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激しかったあの暴風雨による大騒ぎのために、念誦していらしたとはいえやはり疲労困憊していらしたのでしょう、心にもなくまどろみなさいます。粗末な御座所ですので、ただ物に寄りかかったままでうとうとなさいますと、故・桐壺院がご在世でいらした頃のままの御姿で御前にお立ちあそばされて、「どうしてこのような賤しい所に住んでいるのか」とお手をお取りになり、「住吉の神のお導きの通りに、早く舟を出してここを立ち去りなさい」と仰せあそばされます。源氏の君はたいそう嬉しくて、「畏れ多くも故・父の院にお別れもうしあげてからは、様々に悲しい事ばかりが多くございまして、今はもう、この須磨の浜辺に身を捨ててしまおうと思うのでございます」と申し上げます。「そんな事をしてはならぬ。この不運はほんの些細な事の報いである。私が位についていた時には咎となるような事はなかったが、知らぬ間に罪を犯す事もあるものだ。その罪を償う暇がなくてこの世の事を顧みなかったが、そなたがひどく悲しみに沈んでいる様子を見るに耐えず、あの世から海に入り渚に上りいたく疲れてしまった。しかしこの機会に帝に上奏すべき事があるので、いそぎ都に上るところだ」とて、お立ち去りになるのでした。
January 31, 2012
月が出てきましたので、潮が近くまで押し寄せた跡がはっきり見えます。高潮の後がまだおさまらず、寄せては返す荒波の様子を、柴の戸を押し開けて眺めていらっしゃいます。ご自分の周りには、情趣を知り、来し方行く先の事を弁え、物事の道理を知る人もありません。賤しい海士たちが「ここは身分の高い人がおわす所」といって集まってきて、源氏の君がお聞きになってもお分かりにならぬ言葉で互いに喋るのもたいそう奇妙なのですが、追い払う事もなさいません。「この風がもうすこし止まなかったら、潮が上って来てすっかりさらってしまっただろうよ。無事であったのは、並々ならぬ神の助けがあったからだろう」と言うのをお聞きになるにつけても、何とも心細い身の上であることに変わりはありません。「海にます 神のたすけにかゝらずば 潮のやほあひに さすらへなまし(海にまします神の助けがなければ、今頃私は潮の渦巻く中にさすらっていたことだろう)」
January 29, 2012
「君主の御子として宮殿の奥深くにて育ち給い、色々の楽しみに驕り給うことがあったとしても、慈しみ深い御心は大八洲に行きわたり、悲運に沈める仲間をこそ多く御救いになりました。それなのに今、どんな報いがあってこの激しい波風に溺れようとなさるのか。天の神・地の神よ、判断を下し給え」「罪なくして罪にあたり、官位を取られ家を離れ、都を去り、明け暮れ心安き時なく嘆き給う上に、かく悲しき目をさえ見、命を奪おうとまでなさるのは先の世の報いか、あるいはこの世で犯した罪なのか。神仏が正しくましますならば、この嘆きを一時静め給え」と、住吉の御社の方向に向かって様々な願をお立てになります。 他にまた、海の主である竜王やよろずの神々に願をお立てになるのですが、雷はいよいよ激しく鳴り響いて、源氏の君がおわします寝殿に続く廊に落ちて燃え上がり、廊は焼け落ちてしまいました。人々は皆、あまりの事に呆然としています。寝殿の後にある炊事場のような建物にお移りいただいたのですが、そこは身分の上下なく皆が避難してきましたので立て込んでひどくむさ苦しく、雷鳴にも劣らぬほどの泣き声に満ちています。空はまるで墨をすったようにまっ黒で、暗いまま日が暮れてしまいました。 やっと風が止み、雨脚が衰え、空には星の光も見えるようになりますと、この場所がひどく汚れていて勿体なくもあり、寝殿にお戻りいただこうとするのですが、焼け残った部屋も気味が悪く、慌てふためいた人々が踏み散らかしたので、御簾などもみなどこへ行ったものやら分からない有様です。『後片付けは夜が明けてから』と皆がおろおろしています。源氏の君は一人静かに御念誦なさっておいでなのですが、思い巡らす御心の中は、とても落ち着いてはいられないのでした。
January 28, 2012
源氏の君は『この世が滅びるのではなかろうか』と、お思いにならずにはいられません。翌日の夜明けから風がひどく強く吹き、高潮が押し寄せるその荒波の音は、まるで巌も山も跡形もなく引き崩そうとするほどの凄まじさです。雷の鳴り閃く様子はさらに激しく頭上に落ちかからんばかりで、誰もだれもが正気を失っています。従者たちは、「我らは前世にどのような罪を犯して、このような悲惨な目を見るのでしょう」「父母にも逢えず、愛しい妻子の顔も見ずに死ぬ事になるのですね」と嘆きます。 源氏の君は御心を鎮めて、『たいした罪でもないのだから、ここで一生を終える事などあり得ぬ』と、強くお思いになるのですが、周囲の者たちが騒ぎますので住吉の神にさまざまな捧げものをお供えになり、「住吉の神よ。このあたりを鎮め守り給う、この地に降臨し給うた神であるならば、我々を助け給え」と、多くの大願をお立てになります。 従者たちは自分の命はともかく、源氏の君のように高いご身分の方がまたとない悲運に沈んでしまわれる事の悲しさに、少しでも分別のある者は心を奮い起こし声を揃えて「我が身に代えても、源氏の君だけは御救いたてまつらん」と、大声で神仏を念じたてまつります。
January 26, 2012
二条院の女君からの御文には、「呆れるほど降り続く雨に、私の心ばかりか空さえも塞がるような心地がして、気持ちを慰めることもできずにおります。浦風や いかに吹くらむ思ひやる 袖うち濡らし 波間なきころ(須磨の浦に吹く風は、どんなに激しく吹いていることでしょう。都に居る私もあなたさまを思い、絶えまなく袖を濡らして泣いております)」と、しみじみと悲しい事などがたくさん書かれてあって、汀の水も涙で増えそうなほど涙がこぼれるのです。遣いの者は、「都でもこの雨風につきましては『ひどく不気味だ。何かの前兆ではないか』と噂されまして、朝廷では仁王会などを行われると聞きまする。上達部なども道が塞がって参内できず、政も止まっているのでございます」と、たどたどしく話します。都の事はどんなに些細な事でも知りたくお思いになって、御前にお召しになります。「日夜雨が降り続き、その上風も時々強く吹いて、幾日にもなっておりまするのを、都人は異常な事として驚いておりまする。地の底まで突き通るような雹が降り、雷が止まないなど、今までなかったのでございますから」と、このひどい荒れ模様に使者が驚き怖れている表情を見て、源氏の君の従者たちの心細さはいっそう増すのでした。
January 25, 2012
御祓いの日からずっと雨風がやまず、雷も一向に静まることもなく日が過ぎました。源氏の君にはたいそうもの寂しい事ばかりで、来し方行く末にも希望のない境遇にすっかり気弱になっていらっしゃいます。『どうしたものだろう。この天変だからとて都に帰っても、まだ世に許されたわけではないのだから、反って人の物笑いになるだろう。やはりここよりもっと深い山を探してでも、行方をくらましてしまいたいものだ』とお思いになるのですが、『だがしかし、いかにも波風に恐れを為して逃げ出したと、後の世までも軽々しい噂を流す羽目になるのであろうし』ともお考えになり、どうしたものかと迷っておいでなのです。御夢の中にも同じような者が夜毎現れて付きまとい、お連れ申そうとします。晴れ間なく雨風に明け暮れる日々で、その上都からの態度もひどくおぼつかなく、このまま捨て置かれるのかと心細くお思いになるのですが、頭をさえ出す事もできないほどの空模様ですから、出かけて来るような人もありません。そんな折、この荒天を突き、二条院からずぶ濡れになって遣いが参りました。道ですれ違っても人とは思えないほどの姿をした、普段なら追い払うような賤しい男なのですが、都からの遣いとあれば懐かしく気の毒にお思いになるのも、我ながら我が身が畏れ多く意気地なくお思いになるのです。
January 24, 2012
映画の話題から少し離れるが、その意味で私には、キリスト教でいう「永遠の命」は、強欲さに通じているように思えてならない。永遠に生きて、一体何をするのか。人間は死ぬからこそ限りある命が愛おしいのだ。少なくとも私は(死ぬという未知の体験は怖いが)、永遠に生きたいとは思わない。かつて死の床にあって、嘆き悲しむ家族に向かい「泣くな、やかましい!静かに死なせてくれ!」と叫んだ老人がいたけれど、願わくば私も静かに死にたいと思う。死に臨んで泣かれたくないし、死んだ後私の事など忘れてくれて結構だ。大事なのは今の自分の人生を、主体的に生きる事にある。心のなかの愚痴も不満も引き受けて、自身の心の中で処理して生きるということだ。たとえ嘆きに満ちていたとて、それこそが自分の人生ではないのか。自分が背負うべき十字架を直視し、担う覚悟を持ってこそ、自分の人生を生きたことになるのだもの。いにしえの、ペルシャの詩人が言う通りだ。「世の中が思いのままに動いたとて なんになろう?命の書を読みつくしたとて なんになろう?心のままに百年生きたとて、更に百年を生きていたとて なんになろう?」~★~話を映画に戻そう。3人は様々な危険を冒しながらゾーンを通り、「望みの叶う部屋」を前にするのだが、物理学者も作家も、その部屋へ入ろうとしない。ここでの「望み」は、「願い」や「頼み」ではなく、自分の「本性が現出する」ことを知って、恐ろしくなったのだ。臆病な作家は、「自分の本性の腐肉なんか、見たくない。他人にも見せたくない」とまで言う。そこに見えるのは、現実逃避と自己欺瞞だ。皆は『相変わらず』うつろな表情をして、集合場所に戻って来る。「ゾーン」からついてきた、姿形のきれいな一匹の黒い犬を連れて。~★~長い映画なのに、二回も観てしまった。
January 22, 2012
タイトルから、隠微な犯罪者をイメージしていたのだが、殺伐とした夢の中のようなSF映画だった。ストーカーは stalk に er をつけた名詞。動詞の stalk は、獲物に忍び寄る、歩き回るという意味を持つ(岩波新英和辞典1981年)。映画の内容では「歩き回る者」といったところだろうか。あるところに「ゾーン」と呼ばれる不思議な場所がある。そこに入ったものは誰もー警察や軍隊さえもー出て来る事の出来ない危険な場所で、立ち入り禁止区域になっている。しかし「ゾーン」には、入った者の願いが叶うという建物があるので、危険を冒しても足を踏み入れる人が絶えない。主人公はそこへの案内人だ。つまり幸福への案内人というわけだが、皮肉な事に彼自身はその部屋に入ることができない。そのせいか暮らしは貧しく、障害のある娘にも妻にも愛情をかけているようには見えない。実際にその部屋に入った者がいるのだが、「弟の助命」を願ったにもかかわらず「大金持ち」になって、二日目に自殺してしまったという。「願い」は、良くも悪くも本懐だけが遂げられるということらしい。その主人公のところへ男が二人、「ゾーン」への案内を求めてやってくる。一人は物理学者で、ひそかに「ゾーン」を爆破しようと企んでいる。もう一人は書く事に意味を感じない作家だ。彼は「女性にもてる流行作家」らしいのだが「自分が何を望んでいるのか、何を望んでいないのかが明確でないんです。私はいったい何を欲しているのか......」と言う。私はこの言葉に、人間の持つ底なしの不満・満たされる事のない欲望を感じるのだ。
January 21, 2012
雷が落ちるのではないかと恐ろしく、命からがら住いに辿りつきました。「このような目には、いまだかつて遇ったことがありませぬ」「風は吹いても、いきなり雨になるとは」「いやはや、こんな事はめったにありませんよ」と、供人らはうろたえます。雷はまだ鳴りやまず、雨脚は強くてまるで屋根を突き抜けるほどぱらぱらと音を立てています。『こうして世は滅びてしまうのであろうか』と、皆心細く途方に暮れる時、源氏の君は穏やかに経を誦じていらっしゃいます。 日が暮れると雷は少し止んだのですが、風は夜にも吹き荒れました。「多く立てた願の力なのでしょう」「もう少しこの風雨が続いたら、我らも荒波に引かれて海の藻屑となったかもしれぬ」「あっという間にさらわれる『高潮』というものがあるとは聞いていたけれども」「こんな恐ろしいことは未だかつて経験したことがない」などと言い合うのでした。夜が明けるころになって、やっと皆が眠りました。源氏の君もうとうとなさいますと、誰ともはっきりしない人が来て、「宮よりお召しがあるというのに、どうして参内なさらぬのか」と言いながら捜し歩く夢を見たのです。源氏の君は驚いて、『さてはうつくしい物好きな海の中の竜王が、私に執念をかけたのだな』とお思いになるとひどく気味が悪く、この海辺での暮らしを耐え難くお思いになるのでした。
January 20, 2012
三月の最初の巳の日には、「今日は心配ごとのある人が、御禊なさるべき日ですから」と、お節介者が申しますので、海の様子も見たくお思いになってお出でになります。海辺にはひどく簡素に幕だけを張り巡らして、都から摂津の国に通ってくる陰陽師をお召しになり御祓いをおさせになります。仰々しい人形を舟に乗せて流すのをご覧になるにつけても身につまされて、「知らざりし 大海の原に流れきて ひとかたにやは 物はかなしき(今まで知ることのなかった大海に、この人形のように流れてきたけれども、私の悲しみはひとかたではなく、海のように深くて大きい)」と仰せになって座していらっしゃるご様子は、晴れ渡る空の下で言いようもなく上品に見えるのです。海はのどかでどこまでも凪ぎ渡り、遥か彼方の行方も知れぬ所に来し方行き先を思い続けられて、「八百よろづ 神もあはれと思ふらむ をかせる罪の それとなければ(八百万の神々も、私を哀れと思ってくださることでしょう。犯した罪などないのですから)」と仰せになると、まるで天が応じたように急に風が吹き出し空も暗くなりました。御祓いもまだ終わっていませんので大騒ぎです。「にわか雨」とかいうものが降りだして、大慌てで皆帰ろうとなさるのですが笠も間に合いません。雨など降る気配すらなかったのに、すべての物を吹き散らすようなまたとない暴風雨です。海はひどく波立ち、人々は足が地に着かぬほど動転します。海面は衾を張り詰めたように稲妻で光り、雷が鳴り渡ります。
January 19, 2012
都からのお土産などを、趣あるふうにしてあります。主の君からは「このようなありがたい贈り物に対しては」と、黒駒を差し上げます。「流罪の身である私からの贈り物など忌わしくお思いかもしれませんが、馬は北風に向かえばいななくでしょうから」と仰せになります。世にも珍しげな御馬の様子です。「それでは思い出として」と、宰相は立派な笛の名品をお贈りになります。お二方とも人が咎めるような品の贈答はなさいません。日がしだいに高く上り気持ちが急きますので、振り返りながらお立ち出でになりますのを源氏の君がお見送りなさるのですが、対面なさる前より別れ難く辛いご様子です。「再会できるのは、いつの事でしょう」と仰せになりますので、主の君、「雲ちかく 飛びかふ鶴もそらに見よ 我は春日の くもりなき身ぞ(宮中に出入りなさるあなたさまにもお分かりいただきたいのです。私は春の日のように一点のくもりもない身であるということを)潔白な身の上だからと帰京を頼みにしてはいるのですが、こうして流人となってしまった身の上では、昔の賢き人でさえ世に受け入れられる事が難しいのですから、『都の境を又見む』とは今さら思いませぬ」と仰せになります。宰相は、「たづかなき 雲井にひとりねをぞ泣く つばさ並べし 友を恋つゝ(何ともしようのない宮中で、私は一人声を上げて泣いております。かつて一緒に出仕した友が今はいないのを恋しく思って)もったいなくもあなたさまと馴れ親しんでまいりましたが、別れましてからは反ってそれが悔やまれる折が多いものですから」ゆっくりもせずにお帰りになった宰相との心残りな別れがたいそう哀しく、ぼんやりと眺め暮らしていらっしゃるのです。
January 18, 2012
御馬どもを御座所に近いところに繋ぎ、向こうに見える倉か何かから稲藁を取り出して馬に喰わせる風景も、珍しい気持ちでご覧になります。宰相は飛鳥井を少し歌い、近頃のお話などなさっては泣いたり笑ったりします。「若君がこの時勢を何ともお思いにならない哀しさを、祖父・左大臣は明け暮れにつけて思い嘆くのですよ」とお話しになりますので、耐え難くお思いになります。御二方のお話は尽きるはずもありませんので、ここに書きようがないのですが、ともかく御二方は一睡もせず、夜通し漢詩をおつくりになってお過ごしになりました。とはいってもやはり弘徽殿への伝聞を畏れて、宰相は急いでお帰りになります。お帰りは反って悲しいのです。別れの盃をお取りになって「酔いの悲しみ、涙そそぐ春の盃のうち」と白氏文集の一節を、声を合せて誦しなさいます。御供の人々もみな、涙を流します。めいめいがかりそめの対面後の別れを惜しむのでしょう。ほんのりと夜が明けた空に、雁が連なって渡ります。主の君、「ふるさとを いづれの春か行きて見む うらやましきは 帰るかりがね(いつになったら都に戻って春を見ることができるでしょうか。都に戻るあなたがうらやましい)」もとより宰相は出立する気持にはなれないのです。「あかなくに かりの常世を立ち別れ 花のみやこに 道やまどはむ(後ろ髪引かれる思いであなたさまとお別れして都へ帰りますが、悲しさのあまりきっと道に迷ってしまうことでしょう)」
January 17, 2012
御住いの様子は、言いようもなく洒落た唐風でした。周りの景色はまるで絵に描いたようで、そこに竹を編んだ垣根を巡らしてあります。石の階段、松の柱など簡素でありながら珍しく、趣があるのです。源氏の君も簡素な御装束でいらっしゃいます。黄色みがかった薄紅色の下襲に、青鈍色の狩衣と指貫という殊更田舎めいた御姿にやつしていらして、それが反って見る者にはたいそううつくしく映り、自然ほほえまれるのでした。日常御使いになる御道具なども一時の間に合わせですし、お部屋に奥行きがないので御座所もあらわに見えています。碁、双六の盤、調度、弾碁の御道具などもわざと田舎風にしてあります。念誦の御道具は、いつもお勤めをしていらっしゃることが見てとれます。 お食事を差し上げる際には、特に場所にふさわしく風流に調理してありました。海士たちが捕った魚介類を持って参りますので、お召し出でになってご覧になります。須磨の浦での生活の様子などをお尋ねになりますと、海士は心の安まる事のない身の憂いをいろいろとお話し申し上げます。『賤しい海士たちが聞き慣れない言葉で話しても、愚痴の中身というものは我らと同じなのだな』と、哀れにお思いになって御衣などをお授けになりますと、漁夫たちは「生きた甲斐があった」と喜ぶのでした。
January 15, 2012
年がかわりました。日が長く手持無沙汰なのですが、去年植えた若木の桜がほんのりと咲き始めました。空の気色もうららかですので、様々な事をお思い出しになってはお泣きになる折が多いのです。二月の二十日過ぎには、去年都を離れる時に別れが辛かった女君たちの御様子をお思い出しになってはたいそう恋しく、今頃紫宸殿の桜は花盛りであろう、五年前の花の宴での桐壺院のご様子やあの頃春宮でいらした朱雀帝がたいそううつくしく優雅で、源氏の君が作った漢詩を誦じ給うた事などをお思い出しになります。「いつとなく 大宮人の恋しきに 桜かざしし けふも来にけり(いつもいつも大宮人が恋しく思われるけれども、桜の花を見ると、頭に挿して楽しく遊んだ日々を思い出さずにいられない。また桜の咲く季節がめぐってきたのだね)」と、ひどく退屈していらっしゃいます。そんな折、左大臣の子息・三位の中将が今は宰相となり、人柄がたいそうご立派で、世間からの評判も重くていらっしゃるのですが、何につけ世の中をつまらなくお思いになり、御遊びがあるたびに源氏の君を恋しくお思いになっていらして、『弘徽殿の大后の御耳に入ったとして、罪に問われてもかまうものか』と、だしぬけにやってきたのです。久しぶりの対面ですので珍しく嬉しく、悲しくも嬉しい涙がこぼれるのでした。
January 14, 2012
母君が、「源氏の君は申し分なくすばらしい御方ではいらっしゃいますよ。でもどうして、罪を受けて流されていらした方を『初婚の娘の婿に』などとお思いになるのでしょう。婿として御迎えするとして、娘に心をお留めくださるならまだしも、そのような事は戯れにもございますまい」と言いますので、入道はひどく不満げにつぶやくのです。「罪を受けることなどは、唐土でも我が朝廷でも、源氏の君のように世に勝れ何事も人とは異なる御方には必ずあるものだ。そなたはあの御方をどのように思っているのだ。故母・御息所は、我が叔父でいらした按察大納言の娘であるぞ。その娘がすばらしい評判を得て宮廷に出仕なさると、他に並ぶ者がないほど深い帝のご寵愛を受け、そのため女御や更衣の嫉妬が重なって亡くなったのだが、源氏の君がお生まれになった事は、何とも幸運な事であった。だから女は結婚に対して志を高く持たねばならぬのだ。自分がこのような田舎者だからとて、お見捨てにはなるまい」など言っているのでした。明石入道の娘という人は、見目形はすぐれているというほどではありませんが、優しく上品で機転が利くところなどが、ほんに高貴な女君にも劣らぬほどでした。けれども明石の女君は、情けない境遇にある事を自覚していました。「身分の高い御方にとって、私などは人の数にも入らないことでしょう。そうかといって身分相応の結婚を、今さらしたいとも思わない。私が長生きして父や母に後れた時は、尼にでもなりましょう。いえ、海の底にでも入ってしまいましょう」と思っているのでした。一方父君はあれやこれやと娘を大切にして、一年に二度も住吉詣でをさせました。住吉の神の霊験を、入道は密かに頼みにしているのでした。
January 13, 2012
明石の浦は須磨からほんのわずかの所にあります。良清の朝臣は明石の入道の娘を思い出して文などを遣るのですが、娘からは返事もありません。父親の入道から、「申し上げたい事がありますので、一度お会いしたい」と言ってきたのですが、『娘との結婚を承知しないであろうし、のこのこ出かけて行って空しく帰るのも馬鹿馬鹿しい』と、へそを曲げて行きませんでした。播磨の国守の縁故者だけは大事にするものなのですが、入道という人は世に珍しいほど気位が高く心根がねじけていますので、播磨の守の子息である良清をも疎んじて年月を過ごしてきたのです。ところが源氏の君が須磨におわすと聞いて、娘の母君にこう話しました。「桐壺の更衣の御腹にお生まれになった源氏の光る君が、朝廷からの御咎めを受けて須磨の浦に住んでいらっしゃるそうだ。前世の因縁によっては、我が娘にとって考えられもしない栄光があるものだ。何とかしてこの機会に娘を源氏の君にたてまつりたいと思う」母君は言います。「まあ、何という事をお考えになる。都の人の話を聞けば、源氏の君は身分の高い御妻をたいそう多くお持ちだとか。それどころか人目を忍んで帝の御妻とも過ちを犯して、こんなふうに世間に騒がれていらっしゃるのですよ。どうして我が娘のような卑しい田舎者を相手になさいましょうか」すると入道は腹を立てて、「そなたにはお分かりになるまい。私には考えがあるのだ。娘を差し上げる心算で用意をなされよ。それにまた、機会を作ってここにもお越しいただこう」と、得意げに言うのも頑固で見苦しいのです。入道は家の内をまばゆいまでに飾り立て、娘にかしずくのでした。
January 12, 2012
冬になり吹雪で外が荒れる頃には、特にもの寂しくお思いになります。七弦の琴をお弾きすさびになり、良清に歌を歌わせ、大輔に横笛を吹かせて管弦の御遊びをなさいます。源氏の君が心を籠めて趣のある曲をお弾きになりますと、他の楽器は鳴らすのを止めて、皆流れる涙をぬぐわずにはいられません。『昔、漢の元帝が胡の国に遣わした女を惜しんだというけれど、都から離れているだけでもこんなに辛いのに、まして元帝の心中はいかばかりであったろう。もし自分が生きている間に、大切な女人を遠方へ放り出すようなことがあったとしたら、どんなに辛かろう』とお思いになりますと、まるで本当に起こるかもしれない事のように不吉ですので、「霜の後の夢」と誦んじていらっしゃいます。月がたいそう明るく、粗末な旅の御住いの奥まで隈なく照らしています。軒が短いので、板敷きの床の上で夜の空も眺めることができます。入り方の月明かりがもの寂しく見えますので、「月はただ西に行くだけ」と、独り言を仰せになります。「いづかたの 雲路に我もまよひなむ 月の見るらむ こともはづかし(私はどちらの方向へ迷い行くのであろうか。迷うことなく西へ行く月は、私をどう見るかと思うと恥ずかしい)」と、ぽつりと仰せになりますと、眠れぬ暁の空でいつものように千鳥がひどく哀れげに鳴きます。「友千鳥 もろ声に鳴くあか月は ひとり寝さめの 床もたのもし(千鳥が群れを為して一緒に鳴く暁は、一人眠れずに泣く私に仲間がいるようで心強い)」まだ目覚める人もいないので、何度も言い返しながら臥していらっしゃいます。夜が更けてから御手水で清めて念仏や読経などなさるのも、供人たちには特別ご立派に思われますので、お傍から離れる事もなく自宅にさえ帰らずにお仕えするのでした。
January 11, 2012
須磨での暮らしが長引くにつれ、紫の女君なくして月日を過ごす事などできそうにないとお思いになるのですが、「我が身ひとつでさえ『情けない宿世』と思わずにいられない住いの有様なのに、どうしてここへ迎えられるであろう」と、女人を伴う事の似気無い様子をお考えになってはお思い返しになります。都から離れた場所柄でしょうか、何事につけ様子が違い、今まで源氏の君がご存知なかった下人の暮らしぶりなどが心外に思われる一方、今のご自分の境遇を面目なくお思いになるのです。時々煙がたいそう近くにまで流れてきますのを『これが海人の塩焼く煙というものか』とずっと思いこんでいらしたのですが、実は後の山で柴という物をいぶしている煙なのでした。その煙さえ、源氏の君にはもの珍しいのです。「山がつの いほりに焚けるしばしばも こと問ひ来なん 恋ふるさと人(木こりが庵で焚くという柴。その煙を眺めるにつけても、恋しい都の友たちよ。この煙のようにしばしば私のところへ来てほしいものだ)」
January 8, 2012
正月の練習でバタフライ25メートル、やっと楽に泳げるようになった!開業してからは教室にも思うように通えず、泳がない日が1年以上も続いた。お陰で筋力は落ちるし、42キロ台だった体重は徐々に増えて今では45キロに。その上、右足の腰部の筋が痛むようになってしまった。『これではだめだ!』と思いなおし、また水泳を始めたのが去年の11月末。店が終わった後無理なく通える時間であること、種目別の教室があることを条件にスポーツクラブを捜し、バタフライを初級から練習することにした。「初級」では「いるかジャンプ」からの練習なので、力が抜けて案外楽しい。ひたすら「いるか飛び」をしていたら、頭の重みを使って体重移動することや、身体を反らせた時ぐーんと進むこと、つまりうねり方が分かってきた。12月中ばには中級に昇格したのだが、内心「バタフライは苦しくて泳げない」という気持ちが強くて、不安の方が大きかった。先生には「もうほとんど泳げているんですけどね」と、私がひやかしで来ているような言い方をされるのだが、実際25メートルバッタで行けと言われたらとても無理。半分も泳げないのだ。それが、ノーブレ(無呼吸)で何とか12.5メートル泳げるようになった。さらに2回に1回の呼吸だと、力を抜いて楽に25メートル泳げるようになったのだ!ニガテな事、出来なかった事を克服するとは、何と嬉しい事だろう。遅まきながら1個メ(100メートル個人メドレー)を練習して、「マスターズ入会」を今年の目標にしよう。
January 7, 2012
「ツォツィ」「おまえ、『品位』って知ってるか?」「上品な暮らしをすることだろ?」「違う。『暮らし』の事じゃない。『自分への敬意』だよ」 言葉の力は、共有する精神性に依存するのだと思った。 つまり心に共有財産を持たなければ、言葉は無力だと言う事だ。「誓いの休暇」 初めて観た時はラフマニノフの交響曲に似た音楽がとても印象的だったのだが、あれからずいぶん経った今観てみると、案外つまらない内容に思えてがっかり。「ローラーとバイオリン」7歳の少年と道路工事でローラーを引く青年の交流を描いた、アンドレイ・タルコフスキー監督作品。バイオリンの先生からは「もっと自分から弾こうとしなくちゃだめ」と注意されるが、いじめられっ子から救ってくれたローラー引きのためには、響きのいい音で演奏する、という内容。いじめっ子たちが少年のバイオリンを見つけた時ははらはらしたのだが「楽器」の持つ威厳のようなものに圧倒されて、そのままケースの蓋を閉めるところが印象的。Wikiで調べてみると、映画大学の卒業作品とのこと。日常の中の何気ないひと時を掬い取ったような映画。 「アンドレイ・ルブリョフ」アンドレイ・ルブリョフは、14~15世紀のイコン画家でロシア正教会の坊主だったらしい。出て来る人物は皆同じような格好をした坊主で、誰が誰なのかとても分かり難い。ストーリーもあってないような感じ。 しかし「難解な作品」を「高尚な作品」として好む人もあるから、観念的な人(特に男性)が持論を展開するには好適な映画かもしれない。「ものの本質に迫るには、適切なことばが必要だ」「彼の作品には欠けているものが一つある。畏敬の念だ」
January 6, 2012
「風が吹くまま」 アッバス・キアロスタミ監督作品 埃っぽい茶色な道を一台の古い車が走っている。時々車内の会話が聞こえるが、どこを目指し、何が目的で走っているのか分からない。音楽もまったくなし。見ていくうちに3人の撮影隊が、クルド人の小さな村の風変わりな葬式を取材に来たことが分かってくる。100歳を過ぎたばあさんが死にかかっているという。額の禿げあがった、どこか禿鷹に似た男が主人公だ。彼は2日の日程で、葬式を撮影するらしい。ところがそのばあさんは2日どころか2週間たっても死なず、結局禿鷹は退散することになる。その間の、村人たちとの交流を描いたフランス・イラン映画。禿鷹風貌の主人公は携帯に連絡が入るたびに、電波状況の良い高台の墓地まで埃の舞う道を、いちいち車を飛ばして上らなくてはならない。葬式を待っているわりには自分の身内の葬式には「帰れない」と無関心だし、葬式を撮りたいはずなのに、生き埋めになった村の男を救おうと奔走する。このあたりに、辻褄の合わない人間の心の滑稽さがあっておもしろい。 彼は言う。「人は自動車と同じで、働きすぎても暇すぎてもいらいらして、オーバー・ヒートする。暇は人をダメにする」 映画の中で、「フルーク」の詩が読まれる。~~~~~★~~~~~私の小さい夜 風と木の葉が逢瀬する。私の小さい夜 壊れる恐怖が潜んでる。聞いて 暗闇のささやきをこの幸せは まるで他人事私は不幸に慣れてしまった。聞いて 暗闇のささやきを。何かの前兆か 月は不安げに赤く今にも壊れそうな屋根の上ではまるで葬列に加わる人々のように雲が雨の誕生を待っている。それはほんの一瞬の期待。外では夜が震えてる。地球は回転を止める。窓際で見知らぬ自分があなたと私の心配をしてる。緑のあなた思い出に燃える手を 私の手に置いて命の温もりにあふれるくちびるを私の恋するくちびるに重ねて風が吹くまま心は風のままに~~~~~★~~~~~ この魅力的な詩のタイトルが、映画の題名らしい。
January 5, 2012
正月のTVで辻井伸行の自作自演を聴いたが、残念ながら期待外れだった。いつかどこかで聞いたことのあるメロディ、たとえばショパンの練習曲やフォーレのシシリエンヌがちらほら顔を出し、同じパターンの繰り返しが何度も続く。そこに変奏曲のような発展や変化が施されていないので、聴いていると退屈するのだ。「ショパンへのオマージュ」と題した曲には、意外にも日本の「演歌」の雰囲気が感じられるし、どの曲にも情感の高まりやタメがなく、凡庸で、そのためみな同じような曲にしかきこえてこない。ただ水のように風のように流れるだけで、ドラマ性がなく、私には物足りなかった。それらを「癒し系音楽」と好意的に捉えたとしても、バッハのゴルドベルグや平均律、サティの優雅で物憂い音楽には到底及ばない。大作曲家ならずともプロの作曲家の音楽にはメロディの中にさまざまな思いや情感の自然な移り変わり、さらには工夫された遊びがあって、聴き手の心の琴線に触れてくる「何か」があるのだが、彼の曲には外に対する意志的な説得力すら感じられない。クライバーン・コンクールでショパンやリストの難曲を、あれほどカラフルでダイナミックに演奏したかつての力強さや躍動感は、一体どこに消えたのか。彼の魅力はさらさらと優しく流れる「春の小川」にあるのではなく、力強く歯切れのいい音にあったのではなかろうか。つまるところ、好い演奏家は必ずしも好い作曲家となり得ないという事なのだろうか。小学校唱歌のような音楽を聞きながら、私は残念でならなかった。
January 3, 2012
「カリートの道」女:人はみな、追い込まれるのね。男:俺は抜け出す。「やくざな世界」での、よくあるラブ・ストーリーだったが、ヒロインを演じたペネロープ・アン・ミラーの、しなやかなダンスがとてもうつくしい。特にエンディングのバックで踊る彼女は、活き活きとしてかわいい。薄く長いドレスに細い体躯を包み、赤い夕陽の落ちる汀で飛んだり跳ねたりする姿は喜びと生命力にあふれて魅惑的だ。★「クリクリのいた夏」「欲しいものを手に入れるには、働くしかない」というひと言が印象的な、沼地で暮らす人々の慎ましい日常を描いたフランス映画。★「ぼくの伯父さんの休暇」ちょっととぼけた感じの伯父さんが、ポンコツ車で海辺のホテルにやってくる。ホテルは避暑に来たお客でいっぱい。レストランのドアは、開閉するたびに「ブンブン」という不思議な音がするし、伯父さんの車はパンパン!と大きな音をたててうるさい。悪気はないのだけれど、天然ボケの伯父さんは何かするたびに避暑客の顰蹙を買ってしまう。1952年制作のモノクロ。コメディタッチで楽しい映画だった。
January 2, 2012
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