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身分の低い女官などまで、お偲び申し上げない者はいないほどでした。お上が、まだお若い女二宮が心細く悲しい思いに沈んでいらっしゃることを聞し召して、気の毒にも可哀そうにも思召し、おん四十九日が過ぎますと、目立たぬようにして宮中にお呼び寄せになり、毎日お部屋にお出ましになってお見舞いあそばします。女二宮は黒い喪服をお召しになり、少しやつれておいでになるご様子はたいそう可愛らしく上品さが勝っていらっしゃいます。お振舞いも大人びておいでで、母女御に比べましても慎み深い落ち着きがより備わっていらっしゃいますので、帝もご性質の点では安心しておいででしたが、ご内心では『おん母方においても、後ろ身として頼りにできる伯父のような人もいない。かろうじて大蔵卿や修理の大夫という者がいるが、女御とは異腹であったな。それに彼らは世間からの信望も篤くはない。このような身分の者を後見にしても頼りなく、辛い事が多いに違いない。それも可哀そうなことだ』と、苦慮なさるのでした。清涼殿のお庭の菊の花が霜のためにすっかり萎れ果て、空模様もしみじみと哀しく時雨れが打ち振るのをご覧になっても気がかりに思召して、女二宮のお部屋で母女御がご存命でいらしたころのお話などをしみじみなさいます。女二宮はおおようにおっとりしていらっしゃるのですが、子供じみたところがなく、お返事などもきちんとなさいますので、帝は可愛いとお思いになります。『こんなに可愛い姫の良さを理解して、大切にしてくれる人がいないものか』と昔、朱雀院の六の姫を六条院の殿に降嫁なすった折の事などをお思い出しになられて、「あの当時は『いくら何でも姫宮の降嫁とは不本意な。それなら未婚のままでおありなさるほうがよろしいのに』と、朱雀院に申し上げた人もあったようだ。しかし女三宮が出家なさった後のおん後ろ見には、人より優れた子息の源中納言が大切にお世話しているから昔ながらのご声望も衰えず、今でもやんごとなきご様子で長らえていらっしゃるのだ。そうでなければ思いがけず不幸な目に遭って、人から軽んじられることもあったであろう」などとお思い続けられて、「ともかく我が在世中に、ぜひとも後ろ身を決めたいものだ」とお考えになりますと、この中納言以外よろしかるべき人がいないのでした。
January 31, 2022
故・左大臣殿の女二宮が藤壺女御として入内なさいました頃の事でございます。今上がまだ春宮と申し上げた当時、明石中宮より先に参内なさいましたので、おん仲はたいそう睦まじく、ご情愛も深くていらっしゃるのですが、立后なさるようなご様子もないまま年を過ごしておいででした。明石中宮には多くの宮たちがお生まれになりご成長なさいますのに、ただ女宮お一所だけをもうけていらっしゃるのでした。「私は明石中宮の勢いに圧されたてまつる宿世だけれど、それを嘆かしく思わずに、この女二宮の養育だけを楽しみにして大切にお世話しましょう」と、かしづいていらっしゃるのでした。女二宮のご容貌はたいそうお綺麗でいらっしゃいますので、帝も可愛く思召していらっしゃるのでした。とはいえ、明石中宮腹の女一宮を世に類なきまで大切にしてかしづいていらっしゃいますので、世の覚えは及ぶべくもないのですが、内々でのお扱いは、劣ることがありませんでした。今でも父・左大臣殿のご威勢の盛んだったころの名残りが衰えていませんので、特に経済的な心配もなく、お側に仕える女房たちの身なりをはじめとして調度品なども立派に整え、季節に応じて今風に風雅に暮らしておいででした。女二宮が14歳になり給う年の春、母・藤壺女御がおん裳着の儀式の用意を急ぎはじめられまして、すべて並々ならぬようにと、母方に昔から伝わるおん宝物どもを「この折にこそ」と探し出してせっせと集めていらしたのですが、夏ごろから物の怪にお患いになった挙句、たいそうあっけなくお隠れになってしまいました。今更嘆いても仕方のないことながら、お上もお悲しみあそばされます。気立ての優しい懐かしいところのおありだった御方ですので殿上人も異口同音に「何と残念なことよ」と惜しみ申し上げます。
January 28, 2022
「中納言はこちらにおいででしたか。おや、簀の子にご案内なさるとは、ずいぶんよそよそしいおもてなしですな。以前は私が嫉妬するほど行き届いたお世話をしてくださった人ではありませんか。私としては何か起こるのではと、心配ではありますけれど、むげに隔てを置くのも罪作りというものです。もっと近くにお寄りになって昔の思い出話でもなさいませ。とはいえ、あまり油断なさってもいけませんよ。中納言の下心がわかりませんからね」と、宮は相反したことをおっしゃいますので、中君は煩わしく思うのですが、中納言の親切を身に沁みて感じてもいらっしゃいますから、『中納言殿がおっしゃるように、大君のおん身代わりと思い申し上げて、私の感謝の気持ちをお見せする機会もあることでしょう』とお思いになりながらも、宮は何かにつけて中納言との仲を疑っていらっしゃいますので、息苦しくお感じになるのでした。
January 12, 2022
近頃宮は二条院にばかりいらして、中君とたいそう仲睦まじく暮らしていらっしゃるご様子に、中納言は一安心なさるのですが、やはり匂宮に中君を取り持ったことが悔やまれるのです。されど、ご本心では中君のおんためにはこれで良かったのだと納得していらっしゃるのでした。匂宮とあれこれおん物語をしていらっしゃいましたが、宮は夕方に参内なさるとのことで御車の用意をなさるやら、お供の人々が大勢集まって参りまして落ち着かず、西の対にいらっしゃる中君の御部屋においでになります。中君は山里での生活からすっかり変わって、御簾の中を奥ゆかしく上品に住みなしていました。御簾から透き影がほのかに見える可愛らしい童女を介して案内を伝えますと、女房がおん褥をさし出しました。きっと宇治での昔を知る女房なのでしょう。中納言の前に出てきまして、中君からのお返事を申し上げます。中納言は、「こちらのお邸とは目と鼻の先ではございますが、さしたる用事もなくお文を差し上げましては反って馴れ馴れしいと宮からお叱りがあろうかとご無沙汰をしておりますうちに、世の中が変わってしまったような心地がいたします。お庭の梢が霞を隔てて見えるにつけましても、哀しいことが多くございました」と申し上げて、じっと物思いにふけっていらっしゃる御様子がいかにも悲しそうなのです。『ほんに姉君が三条のお邸においでであれば思い通りに行き来出来、折々に見聞きする花の色や鳥の声もお互いに楽しんで過ごすことができたでしょうね』など、思い出されるにつけても、世間から離れて過ごしていらした宇治での心細さよりも、大君亡き今の京での暮らしは飽かず悲しく無念なことが多いのです。女房たちも中君に、「世間並みに他人行儀におもてなし申してはいけませんわ」「ほんに、中納言殿の有難い御心のほどが、はっきりお分かりになりましたでしょう」など申し上げるのですが、人を介さずに直接お礼を申し上げることなど気が引けてお出来にならず、ぐずぐずなさる間に宮が参内なさるとて中君のお部屋にお渡りになりました。たいそう上品に容姿を整え化粧をなさって、ほれぼれするようなお姿でいらっしゃいます。
January 10, 2022
一方左の大殿は、藤典侍腹の六の姫と匂宮とのご結婚を『この二月に』と決めていらっしゃいましたのに、宮が思いがけない人を『この結婚より先に』とばかりに二条院に迎えて、宮中からも六条院からも離れてかしづいていらっしゃいますので、ひどく不愉快に思っていらっしゃいます。宮はそれをお聞きになるにつけてもバツが悪く、六の姫へのお文は時々おあげになります。六の姫君の御裳着の儀式も世間では評判ですし、父・左大臣も急いでいらっしゃることですので、日延べするなど人笑いの種になりそうですから、二十日すぎに行われました。左大臣は、『私と中納言は兄弟であるから、六の姫と結婚しても珍しいことではない。他人の婿にするには勿体ないから、できれば中納言を迎えてもいいのだが。近頃思い人を亡くして心寂しく物思いにふけっているようだから、好機かもしれぬ』と思いつきなされて、しかるべき人を立てて中納言の意向をお確かめになられたのですが、「大切な人を亡くしまして世の儚さを間近に見たせいでしょうか、ひどく心憂く、こうして生きている我が身もゆゆしく思われますので、とても気が進まないのでございます」と、結婚に関心がないご様子でいらっしゃいます。左大臣がお聞きになって、「これはまあ、どうしたことか。宮どころか中納言までも私が恐る恐る申し出た縁談を断るとは」と、お恨みになるのです。このお二方は親しいご兄弟でありながらも、中納言の御人柄はこちらが気恥ずかしいほどでいらっしゃいますので、さすがの左大臣も無理強いはなさらないのでした。花盛りの頃になりますと、二条院の見事な桜をご覧になるにつけても「主なき宿」の宇治の山荘が思いやられますので、中納言は、「宇治の桜は、誰の気兼ねもなく心やすく散るのだろうな」とつぶやき給いて、宮のおんもとに参上なさるのでした。
January 8, 2022
途中の嶮しい山道の様子を初めてご覧になって、『宮さまのお越しが遠のくのが辛くてたまらなかったけれど、こんなに嶮しい山道では無理もないことだったわ』と、少しお分かりになるのでした。七日の月がすっきりと差し出でまして、まわりがおもしろく霞んでいるのをご覧になっても、車でのお出かけなどしたことがありませんので辛いのでした。「ながむれば 山より出でて行く月も 世にすみ侘びて 山にこそ入れ(こうして眺めてみれば、山から出て空をゆく月と同じように、私も京に住みかねて宇治の山に帰るのかもしれないわ)今は迎えられて行くけれど、宮さまのお心変わりで見捨てられて帰るなら、私はどんなにみじめかしら」とばかりお考えになりますと不安でたまりません。『今まで宇治で何を考えていたのかしら』と、昔を取り返したいようなお気持になるのでした。宵を過ぎたころ、やっと二条院に到着しました。今まで見たこともないような御殿が三棟も四棟も並んでいる中に車を引き入れますと、今か今かと待っていらした宮がお迎えになってご自身で中君を降ろしておあげになります。二条院のしつらいなどは贅を尽くして飾り立ててあり、女房たちの局まで宮ご自身がお心配りしてご用意なすったことがはっきり分かるのでした。他人には「一体どのような待遇を受ける女人なのか」と思われていた中君でしたが、こうして並々ならぬご待遇に「宮さまはたいそうご執心でいらっしゃるのだ」と世間の人も驚くのでした。中納言は新築中の三条のお邸に、この二十日過ぎにお引越しになるとて、この頃は日々三条の宮で工事の具合を見ていらっしゃいましたが、二条院とは近いあたりですので中君の様子も知りたいと思っていらっしゃいました。夜が更けるまで三条のお邸においでになりましたが、宇治におやりになった前駆の人々が帰って参りましてお引越しの様子などをご報告申し上げます。中君が二条院をたいそうお気に召したことや、宮が大切にもてなしていらしたことなどをお聞きになるにつけても、嬉しいと思う一方でお胸が痛むのでした。「昔を取りもどすことができるなら…」と、返す返すも残念で、「しなてるや 鳰(にお)の湖に漕ぐ舟の まほならねども 逢ひ見しものを(中君と実事はなかったけれども、かつては共寝をした仲だったのに)」と、ついけちをつけたくなるのでした。
January 6, 2022
お部屋の中をきれいに掃除し、あれこれ取りしたたためていますと、お迎えの御車が参りました。乗っている人々は四位や五位の身分の高い人がたいそう多いのです。宮ご自身もお迎えに参じたいと強くお思いでしたが、それではあまりに事々しくて都合が悪かろうとお邸で今か今かと待っていらっしゃいます。中納言からも数多くの人々をお迎えにお寄こしになりました。大方の事は宮が御指図なさったようですけれども、内々の細かなお世話は中納言が行き届いたお世話をして差し上げるのでした。供人が、「日が暮れてしまいます」と申しますし、女房たちからも出発をご催促申しますので、中君は気もそぞろで『京はいったいどんなところかしら』と思うにつけても心細く悲しくなるのでした。お供として一緒に車に乗る大輔の君という人が、「あり経れば 嬉しき瀬にも逢ひけるを 身を宇治川に 投げてましかば(生きていればこそ、こんな嬉しい機会にも出会うのですね。辛いからと言って宇治川に身を投げていたらどんなに悔しかったことでしょう)」と、嬉しそうににっこりしながら言いますので、中君は、『亡き大君を思ってくれる弁の気持ちとは、ずいぶん違うことを言うのね』と、不愉快な気持ちで見ていらっしゃいます。他の女房も、「過ぎにしが 恋しきことも忘れねど 今日はた先ずも ゆく心かな(亡き大君さまを恋しく思う気持ちも忘れてはいませんけれど、また一方では京へ行く喜びもひとしおですわ)」と言います。この二人の女房は長年仕えた者たちで、かつては大君に心を寄せていたように思えたのですが、今ではこんなふうに心変わりして、大君のことを忌んで口に出さないのも恨めしく思えますので、何も言わず車にお乗りになるのでした。
January 5, 2022
弁は中納言とお話しになったことを中君に語りながら、中納言殿のありがたい親切心に反って大君の死を慰めがたく涙にくれ惑うのでした。女房たちは老いて背中が曲がった自分の姿も知らず、身なりを取り繕いながら、せっせと物を縫ったりしてお引越しの準備をしています。弁は反対にますます身をやつして、「人はみな 急ぎたつめる袖のうらに ひとり藻塩を 垂るゝあまかな(女房たちはみな中君のお供をする用意で急ぎ立っておりますけれども、尼姿の私は一人残ってお袖の中に涙を流しております)」と嘆きます。中君は、「塩垂るゝ あまの衣に異なれや 浮きたる浪に 濡るゝ我が袖(そなたは塩に濡れる袖というけれど、私だって頼りない波に浮かぶ憂き身ですもの。塩に濡れるのは私も同じなのよ)宮さまのお邸に参ったとしても、事情によってはこちらに戻らなくてはなりませんから、すっかり離れてしまうことはありませんよ。そうなればまたそなたと対面することもありましょうけれど、しばしの間でも寂しい思いをさせて残していくことになりますから、気が進まないのです。たとえ尼姿になっても、必ずしも世間から離れて引き籠ることもないようですから、世間並みの尼とお思いになって時々は京においでなさいね」など、親しみを込めてお話しになります。大君が生前身近に使っていらした御調度の品々は、みなこの山荘に残し置きなされて、「そなたが他の女房たちより深く姉君のことを思って悲しんでくれるのを見ていますと、前世でも特別なお約束があったに違いないと思われて、そなたを特に大切に可哀そうに思うのです」と仰せになりますので、弁の尼はますます名残を惜しんで子供の様に泣くのでした。
January 3, 2022
弁の尼はひどく老いていましたが、昔の優雅さを偲ばせる髪の毛をそぎ落としてしまいましたので、尼姿の額のあたりの様子が優雅で、少し若くなったようにも見えます。中納言は大君のことをお思い出しになって、『どうして弁のように尼姿にでもして差し上げなかったのであろう。その功徳で寿命が延びたかもしれないのに。尼となれば心ゆくまで真剣に仏道を語りあっていたであろう』と、ひどく口惜しくお思いになります。弁の尼にさえ羨ましくなりますので、几帳を少し引きのけて細やかにお話しをなさるのでした。弁はすっかり年老いているのですが、物を言う様子や心遣いなどは見劣りせず、由緒ある人であったことが偲ばれるのでした。「さきに立つ 涙の川に身を投げば 人におくれぬ 命ならまし(大君さまが先立たれました悲しみの涙の川に身を投げますならば、死に遅れることもなかったのでございますが、情けないことにこうして今でも生き残っております)」と泣き顔になって申し上げます。「涙の川に身を投げるというのも罪深いといいますよ。極楽に行けず、地獄の深い底に沈んでしまうのもつまらないではありませんか。この世の執着から離れて、すべてが空しいことと悟るべきなのですよ。身を投げむ 涙の川にしづみても 恋しき瀬々に 忘れしもせじ(そなたが身を投げたいと訴える涙の川に沈んだとしても、私には恋しい人を忘れることはできないでしょう)とはいえ、私だっていつになったらこの気持ちを慰めることができるやら」と、やるせないお気持ちになるのでした。日も暮れてきたのに帰る気にもなれず、じっと物思いにふけっていらっしゃいましたが、特に用事もないのに泊まることになれば、宮からいらぬ邪推を受けて責めを受けることにもなろうかと、仕方なく京にお帰りになるのでした。
January 2, 2022
お部屋の中に風がさっと吹き、紅梅の香とともに中納言の御匂も運んで参ります。橘ではありませんけれどもつい大君が思い出されます。『お姉さまはつれづれの紛らわしにも、世の憂さの慰めにも紅梅にお心をとどめていらしたものを』と中君は思いが溢れてしまいます。「見る人も あらしに迷ふ山里に むかし思ゆる 花の香ぞする(花が咲き乱れる山里には、お姉さまを思わせる花の香りがするけれど、私が京に行ってしまったら、もう見る人もいなくなるのでしょうね)」誰に言うともなくほのかに聞こえてきます。中納言は懐かしそうにお歌をうち誦じて、「袖ふれし 梅はかはらぬ匂ひにて 根ごめうつろふ 宿やことなる(以前私とお袖がふれたあなたさまは、昔と変わらぬ匂うようなお美しさでいらっしゃる。その美しい梅が、根もろとも異なる宿に移植されましては、私と無縁になってしまうのでしょうか)」悲しみに堪えきれない涙を体裁よく隠して、多くをお話しになりません。「とはいえ、やはり今まで同様に、あなたさまのお世話をいたしましょう」と仰せになり、女房たちには京へのお引越しに必要な事などをお申しつけになって座をお立ちになります。こちらの宿守には、かの鬚がちの宿直人などが残りますので、近くの御庄どもの世話を申しおくなど、細やかなことまでお定め置きになります。弁は、「かように光栄なお供をするにつけましても思いがけず長生きしておりますのが辛く思えますし、他人さまも老人のお供を不吉と思いましょうから、人に知られず世を捨てたいと存じまして」とて、尼になってしまいました。それを無理にお召し出でになりまして、たいそう可哀そうにお思いになります。いつものように昔の話などをおさせになりまして、「ここには今後も時々たずねて参りましょうから、知己がないのは心細いものですし、こうして山荘にそなたが残ってくれるなら私はたいへん嬉しく思いますよ」など仰せになりながらお泣きになります。「厭えば厭うほどのびる命が辛く、また大君はどのようなお気持ちで私をお見捨てになられたかと恨めしく、この世の何もかもが辛くなりまして、あれこれともの思いに沈んでおりましたので、どんなに罪が深いことかと存じますが」と、訴えかけますのも愚痴っぽいようなのですが、中納言はそれをたいそう上手にお慰めになります。
January 1, 2022
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