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【126】 翁
某
の 駅
の 旅舎
に 宿泊
せらる、 床
に「 人
常
に 菜根
を 咬
み 得
ば 則
ち百 事
做
すべし」と 書
ける 幅
あり、 翁
曰
く、 菜根
何
の 功能
ありて、 然
るかと 考
ふるに、 是
は 麁食
になれて、 夫
を 不足
に 思
はざる 時
は、 為
す 事
皆
成就
すと 云
ふ 事
なり。 予
が 歌
に「 飯
と 汁
木綿
着物
」とよめるに 同
じ、 能
き 教訓
なり、 又
傍
に「かくれ 沼
の 藻
にすむ 魚
も 天伝
ふ 日
の 御影
にはもれじとぞ 思
ふ」とかける 短冊
あり、 翁
曰
く、 此
の 歌
面白
し、 夫
れ 米
は 地
より 生
ずる 様
なれども、 元
は 天
より 降
るに 同
じ、 太陽
日々
、 天
より 照
す 処
の 温気
が、 地
に 入
り、 其
の 力
にて 米穀
は 熟
するなり、 春分
耕
し 初
むる 頃
より、 秋分
実法
るまでを、 尺杖
の 如
く 図
して 見
よ、十 日
照
れば十 日
丈
け、一 月
照
れば一 月
丈
け、 地
に 米穀
となるべき 温気
が 入
りて 居
る 故
、 仮令
其
の 間
に 雨天
冷気
等
ありといへども、 夫
まで 照
り 込
ん で
居
る 丈
けは 実法
るなり、 然
れども 人力
を 尽
さゞれば、 実法
少
きは、 耕
し 鋤
き 掻
きの 功
多
ければ、 太陽
の 温気
地
に 入
る 事
多
きが 故
なり、 地上
万物
一つとして、 天日
の 御影
にもれたる 物
はなし、 海底
の 水草
すら 雨天
冷気
の 年
は 繁茂
せずと 云
へり、 左
もあるべし、 此
の 歌
、 歌人
の 詠
るには 珍
らし。
【126】尊徳先生はある宿場の旅屋に宿泊した。床の間に『人常に菜根を咬み得ば則ち百事做(な)すべし』と書いた掛け軸がかかっていた。先生はおっしゃった。「菜根が何の功能があって百事がなるというのかと考えてみるに、これは粗末な食事になれて、それを不足に思わなければ、行う事は皆成就するという事である。私の歌に『飯と汁木綿着物は身を助くその余はわれを責むるのみなり』と詠んだのと同じだ。よい教訓である。」
またそのかたわらに『かくれ沼(ぬ)の藻にすむ魚も天伝(あまづた)う 日の御影(みかげ)にはもれじとぞ思う』と書いた短冊がかかっていた。先生はおっしゃった。「この歌は面白い。米は地から生ずるようだが、元は天から降るのと同じだ。太陽が日々、天から照らすところの暖かい気温が地に入って、その力にて米穀は熟するのである。春分に耕しはじめる頃から、秋分に実るまでを、尺杖(しゃくじょう)のように図に書いてみるがよい。10日照れば10日だけ、一月照れば一月だけ、地に米穀となるべき温気が入っているから、たとえその間に雨天や冷気等があったとしても、それまで照り込んでいるだけは実るのだ。しかし人力を尽さなければ、実りが少ない。なぜかといえば、耕して鋤ですきかく働きが多ければ多いほど、太陽の温気(うんき)が地に入ることが多いからである。地上の万物は一つとして、天つ日のみ影にもれた物はない。海底の水草ですらも雨天や冷気の年は繁茂しないという。そうであろう、この歌は、歌人が詠んだものには珍らしい。」
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