おしゃれ手紙

2016.06.22
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カテゴリ: 読書
 ユリノキが街路樹として広まったのはなぜ?
イチョウの木が信仰の対象になったのはなぜ?
明治神宮造営秘話から井の頭公園まで、樹木を通して、都市における公園と神社の歴史を知り、樹木の個性もわかる本。


【内容情報】(「BOOK」データベースより)
公園・神社の樹木を通して発見する公園と神社の歴史と楽しみ!
人と樹木がどう関わってきたのかを知ると、もっと樹木がよくわかる。

【目次】(「BOOK」データベースより)
第1章 眠れなくなったプラタナス
第2章 戦争に翻弄されたツツジとハナミズキ
第3章 水郷の歴史を語るエノキ
第4章 江戸の大火と戦ったスダジイ
第5章 台湾からやってきたクスノキ
第6章 渋沢栄一は、なぜ公園を造ったのか?
第7章 イチョウが拝まれるようになったわけ
第8章 サクラの丘に秘められた五〇〇〇年の歴史

taiboku  何気なく見ている木に理由があったのかと思うと、その理由が知りたくなる。

そういえば、仙台が「杜の都」といわれるにはわけがある。
taiboku 杜の都
仙台藩祖、 伊達政宗によって築かれた城下町・仙台は、農民の割合に対して武士の武士のまちであった。
そのため、侍屋敷に植えられた屋敷林が仙台城下を美しく覆っていたという。

伊達政宗による仙台開府以前、この土地は「宮城野」と呼ばれており、仙台平野には風雪を防ぐ木がほとんどなかったと言われている。
また、仙台の気候風土や地形的な特色のため、城下町を開くには 積極的な植林奨励策が必要とされた
植林された樹木は、防風林・防雪林・防火林として機能したのであり、現在よりも森林が豊富であったであろう江戸時代に、美観のために植林されたのではない。

山から離れた 平野に建っている旧来の農家の住宅には、冬季の風雪に耐えるため、例外なく北側から西側にかけて防風林・防雪林が植えられている。
これはイグネ(居久根…屋敷まわりの杜)と呼ばれる

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3枚の木の写真は1月に行ったニュージーランドのクライストチャーチにある■ ハグレー公園。
伐採2 こうしてみると、木は必要だから植えられたのだ。
うちの家の西側にあるビワの木も西日と人の目を遮る緑のカーテンだった。
しかし、隣の地主が■ たった一本の木さえ ■壊滅的に切ってしまった。

木には、役目があり、命があることを知ってほしい。
環境月間 ■だ。

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Last updated  2016.06.23 17:36:32
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