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昨日はクルマの12カ月点検でした。 店舗前の車寄せに入るとフロントの女性が出迎えてくれるのですが、今回はメカ担当者が恭しく出てきました。 日曜日とあって担当者は接客中で、フロントの女性たちも応対に忙しそうでした。そのせいかDラーの入り口では何と支店長が、雪でぬれた床をモップで拭いていました。 点検は小一時間ほどで終わり、そののち内容の説明があります(点検は無料でした)。帰り際、担当セールス・アドバイザーのKさんから、Dラー開店10周年記念のワインとテディ・ベア、それにCOVAのバレンタイン・チョコをいただきました。テディ・ベアは前回のものよりかなり小さめですが、ロゴ入りのセーターを着ています。ワインは「雪摘みケルナー2006」という白ワイン。アイスワインの一種なのでしょうか、甘口でおいしいワインです。
January 31, 2011
実は斎宮の御母・六条御息所が『日ごろの物思いの慰めにもなろうか』と、忍んでおいでになったのでした。左大臣家の人々は知らぬふりをしているのですが、六条御息所の御車であることは自ずと分かります。それでも、「それくらいの者に、偉そうな事を言わせるな。大将殿を笠に着ているのだろうが、こちらをどなたとお思いか」 など言います。源氏の大将の供人も混じっていますので、そのように言うのは御息所にお気の毒とは思うのですが、諫めるのも厄介ですので知らぬ顔をしています。 ついには左大臣家の御車が幾両も立て続けましたので、六条御息所の御車はお供の女房が乗る車の後、物も見えない奥の方に押しやられてしまいました。 情けなさはもちろんですが人目を忍んだ姿であると知った上で、このような扱いを受けた事がどうにも癪に障ってなりません。轅を乗せる台などもみな折られてしまい、御車はとんでもない所に掛けられています。六条御息所はひどく体裁が悪く悔しく、『これでは何のために来たのか』と思うのですが、その甲斐もありません。
January 30, 2011
日が高くなってから、お作法も仰々しくないようにしてお出掛けになります。けれども入る隙間もないほどに物見車が立ち並び、装いも美々しく列をなしたまま動きが取れなくなりました。身分の良さそうな女車が多く、賤しい者のいない場所を見定めて、あたりの車をみな退けさせましたが、その中に少し使い慣れた網代車があります。女君は、趣きのある下簾の奥にひっそりとおわす様子で、たいそう上品な色の袖口、裳裾、汗衫などをわずかにのぞかせ、目立たぬようにやつした忍び車が二両ありました。「立ち退かせなどするべき御方の御車ではないのだ」 強い口調で供人が遮り、手を触れさせません。 どちらも若い人たちが酔っているので大騒ぎになり、誰も止める事が出来ないのです。左大臣家の年長な者は「乱暴をするな」など言うのですが、その人たちでさえ喧嘩を止めることができません。
January 28, 2011
もともと左大臣家の姫は、このような祭にお出掛けなどなさいません。ましてご懐妊なさった今ではご気分までお悪いので、ご見物など思いもよらぬことなのですが、若い女房たちが、「私どもだけでこっそり見物するなんて、晴れがましくありませんわ。今日の大将殿を拝見しようと、何の関係もない怪しい木こりや身分の賤しい山人でさえ、遠い故郷から妻子を引き連れてやってくるのですもの。それを北の方様がご見物にならぬとは、あんまりでございます」 と言いますのを、母・大宮がお聞きになり、「今日はご気分もよろしいようですし、あなたがお出でにならねばお傍の女房たちも張り合いがありませんよ」 と、大急ぎで御車の用意を仰せつけになりますので、御見物にいらっしゃいます。
January 27, 2011
同じころ、賀茂の斎院もお下りになられまして、弘徽殿后腹にお生まれになった女三宮がお立ちになりました。桐壺院も后も殊にご寵愛あそばした姫宮でいらっしゃいますので、結婚もせず神にお仕えする特別なご身分となられますことを、たいそう辛くお思いでいらっしゃいましたが、他にふさわしい姫宮がいらっしゃらないのです。儀式などはいつもの通りですが、荘厳で立派になさいます。斎院には初めての葵祭ですので、恒例の公式行事の他に新たな趣向も加わって見どころが多くなりました。それはお人柄ゆえのこと、と見えました。 姫宮が賀茂の河原で禊をなさる日に、供奉する上達部などの人数は決まっているのですが、声望が格別で容姿のうつくしい人ばかりを揃え、下襲の色や表の袴の模様、それに馬や鞍までみな整えてありました。 今回は特別な宣旨によって、大将の君も供奉なさいます。 祭り見物の女車には前々から気を配り、すでに立派に飾り立ててありました。一条の大路は見物人や車で隙間もないほどで、恐ろしいほどの騒ぎです。所々の御桟敷では、思い思いに精いっぱい飾り立てた車から覗く女の袖口さえもが、うつくしい見物になっていました。
January 26, 2011
左大臣邸では、このように落ち着きのない源氏の君のお気持ちを不愉快にお思いではありましたが、あまりに隠しだてのないお振舞いに、反って恨み事を言う甲斐もないとお思いなのでしょうか、女君は深くもお恨み申し上げないのです。 それよりも、お気の毒なほどお身体の変調にお苦しみのご様子で、心細くお思いでいらっしゃいます。源氏の君はそのような女君を、愛おしく大切な人とお思いになります。左大臣家始め誰もがみな、あまりの嬉しさにゆゆしささえお覚えになり、安産のための御物忌などをおさせになります。このような中では、源氏の君のお心にもゆとりがありません。六条御息所を粗略になさるおつもりは決してないのですが、御文も途絶えがちになるのでしょう。
January 25, 2011
帝からもご注意を戴いたからには、御息所のご名誉にもご自分にとっても好色がましく不体裁ですので、高貴な御方として心苦しくお思いにはなるのですが、それでもまだ、ことさらに正式な結婚という形にはなさいません。 六条御息所も、ふさわしからぬ年齢差を恥ずかしくお思いで、心から打ち解けなさらぬご様子ですので、女君の遠慮に乗じたふりをしていらっしゃいます。お二人の仲は桐壺院も聞し召し世間に知らぬ人もないほどなのですが、深くもないお心のほどを、女君はたいそう思い嘆いていらっしゃいました。 このような源氏の大将の薄情さをお聞きになるにつけても、朝顔の姫君は、「同じような目には、逢いたくないわ」 と、心に深くお思いになりますので、源氏の君からのちょっとした折にいただく御文のお返事などもめったになさいません。とはいえ、無愛想でばつの悪いお扱いをなさらぬご様子を源氏の君も『やはり他の女とは違う』と、いつも思っていらっしゃるのでした。
January 22, 2011
御代替りといえば、先の春宮と六条の御息所の間にお生まれになられた姫宮が、伊勢の斎宮にお定まりになりました。源氏の大将の御心のほども頼りなく、六条御息所は『斎宮の幼さにかこつけて、伊勢に下ってしまおうかしら』と、以前から考えておいででしたが、桐壺院が聞し召して、「今は亡き春宮が、かつては御息所を格別な人としてたいそう大切になさったものを。そちが軽々しく並みの女と同じように扱うのは、気の毒なこと。私は斎宮についても我が子同然と思っているのだから、いずれにしても疎かに扱わぬがよかろう。気の向くままこのように弄ぶのは、世間の非難を負う事になろうぞ」 など仰せになります。院の御機嫌はお悪く、源氏の君も『本当に、仰せの通りだ』と思い知りながら御前に硬くなって座っていらっしゃいます。「女に恥をかかせるような事をせずどちらも穏やかにとりなして、女の恨みを負ってはいけない」 と仰せになるにつけても『身分不相応な我が恋心を、院がお聞きつけになったらどうしよう』と思うと恐ろしく、かしこまって退出なさいます。
January 21, 2011
桐壺帝の御譲位により春宮が朱雀帝となられ、世の勢力も右大臣方へと変わってしまいましたので、源氏の君は何事も憂鬱にお思いになります。大将へとご身分が高くおなりでもあり、軽々しいお忍び歩きも慎んでいらっしゃいますので、女君たちがここでもかしこでも、源氏の君のお渡りがないことを嘆き重ねておいでです。その報いなのでしょうか、つれない藤壺中宮の御心を、尽きせず思い嘆いていらっしゃいます。帝がご退位なさいましてからは、以前にも増して帝のお傍に付き添っていらっしゃいますのを、皇太后となられた弘徽殿女御は不愉快にお思いなのでしょうか、内裏にばかりおいでですので、藤壺中宮には立ち並ぶ人がなく気安げなのです。桐壺院は折節につけ管弦の御遊びをお好みで、世の評判となるほどおさせになり、仙洞御所での今のお暮らしぶりも申し分がありません。ただ、内裏にお住まいでいらっしゃる幼い春宮のことを恋しくお思いあそばします。春宮の御後見のないことをお気に掛けていらっしゃって、何事も源氏の大将にお言いつけになります。源氏の君は気が引けるのですが、それを嬉しくもお思いになります。
January 20, 2011
昨夜のTVで偶然彼女の歌声を耳にしました。 小柄な身体ながら筋肉質でエネルギッシュな声をしているので、POPな楽曲ではよくマッチしてダイナミックな音楽になっていました。しかしバラードになると高音の裏声が不安定になり、バック・バンドと音程がきちんと合わず、聞いているとそのズレがとても気になるのです。 18歳とのことですから、まだまだ伸びる人なのでしょう。
January 20, 2011
そのような場で、あってはならぬ事なのですが、興味が引かれて「有明に逢った女君はどの人だろう」と、お胸をどきどきさせて、「扇を取られて、辛い目を見る」 と、おどけた作り声で言って、戸口に寄りかかっていらっしゃいました。「見苦しくも様子の変わった高麗人ですわね」 と言うのは、事情を知らぬからでしょうか。 源氏の君にお返事はしないのですが、ただ時々ため息をつく気配がします。そちらに寄りかかって、几帳越しにその人の手を取り、「あづさ弓 いるさの山にまよふかな ほの見し月の 影や見ゆると(月が入るといういるさの山で迷っております。いつかほのかに見た月の影でも、もしや見られるのでは......と思いまして) なにゆえ私が迷うか、あなたはご存知ですか」 と、あてずっぽうに仰せになりますと、女は堪えることができないのでしょう。「心いる 方ならませば弓張りの 月なき空に まよはましやは(もしあなたさまの御心に入るほど私をお思いくださるなら、月のない空でも迷うはずがございませんわ)」 と言う声は、まさにあの夜の女なのです。 源氏の君はたいそう嬉しいのですけれど......。
January 19, 2011
管弦の御遊びをたいそう面白くなさり、夜が少し更けていくころに源氏の君は悪酔いしたふりをなさりながら、座をお立ちになります。 女一宮・女三宮がおわします寝殿の東の戸口においでになり、戸に寄りかかっていらっしゃいます。藤の花は東の端に咲いていますので、御格子をみな上げわたして、女房たちが眺めているのでした。その袖口が出ている様子に、男踏歌の折の事をお思い出しになります。こちらは殊更わざとらしく押し出してありますので、このような宴にはふさわしくないとお感じになるにつけても、先ず奥ゆかしい藤壺の宮のお邸が自然に思い出されます。「気分のすぐれない時にたいそう酒を勧められまして、困っておりまする。恐縮ながらこちらの物陰なりとも私を匿って頂きたいのですが」と、 妻戸の御簾をお引きになりますと、「まあ、嫌ですこと。身分の低い人こそ、何かと口実を作っては高貴な縁者を頼ると申しますけれど」 と言う女房の様子から見て、身分はそれほど重々しくはないけれど普通の若い女房ではなく、上品で魅力的な気配がはっきりと感じられます。室内には空薫ものを煙たいほどくゆらせ、女たちの衣擦れの音は華やかな立ち居振る舞いを思わせます。そこには心憎いような奥ゆかしさは乏しく、いかにも今風の派手好みらしいお邸なのです。高貴な方々が今日の宴をご見物なさるというので、右大臣の姫君たちも座を占めていらっしゃるのでしょう。
January 18, 2011
内裏で源氏の君にお会いになった折に、右大臣がこの弓の試合をご案内申し上げました。源氏の君がおいでにならないと残念で、催し映えがしないとお思いになり、御子の四位の少将をお迎えにたてまつります。「我が宿の 花しなべての色ならば 何かはさらに 君を待たまし(我が家の藤の花が、みごとな色に咲きました。あなたさまにこそぜひともお目にかけたく、お待ち申し上げております)」 ちょうど内裏においでだった源氏の君は、この歌を帝に奏上なさいます。「得意げですね」 と、帝はお笑いあそばして、「わざわざお迎えがあるようだから、早く行くがよい。右大臣家には弘徽殿女御腹の皇女たちもおいでだから、異腹のそなたが他人とは思えないのであろう」 など仰せになります。 源氏の君はお装束をお整えになり、たいそう暮れて、先方から待ち遠しく思われたころにお渡りになります。他の人が正装した中に、桜襲の唐織りの綺の御直衣に葡萄染の下襲の裾をたいそう長く引いたおしゃれでくつろいた姿で、人々にかしづかれてお入りになります。そのご様子は格別に優雅でうつくしく、藤の花も気圧されて反って興ざましなほどでした。
January 13, 2011
あの、有明に逢った女君は、源氏の君との儚い逢瀬を思い出してはたいそうもの哀しく、眺め暮らしていらっしゃいました。春宮への入内は四月ころと右大臣が決めていらっしゃいましたので、どうにもならず思い乱れていらっしゃいます。男君も女を訪ねたくお思いなのですが、手掛かりがなくはないものの五の姫か六の姫かがはっきりせず、また源氏の君をお許しにならない弘徽殿女御のお里でもありますので、係り合いになると外聞が悪いとためらっておいででした。 そのうち三月の二十日過ぎに、右大臣の弓の試合に上達部や皇族たちが大勢お集まりになって、その後藤の花の宴をなさいました。桜の花盛りは過ぎたのですが、「ほかの散りなん後ぞ咲かまし(他の花が散ってしまった後にこそ咲こう)」と教えられたのでしょうか、遅れて咲く桜の木が二本あって、たいそう風情があるのです。 新しく造営なさった寝殿を、弘徽殿腹の姫宮たちの御裳着の日のために磨き立て、立派に設えてあります。派手好みでいらっしゃる右大臣家の家風ですから、何事も当世風に作られています。
January 12, 2011
左大臣家の姫はいつものように、すぐにはご対面なさいません。手持無沙汰な源氏の君はさまざま思い巡らせながら筝の御琴を弄び、「やわらかに寝る夜はなくて」と、催馬楽をお謡いになります。するとそこへ左大臣がお渡りになり、元旦の花の宴での趣き深かった事をお話しになります。「私はこの年齢になるまで四代にわたり帝にお仕えいたしましたが、このたびの花の宴では詩文にすぐれ、しかも舞い・舞楽・楽器の音色まで全てが調い、まことに寿命の伸びる思いがいたしました。それもみな諸道の名手が多いこのご時世をあなたさまが詳しくご存知で、お集めになられたからでございます。私のような老人でも、もう少しで舞い出しそうな心地がいたしました」 と申し上げます。「殊更私が調えたということではなく、ただのお役目というにすぎません。その道に熱心な師匠たちをあちこち捜しただけでございます。それよりも頭中将の柳花苑こそ、まことに後代の模範ともなりそうな舞いと拝見いたしました。ましてあなたさまが栄え行く春に先立ちお舞いなされたならば、当代の名誉となられたことでございましょう」 源氏の君がそう申し上げているところへ、頭中将などがやってきました。勾欄を背もたれにしながら、銘々が楽器の音を調整して御遊びになるのがたいそうおもしろいのです。
January 9, 2011
『左大臣家にもしばらく行っていないな』とお思いになるのですが、紫の姫も可哀想ですので宥めておこうと二条院にいらっしゃいます。姫は見るたびごとにたいそううつくしく成長なさり、愛敬があって利発な性質は他の女とはたいそう違い格別優れているので、『この姫に思う存分、我が心のままに教え育てよう』との御心に、きっと叶うことでしょう。 されど男君のなさるご教育ですから、人馴れした所があるかもしれぬと思う点が気掛かりです。 日ごろのお話しをなさり、御琴などを教えたりなさって出で給うのを、姫は『やはりお出かけになるのね』と、残念にお思いになるのですが、今ではたいそうよく馴らされて聞きわけもなく纏いつくようなことはなさいません。
January 7, 2011
『はたして五の姫なのか六の姫か。しかし姫たちの父・右大臣がこの事を知って、婿として大袈裟にもてなされるのもどうであろうか。まだ女の事をはっきり見定めぬうちは、婿となるのも面倒だ。さりとてどちらの姫とも分からずにいるのもまた、口惜しい。うーむ、どうしたものか』 と、源氏の君は思案に暮れておいででした。 一方では『二条院の紫の姫は、どんなに寂しいことであろう。塞ぎこんでいるのではあるまいか』と、不憫にお思いになります。 女と交換した扇は桜の三重重ねで、色の濃いところには霞んだ月が描いてあります。その月が水面に映るという趣向のものは別段珍しくもないのですが、持ち主の趣味が偲ばれるように使い慣らされてありました。 女が「草の原をば」と言った時の様子ばかりが心に残っておいでですので、「世に知らぬ 心地こそすれ有明の 月のゆくへを 空にまがへて(今まで経験した事のない気持ちがします。有明の月が空からいつのまにかなくなるように、あなたの行方を見失った私は) と、扇に書きつけ給いて、そこにお置きになりました。
January 6, 2011
辻井伸行のピアノ番組を見てから、家人はすっかり彼のピアノ演奏に魅せられてしまいました。 彼は最近までピアノを弾いていたので、若いピアニストの揺らぎのない演奏に感心してしまったようです。 家人によるとどんなピアニスト、たとえばアシュケナージであっても指によって力の入り具合が違うのだそうですが、辻井伸行の場合はどの指でも音に強弱がないと言います。もちろんこの「強弱」はフォルテやピアニシモといった音楽的強弱とは違い、指の癖といったらいいでしょうか、個人的にはどうしようもない音の出方というものがあるのだそうです。ところが彼の演奏には、たとえ小指であっても「揺らぎのない音」が出ていると言います。そして音のきらめきのすばらしさ。特にショパンの曲にみられる華やかな高音のきらめきにおいては、どんなに小さな音であってもその一つひとつが丁寧に弾き込まれていて、「音の粒立ちがいい」のだそうです。家人曰く;「凄まじい、と思うよ」つまり凄まじい努力の結果ということなのでしょう。★新年最初のネット・ショッピングは、辻井伸行のCDでした。 辻井伸行|マイ・フェイヴァリット・ショパン AVCL-25489
January 4, 2011
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