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[源氏物語] ブログ村キーワード 紫の上は大殿のちょっとした浮気心にさえ心外な事として嫉妬なさいますので、『どのようにお思いになろうか』とお考えになるのですが、たいそう素っ気なく、「まあ、何とお気の毒な事情でございましょう。それを、私がどのようなお心隔てを持ちましょう。宮様が私を目ざわりにお思いになって、お咎めを受けなければ安心なのでございますが。宮様の母女御とのご縁で、私を疎からずお思いくださいましょうかしら」と卑下なさいますので、「あなたがこんなふうに簡単に受け入れてくださると、私に無関心なのかと気になりますね。本当に宮様との事をお許しくだすって、心穏やかにお過ごしになれば、以前にも増してあなたを愛おしく思うでしょう。中傷めいた噂など、気に掛けてはいけませんよ。総じて世間の噂というものは誰が言い出すのやら、夫婦の仲などは間違って言い触らされ、思いもかけない結果を招くものです。何事も自分のお胸一つに思い収めて、状況に従うのがよろしい。早まって騒ぎ立て、つまらぬ嫉妬をなさいますな」と、よくお教えになります。紫の上は心の内で、『これは天から降ってきたような事で、辞退のしようがなかったのですもの、嫉妬がましい事は申し上げまい。私の気持ちを斟酌なさり、諫めをお聞きいれになるべき当人同士の気持から起こった恋愛ではないのですから。それを防ぐ手立てがないものながら、見苦しく思いに沈んでいる様子を世間の人に知られてはいけない。式部卿の宮の大北の方は、いつも私に呪わしげな事をおっしゃっておいでな上に、髭黒大将のつまらない事件でさえ私のせいにして、恨んだり嫉んだりしていらしゃる。その大北の方がこの事をお耳にしたら、どんなに喜ぶ事でしょう』と、お思いになります。もともとおっとりとした性格でいらっしゃるのですが、さすがにこれくらいの意地はおありのようです。『今では、いくら何でも浮気などあろうはずがない』と、北の方として思いあがり、隔て心もなく過ごしてきたご夫婦仲を、世間の人はどんなに嗤うであろうと内心では思い続けていらっしゃるのですが、表面ではたいそう穏やかに振舞っていらっしゃるのでした。
January 29, 2014
[源氏物語] ブログ村キーワード六条院の大殿はこの事を紫の上にどう話したものかと、あれこれ思い乱れていらっしゃいます。紫の上は、大殿が女三宮のおん後見をお引き受けになるというお話は前からお耳にしていらしたのですが、内心では、『まさかそのような事はありますまい。前の斎院にもご執心でいらしたようだったけれど、殊更無理をして思いを遂げようとはなさらなかったのですもの』とお思いになって、特にお尋ねにもならず無関心でいらっしゃいます。それゆえに源氏の大殿はお気の毒で、『この事を知れば、どうお思いになるであろう。どのような事があっても、私は決して心変わりするはずがなく、女三宮を迎える事になれば反って愛情の深さが勝るというもの。それを見極めてくださらないうちはきっと私の気持をお疑いになるであろうな』など、不安におなりです。近頃では以前にも増してお二方のお心隔てがなく、しんみりとして睦まじい間柄でいらっしゃいますので、ほんのわずかな隠し事でも後ろめたい気持におなりで、朱雀院からお帰りになった夜はそのままお休みになってしまいました。次の日は雪が降り空の景色ももの寂しく、お二方は来し方や行く末のおん物語を互いにお話しなさいます。「朱雀院のお見舞いに行って参りましたが、お可哀想なお話を伺いました。院は女三宮のおん事をひどくお気にかけていらっしゃいまして、私にお世話を願いたいとの仰せがございましてね。私はお気の毒でついご辞退申し上げることができなくて御引き受けしたのですが、世間の人は大袈裟に取り沙汰するかもしれません。今では私もそのように好き好きしい事から縁遠くなり興味もなくなりましたので、ご内意を伺った時には何とか言い逃れたのですが、対面の折に心配事としてお話しを伺いましては、すげなくご辞退申し上げることができずに御引き受け申したのでございます。朱雀院が西山のお寺にお移りになる頃には、女三宮をこちらの邸へお移りいただこうと存じます。あなたさまはこの事を面白くないとお思いでしょうか。なにが起ころうと、あなたさまへの私の愛情が変わる事はございませんので、どうかご不快にお思いなされませぬよう。お気の毒な朱雀院のおん為とお考えくださいまし。女三宮をも大切にお世話申しましょう。どなたもどなたもおん仲よく心のどかにお過ごしになられますよう」と、お話しなさいます。
January 26, 2014
[源氏物語] ブログ村キーワード朱雀院、「私もそのように考える事はあるのですが、それも難しい事なのです。昔の例を聞きますと、父帝のご威勢が盛んな時期の内親王でも、苦心して婿選びして結婚させる例は多かったのです。ましてこの世を離れる私が婿選びに頭を悩ます立場にはないのですが、出家する身におきましても捨てがたい事情がございまして、あれこれと思い煩っておりますうちに病は重くなって参ります。それにまた、二度と取り返すことのできない月日が過ぎゆきますと、気が急いてしまうのでございます。たいへんご迷惑な頼みではございましょうが、この幼い内親王一人を特別にご養育くだすって、しかるべき婿をもあなたさまのお考えでお決めになってお預けくださいましとお願いしたいのでございます。権中納言が独身でいらした時にこちらから婚姻を申し込むべきでしたが、太政大臣の娘に先を越されまして残念でなりませぬ」と申し上げます。源氏の大殿は、「権中納言の朝臣は真面目な性格でございますから、忠実にお仕えするかと存じますが、まだ思慮が浅く頼りなくはないでしょうか。畏れ多い事ではございますが、私が心を籠めてお世話申し上げましたら、姫宮もきっと父院の懐のように心安くお思いくださる事と存じます。ただ私の余命が短く、十分お世話できないのではなかろうかと不安になります事だけが心苦しく存じます」と、女三宮の後見をお引き受けになりました。すっかり夜になりましたので主の朱雀院方も大殿方も、それに客人の上達部たちも皆、御前でご馳走になります。精進料理ですので礼式によらず優雅に調理してあります。朱雀院の御前には浅香の懸盤を据え、その上には僧侶が用いる御鉢が乗せてあります。今までと違った器で差し上げますので、人々は皆涙を押し拭っていらっしゃいます。しみじみとした事もありましたが、煩わしいので書きません。六条院の大殿は、夜が更けてからお帰りになります。列席者は朱雀院から禄を賜ります。別当の大納言もお見送りに出て参ります。朱雀院は今日の雪にお風邪までが加わってひどく悩ましくお思いなのですが、内親王のご結婚に決まりが付きましたので、一安心なさるのでした。
January 25, 2014
転居してからもうじき一カ月。最近やっと片付いてきた。とはいえ、まだトイレ・マットもダイニングのテーブルとイスも決まっていない。その上、小説家のだもさんのブログで見た立派な本棚にヒントを得た家人が、我が家の本棚にもガラスの扉をつけようと言い出したのだ。そこで例の、イケメン一級建築士・T氏に見積もりを頼んだところ、何と25万円もするという。6ミリ厚の強化ガラスを使用するのだそうだ。古家では造りつけ家具が多かったので、この機会に通販生活からチェストを二台購入した。着なくなった衣料を大量に捨てて来たにもかかわらすチェストへの納まりは悪く、タオルやパジャマなどの寝具も行き場所を失っているので、チェストを追加購入しなくてはならないし、費用は嵩む一方で頭が痛い。マンションは狭いこともあって、暖房の設定を15度にしていても、ありがたい事に室温は24度(木造モルタルの戸建では、その逆だった)。就寝時には綿毛布と薄い羽毛の軽い肌掛け布団で十分暖かい。それで、今まで使っていた厚手の羽毛布団が狭いクローゼットをいっぱいにしているので、これも布団圧縮袋を買い求めてコンパクトに収納しなくてはならない。しかし一番の問題はダイニングテーブルとイスだろう。とにかく軽くて華奢なものを考えているのだが、なかなか「これ!」と思えるものが見つからないのだ。無垢材となると値段も高く、今注文しても納入時期は5月になってしまう。それも気になるところだ。中途半端な品に妥協して後悔したくないので、今のところはベッド用の昇降テーブルにクロスをかけ、ストレスレス・チェアのオットマンに腰掛けて食事をしている。すてきなダイニングセットを見つけたらまたブログに上げたいと思うが、引越しの状況報告はこれでひとまず終りにして、明日からは、しばらく休んでいた源氏物語に回帰することにしよう。
January 24, 2014

タンゴを検索していたら、イツァーク・パールマンの演奏をみつけた。聴いてみると意外につややかで生きいきとした演奏ではないか。パールマンはドイツの3Bなんかより、こういった明るい演奏のほうが似合うと思った。もう数十年も昔になるが、正月のETVで彼が音楽について語っていた事を思い出す。「音楽を心から愛しています。この世に音楽のあることを、神に感謝したい」小児麻痺で両足が不自由なパールマンも、70歳に近い。昨日はアバドの訃報。そのせいか、このエネルギッシュな演奏は嬉しかった。
January 22, 2014

これは私が三歳の頃、父に買ってもらったうさぎのぬいぐるみ。昔むかしはモスグリーンで、耳もぴんと立っていたのだが、針金の抜けた耳は垂れ下がり、いつも抱きしめていたので手あかで真っ黒になってしまった。薄汚いボロ人形を抱えているのはみっともないと、父が同じようなうさぎのぬいぐるみを買ってくれたのだが、この「うさこちゃん」を、どうしても離さなかったらしい。長い間押し入れのなかで、涙を流して眠っていた私の「ビロードうさぎ」。背中の縫い目がほつれて、中の詰め物が見えている。
January 21, 2014

不足分の棚板が届き、やっと書物が片付いた。 音楽はダウンロードし、本は電子化されて行き、今やハードが減少していく時代だ。住宅もミニマムになり、そこに消えゆくハードのため書棚やオーディオを設えるのは、時代に逆行しているようにも感じるが、ある意味で贅沢にも思えるのだ。古本屋の主人によると、私たちの蔵書はもう古く、単行本や全集物はみなミニマムに、文庫化されているのだそうだ。ハードカバーの書籍は、今の住宅事情に合わないのだという。そういえば、私は高校時代まで旧仮名遣いの文庫本を読んでいた。難解な漢字が出てきても、前後の文脈から当て推量で読んでいたので、今でも「暫く」と「漸く」が曖昧なままだ。家人も同じで、「詳細」を時々「せんさい」などと言うことがある。ところで私が一番読書に励んだ時期は、高校時代でも大学時代でもなく三十歳代だった。私は(学生時代はともかく)図書館で借りるタイプではなく、本は正価で買って読んだ。それが作者への「礼儀」というのではなく、身近に置いておきたい「宝物」であったからなのだが、そのために本がどんどん増えてしまったというわけだ。古本屋が我が家の蔵書を眺めて、「ジャンルが多岐にわたっていて、趣味が読めないですね」と笑ったが、あのころはなんでも読んだ。今、手元に残した蔵書を眺めてみると、日本語のうつくしさ、優雅さが感じられる読み物あるいはさりげないユーモアにみちた児童書が多いように思う。
January 20, 2014

古家の後片付けをお願いしたW氏が雪かきをしてくれたというので、残りの書籍類と市ガスの後始末のため久々に行ってきた。荷物が運び出された家の中は雑然として生活の名残がなく、痛々しかった。それでもまだ洗面所やキッチンにはパジャマや調味料が残されていた。玄関ホールの壁面に掛けていた季節ごとの絵や寝室に飾っていたスカーフなどを、クルマの後部座席やトランクにいっぱい詰め込んで持ってきた。『いまさらガーデニングなんぞしたくない』とは思ったのだが、マンションの一階なので小さな庭がついている。そこの草取りくらいしなくてはならないだろうから、シャベルや枝切りばさみなどを車庫から持ってきた。下の写真は古家の玄関ホールを階段から写したもの。実は鏡の下に置いてある季節の絵が結構大きく、荷物でいっぱいのクルマに入らなかったので、次回取りに行くことにした。隣の青い絵は、コローの「海辺の風景」。この絵の水色が好きで、長いこと玄関ドアの横に掛けていたのだが、すっかり汚れてしまったので置いて行くことにした。上は居間の入口から玄関ホールを眺めたところ(玄関脇の洋間は書庫)。収納棚のドアは、できることなら取り外して持っていきたいほど好きだった。
January 17, 2014

廊下に出してあった蔵書(蔵書印が押してあったにもかかわらず)を古本屋に引き取ってもらった。本はどれも値段がつかず、父の所蔵していた和本の美人画が2冊で1000円、試みに私の訳本を出してみたところ、3冊で2000円だった。西洋医学書はすぐに新しいものが出るので買い取りはできないが、中医学の専門書は結構需要があるという。値段はともかく、重い本を持って行ってもらえるのだからありがたい。お陰で廊下がすっきりした。まだ戸建の家に児童書やら文庫本やらがあるのだが、そちらは3月末までに引き取ってもらうようお願いして、とりあえず新居は落ち着いた。とはいえ棚板がまだ出来上がっていないので、蔵書の整理は依然として進まない。おまけに週明けから家人が5日ほど入院したので、忙しい一週間だった。写真の画像は絨毯の模様。赤い色が可愛らしく水色がきれいで、肌触りも良くて気に入っている。四隅にはこの角の生えた鹿のような小さな動物が描かれているのだが窓側を向いていたのが家人には気に入らなかったらしい。寝室側に向けるべきだと主張するので、仕方なく2台のストレスレス・チェアとオットマン、ネストテーブル、猫の籐椅子を移動し、絨毯を巻いてよっこらしょと持ち上げ、敷きなおして方向を変えた。こういう神経質な人のことを仙台弁で「神経タカリ」というらしい。私が「恵方巻じゃないんだから、どっちを向いててもかまわないんじゃないの~」と言うと、「キミは無神経タカリだからね」と言われてしまった。絵柄の向きなんか、どっちでもいいんだけどね。
January 10, 2014

マンションの目と鼻の先に温泉がある。いわゆる「スーパー銭湯」といったところなのだが、露天風呂もマッサージ屋さんもあって、なかなかリラックスできるのだ。今までに二・三度行って来た。マンションの浴室は狭くバスタブは小さい。戸建でもシャワーしか使っていなかった浴室なのだが、窓のない閉そく感と狭さは如何ともし難いので、露天風呂はありがたい。狭いといえば、キッチンのカウンター。そこに食洗機が置けなかったので、家人のアイディアで洗濯機の上の空間を利用することにした。「対面キッチンで30分も『ザーゴー、ザーゴー』を聞かされてはたまらん」と言うのだ。しかしいざ据えてみると、背の低い私ではとても手が届かない。当時は家人も責任を感じたらしく「手伝うからね」としおらしい事を言ったのだが、今では「脚立」が我が家の必須アイテムになってしまった。浴室のバスタブ上部には取り外しできる物干し棹を二本と、天井の換気扇に乾燥ヒーターを付けてもらった。女性の設計士さんによる細やかな気遣いを感じさせるリフォームで、洗面台の鏡は曇り止め効果のある三面鏡になっている。猫はまだ新しい住いに慣れないのだが、自分の椅子を忘れないようで、夜はここで眠っている。
January 8, 2014

本棚の整理がなかなか進まない。蔵書は大きく日本文学、古典文学、児童書、ローマの歴史書、キリスト教関係、そして中医学書に分けて、ハードカバーのみここに入れることにしたのだが、児童書が思いのほか多いことにびっくり。 重い書籍を入れ替えしていたら指先がヒリヒリし、親指の付け根が痙攣して物が掴めなくなってしまった。寝室のクローゼットのデッドスペースは、上から4段目の半分までCDが入った。下は棚板が不足して未整理のままだが、新書と文庫本を収納する予定だ。↓ これは、かわいそうだが、捨てられる運命の書籍たち。
January 3, 2014

荷ほどきをしながら、ふと「私は繰り返しに弱いの」というクラスメイトの言葉を思いだした。食事を作れば食べてなくなり、汚れた食器が残される。家族が増えると部屋は散らかり、洗濯ものが増える。繰り返される後処理はいつも女の仕事で、それが辛いというような事を言ったのだった。忍耐力とか持続力はともかく、そういった女の仕事こそ人間の生命を支える根源的な作業なのだから、繰り返しに弱いということは、現実処理能力がないということだ、と私は思う。無意味に思える日常生活の果てしない繰り返しの中でこそ、私たちは「ひらめき」を与えられるのだ。「ああ、こういう事だったのだ」と、すとんと胸におちる精神経験をすることがある。仕事でも勉強でも、そういった「直観」が必要なのだ。それが日常生活の中でなくて、どこで得られようか。とはいえ、どんなに才能があったとしても、その人の性質や人格が災いして芽が出ないことがある。「ピンチをチャンスに」と言うが、チャンスを識別できなければ、チャンスさえピンチにしてしまうものだ。高価な着物や銅の打ち出し鍋、楽器や食器、花瓶などの蒐集品を手放してみて、私が大事にしてきた物など、世間では二束三文であることを知った。つまるところ、そういった「宝物」に象徴される個人の嗜好や価値観はあくまでも主観でしかないということだ。それなのに、またもや新居には新しい設備を整え、自分の気に入った品々に囲まれて暮らそうとしている。それもまた、懲りない人間のしたたかさなのかもしれない。★ 木製の小鳥。市内の老舗文具店で、数十年前に買ったもの。最近のお店やデパートは実用品ばかりで、ちょっと気になる贅沢品やいつか買いたい上品な品々を置かなくなったのが寂しい。キッチンの収納棚(扉を閉めたところ)。狭いので大型の冷凍冷蔵庫は納戸に行ってもらい、ここには業務用のテーブル冷蔵庫を入れた。左側の比較的薄い引出し部分は下段が配膳台で上段が炊飯器や魚焼き機の台になっている。ご飯を炊く時は扉を開け、台を引き出して使う。冷蔵庫の隣の引出し部分には食器を入れている。収納棚の内部。上段は黄色、中段は赤、下段の引出しは黒にした。家具類はすべて家人のアイディアだが、これを具現化してくれたのは藤原竜也似の若い一級建築士。白い床に黒猫の抜け毛が目立つので、ルンバを買った。昨年届いていたのだが床が段ボールで一杯だったのと、忙しくて開梱する暇がなかった。今日初めて稼働してみたところ、猫がパニクってしまった。ルンバに乗る猫もいるというのに・・・。我が家にはダイソンとマキタのコードレス・クリーナーがあるのだが、ルンバはあちこちにぶつかりながらも健気に動き回り、ひとりでとてもきれいに掃除してくれるスグレモノだ。
January 1, 2014
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