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【敬神崇祖(けいしんすうそ)】私達ひとりひとりに親は二人居る。だが、両親にもそれぞれ両親が居る。さらに祖父母は4人、さらにその上の代には8人いることになる。こうして10代遡ると、実に1024人となる。10代と云えば平均寿命が約50年として、500年前となり、この頃西欧ではルネサンス時代、宗教改革が起こっていた。日本は織田信長や秀吉、家康らが活躍していた時代位である。狭い日本の国のことである。もしかすると、君やこの私ですら、信長や家康・秀吉の血が流れているのかもしれない?天才芸術家、レオナルド・ダビンチの血は無理としても、日本人なら可能性はゼロではない。だって、「隠し子」というケ-スだって有るわけだから・・・・。ともあれこの中でひとりでも欠けると、君や自分は存在しないことになる。それぞれのご先祖が命をつないでくれたからこそ、今の自分が有るわけだ。まずは命をつないでくれたご先祖様に感謝しよう。そうなると、その命を育み、守ってくれた大自然が有るということに気づく。自然の中に神が宿るという日本人の感性は、ここから生まれ、育まれてきたわけである。日本(神道)には、「敬神崇祖(けいしんすうそ)」という言葉が有る。この意味するところは、神を敬い、先祖を崇(あがめる)ということだという。まず、大自然に宿る神に人間は生かされ守られてきた。だからまず神に感謝し、そしてそこに生き命を繋いできた祖先に感謝する。そしてそこから日々反省する心が生まれ、祈りの心が生まれる。日本人にはそんな「神道の心」が、意識しなくとも誰にでも、細胞の中に脈々と息づいている。これは他の国の人々には、決して理解し得ないことでもある。誠、ありがたいことである。「合掌」
2013年07月26日
「捏造」(その3)>【それは敗戦国の宿命か?】沖縄戦での「集団自決」は、二つの捏造によって創られている。(1-3)「第2の捏造」座間味島、渡嘉敷島の隊長だった梅津氏と赤松氏は生き残り、戦後になって、「住民の集団自決は軍の命令だった」、自分がその命令を直接伝えた、と認めた事によるものだ。この事実は当事者である島の住民が、テレビできちんと証言している。このことが集団自決は軍の命令だとする、「沖縄ノ-ト」の主張を最終的に確定してしまった訳だ。しかし、ここには次の複雑な事情があり、ここにこそ第2の捏造の芽が潜んでいるのである。戦後、赤松氏の自宅を渡嘉敷島の村長が訪ねて来て、ひとつのお願いをしたという。「戦争で住民がひどい目に遭い、戦後も苦しい生活を強いられている。だから何とか援護法(戦傷病者戦没者遺族等援護法)の適用を受けられるようにして欲しい。そのためには、集団自決は軍の命令だったことが、どうしても必要である。どうか、貴方が命令した事にして欲しい」。そう嘆願したと云う。赤松氏にすれば実に心外な話であった。「自分は、住民に生きろと言ったことはあるが、死ねとか自決しろとかは片言も言っていない。」だが赤松氏には、連合軍に上陸を許し、住民までも犠牲にし、皆を守れなかったという強い自責の念があった。そして最終的には、自分が悪者になれば、少しでも残った住民の助けになる、ならばと、その願いを受け入れてしまったのだ。これこそ、日本の将来にまで遺恨をもたらす、本当に「しまった!!」ことなのだが・・・・!また、座間味島の守備隊長だった梅津氏にも同じ要請があり、梅津氏も赤松氏と同じ対応をしてしまった。戦後、梅津氏については、住民から当時の対応について数多い証言が有る。当時座間味島周辺は、海を埋め尽くすほどの敵の艦艇群が迫り、住民はこれを見てパニック状態に陥った。そんな中、座間味島の村長が梅津隊長のところにやって来て、「敵の辱めを受けるなら、自決した方がましだから、手榴弾をくれ!」と要求したという。そうすると梅津氏は大声で「自決など馬鹿な事を考えるな!何としても生き抜くんだ!」と、手榴弾を1個すら与えず、村長を追い返したと云う。このやり取りは何人かの人が見ていた。しかし、そんな梅津氏にも住民を守り切れなかったという深い悔恨があった。そして自分が悪者になったなら住民が救われる、それならば、と・・・偽りの証言をしたのだった。この二人の責任者の虚偽証言が、残念ながら実質的に歴史の捏造となってしまった。これがこの問題の第ニの捏造点である。第ニの捏造は当時の責任者の口から発せられたものであり、そのことは「鉄の暴風」と「沖縄ノ-ト」を認知することとなった。世界中は当然、日本軍は鬼にも勝る非情な軍隊組織であったと認識してしまった訳である。住民の要請を受けて行なった、梅津氏と赤松氏の真実の行動を説明すればするほど、それこそ真実の捏造だと、世界世論は逆に捉えた。後に梅津氏と赤松氏の遺族は、真実とは違う全くの創作に過ぎない「沖縄ノ-ト」で、二人を鬼のような悪人に描いた大江氏と、出版元の岩波書店を、名誉棄損で告訴した。裁判はもつれ最高裁まで行ったが、結局大江氏には無罪の判決が下され、その内容は実に曖昧なモノである。その理由は定かでないが、大江氏がこの作品を機にノーベル賞を受賞したことにあるとも言われている。さて、キリスト教崇拝に見られるアメリカを含む西欧文化圏に、神道、仏教を基本とする武士道からなる日本の軍人思想(皇軍思想)を理解させることは、不可能である。例えば、切腹の行為を理解できる外国人はいるだろうか?特に、戦後住民の要請により、自らを犠牲にして、自らを悪者にした梅津氏や赤松氏の言動は、到底理解できないだろう。なぜなら、それを出来るのはキリストだけだと信じているからであり、それがこの宗教そのものだからである。しかし、日本には自己犠牲や他利の思想が、歴史を通して脈々と受け継がれて来ているのである。ともあれ、間もなく68回目の終戦記念日を迎える。沖縄戦の20万人に上る犠牲者、太平洋戦争全体では310万人以上の邦人の犠牲者、世界では2千万人に上る犠牲者、そのすべての御霊に心より合掌。人類は過去の枝葉見てそれら憎むのではなく、戦争そのものの本質を、もっともっと憎むべきであると私は思う。
2013年07月13日
「捏造」(その2)【それは敗戦国の宿命か?】沖縄戦での「集団自決」は、二つの捏造によって創られている。(1-2)ここで沖縄戦の概要を纏めてみる。1945(昭和20)年3月26日、米軍を主体にした連合軍は次の攻撃対象を、日本軍が予想していた台湾を避けて、沖縄に的を絞り攻撃を開始した。沖縄を失えば、いよいよ日本国本土への侵攻となる。両軍にとって極めて重要な決戦となった。連合軍は、まず那覇の対岸に位置するケラマ諸島から侵攻し、艦船と飛行機による激しい砲爆攻撃を仕掛けて来た。後に沖縄タイムスのライタ-がこの様を「鉄の暴風」と書いたように、砲弾が雨のように降って来たのである。4月1日には本島への上陸を開始した。連合軍の勢力は空母、戦艦、大型船等170隻、要員45万人で、上陸部隊は18万人に上る大部隊であった。これに対し日本軍は11万人、住民など民間人は20万人。日本軍は本土への侵攻を一日でも引き延ばす持久作戦で対応、作戦立案者は八原大佐であった。5月29日、連合軍は首里城に星条旗を掲げたものの、洞窟などに隠れては襲う日本軍の抵抗も激しく、太平洋戦争最大の激戦地となった。すり鉢丘などは、優れた武器を持つ連合軍さえ1日僅か200メ-トルしか進めず、10キロメ-トル制圧するのに1ヵ月もの歳月を要した。沖縄戦の連合軍側の死者も実に12520人に登った。日本側の犠牲者はその約20倍で、民間人11万人を含み20万人である。集団自決という不幸な事件は、そんな混乱の中で起こった。連合軍に追い込まれる日本軍と、その前後に続く避難民。洞窟にようやく潜んでいた時、何も解らぬ乳飲み子が泣き止まぬため、しかたなく母親が我が子の口を抑えて息の根を止めたと云う言い伝えもある。そして追い詰められた軍人達は、最終的には敵陣に万歳突撃して果てるか自決し、残された住民達は自決の道を取ったのである。ある者は軍人に貰った手榴弾を用い、また小刀や鎌などあらゆる手段を用いて旅立っていったのである。そんな絶望の中で起こった話を、後日沖縄タイムスのライタ-が書いた「鉄の暴風」、その中で描かれた軍の命令による集団自決。さらにそれを基に作家大江氏が「沖縄ノ-ト」を書き上げた。あろうことか、ご両人とも現場である座間味島や渡嘉敷島には一度も行っていない。ではどうして、「住民の集団自決は軍の命令だった」と言ったことが、今日世界的な常識になってしまったのか?そこには、第2の事実と違う捏造事情が存在していたのである。(つづく)
2013年07月12日
「捏造」(その1)【それは敗戦国の宿命か?】沖縄戦での「集団自決」は、二つの捏造によって創られている。(1-1)「歴史は勝者の手によって、勝者の都合の良いように書き換えられる」。こう云えば、それは大昔の事を言っているのだろうと取る人が多いと思うが、つい最近の事なのである。1945(昭和20)年8月15日、日本はポツダム宣言を無条件に呑んで連合軍に降伏した。それから今年は68年目を迎えるが、敗戦国となった日本には戦争当時事実ではなく、捏造されて造られた歴史的事実も多い。今回はそんな中から、まず沖縄戦での「集団自決」について、迫ってみよう。沖縄戦では10万人に及ぶ軍人と、約10万人の民間人が犠牲となり、混乱の中で幾つかの集団自決も事実あった。座間味島では234人、渡嘉敷島は329人、と特に多くの犠牲者を出している。終戦後68年、今もって問題となっているのは、それが軍の命令によるものだったということである。当初はそんなことは言われておらなかった。ただ、日常の戦時教育の中で、「もし野蛮な敵の捕虜になると、屈辱的な悲惨な扱いを受けるかもしれない、だから捕虜になる位なら、死を選ぶべき」という国家的な風潮は実在していた。しかし、そのことが集団自決は軍の命令によってなされた事とは次元が違う問題なのである。では、いつ、どうしてそのようになったかを追求して行くと、一編の小説「沖縄ノ-ト」に行き着く。日本人作家の大江健三郎氏が、沖縄戦を題材にして「沖縄ノ-ト」を書き上げ、岩波新書から出版した。更に大江氏がこの本を書くきっかけを造ったのは、戦後間もなく「沖縄タイムス」に連載された「鉄の暴風」をヒントに制作したものであった。(この連載作品は、後日沖縄タイムス社から本として出版された)では、「鉄の暴風」を書いたライタ-は、事実に基づいて書いたのかというと、そうではなかった。特に軍の命令による集団自決の件は、全くの想像による創作文だったという。その証拠に、この小説の現場となった座間味島と渡嘉敷島に、大江氏も、最初に取り上げた沖縄タイムスのライタ-さえ行っていないのである。この実態を解明したのは、同じ作家の世界に生き、クリスチャンの曾野綾子さんだった。曾野さんはこの本を読んで、いくら鬼のような軍人でも、冷酷に住民を集団自決に追いやるようなひどい日本人がいたことに、まず驚いたという。そして、これは一体どういう人間なのだろうという、そんな人間への関心から現地に向かいました。慶間諸島の座間味島や渡嘉敷島にも行って情報を集めました。当時この二つの島には日本軍の守備隊がいました。座間味島の隊長は梅津裕少佐で、渡嘉敷島の隊長は赤松憙次大尉。小説ではこの二人が集団自決を命令した張本人と云う事になります。曾野さんが島に渡って調査して見ると、どうも話が違いました。集団自決は軍の命令だったと証言する人もいましたが、それを具体的に、いつ、何処で、誰が命令したか、となると、話が曖昧になってしまう。むしろ、軍の命令などなかったという証言の方が数多く聞かれたと云う。隊長の赤松大尉や梅澤少佐についても、軍人らしい厳しい面はあったが、温かく人情味のある人だったと云う声も広く聞かれた。集団自決を命令するような、鬼のような人間とは、どうしてもイメ-ジが重ならなかったと云う。そこで曾野さんは、「住民集団自決は軍の命令だった」という説を白紙に戻し、根本からこの問題を調べ直すことにしました。そして、出版したのが「ある神話の背景(沖縄・渡嘉敷島の集団自決)」という本です。この本によって住民の集団自決は軍の命令だったという説は完全に覆されたのでした。沖縄タイムスのライタ-も大江氏も一度も現地に行かずに、それぞれが想像で創りあげた「鉄の暴風」と、それに更に膨らし粉を混ぜて創作した「沖縄ノ-ト」。大江氏は、この作品で明らかに世界的に有名となり、なんとノ-ベル文学賞も受賞しています。これが真実であり、ここまでがこの問題の第一の捏造です。しかし、残念ながら、世界中の多くの人々や日本人の多くの人達さえ、沖縄での集団自決は軍の命令によるものと今でも信じられ、思いこまれています。何故でしょうか?「日本軍は鬼のように全く酷い軍隊だった」。ヒットラ-率いるナチスのユダヤ人大虐殺と、同レベルか、それ以上の野蛮な軍隊であったと印象づけています。世界中で二千万人以上が死亡したと云う、無慈悲で悲惨なあの戦争を憎む的を、何処かに向けたいのはその時代を生きた人々の、また人情です。しかし、同じ作家である曾野さんが、再調査して事実を本にして証明し、出版すらしてくれたのです。その理由は、さらに次の捏造事件が加わったからなのです。(つづく)
2013年07月11日
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