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ヘンデルの合奏協奏曲は、明るく上品で、聴いていてゲンキが出るように思います。でもこの曲の6-1の中に、バッハが「マタイ受難曲」で使ったと思しきメロディーが出てきます。一瞬ですが、わかります。6-3でも、ビバルディの「調和の霊感」OP3-6の1楽章と、そっくりのメロディが出てきます。ヘンデルがバッハやビバルディをまねた・・・と、いうことでしょうか。でもでも、バッハもビバルディの「調和の霊感」から、たくさん盗用?しています。しかも自分の曲をあっちこっちで使いまわしてる・・・。まだ「著作権」のない時代、といえばそれまでですがなんで?どうして?と、思ってしまいます。
January 17, 2006
陶磁器では「宝瓶」が好きです。朱泥の、あかくしっとりした上品なものを大枚はたいて買ったのを始めに、ここ1~2年の間に7個ほども集めてしまいました。萩焼の小ぶりなかわいいものと、たなごころに心地よくおさまるお気に入りだった清水焼のものと、仙台に旅行したとき買った、とろりとした深みのある青磁のものは割ってしまいましたが、どれもこれも私の好きな色、お気に入りの形、手になじむ大きさで、割ってしまった時は自分の不注意が残念で哀しくてなりませんでした。もう、あとひとつ、赤絵のを買って、集めるのは止めにしようと思っています。あんまりものにこだわったり、執着するのは、自分で自分を追い詰めることになるし、なんだかとても醜い行為のような気がするからです。陶器は壊れるからいいのだ・・・と、思うことにしています。
January 16, 2006
年末に指揮者の小沢征爾と、聖路加病院院長・日野原医師による広島でのコンサートのTV番組をみました。広島で被爆死した人たちへの鎮魂をこめて、400人の合唱団からなる「フォーレのレクイエム」を演奏したドキュメントで、日野原医師は2年をかけて創作した詩を朗読なさいました。小沢は「祈るように歌いましょう」と呼びかけ、日野原医師は詩の中で「愛という衣には、恕(ゆる)しという裏地がついている」というようなことを述べていらっしゃいました。「怒」にも似たこの字には「ゆるす、おもいやってゆるす」という、優しく柔和な意味があります(白川静:字通)。しかしまた、さらに調べていきますと、「解く、さばく、さとる、もとのかたちがなくなる、すてる、さる」に「ゆるす」という意味を持つ「釈(ゆる)す」という、いわば聖書での「足の裏の埃を払」うような漢字もあり、さまざまな「ゆるし」があることに、人間の思いの深さ、繊細さ、多様さに圧倒されるような気持ちがしました。新約聖書マルコ伝 6:11「しかし、あなたがたを受け入れず、あなたがたに耳を傾けようともしない所があったら、そこを出ていくとき、彼らへの証しとして足の裏の埃を払い落としなさい。」
January 15, 2006
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