると一気に足元が暗くなっていく。 寒さも半端なものではない。 私は高島城を後に、上諏訪の町並みを同窓会の会場に向かってコ-トの襟を立てなおし、足を速めた。 日曜日のせいだろうか、またはここも過疎化の影響を受けているのであろうか、街はひっそりとして人影も殆どない。 道路と、家屋だけは綺麗になって、30年前に訪れた時より、豊かさだけは満ちているようだ。 その証明として、何より、どこの車庫にもきらきらの車が置かれている。 (つづく)
2007年11月20日
足掛け30年?いや50年の小学校の同窓会が開かれた。 途中2回ほど開かれたらしいのだが、早くから故郷を離れた私には、卒業以来初めての参加である。 前回の開催は、平成2年だったとか?私には通知が来たらしいのだが、何処か海外か国内の出張があり、不参加の通知を出した記憶がある。 平成2年の時には、今回の幹事Oさんの事前の話によると、小学校時代お世話になった3人の先生全員が出席なさって下さったらしい。 残念ながら、本年5月5,6年を担当されたY先生がご逝去されたらしい。 また、1,2年担当されたT先生と、4年担当されたH先生は体調を崩して欠席するというご返事らしい。 もっとも中学時代の同窓会には一度出席しているので、小学校時代同じクラスの仲間3人ぐらいとはその時顔を合わせてはいる。 幹事のO君は、私の兄貴に連絡をとり、私の電話番号を調べて、連絡をくれたのが1ヶ月前の事である。 その時の電話口の声は、以前の0君の声ではないため、当初は何の事だか分からずにいた。 その内、状況がつかめ出すと、O君の姿が電話口の向こうにはっきり捉えられるのだから、幼馴染とはありがたく、不思議なものである。 さて、場所は晩秋の信州上諏訪。 一泊でとんぼ返りの日程を組み、日曜昼近くの「あずさ」で塩尻に向かう。 当初は夕刻の現地集合時間に間に合うようにしていたのだが、急遽、先祖の墓参りと、神社参拝を思い立ったため、予定を変更した。 タクシ-で先ず先祖の墓参り。 丘の上にある先祖の墓地には、松葉が少し堆積していて、それを軽く掃除してから合掌・黙祷する。 松の梢を通る風の音だけの世界、風は冷たく、しかし、なぜか心地よい。 先祖の霊前とは私にとっては、このまま、全て解けてしまうような不思議な感覚を覚える場所でもある。 その後弟が宮司の地元の猿田彦神社を参拝し、駅に引き返す。 そして今回の同窓会の開催地である上諏訪に向かった。 何故か、車中でも何処か落ち着かない。 (つづく)
2007年11月19日
「病気の真犯人は?」 (その7) エンダ-レインは生きた血液を暗視野顕微鏡で辛抱強く観察し、「細菌の生活環周期=BAKTERIEN-CYCLOGENIE」を突き止め、これにより多形態態性についての論点と証拠を提示した。 それらは今日に至るまで覆されていない。 彼はこの著書において、「生き物は生き残るための手段として、すべての種が自らのバランスをとるために努力をしていることを示しているのだと」捉えている。 それは、「自身の無限の繁殖によって他の種を絶滅させようとすることではなく、むしろその逆で、自分の種を維持できなくなった場合のみ、殺害や食い合いが起こるに過ぎない」と語っている。 彼は血液の中の主要な共生微生物を採取し、分離し、培養にも成功した。 その共生微生物の名前をムコ-ル・ラセモ-サス・フリ-ゼンと名づけた。 そして、環境により状態を変化させ発達段階のすべての相の図を「細菌の生活環周期」に表わした。 このことは、「血液=無菌」という観念を抜本から覆すことの証明でもあったと同時に、疾患・疾病の主要な原因は、体内共生微生物の生活環周期にあることを示唆しているわけである。 「疾患・疾病は内にあり」すなわち「体内環境にある」ということである。 これらの疾患・疾病について、「敵は常に悪者で、外襲してくるものだ!」。 そんな発想からの治療方法は、ことごとく間違っている事になるわけである。 如何に腕の良い外科医の手術であっても、実は一時的な成功であって、根本の治療成功では決してないということになる。 本当の敵は内にある。 即ち体液や細胞ら、全て体内に共生する体内共生生物の状態にあるということである。 だとすると、血液は無菌ではありえないし、もし仮に、体内共生生物すら死滅させてしまった場合、生も成り立たなくなるわけである。 我々は、共生の上にのみ生存しており、その最適な共生環境が崩れた時、そこから病気が発生すると考えるべきである。 共生生物の変化が疾患・疾病に深く関わっている事を、真摯に理解すべきである。 さて、賢い貴方なら、「病気の真犯人」をもう見つけられた事でしょう。 エンダ-レイン博士の話をもう少し続けましょうか? それとも、これ以上はやめましょうか? それに、これらも本来なら、企業秘密とかいうしろものでしょうから・・・・そんなに簡単に語るわけにはいきません。 「何をケチクサイ!!」とおっしゃいます? では、皆さんのアクセス数で判断することに致しましょう。 (完)
2007年11月08日

先日、先生、私達スタッフとお世話になっている方々とみんなで、両国の有名なちゃんこ巴潟に行ってきました まずは、お通し。 お刺身の盛り合わせ甘エビ、最高に美味しかったぁ~ そして、ちゃんこ。もちろん塩味最高においしかったぁ~ こちらは、から揚げ。ジューシ~で美味しい~確か、5個あったような気がするけど、3個しか写ってませんねぇひとつがとても大きかったですよ。 また、みんなで来よっ!
2007年11月06日
「病気の真犯人は?」(その6) パスツ-ルが死の床でベルナ-ルを認めたことは、間接的にペシャンプの主張を認めた事になる。 しかし時すでに遅し、であった。 医学界はすでに、パスツ-ルの簡略化した微生物学に基づいて更に発展しており、現在の医学界の知識もこれらの断片的な真実に基づいているといえるのである。 「棄てる神あれば、拾う神あり」。 この人類にとって、絶体絶命の危機を救った男がいる。 その名をエンダ-レインという。エンダ-レイン(1872-1968)は、ドイツ生まれ、ペッシャンプの初期の研究を深く調べ、その研究を掘り下げていってくれたのである。エンダ-レインは教員の一家の息子としてドイツ、ライプツイヒで生まれ、生物学・動物学者である。 パスツ-ルが亡くなった73才の時、ペシャンプは79歳、エンダ-レインは23歳であった。ペッシャンプは97歳に亡くなったが、その時エンダ-レインは36歳であった。 エンダ-レイン博士はチフスの研究中に、暗視野顕微鏡での血液検査画像に僅かに動く微小な物体を発見した。 そしてその微生物が、お互いにくっつきあって、より高度に組織だったバクテリアになること等を観察した。またそれらは即座に見えなくなることも観察した。 彼はこれらの工程を胚の発達などとは異なる、生殖過程で、交配であろうと仮説を立て、その交配によって、顕微鏡の光の中で目の前で見えなくなると考えた。 これらの活気ある動きまわるものには鞭毛があった。 彼はこれをスパ-ミットと名づけた。 研究を進める中で彼は、哺乳類の血液には常に植物起源の体内共生微生物が存在するということに気づいていた。 この生き物は多様な形態で存在し、血液の凝固をはじめとする様々な機能(血小板など)をもっていた。 よって、全ての生物は「大掛かりな共生」に対応しているのである。すなわち、血液凝固の可能性なしでは、脊椎動物は存在できないからであると考えた。 健康な生命であるためには共生生物との適正、正常な共生状態が必要である。言い換えれば、疾患疾病は体内共生が乱れる事である。 スパ-ミットの発見によって全ての問題への解決策が得られたものではないものの、生体の基本を理解することで、微生物の生活環・発達周期とそれが示す諸々の現象は彼によって説明できる。 彼は、500件以上の論文記事を記し出版した。 そのほとんどは多形態性と共生についてである。 (つづく)
2007年11月06日
「病気の真犯人は?」(その5) ペシャップの「疾患疾病の原因は体の中にある」との主張によって、微生物の多形態性理論が見出されここからさらなる研究が発展するはずであった。 ところがライバルであるパスツ-ル(微生物学者1822-1895)がこの重大な作業の邪魔をしたとゆわれている。 パスツ-ルの主張は、「種や属に関わらず全ての微生物は変化しない」というものであった。 すなわち、「一つの種類の微生物は一つの特定の病気をもたらし、微生物と疾患は一対一の対応である」。また、「バクテリアと真菌は自然発生することは絶対にない」。 さらに、「健康なヒトの血液および組織は無菌である」と主張したのである。 パスツ-ルによれば、「疾患疾病は外部からの細菌に起因するものであり、体の外からの攻撃であり、外にいた細菌から発生する」ということである。 さてさて、疾患疾病に関する理論が、両巨頭で全く違った見解となったのだから大変である。 この論争にさらにもう一人の科学者、クロ-ド・ベルナ-ル(物理学者1813-1878)が参戦したといわれている。 ベルナ-ルの主張は「いやいや、微生物は何もしておらず、体内の環境がすべてなのだ」というものでその論争の路線を修正したといわれている。 さて、パスツ-ルが死の床で、「ベルナ-ルは正しかった。微生物なんて何でもでもないんだ」とつぶやいたという。 しかし現実とは皮肉なものである。 パスツ-ルは有名になり、ペシャンプは忘れられた存在になっていった。 すなわち、生物学の理論は、生前のパスツ-ルの理論に沿い研究・発展していった。 パスツ-ルが死の床で修正しようとしても、もはやこの世界の情勢は手の届かないところに行ってしまったわけである。 かって、戦艦大和の舵が、呉港を離れ沖縄に向けて切られたように・・・・。 真実だとしたら、恐ろしい話である。 (つづく)
2007年11月05日
「病気の真犯人は?」(その4) パスツ-ルの時代、すなわち19世紀後半、偉大なパスツ-ルに競う生物学者がいた。 その名をペシャンプ(1816-1908)といい、彼は化学者であり生物学者、薬学部教授でもあった。 「パスツ-ルは知っているが、そんな学者知らない」。殆どの人はそう答える。 しかし、このペシャンプこそ、病気の真犯人のシッポを、最初に捕らえた人であったいえるのだ。 貴方が彼の名前を知らないということは、真実を知らない事ともいえ、それは大変不幸なことである。 でも皆さんご心配なく、日本で、世界でも、ほんの一部の人しか、彼の事を知らないでいるのですから・・・それに、これから彼のこと、その理論の一端を知る事になるのですからね。なんと、ラッキ-なことではありませんか! さて、話をもどしますと、彼は今の言葉でパスツ-ルの強烈なライバルであったようだ。 当時、学者間の理論抗争は大変激しいものがあり、両者はその中でも有名であったらしい。 ペシャンプの理論をのぞいてみよう。 ペシャンプは、永年の研究の中で、すべての動物と植物の細胞には、極少な顆粒状のものが存在すると主張し、それをミクロジ-マと呼んだ。 その顆粒状のものはその宿主である有機体の死によっても死滅せず、つまり宿主の死が発酵の原因であり、そこから他の微生物が発生する。 彼の主張では、「ミクロジ-マは、ヒト、動物、植物の生きている体の中に存在し、死滅や破壊される事なく、生き物と非生物の中間に位置付けられるような存在でもある」という。 さらに、「特定のまたは病原的な影響により、これらミクロジ-マは発酵の特性を持つバクテリアに発達していく」と述べている。 つまり、彼の主張では、「疾患疾病の原因は体の中にある」ということである。 世論は総じて疾患疾病の原因は、外からの細菌類等の襲来にあるとしていた時代に、体の中にあるとしたのだから大変である。 さて、皆さんはペシャンプのこの斬新な発想をどう捉えますか? (つづく)
2007年11月04日
「病気の真犯人は?」(その3) 医学の歴史をさかのぼり、病気の真犯人を見間違えたタ-ニングポイントは、どうやら19世紀にあるようだ。 この時代はイギリス等西欧で17世紀から始まった産業革命により、人類の科学分野は飛躍的に進歩した時代の後半である。 生物学や医学も従来の宗教的な思考を越えて、解剖学・顕微鏡観察など取り入れた科学的な方向に発展して行った。 当時は、またコレラやチフス、天然痘など伝染病も脅威をふるっていた。 かの有名なパスツ-ルなど、偉大な生物学者や医者などが誕生した時代でもある。 その活躍もあり、人類や家畜類が苦しんでいた、コレラやチフス天然痘など多くの伝染病への治療法が開発され、今日の医療の基礎を築いたと言っても過言でない。 例えば、黒死病と恐れられていたコレラは、一度発生すると町が死体で埋め尽くされるまで蔓延し、子供や成人であっても、また、王族や貴族、更に悪人や、どんなに立派な人であっても、宗教心の厚い人や教祖や牧師であっても、容赦なく襲い掛かり、黒い死への道に導いていったのである。 コレラこそ、宗教を統制に利用した封建制度を一気に崩壊した真犯人といっても良いだろう。 コレラの原因は、コレラ菌という細菌が、ネズミから蚤を仲介して人間に伝染するという事実を突き止めたのも、この時代の多くの生物学者、科学者、医者等の功績である。 彼らは、コレラだけでなく、チフスや天然痘など、従来から人類に襲い掛かってきた伝染性の治療法を一気に確立してくれたのであった。 彼らは間違いなく人類の救世主であり、近代生物学・医学の基礎を作り上げてくれた誇るべき功労者達である。 しかし、しかし、それだからこそ真実の見落としや勘違いが生じる可能性も十分あるわけだ。 (つづく)
2007年11月02日
「病気の真犯人は?」(その2) 病気の原因について人類は長年追求し、その治療法を見つけつる旅を続けてきたと言えるし、現在もその旅は続いているわけだ。 近代に入り、ここ200年ほどの科学技術の発達には、めざましモノがあり、医術もその例に漏れず、急速に発展・進化してきた。 解剖技術・外科手術技術・投薬や放射線など物理科学技術、そして分析・情報技術等々目を見張るものばかりである。 これらの優れた技術をフルに使って、確かに伝染病の被害者は激減し、平均寿命は延びたのかもしれないが、それに変わってガンなど慢性疾患は年々増加傾向にある。 何故なのであろうか? それはもしかして、病気の原因やプロセスについて、特に慢性的な疾病についてトンと分かっていないことではないだろうか? そして、違った解釈により、治療法を導き出しているのではないだろうか? でなければ、例えばガンの再発は、何故起こるのだろう。 手術や抗癌剤で一度は消えたガンが、どうして再発し、以前の抗癌剤ではもはや効かない、手のつけられない化け物になっていくのだろう。 体質、DNAすなわち遺伝性の関連だろうとか、難しいカタチの理由に追い込んで、益々迷路に入り込み、結局のところウヤムヤにしてしまっているのではないか・・・。 何処かに大きな見過ごしか、勘違いが必ずあるはずである。 単細胞の私は、そう考えるのだが・・・・。どうだろうか? (つづく)
2007年11月01日
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