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己の病気が分かってからじっとしていられず、昨年、源氏物語関係のカルチャーに二つほど入会してみた。カルチャーはこりごりと思っていたのだが、辛いときこそ気持ちを晴らすことに熱中したくなるのは、生物部でプレパラート作りに熱中していた高校生のころからの性癖かもしれない。それに加えて、単なる趣味というだけではよくわからないことが多々あって、どこかでご教示願いたいと思うようにもなり、ネットであれこれ調べた結果二つに絞ってみた。一つはお試し時間30分があったのだが、もう一方は入会しなくては受講さえできない。それでとりあえずトライアルの30分を受講してみた。のんびりした講義内容でなかなか進まないようだったが、原文をみんなで音読するのが楽しかった。全員(私を含めて7~8人ほど)で読むと、まるで教科書を読んでいるように抑揚がなく面白味がないのだが、それでも私には新鮮に感じた。最初の講座の後先生にご挨拶したところ、先生も受講生が少ないことを気にしていられるようだったが、「まあ私としては受講料さえ払ってもらえれば、それで充分なんですけどね」と、強がりとも冗談ともつかぬことを言われて戸惑ったことがある。昨年末、私の体調が悪くて二回ほどお休みしたのだが、それを気遣ってくださったあとにもまた、上記文言がでた。つまり「お金さえ払ってくれれば休んでも構わない」ということになろうか。受講生からは笑いが起こったが……。 ところでもう一方の教室のキャッチフレーズ「先入観を排し、私たち自身と本文との対話を通して読み取る」という文言に惹かれたのだが、残念ながら私の期待した内容ではなかった。「先入観」は「作者は女性ではない」だったし、「本文との対話」は「自分の感受性を排して、原文のままを読む」ということで、作者男性説はもとより、自分の感受性を排して小説を読むとはどういうことやら、浅学の私には理解できなかった。しかしせっかく入会したのだから、心外な「作者男性説」も前向きにとらえて、積極的に学ぼうと努力してみた。毎回講師が力説する作者男性説にはうんざりしたのだが、その根拠を質問してみたところ、「桐壺の巻での源氏の元服シーンなどは、宮中に仕える女房たちに必要なことではなく、興味もなかったものだったろう。また男でなくては分かり得ないような儀式に関して詳しいから」というのが応えだった。私は楽しみの少ないあの時代に、宮中での儀式や管弦の遊び事は女房たちにも大きな楽しみだったにちがいないと思うし、お目当ての殿方の衣装や楽の音、舞を密かに楽しんだだろうと想像する。儀式に関してなどは決まり事なわけだから、道長から聞かされていたかもしれないではないか、と思うのだが私見を述べることはしなかった。それで「作者はどんな立場の男性で、どういう目的で書いたのか」を尋ねたところ、「どんな立場だったかは、分かりません」ときた。一番がっかりしたのは源氏物語の書かれた目的は「血筋にある」といわれたことだった。しかも桐壺の更衣の血筋なのだそうだ。私は返す言葉がなかった。単なる血筋ならわざわざ長編小説なんぞ書くまでもなく系図ですむわけだし、よりにもよってなぜ直接登場してもいない「按察使大納言」がトップなのか理解できない。「作者が紫式部であろうとなかろうと構わないにしても、女性でなくては吐露できない懊悩を、現実感のない男性に書けるわけがない」というと、「だから、源氏物語を感受性で読んではいけないのですよ」とくる。私はもうこの講師との対話に疲れてしまった。帰宅して家人に話したところ、「男を見限るのが早くなったか?そんなところ、やめてしまえ」と笑われた。入会金も受講料も払い込み済みだったが、参加する意味を感じられずやめてしまった。やめた理由にはもう一つあって、こちらが質問したことに対して詳しく教えてもらえないこともあった。例えば「御」の読み方の違いについて。源氏物語では基本的に「おほん」と読み、中世では「おん」、「ご」や「み」は慣習であるという。私は、トライアル期間を経て入会した講座の講師に同じ質問をしてみた。意地が悪いかなと思ったが、受講料さえ払ってもらえれば結構とおっしゃるご仁だから、払う身として試してもいいだろうと思ったのだ。すると思いがけず詳しく教えていただいた。源氏物語は原則的にやまとことばなので「おほん」と読むが、マ行音の特殊なもの(御座・おまし、御物・おもの)などは「お」と発音する。神仏、天皇、皇族、調度品に関する時は「み」と読む。特殊な例としては「御髪・みぐし」。宮というのは「御屋・みや」、つまり神・仏のすまいという意味だ、などなどとても興味深い内容だった。ところで今回は「琴」の知識について、私の間違いが分かったので、お詫びして訂正させていただきたい。私は琴の琴も筝の琴も同じ七絃だとどこかで書いたのだが、前者は七絃だが後者は十三絃なのだそうだ。だから、いわゆるカルテットにはならないと教わった。毎回参考になることばかりではないが、少人数な上に質問も自由にできるので、今のところ楽しく受講させていただいている。
January 27, 2018
クリスマスの翌日、猫が死んだ。文化の日以来呼吸が荒かったのだが、家人と相談して病院には連れて行かず、自然に任せることに決めたのだ。もう17歳(人間の84歳に相当するらしい)だし、病院に連れて行ってもストレスを与えるだけで死期は延ばせないと見たからだ。それからはずっと、占領した私の椅子で眠り、奇特なことに目が合うと鳴いて手を延ばすようになった。心細かったのかもしれない。家人が「かあちゃんって、呼んでるぞ」というので、そのたびに近寄り撫でて、あるいは口元に水を持って行って飲ませてやった。12月には比較的呼吸が安定していたものの、26日の朝、舌を出して喘ぎだした。水を持って行っても顔を背けて飲もうとしない。前日からご飯も食べていないし、トイレも汚れていない。『どうしたら楽になるか』といった感じで、私の椅子から床へ降り、玄関や洗面所をうろうろし、居間のカーテンの陰に身を潜ませ、寝室の家人のベッドに飛び乗ったと思うと隣の私のベッドに飛び移り、そこでやっと落ち着いた。私は『もうだめかもしれない』と思ったが、その日は水泳教室があった。今年最後の練習日だったし、天候が荒れ模様で参加人数が少ないだろうことが気になって、どうしても出席したかったのだ。猫が気にはなったのだが家人に頼んで出かけることにした。家に帰ると危惧した通り、昼ころ絶命したという。私のベッドから降り家人の椅子の近くに来てどっと倒れこんだそうで、家人が身体を撫でてやると大きく息を吸い込み、二度鳴いて、呼吸が止まったそうだ。猫は私の椅子とオットマンの間で、頭を家人の方に向けたまま横になっていた。私はオットマンを動かし、尻尾の毛が逆立ったままの猫を背中のほうから抱き上げて、ふわふわの赤いひざ掛けにくるんでやった。臆病な私だが、死んだ猫を抱き上げても恐怖感はなかった。 動物霊園で荼毘に付してからもう3週間になろうとするのだが、17年も一緒に暮らした猫だから、床暖の上で寝そべっているのではないかとつい足元を意識してしまうし、夜物音がするとご飯を食べているのかしら、水は替えただろうか、あるいはトイレで砂をかき混ぜているのではないかと無意識に耳を澄ませてしまう。しかも食器、トイレ、猫ちぐら、毛布、キャリー・バッグ、猫砂、猫缶、猫カリなど、猫の生活用品の何と多いことか。いなくなって初めて、日常生活での猫の存在の大きさを感じている。家人は猫の手触りがなくて寂しいというが、死別の辛さは老いた身に堪える。今後生き物は飼わないつもりだ。視点を変えてみれば、猫が恐がるので使わなかったルンバを、やっと動かせるようになったし、数年前のマンションのリフォーム時、9泊を余儀なくされたペット・ホテルにすっかり怯えてしまい、帰宅後3日も夜泣きした哀れな猫のために旅行も諦めていたのだが、今年は二人で小旅行を計画してみよう。クロちゃん、17年7か月楽しかったよ。ありがとね!
January 14, 2018
お亡くなりになりましたのは八月十四日で、葬送は十五日の暁でした。陽はたいそう華やかに昇り、お袖の涙も野辺の朝露も隠れる隈さえなくて、儚い世の中をお思い続けになりますとひどく厭わしく、悲しみも辛く、『今は遅れるとしてもこの世にいつまで生きられるであろうか。この悲しみを紛らわせるためにも、出家の本意を遂げたいものだ』とお考えになるのですが、「何と情けない」と世間から誹りを受けるのも口惜しく、服喪の期間をすごしてからとお思いになるにつけても堪えていらした悲しみがお胸にこみ上げてひどく辛いのでした。大将の君も二条院から退出なさらず、四十九日の御忌に籠っていらっしゃいます。明け暮れ父・院の御側ちかくにお仕えしながら、お気の毒なほど悲嘆の激しい御様子を『お道理』と悲しく拝見しては、あれこれお慰め申し上げます。風が野分のようにひどく吹く夕暮れに、大将は昔のことをお思い出しになって、『野分の朝、ほのかに拝見したものだが』と、懐かしくお思いになったものですが、この度はまたご臨終の際の夢心地でお顔を拝見したことなどを人知れず思い続けていらっしゃいますと、耐えがたいほど悲しくなるのです。それでも人目を憚って、「阿弥陀仏、阿弥陀仏」と唱えながら、数える数珠に涙の玉を紛らわせていらっしゃいます。いにしへの 秋の夕の恋しきに 今はと見えし あけぐれの夢(昔、秋の夕べのお姿を忘れることができず恋しく思っておりましたのに、今はの際にあの薄暗がりで拝見したお姿が夢のようで)」と、その名残までが辛いのでした。尊い僧どもにはお作法通りの御念仏はもとより、法華経なども読経させます。何事につけしみじみと悲しいのでした。
January 5, 2018
院は、「このようにまだ何も変わらないのに、最期である様子がはっきりしていますのが悲しくて……」と、お顔にお袖を押し当てていらっしゃいます。大将の君も涙をぬぐい給いて拝見なさるのですが、上のうつくしさに反って分別を失い途方に暮れるばかりです。黒く豊かな御髪がうち広げられたご様子のこの上もないうつくしさ。赤い灯火に照らされたお顔の色はたいそう白く光るようで、お化粧していらした生前よりも、ぐったりと手ごたえもなく臥していらっしゃる今のご様子のほうが反って不足なところがない、と申し上げても何の甲斐がありましょう。まして世に類なくうつくしいおん方を拝見しては、魂がこのまま亡骸にとどまってほしいとお思いになるのもお道理なのです。お側にお仕えし慣れた女房たちは正気を失っていますので、院は呆然自失のお気持ちを無理に落ち着け給いて葬儀のおん事どもを指図なさいます。今までにも身近な人との辛い死別をあまた経験なされた御身ではいらっしゃいますが、紫の上ほどお世話なすったことはなく、来し方行く先にももうないような心地がなさいます。亡くなられたその日に野辺送りをなさいます。限りのあることですから、亡骸を見ながらお過ごしになるわけにもいかない辛い世の中なのでした。はるばると広い鳥辺野には人や車が隙間なく立ちこんで、限りなく荘厳な儀式ではあるのですが、頼りない煙となり給うのも例のこととはいえ、あえなく虚しいのでした。院は空を歩くような心地がなすって、人に寄りかかっていらっしゃいます。そのお姿を拝見する人も、「あれほど高いご身分でいらっしゃるのに、別れを惜しんで徒歩でお送りなさる」と、物の道理も分からぬ下々まで涙を流さぬ者はありません。まして同行する女房たちは夢に惑うような気持ちで車から転がり落ちそうになりますので、車副が困るほどでした。昔、大将の君のおん母君が亡くなられた時の暁を、『あの時は今よりしっかりしていたのであろうか、月の面を見たことを覚えていたが』とお思い出しになるのですが、今宵はひたすら涙にくれていらっしゃるのでした。
January 3, 2018
「おん物の怪が人のお気持ちを苦しめようと、こんなふうにさせることがございます。もしそれでしたら、いずれにしろ御出家のことは結構なことでございます。生前、一日でも一夜でも戒を受けた効験は、きっとあるものと聞いておりますから。されどほんとうに絶命なされてから後の御髪だけをおろされましても、かの世の御光ともなり得ないかと存じますし、反って目前の悲しみが増すばかりで、いかがなものでございましょう」と申し上げて、御忌中に籠るべき志のある僧たちを召して、しかるべき法事の万端を大将が指図なさいます。『私は長い間、上に対して恋心を抱いたことはなかったが、昔ほのかにお姿を拝見した程度にでも、いつまた見奉る機会があろうか、お声一つかけてもらうこともないと、ずっと思い続けてきた。声はついに聞かせてくださらぬことになってしまったが、御亡骸だけでも拝見できるのは今しかない』と思いますと、自然に涙が流れます。女房たちが泣き騒ぎますのを「すこし静かに」と鎮めるそぶりで何かおっしゃるのに紛れて、御几帳の帷子を引き上げてご覧になりますと、源氏の院がほのぼの明けゆく暗い中で灯火を掲げて見守っていらっしゃいます。どこまでもうつくしく優雅なお顔の名残惜しさに、大将が覗いていらっしゃるのを知っていらしても、強いて隠そうというお気持ちにもなれないのでしょう。
January 1, 2018
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