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10年前は「マルシェ・ド・ノエル」と言えば北フランスのアルザス地方がご本家で、南仏イエールのノエルはなんとも物足りない感が強かったのですが。今年のイエール、気合が入っておりますっ!今年のマルシェ・ド・ノエルはアルザスがテーマ 本場アルザスからアルティザン(職人)を招き、 サブレ・ド・ノエル、 プレッツェル、シュトーレン、シュークルート、タルト・ノルマル・アルザスィエンヌ・・・etcの屋台が軒並み もちろんアルザス生ビールやヴァン・ショウも。とはいえ、南仏のノエル、トレーズ・デセールには欠かせない黒ヌガー、白ヌガーも、出来立てほやほや、フリュイ・コンフィも色鮮やか パパ・ノエル(サンタ)姿の音楽隊の登場! 「シャンゼリゼのマルシェ・ド・ノエルはコショヌリー(※1)ばかりでがっかりだったけどまさかイエールでこんなに本格的なマルシェに出会えるとは!シャポー!(※2)」とはパリ在住の(口の悪い・笑)義妹談。※1:くだらないもの、値打ちのないもの※2:ブラボー!(帽子を取って挨拶したいほど)素晴らしい!…思い起こせば10年前。冬になればフランス全土でヴァン・ショウを飲むものと思い込んでいたpidoo。ところが南仏ではまったく目にしません!不思議に思い、とあるカフェで聞いてみたら。「ヴァン・ショウ?南では飲まないよ~暑すぎて!」との返答がそれが数年前からはノエルの季節に普通に見られるようになり密かに嬉しさを感じておりましたが。文化のグローバル化はとっても良いことだと思いますその他、南仏自慢のクレーシュ・ド・ノエルの展示や、特設スケート場、雪を持ち込んでソリ遊びまでできる施設も。寒さも忘れて夜、外出する機会が増えそうです。
2010.12.20
不幸というか、ツイてないついでに。多分思い当たるフシのある方にはいい助言になると思いますし日本を発つ前に、小包を6個送ったのですが。5個は特に急がないので安いけど1ヶ月かかる船便で。1個は使用済みの衣類だったので腐ったらいやだなぁと(笑)高いけど1週間で届く航空便で送りました。で、海外に小包を送る際には内容物とその価値を記載しなければならないのですが。船便の5個はけっこう真剣に考えて、記入。航空便の6個目になって集中力が低下し(網膜剥離後で見え方も非常に悪かったので)、「衣類って~みんな古いけど、あれは○ユーロだったしこれは×ユーロだったし・・・いくら!??しるかっ!!とヤケをおこしてしまい、適当に300ユーロ(訳3万円)と記入してしまいました。これがマズかった。1週間発ってもなかなか届かない汚れ物の入った小包。ある日手紙が届きました。開封すると、フランスはパリの税関。内容物が高額なため税金、つまり申請額の25%たす手数料15ユーロを払えと言うのです!!!!!なんでーーーーーーーーーーーーーー!!!!!?????普段はダンボールにボコボコ穴を開けて内容物を確認するのに、なんで今回に限って金額だけ見て中を確認もせずに申請内容を鵜呑みにして課税!??で、主人に弁解のメールを書いてもらいました。その内容がまた笑える…「誓って言います、中には汚れた家族の衣類しか入っていません、中を是非確認してみてください…」結末やいかに?(後日談)なにかと几帳面な主人、件の手紙に、「日本滞在していた」信憑性を与えるため利用したフライトチケットまでコピーして送りました。それが功を奏したのか、数日後に何事も無かったかのように届きました!日本でゲットした貴重品ユニクロ・ヒートテックや、娘のお気に入りのプリーツスカートと感動の再会を果たしました今後の教訓は。-内容物の金額は低めに申請すること。-差出人と受取人を同じ名前、もしくはせめてファミリーネームを同一にしておくと「私物」と判断されやすくなり、チェックが入りにくい。ようです、ご参考までに。
2010.12.15
12月14日午後14時半、マミーが亡くなりました。数年前に乳ガン発症直後に骨髄ガンも判明。抗がん剤治療を繰り返す度に体力は消耗していき、年々衰弱していました。数ヶ月前から輸血が必要になり、12月、3回目の輸血後。頭痛・嘔吐を繰り返し、脳内出血との診断。骨髄ガンで血小板が極度に少ないことから、手術も難しく処置無しと診断。家族が集まるのを待ってモルヒネ注入量を増加し、最期は昏睡状態に陥り眠ったまま逝ってしまいました。故人の生前の遺志を尊重し、血縁のみの密葬でした。お知らせしなかった皆様へ、この場でお詫び申し上げます。このブログではpidooの最も尊敬すべきマミーとして頻繁に登場しました。晩年は庭へ出ることも少なくなっていましたが、数年前まで我が家に遊びに来てくれた方なら、その温かい笑顔を覚えているのでは。彼女の遺した、数々の料理レシピ、生活レシピ、子育ての知恵、生きるコツ…マミーがまだ元気だった10数年前にpidooはここへお嫁入りし、彼女の知る多くのことを惜しみなく教えてもらいました。2世代離れたマミーとは嫁姑のような対立や確執も無く、程よい距離で、心地の良い人間関係を保つことができました。すべてに、感謝です。遺族の悲しみは勿論ありますが、長年の痛みからようやく開放されたマミーを思うと「よかったね」という言葉が一番あてはまります。どうぞ安らかにお眠りください。
2010.12.14
日本滞在1ヶ月のバカンスを終え、Cannelleは今週月曜から幼稚園へ復帰。行きたくな~~いと行っていましたが、すんなり通園しています。義母が、「日本の飴やお菓子でもお土産に持っていったら子供たち喜ぶわよ」と言うので、Cannelleもいとこたちも大好きなこんぺいとうを持って行くことに。袋が破けていたので折り紙で箱を作って小分けにして持っていきました。これが担任の先生に大ウケで、即席折り紙教室になりました。こんぺいとうも、純粋な砂糖味の飴はフランスではあまり見かけないので(体に悪そうな化学調味料の味のするもの多彩です・笑)先生にも子供たちにも大人気でした。次回はこんぺいとうを大量に持って帰ろうそれで気を良くしたpidoo。毎週水曜日のベイビージム復帰の際には、きのこの山を持って行きました。「ジムの後皆で食べよう」って言うのよ、とCannelleに託し、1時間後。ジムを終えドアから出てきたCannelleに、「きのこの山、みんなで食べた?」と聞くと。「ううん、たべてない。ファビエンヌ(ベイビージムの先生)がもっていっちゃったの」と。「え~!子供たち皆で食べてもらうはずだったのに!」と思わず口にすると、ちょうど目の前にいたファビエンヌにCannelleが言いました。「ファビエンヌ!おかしはこどもたちみんなでたべるんだよ!」それに対しファビエンヌは。「先生たちでもらっちゃったわよ!」と。えええええ~~~~~~。超ありえない展開にpidoo、返す言葉を失ってしまいました。そうだった、どこまでも個人主義の国フランスに戻ってきているんだった…親の私からしっかり、「子供たちみんなで食べさせてください」と言えばよかった…しかしそれくらい察してくれよ~…
2010.12.09
強度近視なのでコンタクトレンズの度の調整の為などフランスに来てから眼科受診は何度もしていますが、今回は網膜裂孔の経過観察です。過去をさかのぼり、優しい印象を受けた眼科医を選んで予約しました。フランスの眼科医は他の医師同様、個人プレーです。というかフランス人全体が個人プレー?日本の眼科では受付を済ませると看護士か助手に呼ばれ検眼をし、医師の診察、そして受付で会計となりますが、フランスの眼科では受付はいるものの、検眼も医師が行い、そのまま診察、そして医師に会計します。(会計を医師に行うのはどの科でも同様)分業をしないので、いざ呼ばれるまでは本当に待たせられます。(一応予約してるんですが?)そこでフランスの眼科医に必ず見かける、ターンテーブル。これ、すごいです。ターンテーブルの上に、検眼、眼圧、診察台がすべて組み込まれていて、医師はターンテーブルを回し、座ったまますべてをこなすことができます。レンズ調整もウィーン、カシャっと、ボタンを押せば希望の度の入ったレンズが挿入されるという仕組みです。そして、この機械は当然ながらかなり高いらしいです。日本の眼科は人件費にお金がかかりそうですが、フランスの眼科は機械にお金をかけるんですね。では肝心の診察。まったくもって残念な感想を抱いて帰ってきました。問診してから診察に移り、眼底検査をして。「うん、いいよ、よくできてるよ。大丈夫、問題なし」えーーと。もっと説明とか。「じゃ、これで」と切り上げられそうになり、「あのう、次はいつ来れば・・・?」には「1年後かな!」…日本の先生は月1の診察を、と言っていたのに~。つまりですね。私の目はもう手術済み=用済みなので、もう治療費が取れない、という態度がありありなのです。なんてドライ。網膜裂孔についても、「近視の裂孔はよくあることだからそんなにドラマチックに落ち込まないで!」なんて軽い。また、ひどい飛蚊症については、日本の眼科医は「そのうち薄くなりますから」と言ってくれたのに対し、フランスの眼科医は「あ、それはもう消えないね!」ガーーーーーン。。。ま、フランス人に今更何を望もう。早々に切り上げたい様子の眼科医に今後の生活についてなんとかしがみついて聞いてみたのが下記。向こう6ヶ月避けた方が良いこと:-転ぶこと。…誰も好き好んで転んだりしないし・笑でも転ぶ率の高いスキーやスケートは避けるべき。…この間しちゃったけど・てへっ-頭部に衝撃を受けること。…これも不意打ちだなぁ。-頭部に振動を受けることーバイクや荒地のマウンテンバイク、トラクターの操縦、ジェットコースターなど。…ジェットコースターはともかく、どれも元々しないし・笑-球技。…目に当たる危険性があるため。-登山。…高度による気圧変化が良くないらしい。…って去年はスイスの標高3000メートル登っちゃったし、今年は富士山五合目(2500メートル)行っちゃったんですが?もしやそれも原因の一つ?なんてこった。。。ちなみに飛行機は気圧が安定されてるから問題ないんですって。さてさて。この町にはまだまだ眼科医はいるし、毎月転々としているうちにいくらかましな先生に出会えるさ。(本当?)来月に続く。
2010.12.08
術後4日目。経過は良好らしいが見え方は依然変わらず。陽の当たるところでは特に黒い糸状のものや気泡のようなもの、黒点がくっきり見えて気が萎えるので、暗がりや曇りの日を好むように(笑)。予定ではそろそろ新潟に移動することになっているので先生に聞いてみました。「新潟に移動してそのままフランスへ帰る予定なのですが大丈夫でしょうか?」「それならフランスへ戻る前にもう1度新潟の眼科で診察を受けて帰ると良いでしょう」と紹介状を書いていただきました。新潟では温泉へ行くことになっているのでその点も尋ねると「問題ないでしょう」とのこと。(焼肉とか温泉とか、シリアスさに欠ける患者と思ったに違いない・笑)原因については、先生は「起こるべくして起きた」と。若年層の網膜剥離の原因については、強度近視の人が重いものを持ち上げたり、目にボールがぶつかったりとか、出産時にいきんで発症したケースもあるようですね。はたまたボクサーだったりといったことが言われます。(友人からは「君って実はボクサーだったりする?」なんて言われました・笑)しかし強度近視の人全員が重いものを持ったから発症するわけでもなく、やはり「起こるべくして起きた」としか。たまたま私の網膜が薄くて、たまたまこのタイミングで穴が開き、剥がれてしまった、たまたまそういう体質だった、それだけのことです。それでも、生活態度を振り返ってみると。日本に来る前から多忙な日が続いて息を付く暇もなかったし、着いたら着いたで連日、すべての面において段取りの全く異なる主人を相手にイライラし通しっぱなしで、頭に血が上ってプチッと穴が開いてしまった、とも考えられなくもありません。先生からは一笑されましたが。で、以来。主人にイラッときても、爆発することがなくなりました。「そんなことでイライラするより、人生もっと大切なことがある」と思えるようになりました。日常的に見える、黒い糸やら気泡やら黒点やらが、イラッとする気持ちに冷や水をかけてくれるようです。主人と娘の合言葉も、「イライラしたら目がぴちゃっとしちゃうよ!」で、効果抜群です。以来、荷造りはすべて主人任せです。以前は私がすべてやって、何がどこにあるかすべてを把握していないと気がすみませんでした。しかし、「そんなことよりももっと大事なことがある」思考で、基本的なところだけ私がやって、あとはほとんど主人に任せました。それによって彼も私の今までの苦労をわかってくれたので、ある意味副産物でした。その後は。新潟での診察結果も良好で、予定通り飛行機に乗ってフランスに戻ることができました。明日はフランスで初めての診察が待っています。緊急だったため左目だけを診てもらっていましたが、右目も見てもらう必要がありそうです。我が家に戻り、落ち着いたためネットで色々探してみましたが、私のケースよりももっと深刻な方のブログ等を見つけ、改めてことの重大さを思い知らされ、今更ながら安静な毎日を過ごしています。それで思ったのは、やはりあのタイミングで発症したのは不幸中の幸いでした。担当いただいた横浜スカイビル眼科の林先生、サイコーでした、ぶらぼーですっ翌日、不安になり受診した時に、丁寧に説明してくださったもうお一方の先生にも感謝です。みなさん、飛蚊症が進んだかな?と思ったら、早めの受診をお勧めします。網膜剥離は早期発見、早期治療が肝心です。その際は是非横浜スカイビル眼科へどうぞ
2010.12.07
術後2日目。結局、視界の異常さから自重して、レーザー照射跡が落ち着くまでの4日間はメガネを使用し、大好きな日本のビール(「キリン・一番搾り・とれたてホップ」がこの頃のお気に入り)も絶つことに。Cannelleをおんぶしたり、重い荷物を持ったり、走ったり、頭部に振動を与えたり、といったことも控えました。診察では経過は良好とのこと。しかしレーザー照射跡が完全に癒着するのは2週間後なので、それまで定期的に経過観察が必要とのこと。稀に照射した部分を超えて剥離が進む場合もあるらしいです、恐ろしや。そこで身の上相談。「実は普段はフランスに在住していて、今里帰りで日本にいるんですが。」と、復路は2週間後であること、飛行機に乗る危険性を聞いてみました。すると「海外在住でたまたま日本にいた際に網膜剥離」というシチュエーションがかなり先生のツボにはまったらしく、海外医療の四方山話に(笑)。先生の持つ患者さんの中でも、アメリカに在住とか、イギリスに在住とかいった方がわざわざ日本帰国中に先生の診察を受けに来るというお話をうかがいました。アメリカは良い保険に入っていなければ救急隊も瀕死の患者を見殺しにするし、イギリスでは救急窓口でも時間が来たらシャッターを下ろしてしまうとか。(それって救急窓口と呼べるのか?)「フランスはどうなの?」と振られて、「まあ、イギリスと似たようなものですねぇ、シャッターは閉めませんけど。流血していても平気で4~5時間は待たせられるし。」と身の回りを思い返してみる。主人も今回の騒ぎで開口一番だったのは「これがフランスのイエールでなくて良かった!」でした。彼にとって大きな驚きだったのは、-予約無しで、大して待たされもせず診察してもらえたこと、-たまたま駆け込んだ眼科にレーザー機器があったこと、-またその技術を有する医師がいたこと、でした。うんうん、これって確かにすごい。(後日、フランス人の友人からも同じ反応を頂きました)もしイエールだったらを想像してみる:-フランスの専門医はほとんど予約制。-ランデ・ヴー(予約)はたいてい1ヵ月後、「緊急!!」であることを伝えても即日なんて不可能に近い。-ウィルス性の流行り目にかかっていても「薬の名前を教えるから薬局へ行って」と当然のように言われる。-運良く医師に辿りつけたとしても即日にレーザー手術ができる環境にあったか否かは大きな謎。日本でよく「救急車でたらいまわし」が取り上げられるますが、アメリカ・ヨーロッパではもっとひどい事態が普通に受け入れられています。万人が、いつでも気軽に行ける日本の医療制度は素晴らしい!と意見が一致。不幸中の幸いとはこのことではなかろうか。ということで、先生は飛行機に乗ることより、フランスで医師に診てもらえるか、の方をものすごく心配してくれたのでした
2010.12.07
レーザー手術後1日目。本当にショックを受けたのはこの日でした。当日はもう暗かったし、散瞳したままの術後は涙目でぼやけており、1日の疲れもあり帰宅後はすぐに就寝。ただ、先生の「きれいに照射できました、これでとりあえずは心配いりません」という言葉で、悪夢は終わったんだ、的な、かなり楽観視してしまったところがあります。術後も特にこれといった注意は頂きませんでしたし。驚くことに、コンタクトも翌日からしてしまっていいとのこと。目に水を入れてはいけないとかいった事項が無かったことも、手術自体を軽視してしまった要因です。しかし翌日目を覚ますと。朝日に照らされた世界を見て、「悪夢は続いている」と実感しました。前日に見えていた複数の黒い糸状のものは相変わらず浮遊しているし、小さな小さな気泡?水泡?のようなものが数え切れないくらい、一面に散らばっています。これって普通なの?それとも新たに剥離、裂孔でもしている?とりあえずこの日は区役所へ行き住民票をおこし、国保に加入する必要があったため外出。秋晴れのすがすがしい空をこんなフィルターを通して見ることになるとは。テンション急下降です。今まで、ごく普通に「目が見える」恩恵を享受してきましたが。目が見えるって、本当に素晴らしい機能。何がいけなかったんだろう?予防はできたのかな?道々、新しい黒い点を発見する度に背筋が凍りつきます。この黒点が今後大きくなることもあるのだろう…もう二度と、以前のようには世界を見れないのだろうか…いずれは黒点が左眼の視野を覆い尽くしてしまうのだろうか…などと考え及んで、歩きながら泣いてしまっている自分がいました。結局区役所へ行ったその足で、再診には1日早かったのですが受診することに。担当の先生はいなかったので、別の先生から説明を受けました。レーザー手術は剥離や裂孔の進行を食い止めるもので、異常な見え方が矯正されるわけではないとのことでした。また、現在の異常な見え方は眼球内の硝子体が出血で濁っているためで、1ヶ月程かけて代謝され、薄くなっていくそうです。しかしそれも100%なくなる訳でもないのでしょうし、個人差も大いにあるでしょう。安心には程遠い、覚悟を決めなければ、という気持ちでした。
2010.12.06
それは11月17日の夕方。スカジャンが欲しいとうるさい主人のために、友人のKちゃんに付き合ってもらい横須賀・ドブ板通り商店街を散策していた時に突然起こりました。とあるお店の中で、突然、本当に突然。頭をぶつけたとか、転んだとか、なんのきっかけもなしに。突然、左目視野の半分から上方に複数の黒い糸がふわっと見えました。前髪かな?それとも睫毛?はらってもはらってもソレは消えません。なんだろう?なんだろう?と自問すること数分。以前眼科に勤めていた際、1ヶ月に1人くらいの頻度で来院していた、網膜剥離の患者さんの症状に似ていることに気付きました。ということは何?これはもしかして緊急にどうにかしないと失明?まさか~(笑)と心の中で自問自答を繰り返し、主人に話します。「もしかして大変かも。網膜がはがれてるかも。だったら私失明する」「なんの話?」映画かドラマの話をしているとでも思ったようです同行していたKちゃんの職業は看護士さん。事の重大さにすぐに気付いてくれました。しかししかし。この日は、ショッピングの後、牛角の焼肉を食べに行く約束をしていたのです!!うーーーん、焼肉食べたい。でもこの症状は本能が緊急だといってる。でも大したことないかも。明日の朝まで待てるかも。でも本当に網膜剥離ならこの一晩が命取りになるかも。でも焼肉~~~~!!と横浜へ向かう電車の中で葛藤し続け。横浜到着。とりあえずコンタクト・レンズの汚れかもしれない。(強度近視の類に入るかもしれない視力です。左右共にレフー7.0)洗浄液を購入し、レンズを洗ってみてから考えよう。と、外した時に危機感が上昇。裸眼でも、ソレは見える。がーーん。無駄な抵抗と思いながらレンズを洗い、装着。変わってない…。で、泣く泣くKちゃんとはお別れ、娘は主人に託し、横浜スカイビル眼科へ。以前勤めていた眼科も横浜駅にあったのですが引っ越していて場所が定かではなかったし、スカイビル眼科は過去に何回か行ったことがあり場所を覚えていて、目を酷使しなくても到着できると思ったので。眼科に到着したのは18時頃。「16時から飛蚊症(ひぶんしょう・飛んでいる虫のように黒い点が浮遊して見えること)がひどくなり、網膜剥離が心配で来院」と問診表に記入。これは眼科時代の知恵で、網膜剥離はとにかく時間が勝負なので、問診でその疑いがある場合は最優先で診察へまわしてもらえるのです。その甲斐あって待合室は賑わっている割にすぐに名前を呼ばれ眼圧、検眼はぱぱっと済まし、先生の診察。すぐに散瞳(さんどう・目薬により瞳孔を開くこと)して眼底検査(目の奥を見る検査)をすることに。散瞳するまで30分、その間。まさか、いやでも…もしそうならレーザー手術?レーザー手術って高いよね…あっ、今回の帰国に限って国保入ってないし…自費ってどのくらい?5万円くらい?…それよりもこの眼科、レーザー手術の設備あるんだろうか?無ければ救急車で搬送だな~…とさまざまな思いが頭を巡ります。再び名前を呼ばれ、診察。左目にレンズを密着され、光を当てられ…「あ~~~~~…。これは~、リッパな網膜剥離…、裂孔もあるね!」キターーーーーーーーーーー!!!!!もう、この時の落胆といったら。剥離どころか穴まで開いているとは想定外でした。奈落の底へ落とされた感じでしょうか。で、即レーザー手術決定です。担当の先生はとても優しい方で、事前にわかりやすく説明してくれました。網膜剥離とは眼球を満たしているゼリー状の硝子体が老化して網膜がはがれることを言い、裂孔とは主に強度近視の場合、眼球が長くなることにより網膜が引っ張られ、薄くなり穴が開いてしまうことを言うそうです。網膜がはがれてしまうと光に対する感度が低下し、最悪は失明してしまいます。そこでまた記憶をたどると。10年以上前、眼科勤務の際眼底検査をしてもらい、「左目の網膜が薄いかな~」と言われたっけか?更に私の場合、裂孔した箇所に血管が走っていて、血管も一緒に破けたそうな。そこから出血した様子が影となって、「複数の黒い糸」となって現れたとのこと。先生曰く。「この出血が無ければ症状に気が付かなかった、もしくは軽い飛蚊症と自己判断して診察を受けなかったかも知れないから、逆に出血があって良かった」とのこと。幸い初期段階のため、30分程で終わる日帰りレーザー手術を施行することに。レーザー照射で剥離・裂孔した箇所の周辺を囲み凝固・癒着することにより剥離の進行を食い止めるというものです。そこで「実は友達と焼肉へ行って、明日受診しようと思ったんですが…明日でも良かったんでしょうか?」と聞いたら。「あ~~~、焼肉のせいで左目失わなくて良かったですねぇ」とニッコリ。「網膜剥離は時間が命ですからねぇ。明日来ていたらレーザー手術どころじゃなくなっていたでしょうねぇ」「というと?」とつばを飲んでその先を聞くと。「硝子体手術といって眼球にガスを入れる手術ですねぇ。その後うつ伏せでいる必要があるし、通常1週間入院ですが1回で成功するとは限りませんからねぇ」ひーーーっっ、おそろしや!!また、自費扱いについても言及。「レーザー手術は簡単なようですが一応手術ですので結構な金額しちゃうんですよ。ちなみに18万円くらいです。そんな現金もってないでしょ?だから今日は何も払わなくていいですよ、次回保険証を持って来た時の清算にしましょう」ありがとうございます~~~~~(涙)ということでレーザー手術。眼球にレンズを密着させ、レーザーを照射していきます。痛み、というほどの痛みは無いのですが、しみる感じでしょうか。涙はぼろぼろ出ます。感覚には個人差がり、痛みで動いてしまう人もいるので助手の方が後ろから頭を押さえます。10数年前はこの助手の立場だった私が今は患者だなんて…。眼科での経験も役に立つものだわ…などなど、とりとめもなく考えているうちに「終わりましたよ」と先生。10分ほどの早いものでした。
2010.12.06
11月30日に無事?にフランスに戻りました。今回はハプニング続きで疲れ気味です。ざっと出来事を話すと…渡航前夜。Cannelleの日本のパスポートを忘れた事に気付く。今回は父親(フランス人)同伴なのでフランスのパスポートでも問題はないが、私と二人きりだったら親子関係の証明が難しいので、戸籍の持参が必要。→入国審査も外国人同様待たされることに。次回は気をつけよう…、ママ反省。離陸直前。期待のエアバス380、離陸前に整備車と接触。運悪く修理の現場を一部始終見てしまい臨場感は抜群!初めて生死の危機感を味わいました。本当に飛んで大丈夫なのか?→無事に飛行しました!日本到着。スーツケース3つのうち1つを紛失。→後日発見、配達いただきました。2日後。飛行機オタクの主人、時差ぼけもかえりみず、到着当日、成田空港から埼玉・入間基地のオープン・デーを訪問するなどという荒業をやってのけたのがたたり、体調を壊す。薬局に走るpidoo。4日後。主人の体調は復活したものの、主人の実家から思いもかけないしらせが。Cannelleのいとこローズがしらみに感染したとのこと。は?しらみ?それで?と他人事で聞いていたのも束の間。日本に来るまでの1週間、Cannelleは主人の両親宅に預け、いとこのローズと寝泊りを共にしていたので、Cannelleも感染している可能盛大とのこと。蒼白するpidoo。急いでCannelleの髪を点検すると…白い丸いもの、髪の毛にくっついてるよ?なかなか取れないよ?え?これが卵?ぎゃ~~~~~~~~~!!!!!!!!!シラミなんて日本では戦中・戦後のハナシでは?駆除剤なんてあるのか?なんでよりにもよって日本で・・・。フランスならよく聞く話だから肩身も狭くないのに・・・!とブッチ切れながら再び薬局へ走るpidoo。→日本でもシラミのケースはあるらしく薬局で普通にシラミ用シャンプーを購入、駆除に成功いたしました。卵の段階での早期発見だったため親への第3次感染は免れました、ホッ。14日後。pidoo、網膜剥離裂孔をまったくもって突然に発症。危うく左目を失明するところでした。→発見・手術共に早かったのが幸いでした。経過は良好です。ちなみに10万人に一人の発症例だそうです(汗)だったら宝くじにでも当たりたかった…フランス帰国日。往路同様、ルフトハンザのエアバス380でフランクフルト経由。が、ドイツは大雪に見舞われ遅れること3時間。フランクフルトからパリ行きも遅れること1時間半。→パリ到着時にはへろへろになっておりました。最初から最後まで、色々ありすぎて疲労憔悴しきっております。網膜剥離裂孔もレーザー手術後のため安静第一とのこと。しばらく冬眠に入ります(笑)、は無理でしょうが必要最低限のことだけして過ごそうと思います。ああ、疲れた…。
2010.12.03
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