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自転車に戻り、浜大津港に向かって下りました。ミシガンが接岸し、芝生には家族連れが楽しそうにしています。琵琶湖岸を東進します。いい風が吹いています。はるか沖のレース艇が見えます。全部で100艇ぐらい出てるようです。たくさんレースが出来そうです。次男もたくさん楽しめそうです。「大津プリンスホテル港」という桟橋があり、横を見上げると高層のランドマーク・プリンスホテルが建っていました。「近江大橋」から瀬田川沿い右岸を南下します。遊歩道が整備されており、釣り糸を垂れる人が大勢います。大津港からずっと釣り人だらけです。レトロな可愛い船で瀬田川を遊覧する遊覧船が桟橋にいます。その出発を見送り、自転車で桟橋から下りてきた係員さんに声を掛けます。「大人1300円で、1時間遊覧。次は石山寺桟橋から出ますよ」って、教えてくれます。ミシガンより随分小さな船なので、こっちの方が楽しそうです。係の方は、自転車で陸路石山寺桟橋に向かうみたい。なんだか楽しそうです。いつか乗りましょう。瀬田川は、ボートのメッカ。各大学の艇庫が並び、ボートを整備しています。「瀬田の唐橋」下の川沿いでお昼ごはんしてる女学生のところで休憩。そこに京大ボート部艇庫がありました。へえ~ここだったのか~。川沿いの散策道がなくなりR422に乗ると、すぐに「石山寺」でした。山門前に自転車を置こうと思ったら、駐車場整理の人がやってきて駐車場内にそのスペースがあるのだとか。石山寺は、紫式部が源氏物語を書いたところで有名ですね。伽藍を回り、紫式部の像を写真に収め、下りてきました。山門を出ようと思ったら、向こうから「おおつ光君」がやってきました。「おおつ光君で~す」と、お姉さんに手を引かれながら、ゆるきゃらぬいぐるみが来ます。家内との2ショットを写真に収めました。ここで昼食を目論んだのですが、4組待ち、お隣は「40分ぐらいお待ちいただかねがばりませんが・・・」の言葉で退却。仕方ないので、さらに南下し「瀬田の洗堰」を観て、ここで昼食・・・有名だと思うのに、お店屋さんがありません。「う~む」、家内が燃料切れになりそうですが、ここから帰路・石山寺方面に戻ります。地元の幸を賞味したいが、それにこだわらず適当なお店を探していると、ちょっと古めのお食事処が目に入りました。家内からのダメ出しが出るかなと思っていたら、お腹の減りがそれを上回ってるようで、あっさりOK。店内は、地元のお客さん1人、店主さんとその奥さんという、昔はどこにでもあったお食事処です。手書きのメニューを見て、「定食ありますか?」と聞くと、黒板を示され、「今日の定食はこれ、この品みんな付くの。ご飯の量だけ選んで」と。家内は小、僕は中を注文。魚・シジミの味噌汁・お漬物・・・840円にしては豪華です。目の前の瀬田川のシジミというご当地の幸も賞味でき、味もとても美味しい。2人して、「美味しいねえ。石山寺がダメで良かったねえ」と最高のお昼ごはんになりました。往路の道を帰るしかなく、時間的にもレース終了が迫り、京阪坂本線「石山寺」駅から電車に乗ることにしました。途中浜大津を通るので、混み具合が気になりましたが、座席が埋まることなく、自転車乗車でもヒンシュクを買うことはありませんでした。「皇子山」駅下車。再び自転車を組み立て、ハーバーに戻ります。3時過ぎですが、既にレース艇は着艇していました。自転車を車に載せ、艇庫に下りました。家内から次男との2ショットをせがまれカメラを出すと・・・次男の後輩OB君が撮ってくれました。ここで僕らは帰宅。名古屋方面は、京都ICからずっと渋滞でしたが、反対はスムーズで楽しい1日を終えることができました。
2011/05/06
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日曜日、先月ツーリングをご一緒した方々と桂PAで別れ、僕はすぐに「京都南IC」で下車。R1を「東寺」。五重塔を横目に「東大路通り」を北上し、大学正門到着。改修中で、時計台前に直接車が入れません。守衛さんから教えてもらったスペースに駐車して戻ると、昨秋の全日本470中、我が家で合宿した2回生T君がやってきました。現役や若手OBが車でやってきて、新入生も集まってきました。今日は30数名やってくるそうです。「えっと、恒例の折田先生像は、今年も出た?」「ありましたよ。もう撤去されちゃいましたけど」「ガーン、僕は毎年春最高に楽しみにしてるのに~」僕は第3陣で新入生を満載して出発しました。北白川から「山中越」で琵琶湖・近江神社に抜けます。戦乱の世、この山道を数々の軍勢が京都に攻め上り、敗走・凱旋したのでしょう。僕は京都・琵琶湖ピストンを1回だけで、レスキューに乗り込みます。2回生O君と、次男同期のI君と、同じく当時男子部員人気No1だったマネさんで、レスキュー担当です。この時期、各大学とも新人勧誘真っ盛りです。仏大はハーバーでなんやかややってるし、沖ではリッツも新入生を乗せて走っています。マークを4つ落とし、試乗会エリアを限定し、その中心にアンカリングします。インフレータブルでハーバーからやってくる新入生を各ヨットに載せ替える基地です。2種類のヨットに乗るので、トラピーズハーネスの着せ替えなど、仕事はいっぱいです。第1陣が乗ってきて、第2陣がやって来たときに電話が鳴り、なんと車が足らないから大学正門まで来て欲しいと・・・慌てて、アンカーを上げてハーバーに戻り、僕だけ下船。また山中越えして大学正門へ。また部員満載して琵琶湖に戻ります。艇庫で部員にレスキュー艇のことを聞くと、僕の代わりが乗ったとのことで、陸上待機することにしました。新入生にヨットの事を説明するのをひと通り聞き、マネージャー手作りおにぎりで腹を満たし、ハーバーうろうろに出かけました。琵琶湖ジュニアのお母様方と思われる方々が、お茶してます。元ボートレース建物横の倉庫が開いており、中を覗くとOPが入っています。お茶してるお母様方に声を掛けて、琵琶湖ジュニアの元艇庫を教えてもらいました。前の艇庫と、そんなに大きさも環境変わらないね。ハーレム状態で、コーヒーやお菓子をご馳走になり、あ~だこ~だおしゃべり。息子の大学先輩で、琵琶湖ジュニア選手現役パパさんのMさんが来られて、またペチャクチャ。夕方になり、OPが戻ってきたので艇庫に帰ると歩き出すと、「あれっ?何でここに?最近バイクに乗ってるんやてねえ」って、琵琶湖ジュニアパパOBのYさんに声を掛けられました。「いやあ、新人勧誘の手伝いで・・・」中学生の時、僕がアセアン選手権に連れて行った息子さんは、ロンドンオリンピックまっしぐらです。またあ~だこ~だ喋ってると、「あれ~、なんでここにいますん?」って、リッツのS君がやって来ました。早いもので、もう4回生になったそうな。親御さんも元気だそうです。またあ~だこ~だしてると、今日琵琶湖ジュニアコーチしてた次男と同学年の元琵琶湖ジュニアN君が、そしてTちゃんが・・・。結局試乗会が終わるまで、あ~だこ~だで楽しく過ごせました。試乗会が終わり、合宿所で鍋です。また手作りおにぎりで小腹を満たし、終了の7時半を待ちます。全部終了して、また新入生を満載して「山中越」で大学正門まで戻り、お終いです。
2011/04/19
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メタセコイヤ並木を初めて見物し、用事のため京都市街地に入りました。JR京都駅ビル駐車場は、バイクが停められませんでした。駅南の八条口駐車場は、バイクOKで1回400円でした。用事は、コーチしてる大学ヨット部の卒業式です。今年の追いコンは、いつものところと変わり「グランヴェルジュ京都七条倶楽部」というところです。本職は結婚式場だそうです。七条に面し、JR京都駅にも近いこじんまりした2F(3F)建てです。1組しか出来ない広さなので、落ち着いています。OB会長さんの挨拶に始まり、乾杯・歓談・・・挨拶の最初は僕でした。いつもは、卒業生それぞれのエピソードなどを交えるのですが、今年は東北関東大震災に絡めて、我が家の阪神淡路大震災のことを。卒業生の次男の震災後の流れを話し、今までの人生・これからの人生の出来事が、みんな次に繋がっていることを話しました。それから、後にボランティア元年と言われるようになった避難所での若い子達の大活躍を、僕から見たその時の若者の姿をしゃべらせてもらった。避難所には震災2日目には、完璧な収容者名簿が出来上がっていた。子供たちが校庭でサッカーをして笑っており、それを大人達が見て笑っていた。卒業生たちに、自分たち若者の持っているパワーと、どんな境遇になっても前を将来を向いている力を、大いに笑って発揮して欲しいと。学部での自分の研究、ヨット部で身についたことを底辺に、これから進む次のステージでも一生懸命やって欲しい。避難所での若者のように、君たちの力で周りを盛り上げて欲しいと。午後8時に終了。JR京都駅まで歩き、いつものように円陣を組んで、卒業生へのエール、応援歌、琵琶湖周航の歌を歌い解散になりました。その後、またブレザーからバイク装束に着替え、名神高速で帰宅しました。京都市街地に入ってから給油しました。304km/9.34L=32.5km/L。山道・路肩に雪の盛られた道で、低いギアで超減速走行した割にはいい燃費でした。
2011/04/06
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日曜日、行く予定だった琵琶湖でのレースが中止になったので、家内の実家の墓参りに行くことにしました。クラブの先輩からは、昼から浜でバーベキューの誘いもあったけど、午後から大学ヨット部のコーチングに行くことにしました。今年初です。朝6時に家内と家を出発。中国道・山陽道を西進しました。1週間前は、災害救援の自衛隊車列とすれ違ったけど、それはなかった。燃料不足もあるので、交代までの現地滞在期間を伸ばしているのだろうか?お墓は、姉夫婦が参った後なのでお花も綺麗です。それを聞いてたので、家内は我家の庭に咲いてる黄色いスイセンを切ってきました。上手に黄色を活け、かなり素敵に色だられました。こういうセンスは、男にはないものだなあ・・・と大いに持ち上げておきました。帰路にあるSAに2ヶ所寄り、小洒落たロールケーキを探しましたが、それはなくチーズケーキを購入しました。帰宅後、家内は眼鏡屋さんに寄ってから教習所に向かいます。僕は琵琶湖行きですが、何で行くかが思案のしどころです。VTR250で亀岡・清和天皇陵回りが面白そうだけど、午後が雨予報で、しかも4mmという結構な雨、残念な帰路になりそうです。通勤リード110でもいいけど、車載ムービー撮れないし・・・災害の時でもありガソリンをより食う車は使いたくないけど、クラブに支援物資を運ぶという口実を見つけて車利用にしました。和歌山の有田で農園をやってるヨット仲間から購入したオレンジを車に積みます。オレンジは、みかんより皮が厚いので、出荷が今頃からです。冬果物でも、春に入ってから集荷する方が、甘みを増すと聞いています。塾して落ちる寸前が甘いのだとか。そういえば、我が家の柚子は、11月頃からいい色になるのですが、鳥は見向きもしません。ところが、3月に入ると大人気で、日に日に鳥に食べられて実が減っていきます。このオレンジも、みかんと比べるとずいぶん甘いです。これで皮が薄いと剥きやすいのですが。家内からは、家で食べる分は間引いたから、後は全部持って行ってあげたらいいよとのこと。チーズケーキとカッパなどを積んで出発しました。京都IC出口は混んでいます。京都東ICまでも混み気味で遅めの速度になりました。変に被災他地域経済が縮小しちゃうと被災地へも影響しちゃうから、これでいいと思う。琵琶湖到着は11時。艇庫がハーバーに移り、今までの艇庫兼合宿所前からの出艇ではありません。どっちに行こうか迷ったけど合宿所に向かいました。女子マネのHちゃん1人で昼食の用意をしています。すごいね。オレンジの箱と、女子マネさん用に買ったチーズケーキを差し入れました。学生時代、息子の健康を食の面から守ってくれたマネさん達には、どれだけ感謝しても感謝したりません。入部したとき、これで合宿・練習中だけでも、バランスの良い食事が食べられると安心しました。家内の姉夫婦は、姉の下宿に兄が飯を食いに転がり込んできて、そのまま現在に至るのですが、食はとても重要です。しばらくしてみんな帰ってきました。午前中、風がなく早めにハーバーバックして、艇庫の掃除をするそうです。来月の新人勧誘試乗会の用意などを始めました。お昼ごはんは、いつも通り美味しい。より味に厳しいマネさんは、味が濃い目とか言ってたけど、みんな美味しそうにおかわりをしています。マネさんたちを乗せてハーバーまで車移動。元ジュニアの艇庫だったところです。ジュニアは何処に行っちゃったんだろう?艇庫裏にジュニアの艇が並んでたから、外から持ってきてるみたいです。今まで砂浜出艇でしたが、スロープ出艇はいいね。桟橋にレスキュー艇が常時置かれているので、支援艇の出艇の手間もかかりません。これで合宿所が隣接地に建設できるといいです。1m/sほどの弱い風の中、ショートラウンディング。風が弱いので、タッキングやジャイビングを増やして、ロールの精度を上げて自分で風を作ってより早く走る練習です。続いてロング帆走練習。470のM組が速くなっています。風が上がるとまずまずのスベリを見せるのですが、軽風・微風が弱点でした。まだメインシートトリムが少ないので、その辺をアドバイスしました。練習時間が残り30分を切ったので、ラダーレス練習をしました。アビームにマークを打って、自由にそこに向かいます。最初おかしな方向を向いてた艇が、みんなマークを向かうようになりました。舵がないと、微妙なバランスで行き先が決まるので難しいです。船の直進性を増すには?左右ヒール・前後ヒール・乗る位置・・・いろいろ学べたと思います。4時ぐらいまで雨が降りませんでしたが、とうとう降って来ちゃいました。でも4mmまでは上がらず、霧雨~小雨まででした。6時前に練習終了。合宿所に戻り練習レポートを書き始めます。「お茶、どうですか?」ってマネさんが・・・嬉しいね。夜のミーティングが夕食後になったので、僕もご相伴になりました。唐揚げです。こりゃ家内の夕食は食べれないなと思いながら、しっかりいただきました。うまい。感じたこと・技術的なことを伝えて、帰路に着きました。帰路も小雨程度で、これならVTR250で来たら良かったなと思いました。次は来月の新人勧誘試乗会の手伝いです。楽しい1日でした。
2011/03/22
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今日は寒いです。天気予報では、1月中旬から下旬の気温と言ってました。でもここで体験できたので、これならこの冬も乗り越えられそうな気がします。明日が寒さのピークで、また最高気温が10度を上回るようになるそうです。海に出たこないだの日曜日も楽でしたが、次の日曜日も楽なようです。次は、ヨット部先輩のヨット部葬で、また海に出ます。今度は、家内も乗ると言ってるので、気温も高め・風弱くがありがたいです。家内が、「私も行こうかな」と言ったのは、僕の葬儀の時を考えてのことだと思います。僕の同年輩のOBから、「海に散骨したろか」なんて声が出た時、一度体験しておくといいかな?と思ってるのでしょう。今まで、散骨の様子を面白おかしく話してたから見たくなったのかも?タッパウエアに入れられた遺骨を奥さんにパラパラと撒かれ、最後に裏返しのタッパウエアのお尻をポンポンと叩かれてたり、骨壷ごとドボンというのもありました。本骨からどれぐらい海に持ってくればいいのかとか・・・まあ、適当にやってくれたらいいです。次の日曜日は、三田マスターズマラソンに、僕の高校同級生が出るので、その応援に行きます。スタート前に激励?プレッシャーを与えに行き、すぐにハーバーに向かう算段です。三田は人が多そうだから車はやめにしてバイクで行く予定です。三田から六甲のトンネルを抜けて西宮まで・・・寒かったら路面凍結もあるので、どうか暖かくお願いします。
2010/12/15
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日曜日の朝、「気ままに寄り道バイク旅」のコピーを見て、8時半になったので、朝風呂入って車で出発しました。途中で朝食を買い、ハーバーに向かいます。センターハウスのトイレに向かうと、M君と会いました。僕がジュニアナショナルチームの監督でタイに行ったときの選手です。当時中学生だったのに、もう大学を卒業して社会人になっています。マッチレースの練習に来たそうです。親父さんの様子を聞くと、実家を出て1人暮らししてるようで、会社でしか会わないのだとか。元気にしてるようです。桟橋でいつもレース運営してくれるヨットクラブ職員Yさんとすれ違い、レース艇に人が集まっています。今日はクルーザーレースのようです。クルージング艇に乗り、夏に僕が上げてしまったバッテリー1につなぐと、セルは回るけど力が弱くエンジン始動までには至りません。バッテリー2につなぐと、2週間ぶりにエンジンが回りだしました。前回は、次男の全日本の観戦を家内とした時です。僕の車以上にエンジンを掛けないので、エンジン始動までは少し不安です。十分に暖機運転し、その間にトイレ掃除やボースンチェアの点検をします。10時を回ったので、ボースンチェアを持ってセンターハウスに向かいます。ヨット用品店に寄り、ここで店員さんやってる次男の同級生女子にボースンチェアの使い方を聞きます。僕の思ってた通りでした。何年も使っていないので一応確認です。それと、うら若き女子との会話は素敵です。隣のノースショップに寄り、ウロウロ物色してるとスターボ・ポートステッカーが目に入り、バイク便ボックスに貼るために購入。630円の散財です。今日一緒に乗るY君から電話が入りました。「10分ほど遅れます。すいません」「今何処?」「大橋を渡るところです。駅から歩いてきました」。京都から阪急で来て、今津駅から歩いてきました。阪神西宮やJR西宮ならまだ分かるけど、阪急今津から歩きなんて、遠いやろ。1時間弱だって。やがて全員揃って到着。僕がコーチしてる京都の大学ヨット部の毎年恒例になってる卒業クルージングです。まあみんないろんな都合があるので、全員参加ではない。4回生が3名なので、現キャプテンに12名の定員まで、下級生から声を掛けてもらいました。4回生卒業生プレイヤー2・女子マネージャー1・3回生女子マネ1・1回生プレイヤー2・女子マネ2の8名です。まず男子の人選。4回生Y君と1回生S君が60kg少しということでY君に決定。船に向かい、Y君にボースンチェアを履かせて、メインセイルのハリヤードでマストトップに引っ張り上げます。マストトップの風見がカモメの悪さで360度回転しなくなっています。ランニング角度の目安のために付けられているピアノ線が上に曲がり、ウインデックスに当たっています。曲がってるピアノ線を元に戻してもらい、直りました。これで僕がマストに上ることはなくなりました。北風3~4m/sです。桟橋から船が離れる方向に吹いてるので、1回生に船の動きを教え、桟橋作業手順をレクチャー。離岸成功。西出口から沖に出てすぐにセイルアップです。フルセイルで沖の赤灯台を目指します。卒業生にステアリングを交代し、続いて1回生マネージャーSさんに交代。キュロット&タイツという冬の海上をなめた格好です。「寒くない?」「寒いです」カッパの下を貸しました。続いてTさん。彼女も下がジャージで寒いということだったのでカッパの下を貸します。帽子なしだったから僕の帽子を貸し、2人とも手袋なしだったので家から持ってきた軍手を2組貸します。女子が乗るときは、こういう点数稼ぎアイテムを忘れません。僕は女子には優しいです。この2人可愛いいので余計です。赤白灯台から大阪湾に出て、IRCのレース海面に向かいます。マネージャーも日頃レスキュー艇をドライブしてるので、すぐに慣れて真っ直ぐ走らせます。灯台を越えると風速が上がったので、1ポイントリーフしました。IRCのランニングフィニッシュを観戦して帰路に着きます。12月で陽が短いので、4時を回ると暗くなりだすから早めに港内に向かいます。マストトップに上ったこともあり、もう1時半を回っています。港内に入り、1回生にヘルムス交代です。来年以降の戦力なので、ハーバーまでのクローズステアリング担当です。S君はティラーとステアリングの逆になる特性に迷い、最初反対に動かしてタックしてしまいましたが、すぐに慣れました。時折6m/s前後のブローの入るいい感じの海面ですが、メインシートトリマーの4回生S君がヒールが入るとすぐにシートを緩めるのでエキサイティングなヒールが来ません。センターボードのディンギーだと、ヒールすると横流れしますが、キールという鉛が船底にぶら下がってるクルーザーは少々ヒールしても横流れが少ないです。我慢を支持し、風の強弱でのヒールにワーワーが始まりました。まあそれもすぐに慣れましたが。Sさんが下側に座って平気にしてるのが印象的でした。度胸あるな。先月ここであった470全日本で、次男のクルーをしてくれたT君にステアリング交代。一旦赤灯台方向の下におり、クローズでハーバーに上ります。クエスチョンタックになっていましたが、すぐに慣れて最後の方はいい感じになっていました。470チームは人数が少ないので、T君は来年1回生が入部すればスキッパーになると思われます。いいセンスを感じたので、きっとやってくれるでしょう。桟橋に戻り、いつものパターンでヨットクラブのレストランに向かいます。レースやってたから、年間表彰式で貸し切りかもしれないなと思ってたら、案の定半分貸し切りだったので1Fレストランにしました。レースに出てたクラブの先輩に挨拶。僕はケーキセットにしましたが、みんなはホットとかティーとかの単品でした。5000円でお釣りでラッキー。家から持ってきた先月の長男の結婚式写真を見てもらいました。女子が半分いるので、ウェディングドレスは大きな関心事です。誰と誰がどうのこうの・・・、バイクの話、ヨットの事・・・楽しいアフターセイリングでした。琵琶湖湖畔の艇庫で活動する学生にとっては、ここは別世界のようで、大きなヨット&暖かいレストランで楽しめたようでした。お開きにして帰路です。僕を入れて9名。阪急の方が安く京都河原町まで行けて便利というので、今津まで送りました。マストトップの懸案問題も解決し、楽しい1日になりました。
2010/12/14
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今日は次男の全日本選手権最終日です。朝6時半、家内と2人で見送りました。強風が予想されるので、ファイトです。土日2日間の予選が終わり、次男は後半2日間の決勝をゴールドフリートで戦います。上位34選手です。後輩は残念ながら、下位34艇のシルバーフリートです。でもまだ2回生で全日本に駒を進めただけで大したものです。昨夜、仕事から帰宅し彼らの部屋に行くと、うれしい知らせがありました。シルバーの2回生君が、なんとトップフィニッシュしました。クルーはOBですが快挙です。レベルが落ちるとは言え、地方予選を勝ち上がってきた各地区のトップ選手です。すぐに監督に連絡しました。コートしてもとても嬉しい。来シーズン、琵琶湖でブレイクしそうな予感です。息子たちが出て行った後、家内の指示に従って泊まった家の片付けです。シーツを全部剥がして洗濯です。次の週末は、母の一周忌で長男夫婦が泊まります。メガネの忘れ物がありましたが、綺麗に片付けられていると家内は感心していました。まあ体育会のクラブなので、「自分の食べた食器は自分で洗う」「自分の布団の出し入れは当然」「毎日艇庫を掃除する」、女子マネージャーがいたって、ちゃんとやります。我が家の男子全員体育会なので、世間で斜めに見られやすい風潮の中、なんだか嬉しいです。今日の昼休み、通勤リードでレース会場まで飛ばし、忘れ物を渡してきました。やはり強風だったようで、お昼までに最後の3レースを消化したようで、既にレース艇はハーバーに戻っていました。次男は、久しぶりの強風でおもろかったと笑っていました。
2010/11/23
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金曜日から次男含む若者が4人我が家に泊まっています。僕のホームポートである2人乗りヨットの全日本選手権に出場するためです。次男は、金曜と今日月曜日に有給を取り、木曜日の夜琵琶湖の母校艇庫で用意し、金曜日に船をトラックに積んで移動・計測しました。後は後輩で、院生1・学生2です。1年間でヨットに乗るのが、全日本の地方予選と本戦のみ。ようこんなんで予選を通るものです。自転車同様、一度覚えてしまえば操作は忘れませんが、レースで上位を走る微妙なスピード感覚は、乗れば乗るほど磨かれます。「あなたも出たらいいのに」と家内にけしかけられますが、船もクルーもいないのにそれは無理ですね。今レースに出てる3人乗りが、今の僕には合ってるかな。でも次男には、環境の許す限り2人乗りをずっと続けて欲しいと思います。オリンピック種目でもあるので、日本で一番レベルが高いクラス。結果はどうでもいいけど、いつもチャレンジャーであってほしいです。それに、仕事と家庭だけの人生なんて面白くないです。日曜日は、家内とレース観戦に行きました。クルーザーを出したのですが、クルーとしてアテにならない家内なので、いくらエンジンでの機走といえども10mもある船なので不安です。クラブの監督さんに連絡すると、見に来るということなので安心して出艇できました。ヨット経験者がいると、段取りが阿吽の呼吸になるのでありがたいです。朝の第1レースは、5m/s程の北風でスタート出来たのですが、2レース目は少し落ち、その後は風がなくなり、この日は2レースのみでした。(上位を追いかける次男。前に10艇・後ろに50艇います)土曜日も風が弱く、合計で4レースで予選が終わりました。さすがに各地区予選を勝ち抜いたメンバーで、レベルが高いです。特にロンドンオリンピックを本気で狙ってる10艇弱は、毎日のように練習してるので明らかにボートスピードがあります。帰り際、次男同様ジュニア上がりの北京代表の子が僕を見つけて声を掛けてくれたので話したのですが、上位5艇ほどは殆ど差がないそうです。(レース海面に出艇)65艇出場しており、2日間の成績で上位半分のゴールドフリートと下位のシルバーに別れ、決勝の2日間は、それぞれのフリートでのレースになります。次男はゴールドに残りましたが、もう1艇はシルバーになりました。でもこういう社会人も出場するレベルの高いレースに出場すれば、たとえビリでも大きなものを得ることが出来ます。特に次男のクルーは、大学からヨットを始め、本格的に2人乗りに乗り始めたのがこの秋からだから初心者に近い。こういうクルーを積んで日本のトップ30に残る次男もすごいですが、このクルー君はいきなりトップ30とはラッキーなヨット人生の始まりだと思います。(夕日の輝く海面で)レースの成績表を見ると、次男の所属が会社のヨット部となっていました。どうやらたった1人のヨット部を、会社で作ったようです。特別な有休もなし、活動資金もナシでしょうから、ふたつ返事で会社のOKを取ったのかな?こういうことをする次男が面白いです。そして好きなところだな。陸上から遠く離れた所でレースをやるので、息子の試合なんてほとんど見たことがない家内なので、とても喜んでいました。僕のレース解説が分かったのだろうか?写真撮ったり、出艇するとき「ター君頑張って」なんて叫んでいました。本人は恥ずかしいでしょうが、親が一度も僕のレースを観に来てくれなかった僕の経験では、内心喜んでると思います。何も知らない母親の黄色い声って、「よ~し」なんて気になるかも?僕は、息子のふんどしを借りて、ちょっと奥さん孝行が出来ました。僕の株、少々アップです。
2010/11/22
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日曜日は、3人乗りヨットの今シーズン最終戦でした。そして、一番ボートスピードがあると感じるJ28への助っ人乗艇で楽しみにしていました。ところが、東京から帰ってきてからどうも体調がイマイチで、家内からは「新郎の父も疲れるのね」なんて言われながら、なんとか仕事をこなしていました。ところが、土曜日になって絶不調。なんとかその日の仕事はこなし早めに帰宅し、そのまま就寝。そしてお休みの日曜日は体調回復に努めるというのが、常識人のすることでしょうが、レースに行ってしまいました。今更僕が休んでしまうと、1艇出れなくなります。僕のチームのオーナーの先輩にも、助っ人に入るチームのオーナーの先輩にも迷惑がかかります。「メンバーが1人足らんのや、クルーを1人回してもらえんかなあ」「いいですよ先輩。・・行かせますわ」「そうか助かるわ」てな会話があったに決まっています。レースの方は、北東の軽風でブローを拾う風です。J28は中央のブローエリアを使ってフレに合わせてタッキングしながら上マークに向かいましたが、この風での定番ポートアプローチが伸びるに一気に行かれ、なんとビリ2回航になってしまいました。上回航で1艇、下回航で1艇かもって、下回航後即タックして大きく左海面に出ました。このコースは多くの先行艇も選択しましたが、ボートスピード爆発しました。上前で10艇身ほどリードされていた艇を下突破し、これまた10艇身ほど真ん前を走っていた本来の僕のチームに追いつき上突破してしまいました。フィニッシュはなんと3位。このクロスだけで6艇かもりました。以前、4カ国対抗でこの船のスキッパーをした時も、風が上がってもヘルムがニュートラルでとても乗りやすく、いきなりトップ回航できました。ボートバランスがとてもいいです。微妙なセッティングが出来ているのでしょう。この日の軽風も素晴らしいパフォーマンスでした。で、僕の体調がどうなったかというと、2日間寝込みました。社会人としてダメですね。・・・でも、せっかくのチャンスだったし・・・・・・最終レースたっだし・・・
2010/11/10
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昨日は、3人乗りヨットの全日本でした。計測・レースと3日間のレースでしたが、僕はいつものように日曜日だけ参加です。家内は、とうとう1週間を切ってしまった長男の結婚式の準備で、美容院他のスケジュールだそうです。レース最終日なので、レース艇はハーバーポンツーンに係留されています。艤装する必要がないので、9時にハーバー集合です。僕が着いたときには、もうみなさん集まっており、チューニングの話もありますが、馬鹿話も盛り上がっています。朝から、北東のいい風が入り、1日中4~8m/sの風に恵まれました。北陸や関東から遠征してきた船も加わり、いつものフリートレースより楽しい。ヨットの入門艇じゃなくて、他艇種を経たレーサーが集まってるので、レベルも僅差で実に面白い。僕は、ジェノアとスピンセイル担当のバウクルーでしたが、フリーが良く走りました。スピンレグになると、スキッパーのコース取りもありますが、毎回先行する2~3艇に追いつきました。クローズも中位ぐらいの走りでしたが、マーク際の団子でやられてしまいました。全12艇で、先行2艇と後続2艇を除き、8艇全部下マークでオーバーラップというのもありました。ビリ3から一気に3位争いまでフリーで追いついたのですが、僕らは一番外だったので、ゴチャゴチャしてる間に後続2艇にも内側に突っ込まれビリ回航になってしまいました。気が優しいし、ぶつけたら被害が大きいので・・・フリーでのフィニッシュ直前で、オーバーラップして下だったのに、追いだそうとしても外に避けず、先にフィニッシュされたり、強引な艇に優しすぎました。話の種に尽きない大笑いのレースでした。閉会式は終始和やかで、僕らはビリ3の10位でしたが、総合ビリの艇長は、「まさかビリになるとは思っていませんでした」の弁でした。常にトップの船もなく、ちょっとしたことですぐにビリに落ちるレベルの揃ったレースでした。やっぱりレースは面白いです。ヘロヘロになりましたが、楽しい1日になりました。日曜日の第1レースは、僕がコーチしてる時に小1で入ってきたY君が、広島ジュニアOBの大学4回生と女子2人積んでトップを引きました。う~む、また教えた子に負けちゃったし・・・
2010/10/25
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大阪地検特捜部の「証拠隠滅」容疑事件ですが、「証拠隠滅」というのは、不利な証拠を隠したり捨て去ったりすることだと思うので、どうも表現に違和感があります。「冤罪」と表現されているのも目にしましたが、「冤罪」とは、警察や検察が犯人だと思ったけど、間違ってしまったということなので、こちらの表現にも違和感がある。強力な組織の側が、一個人を「証拠を作って」で犯人に仕立て上げたということなので、ずっと罪が重いように思います。過去の冤罪にも、警察の捜査の強引さや無理な証拠立てが見え隠れしましたが、より公平だと思われる検察での嘘の証拠作りなので、強い恐怖を感じます。血気盛んでなくてはならない部分も必要な警察官が逮捕した犯人を、一歩引いた冷静さで警察から上がってくる証拠に照らして起訴するかどうか判断するのが検察の仕事を思うので、最前線と兼任し、熱くなりすぎてはいけないように思います。特捜部の検察内の立ち位置と、特捜部案件の起訴不起訴判断の部署を再検討しないといけないんじゃないかなあ・・・これを捜査している最高検は、最低限身内に甘い結論を出したらいけないように思う。むしろ、法律のプロ、犯人を追求する側だから、身内をより厳しく見るぐらいでちょうどいいと思う。僕は、学生時代のことを思い出しました。4回生の学生個人選手権の第2レース。僕は3位でフィニッシュした。フィニッシュ後、ブラックバンド規定を確認するために、上位数艇だけ本部船に呼ばれました。10m/s以上の風が吹いており、波で船も本部船も揺れる中、チェックが行われた。学生ヨット部が一番の目標にしている全日本学生選手権団体戦の前哨戦です。前日の第1レースは、15m/sオーバーの爆風が吹き、僕は2位に1マーク開けてダントツフィニッシュしていた。僕は、第1マークからトップで、同じ大学の僕の僚艇も2位で回航。果敢にスピンを上げて、爆走した。スキッパーの僕は、船がひっくり返らないようにセイルトリムを頻繁に、他を見る余裕がなく走った。クルーが、後ろを振り返り、後続の戦況を教えてくれる。2位の僚艇が沈。スピンを上げた3位艇も沈。後続は、大変な惨状になってる模様。10位ぐらいからは、安全策でスピンも上げない。ナショナルチーム合宿で鍛えられた僕は、強風に絶対の自信を持っていたので、沈するとは思わなかった。後ろを見る余裕はないけど、船は安定を保って走っていた。サイドマークでジャイブ、そして下マークダントツ回航。次の上マークもダントツ。ますます差が広がり、スピンを上げなくてもトップから落ちる差ではなくなっている。でもスピンを上げた。2回目の下マーク回航。もう沈する心配はない。風は相変わらず15m/sオーバー、ブローは20m/sを越える時もあるだろう。上マークから下りてくる後続艇を見ると、ほとんどの艇がスピンを上げていない。ダントツフィニッシュ。2位はまだ下マークを回っていなかった。このレースは、トラブル艇も多く、それ以降のレースは中止になって、この日は1レースだけだった。陸に上がると、僕のセイリングがそこここで話題になっていた。そんな話題の中に飲み込まれると、次のレースへの冷静さが損なわれると思って、早めに宿舎に帰った。レース委員会の中でも大きな話題になったそうです。学生で僕だけがナショナルチーム指定されていたのだから、今ならどうってことないことだと思うけど、今の数倍母校の勝利に現役もOBも熱かった時代だから、何とかして・・・なんてのもあったのかもしれない。そして翌日の第2レース。このレースも前日に続き吹いて、10m/sおーバーの風が入っていた。全艇、各水域の上位艇ばかりだから、沈艇続出というわけではなかったけど、福岡水域と関西水域の艇が上位で、ずっと王者として君臨してきた関東勢は形無しだった。しかも江ノ島という関東の地元で。僕は、このブラックバンド検査で失格した。検査の前、本部船横で船を止めて見上げたが大丈夫だと思った。第一、ブラックバンドより上にセイルが上がらないように、ワイヤーを引っ掛けるポイントがある。それ以上に上がっても、それを保てないので、すぐに適切な位置に下りるようになっている。陸上の公式掲示板に貼り出された失格艇は、全艇西の船だった。関東艇ゼロ。まあ当たり前で、上位艇しかチェックしていない。福岡水域の艇は、レース委員会に正式に抗議し、夜遅くまで審問していた。でも僕はしなかった。個人での全国制覇はこれでなくなったが、僕にはチームリーダーとして臨む団体戦での勝利の方が、この勝利の数倍重要だった。そこで見返してやろうと思った。夕方宿舎に帰ると、監督から電話で呼び出された。江ノ島の料理屋で夕食を奢るから来いとのこと。監督は、僕と僚艇の付き添いでこのレースに来ているのではなく、理事として、レース委員として来ていた。料理屋に僚艇とともに4人で行くと、監督がおり、「ほんまは、いくら監督といえどもレース中にレース委員と選手が接触するのは自重せなあかんのや。今日は残念やった。しっかり食え」と大枚を置いて出ていかれた。レースが終わり、地元に帰ってきて監督から顛末を聞いた。レース役員の中で、強風での水域レベル差が話題になっていた。特に関東OBさん達は、愕然としていた。翌日のレースで、今まで経験したことがないブラックバンド検査が、突然発議され、急遽上位艇だけに対して行われた。検査委員は、関東半分。僕の場合、関東の委員が全員アウト、その他委員がOKで同数、最後に残ったのが監督。監督の目視ではOKだと見えたが、アウトに手を上げた。そして僕は失格になった。「俺は、お前の先輩であり監督や。もし俺がOKに手を上げたら、たとえそれが公正な判断であっても、うちの学校が陰口を叩かれ後ろ指を指される。だから俺は、目をつぶってアウトに手を上げた。すまん」これを、僕は冷静な心で聞けた。なぜなら、日頃から監督がよく言っていた言葉だったから。審判になるときの朝のミーティングで、監督は「このレースは俺が審判をする。だから後輩であるおまえらにはより厳しくする。イーブンだと思ったらアウトにする。俺に判断されないように、圧倒的に前を走れ」。このブラックバンド検査は、その後尾を引いた。学生ヨット界を激震したと思う。今でも、たまにそのことを言う人がいる。でも当の本人の僕は、尾を引くこともなくさっぱりしている。忘れられない思い出だけど、恨みはない。青春のいい思い出とさえ思っている。監督のあの言葉と行動が、僕のその後の生きる指針ともなっている。身内に甘い裁定をしたレース委員さんは、本当に失格にした艇のブラックバンドは、違反していると見えたのだろうか?一点の曇りもなく、顔を上げて言い切れるのだろうか?運悪く失格になったけど、僕は前向いて堂々としていられる。最高検の判断如何で、市民からの信頼を失い、検察組織の大きな改変へと進む案件だと思う。こんな状況では、とても小沢さんを有罪にすることは出来ないだろう。もう腰砕けになっているに違いない。反対に、身内に厳しいしっかりした判断を下せば、市民の信頼を取り戻せるだろう。ここが崩れれば、犯罪者は増長する。弱い一般市民を弱肉強食から守るのが法律だと思う。犯人でない証拠を見つけて、それを改ざんしてまで罪人にするとはもってのほか。でも、この証拠を裁判で使わなかったのは、他の検察の良識が働いたのではと、少しホッとする。
2010/10/01
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出発が遅くなってしまったこともあり、8時前の帰宅になりました。急いで朝風呂・着替えを済ませ、デッドラインの8時半が近づいて、浜に向けて通勤リードで出発です。ここで大きな忘れ物に気付きました。時計です。レースで時計は必須です。仕事場に取りに行ってから、必死に飛ばしました。原付二種は、制限速度が車と同じなのでありがたいです。浜に着いて係留バースに向かいます。僕のチームの皆さんは、既にお揃いです。昨日は吹いてたそうで、他艇にトラブルがあり、無事帰還で楽しく遊ぼうとのこと。10艇参加で、3位と6位。まあ1艇はDNCで、T艇も途中でマストが折れるというトラブルでDNCだったので、真ん中辺の順位でした。定時に、先行するJ24がスタートしたのですが、風のフレが大きくなったようで、僕らのレースはAP、J24はノーレースになりました。一時南から風が入り、また東、さらに北と風は振れ、風速もあまり上がらないので、なかなかスタートが出来ません。僕らは適当なところでスタートしてもらった方が楽しいのですが、運営としては、そうはいかないところなのでしょう。KYC主催のオータムレガッタなので、日頃のポイントレースとは違う品質でした。そのうち、T艇がメインセイルを下ろしました。「どうしたんかなあ?」と近づくと、デッキの上でマストにヒビが入っていました。ヒビはほぼ一周回り、マストに打たれた細いプレートで立ってる状態です。吹いてる時こうなったら、マストが倒れて大惨事になったでしょう。多分マスト下部が前に飛び、本体はデッキ上に倒れて・・・想像したくありません。本部船が曳航してハーバーに向かい、僕らは適当に練習です。ハーバーから出てきたサポートボートに艇を渡して本部船が戻り、スタート再開です。北・2~3m/s。第1レースのラインは、ほぼイーブンですが少々本部船有利。左に伸ばした方が風があるようなので、アウター側から出る予定でしたが、5分前にスタートしたJ24は、本部船寄りの艇が伸びています。上2でスタート。リーバウJ27がタック。少々ベアして避けました。行けると思ったのでしょうが、無理ですね。新規参入チームなので、大目に見ます。上1のJ32が伸びます。下艇が伸び出し、J35がアヘッドまで上がってきたので逃げタック。しばらくしてJ28がタック、続いて他艇が次々タックして、ポートの走り合いです。左からのブローで、どうもやられてる感じです。右奥にブローがあり、そこまで粘ります。先に右に行ったJ27がタックを返してきましたが、はるかアスターンを抜けて行きました。予定通り、右からのブローが入り、タックした左海面の上艇に対して伸びていきます。上艇のバウが起きてきて、前も少なくなってきたのでタックするタイミングですが、きっかけのベアブローが入りません。コレというタイミングはありませんでしたがタック。弱いながらスターボの上りブローが続き、結局3艇身ほどオーバーセイルになってしまいました。順位を少々取り戻し、5位で1上回航。もう少し早いタイミングでタックしていれば、あと2つは前だったように思います。そのまま5位で1下回航。アヘッド先行J32がスピントラブルしてるので、即タック。行きたい左海面に大きく伸ばすいい位置取りができました。左先行したJ28が伸びてタックし、上後方で軽く2番手のJ28抑えながら走っていたトップ艇J35を捉えてトップが入れ替わります。J35は、そのままクロスし、左位置で次の左からのブローを期待してタック。そのアスターン気味でうちもタック。この左に行った3艇が左からのブローを受け伸び、うちは3番まで上がれました。J35が再び抜き返し、2上トップ回航、うちもJ28に追いつき、上マークでうちが先行ミートになりました。下受けのスペースがありそうでしたが、安全策でベアして3位回航。そのまま次の下マークでフィニッシュ。第2レースも同じような風速風向です。左に行きたかったのでアウター下1スタート。他艇はみんな、高い本部船寄りです。最初は負けていましたが、予想通り左が伸び始め、いい感じです。そろそろタックのタイミングですが、ベアセイリングのJ34が上から下りてきて、うちのサドンタック位置についてしまいタックが出来ません。「そろそろタックしませんか~」「Sさん、オーバーしてしまいますよ~」と声を掛けます。最初、「前に見えてるブローまで行くわ」と言っておられましたが、「タックするわ」とタックして行かれました。少し高さを取ってタック。最初いい感じでしたが、ブローが続かず、右に行った艇が復活し、乱戦気味になりました。中の上の順位を吐き出し、1上6位回航。今度はポートロングで早めにジャイブします。まあほとんどの艇がそうですが。そのまま1下6位回航。J28がダントツ気味で、以下6番まで団子です。先行艇が連続して即タックしたので、そのままポートを伸ばし、左に行くタイミングを探ります。集団と少し離れた位置でレグ序盤でタックして左海面に向かいます。団子先行艇が牽制しあって落ちてくれればと思ったのですが、そうは行かず中盤のミートでは6位のまま。初志貫徹、しっかり左に出します。2艇抜いて2上4位回航。1レース目に続いて、第2クローズレグは良いコースでした。ところが、風が落ち、右からブローが入ってきました。離れた1・2位を除いて、一番左にいたうちは、右目にいた後続艇に追いつかれ、一時7位。スピン担当の僕は、我が腕に期待を一身に受けていましたが、風がないのは仕方ないです。みるみる後続艇に追いつかれ、追いぬかれてしまいました。競り合う3艇がアウターを狙う中、より近いように見えた本部船フィニッシュを狙います。3艇が競いあって集団自滅を期待しましたが、そううまくいきません、でも1艇抜き返し6位フィニッシュ。これで本日のレース終了。楽しいレースでした。ところが、ここから地獄が待っていました。ハーバーバックに掛かるとすぐ風がなくなり、ひたすらパドリングになりました。運営艇は、さっさと帰ってしまうし・・・。キールだけで1トン近くある船をパドル2本で漕いでも、超鈍足です。センターボードディンギーのように、ロッキングして風を作り進むことも出来ないし・・・「KYCに電話して、引っ張りに来てとお願いできないのかなあ・・・」なんて思いながら、奴隷のようにパドリングが続きました。レグの3/4走ってやっと運営艇がやってきて安堵しました。ホッ
2010/09/29
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先週の日曜日の午後は、ゲストを乗せてのクルージングでした。午前中、バイクで「能勢・地黄」を探索し、ハーバーに着くと、まずはクルージング艇の点検。窓を開け空気を通し、トイレを十分に流します。先週僕のミスでバッテリーを上げてしまったので、エンジンがかかるかが問題です。Aバッテリーではパワーがなくてダメ、Bバッテリーは快調です。ソーラー充電できてるはずだったけど、バッテリー1個お釈迦にしちゃったかなあ?もう随分使ってるご老体だし・・・寿命かもしれません。センターハウスに戻ると、1FレストランのガーデンでS君発見。S君は、3人乗りヨットのライバル艇のクルーです。僕が、小学生で入部してきたジュニアクラブで教えた子・・・なのに、今ではレースで僕の前を走ります。なんでやねん。奥さんとお嬢さんが一緒のようですちょうど母校ヨット部理事会後の昼食を終えたところのようで、先輩方がヨットクラブレストランから下りてこられました。今日一緒に船に乗る、H大先輩と後輩SW君もいました。SW君も3人乗りヨットのライバル艇のスキッパー。クルーに、僕が母校大学ヨット部コーチ時代の選手もいる・・・なのに僕の前を走る・・・なんでやねん。S君に紹介され、奥さんとお嬢さんに挨拶。見知った仲なので、一家をクルージングに誘えば良かったかな?SW君のゲストがどんな方かわからず躊躇しました。ゲストは、SW君の高校アメリカンフットボール部の先輩の気さくな方でした。デッキシューズを買ったようで、気合が入っています。僕は普通の運動靴なのに。4人で出艇しました。風は南西・6m/sほど。初心者には風があるので、2ポイントリーフにしました。芦屋川出口を出たところでセイルアップ、エンジンを切ってゲストさんにヘルムス交代です。赤白灯台沖の観測塔手前まで出て戻ってきました。2ポイントリーフしたので、ヒールもさほどでもなく、ヘルムもニュートラルで、調度いい感じでした。時間にして2時間半ほど。堪能していただけただろうか?OPが練習していたので宣伝すると、興味深げでした。お嬢さんはまだ年長さんなので、数年後試乗にお越しになるかも?ハーバーに戻り、ウエットバーでコーヒー飲んでヒートダウン。3人乗りヨットで練習してたT先輩や桟橋の自艇におられたN先輩もやってきて、しばし歓談して解散しました。ここに来ると、母校ヨット部現役も練習してるし、先輩・後輩にいっぱい会います。バッテリー液を補充して、なんとか復活させてみましょう。
2010/09/18
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今朝の「早朝自転車」は、6時半に家を出ました。東に向かい、短い急勾配を一気に下ります。我が家は、猪名川の河岸段丘にあります。昔は、下ったところまで猪名川の流れがあったのでしょう。あるいは、大水が出ると、川の流れが変わり、こっちに来たりあっちに行ったりしていたのかな?今は、治水工事により猪名川は東に追いやられ、その間に広い耕作地・住宅地・工場が出来ています。JRも走ってるし。段丘の上にあるので、大水が出ても割合早く下に流れ、水で悩まされたことは一度もありません。猪名川の支流に沿った車の殆ど走らない道を下り、JRの駅横をかすめて猪名川を渡りました。僕の自転車の定番コースの1つです。7時前なので、駅横のバス停の列には、多くの通勤の方が待っていました。お仕事に向かわれる方の前を、どう見ても通勤ではないチャリンコで横切るのは恐縮します。猪名川を渡り、土手道を我が家の方に北上しました。この道は、バイクも走ったらダメなので、自転車と歩行者だけです。いつもより30分遅いので、通勤ロードバイクとたくさんすれ違いました。と言っても5台以上10台未満ですが。1台の通勤ロードバイクに抜かされました。皆さん、たすきがけに背中に荷物を背負いさっそうと走っていかれました。その中の数台は、時々この道で出会う方です。通勤ご苦労様、という気持ちで頭を下げます。ここ1週間ほど、朝それほど暑くないので助かります。遊びから始まる1日は、なんだかいいです。メールを開けると、ジュニアヨットの親御さんから、レースレポートと写真が届いていました。僕が担当してるヨットクラブのHPへの投稿依頼です。先週末、琵琶湖で大学ヨット部のレースサポートをしている間、ジュニアクラブの方は、佐賀県の唐津に遠征していました。西日本選手権という全日本に次ぐ大きな国内大会です。Aクラスと、ヨットを始めて1~2年のBクラスの両方で、我がジュニアヨットクラブは優勝していました。写真を撮られた親御さんが、無料写真アルバムサイトにアップされており、そのアドレスにリンクを張ります。100枚以上の写真がアップされています。その他に、優勝カップを受け取って破顔している写真や、遠征メンバー全員の集合写真、ピックアップ写真が添付されており、レポートとともにHPに掲載します。優勝カップ表彰写真は、背景のボケ具合が一眼レフの仕事を思わせます。そういえば、僕がジュニア親現役時代、デジタルじゃない一眼レフを厚手のビニール袋数枚にくるんで、海上に持って出ていました。パシャパシャ、子供たちの勇姿を写真に収めていました。集合写真の中央には、この大会名物の大きなガラスの優勝盾が2つ並んでいました。ひょっとすると、両クラス制覇は、私の息子たちが現役だった頃以来かもしれません。ちょうどその時、僕はクラブの理事長職で、僕は何も変わっていないのに、他クラブの方から祝福され、晴れがましかったのを思い出しました。コーチはしたけど、結果を出したのは子供たちなのに・・・僕は、わが子から、そしてクラブの子達から、いっぱいプレゼントをもらいました。そして今も、もらい続けています。子供は、無邪気な笑顔で、親の気持ちをポジティブにさせてくれます。子供は、悪さや失敗で、親の仕事を与えてくれ、それを解決していくことで、ちゃんとした親に成長させてくれます。そして、このような子供の頑張りで、親に大きなプレゼントをくれます。何も優勝する必要なんてありません。わが子の無心に頑張ってる姿は、どれほど親の心をウキウキさせるか・・・。他所様のお子さんの写真だけど、他人の僕にまでワクワク・ウキウキを与えてくれます。遠征に参加した皆さんは、今頃張り切ってお仕事してるでしょう。子どもって、素晴らしいです。
2010/08/27
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8/13(金)~15(日)まで、お盆休みしました。13日はクルージング、14日はお墓参り&ハイキング、15日は京都ツーリングという3日間を過ごしました。13日のクルージングは、高校ヨット部の同期との年1回の恒例行事に、家内と元ヨット部員の次男が加わりました。最初、家内と2人になる可能性もあり、ちょうど帰省している次男に声を掛けました。GFさんにも声を掛けたら?と、余計なお世話をしましたが、海外にいるそうで、それは実現しませんでした。親なんかと一緒に過ごしても面白くはないだろうけど、母親孝行という気持ちが多分にあったのだろう、気持ちよくOKの返事をくれました。家内は、子供たちに人気だからなあ。初めての母息子クルージングが、実現しました。船のエンジン修理が出来、2日前に同期にクルージングの誘いをだしたのですが、3人の同期全員からOKの返事が返って来ました。東京在住の2名もちょうどこの日に帰省で、タイミングが良かったようです。当日の待ち合わせは、11時にヨットハーバーでしたが、船の準備もあり1時間前に着きました。エンジンは一発始動。窓を開け、トイレの掃除。同期の奥さんも来る予定なので、ココは重要です。忘れてるかもしれないので、また家内に使用方法を説明し、掃除しだすと、「トイレの掃除がある、って言ってくれてたらいいのに」と、家内が交代してくれました。男ばかりで乗ってるので、トイレを使うことが少なく、水垢で汚れています。家内には、キツウに汚れてるように見えるのでしょう。旦那のトイレ掃除ではダメだと思ったようです。トイレ用ブラシがあったはずなのに、行方不明になってます。仕方なく、トイレットペーパーで掃除してくれました。僕は、みんなが早く来るかもしれないので、先にセンターハウスに戻ります。「一点鐘」でOPガラミを購入しようと思ったけど、置いていませんでした。次の太さのを購入。OPガラミは、メガネの流れ止めに都合がいいのに残念です。メガネのちゃんとした流れ止めを購入していると、テーブルの上のスポーツ・ゴーグルが目に付きました。船上の激しい動きの中で目を保護するゴーグルなので、少し厚めだそうです。色はクリア。顔の形にフィットして、ずれません。しかも、1600円ほどの安価なのに、下に老眼鏡部分があります。この位置が微妙で、前を見ると老眼鏡部分が視界に入らず邪魔になりません。細かい字を読むときは、下を見るか、ゴーグルと指で少し上げればOKです。社員がアメリカに行った時に、買って来たそうです。衝動買いしました。こんなゴーグル、今まで見たことがありません。素敵な買い物をしたと思います。家内と次男がやってきて、メンバーもみんな揃いました。ここで残念なことがありました。メンバーの1人が、母親の具合が悪くなったので、急遽見舞いに行くとのこと。高校時代、彼の家はヨット部同期のたまり場になっており、お母さんにもお世話になりました。奥さんもお嬢さんたちも、乗れなくなりました。センターハウスで記念写真を撮り、全員で桟橋まで行き、6人は乗艇し、出発しました。ちょうどこの日は、ジャパンカップのレース日でした。西出入口から出て、セイルアップ。海上自衛隊阪神基地に停泊してる掃海艇のような船を写真に収め、次男にヘルムスを交代し、赤白灯台を目指します。次男が、「交代します?」なんて同期に声を掛け、みんなハンドリングを楽しみます。はるか沖のジャパンカップの上マークを目指し、上マークでレース艇の回航を見物しようと目論んだのですが、さすがにレース艇は速く、僕らより遅れていた艇がみんな前に出ていってしまいました。レース海面の外からでしたが、レース艇のスピードやタッキング動作の俊敏さを、みんな感じてくれたようです。帰路につきました。赤灯台をクリアし、ジャイブしながら東出入口を目指しました。ここでヘルムスを交代し、入口手前でセイルダウンして入港。桟橋にデッドスローで近づき、もやいを取ります。メインセイルのレイジージャックが破れていたので、次男にメインシートでグルグル巻いてもらいました。ハーバー2Fレストランでお疲れさん飲食をしようと思ったら、どうやら貸切のようです。ジャパンカップの関係でしょう。1Fレストランで、みんなはビール、僕はクリームソーダを飲んで、どうでもいい話に花が咲きました。みんなを駅まで送って、帰宅しました。家内と通勤リード110スクーターで買出しです。翌日は、母の初盆なので、祖供養と仏壇のお花、長男も帰ってくるので、食料品を買い込みました。足元・前カゴ・リアボックス・ヘルメットボックスに品物を満載し、2人乗りで帰りました。大型ショッピングモールは、駐車場が混むので、車で行ったら倍以上の時間がかかるので、バイクの方がずっといいです。その後、僕だけスクーターでたまり場の同期の家に出発しました。お母さんは大したことがなく、予定通り夜の集まりです。昼間一緒だったメンバーに、中学からの同級生も加わり、ワイワイ11時ぐらいまで、またどうでもいい話に花が咲きました。昼間撮ったムービーも披露され、Y君のサングラスが海のも屑になった件などで、盛り上がりました。こいつらとは、腐れ縁というヤツです。これからも続くでしょう。
2010/08/17
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先週末は、町内会の盆踊りでした。資金も出してるし、ちょうちんも出させてもらっています。有名なよそのお祭り見物もいいですが、やっぱり近所の行事が最も大切です。子供が小さな時は、法被を着てお宮の神輿を担ぐ息子達を追いかけました。得意げな表情がいいです。お正月は、まず氏子の神社へのお参りです。今年、我が家は町内会環境衛生部なので、家内が衛生部の売店の売り子をしていました。金曜と土曜日、仕事を終え一目散に帰宅し、盆踊り会場の公園に急ぎました。カキ氷と焼きそばを出したのですが、家内は笑顔で愛想を振りまきながら、売り子さんをやってました。僕ら夫婦は、最初同じお店で働いていましたが、今は職場が別々になったので、家内の働いている姿を見る機会があまりありません。僕の目には、売り子さんしてる家内が、なんだか新鮮に写りました。土曜日、2日間の盆踊りが終わり、重い焼きそばの台などを倉庫に片付けるなどの手伝いをして帰ってきました。そして日曜日、僕は琵琶湖のレースにコーチに行くので、朝一番に家を出ましたが、家内は、午前中盆踊りのテント等の片付けや洗い物をやって、そして琵琶湖に来ました。次男が、そのレースに出ているから、その姿を見たかったようです。陸上で待ってる家内に、「もうすぐ最終レースのスタートだから、帰着は何時ごろだよ」とか、「レース終わったから、15分ぐらいしたら浜に戻るよ」とか、電話で知らせました。レースでは、家から持っていった麦茶のウォータークーラーが活躍しました。レースが終わる毎に、戻ってくるレース艇に、マネさんたちが冷たい麦茶を振舞ってくれました。これ、リフレッシュになるんだよね。コーチボート上では、僕以外全員女子大生&若手OGさんで、ハーレム状態でした。コーチボートをハーバーに戻し、艇庫に戻ると、家内がニコニコ次男としゃべっていました。次男はレースボートの片付けをしながら、家内に何かと話しかけて、いろいろ教えてたようです。社会人での出場だから、リラックスしていたのでしょう。次男は、閉会式とクラブのミーティングに出てから帰って来たのですが、僕は家内がいることもあり、先に失礼させてもらいました。そのことをキャプテンに告げると、部員を招集してくれて、気づいたことを話す時間を作ってくれました。片隅で、家内が僕の言葉に聞き耳を立てていました。僕がヨット部で、どんなことをしゃべってるのか興味があったのでしょう。でも、専門用語ばかりだから、理解は出来なかったと思いますが。お盆の渋滞が気になりましたが、ほとんど渋滞なしで帰ってこれました。明るいうちに帰って来れたので、自転車屋さんに寄りました。家内の自転車を預けていました。輪行の時、前輪を外すのですが、その時ブレーキも外します。これが硬く、家内の力だとなかなか外せないのを改造してもらいました。ブレーキワイヤーの途中にワイヤーテンションを簡単に調節できる部品を付けて貰いました。店長さんに教えてもらい、何度も練習していました。「この方が、簡単で楽」と喜んでいました。それともう一つ、タイヤを28Cから、僕と同じ25Cに替えて貰いました。これで、もっと楽に走れるはずです。そのタイヤは、僕に全く知識がないので店長さんにお任せしたのですが、車体色と同じピンクが、タイヤの側面を一周しており、これまた「かわいい」と大喜びでした。その勢いで、ラッシュガードを買いに行くと言い出し、スポーツ用品店で物色しました。好きなピンクのがありましたが、生地が薄く透けるので却下。厚い生地のは、半袖で却下。1900円というお安いのは、試着でイマイチで却下。結局、黒の5000円ほどのに落ち着きました。明日は当社のお盆休み初日で、家内と船に乗ることになっており、この機会に買うのだそうです。おしゃれな女子はいいです。僕は、こういうの大歓迎です。次男も来ます。ここ数年、年に1度乗る機会を設けてる高校ヨット部同期に声を掛けると、その家族も含めて7人も来ることになりました。僕は、次男と練習で競ったこともあるし、全日本に組んで出場したこともあるのですが、家内は次男とヨットに乗ったことがありません。今回、その機会を作りました。次男からすれば、親と一緒に乗っても仕方ないというものですが、「お母さんも乗るんだけどさあ」と誘ったのが良かったのか、「行くよ」の返事をくれました。母親孝行と思っているのかもしれません。
2010/08/12
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日曜日は、ヨット部の練習に参加しました。4月は毎週新人勧誘試乗会の手伝いで京都と琵琶湖に通いましたが、5月は75周年とレース運営に参加しただけで練習への参加はゼロでした。6月も後半に入り、この日は家内が仕事関係の全国大会で名古屋に行く日でした。朝6時半に家内を駅まで送り、その足で琵琶湖を目指しました。バイクで行く方が楽しいのですが、天気予報がイマイチなこともあり車にしました。短パンを1枚用意し、ヨット関係を入れてるバックをポンと車に載せただけです。久しぶりの艇庫には、1回生の新たな面々が増えていました。人が増えるというのは楽しいことです。8時前に出艇です。体操をして、ブリーフィングして、円陣を組んで気合一発で出艇です。僕は、OB君とハーバーに向かい、レスキューボートで出艇。無風から2m/sの風の中で、練習しました。一番早い艇に合わせて、20回ぐらい連続タック・連続ジャイブをして、自艇の技量を高さの差などで自覚してもらいました。風が弱いこともあり、早めに午前の練習を切り上げました。陸に上り、艇庫からの出艇水路に草や枝がはびこってきたので、そこの伐採作業です。「マストが引っかかって・・・」、大変だけど、木陰水路を通って出艇なんて、こんなジャングル出艇できるヨット部の少ないんじゃないでしょうか。数回は楽しいかも?お昼ごはんは、女子マネ6人が作ってくれたおいしいごはん。かなりうまい。一緒に食べたOB達も、「これ、うまいなあ」と大好評でした。みんなのお変わりで、跡形もなく完食されていました。午後からは、両手に花プラス花という、女子マネ3人に囲まれた「羨ましいだろう~」出艇になりました。彼女たちを車に乗せてハーバー着。車から出たところで、雨が落ちてきました。彼女たちの格好を見て、乗せてきたバックを下ろす。ウインドブレーカーではあかんでしょう。カッパが4セット入ってたので、彼女達にも渡しました。 前半は風が弱く、さらに比叡山から流れてきた豪雨にさらされる展開でしたが、僕が持ってきたカッパが威力を発揮し、彼女たちを守りました。中身を厳選するのが面倒で、いつものバッグを乗せてきてただけですが、上々の首尾でした。僕の評価はうなぎ上ったのか?ナイスでした。雨がやんだ後半は、6~8m/sのブローを伴った三井寺の風が入り、さらに大津港からのいい風に恵まれました。セイルの形状チェックし、コントロールラインのアドバイスを送り、充実した練習になりました。練習艇に最接近してボートを動かしていたので、3人のマネージャーも、ヨット部員がカッコいいと思ったんじゃないかな?風の弱いとき、新人マネさんにマークピックアップの運転練習をしました。最初は誰でも上手く出来ないので、練習あるのみです。レース練習の手順、ホーンやビデオをやってもらいましたが、覚えが早くいい感じです。6時に帰着し、ミーティングで1回生への自己紹介、練習で気づいたことなどを話し、9時に家路に着きました。来週は、インカレ予選プレ・レースです。6~8m/sの風で安定して走っていたので、その風が吹いたら良い成績が収められるでしょう。
2010/06/21
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日曜日は、ホームポートでの「A級西日本選手権」の手伝いでした。今月の日曜日は、VTR250で淡路島一周・小豆島一周と2週間1人でバイクツーリングし、琵琶湖でヨットレース運営が1日。ヨットに乗るということで家内と一緒に行ったけど、雨で乗らなかった僕の幼稚園同窓会が1日。家内との1日を持ててないので、夕方から「夫婦で映画」のメニューを組みました。レース観覧船担当のエ号の運転手ということだったので、家内と一緒でもいいな思っていたのですが、自治会の掃除の日で、また家内だけに任せてしまいました。天気もいいので、リード110で西宮に向かいました。7時集合ということだったので、6時過ぎに家を出ます。7時前に艇庫前に行きましたが、学生の練習艇やA級レース艇は並んでいますが、艇庫のシャッターが閉まってて、運営と思われる人が誰もいません。係留桟橋に向かい、エ号のエンジンを掛けたり始業点検して艇庫前に戻ってくると、シャッターが開いてテーブルが出され、OB会事務局長さんがいました。8時前にレース委員長の後輩君中心に、運営艇ミーティング。エ号の担当は、2マーク・コース短縮時のフィニッシュボート・乗り換え要員を積む、その仕事以外の時が観覧船ということでした。続いて、レース開会式。先輩と係留桟橋に向かい、エ号をディンギーヤード前桟橋に移動しました。レース備品を艇庫に取りに行こうと桟橋を歩いていると、後輩の学生マネさん達が持ってきてくれました。アウター担当船に、元OB会会長が2人も乗っていました。う~む、この船は濃いです。「おはようございます」「お~」と挨拶を済ませ、船に戻ります。出ようとすると、「本部船3人じゃきついなあ。こっちに1人回ってくれへんか」と、本部船担当の先輩から声を掛けられました。確かにこっちは余ってるけど、本部船3人はきついです。こっちの船の最年少の僕が移ることにしました。卒業年度がモノを言う世界です。レース海面に向かいながら、ササッとフラッグを用意し、ホーンを確認し、担当も割り振り終了。皆さんレース慣れしてるので、ア・ウンの呼吸で自発的に動かれ、ポイントを押さえているので楽です。レース委員長の後輩君は、無線と全体指示&スタートスリット。ほんとだったらジュリーボートに乗ってるインターナショナルジュリーのYさんが、一番重要な時計&ホーン、K先輩と僕がフラッグ、記録は僕。安定した高気圧の中、朝から北の4m/sが吹いていたので、11時ぐらいに風が落ち、風向が南に変わるのを予想し、9時から北風がなくなるまでに、2レースやってしまおうと予定を立てました。第1レースは、70°4m/sで無事終了。スタートもオールクリアでした。フィニッシュ後多くの艇が乗員を入れ替えます。ここでトラブル。エ号から、交代選手が乗り移るときに艇を沈させたようです。そんなの関係なくレースをすればいいのですが、ここがA級レースのすごいところで、沈上げを待ちます。選手の平均年齢60台、80歳以上の選手も参加する大会です。学連出身者が大半なので、卒業年度が物を言う世界です。レースのルールより、卒業年度ルールが暗黙の了解で勝る?とも言われています。レース運営の僕らでは、他校ですが先輩の1艇を切るわけにはいきません。遠くで必至にアカ出ししてる姿を見ながら、エ号に乗ってたら、「僕が代わります」とバケツを持って沈艇に乗り移って、濡れていただろうと我が身の幸運に喜びました。第2レースも、70度4m/sでスタートしました。でもスタート前、110°とか風向がフラフラし、風速も安定感がなくなってきたので、スタート後すぐ、エ号にコース短縮の準備指示を出しました。またもや幸運です。ウインドラスの付いていないエ号に乗ってたら、僕がアンカー上げ担当でした。しばらくして返事が返ってきました。「フィニッシュ担当ということは、アンカーを打つんですよね。アンカーの調子が悪くて・・・」「アンカーの調子が悪いって・・・?」、僕にはその意味するものが分かりました。本部船に乗ってた方、皆さんも苦笑いしています。「はい了解、こちらで考えます」エ号のトラブル?だし、僕が記録係でもあるので、フィニッシュ記録を持って3マーク担当のインフレータブルに乗り移ります。3マークの方は、神戸大のOBで日頃は須磨でJ24に乗っておられ、ホワイトレースではOTENNTOSANに乗っておられるそうです。エ号からフラッグを貰い、下マークに急ぎます。レース艇は、上マークを回って落ちた風に苦しんでいます。急いで下マークでフィニッシュラインを設置し、2マークを回り再び吹き出した軽風に乗って近づいてくるレース艇との頃合いを測って、S旗とホーンでコース短縮をお知らせしました。2レース前から、南の赤灯台の方で練習してる船は南風を受けていました。レース海面と赤灯台の間で、北と南の風が喧嘩してるいつおかしな風になっても不思議じゃない状況でした。「この風が続いてくれ」の願いが通じたようで、レース艇のフィニッシュを待っていたかのように、南風が優勢になってきました。本部船に戻ると、既にレーシ海面は南風になっています。しかもいきなりレース出来る風速です。実にラッキー。いつもなら、風のないだるい時間があり、それから南風(海風)が入ってくるのですが。第3レースは200°4m/s、第4レースは220°5m/sの西宮の安定したマゼで、いいレースが出来ました。スタートも1度ゼネリコがあっただけでした。選手の体力を考え、1時以降はレースを行わないという帆走指示書だったので仕方ないですが、普通だったらもっと出来る状況でした。レース艇から、「もう1つやるの?」と聞かれたり、本部船を見る視線で「もっとやろうよ」の気持ちが伝わってきました。選手の諸先輩方も楽しいレースだったでしょう。ヨットレースは、いい風が吹けば、他がイマイチでも「良いレース」になります。陸上に上がり、お弁当を貰い、閉会式後浜を辞しました。レース委員長君が、アウター担当に気を使いながら指示を出していたのが面白かったです。母校OB会の元会長さん2人と、彼の現役時代の監督が乗ってるから。3レース目から、寝坊で遅れてやってきた後輩K君がそれに乗り、指示が楽そうでした。遅れてきたとは言え、ブレザーでアンカー上げは、きつかったでしょう。そのことを陸に上がって聞くと、ライジャケで汚れを防いだそうです。このレース運営の幹事校だった母校出身じゃない、息子のジュニア時代一緒にクラブを動かしていた数人も、選手だったり、その方の母校サポートボートに乗ったりしており、久しぶりに話が出来ました。楽しい1日になりました。
2010/06/02
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日曜日は、半世紀に及ぶ「幼稚園同窓会」だったけど、その前日の土曜日は、コーチしてるヨット部の75周年記念行事でした。70周年同様、琵琶湖周遊船ビアンカを借りきってのパーティーでした。70周年の時のキャプテンが次男だったので、大勢のOB・OGさん方の前での彼の挨拶に、ちょっとドキドキしていました。僕の事ではないのに、「うまく行け~」と願っていました。土曜日は、金曜の夜帰ってきた次男と一緒に、車に乗って大津港に向かいました。11時の出港に間に合えばよかったのですが、次男の学年はまとまりが良く4人集まったので、9時半から受付です。だから8時前に出発しました。次男は受付の仕事をしていましたが、僕は暇なので、企画運営なさってるOB会幹部さんに挨拶し、僕がコーチを始めてから卒業した若手OB・OGさんや、現役マネさん達のエリアで、来られるOBさんたちを受付に誘導していました。若手OBからは、「またマネさんの近くですか~」とか、「今年の新人勧誘では、何人女子を車に乗せましたか~」なんて、からかわれました。うれせ~です。男子たるもの、本能に従って魅惑のエリアにいるのが、よろしいです。こういう男子がいないと、女子の魅力は増しません。今回は、大学応援団も呼んでいました。大津港での華やかなチアリーディング&むさい学ラン応援団のセレモニーで幕が開きました。関係者以外のそこに居合わせた方々も喜んでいました。それから、船に乗り込みました。応援団のエールやブラスバンドの演奏で、校歌や応援歌を歌い、引き締まりました。船内での食事や歓談中でも、学ランを脱がない彼らは、さすが硬派です。体育会だけど軟派なヨット部員とは大違いです。僕は、「勝者には最初の祝福を、敗者には賞賛を」という主義なので、「さすがやねえ。良かったよ~」と、彼らに声を掛けました。団長さんと応援団演奏の司会をしてた女子学生さんと名刺交換しました。「応援団」の文字が、いかにもなフォントでした。デカイ応援団の部旗を、微動だにせず持ってる部員さんも、なかなかカッコよかったです。こういうのを見ると、学生時代艇庫で読んでた「ああ、花の応援団」という漫画を思い出します。僕が話しやすいのか、セレモニーが全て終わり、下船までの15分ぐらい、応援団の彼女がやってきて話していました。応援団やチアリーダーなんて、学校の各種イベントには引っ張りだこだろうから、そのことを聞いたら、この日はポツンとスケジュールが空いてたそうです。僕の母校と長くアメリカンフットボールの2強時代があったことを話すと、有名私学のスポーツセレクションが強まり、一生懸命応援しても負けてしまうことが多く、それが少し残念だと話していました。1回生の時から、野球部の応援にずっと行ってるけど、1度しか勝ってないとか。4回生女子マネさんは、セレモニーの全体司会進行を無難にこなしました。始まる前も、「どうしましょう」と言いながら、落ち着いてる感じを受けたので、いい成長の機会を得ました。副学長など来賓挨拶、豪華版の昼食デザートタイム、ビデオ等披露・・・楽しい周遊になりました。ちょうど、僕の母校でもある関関同立定期戦が行われており、おなじみのスピンが開いていました。先月あった次男同期同士の結婚式2次会で、知り合ったお相手さんと元マネさんの2度目のデートが翌日あるとか・・・いろんな楽しい話題もありました。いつも同様、楽しい週末でした。
2010/05/25
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日曜日は、幼稚園の同窓会でした。当時としては珍しい3年保育だったので、3歳から通いました。腐れ縁のように続いてる仲間です。両親が亡くなった今となっては、世界中で一番長い間付き合ってる連中ということになります。西宮市にあった「西宮幼児生活団」という特殊な保育園で、本部は東京で、日本中に姉妹校があります。大学まで持ってる独特の教育方針に基づいた教育をしています。「独立心を養う」がキーワードかも知れません。関西では京都・西宮・神戸・大阪に1園ずつしかないので、歩いて通う子は少なく、僕の学年でいえば、15名全員電車・バス通学でした。最初は、親と一緒に通いますが、親がついていける場所がどんどん園から遠くなり、4歳児で自宅から1人で通うようになります。今では安全面で考えられませんが、実際に僕も電車とバスの定期を首からぶら下げ、名前と住所を書いた名札を胸に付け通いました。4歳児でも慣れてしまうと平気になるもので、わざと逆方向のバスに乗って、何処に行くのか探検し、帰り道がわからなくなったり、駅の電車の時刻表と時計を見てまだ大丈夫と、友達と寄り道して帰ったりしました。ある時、競輪の車券がプラットホームにたくさん落ちており、拾って箱に詰めていました。夢中で箱に詰めていると、駅員さんに拉致されてしまいました。駅長室に監禁されていると、友達とうちの母親がやってきて、強烈に叱られました。どうやら親が捜索願を出し、駅員さんに発見されたようなのですが、僕にしてみれば、ちゃんと帰る電車があるのを確認しながらの道草だったので、心外でした。でもまあ、5歳の子が夜7時になっても帰ってこないわけですから、仕方ないですね。保育園での毎日のお昼やおやつ、クリスマスプレゼントなども、みんな親の手作りという教育だったので、親同士も仲良くなり、小学生の僕らの同窓会を出汁に、年に1度母親達が集まってワイワイしていました。いつしか、親だけと子どもだけの同窓会になり、現在に至るというわけです。毎回持ち回りだったのに、ここ数回は僕が幹事をしています。母親の訃報が聞かれるようになり、僕が卒園生を代表して供花の手配とかしてるので、永久幹事みたいになってきて困ったものです。今回は、母親の人数もパワーも落ちてきたので、母親も子供の同窓会に呼ぶことにしました。さらに配偶者もOKと。場所はホームポートの新西宮ヨットハーバーで、「ヨットに乗せて」という婦女子の希望を入れて、2時間ほどクルージングして、レストランでダベリングというメニューにしました。幼稚園の年齢の頃なんて、女子の方が強いのが普通なので、女子からの希望が出ると受けざるをえません。日曜日は、僕の雨男パワー炸裂で、朝から大雨でした。よってクルージングはナシになり、関西ヨットクラブ2Fレストランで、食事やお茶を飲みながら、5時間に及ぶダベリングになりました。母親の参加もあったので、当時の情けない裏話も暴露されました。男が僕一人だったので、「よく泣いてた」「10円玉を飲んだ」など、集中砲火を浴びました。まあ、ベスト3の泣き虫だったのは自覚していますが、僕より情けないヤツもいたのに・・・。お泊り勉強で混浴したこともあり、旦那より先に僕が女子全員のヌードを拝見させてもらってるけど、情けない姿も披露してるので、会った瞬間から、「こんにちは、・・です。その後お変わりは・・・」なんて言葉はなく、いきなり「あんた~」で始まる仲なので、飾りっけなしの本音トークでした。同席していた家内の僕への印象度は、たぶんがた落ちになったでしょう。まあ事実だから仕方ないです。しかしまあ、冷静に考えると、どこぞの世界に恩師ではなく母親を呼ぶ同窓会があるのでしょう?最も気のおけない仲間達です。家内は初参加でしたが、今までは挨拶程度だったのに、じっくり話の輪に入って、このけったいな旦那の関係を知ったのではないかな。
2010/05/24
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昨夜、仕事を終え、ほぼ定刻に自宅に戻りました。いつものように玄関のドアの鍵を開けて入ると、目の前に家内が立っていました。いつもなら、自室にいたり台所にいたりして、玄関から室内の僕が入ると、「おかえり」と「ただいま」の言葉の交換になります。その家内が、目の前に立ってる・・・「だないかしたん?」「た~くんが、帰ってくるんだって」「いつ?」「今日」今日は、手伝ってる大学ヨット部の75周年記念で、遊覧船を貸切り琵琶湖周遊します。僕も行くけど、OBの次男たーくんも出席する予定になっていました。午前11時出港なので、直接東京から琵琶湖に来ると思っていました。母親にとって、わが子への愛情は凄いです。旦那の愛情なんて、到底太刀打ちできません。まあ、勝負しようなんて無駄な戦いはしませんが・・・いつものように、うつらうつらしてると電話が鳴り、12時を回った時間に最寄の駅まで、息子を迎えに行きました。息子の同期がみんな集まるので、受付を仰せつかったようで、早く行かないといけなくなったようで前日に帰ってきたようです。2人でラーメンを食べに行き帰宅。今朝は、車で昨日届いた先祖の本の複写本の話をして、なんだかんだ、どうでもいい話をしながら、琵琶湖に向かいました。親父は、この程度の親子関係がちょうどいいです。
2010/05/22
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7時前に柳ケ崎ヨットハーバーに着きました。まだ閑散としていました。ジュニアのレースもあるので、子供やその親がいるかなと思いましたが、流石にまだ早かったようです。ハーバー施設壁に置かれたレースのノーティスボードを見ていると、学生が出てきました。主催校だから、準備などもあり、早くから動いているようです。することもないので艇庫前でうろうろしていると、OPを積んだ横浜ナンバーの車が入ってきました。「横浜からですか?横浜ジュニア?」「いえ、横浜から引っ越してきたのでナンバーは横浜ですが、今は兵庫ジュニアです」「えっ」・・・次男の後輩でした。兵庫ジュニアのHPをまだ担当してるのだけど、送られてくるネタをアップしてるだけで、ジュニアのホームポートに何年も顔を出していないので、名前だけでお顔を存じないメンバーが増えています。土曜日学校だったようで、日曜日1日だけ参加のようです。わが子君も土曜日は授業がある学校だったので、よくこのパターンでした。親も子も楽しくて、ついついはまってしまいがちなOPの世界ですが、学業優先のこういう姿勢が僕は好きです。無限の可能性を秘めた子供の人生の将来を考えると、小さい頃のヨットの成績なんて小さなことです。いろんな行動から、親の考え方が背中から伝わります。子供は親の喜ぶ顔がとても好きです。親が、自分の何に喜び何に悲しい顔をするか、何に怒り何を褒めるか、これが子供のその後の生き方に大きな影響を及ぼすと思います。琵琶湖ジュニアの艇庫前を見ると、OPの艤装が始まっていました。琵琶湖ジュニアの子達でしょう。OPの子達の輪に入って喋りたかったのですが、大学のレース優先です。学生や監督さんと話していると、ジュニア時代に海外遠征を引率したAくんがやってきました。もう大学ヨット部OBです。「今日だけのエントリー出来ますか?」、監督「いいですよ。エントリー費払って手続きを」「1日だから、エントリー費は半分の1000円でいいですか?」、僕(笑いながら)「あかん」。さすが商売人の子、しっかりしてます。やっぱりあかんかったなあという顔で、2000円払っていました。最初下マーク担当と聞いていたのですが、監督さんと一緒に本部船に乗ることになりました。朝一番こそ、風が弱く海上でAPを上げましたが、10分後には北風は弱いですが、観測所以遠も続いているのでクラスを上げました。風の強弱、北から南への振れ、三井寺からのブロー、めまぐるしく変わる琵琶湖の風の中、最終3時スタートまでに、1日で7レース実施出来ました。2日間で10レース、いいですね、こういうの。選手は昼食を食べる暇もありませんでしたが、レースを堪能出来たでしょう。風があるのに、安定しないを理由に風待ちが続くレース風景は、かなわんです。1日ぐらい昼飯を抜いても死にはしません。土曜日は、ゼネラルリコール(スタート号砲時にフライングしている船が多すぎて、スタートやり直し)が多数出たようでしたが、この日はゼロ。僕がスタートライン・スリット(スタートラインを見通して、リコール艇を判別)見ていましたが、数レース数艇のリコール(フライング)だけでした。ゼネリコは本部船を選手がナメていることでもあります。舐められないように、10艇ぐらいまでなら、読んだろうと意気込んでいました。安易にゼネリコにしたら、次も「どうせゼネリコ」だと思って、高止まりしたまま全体を引っ張り上げる数艇に負けてしまいます。2回生女子マネ2名の他に、D大の3&1回生マネージャー、SK大2回生女子プレイヤー、D大・K大などの新入生プレイヤーが、本部船に乗っていました。滋賀経さんが時計を担当し、フラッグ・ホーンは1回生。時計係は、とても優秀でした。本部船の時計係がしっかり時を告げていると、本部船が締まります。指示も的確になり、フラッグルーチンも混乱なくいきます。「さすがやねえ。時計の心配いらんねえ」と褒めると、ニコニコしていました。SK大は3・4回生部員がゼロで、1・2回生で6名の部員だそうですが、早く部員を増やして、レースに復帰して欲しいものです。D大3回生マネさんは、さすがにしっかりしていて、行動が的確で無駄がないです。コーチしてるK大の子も多くを学んだでしょう。レースがスタートしたら、1回生にいろんな話をしました。安全なスポーツであること、僕がまだレースに出てるぐらい長く続けられるスポーツであること・・・K大が7人、D大はなんと16人も新入生を獲得したようです。1回生同士もいろんな話をしており、どこの学校も部員が増え、ヨットをそしてレースを楽しんで欲しいと思います。7レースも出来たので、運営している方も満足感に浸りながらレースを終えました。最終レース後、本部船に挨拶に来る風景は、いくつになっても気持ちのいいものです。レース艇が寄ってきても、1回生が勝手がわかりません。「挨拶に来るからさあ、挨拶に答えようね」と教えます。「・・大です。有難うございました」「ご苦労様。頑張りよ」審問が1件あり、6時半閉会式になりました。審問でレース本部に缶詰だったから、ジュニアの閉会式に行けず、親達とも話せませんでしたが楽しい1日でした。そうそう、表彰式でプレゼンターをしました。僕は2位へのプレゼンターだったのですが、470級2位がD大のB君で兵庫ジュニア出身。スナイプ級の2位がD大のA君弟で琵琶湖ジュニア出身。ジュニア出身者達へのプレゼンターになりました。帰りは暗くなるので、高速でワープも考えましたが、明るいヘッドライトに変更してから夜道を走ったことがなかったので、往路同様亀岡回りにしました。亀岡当たりで夕闇に包まれ始め、三日月と金星が夜空に綺麗でした。帰りもR423では芸がないので、R372からR477に入り南下し始め、r106に折れ、r12まで西進し、r12・r33・長尾山トンネルコースで帰りました。2時間20分ほどでした。明日は、コーチしてるヨット部75周年で、琵琶湖周遊船のビアンカを貸し切って琵琶湖を一周します。日曜日は幼稚園同窓会ヨット、再来週はA級西日本運営観覧船と、3週連続でヨットです。海のいい季節になってきたので、天気のお恵みを頂きたいものです。
2010/05/21
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日曜日は、また大学ヨット部新人勧誘の手伝いに京都・琵琶湖に行っていました。この日は家内も用事がない日。「何処に行こうかなあ?」と家内は思案顔でした。いつもなら大阪のデパート巡りが相場なのですが、僕との「夫婦で自転車」が始まった去年から、ちょっと観光にも目覚めたみたい。前回は、「京都大原」を紹介したので、今度は「京都桃山伏見」を紹介しました。「京都から京阪に乗ったら数駅で行けるよ」10時に京都女子大前の予定なので、8時に家を出ました。1時間ぐらい余裕があるので、少々家内と京都散策してからと思っていたのですが、母が使っていた京都観光本を見てた助手席の家内から、「近鉄で行けるよ」。「京都に近鉄来てたっけ?」「東寺という駅があるよ」。いつもくぐる「東寺」と書かれた駅のガードは近鉄だったようです。「そこで降ろして」・・・どうやら僕の目論見は振られたようです。京都南ICで名神を下り、R1を北上、東寺の五重塔を横目に九条道路を東進。毎度のことですが、この東寺の五重塔を見ると、京都に来たなと思います。「東寺」のガードに目をこらすと、確かに小さく近鉄と書いてありました。近鉄は大阪・奈良・名古屋というイメージで、京都と結びついていませんでした。ここで家内を下ろし、京女の女坂のイタリアレストラン前に駐車して新入生を待ちました。1時間も時間があるので、土曜日から読み出した「パパはロクデナシ」を読み始めました。海音寺潮五郎さんの「武将列伝」シリーズを読んでいたので、上村佑さんの作品で、ちょっと頭の中を痛快なお笑いでリフレッシュしようという算段です。10時15分ほど前にマネさんがやってきて、続いて今年入部した新人マネさんが7人の試乗会希望者を引率して来ました。多少ドタ参加者もいて、第1陣として7人の女子を乗せて琵琶湖の艇庫に向かいました。上天気だったので京都周辺・湖西の渋滞が気になっていましたが、まあまあスムーズに艇庫到着です。朝から北からの風が入っています。監督が来られていました。外で話しているとOBヤマさんが、京都から新人を乗せて到着。2Fに上がり、マネさんからカレーをもらい食しようとソファに座ると、横に子豚さんがいました。綺麗な薄ピンクのお肌がシュリンクパックされています。OBオク君がしきりに勧めていた「豚の丸焼き」の食材のようです。上には納品書。OBイシちゃんが楽天市場で24800円で購入したようです。こんなのがネット販売されてるのだと驚きです。カレーを食べ終わり、艇庫前で準備されてる丸焼き現場を視察しました。ブロックを積んで網を乗せ、炭で焼くようです。オク師匠によると、焼くのに3~4時間かかるそうです。一気に中まで火が通らないので、焼けた表面からナイフで削いで食べ、次々に中を焼いていくそうです。西部劇のサバイバルな感じで楽しみです。11時半出艇なので、僕の車で監督さん・ヤマさん・現役マツ君でマリーナに向かいました。いつものように四角くマークを打ち、中央にアンカリングしてスタンバイ。次々やってくる新入生をヨットに乗せて行きます。30名弱だったかな。先週は3人と女子が少なかったけど、この日は9名も女子がいて、僕のハーネス着せ替えにもテンションが上がりました。3時帰着が30分ほど遅れましたが、1日中3m/sほどの試乗会にうってつけのいい風に恵まれ、無事終了しました。艇庫に戻ると、すでに子豚さんはほぼ解体されておられました。元から内臓は綺麗に取り除かれていたようで、丸焼き用の商品だったようです。でもまだ全体像は把握出来、豚足もお顔もそのままです。女子の反応を伺いましたが、豚さんのお顔を見ながらも、平気で食べています。肉食系女子が増えているのでしょうか?新人君がタンを食べ、「うまい」を連発していました。こういう形で豚さんを食べるのは初めてでしたが、包丁人オク師匠がホークに刺してくれる豚さんは中々の美味でした。2Fに上がると、4回生マネさんからコーヒーが出てきました。湖上から上がったときに温かいものを頂くのはホッとします。彼女はとても熱心なマネさんです。去年の今頃は、上級生の4回生マネさんが就活で来れなかったので、1人で頑張ってくれていました。春合宿なんて頭が下がる思いです。今年の4回生マネさんは彼女だけなので、今年も大車輪です。さらにかなりの美人なので、下級生男子に人気があります。僕は、彼女をスカウトしてきた同回君といい感じになればいいなと思っています。高校も一緒だったし・・・。彼も中々の好男子なのでお似合いだと思うけどなあ。一緒に帰省とかしないのかなあ・・・こっそりしてるのかなあ・・・好男子は、「恋人募集中で~す」と、いつも大声を張り上げてるけど、ほんまかいな?と疑っています。
2010/04/19
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日曜日は、先週に続きヨット部新人勧誘でした。最初京女前に行く予定だったのですが、時計台前に変更になりました。約束の9時には随分早い時間に京の町に入り少々徘徊、先週は桜が満開でしたが、ピンク色が半分にトーンダウンしていました。校内に駐車し、時計台前でうろうろ。どこのサークルでも体験会の時期です。自転車関係のとこに数人の新入生が集まっています。車で数人の部員がやってきて、ヨット体験試乗会に来た新入生も来ました。手伝ってくれるOGさんも来ました。お隣では、ライフル射撃部がヨット部同様プラカードを持って新入生を待っています。試射日なのでしょう。OGさんから、「射撃部の子は、みんなお兄さんを知ってますよ」と。長男は大阪の大学の射撃部でしたが、宴会隊長として他大学にも有名だったようで、名が通っています。次男は入学した4月に、ライフル部にも顔を出したようです。兄の名を出すと、強烈に勧誘されたとのこと。長男にも、「お前に弟が来たぞ。入部させろ」と連絡がありました。本日は新入生参加者総勢35名だそうで、先週に続いて出だし好調です。数台は2往復が必要なので、部員車から随時琵琶湖に向かいます。僕は早めにレスキューに乗らないといけないので、9時集合組最終便でOGさんと新入生を乗せ、山中越で琵琶湖に向かいました。30名を越える人数を捌くのと、4時から京都出町柳で行われる花見に間に合わせるために、先週より1時間早めに出艇しました。湖上での仕事は先週と同じです。先週入部してくれた女子マネージャーさんが、また試乗で湖上に出てきて、彼女の明るいキャラクターが場を盛り上げてくれています。もう勧誘する側の大きな戦力になってる感じです。昼前から3m/sぐらいのおあつらえ向きの風になり、いい試乗会が出来ました。2時半で試乗を終え撤収作業に入りました。艇庫に戻ってきて、遅い昼食をもらい、休憩少々でお呼びがかかりました。次は出町柳へのドライバーです。JR大津京駅で1人下ろし、山中越で出町柳に出ました。京阪出町柳で1名下車。そして加茂川デルタで全員を下ろして、出町柳駐車場に車を入れました。部員から聞いてた場所と違うところでしたが、中堅OB主催の花見が始まっていました。総勢50名程で、大盛り上がりの新人自己紹介、部員の一発芸・・・「こいつはいい」と思ってるS君のインタビュー&司会進行が盛り上げ、中堅OBからの野次で更に盛り上がり・・・学生時代を思い出します。部員の芸などは陳腐なものですが、周りの温かい野次で何でも大受けです。これ、体育会なんだよな、と。4時半を過ぎ、仕事の会合を終えた家内から電話が入りました。「今何処?何処に行けばいい?」「天気が持って花見やってるんだよね」「良かったね、じゃあ家に帰るね」。夕方から雨の予報だったので、花見は中止になるだろうと、待ち合わせて映画でも見に行こうかと予定していました。僕は適当に切り上げて帰宅し、途中で自転車屋さんに寄って、ハンドルを高く上げる改良してもらってた家内の自転車を積んで帰りました。土曜朝の早朝バイクと日曜の試乗会、楽しい2日間でした。たくさん部員が入ってくれたらいいのにな。
2010/04/13
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10時の30分ほど前に、女坂に着きました。女子大新入生の入部希望者を迎えに来ました。体育会のクラブなので、他大学になる女子大生は選手にはなれません。本大学でマネージャー希望の人がいないので、女子大にそれを求めています。毎年数人入部してくれるので、たいへん助かっています。仕事は、陸上での食事作りや湖上でコーチボートで練習をサポートします。部員がまだ来ていません。ここで家内とはお別れです。「何処行こうかな?」というので、近くの三十三間堂とかは去年行ったから大原の里への遠征を勧めておきました。方向音痴な家内なので、「一旦京都駅までバスで出て、バスに乗って行ったらいいよ」と行き方も教えておきました。それらしき女子が2人立ってたのでナンパしました。「試乗会に来てくれた方?」「そうです」家内の前で堂々のナンパでした。来てくれた子にも、たまたま通り過った子にも声をかけます。これをきっかけに入ってくれるかもしれないし。僕のナンパの邪魔をしないように、車から下りた家内が横を無言で通り過ぎて行きました。京女から7名の参加があり、全員乗せて艇庫に向かいました。車の中で、クラブのこと、ヨットのこと・・・印象良くするおしゃべりをしました。2回生で、去年の試乗会にも来てくれた子がいました。去年は入れなかったから入部しようと思って来てくれたようです。今年の入部第1号です。去年入ったマネさん3人はみんな熱心で、男子学生が入れない女子の園の中で勧誘してくれています。去年の第1回目試乗会の女子大からの参加者は1人だったから、幸先いいです。今年初めての艇庫です。やっと暖かくなりコーチ業再開です。その初仕事が試乗会、ここで新人を大量に獲得しなきゃね。マネさんから美味しい昼食をいただき、3回生部員と2人で沖レスキュー担当です。僕の車でハーバーに向かい、レスキューを出して沖でみんなが出てくるのを待ちます。レスキューの周りに四角形に4つマークを打ち、その範囲内で試乗会をします。インフレータブルボートでヨットへの乗り換えをしますが、試乗順番待ちや470用のハーネスの着脱などはレスキュー上で行います。僕は例年通りハーネスの着脱担当です。2人なので今年は忙しいです。でもね。女子のハーネス着脱は嬉しき仕事です。なんだかその辺を学生に知られてる感じで、僕のモチベーションを高めるために餌をぶら下げられてる感じです。わかっていながら、僕は食いつきますよ。もちろん男子のハーネス着脱も嫌がらずにやりました。天気は上々。風も2~3m/sで試乗会日和でした。女子7名を含め総勢20名ほどが集まり、例年になく試乗会初日の出足はいいです。この調子で毎週の試乗会を突っ走りたいものです。5時ぐらいに艇庫を後にして家路に着きました。湖西道路が大混雑で、この先どうなるのかと思いましたが、名神名古屋方面は混んでいましたが大阪向きは天王山でも渋滞なしでスムーズに帰ることが出来ました。僕に遅れて家内が戻ってきて、片道1時間の大原バス行、その後3時間の徒歩散策のことを話してくれました。三千院を越えて東に向かい、比叡山・坂本登山口まで行ったそうです。そこで疲れて腰掛けていると、叡山から下りてきたハイキングな男性に「女ひとり旅ですか?」なんて聞かれたそうです。三千院には、「女ひとり」が似合うのでしょうね。
2010/04/06
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今日は名古屋に遠征していました。次男の大学ヨット部同期と同じく同期のマネージャーの結婚式にお呼ばれでした。バイクでは距離がありすぎなので無難に電車で行こうと思っていましたが、新名神高速を走ったことがなかったので車で行くことにしました。「寝坊したらあかんなあ」と思いながら寝たからか、4時に目が覚めました。かなり早いですが二度寝は寝坊の元なので、昨夜用意しておいた服を積み込んで出発しました。名古屋まで2時間半しか掛からなかったので、新幹線利用より早く着きました。まだ7時で式場のスタッフがぼちぼち出勤してくる時間でした。式は11時からです。東京在住の次男が前日入りしてるかもしれないと電話しましたが音沙汰なしです。きっと寝てますね。この式場は名古屋港に面しています。ここは懐かしいです。次男と毎年ここにレースに来ていました。レース海面は何も変わっていません。金のしゃちほこの観光船が出てたけど、今はどうなのだろう?結婚式場の横の公園に立ってる高い展望台は当時もありました。チームのコーチを2手に分け、展望台担当コーチが上から風の変化をコーチボートに報告し、フィニッシュしたら選手を集めて風の状況を伝えていました。懐かしいです。近所を散歩しました。横の岸壁には、「Japan Coast Guard」の大きな巡視船がもやわれていました。海猿じゃないか。 8時半頃次男から電話が入りました。「どないしたん?」「車で来たからもう着いた」新郎新婦を除いた同期達4人は、前日入りして朔日は余興の練習をしてたそうです。適当な時間になったので、着替えて控え室に入りました。両家の親御さんに挨拶。コーチと言う立場としての挨拶と、彼らにお世話になった同期の次男の父親としての挨拶と。僕が引き伸ばして額に入れてきたヨットに乗ってる彼らの写真を見せました。海が見えるチャペルでの式。久しぶりに賛美歌を歌いました。いいね讃美歌。アーメン。続いて披露宴。主賓のそれぞれの上司さんの挨拶。乾杯。しばらくの懇談。そして僕の祝福の言葉になりました。2人が知り合ったクラブの恩師となっていました。僕が恩師?一緒に遊んでただけなんだけどね。彼らの最初の頃から卒業までのエピソードを話してきました。ヨット部員は、同期と1学年下が全員招待されていました。半分以上は東京からです。卒業以来の子、ついこの間会った子、立派な社会人になってるけど、なんだか教え子の成長を見たようで嬉しいです。一連の祝福の言葉のトリは、次男達ヨット部同期でした。次男が編集したビデオが流れ、ヨット部での写真やヨットが走るムービーが流れます。僕が次男に頼まれて提供した写真やムービーも使われていました。僕のクルーザーにみんなで乗った時の写真も使われていました。そして4人での演奏。男の子の1人がピアノで前奏し、彼も加わって4人でハンドベル演奏です。そしてキャプテンだった次男が2人にメッセージを語りだしました。僕よりうまかったんじゃないかな?会社で鍛えられたようです。僕は、その演奏やメッセージを、デジカメをムービー設定にして収めました。家内が喜びそうです。2次会を名古屋のホテルでやるそうです。2次会の司会進行は、ヨット部の後輩のようです。披露宴に参加しなかったヨット部OBもたくさんやってくるそうです。僕は仕事の片付けもあるので、そのまま帰りました。帰りは、これも走ったことがない京滋バイパスを通ってみようと思ってたけど、ミスして名神で京都経由で帰りました。花が満開で、京都東や京都南から大阪に向かう渋滞が心配でしたが、拍子抜けするぐらいスムーズでした。こないだ全線開通した第二京阪道路がうまく機能してるのかもしれません。次男の同期は、男子3人・女子3人、短大だったので先に卒業した同期マネージャーさんからも祝電が届いていました。いつまでも仲良くいて欲しい仲間です。そしてお幸せに。楽しい、そしてとても嬉しい1日でした。仕事場に戻ってくると、ヨット部のキャプテンから電話があったとのこと・・・明日の確認でしょう。京都と琵琶湖を往復し、ヨット部の新人勧誘運転手です。魅力的な会話を車内で繰り広げ、1人でも多くの部員を獲得すべく、貢献しますよ。
2010/04/03
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土曜日は、手伝ってる大学ヨット部の卒業式・通称追い出しコンパでした。4年間頑張った子達の卒業式、行かねばなるまい、今年も挨拶を頼まれた。前日まで断片的な卒業生個人への想い出を思い出していたが、当日、文章にまとめておこうと筆を走らせた。少々推敲して二読、行きの電車では寝ていました。久しぶりのJR京都駅、いつものアサヒの地下のホールに下りて行くと、見知った顔がきちんとしたカッコでいました。受付の芳名録に名を書き、進行を書いたものと卒業生制作冊子CDをもらった。そうそう、会費もふんだくられた・・・いや収めた。会場に入ると、卒業生たちがみんなひな壇に座っていた。K君がいる。この正月元旦、OB2人とともに、宗谷岬で初日の出を見るためにカブで向かうと聞いていたので、3人とも無事だったということです。OB・OGさんもたくさん寄り、OB会長の開会の辞で始まりました。乾杯、そして歓談。祝辞の最初が僕になっていた。OBでもないのにありがたいことです。皆さんは立派な祝辞をなさるだろうから、僕は4年間の個々人に対する個人的な感想をしゃべらせてもらった。とてもリラックスして臨め、結構笑いも取れまあまあの出来だったのではないだろうか。キャプテンU君は、高校までサッカー部。今までヨット部に不足していた基礎体力強化のために、陸上トレーニングに力を入れたり、新しい風をクラブに入れたと思う。O君は、唯一の高校ヨット部経験者だったので、技術的リーダーで成績の方も常に一定のレベルを保っていたので、みんなのランドマーク的存在でした。前述のK君は、正月に宗谷岬を目指すはずだったのに、なんと年末にインフルエンザに罹り断念したとか。でも2人のOBは果敢に挑戦しました。北海道雪道仕様タイヤを装備してたけど、初日にしてハードな大自然に阻まれ、四輪のレンタカーを借りて目的を達成したのだとか。K君は、マネージャー勧誘のためにビラ配りしてたら、女子大の守衛さんに追いかけられて溝にはまり前歯を折ったなど、数々の伝説を残しました。卒業してしまうとは、残念でなりません。S君。1回生の時の「なんだか野球部のユニフォームを着てるヤツがいる」が、最初の彼との出会いでした。「野球のユニフォーム丈夫だからずっと使えるよ」と声を掛けたのを覚えている。でも、数カ月もするとヨット乗りらしいカッコになるんじゃないかなと内心思ってました。ところが、最後までハーバーでは当然浮いてしまう野球部のユニフォームで通して、こいつはすごいと思いました。周りに動じない姿勢は、将来大きな力を発揮するんじゃないかな。今でも顎から頬にヒゲを蓄え、既に教授の風格です。Y君。4回生夏前から始まったレースでの下一取りが印象に残っている。デンジャラスラインを割ってスタートを第一線で出られなかったりもしたけど、懲りずに下一にチャレンジしてました。僕も学生時代、上一即タックにこだわって1つの形を作ることが出来たから、これもなかなかの作戦だなと思いました。最後は他からのスタートでも第一線で出られるようになった。そしてインカレ本番1週間前の牛窓での練習が思い出されます。いい風が吹いて、牛窓湾から出て、小豆島の延長まで来んじゃないかと思えるところまでクローズで走りましたが、吹いたら近畿北陸で一番、ピカイチのスベリを持ってるSくんに全く遜色ない走りで、微風で定評のある琵琶湖勢だけど、案外吹いたらこの2艇が行くんじゃないかと僕の目には見えました。素晴らしい練習だったので、沖出しの危険はあったけどレスキューの燃料と相談しながら限界で帰着の指示を出しました。ド強風が入ったインカレ2日目、仕事をしながら「ひょっ としたら」と強風の2枚看板の活躍を期待していました。結果は、一上トップ回航。後日、途中でトップだと確信したSくんが、「はるか前を切っていく船があって驚き、それがY君だとわかって更に驚き」と聞き、ほんとに嬉しかった。更に風が上がりノーレースになってしまい幻のトップになったけど、再びのクラブ躍進に大きな財産を残せたと思う。S君。いつもニコニコ石井くん。いい雰囲気を醸し出しています。この学年で一番好きだったな。とかくギスギスしてしまうレース中のクラブの雰囲気などをうまく和らげる存在だったんじゃないだろうか。この学年で彼が一番走ると思っていました。いいセンスしてるなと感じていました。もう少し続ければ化けるような気がする。Tマネージャー。1回生のマネージャーとして入部してきた時の第一印象は、お肌のきれいな子だなということと、無口なお嬢さんだなということでした。琵琶湖の水位が下がって、係留桟橋からレスキューに乗り移ることが怖くて出来ませんでした。この時は役得で手を差し伸べシャルウィダンスをさせてもらった。女子でよくある誰かと一緒だから入部したというより、自分のしっかり考えて入部した意志の強さを感じ、続くといい戦力になるなと思いましたが、あまりにしゃべらないので正直みんなと打ち解けるか心配でした。でもその僕の読みは大きく外れ、今はなんぼでもしゃべります。僕は相槌を打つだけになってしまった。ずっと1人マネージャーでしたが、意志の強さは思った通りで、練習のレスキューサポートもしっかりやり、プレイヤーみんなも安心して任せていられたと思う。1人マネージャーは大変だったと思います。ほんとご苦労様でした。そして卒業生じゃないけどもう一人、3回生マネージャーUさん。就活でTさんがサポート出来なかった春先、まだまだ寒い去年のこの時期、卒業生プレイヤーをしっかり支えてくれました。ご苦労様でした。現役のみんなは、去年のインカレのあのレースをクルーとして乗ったり、船上から目の当たりにしました。大きな自信を得たんじゃないかと思います。その経験を生かして、更に上に進んで欲しいと願っています。卒業生からの挨拶も終わり、記念品贈呈。監督の閉会の辞が終わり、恒例の記念写真です。僕が声を掛け、若手OGさんを周りに集めて写真に収まったので、「セクハラですか?」なんてOMのMくんに指摘されてしまった。そう言えば、「もうちょっとこっち」とか言って禁断の魅惑ボディーに触ってしまったかも?最後は、恒例の駅前でのエール。円陣を作り肩を組んで応援歌と琵琶湖周航の歌を歌いお開きになりました。これで何年連続でこの会に出席しているだろう。次男が下級生の時、「あのさあ、コーチしに来てくれない?」と誘われたことが始まり。子供からのプレゼントです。僕のヨット部引退を思い出し、楽しい時間でした。
2010/03/08
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今朝、仕事に出ようと思ったら電話が鳴りました。先に仕事場に向かった家内からかな?「はい、・・です」「僕やけど」一瞬、オレオレ詐欺さんかと思いましたが、紛れもない次男の声でした。「Sがね、結婚式の前の晩、前日泊まるかどうか聞いてるんやけど、泊まれるんやって・・・」「いや、当日行くわ」「わかった。それだけ」男親と息子の会話なんて、事務的なものです。S君は息子の大学ヨット部の同期。同期のマネージャーさんと結婚式を挙げます。名古屋なんだけど、私も呼ばれていて、1年先輩の結婚式の時と同様、挨拶をするように言われています。その先輩の結婚式の帰り、ご両親からお車代を頂きました。え?気を使っていただかなくても・・・受け取りました。息子に聞くと、なんだか最近の結婚式は、こういうのが普通になってるようです。僕が泊まると言えば、きっと費用負担は新婚さんやご両親に行くはずです。ここまでしなくても・・・と思うのですが。朝から出かけて行きますよ。そう言えば2週間ほど前、次男から電話があり、S君のヨットに乗ってる写真をメール添付で送りました。先輩の結婚式では、次男が受付の洒落たデザイン看板や二次会のデカイ看板を作り、二次会の司会までしてました。今度は、式の時流す2人の生い立ちや馴れ初めのビデオを作るようです。二次会の方もするのかな?そう言えば明日の夕方は、手伝ってるK大ヨット部の卒業式です。俗に言う「追いコン」というやつです。ここでも挨拶をするように言われています。こないだの日曜日練習に行ったとき、念を押されました。キャプテン君の陸トレ重視方針、サブキャプテンの既に教授然とした風格、風が更に上がってフィニッシュ前にノーレースになってしまったけどトップ回航、牛窓でのインカレ直前練習・・・ちょっとお笑いで元旦北海道宗谷岬カブチャレンジ・・・そして最後に、これは絶対忘れてはならない1人女子マネさんの頑張り。しゃべろうと思うことは頭の中で箇条書きにはなってるけど、具体的には何も考えていません。行きの電車の中で具体的な言葉を考え、後は例によって話しだした流れでこなしましょう。親父や母親の葬儀の喪主挨拶と同じです。下手くそだけど、情景が浮かぶとか味があるとか言われるいつもの挨拶で行こう。宴会隊長な長男もしょっちゅう結婚式に呼ばれているようです。先輩の結婚式の司会を任されて、次男にデザイン看板を作るように頼んでました。我が家の男どもは、なんだかみんな頼まれるタイプのようです。
2010/03/05
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日曜日の朝、いつものように6時頃目が覚め、実家のカーテンなどを写真に収めました。元親父の部屋のカーテンが感じよく、新調する他の部屋のカーテンも同じ色合い柄のものにしようとパチリとしました。お風呂に入って、朝食を食べながらTVを見てると、ちょうどスケートの女子団体戦でした。決勝戦は日本とドイツ。すごいじゃないか、いつの間にこんな競技が始まったんだ?最後の半周までリードしてて、数回前のオリンピックで馴染みも注目度も低かったスキーノルディック複合男子が優勝した時みたいなことになるんじゃないかなと思ったのですが、結果は100分の2秒差で銀メダルでした。でもすごいじゃないか。この日は手伝ってるK大学ヨット部が、僕のホームポートに遠征に来てるので、通勤スクーターリード110で浜に向かいました。浜で着替えるのが面倒なので、カッパもライジャケも着て走りました。少々風が強めで、いい練習が出来そうです。久しぶりのディンギーヤードです。9時出艇なので8時過ぎに到着。監督さんが来られてて、合同練習のお相手KDさん艇庫前で、戦法の学生やOBさんとペチャクチャ。僕の母校の艇庫のお隣さんで、知ってる子がたくさんいます。今シーズンから母校監督に就任した後輩A君が自転車でやってきました。相変わらずカッコいいです。KDさんも新監督さんです。この浜の現在の2強の合同練習がもっと盛んになると、浜全体のレベルが更に上がるだろうから、今後に期待です。先に母校が出艇して行きました。続いてKD合同練習組が出艇。出艇直前のブリーフィングもK大の学生には新鮮だったかもしれません。いつもとパターンが違うからね。僕には、コッチの方が馴染みます。来月KDを卒業してOBになるKくんや現役Hさんなどジュニア出身者とペチャクチャ。コーチボートに乗ろうと、KDのインフレータブルボート(ゴムボート)に乗ろうと桟橋に向かうと、新調されていました。VSRって、あのスロベニアのメーカーさんのじゃないか。波のある海面でも全く濡れないデザインの快速艇です。抵抗の少ない船型のようで、エンジンも一回り小さいもので大丈夫だそうです。以前他で乗ったことがありましたが、あらためて性能の素晴らしさを感じました。強化ゴムチューブに巻かれていますが、ボトムは深いV字で走波性が良く、スロットルを一気にひねってもバウ(前)が上がらずにスムーズに加速しトップスピードに乗ります。深いV字のため、波の粗い海面でも波に叩かれず突っ切ります。しかし、バウやサイドから切った波の飛沫が乗員を濡らすことがありません。小回りも効き、インフレータブルボートの特徴の通り、サイドに乗ってもそれほど傾きません。こんなの持ってたら、おもちゃにして走り回ってそうです。両校の監督さんとともに3人で出艇しました。離岸した途端、ハーバーから津波のアナウンスが入り一旦帰着しました。キャプテンが出艇を見合わせたようで、部員が桟橋を走ってそれを伝えに来ました。前日に起こったチリの大地震からの津波がこっちに向かってるようです。KD監督さんが伝えに来たマネージャー1人を乗せて、先に出て行ったKGや他大学に情報を伝えに行きました。予想波高30cm・到着時間3時半という詳しい情報が入り、再び出艇しました。2日間の合同練習の成果を見るために、本日の練習メニューはフリートレースです。真ん中スタートの旧オリンピックコースでしたが、途中で風がなくなり不成立となりました。合同練習に加わっていた神戸のレスキューが下マークをスクリューに巻いてしまい、インフレータブルでサポートしましたが、どうしても取れずレース本部船のKDレスキューボートが曳航してハーバーバックしたりしている間に1時を回り帰着時間になりました。最後の方で再び北風が吹き出し、5m/sほどの風の中気持ちよくハーバーバック出来ました。帰着後昼食、合同ミーティング・K大だけのミーティングを経て、津波に備えて解装し本日の練習は終了です。ミーティングでの学生達の言葉を聞くと、合同練習で随分刺激を受けているみたいで、先の九州大との福岡合宿とともに、確実にレベルアップするでしょう。監督やコーチのアドバイスも必要ですが、肌で感じた感触というものが、レベルアップには最も重要になると思います。赤ちゃんが歩く大人を見て自分も必ず歩けると思いつかまり立ちを始めるように、身近な環境が選手を育てます。いくら「お前は歩ける」と言っても、見本を見なければ絵に描いた餅です。こういう合宿が恒例になるといいです。KDさんは、去年惜しくもインカレ総合優勝を逃した強豪です。神戸のキャプテンは広島ジュニア出身のD君でした。声を掛けると、「覚えてますか?」って反対に聞かれました。大人はあまり顔が変わらないけど、小中学生と大学生とでは体格から何から随分変わるので、覚えてないと思ってたようです。もう新4回生になったのですね。息子とは4年も違うので、同じレースに出てても競い合った仲ではありませんが、ジュニアの理事時代、親御さんには随分お世話になりました。お父さんに似て、穏やかな話しぶりで、好青年に成長したようです。卒業後はどうするのか聞いてみたら、世界を見に旅をするそうです。学生になってからヨットと勉強で、世間を見回る機会がなかったからのようです。今年卒業せずに留年し、来年院にでも上がるのだろうか?ハーバーを出るときは、当所の津波到達時間を過ぎていましたが、日頃の浜と変りなく、係留艇の心配もないようなので、そのまま帰りました。朝、ハーバーからアナウンスがあってから、陸上の警官の見回りはもちろん、水上警察や海上保安庁の船が拡声器で防波堤釣りの方に注意を促していました。ようするに「帰れ」ということです。
2010/03/01
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日曜日は、手伝ってる大学ヨット部のこの秋卒業した部員たちと大阪湾クルージングでした。金曜日に低気圧通過で雨が降ったので、西高東低の寒波が来ると困るなと思っていたのですが、それほどでもなく、ハーバー桟橋に着くと薄く晴れて北から2~3m/sの風でした。エンジンをかけ、船を換気し、トイレを流し準備万端です。センターハウスに戻ると、部員達も大方集まっていました。卒業生7名と1回生女子マネさん3人の計10名の参加でした。琵琶湖では、来週まで現役部員が練習なのですが、1回生マネさん達は「行っといで」と送り出されたのでしょう。まず陸上のレース艇に行きライジャケを3つ調達しました。でも係留艇の方にも十分あったみたいです。10時過ぎ、東出入口より外に出ました。母校ではないですが、お隣の艇庫のヨット部と出入口ですれ違いました。4回生が卒業しても両クラスで11艇出ています。相変わらず人数が多いです。中途半端な時間に着艇ですね。きっと早めに朝の練習に出て、午後からは艇庫の掃除でもして今年の練習収めなんでしょう。入学試験前にある後期試験に向けて、勉強モードへの切り替えの時期です。すぐにセイルアップ。赤灯台から大阪湾に出て神戸空港方面に行こうかなと思っていたのですが、ランニングで艇速が上がらず面白くないので、進路を尼崎方面に取り、岸沿いを大阪湾に抜けることにしました。ホワイトレースの最終戦のようで、朝から準備しているレース艇がいました。駐車場でジュニア出身の子に会いました。「あれっ?今日は?」と聞くと、レースに出るとのことでした。レースを観に行ってもいいね。部員たちにドライブを代わり、いい感じで一文字の白灯台を抜けました。淀川河口から4~5m/sのブローが入り出しました。部員サポートで女子マネさんドライブです。海遊館の方に行くことにして、舞洲の水路を抜けました。クローズで数度タックして海遊館の前まで来ました。USJに向けて大川を遡りましたが、遊覧船のサンタマリアが追いかけてきて、邪魔になったらあかんのでUターンしました。復路は海の科学館前を通り、人工島の一番沖を回って再び大阪湾に入りました。北の5~6m/sに時折ブローが入る気持ちのいい快走です。女子を怖がらせてはいけないので、ジェノアもメインもリーフして、ブローに合わせてメイントリマーが忙しくシートを出し入れする形で一文字の赤灯台目指して大阪湾を横切ります。ちょうどホワイトレースのスタートと重なり、はるか下でスタートしたレース艇がぐんぐん上ってきます。学生たちは初めて間近に見るクルーザーレースの迫力を楽しめたようです。赤灯台を回り西宮港に入りクローズでハーバーを目指します。東出入口前でセイルを下ろし着艇、船を洗いクラブハウス2Fでお茶して解散しました。半分ホワイトレースの閉会式用に準備され、レースを終えたクルーたちがバラバラと集まって来ていました。今シーズンの最終レースなので、今日のレース結果と、年間チャンピオンの発表もあるのでしょう。1日いい風に恵まれ良かったです。天気と風はお天道様のお恵なので僕にはどうすることも出来ませんが、風がなかったりしたらホストが「申し訳ないな」という気になります。いい風に恵まれ、クルーザーセイリングがどんなものかを体験できたようです。学連ヨット部は4年間ですが、ヨットの世界は大きな広がりのある世界で、年齢や性別に関係なくできるのでこれからも楽しんで欲しいと思います。この日のお礼としてワインをもらいました。天気は薄曇りで、寒波も入らず、平年並みの気温に恵まれました。モコモコの着込んで、カッパを着てたので寒くはありませんでしたが、やはり海の上はもっと暖かい時がいいです。
2009/12/15
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天気予報は夕方から雨なので、面倒だからヨットの乗りのカッコで通勤スクーターでハーバーに向かいました。カッパは防寒対策にもなり快適です。8時半ごろ陸置きヤードに着いてカバーを外し艤装を開始します。2ヶ月連続で野暮用と重なりレースメンバーから外れていたので久しぶりのレースです。本日のメンバーT先輩とS先輩が来られ我が家の事情を話すと、ラッキーにも翌日にマストの乗せ換えをするようで、レース後は桟橋に繋いだままにしておくようで、船の塩出しがありません。ちょっとお先に失礼することになりました。朝からどんよりと曇り、夕方から雨という天気予報は当たりそうです。北の軽風で、ブローと気まぐれな振れで、最後までチャンスはあるけどミスると大差で負けることもあるレースになりそうです。ここにある船をチャーターして富山で活動されている2艇が参加されており、10艇のレースで楽しそうです。2人の先輩が乗った係留クルーザーE号が見守る中、第1レースがスタートしました。いつものようにハーバー岸壁から西のブローが入り、西目のコースを選択し、トップ争いをしながら上回航です。気まぐれな振れと強弱に翻弄され、めまぐるしく暫定順位が上下します。何度か暫定トップの場面がありましたが、マーク際で向こうの艇にいい風が入り2上を2位で回りましたが、中央コースを選択したのが悪かったようで、まあ僕のスピンが走らなかったからですが、左右から後続艇に抜かれ、6位まで順位を下げて最終下マーク回航です。調子のいいクローズで4位まで挽回してフィニッシュ。2レース目もアウタースタートを狙い、下3でスタートしましたが、高さでラインに届いておらず、上平行に富山さんがいる苦しいスタートになりました。スタート直前、さらに風が下に振れたので下1艇でさえスタートが苦しいです。こういう時は早くタックし、最初のポートの走りあいが勝負の分かれ目になります。スキッパーに「今はタック出来ません」富山さんがタックしたので、うちもタック。スピードがついたところでスターボ艇が来ました。レースの流れとしては「うそ」と言う感じですが、少しベアになりそうだなと思ってると、リーバウを走る富山さんから「前を通らせて下さい」というレースとは思えない声が上がりました。スターボ艇からはもちろん拒否の声。当たり前ですね、これが通ればルールなんて要りません。富山さんはスターボ艇の下受けして左に行かれました。僕らにはラッキーです。スタートラインを早く離れるためにリーバウに富山さんがいる苦しい位置でもポートにしたのですが、スターボ艇が露払いのように富山さんを連れていってくれました。前がクリアになり、スタートのビハインドを取り返すチャンス到来です。その後左目の展開をしたのですが、左に出すのが遅かったようで7番ぐらいで回航。トップ目に富山さんがいます。Tさんから、富山さんはココの風を知らないからいずれ落ちるよとの予言。Tさんからスピンポールの高さを指摘され、高め高めのセットに変更し、2艇抜き先行艇との差をつめました。トップ艇も何度もジャイブし苦しそうです。精神的に参る風です。次ののぼりレグはスピードはありましたがコースが悪かったようで、左右に出した艇に抜かれて8位。この順位は本日のクローズのスベリから言って不本意です。スキッパーがいいスピードをプロデュースしてるのに、コースを引いてる僕らが情けないです。ベアブローをもらってタックしてたつもりですが、中途半端だったようです。ここはなんとしても順位を上げねば・・・「さっきいい感じのスピンでしたから、また抜きまっせ~」ランニングは、僕の担当してるスピンワークが大きくスピードに物を言います。第1レースでふがいなかったので、僕もかなり真剣でしたが、また2艇抜いて6位で最終下回航。5位の富山さんに上平行気味に押さえられながら西に出ます。少しずつうちがバウを出すので、いずれやられると思ったようで富山さんが小さなベアブローでタックして先に中央に寄せていきました。次にもっと大きなベアブローが入り、「よっしゃ~」喜びのタック。「このままこののぼりが続け」とばかりに「いいですよ、走ってます」とスキッパーに声を掛けます。軽風のクローズでは、ヒールと小さなジブトリム以外クルーの仕事は少ないです。スキッパーの滑りに託すしかありません。スキッパーから見えるポートの先行2艇との差は縮まる気配がないので、「速いなあ。追いつかんなあ」とかスキッパーが言っています。セイルに集中しよそ見できないスキッパーから見えない東海面の艇よりいいようですし、先にタックした富山さんとは高さがどんどん開いていっています。「右海面に行った艇は抜きましたよ」「先行艇とは差がありますが、後続艇には大差をつけましたよ」スキッパーを乗せ、気持ちよく走らせるのも大切です。2艇抜いて4番でフィニッシュ。軽風でレグが長かったので、既に2時を回りこれで本日のレースは終わりです。11時から3時間強で2レースです。日が短くなったし、5時からパーティーもあるので3時ごろには帰着しないとあきません。
2009/11/24
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地元ジュニアヨットの理事長さんが来られました。「これ、またお願いします」今月初めにあった全日本と次の週に地元クラブでやったクラブ内レースの写真CDです。あ~だこ~だ1時間ぐらい話して帰って行かれました。クラブの親子大勢での遠征を楽しんでこられたようです。全国で2番目にクラブ員の多いクラブになりました。僕が担当してるクラブのHPにアップしなくちゃね。CDに収まった写真やムービーを見てると、こっちまで楽しくなってしまいます。子供達の笑顔がいいんですよね。それらはHPにアップしましたが、子供達の笑顔のアップの写真が何枚かあったので、来週はHP表紙の写真を更新してみようかな。昨夜、次男君が帰ってきました。今日のお昼にジュニア時代からずっと一緒にヨットをやってきた同級生のK君の結婚式に出席するためです。真夜中の12時過ぎ、指定されたJR駅で待ってると、1本前の電車に乗れたようで予定より早く駅から出てきました。「ん~あれか?」似てるけど違うかなと思っていたら、次男君でした。仕事を終えてすぐにやってきたのかもしれない・・・さらに洗練されてかっこよくなってました。電車の連絡がすこぶるよく、夕食を食べる時間がなかったそうで、「天下一品」に入りラーメンを食べました。次男君とこには「天下一品」のお店がないらしいです。京都が発祥のチェーン店だから、関東にはないのかもしれません。「こってり味、久しぶりやわ」だって。披露宴の二次会は、「花柄」というドレスコードが掛かってるらしく、花の服を買ったそうです。「花を差したらいいんじゃないん?」と聞くと、それでもいいそうですが・・・なにやら考えて購入したのでしょう。新婦さんもヨット部だから、ジュニア・高校・大学とヨット関係者が多いでしょう。K君と次男君は、次男君がヨットクラブの試乗会に参加した小3の時からの付き合いです。K君は1年前から始めていました。K君は全日本に4年生の時から出場しています。次男君は、5年生の時に初めて出場できました。自分の全日本には何度も出場してきましたが、息子のサポートで全日本に来るのは初めてでした。開会式後のスキッパーズミーティングで、「じゃあみんな帆走指示書を出してください」と言われ、後で見ていた僕はドキンとしました。「帆走指示書ないし・・・」「ない人・・・」。K君と次男君だけが手を上げました。「帆走指示書持たなくて、スキーパーズミーティングに出てもしょうがないやろ」といきなり小言を言われてしまいました。後から、「すいません。何処で帆走指示書をもらうのですか?」「え?事前に送ってあるでしょ?」「いいえ」「どこのクラブ?」「・・です」「え?そんな名前のクラブあったっけ?」次男君の成績は、140艇中134位というほぼビリに近い成績だったけど、僕は「よっしゃ、見返したる」と意欲が湧きました。親御さんみんなで強いクラブに練習方法を聞きにいき、みんなで協力し、中1の全日本で、世界選手権最終選考会に出場できるトップ40に5名入れ、最終選考会の初日は、1~4位・6位でした。でも、全日本で思い出すのは、この5年の時のことです。遠征用コーチボートもない超弱小クラブなので、K君のお父さんと僕は陸上から望遠鏡観戦です。今から思えば、心細かったでしょう。あるレースで、次男君はブービーさんから少し離されてビリを走っていました。最終マークを回ってフィニッシュまで最後の風上航です。幸い沖からの風だったので最後の風下マークは岸に近く、双眼鏡で追いかけられました。見てると、なんとブービーさんに追いつきました。そしてポート・スターボでミート。そして・・・衝突・・・なんでやねん。次男君はスターボ艇(右側を風上にして走ってた)だったので、ポート艇(左側を風上)のブービー艇がルール違反で、ルール違反ペナルティーでブービー艇がその場で720度回転し始めました。K君のお父さんにも喜んでもらおうと、「うちの子ブービーを抜きました」K君のお父さんは、双眼鏡から顔を離し、「回ってるの、うちの子です」お互い、顔を見合し大笑いしました。なんとブービー艇はK君でした。最後のマークでは、もっと前を走っていたのにビリまで遅れてしまったようです。K君のお父さんは、披露宴の最後に一言お礼の言葉を述べたのでしょう。おめでとうございます。僕は祝電を打ちました。新婦も大学ヨット部で知ってるので、2人に向けてのメッセージにしましたが、5年生の時のこのエピソードを書いた方が良かったなあ・・・内容も読まれたら、絶対披露宴で笑いを取れたのに・・・
2009/11/14
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ヨットをやってた次男君の同級生K君が、結婚することになりました。1~2ヶ月前、次男君が帰ってきた時に、「お父さん、Kの結婚式に呼ばれてるん?」「いいや、結婚すんの?」「うん」既に結婚したというウワサを風の便りで耳に入っていたのですが、まだだったんだ。次男君が小学校3年生に上がった時、長男君の時同様、5月の連休に市の主催でやってるヨット教室のことが載ってる市広報を見せました。長男の時は、「僕、行かへん。野球部に入るからさあ、ユニフォーム買って」と言われました。「まあそんなこと言わんと、1度ヨットに乗ってみたら?」と一言だけ言ったのですが、翌週にはクラブ指定のショップでユニフォームを買いに一緒に行っていました。残念だったけど、無理やりやらせても碌なことがないです。心に湧き起こる「・・・したい」「・・になりたい」は、神様からのお願いです。それが無理そうなことでも、素直にそれに従うことで、その人の最も輝ける場所に導かれます。隠れキリシタンな僕の心情です。神の意思に逆らうのは、本人のためではありません。親なんて、「これがどう発展していくんだろうなあ」と楽しみながら、応援してればいいだけです。そして次男。「行ってみようかなあ」って、あっさり体験してきました。僕がヨット部出身なのは知ってるので、僕が強く勧めたらクラブにも入るだろうなと思いましたが、あえてヨット教室にも僕は付き添いませんでした。僕らが作ったジュニアクラブで、子供が遊園地世代になるまでは、ずっとそこでコーチをしていました。つまりそこは僕の居場所でもあるわけで、それを感じた息子が僕のためにクラブに入るかもしれないからです。自分が好きなものをするのが一番なので、選択するのは息子の問題で、親が介入するものではないと思いました。数日間の教室が終わり、修了書を嬉しそうに持って帰ってきました。その日は日曜日だったので、いつものように家族で外食の日です。せっかく修了書をもらってきたので、ちょっと奮発してホテルでプチお祝いをしました。そこで、「お父さん、教室が終わった時さあ、クラブもあるからと言われてん。僕ヨットクラブに入ってもいい?」・・・と、予想外の嬉しい提案をしてきました。「もちろんいいよ。誰かに誘われたの?」「ううん、僕だけ。他の子はみんなやれへんって。でも僕と同じ学年の子がクラブにおるねん」その子と仲良くなって、彼に誘われたのかもしれないけど、次男だけで入ろうとしてる。ヨット部だった僕とは関係なく決めたようです。話しぶりでは、すでに指導者に意思を伝えてきてるようです。本物だ。1年前に入部してたその彼がK君です。以来、小中学生時代は同じクラブで全国に遠征し、高校ではヨット部のある次男君が中学から入ってた学校に入学してきました。ついでに、ジュニアクラブでの同学年男の子4人のうち3人、さらに隣のクラブ(といっても琵琶湖ですが)の同学年の子も同高校ヨット部に入ってきました。大学では4人ともバラバラの大学に入りました。琵琶湖で練習する大学に、次男君とK君・N君、それに地元ジュニアで一緒だったけど高校は別だったT君も琵琶湖で活動する大学に入りました。1回生の全日本個人戦予選初日で、470級で次男君が、S級でT君が各大学の4回生エースを抑えてトップでした。僕は2日目の最終日にレース観戦に行ったのですが、張り出されているその成績を見て、痛快でした。3回生の時は、470級1位K君・2位次男君、S級1位T君で、全日本に駒を進めました。このときも、僕だけのがんばりではないのに、我が教え子が琵琶湖を席巻したと大満足でした。この5人は、小学生時代からの大の仲良しで、社会人になって東京と関西に分かれましたが、なんだかんだと集まっているようです。腐れ縁というやつです。多分死ぬまでこんな感じだと思います。次男君に披露宴会場を聞いて、祝電を打っておきました。K君の暴露ねたは山ほどあるのですが、まあ無難な文章にしておきました。K君の奥さんは、大学ヨット部のマネさんで、現役時代から付き合っていたので僕もよく知ってる子です。外部から数年間見ていましたが、彼女のマネさんの仕事ぶりは大したもので、いい子だなと思っていました。K君は、とても明るく、すぐに友達を作ってくるので、ジュニア時代の他クラブとの交流は、いつもK君からの線が最初でした。それが面に広がって、みんなより楽しくクラブを過ごせました。当時、日本で一番楽しいクラブとまで言われていました。K君は、クラブで一番速く、ヨーロッパ選手権日本代表選手にもなったけど、おちゃらけ・お笑い・ずっこけなキャラなので、リーダーとして最高でした。2人で、明るく楽しいしっかりした家庭を作っていくでしょう。これから、悪友達も家庭を持って行くんだろうな。
2009/11/04
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月曜日は風が強い日でした。牛窓に行った日曜日は、昼頃前線通過ということだったので、雨と風を覚悟していたのですが、雨は降ったけど風がなくてレースが出来ない状態でした。でも翌日の月曜日は、木枯らし一番の強風が入り、Sクラス参加艇72艇中半分に近い船のマストが折れたり曲がったりしたそうです。当然セイルも多数が使用不能になったでしょう。同じ日、僕のホームポートでは、練習していた大学ヨット部の艇が沈(ひっくり返る)して、海上保安庁に救助されました。艇体放棄し岸に打ち上げられて大破した船もあったという話も聞こえてきました。これは昨夜帰宅して、家内から「ニュースで映像が流れていたよ。監督さんが頭を下げてた」と聞いて知りました。今朝のニュースでも流れていました。僕も学生時代、自艇ではありませんでしたが、クラブ内の船で艇体放棄したことがあります。大抵は前線の通過時で、急激に気温が下がり、大粒の雨と共に猛烈な風が入りパタパタと倒れます。風や波が強くでうまく立てられず、多数沈してレスキューボートの手が回らない時に、乗員だけ拾い上げて、余裕があれば艇体はアンカーを打って放棄します。前線通過に伴う突風は、大抵1~2時間なので、一旦浜に戻って体調と体制を整え、再度艇を拾いに行きます。アンカーを打つ余裕がなければ風向によっては浜に打ち上げられます。砂浜だったら被害は少ないですが、岩場や岸壁・テトラポットに上がると、船はボロボロで修理不能になります。まあ大変な状況ですが、ライフジャケットさえ着ていれば、命を落とすことはなく、怪我さえもしないのがほとんどです。実に安全なスポーツだなと思います。早く救助される決め手は、船から離れないことです。離れると黒い頭は、少し離れただけで波が邪魔して見つけられません。船だったらすぐに見つかります。さらに同じ日、四国の沖太平洋上の黒潮上で、ヨットから落水した男性が、数時間後救助されました。ニュースで海保のコメントにも流れていましたが、暖かい黒潮に乗って流されたのが救助の決め手になっていたと思います。黒潮の水温は、今朝調べたら現場海域で25度でした。気温よりよっぽど暖かいです。それとこの方も、ライフジャケットを着ていたことです。ライジャケを着ているので沈む心配がなく、慌てず浮かんでいたのだと思います。日曜日、牛窓は風がなくレースが出来ませんでしたが、江ノ島で行われているジュニア(15才以下)全日本は、朝から強風が吹き荒れたようです。でもその合間を縫って1レースしたそうです。レース委員長は僕の知り合いがしていますが、決断しましたね。結局2/3ほどが、沈したり、走れなくなって時間内にフィニッシュできなかったようですが、人命に問題なかったようです。全国の予選を通過した140艇が全日本に駒を進め、上位40名だけが翌年春休みに行われるナショナルチーム選考会に進みます。一番小さな子で小学生の3年生ぐらいでしょうか。江ノ島沖は波が大きくなるので、ほとんどの子の身長より高い波の中を走ります。前の船との間に波が入ったら、前の船が視界から消えます。そんな中でも、子供達は立派に走ります。わが子君も、小5で初めて参加した全日本で、こういう状況になりました。とても走れないなと、クラブミーティングで、「リタイヤして出なくてもいい。自分で判断するように。無理して船を壊し翌日からのレースに出られないより、自重するのもなんら恥ずかしい判断ではないから」と、暗にリタイヤを勧めましたが、「僕、行く」と爆風の中、レース海面にかっ飛んで行きました。僕は、その後姿を見送りながら、涙が出てきました。当時は小さな吹けば飛ぶようなクラブだったので、遠征用レスキューなど持っていなく、ハーバーから見送るだけでしたが、以降自前のレスキューを常に持ち込み、選手のがんばりに負けないサポートを心がけました。ヨットはライフジャケットさえ着ていれば、とっても安全なスポーツです。1964年東京オリンピックから始まった日本のジュニアヨットですが、レース中はもとより練習中も含め、全国でたった1件の人命も失われていません。サッカーだとこけて擦りむいたりしますが、ヨットではそれもほとんどありません。わが子君も、大学生になって、沈起こしでモモを怪我するまで、かすり傷もせずにヨットを続けてきました。僕は高校生最初の練習で落水したのを皮切りに、何十回となくライフジャケットに助けられています。反対に言えば、どんな状況でもこれさえ着ていれば大丈夫と思っています。だから、子供達との海水浴でも、周りから変な目で見られても家族全員でライフジャケットを着ました。3歳ぐらいから着せています。今はそういう人も多くなりましたが、当時は僕らだけでした。フェリーでも着ていました。今はかっこいいライジャケが一杯あるので、水辺で遊ぶ場合は着て欲しいと思います。フェリーの備品の国指定桜マークのライジャケは今一ですが、ヨット用や水上スキー用のはカッコいいです。水辺では、着てる方がおしゃれです。
2009/11/03
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日曜日は、また牛窓に行ってきました。2週間前は全日本インカレ練習手伝いでしたが、今回は本番のレース応援です。ほんとはレースサポートと言いたいところなのですが、支援艇はインフレータブルボートだけなので、工具・セイルなど交換部品を積むと一杯で2人が限界のように思い、船上サポートは出来そうもありません。ハーバー近くでレースをするようで、防波堤観戦できるようなので、参加各校もそういう体制のところが多いでしょう。1レースごとにハーバーに戻ってくるようですし、陸上でサポートすることにしました。監督さんもいるので、昼頃からのサポートでいいでしょう。気楽です。今回はバイクで行く予定でした。ところが、日曜日の午後に前線通過してその後冬型気圧配置になって一気に気温が下がるという予報です。前線通過=しっかりした雨&強風という構図が成り立つので、バイクを断念することにしました。手前の相生とかで高速を下車し、地道でたっぷりと兵庫・岡山県境を楽しもうと思ってたのに残念です。大阪に行く予定だった家内を、「牛窓で自転車に乗る?」と誘ってみると「行く」とのこと。あそこのハーバーの駐車場問題のことと、早朝自転車の時間を考え5時に自宅を出発しました。朝慌てて用意するのは忘れ物の元なので、夜のうちに車に自転車など大物を積んでおきました。連休中ですが、早朝なので渋滞もなく順調に中国道・山陽道を西進し、GPSの指示通り、前回同様の道を辿ります。山陽道備前IC-地道-ブルーライン蕃山IC-一本松IC-地道牛窓です。2時間ちょっとで牛窓到着。まず牛窓YHに。ハーバー正門前に選手の人だかりが出来ています。まだ門が開いてないようです。自転車の用意をしてる間に門が開き、選手達の掛け声がハーバー内に走りこんで行きます。僕も学生時代はこんなでした。係りの方に駐車場所を指示してもらおうと思ったのですが、2週間前に停めたハーバー前の駐車場がかなり空いています。「ここでも良さそうだな」と特等席に駐車できました。早速自転車を出してゴソゴソしてると、サポートしてるK大の子達が同じくここに車で到着しました。「おはようございます」「ここ大丈夫かな?」「いいみたいですよ」「ちょっと自転車でぐるっと回ってから戻ってくるわ」。「まずトイレ」というリクエストなので、牛窓ホテルリマーニに向かいます。ホテル前に自転車を置いてると、クロークの方が出てこられて、「こっちの見えるところにどうぞ」。朝の身だしなみで女子は時間が掛かります。僕はホテルの桟橋まで出てクルーザーを見物。ロビーに戻って「朝ごはんを食べてもいいな」と物色していると、「Kさんじゃ?」。僕がジュニアの理事の時の選手の親御さん。そも世代が今大学生です。1年ぶりです。奥さんも降りてこられ、「いや~」。僕らの装束を見て、「自転車乗ってるの~」。朝食バイキングは8時からでまだ20分ほどあるので、自転車後にしました。朝ごはんを食べないと何も始まらない家内は、家でもう食べているので大丈夫です。「木蓮寺」に上がり、趣のある家が並ぶ旧道を東進し牛窓瀬戸。木造の灯台を見上げ海岸に沿って北上し牛窓海水浴場。ここに牛窓神社の石鳥居があり、石段の広さが大神社の風格です。ここからえっちらおっちら道路は勾配を強め、牛窓神社裏のトンネルを抜けて海に向かって下ります。いかにも湾を防波堤で仕切りましたという広大な平地が広がりました。農地拡大で仕切ったのでしょうが、減反の世の中、ただ遊んでるだけの原野になっています。防波堤上の車進入禁止の道路を北上します。1段下がった海際で釣り人が竿を振っています。「朝の自転車って気持ちいいね」と気持ち良さそうなので、今度日頃の「早朝自転車」に誘ってもいいかもしれません。広大な平坦地を回って、今度は西進です。浄水場のように小さなプールをいくつか持った工場がありました。そのプールを見て「塩田だ」とピンと来ました。「塩田」という文字を道中で見かけたし、水が干上がったプールは真っ白です。そのまま西進したら、見慣れた景色のところに出てきました。消防本部の建物の横を、車で朝走ってきました。その時は気づきませんでしたが、ブルーラインのICがそこにあります。「なんだ?ここで下りれば、近いじゃないか」。そこに「竹久夢二生家こっち」の看板があったので、更に少し西進しました。東京から移設されてきた夢路が住んだ家と、生家がありました。「ここ来たことある」と家内。言われてみれば以前来たような。子供達が小さな時、家族で牛窓に来た時寄ったのでしょう。牛窓のペンションに泊ったなあ。500円払って拝見し、横の公園の売店で、家内がお土産に予定していた食べる方のバージンオイルを購入しました。その売店のおばさんのしゃべることすさまじく、「疲れないのかなあ?」とあっけに取られました。ここから田舎道を牛窓に向かって南下します。交通量の少ないこの道も快適ですが、オリーブ畑があるかなとちょっと道を逸れてヒルクライム。お目当てのオリーブ畑があり、牛舎もあって楽しい道でした。朝車で走った道に出てきたので、手前の旧道をゆっくり走ります。牛窓市街まで戻ってきて10時半、UOUOというレース海面が見渡せるレストランでブランチにしました。10時スタート予定なのですが、自転車で走っていたも風を感じなく、予想通りまだスタートしていないようです。海上で風待ちでしょう。シーフードなメニューをおいしく平らげていると、レース艇がハーバーに戻っていきます。陸上待機になったのかな?さあ行くかと、外に出てみると軽く雨が降ったみたいで、道路に雨粒の跡。サドルにも数滴。3時間毎の天気予報で12時に雨だったので、自転車中に雨に降られることを覚悟していましたがラッキーでした。しかも空を見上げると2時間ぐらいはまだ持ちそうです。ハーバー内に入るといきなりSさんがいました。これもジュニア出身者のお父さんです。「やあやあ」。K大のバースに行くと、予想に反し、「え~自転車。かっこいい」とか行って集まってきて囲まれてしまいました。昼食後も陸上待機でつまらなかったのでしょう。格好の話題提供になってしまいました。「かっこいいって・・・初心者用だし・・・」ロードバイクでは一番安い10万円ほどのヤツなのに、えらく持ち上げられました。家内のはピンクでかわいいって。レースはスタートしたのですが、風が弱く潮がスタートラインから1番マークである風上マーク方向に強く流れ、下がろうと思っても潮に流されてどんどんスタートラインを出て行ってしまう状況で、フライング艇が多すぎて3回やり直した末、陸上待機になったそうです。車に戻り自転車を片付け、双眼鏡などレース観戦グッズを肩にレース観戦装束になって再びハーバーに。母校バースに監督とジュニア出身で後輩になったO君のパパさんがいました。隣の関西水域ライバル校のバースにはK君が。「・・さん」と声を掛けらた方を見ると、ライバル校コーチ君がノースショップの店番をしています。「コーチで来てるのと違うん?」「今回はこっちです」「西宮から商品持ってきてるん?」「そうです」「あれがなかったな」とショックコードを購入。K大のミーティングを終えダベッてると、雨がポツポツ。気温も下がったのでこりゃ来るなと、車に戻りカッパ&傘装束に。ちょっと歩くと知り合いに呼び止められ、声を掛けいっこも前に進みません。たくさん来てた元OPペアレンツさん達と交流を持てました。Hママさんに聞くと、Hパパさんは、江ノ島で行われているジュニア全日本のレース委員長だそうで、娘はここでレースに出てるのに、そっちに行ってるそうです。江ノ島情報も逐次入ってるようで、今朝は20m/s以上の風が入り出艇禁止・・・。しばらくすると1レースやったとか・・・独自のネットワークですね。雨が小降りになったところで、学生達が声を張り上げ船に走り出しました。いよいよ出艇かなと思っていたら、なんとレース中止で解装です。挨拶して帰路に着きました。帰りは自転車に乗ってて見つけた邑久ICからブルーラインに乗りました。Nさんの話だと、新しいGPSは邑久ICを案内するそうです。新しく出来たICなんだそうです。僕のGPSに入ってる地図は古いのですね。結局「レース応援&おまけ自転車」だったのが、「自転車メイン&おまけダベリング」な1日になりました。レースはあと2日間、選手にがんばってもらいましょう。
2009/11/02
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船だまりなどを写真に収めつつ、のんびりハーバーの方に戻ります。いつもの寄り道心のまま適当に横道に逸れましたが、たいてい堤防で終わってたりしてUターンな道でした。一応朝食用のパンは持って来ていますが、昼食分を調達しなければなりません。自転車にセットしておいたお茶も家内に抜き取られ処分されていたようで、朝から水分を欲していましたが自販機がなく喉がカラカラです。「なんでなくなってるねん」と一言言いたいところですが、自転車セットのペットボトルは、なくなるまでそのまま何日もセットしたままで飲むので、家内が定期的に処分し僕の健康を守ってくれています。だから、仕方のないところです。「どこかで調達しなくちゃ・・・」と思案していると、多分市街地唯一のコンビニを発見できました。お茶におにぎり2つを持って支払おうと思ったら、なんと僕のトレパンポケットの中の350円で足りませんでした。泣く泣くおにぎりを1個除きました。僕の寺社めぐりのお賽銭相場は、通常10円で、「寂れてる(氏子が少なそう)けど雰囲気のいい神社」には50円とか100円とかなのですが、本日のポケットには10円が少なく、それが品切れになったので気前良く100円とかをチャリンしたのでこんな羽目になってしまいました。8時半出艇だから7時半ごろ来るかなあとハーバーに入り、船の置いてあるところに着きましたが誰も来ていません。ここでおにぎり朝食です。車に戻ろうかなとハーバーを出ようと思ったら、駐車場でみんながゴソゴソしていました。みんなのところに向かうと、「え~自転車ですか~」と驚かれました。「そうや、家から150km、大したことないわ」なんて言えたらすごいのですが、「車で来きてん」と正直者です。10分ほど遅れて出艇しました。桟橋にはアクセスディンギーが並び、身障者の大会をやっていました。ハーバー内の平水面がレースエリアでした。身障者ヨット大会は、こういうところでするのがデフォルトなのかもしれません。風向は西で、ハーバー沖に上マークを設置すると、風下マークは牛窓瀬戸方角で、前島フェリー航路の少し北に設置しました。今まで2回、インターハイと国体のレース観戦に来ていますが、こんなに牛窓港に寄ったことはありません。前島の南西にある黒島とハーバーの間より南西がレース海面だったので、「もっと向こうでレースするんじゃないの?」と言いましたが、大会実施要綱には「陸上から見れるヨットレース」をするとのことで、ココのエリアだそうです。でもこんなとこで140艇のディンギーが集まったら、「営業船の出入港の邪魔になるんちゃうかな?」と思うのですが。上・サイドマークに比べて下マーク位置の水深は深いものでした。瀬戸の流れによって海底がかなり掘れているようです。つまり、「ここは流れが強いよ」ということですね。浅くて流れのない琵琶湖で使ってるアンカーのままなので、マーク流れが心配です。「きっとマークが流れるからチェックしとこう。営業船に迷惑かけたら大変なことになるよ」潮汐表を見ると、午前11時が満潮で夕方5時が干潮ということです。9時で朝と同じ牛窓湾から牛窓瀬戸から瀬戸内海に向かう北東への流れがしっかりあります。前島港の南西向きの防波堤が、潮当たりで小さな波がたくさん立っています。満潮・干潮時刻と潮止まり・反流開始がどんな関係になるのかチェックしないとあきません。風速は4m/sほどで、吹かない牛窓にしては風がある方じゃないかと思います。楽しい練習が出来そうです。レース練習に入ります。先週から4艇で第1レースのスターター3艇とリザーブ1艇を選ぶレース練習をしています。サイドマークからレースエリアに向かって潮を横から受ける感じになっています。第1レース、2艇ずつ左右に分かれましたが、やはり潮のある海面でのコース引きの鉄則通り左に出した2艇がリードしています。風の振れはありますがブローが入ってる感じではないので、潮の影響が大きいように思えます。次のレグからは、肌で感じたのでしょうみんな左を基本にコースを組み立てているようです。でもレースは最初にリードしとかないと挽回するのは難しいです。インフレータブルアンカーにマークを結び、スタートしたらそれを離してレース艇を追いかけます。予想通り、フリーレグで回航したマークを振り返って確認している艇が見受けられません。スタート前に、キャプテン艇だけがスポンジを投下して潮を確認してるだけでした。海で練習してる子には潮を考えながらレースを組み立てるのは常識ですが、琵琶湖で練習してると分からないのが当然です。2レース、何も言わずに観戦した後、全艇集合させて、潮のことをアドバイスしました。レース前の潮の見方、レース中の見方、対処方法など。風が弱いレースが予想されるので、より潮の影響を受けやすいです。レース本番まで数日の練習で、少しでもデータと経験を積みましょう。ブローが南西の牛窓湾口の方から入るようになってきました。先週の練習の風を部員に聞くと、「安定すると南西」とのことなので、基本風軸が左に振っていくのかもしれません。ここで下マークが流れ出しました。「こりゃあかんわ」ということで、下マークを南西側に動かし、瀬戸から離すようにしました。今までの場所はすぐ下が航路なので落ち着きません。レースしながら走り回って、上やサイドも南西に移動です。ハーバー後の山の影響なのでしょう、風の息が結構あります。でもブローは南西からばかりで、山を回って北西側から入るブローはありません。この風向なら沖出しが勝利の基本かもしれません。午後になり、8~10m/sが風速のベースになり、ときおり6m/sというコンディションになりました。予想通り風軸が左に振れて南西です。レース艇を追いかけながら、左に左にマークを打ち変えるので忙しいです。さらに2度ほどマークが流れるし・・・。3時までレースをし、その後はロング帆走練習に入りました。走り合わせはいい練習になりました。ただかなり沖に出たので、少し心配でした。フリーも琵琶湖では体験できない波の海面だったので、「パンピング~」「波に乗せろ~」「動作を大きく~」「遊べ~遊べ~」と、各艇の後につき叫びました。日没は5時、6時には暗くなるでしょう。4時半ぐらいが着艇のタイムリミットだなあと思いながら練習に付き合いましたが、沖に出しすぎで遅くまでし過ぎと思いました。未知の海面で、沖の潮がどれほどなのか分かりません。海岸線を見て、「岩場が多いな」と最悪を想定しながら、ドライバーに燃料確認し付き合いました。学生のやる気に水を刺したくないし・・・されとてここまでという限界は僕が判断しないといけないし。結局、僕が「一旦帰ろう」とチーフに言って引き返しました。海上での日没はかなり危険です。インフレータブルボートだから、航海灯の設備がなく、日没後の航海を法令で禁止されています。陸上でも「真っ暗」の経験がほとんどないだろうこの子達だから、そういう状況になったらパニックになりそうです。風なんていつ落ちれしまうか当てにならないし、トラブルが出たら帰着が更に遅れます。5時10分前に着艇しました。トラブルがなくて良かったです。ミーティングは真っ暗で、潮のことだけしか話せませんでした。でも1日いい練習が出来ました。風も上がったので、みんな気持ちのいい疲労感を持って京都に帰れたでしょう。次週末は練習に参加できないけど、主な出場校も現地入りし合同練習で大会の雰囲気に飲まれないようにしたらいいと思います。その次はレース本番だから、悔いのないよう思い切って、そして楽しんで欲しいです。
2009/10/21
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日曜日は、牛窓に行ってきました。11月の初めにあるインカレ会場です。手伝ってるクラブが出場するので、先週からレース艇をこっちに持って来て、週末練習しています。その手伝いと、牛窓・小豆島のあの付近は、風光明媚でいいんですよね。観光も少しです。朝8時半出艇なので、それまでの時間を観光に当てるために土曜の夜出発しました。自転車持参で電車に乗り、駅から吉井川沿いに下るのも魅力的でしたが、朝の出艇に間に合いません。バイクも考えましたが、夜明け前に2時間、1日インフレータブルボートで海上練習に付き合った後に、夜を2時間高速というのは安全上の問題から選択から外れました。でもほんとはバイクで行ってみたいんですよね。最寄は備前ICだけど、赤穂とか相生で高速を下りて、時速50kmほどであの辺の空気や風・匂い・景色を感じたい。仕事を終え自宅に戻り、夕食と風呂をやっつけ、用意を始めました。僕の車はワンボックスワゴンなのでこういう時便利です。2・3列目シートを倒しフルフラットの床を作り、布団を敷いて家と同様の状態で社中泊できます。自転車などを積んで家を出ました。ご贔屓のGSでガソリン補給と空気圧点検して高速に乗ります。時刻は11時、夜出発だと時間に余裕があるので気楽です。でもいつもなら夢の中の時もある時間です。僕は睡魔に勝てるのでしょうか?中国道から山陽道に乗り換え、単調だけど一気に備前ICまで。ここからがいいんだけど、あいにく真っ暗です。GPSの指示通り、高速もどきのブルーハイウェイに乗り、2時間10分ほどで牛窓に着きました。前回はいつだったろう?子供達と共に家族旅行で来た時は夏だったな。その後レースがらみで来たし・・・そうそう母校中学の夏キャンプの応援で来たのが最後だったような。牛窓港で寝ようと思ってきたが、ヨットハーバー付近にも車を停めるところがあるかもしれないとYHに来ると、門の前に30台ほどの無料駐車場があります。ハーバー内駐車場も無料みたいだけど、朝の事を考えると外の方がいいかな。すぐに夢の中に落ちてしまいました。いつもより2時間ぐらい遅く寝たので朝起きれるかなと思っていましたが、5時半に目覚めました。まだ外は暗いし・・・と頭を巡らせば、朝焼けなのか、東の空が赤い感じです。ライトがいらなくなる6時ごろ、自転車を用意し、ヘルメットを被り「早朝自転車・牛窓偏」に出発です。まず牛窓市街から離れる方向に向かいます。女3人かしましいおばさんが、朝の散歩からお帰りのようです。「おはようございます」。早朝活動仲間として、この挨拶が似合います。地元でも反応はいいですが、ここの方がやはり反応がいいです。車が停まっていると釣り人有です。海岸べりの空き地にキャンピングカーが停まっており、横のテントには前夜の夕食の段取りが食事以外そのままな感じです。自転車が車に寄りかかっており、絵になっています。風はなく結構暖かいので、気持ちがいいです。牛窓湾を望む海岸を走り、次の入江に沿う道が大きくカーブするところでUターンです。ハーバー前を通過し、今度は市街地に向かいます。市街地と言っても知れてます。牛窓町役場が瀬戸内市牛窓支所に変わっていました。磯の香りがそれほど強くないけど、釣り人が多いです。いつものように旧道と思われる道に進路を取ります。行き止まりUターンもありましたが、古い町並みや寺社が現われ、写真を撮ったりや自転車を置いて階段を上って景色を眺めたりで忙しい。「本蓮寺」というお寺に上ると、境内を掃いていたお爺さんがいました。「おはようございます」「早いね。ここは牛窓観光の人はみんな立ち寄るところだよ。朝は誰もいなくていいよ」と。どうやらボランティアで毎朝掃除してる風です。牛窓では一番大きそうなお寺だから、住職などがいるだろうに。こういう方がいるから朝早いのに門が開いていたのかもしれません。近隣の方みんなが自動的に氏子である神社は、門はなく夜中でも誰でもウェルカムな感じだけど、檀家が維持するお寺は、門があって早朝は閉ざされているところが多いです。ここは少し高台になってるので、牛窓湾の眺めがいいです。牛窓・前島間のフェリーが動いています。明治時代の銀行が観光施設になってたり、趣のある佇まいの家があったり、苔むしたレンガ作りの煙突があったり見飽きません。「素晴らしい眺望」だったかな?そんな文句の看板に誘われて階段を上ると小さな神社がありました。「こっちの方がいい眺めだな」と思い四方を巡らすと、いかにも眺望の良さそうなところに鳥居が見えました。「あっちに上ってみよう」入り組んだ道を感で移動すると当たりです。麓にも鳥居があり、階段を上って行くと、南側の牛窓湾だけじゃなくて東の瀬戸内海も見渡せます。お参りのご夫婦が後から上がってこられ「おはようございます」。二拍一礼一拍の様式に乗っ取り、毎朝の定番という風にお参りをなされ、本殿を一周され、横の小さなお宮さんにも定番されました。こっちは何の神様なのかな?神様の世界は、昔からフライチャイズ制度が整っているのか、本宮の後とか横に小さな社が並び、恵比寿さんや宮島さんなど、一所でいろんな神様のご利益を得られるようになっています。きっとフランチャイズ料として上納金が上がるようになってるんだろうなあ。更に東に向かうと、どんつきは牛窓瀬戸でした。瀬戸には灯台があるのが定番です。趣のある木造の灯台が残っていました。もう現役を退いて観光目的のためだけにあるのかもしれませんが、なかなかいい雰囲気です。瀬戸を見ると、牛窓湾から東の瀬戸内海に向けて結構な流れです。小型セーリングクルーザーの非力補機では突破できないかもしれません。灯台を1周しようと向こう側に回ると、そこで釣りをしていた20代の男子3人から「おはようございます」と挨拶されました。おっとこれは失礼「おはようございます」都会を少し離れると、10代の今時のかっこした中高生でも男子は、結構挨拶をしてきます。そんな時、「日本も捨てたもんじゃないなあ」と思います。学力などは向上機会が多い都会の子の方が有利なんでしょうが、田舎にはそんなんで測れない人としての温かみみたいなものがあるように思います。損得に走りやすい殺伐としがちな都会の目線で、日本全部を見ては間違うし、「いまどきの若者・・・」という表現は、一部の人しか見ていない表わし方じゃないかなと思います。地元の方風だったので、ついでにココの瀬戸の流れの事を聞いてみました。さっき神社から見た風景では、前島の向こうに2つ小さめの無人島がありました。当然その間にも瀬戸があり、その流れがみんなレース海面の牛窓湾に影響します。ココの瀬戸が一番流れは速いそうです。フムフム。知らない土地でのレースでは、漁船のおっさん、釣り人、地元セイラー・・・有益な情報を持ってるものです。
2009/10/20
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今日は天気予報どおり、時折パラパラ来る天気でした。天気予報が当たらないとよく耳にしますが、子供の頃から思ったら雲泥の差で、素晴らしいなと思っています。明日は天気が良いそうです。ということで、明日予定してる晴天率日本一の岡山県行きは、2輪もいいなと思っています。2週間後に、日本のエーゲ海牛窓で、全日本学生選手権団体戦が行われます。幸いにも8月の地方予選を突破したので、先週から連続で毎週末現地練習しています。明日はそれに参加です。来週は、3人乗りヨットのポイントレースなので行けませんが、再来週も牛窓に行きます。一番安易なのは車で、大阪から150km弱、2時間というとこです。同じく高速道路を使ってバイクで行く方法と、電車&自転車のコースもあります。電車&自転車の場合、夜行列車がないので、どうやっても朝8時半の出艇時間に間に合いません。牛窓のレース海面は陸に近いので、電話してコーチボートに拾いに来てもらってもいいのですが、僕が見れる最後の練習なので、できればみんなと一緒に出艇したいので、却下になりそうです。最寄駅から20km、吉井川沿いの道を取れば平坦な道が続いていそうで楽しそうなんだけど・・・バイクは、車より道中が楽しそうですが、往復200km以上単調な高速道路走行というのが今一です。より早く出かけて、高速を下りてから牛窓までの道を探索する手もあるなあ。一番無難なのは車だけど、スキー行きの時のように、今夜帰宅後すぐに布団と自転車を積んで出発し、今日中に牛窓に入って車中泊。どうせ早く目が醒めるだろうから、自転車で界隈を探索というのはどうだろう?あそこら辺は何度も行ったけど、ほんとに素晴らしいところです。沖に小豆島が浮かび、近くには母校中学所有の無人島があります。その中学のキャンプを手伝ってた時、ここで中学生にヨットを教え、牛窓インターハイの時は、校旗を打ち立てて、島から付属高校ヨット部の応援に繰り出しました。朝日を浴びる静かな内海や低山のオリーブ・・・なんてのを写真に収められたら最高です。もう少し迷ってみましょう。
2009/10/17
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「僕らはこれで帰りますんで、・・さんはバスで帰ってください。バスと電車の方がずっと早いですから」と、僕より7つ上の先輩と3つ上のSさんの奥さんとはココでお別れです。時刻は4時半。船をここに置いて、明日また取りに来る手もありますが、何度も走ってる海でもあるし、海象が穏やかなので、ナイトクルージングで帰ることに、僕の買出し中に決まったようです。母港は正面方向です。「僕も家内・息子・母親と夕食の約束が・・・」なんて当たり前ですが、おくびにも出しませんでした。もっとも、もっと大事なことがあっても、僕は船を取ります。「台風だ」と言えば浜に走り、「トラブルだ」となると、「よっしゃあ」と血が騒ぐのは何故でしょう。幼稚園や小学生の頃、川が氾濫して家が浸水した時、大はしゃぎで後始末をがんばり、台風一過の翌日は真っ先に外に出て、近所の台風被害を見て回ったのと、ほとんど進歩していないようです。男子の血は、元来こんなものなのでしょう。4時40分に帰路出航です。一旦凪いでいた風がまた吹き出していますが、帰路のセイルアップはナシということになりました。明石海峡の潮は東向きに転じたようで、どんどん淡路島から離れて行きます。しばらくは航路浮標以外障害物のない海です。魚網ブイにだけ気をつければいいです。家内に電話し「西宮寄港が8時回るから、当初の予定はキャンセルね」1時間もすると日没時間帯に入り、淡路島の上に夕焼けが綺麗です。それをバックに明石海峡大橋が浮かんでいます。Sさん・Kさんと3人で、寿司を突っつき、船内でコーヒーや日本茶を作って・・・ガールズトークならいいのですが、残念ながらおっさんトークです。もうほぼ真っ暗です。行程の半分ぐらいSさんドライブで、「寒なってきた交代や」と、後半は僕がドライブしました。ドライブに飽きてくると、どうしても後輩にステアリングの役目が回ってきます。体育会で育った上下関係からくる暗黙の了解というヤツです。まあ学生の時、技術を教えてもらい、先に社会人になった先輩から、貧乏現役はなんだかんだと援助してもらってきたから、当たり前です。大阪湾を包む明石・神戸・大阪の町の灯が輪郭しています。再度山と摩耶山に神戸市のマークが浮かんでいます。摩耶山ケーブルが山に光の筋を作っています。前・後・マストトップの航海灯を点けた僕らの船は、どんな風に見えるのだろう?スプレッダー下の下向きライトが、デッキを明るく照らし、船の回りもぼんやり明るくしてるので、懐中電灯の必要はなさそうです。当初、神戸空港連絡橋下をくぐる予定でしたが、岸に近づくと何かがあるかもしれないしと、空港島沖を通ることにしました。高速の本船に気をつけましたが、夜はほとんど走っていません。いっぱい電気を点けたフェリーが通るぐらいです。神戸空港島をかわすと、伊丹空港離発着機が見え出しました。神戸空港離発着機や遠くの関空離発着機の光を見ながら来ましたが、本数では伊丹空港の比ではないです。両空港を足しても伊丹に負けているのではないかなあ。伊丹への侵入路には常時2~3機のライトが等間隔に一直線に並んでいます。その合間に離陸機があり、空港クローズの8時まで大繁盛のようです。橋本知事がいくらがんばっても、伊丹の便利さには関空は太刀打ち出来そうもありません。これから母港に向かって岸に近づくので、より注意が必要です。遠くに目標の阪神高速湾岸線の灯を視認し、近くの人口島の角っこ灯台の点滅を探してドライブします。GPSで確認してるKさんから、「あの点滅が・・やから、その右やで」と確認の声が飛んできます。赤・白灯台、夜は赤・緑点滅の間を通り、かって知ったる庭に帰ってまいりました。でもここから30分はかかります。ハーバー東出入口からハーバーに入ります。慎重に桟橋に着けて、楽しかったナイトクルージングも終わりました。セイルを上げずの機走だったので、緊急回避にも360度どっちでも対応できるから安心でした。
2009/10/15
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土曜の夜、突然次男から電話が入りました。「ヨット部のMさんの結婚式で京都に来てるんだけど、電車がなくなって東京に帰られへんから家に帰るわ。それでさあ、大阪までしか電車がないねん。迎えに来てくれる?」「ああいいよ、いつものヨドバシ前ね」1回生の時クルーをしてくれた先輩が、ご結婚されたようです。スポーツセレクションのない学校なので、たぶん息子はクラブ初のジュニア出身者だったと思います。初めて乗る470級で、正式入部もしていない5月のレースでいきなり好成績を上げ、1回生の時からレギュラースキッパーに抜擢されました。大学にも、新しい艇種にも慣れていない息子の能力を十二分に出させてくれたのが、この方です。ジュニアのレースで琵琶湖に行った時、レースの合間にボートを走らせて、「お世話になっています。どうぞ息子をよろしく」と挨拶に行ったことがありました。穏やかな男前という印象が残っています。大阪駅で夜空を見上げて待っていると、同期のI君と2人でやってきました。I君とは、学部卒業後も何度か艇庫で会ってるけど、スーツ姿を見たのは初めてです。スーツのよく似合う社会人になっていました。帰りの車での会話。「明日さあ、お母さんと船で関空近所の二色ヨットハーバーに行くんだけど、一緒に行く?」「・・・」「台風対策を元に戻す作業もあるので、朝7時に家を出るけど」「やめとくわ」これはまずいです。家内は何も知らずスヤスヤ寝ていたので、何も言わずに出てきたけど、次男君が帰ってきたとなるとドタキャンされるかも・・・案の定、帰宅してゴソゴソしてると起きて来て「あらっ、帰ってきたの」「明日、やめとくわ」ということになってしまいました。日曜日は、予定通り出発しました。1人なので原付通勤スクーターで向かいます。車より確実に早いからね。国道を走ってると、後から元気な原付スクーターが、僕を抜かしていきました。「ん?ライジャケ着てるし」信号で追いついて声を掛けると、やっぱりNさんでした。前日、仕事場にやってきたばかりで、Nさんの次男君の国体優勝などで盛り上がったばかりなのに。しばらく原付バトルを繰り返し、まず実家に向かわれるNさんと途中でお別れしました。僕もライジャケ着てたので、ライジャケ着て原付に乗るこんな特殊人種はすぐに分かりますね。ハーバーの陸置きヤードで、ハーバーリングと結んだシートを片付け、オーニングを被せ、3人乗りレース艇の台風対策を解除しました。続いてこれから乗る係留艇に向かい、まずエンジンを掛けます。すぐにエンジン始動し、こっちの台風対策を解除しました。やれやれと船内で朝ごはんのおにぎりを食べていると、先輩達が来られました。S先輩の奥さんも登場です。奥さんは、元マネージャーさんで時々来られますが、うちの家内が来る予定だったから、他の予定を曲げて来てくれたのかもしれません。「すいません」。西出入口から出て、機走しながらセイルアップです。当初は関空近所の二色YHに行く予定でしたが、関空方面はクローズでタックを繰り返す風向なので、この風向でも1本で行ける淡路島翼港に行き先変更しました。翼港寄港には事前FAX申し込みが必要なので、船内から資料を出して来て電話番号を調べます。電話で寄港を申し込むと、大型船寄港予定があるので空いてるか調べてみますと。返答の電話があり、寄港OKになりました。ポートタッククローズギリギリの位置にある翼港を目指します。僕は時々ジェノアのウインチを回す程度で、景色を楽しみました。この日は空気が澄んでいて、神戸空港島をまで出ると、綺麗に明石海峡大橋が見えます。淡路島由良も友が島も紀伊半島の加太もクリアに視認できます。夏の霞んだ空気が、冬の澄んだ空気と入れ替わったようです。走り出して2時間、案外早く淡路島が近づきましたが、ここからが難儀でした。突然の予定変更で明石海峡の潮を調べていなかったので、ダイレクト少し南寄りに翼港に寄せていましたが、西向きの潮のようで、明石海峡に吸い込まれます。結局、9時に出発して1時前に到着でした。この日はいつもの桟橋に観光船が入るようで、この場所を指定されました。観光船で来て、駐車場で待ってるバスで帰るツアーをやってました。こんなパワーボートで来たら、あっという間に来れるんだろうなあ素敵な船が来ていました僕は港事務所に向かい、寄港申込書を書き600円払いました。昼食をウエスティンホテルにするか花さじきにするか迷いましたが、港のおっちゃんによると、ホテルは高いばかりということで、花さじきで食事にします。いつもなら日曜日といえど空いてるのに、さすがに連休中日、えらい人出で、どこのお店も並んでいます。中華のお店に入り「本日のランチ1600円」を注文。うまかったです。で、ここから帰路。後からの風を受けて、快調にホームポート帰港という段取りだったのですが、ここでハプニング発生です。なんとエンジンがかかりません。バッテリー?ようわかりません。僕はこの船のメンテナンスをやってもらってる後輩のI君に電話です。「バッテリーが弱ってて、圧縮空気に負けているのかもしれません。シリンダーの上の・・・」、指示通りいろいろやりましたが、あきません。「もうすぐフィニッシュなので、一旦切ります」って、レース運営してるみたいです。彼が売ってるX35の全日本かもしれません。そんな時でも彼は慌てず、落ち着いています。僕が母校コーチの時の選手だったけど、いいヤツです。先輩の方からは、ヤンマーメンテナンスの方ともやり取りします。それでもダメなので、最寄りのヤンマー代理店を手配してもらいました。プロのお兄ちゃんがやってきて、「セルが動いていないから、分解清掃してみます」と作業をはじめてくれました。「懐中電灯、手配しよか」「バスの時刻を調べてくるわ」と、次の算段に。プロが来られたので、エンジンをいじくっていた僕の出番はなくなり、港事務所に向かい、懐中電灯の確保のために最寄のお店と、交通手段を相談しました。事務所のお母さんから通勤スクーターの借用を取り付け、バイクで20分ほどのところにあるスーパーを教えてもらいました。借りたバイクが素晴らしく、フルフェイスのヘルメットがぶかぶかで、走りながら時々ヘルメットを上に上げないと、目隠しを食らいます。さらにスーパーからの帰りにエンジンがかかりませんでした。セルスイッチは死んでおり、キックも100回はしたけど反応ナシ。やけになって3連続でキックしたら弱く動き出し、これを逃すものかとアクセルを吹かしてまともに動き出しました。僕のスクーターの優秀さを再認識しました。スーパーで懐中電灯を確保し、お兄ちゃんにお土産として缶ビール1セットを購入しました。やっぱスーパードライかなとも思ったのですが、ここは息子君んとこの売り上げに貢献しないとと思い「秋風」を購入。総額4010円。腹が減ると何かといさかいが大きくなりやすいし、トラブルの時は前向きなアイデアも出てきません。巻き寿司セットをいくつか購入しました。翼港に戻るとエンジンが復活して僕を待ってる風です。お母さんに無理やり、ガソリン代として1000円受け取ってもらいました。さて帰路です・・・
2009/10/14
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台風一過の朝を迎えました。4時に一度起き、TVで台風情報を聞きながら外の様子を見て、「大丈夫そうだな」と二度寝したら次は7時のお目覚めでした。風は強いけど雨もほとんど上がってて、通常勤務が出来そうです。いつもと変わらない1日が始まりました。道路に折れた枝やちぎれた葉っぱがくっついて、台風の風が強かったことを物語っています。「おお~バス停が倒れてる~」「また倒れてる~2本目や」と、台風被害を探すワクワクな僕がいます。台風対策に、意気を感じ事前に走り回るのと、台風一過翌日の朝のこのウキウキ感、子供の頃から全く変わっていません。お客さんの話によると、午前1時ごろが最も風が強かったそうです。昨夜、TVで台風情報を見ながら、これまでの進路からだと偏西風で西に曲がるから、TVが予報する紀伊半島上陸じゃなくて、海上をかすめるんじゃないかなと予想してたら、僕の予想の方が当たりでした。ここらは、四国と紀伊半島の間を北上してくるルートの時がきついように思います。大阪や神戸直撃でなくて良かったです。この台風に備え、一昨日の夜、仕事を終えてハーバーに向かいました。ハーバー着は9時半。母校ヨット部の艇庫には電気が付いていました。台風に備え、泊ってるのでしょう。学生時代、台風だといえば艇庫に泊りでした。当時は砂浜出艇で、艇庫も砂浜に建ち、台風のときは潮がいつも以上に上がるので、適宜船を移動しないといけません。レスキューがひっくり返っても大変なので、担当が見回ります。今は、艇庫もハーバーもよくなり安心ですが、それでもね。係留艇に行き、ファーリングされているジェノアの周りをスピンハリヤードでぐるぐる巻きにしました。左右桟橋からの係留ロープを倍に増やし、後は天に任せるままです。泊りがけになるハーバー職員さんが見回ってくれるし・・・続いて陸置きの3人乗りレース艇に向かいます。バウ(前)とスターン(後)からそれぞれ2本・計4本のロープを出して、地面のリングに固定します。でもこれが難儀でした。地面のリングを確認すると、リングの上の蓋(小さな小さなマンホールの蓋のようなもの)が、砂が詰まって開きません。ドライバーを突っ込み、ハンマーで叩くがびくともしません。一応電灯がついていますが、薄暗い夜中での1人作業も寂しいし、お腹も空いてきたので撤収することにしました。ハーバー事務所棟の方に行くと、ちょうどハーバーガードマンさんがいたので事情を話しましたが、やっぱりハーバー職員さんじゃないから埒が明きません。あの蓋を開ける引っ掛けがどこかにあるはずなのに。さて翌朝の昨日、軽く雨が降っています。カッパを着て通勤スクーターにまたがり、再びハーバーに急ぎました。やっぱり朝の方がやる気が出ます。船のカバーを全部外し、船の中に突っ込みます。このカバーに風が入ると、船を倒しかねません。ホースを持って来て、強力な水流で難儀した蓋を攻めます。3箇所は開き、船と固定できました。でも最後の1つがなんともなりません。仕事もあるので撤収しました。仕事場からメンバーさんに、現状対策を報告しました。あと1ヶ所もハーバー営業時間になったら連絡してやってもらうと。僕がハーバーに近い方で、メンバーで年下、母校体育会ヨット部つながりのメンバー構成なので、何となく僕が率先して動くようにしていますが、ギリギリになったら皆さん動き出すので二度手間になってしまいます。10時を回り、ハーバーに電話して、艇名を告げて現状報告すると、「わかりました。やっときます」との返事。これでOKです。昨日、メンバーさんのメールが飛び交い、最後は夕方に、仕事後ハーバーに寄ろうといつもの電車通勤から車通勤に切り替えた先輩から電話がありました。「修理中のバウハッチが心配やけど、どうやった?」「一番上のカバーをもう一度きつく縛りなおしておきました」「下のベニアが動くんや、あれは?」「それはチェックしてませんでした」「ほな帰りしやから寄ってくるわ。他にすることある?」「コクピットに置いてある乗艇用脚立をドッグハウスに入れるのを忘れました。今夜また行ってこなあかんと思うてました。あれお願いしますわ」「よっしゃ」てな感じで台風対策を整えました。家内に浜に行ってたことを言うと、きょとんとしています。僕の中では、高校生時代から身体にしみこんだ「台風=船対策」ですが、家内は毎回のように僕が行ってるのに、ピント来ないようです。家も仕事場も被害ナシでした。後は船、何かあったらハーバーから連絡があるから大丈夫だったんでしょうが、係留艇の軽い雨漏りが気になったりします。今夜また行ってこようかな?それとも日曜日はクルージングでどうせ浜に行くから、早めに行って作業するかな?でもやっぱり、天気によっては家内も乗るので、準備を整えておかねば・・・家内の前で慌ててやるのはかっこ悪いからね。
2009/10/08
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こないだの日曜日、手伝ってる大学ヨット部のインカレ団体予選の手伝いに琵琶湖に行ってきました。1年間の1つの節目、ここで上位3校に入れなければこの代は終わります。このレースに合わせて帰省すると言ってた次男君と一緒に行くつもりでしたが、盆休みに続き東京で勉強三昧のようで、帰省は来週に延期され、私1人で行くことになりました。前日に用意したカッパ等のヨット一式バック、麦茶を入れる4Lウォータークーラーを車に積み込みます。私がレースに出るわけじゃないけど、大げさですが「決戦の地にいざ行かん」です。「京都東インター」から「湖西道路」に乗り換え、「皇子山ランプ」で眼下に広がる琵琶湖は、「風はあまり期待できそうもないかな?」でした。艇庫に着いて湖面を見ると、ムッとした感じはなく、長い風待ちにはならなそうな感じです。先週の学生全日本個人予選を経た2週間ぶりに見る顔は、いつもと同じく落ち着いて見えます。体操の後、シラカワ監督に続いて指名されました。「この1年間の集大成の最終日、萎縮せずに思いっきりレースにぶつけ、レースを楽しもう。でも最終日、特に最終レースはみんな入れ込んでくるから、冷静に、特にスタート前はね。最終レースは勇んでのリコール(フライングスタート)失格なので、レース結果を大きく左右するものだよ」みたいなことをしゃべる。ミーティングが終わり、レスキュー艇を停めてある琵琶湖マリーナに向かいます。新人女子マネ3人を車に乗せてハーバーに。上回生のマネさんに聞くと、1回生マネさんたちは、夏休みもずっとクラブに来ていたそうです。下宿生が多いので、夏休み中実家に帰る女の子が多い。当たり前なのですが、こういうのがクラブ全体の力をアップさせると思っています。ハーバーには、観覧船になるOBさんのクルーザーが停まっていました。半分そちらに分かれ、監督さんはじめOBさん3人、卒業したばかりの若手OB、それに上回生の2人のマネージャーさんと一緒に、支援艇の方に乗り込みました。マネさんもウォータークーラーを持ってたので、僕のは余分だったので観覧船側に寄付です。学生ヨット種目には、2つの違う形の船が採用されています。各クラス3艇ずつの合計点で団体戦を競い、クラス毎に上位3校までが11月頭の連休にある全日本に駒を進めます。470は2日間8レース終えて4位。3位とは、残り2レースを3艇とも片手付近でまとめて追いつくぐらいの点差です。8レース目は、2・3・4位でまとめ20点縮めたので、あと2つ続けるといい。更に最終日は、最終日特有のものがあるから、何があるかわからないからね。スナイプは現在3位。2位とは大きく離れ、4位とは1レースでひっくり返る10点、5位とは2レースでひっくり返る50点の点差です。第9レース、470クラスがリコール艇ありでスタートしました。誰がリコールしたか分からないので、スタートラインギリギリからスタートしたU君がスタートラインに戻り、もう一度スタートしました。う~む、これで万事休すかもしれません。まだリコール艇ありのフラッグが上がったままです。K君も戻りました。さらに厳しくなりました。でもあきらめずに、前を狙うだけです。スナイプクラスも、リコール艇ありでスタートしました。Y君が戻りました。スナイプは、失格を食らうと逆転されるので、これでいいでしょう。でもここから、Y君も這い上がらなければ。両クラス共フィニッシュ。470クラスは、上位との差を少ししか詰めることはできませんでした。スナイプクラスは、一旦戻ったY君もぐんぐん順位をあげ、4位を更に引き離しました。レースフィニッシュ後、寄ってくるレース艇に4回生マネさんが作ってきた麦茶を振舞っています。レースには出てないけど、彼女も4年間一緒に戦った仲間です。最後の最後まで出来るだけのサポートをしてあげたいのでしょう。いいね、こういうの。そして最後の10レースになりました。気まぐれな風を読んで、本部船が我慢強く風を待ち、北のいい風でスタートしました。しかしゼネリコ(リコール艇が多すぎて、スタートのやり直し)・・・またゼネラルリコール・・・また長い風待ちでタイムリミットギリギリの1時半にスタート・・・でもゼネリコ・・・そしてN/A旗(ノーレース・本日のスタートはありません)が揚がりシリーズは終了しました。結果はスナイプだけが全日本学生団体戦に駒を進めました。半分残念だけど、おめでとう。艇庫に戻ると、運営をやってた若手OBもパラパラと戻ってきます。閉会式はすぐに始まりました。閉会式から戻ってきた現役が船を片付けています。2Fでは若手OBが、買ってきた食材を並べて、祝勝会?残念会?ご苦労様会の準備をしています。窓から下を見ると、470クラスのUキャプテンが念入りに自艇を洗っています。ここで彼の学生470は終わりました。「1年間、ありがとうな」と船に語りかけているみたいです。僕は彼の背中に同じ言葉を掛けておきました。僕は全日本まで駒を進めたけど、少し前に行われた全日本個人戦の成績から団体戦は全国制覇できると自信を持って臨んだのに、弱い風ばかりでまさに惨敗しました。その時、レース海面からハーバーに戻る時涙があふれてきました。そして1年間組んでくれたクルーの下級生に、何度もありがとうと言い、来年がんばってくれと託しました。思い出します。5時を5分回りました。「何時から会を始めるの?」「もうすぐ始めます」・・・「ちょっと用事があるから先に失礼するわ。嫁さんと映画に行く約束があるんだ。待たせるとヤバイからなあ」と軽口を叩いて艇庫を後にしました。このレースで敗退した470チーム4回生は、感極まるものがあると思います。監督さんはじめ数名の現役チーム担当のOBさんがいるので、僕は抜けてもいいでしょう。家内との約束は6時半に茨木だから、まだ時間に余裕があったけど、無念な彼らに掛ける言葉が浮かばない。何を言っても、今の彼らの心に届く言葉にはならないように思う。だって、月に1~2回の手伝いなのに・・・。翌日、Uキャプテンからメールが届きました。自分の甘さを責める文面に、僕の持論を返信しておきました。彼のメールの後半に、「僕は、あと2ヶ月、全日本に出場するスナイプクラスを全力でサポートします」と書かれていました。すぐに気持ちを切り替えて、次の行動に移ってます。こうでなくちゃな・・・こんな彼らと毎年接することができて、僕は何て幸せなんだろう・・・
2009/08/27
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お盆休み初日は、ハーバー桟橋に係留してるクルージング艇に乗りました。高校ヨット部同期が2人東京から帰省するので、こっちに在住の僕ともう1人の4人で乗ります。更に先日甲子園初戦に勝った野球部だった同級生も加わります。そして今回はなんと家内も一緒です。美容命の家内には、炎天下のヨットなどもっての外の世界でしたが、どういう風の吹き回しか「私も行ってみようかな」とのたまいました。次男君もヨットやってるから、ここは一つ高得点を稼がねば。朝8時にお寺さんがお盆参りに来られました。親父の初盆でもないので、今回はあっさりと終了し、次の法要先の斜め向かいのおうちにスクーターを押して行かれました。この時期、スクーターお坊さんをよく見ました。師走は先生が走るけど、お盆はお坊さんが走る時期ですね。すぐに用意してハーバーに急ぎました。先週も乗ったので不安はありませんが、ゲストを迎えるに当たり一応始業点検しておかないとね。雨の心配はなさそうだけど、風が上がって飛沫を浴びる状況も考え、自宅にあるカッパを全部持ってきました。途中のコンビニで麦茶を4Lと氷を1kg購入し、ウォータークーラーに入れます。みんなが干上がっちゃうと大変です。先週は、桟橋の周りにボラがいっぱいいたけど、この日は少し少なめな感じです。エンジンは快調に回り、ハッチを開けてドッグハウスの換気をし、トイレもうまく流れパイプの詰まりもなさそうです。少し早めにセンターハウスに行くと、すぐに同級生達がやってきました。出艇申告しようとして、財布ごとセキュリティカードを船に置いてきてしまったことに気づきました。受付のお姉さんに船の番号を聞いて申告し、桟橋に入るために本日のセキュリティ番号を聞きます。いきなりみんなを待たせちゃって桟橋に入ります。「おい、ちょっと古なったか?」「うるせえ、余計なお世話じゃ。水漏れしなけりゃOKなんじゃ」ハルの外観は塗りなおしてないからくたびれ気味だけど、乗ったらそんなとこ見えないし。みんないい年のおっさんになってるのに、会話は一気に中高生のまま、言いたい放題です。もちろん仕事の話なんて全くナシです。まずは給油桟橋に着けて燃料補給です。65Lも入りました。ほぼ空っぽだったようです。ハーバー防波堤を抜けて、北風の中セイルアップです。本来ならスピンアップなんだけど、僕しかこの船を知らないので、ジェノアをファーリングしたままちんたらランニングで沖を目指します。母校の練習してる横を通っていたら、目ざとくこの船を見つけて、インフレータブルコーチボートが近づいてきました。僕が立って手を振ると、ボートに乗ってた現役がみんな立って、「こんにちは」僕に挨拶します。ちゅこちょこっと最近の様子を聞いて手を振りました。ちょっと前までは、後輩をよくコーチに来てたし、最近はレース観戦や新人勧誘でクルーザーを出して応援してる。練習艇からも、風が弱いので「こんにちは」と立って挨拶が飛んできました。僕も、現役時代は「それらしき人がいたら挨拶しとけ」でやってたけど、今思えば社会人になってほんとに役に立ったと思う。家内が、「運動部の子は気持ちがいいね」と感心しています。あなたの息子君達も、こういう世界をやってきたんだよ。就職で、体育会の子達の売れ行きがいいはずです。六甲アイランドのコンテナ埠頭に沿って、ポートアイランドに向かいます。お盆でもコンテナ船が2隻接岸し、荷揚げ・荷積みをしています。毎回思うのですが、クレーン作業が早いです。あんな大きなコンテナが次々に陸揚げされ、それをコンテナ輸送車が所定の場所に移動させています。風が弱いので機帆走でポートアイランドを沖出しします。神戸空港島とポートアイランドの間を西進します。交代でステアリングを握ります。家内は、船の少し遅れて回頭する船の動きが分からず、最初はみんなすることなんですが、ステアリングを動かしすぎであっちにこっちにバウが定まりません。その点、元ヨット部員はすぐに慣れますね。神戸空港連絡橋の下を抜けます。ぶつからないと分かっていてもマストトップが不安で見上げてしまいます。神戸空港の港から、関西空港との高速ジェットフォイル連絡船が出発していきました。連絡橋を過ぎて、神戸港に進路を変えました。風が出てくるとエンジンを止めセーリングだけで、なくなるとエンジン始動という難儀な状態でここまで来ました。ポートタワーを目指して港内奥まで入り、モザイクの観覧車の前まで来てUターンします。港内観光船が僕らの船がいるのでスピードを落としているのかもしれません。この横に観光船船着桟橋があるからね。まあ、警笛を鳴らさないところをみると、セイルアップしたヨットもお客さんの見学対象になっていいのかもしれません。岸壁に沿って、川崎造船と三菱重工の方に向かいます。神戸港に豪華客船や練習帆船がいなかったのは残念ですが、川崎のドックに潜水艦が2隻いました。日の丸から四方に赤い線が広がる日本海軍からの独特の国旗が掲げられています。僕がドライブして最接近してたら、観光船が2隻続いて潜水艦を見に来ました。もっと見ていたかったけど、ここは早期退散です。メインセイルを上げたままなので、ジャイブやタックが忙しいです。神戸港を出ると、南寄りの風が入ってきました。1日中北寄りの風の予報だったけど、予想以上に陸の温度が上がったのか海風に変わりました。いい調子で、再び空港連絡橋の下を抜けました。このときまた家内がドライブしてたのですが、随分学習したようで、目標を設定してあげると、真っ直ぐ走らせることが出来るようになってました。今度はエンジンをかけていないので、波の音だけで進むのが気持ちよかったそうです。空港島を過ぎると、再び陸からの風が入ってきました。この辺で、気圧配置から来る陸風と陸海の温度差から来る海風が喧嘩してるようです。ここからホームポートまで、4~6m/sほどの気持ちのいい北風が続き、タッキングを繰り返しながら、西宮港内に入りました。あまりヒールさせると家内が怖がるかなあと思っていたのですが、どうやら平気そうでドッグハウス入口の特等席に座って前を見て風に吹かれています。「タックや、準備いい?」「頭、気をつけて。ブームが返るよ」「ウインチ回せ、ジブ甘いぞ」「ウエザーきついから、少しメイン出して」・・・なんて元ヨット部員達はワイワイがやがや楽しみました。学生の練習海面に近づくと、他校の学生達も挨拶してきます。船名を見て、あっこのOB艇やとわかるのでしょう。桟橋に戻り、船を洗って、クラブハウス2Fでコーヒータイムにしました。帰りの車で、家内は「みんなとは久しぶりだわ。みんなお父さん(私)と似た雰囲気だね。安心していられるわ」と。同じように受験し、同じ中学の教育を受けたから似てるのでしょう。僕が帰着申告などしてる時に、サッと家内の荷物を持って、僕の車まで運んでくれたそうです。どうやら高得点を稼げたようです。ちょうどいい風が吹いてくれたおかげです。
2009/08/17
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先週の日曜日はレースに出場していましたが、同じ週末に東大主宰の七大戦が横浜の八景島でやってました。手伝ってる大学が、とうとう優勝を取り戻しました。次男君が3回生の時、強風でも吹かなかったら優勝できるだろうなと思ってたのですが、初日のアクシデントで全艇以降のレースをリタイヤして敗退してしまいました。こないだのレースのスナイプチームの奮闘を見て、今年もチャンスだなと思ってましたが、470は優勝東大に3点差の3位、スナイプはダントツ優勝で、総合でもダントツ優勝だったようです。「おめでとう。ようがんばりました」九大が10年以上連続で総合優勝してて、やっとこです。九大の前の優勝は当方だったようで、「優勝した」じゃなくて「優勝を取り戻した」ということにしときましょう。この日・月の連休は、メンバーでクルージング艇で淡路島に1泊で行こうかという話がありました。もう少し上の先輩達が動かしてるクルージング艇と2艇で、ということでした。でも僕は日曜日の午後仕事があったので、泣く泣く不参加です。昨日の日曜日の昼、勉強で神戸に向かってる時、ハーバー近くを通り、「今頃、どの辺走ってるのかなあ」なんて。勉強会からの帰り、「いい風吹いてるなあ。もう向こうに着いてるだろうなあ」なんて思いながらバイクで走ってました。芦屋で雨が降ってきて、「こんなとこで慌ててカッパ着てるより、海で降られた方がずっと気持ちいいなあ」なんて、1人でマイナスイオン出してました。勉強は楽しかったけど、それとアレは別物だからなあ。夕方に家内と待ち合わせの映画館に着くと、早く着いてた家内から「満席だって」というマイナスイオンが。大阪や神戸じゃあるまいし、ここで満席なんて初めてです。アマルフィス、ウワサが広がりすぎです、「あ~そう、仕方ないね。どこか行きたいとこある?」で、結局夕食食べに行っただけだけど、「今頃、淡路島では海の幸満載で宴会やってるだろうなあ」なんて、うらやましがっていました。
2009/07/20
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日曜日は、3人乗りヨットの毎月のポイントレースでした。9時集合だったので、いつものように早朝自転車に出て、朝食を腹に収めて出発しました。荷物は乗りの用意だけだったので、原付スクーターです。高速を使わず都会を走るなら、スクーターが最速な移動手段ですね。僕のは50ccなので、これが壊れたら100ccほどの原付二種スクーターで安心して最速しようと思っています。国道を50ccの制限速度で走るのは危ないです。30分以上早くハーバーに到着しました。陸置きバースでレース艇のオーニングをはずします。コクピット内の板をはめ込み、各種シート類をブロックに通し、どのセイルを使うか指示があればすぐにセットできるところまで準備しておきます。M先輩が登場し、ギルモアさんのサインが入った帽子をくれるそうです。ラッキーです。先月お休みだったOさんが来られ、セイルの指示を得てセットし始めると、S先輩が来られ、先週のオープンビックのレースでくたびれた話で盛り上がりました。オープンビックという、ボールペンで有名なフランスのビック社が作った10才前後をターゲットにしたヨットが日本に入ってきました。今日のレースにも出てくるヨットハーバーをやってる方が、日本での権利を買ったみたいで、レースをやるからと駆り出されたみたいです。数年前に日本に紹介した会社に勤めてた子が、僕の大学ヨット部の後輩で、子供に乗ってもらいたいと、うちのジュニアクラブの窓口として僕に連絡して来ました。僕の見た感じや、その時乗った子や親の感想から、最近流行のパフォーマンス・ディンギー乗りに導く入門艇という感想を持ちました。安定して止められないので、休憩する時は、船を横倒ししてその上に乗ります。俊敏に動かないと安定した姿勢を保てないので、船の大きさもあって大人には厳しいです。やはり予想通り、ジュニアのチビッコ達にはかなわなかったそうです。今年の世界選手権には、うちのクラブの子が日本代表で出場します。ヨーロッパだったと思います。朝は全く風がなかったのですが、10時になると、11時のスタートに合わせたように南西からソヨソヨと吹き出しました。桟橋を離れようとしてると、ディンギーヤードから学生がたくさん出てきます。レースなのかな?ちょうどOさんの出身校のレスキュー艇が出ようとしてたので、引っ張ってもらうことにしました。「お~い、引っ張ってくれ~」おっちゃんは、寄付してるので強いです。11時5分過ぎにJ24の予告信号が上がりました。どうもスピードが乗りません。上り角度が悪いようです。この日はクルーでしたが、スキッパーの心境が分かります。船が遅いと、長年ヨットに乗ってると、前に行ってないと感覚で分かります。どこかがおかしいです。ミドルのOさんがメインセイルのセッティングをいろいろいじくります。僕もジブリーダーの出し入れや高さを変えてジブリーチをコントロールしますが今一です。練習用セイルの限界を感じるなあと言っておられますが、前はもう少しなんとかなってたような感じがするので、悪戦苦闘です。風はいい具合に上がり、2レース目になると6m/sのいつもの風になりました。3レース目になってやっとこいいセッティングが出ていい感じになってきました。上れるようになりました。「ウエザーヘルムがなくなって、いい感じで前に出る」とスキッパーが嬉しそうです。体力的にきつくなってきますが、スキッパーから「ええ感じや」「ほれ、がんばれ」「最後のタックや」「今のジャイブ、スピンつぶれへんかったぞ、ナイスや」と声が飛んできます。会社でもこの調子なんでしょうね。部下ががんばろういう気になるはずです。僕の会社も、この会社と取引をしていますが、社員さんは皆さん感じがいいです。最終レースは最終レグのデッドヒートを制して3番に上がり、スキッパーのSさんはご機嫌でした。長めの最終アプローチは、それまでは上り負けで高さを失い負けていたシチュエーションでしたが、上って背中艇のアヘッドまで出て勝負ありです。いくつになってもヨットレースは面白いです。後日送られてくるだろうGPSデータが楽しみです。解装を終え、皆さん着替えてウェットバーで、レースのことで盛り上がるのでしょうが、僕はここで帰ることにしました。ハーバーのお店で買い物をしようと歩いてると、隣のノースショップから声が掛かりました。母校のお隣の大学のOBコーチ君が、「こんにちは。何か買ってってください」と。彼はちゃんとした仕事持ってるのに変だなあと思ってると、臨時で今日だけ頼まれてるようです。と、ジュニアクラブの親御さんがやってきました。お子さんの船の部品が壊れて買いに来たとか。目的のお店でキーホルダーを2個とショックコードを1m購入しました。ショックコードは自転車にビデオを付けるために、キーホルダーは息子君たちのGFさんへのプレゼントです。そういえば、今日のレースの準備をしてる時、今年から3人乗りを始められたライバル艇のオーナースキッパーSさんが、ジブバッグをくれるそうです。うちのオーナーS先輩が、「うちの艇は4つ」と言うと社員さんのMさんに「覚えといてな」と。ラッキーです。Sさんは、最近は街中でも良く見かけるジブバックのオーナーさんです。3人乗りヨットのフリートが楽しいのか、他艇のクルーみんなにバックをプレゼントしてくれるみたいです。しばらくしたら、Sさんに直接ジブバッグをちゃんと正規のお金払って注文しましょう。もらって「ありがとう」だけではあかんでしょう。誰にプレゼントしようかな?
2009/07/13
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ジュニアヨットのヨーロッパ選手権が始まりました。次男君がお世話になったクラブからも出場してるので、公式ウェブサイトのチェックを毎朝しています。前日、と言っても時差の関係(スロベニアなので8時間ぐらい日本より遅い)で、日本の朝の時間帯が、前日までの公式結果がサイトのアップされる直後です。コレをチェックして、僕がお世話してるクラブのHPを更新しています。今回この大会に出場してる日本代表選手は4人で、うちのクラブからは中学生女子が1人です。彼女は、去年お父さんの仕事の関係でシンガポールに転居し、今春ヒューストンに引っ越しました。日頃は近くのジュニアヨットクラブで練習し、日本代表になるために権利のかかる国内レースに合わせて帰国していました。まず全日本選手権に出る権利を得るために予選に出場し、全日本で40位以内に入り、更に今春あった日本代表選手最終選考会で上位にならないといけません。世界選手権(上位5名)には届きませんでしたが、ヨーロッパ選手権4人・アジア選手権7人・北米選手権5人の枠は獲得し、ヨーロッパ選手権代表になりました。最近はコンスタントに毎年、海外レースにクラブから出場していますが、その様子を毎朝チェックしてるととても楽しいです。次男君が選手の1人で僕が監督だった海外遠征の時にこのHPを始めました。中2だった彼が、今25歳だからもう長いです。元は個人的なHPだったのに、「もったいないからクラブのHPにしようよ」とおだてられ(そそのかされ)、子供はとうに卒業しちゃってるのに、僕はずっとHP担当で残っています。コレが縁で、クラブの理事長やったり、全国の理事やって、全日本の事務局長も数度やりました。その後も他の子達を海外遠征に引率したり、ヨーロッパ選手権の担当理事だった時に、なんと優勝しちゃいました。大学生になった次男に請われて、彼の大学ヨット部を手伝うようになり、これまた彼は卒業したのに僕だけまだ続けています。毎年、新キャプテンが「もう1年お願いできますか?」と更新してくれるんですよね。金銭的には持ち出しばっかりだけど、ありがたいことで、より豊かな人生になってるように思います。ヨット部のOB会からは感謝状をもらっちゃうし、今月はOB会名簿が送られてきて、僕の名前がOB会特別会員として載っていました。みんな子供からのプレゼントなんですよね。なんて幸せなことなんだろうと思います。話はそれちゃったけど、ジュニアクラブのHPをやってるおかげで、僕が選手たちを引率した時の事も思い出すし、次男君が行ってた時のドキドキ感も蘇ります。彼女の場合は、うちのクラブに入部する前にも海外に住んでおり、元々思考が広いですが、多くの選手は海外レースから帰国すると、視野が広くなったなと感じます。単なる海外旅行ではなく、お父さんお母さんがいるわけでもありません。日本人もたった数人で、各国の選手たちは、いろんな国の人と話せる機会なので、英語が母国語ではない子達も積極的に話しかけてきます。何処の国の親も考え方は似てるようで、そのきっかけ作りのために、たくさん交換Tシャツなどを持たせます。次男君も、Tシャツや帽子をいっぱい持って帰って来ました。Tシャツは今僕の下着になってたりするし、帽子は棚に10個ぐらいあります。ポルトガルやスペイン語圏の子も、似てることもあり日本人よりはるかに上手に英語を使います。そんなのに触れて、次男君も英語の大切さを身を持って知り、その後の英語の勉強に力が入りました。彼の場合、大会で知り合ったアルゼンチンの女の子と文通してたことも好影響でした。中学生以下の大会ですが、向こうの大会は選手を大人扱いするので、レセプションの後にダンスパーティーなんてのもあります。ヤツはきっと、ダンスなど初体験の癖に、女子と踊ったと思います。「お父さん、ダンスパーティーがあってん。ほんでな、途中で暗くなるねん・・・」と成田からの帰りに話してくれました。海外にも通用するモテ顔なんだなと、親の私がうれしくなりました。こういう同じ競技をやってるとか、同じ趣味だとかの大会だと、子供同士が最初から親近感を持つのでしょう。この世代にこういう経験が出来ることは、その後の人生に大きなプラスをもたらすと思えてなりません。海外レースというのは、なにもナショナルチームにならないと経験できないものではありません。日本もそうですが、各国のナショナルチャンピオンシップレベルの大会でも、海外選手に対してはオープンなところが多いです。これも、レースの成績以上に、肌の色が違ったり、言葉の違う同世代と交流させたい親御さんの考えの現われでしょう。僕が全日本選手権の事務局をしてた時、海外からの選手に出来るだけリラックスできる環境を整えようといろいろやりました。海外レースに参加しても、ホストクラブの方は、とても気を使ってくれます。「体調の悪い子はいませんか?」パーティーで、「楽しんでる?」全日本で50位ぐらいに入れる選手であれば、どの海外レースに行っても楽しめます。せっかく世界に開かれたジュニアの競技をしてるんだから、15才の卒業までに1度は海外レースを経験したらいいなと思います。
2009/07/10
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日曜日は、琵琶湖で大学生のレースでした。2ヵ月後の8月の終わりには、全日本の予選があり、そこで3位以内に入らないと代交代になってしまいます。本番までの大学生だけのレースは、この大会で最後です。7月は、多くの大学で前期試験があり、8月から2ヶ月の夏休みに入りました。3日ほど前の天気予報では、雨を覚悟という感じだったのですが、段々予報が良くなり、当日の朝、曇り空で目覚めました。暑くなるかもしれないので、6リットル入りのウォータークーラーを車に積んで6時前に出発です。7時頃琵琶湖に到着しました。ここ数年、ここら辺の発展はすさまじいです。レイクビューな高層マンションがポコポコ建ち、人口急増地だと思います。京都駅までJRで2駅なのに、琵琶湖を望むリゾートな景色の中で暮らせます。朝から風が入っており、いいレースが期待できます。8時定刻で出艇申告提出、監督さんなどもやってこられレスキューの方に回ります。新人マネさん3名と3回生マネさんを乗せ、一旦コンビニに寄って、麦茶4リットルと氷1kgを買ってクーラーに詰めます。レースは、レース中ほぼ0という風速から3m/sぐらいまでの微風・軽風の風域で4レース行われました。2日間トータルで8レース、Sクラス2位・470クラス3位で、総合3位でした。新チームになって今まで今一だったSクラスがいい感じになってきました。クラスリーダーのS君が、この風域でスピードアドバンテージを持っており、スタート後順調にバウを出して下の船を上突破していきます。今後の練習は、彼をランドマークに練習すれば、Sチーム全体のスピードアップにつながりそうです。最終レースでI君がトップホーン鳴らすし、470のK君も一時トップの時があったしいい感じです。先週の練習を見て、なかなかいい状態になってるので、大いに褒めましたが、それが結果でも証明され良かったです。両クラスにランドマークが育ったので、これから2ヶ月大いに期待できます。ただ一つ残念だったのは、レース前の帆走練習で、スピードが勝ってリードしていく艇が負けてる艇に時々合わせたことでした。それをしたらあかんと毎年のように言ってるのだけれど・・・最近の若者気質なのだろうか・・・これをやってたら、負けてる方の船が、どれほど負けるのか・スピードで負けるのか・高さで負けるのかが分かりません。「敗者へのやさしさ」という感じで敗者に揃えるのだろうけど、僕には「強者のおごり」「強者が敗者への施し」にしか見えません。敗者にとって、何の益にもならないと思います。それが終わりではなくて、まだまだ過程です。考察・実験・検証・考察・実験・検証・・・の連続で、その風域にベストスピードが出せるセッティングノウハウを積んでいかなければなりません。その実験の結果が、「どれだけ負けたか」になります。勝者は敗者の実験結果を、きちんと与えなければなりません。そこを安易に合わせてしまっては、次の検証が出来ません。「あそこをこう動かしたら、差が半分になったぞ」とか「逆に僕の方がどれだけ速くなった」の繰り返しが、ヨットのおもしろさの1つでもあります。今でもレースで他艇と競ってる時に、チューニングをいじくって、「なるほどそうなるか」と試しています。またこれが面白いです。バランスのいい船に乗ってると、実に気持ちよく自分の手足のように動いてくれます。ヨットレースは、根性で勝てるような簡単なものではありません。体力勝負でもありません。レース結果の半分以上は頭の勝負です。速いボートに乗ってないと、どんなにコースを考え、正解コースを引いても結果はついてきません。ボートスピードがないと、コースも見えてきません。速い船に仕上げ、風域や波に合わせてチューニングを変え、乗る位置やハンドリングを変えないと勝てません。速い船を作るのは自分で、みんな癖があるので自分にしか作れません。レース後の全体ミーティングでまたこのことをしゃべりました。スピードアドバンテージのある艇は、自艇と敗者との差をきちんと示すようにと。必ずその結果を良しとせず、セッティングを変えて自分との差を縮めて来るから仲間を信じていたらいいと。差が付いたら艇団を止めて、チューニング時間を取って再び帆走練習に入ったらいいと言いました。果たしてどうなることやら。まだ上がれるぞ・・・レスキューに乗ってた1回生の名前を聞きました。5月はずっとサボってたから、先週新人さん達に初めて会いました。覚えの悪いおっちゃんですが、覚えていかなければ失礼になります。レスキューに乗ってたのは6名でした。レースの合間に親しく話しかけながら、「これから5回は名前なんだったっけ?って聞くから教えてね」と言って、名前で呼んで早く覚えようとがんばりました。いずれ覚えられるでしょう。我が家のミニぶどう棚に、ぶどうが結構ぶら下がっていました。なんか例年より多いような・・・なんも手入れしてないのに・・・嬉しい。まあ例年通り、僕らの口に入る前に鳥さんに失敬されるのだろうけどね。
2009/07/02
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こないだのレースで、一緒にチームを組んでる先輩から、「これ見てみ」と、被っている白のキャップのツバを示された。P・・・「あ~いいなあ」ピーターギルモアさんのサインでした。ヨット乗りでしか知らない人ですね。プロセイラーのピーターさんは、当時マッチレース世界ランキングトップで、世界一のヨットレースと言われるアメリカスカップにチャレンジした日本チームのスキッパー(艇長)として、2000年大会に臨みました。ヨットの世界では、超有名人です。先輩んとこが、彼をスポンサードして世界マッチレースサーキットに参戦してます。マッチレースというのは、アメリカスカップ同様、1艇対1艇だけのレースで、トーナメント方式で勝ち上がって行きます。その仕事の関係で、こないだ大阪で一緒に飲んでたそうです。どんな店に連れて行ったのか知りませんが、190cm・100kgぐらいのでっかい外人さんが飲んでるので、居合わせたお客さんの若い女子が寄ってきて、「ハロー」とか言いながら身体を触るそうです。「こいつら何考えてんねん」と思ったそうですが、Pさんは「日本はすごい」と異文化に驚いてたそうです。何度も来日し、日本にも住んでたので分かってると思いますが、「これが日本じゃない。大阪は日本でも特殊だから」と言い訳してたそうです。でもPさんは、とても喜んでいたそうです。帰る段になると、「なんで帰るの?もっといてよ」みたいな感じで女子が馴れ馴れしく寄ってきて・・・こんな女子があと10才年齢が上がると、「何にでも一著噛んでくる」「初見なのに、妙になれなれしい」「話の最後にオチがないとすまない」、立派な大阪のおばちゃんに成長するのでしょう。Pさんから仕入れた、デニスコナーがアメリカスカップで、オーストラリアに負けた時の言葉とか、面白い話が聞けました。デニスコナー自身、何度もアメリカスカップを防衛したミスターアメリカスカップと呼ばれた方ですが、100年以上負けなかったアメリカチームで、初めて負けた男です。先輩は数年アメリカ赴任してたので、日常英語は平気なんでしょうが、Pさんはオーストラリア人なので、オーストラリアなまりを聞き取るのに、とても疲れたんだとか。そのPさんが、3人乗りレーシングヨットのうちのチームの艇に乗りに来るそうです。毎週のように世界を転戦してるのでほんまに乗りに来る時間があるのかわかりません・・・スポンサーへのリップサービスなのかもしれないけど・・・スケジュール、開いてるんか?いいんか、うちの船で?ちょうどポイントレースの日が空いてて、スキッパーするようだったら、僕らクルーはダメ出しの出されまくりになるんじゃないんか・・・もしトップ取られへんかったら、どうすんの?しょっちゅうミスってる動作を何とかしとかなあかんけど、学生時代のように練習しようとも思わんし・・・でも大いに楽しみです。
2009/06/23
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日曜日、早朝自転車から帰って来てから、原付でハーバーに向かいました。レース艇の陸置きバースに着き、艤装に取り掛かります。先月、カラスかかもめについばまれて動かなくなってしまったストのてっぺんの風見を見上げると、動いています。「おお、復活したか」目を凝らして見ると、自体はさらに進んでいました。先月は風向に合わせて動く矢印の下に付いてる2本の操船する時の目安になる棒の1本が食われていがんで、それに干渉して矢印が動かなくなっていたのですが、目安の2本の棒が両方ともありません。干渉しなくなったので矢印は動いていますが、余計食われています。「う~む、かなわんなあ」オーナーS先輩が、「今年1年はこれでいかなしゃあないなあ」と言っておられたが、果たして来月まで持つのでしょうか?来月は、影も形もなくなっているかもです。その残骸が何処にも落ちてないので、くわえてどっかに持って行ったのかもしれません。鳥さんのねぐらの修理財にでもなってるのかな?お隣や、そのお隣を見てもちゃんと現状維持してるのに、うちだけなんでなんでしょう?きっとこの春新品に交換したから匂いとかが違うのでしょう。鳥さんの好きな魚味とかなんじゃないのかな?艤装中は風が弱く、10時ごろになると風向が北から南に振れ、安定した風が入ってきそうです。スタートの11時には3m/hほどの風が入っていました。弱いながら絶好のレース日和です。この日の僕のポジションは一番前のクルーです。Sさんがここ2ヶ月お休みで、ずっとスキッパーをしてたので、クルーのルーチンを思い出します。第1レースは、スタートを出遅れました。下マーク回航でのモタモタもあり、5番でフィニッシュです。5分前にスタートするJ24クラスは、久しぶりの盛況で8艇です。去年の全日本の為に福岡に行ってた数艇が戻ってきています。第2レースも出遅れで5番、第3レースはラインに乗ってスタートし、2上は先行する3番のSW艇に追いつきましたが、スターボ見通しできつい下タックにあい、逃げタックの決断に躊躇したのが大きく、一気にビリの6番にまで落ちてしまいました。SW艇も5番と散々でした。最後の上りレグで、右に出して先行するレインボーさんに追いついた感じになったのですが、がくんとスターボにベアの風が入って万事休すでした。ここでレースは終了です。いつもならもう1レースなんでしょうが、夏の暑さだったので、ちょうどいい感じでした。ハーバー片付け後、ヨットクラブ2Fで「どこでもヨット」観戦会です。Tさんが用意されたGPSを、ハーバー艤装中に全艇のバウ下に装着し、レースに臨みました。各艇の航跡データを、ハーバー帰着後、TさんがPCに落としました。レース中の各艇の位置が、バーチャルで追えます。レース艇がヒョコヒョコ動き、なかなか面白いです。これを見ながら、「あんときなあ~」とかの「たら」「れば」レースミーティングで盛り上がります。ヨットクラブ2Fレストランにて、会費1人1000円。僕は、アイスコーヒーを2杯飲んだし、サンドイッチも食べました。幹事のTさんによると、会費で大丈夫なんだそうですが、足がでそうです。まあ、日頃レストランの利用で儲けさせてるからいいのかな?それにしてもレース後の短時間で用意していただいて、「Tさん、ありがとうございました」TさんチームのI先輩さんの膝が赤くなっており、お風呂が辛そうでした。僕は、夏でも長袖・長ズボンにツバ広ハットで、日焼け防止はバッチリですが、大丈夫なんだろうか?先月の暴風レースと違い、今月は軽風から中風の気持ちのいい、楽なレースでした。強風も、「よっしゃ、やったろう」と燃えるけど、おじさんにはこの程度がいいかもね。僕は、「車検」の予定があるので、早めに席をはずしました。1Fの一点鐘で、ショックコードとキーホルダーを買いました。ショックコードは、自転車にビデオカメラを装着するためです。景色や家内の後姿を写そうかなと思って。キーホルダーは、来月母の誕生日に来てくれる弟んとこの息子・娘へのプレゼントです。夕方の帰りは、原付の威力発揮です。朝は車でもあまり変わりませんが、日曜の夕方の国道は渋滞気味なので、車よりも大型バイクよりも、原付が一番早いです。多分最強は、100ccぐらいの原付ニ種スクーターでしょう。家内と「車検」に行く約束があるので、一目散に自宅を目指します。「車検」と言っても、車のではなく、家内の「自転車の1ヶ月点検」です。我が家の今一ないろのアジサイ。大体僕の背よりでかくなってるし・・・でかくなりすぎて、花の色が今一になっちゃったのかな?花が終わったら、一気に切って小さくしてもうたろ。アジサイは、花瓶に生けておくと、はじけて種がテーブルの上にたくさん落ちます。この掃除が大変なので、生け花としては不向きですね。
2009/06/16
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(日曜日のレースの続き)2レース目も同じようなラインだったので、本部船(スタートラインの右端が本部船のマスト)絵の右から本部船の上を通ってスタートラインアプローチです。皆さんあまりアウター(スタートラインの左端のマーク)を攻めてこない感じなので、少し早めにアウターの外に出てポート(船の左舷に風を受けて)スタートアプローチです。第1マークがスタートラインの風上はるか向こうにあり、ヨットは真っ直ぐ風上に向かって走れず大体風位に対して45度ぐらいまで上れるので、右舷風上・左舷風上を繰り返し、ジグザグに風上マークを目指します。つまり左右から来る船が交差しながらマークを目指します。1艇ぐらいは、アウタージャストに来るかなあと思っていたのですが、ラッキーです。1艇もアウターギリギリにスターボ(右舷風上)で来ません。そのままポートでトップスタートできました。ヨットレースでは、国際海上衝突防止法同様、右から来る船が優先なので、ポート艇はスターボ艇を避けなければなりません。僕がうまければそのまま1上トップなのでしょうが、ますます上がる風にスピードアドバンテージがありません。しかもまだ3回目の乗艇になる助っ人さんの事を考え、基本動作を減らす作戦なので、オーバーセイルで上マークアプローチしました。Tさんに抜かれてしまいました。さらにS君にも追いつかれ、上マーク3艇身前でギリギリ下タック(左舷風上から右舷風上に)してきたので、上に大きく避けました。まともに走ってたら衝突してました。しかもガンガン上ってくるので、失速です。結局うちは回れましたが、S君はマークを回れずリラウンドです。2艇が失速してる間にSW艇に上から抜かれるし・・・せっかくのスタートアドバンテージを吐き出してしまいました。要するにもう少しクローズ(風上への走り)が走っていたら、この状況に巻き込まれなかったのです。1レース目同様、ほぼスターボ1本のランニング(後から風を受ける)コースで下マークにアプローチです。クルーの不慣れもあり、ジャイブなしで、そのまま早めにスピン(風下に向かう時だけ使うセイル)を下ろしましたが、ミスってスピンを海に落とし、バウ(船首)をくぐってしまいました。すぐにOさんがバウに走り、ちょっと遅れてスピン回収。ここで更に後を走ってたTW艇に前に入られました。う~むまた4番じゃないか・・・先行する2艇身前のTW艇に高さ負けしないようにこまめにトラベラーをいじくります。メインを2人がかりでガンガンに引き、その状態でバングを利かせます。出来るだけメインのリーチを開かないようにしないと、一気にT艇のブランケットに突入し失速です。TW艇のスキッパーは、僕が大学1年の時の4回生だった先輩です。モントリオールプレオリンピック出場選手です。こんな方ばっかり集まってるフリートだから、僕も学生時代は、候補選手に指定されてましたが、ミスしたら簡単にやられてしまいます。少しずつTWさん艇に前に行かれながらも、何とか高さを保ちついて行ってる状態です。高さだけ失わないようにしないと。ここでえらいことが起こりました。なんかジブ(前のセイル)の影が騒がしい・・・条件反射でそっちを見ると・・・2番を走っていたからもっと前を走ってるはずのSWさんとこがスターボでやってきて、ジャストミート(このままでは衝突するミート)でした。うちのボートクローズラインの下を走ってる先行艇がいたとは考えもせず、ノーケアでした。TWさんとせっていて2番艇に追いついたというより、SWさんとこも下マーク回航でうち以上にトラぶり、復帰までに時間がかかって遅れたのでしょう。「当たる」と覚悟しました。視認した瞬間にティラー(水面下の舵をコントロールする棒)を押していました。もう無意識の状態です。既に10m/sは越え15m/sも越えてるような感じなので、裏ジブ(左舷風上セットのままで、右舷風上になったら、反対にはらむ)沈も考えられます。ティラーを押しながら、「タック、タック、ジブ切って」とこれも条件反射状態で叫びました。Oさんも当たったと思ったそうですが、SWさんがこっちを認識していたので、衝突は避けられました。最初の上マークで、僕がS艇を避けたように、ギリギリで「かなわんなあ」という感じで、避けてくれたと思います。SWさんとこも、数回オリンピックに行かれた方がいるので、「これ以上はあかん」という線が見えています。このフリートの皆さんが、結構ギリギリまで攻められるのは、お互いの技量を把握し、信じているからです。もう一つ、2艇のマストが上空でチャンバラ(2艇のマスト同士が当たる)して折れるかも?を心配しましたが、嫌な金属音を聞くこともなく助かりました。この3人乗りヨットはジブがジェノアで大きく死角が大きいです。僕がクルーの時は、ほんと怖くて、時々デッキからコクピットに下に降りて、死角の海面を覗いていました。助っ人(本当はクルーが他艇との位置関係を見て、わき目も振らずにセーリングに集中し、スピードアップに努めているスキッパーに報告する)さんの事を考えると、僕がもっと気をつけていなければなりませんでした。僕の意識が、ミスるとT艇に一気に置いていかれると走りに集中してしまいすぎていました。一旦全部セイルを出してしまったので、すぐにメインを絞り走りだします。まだドラゴンの経験が数回の助っ人さんは、ただ呆然としているようなので、「走ります。ジブ引いて」とクローズレグに復帰です。そう言いながら、僕の心臓はまだドキドキしていて平常心ではありません。船を潰すところでした。ここで「回っとこか」とOさんからの指示です。「この風でペナルティの360度回転はきついなあ。ジャイブ出来るんやろかと」ルール違反したのは僕だから、ほんまは回らなあかんのですが、船にダメージが大きいジャイブはしたくないです。次のフリーレグは、タック回りしてジャイブを回避しようかと思ってたのに・・・でも指示なのでベアしてチャレンジしましたが、この風ではベア(風下に向かうこと)も出来ません。というか後で冷静に考えればバングが利いていたようです。バングを緩めればベアで来ましたね。SW艇とのミートで頭がクールでなくなっていたようです。ブームエンドが海面に当たりそうです。無理してベアしたら、ブームが海に入り船のコントロールを失って、ブローチング沈(一気に風上に向かってひっくり返る)してしまいます。「あかん」と諦めました。レースからリタイヤです。海面はますます風が上がりすごいことになっています。全面的に白波が立ち、ウサギさん(隠語でウサギさんが飛んでるとかいいます)のオンパレードです。更に波頭が風に吹かれて飛沫が飛び、海面1~2mが真っ白です。20m/sを越えましたね。25m/sを越えたなあ。50ノットの猛烈な風です。今、この上空を前線が通過中ですね。船を潰さないように帰らなくっちゃ。まあ長くヨットやってるとこのような海象も何度か経験済みです。高校生の時には沈したスナイプ(2人乗りヨット)のボトムにクルーと2人で乗って、波にさらわれないように、シートで船と身体を結んで前線通過を待った時もあります。そんな経験から命の危険は感じませんでしたが、この船を無傷で陸上に戻すことが出来るかなと。ジェノアかメインセイルが破れるかもなあと考えながら、新西宮YHの西出口の方に向かい一時芦屋YHへの水路で前線をやり過ごそうかなと思い提案しましたが、Oさんの指示は「東出入口から入るよ」。僕は、狭いけど西入口から入れると思ったけど、Oさんの指示に従います。確かに一時水路に入ってしまうと、再び荒れた海面に出て行く気力が半減します。風を抜きながら、風速にあわせアビームとクォーターリーで風下に向かいます。「前線通過やから、あと30分がまんやなあ」とOさんから。Oさんも歴戦の勇士なので、冷静です。「コレぐらいで入れるかなあ」と思ってタック回りして東入口にバウを向けましたが、真ランニング。波に乗ってラダーを取られワイルドジャイブ(予期せず左側にあったセイル・ブームが右側に変わってしまう)が入れば乗員に危険だし、グーズネック(マストとブームのつなぎ目)を壊すかもしれません。下手したらマスト折るし・・・。ダイレクトに入口を目指すのは諦めて、少し上り目で走り、再びタック回り2回で最終アプローチです。入口はすぐ下に防波堤があるので、そことハーバー防波堤との返り波で三角波のオンパレードです。ラダー(舵)を持っていかれてエクステンションジョイントを飛ばしてしまうかもしれないので、ティラーエクステンションを持つのをやめ、ダイレクトにティラーを持ちます。「何が何でもこれは離さないぞ」僕が手を離したら、三角波の下で渦巻いてる流れに翻弄され防波堤激突です。三角波の洗礼を受け、バウから波が乗り越え船に打ち込んできます。一番前にいる助っ人さんが頭から波を被って、「わ~」とか叫んでいます。不謹慎ながら、ちょっと笑ってしまいました。一番後ろに座ってるスキッパーの僕の背中にも水が入りました。防波堤をクリアして、すぐにOさんがメインを引いてくれます。クローズにすると、もう一つの防波堤はクリア出来そうです。「ようやった」とOさんから、ねぎらいの言葉が掛かります。後で聞いたのですが、防波堤前に三角波のことをいろいろ言うと、新人クルーさんがビビッてしまうかなと思って、また僕にもいらんプレッシャーを掛けたくなかったようで、もう僕に任せるしかないわと。3レース目はキャンセルになったようで、他艇も帰ってきます。トップを走ってたTさんの艇はセイルを破ってリタイヤしたそうですが、トラブルはこの1件だけで、この船の丈夫さと、皆さんの整備レベルの高さを感じます。いつもより早く2時台に帰着し、他艇の桟橋帰着も手伝い、ハードだったけど面白い海の1日が終わりました。船の片づけを終えてもまだ3時台です。KYC(ヨットクラブ)のウェットバー(濡れたままでも入れるバー)は、皆さんの話で盛り上がるのでしょうが、家内との約束があり家に急ぎました。この後、また遊びに行ったんですよね。(つづく)
2009/05/22
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