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月末ということもあり、なんだかんだ事務的な仕事で日の半ばが過ぎた。民生・児童委員の義務である月末提出の活動記録の整理やら、手紙を書いたり、訪問調査に外出したりである。 新聞社から私自身のデータ更新依頼も来ているが、それらは後日回しだ。 午後からは作品の最終化粧のつづき。それから医療クリニックでの美術講座のための論文の準備。論理展開のためのメモといったところ。 外出の途中で声楽家の陳曦(チェン・シ)さんに、ばったり出逢った。日傘を差した女性がにこにこ笑いかけているので、誰かと思ったら陳さんだった。 案内状をもらっていた6月11日のミニ・コンサートには行けないと謝った。私も同日に日野市民会館煉瓦ホールで合唱出演するのだ、と。「そうなんですか。童謡と唱歌のフェスティバル、いいですね。良い日を選ぶと、皆、同じ日になるんですねー。また、今度ですね」と陳さん。「暑くなっていますから、体調を崩さないでください」と私。
May 31, 2017
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五月の終りとはいへ真夏はまだ先、暑い暑いとぼやいてもしょうがないが、でも、暑い。28.5℃だ。 鉢植えの木々に朝夕2回の水やり。 3年前、どうしてこんな所にと思ったコンクリートの隙間に、ひょろりと伸びていた5cmばかりのヤマモミジを、盆栽仕立てにしようと小さな浅い鉢に移植した。それが今では丈40cmほどにも成長した。3年間、樹形をととのえながら育てて、いっぱしのヤマモミジらしい姿になった。根本付近の幹の太さは2cm弱である。夏の日差しに小さな緑の葉をしげらせている。根本に苔を敷いたので、一層それらしいのである。 しかし、問題はここからで、私としてはこれ以上丈を伸ばしたくないのだ。幹は太くしたいのだが、さてどうしたら良かろう。ちょいと勉強しなければならないなー。 とにかくこういうことにはズボラなたちなので、枯らさないようにするだけが精一杯。水やりだけは気にかけているのである。
May 30, 2017
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さきほど20時過ぎ、きょうも民生委員としての仕事が1件あり、ちょっと外出した。 夜空を見上げれば上限の月。 その下を赤い灯火がまたたいて飛行機が行った。 フランク永井さんの「羽田発七時五十分」という歌。 ♫ 星も見えない空 淋しく眺め 待っていたのに逢えないひとよ・・・・。 飛行機はたちまち深い闇に消えた。 細い月の色が少しばかり濃くなった。 私はこれから先日描きあげた作品の最後の化粧をしようと思う。
May 29, 2017
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初夏定例の市内一斉清掃の日。午前中9時から10時まで自宅周辺の町内を住民総出でおこなう。毎日の掃除が行き届いているので、あっと言う間に終了。その後は少しばかり英語原書を翻訳しながら勉強。夜、民生委員としての仕事が一件。ちょっと外出。
May 28, 2017
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きょうは案内をいただいていた、近所の中学校の体育祭を参観してきた。昨日の雨はあがったもののグラウンドが使える状態かどうか心配。何か手伝いができればと思いながら、少し早めの午前8時に家を出た。 先生たちも生徒たちも早朝から準備していたらしく、開会を予定より1時間遅らせて、きびきびと忙しく立ち働いていた。校長先生に手伝うことがあれば遠慮なく申し付けてくださいという私の挨拶は、間もなく始められるところまで子ども達がやってくれました、と。 というわけで、私は午前中いっぱい体育祭を楽しんだ。 障害物競走は昔とかわらないな、と思いながら、不意に思い出した。私が中学生の頃、都会のおしゃれな女性の間でヨーロッパから入って来たボックス型のドレスが流行し、サックドレスと言っていた。障害物競走のなかに麻袋(コーヒー袋?)の中に入ってぴょんぴょん跳ねながら進む場面があったが、私の時代はそれを「サックドレス」障害と言ったのだった。いまは何か名称があるのか、ないのか----。 あるいは、スタートの号砲とともに、火薬のにおいが風にのって漂ってきた。私は子どもの頃の「カンシャク玉」や、渦巻き型の紙火薬を装填する玩具鉄砲のにおいを思い出した。60年も昔の彼方から漂って来たかのようだった。「ああ!」と。 -----私も年老いたのだろう、目の前の子どもたちに重なるのは、思いもしなかった60年も昔のことだった。そしてそれは、私の記憶喚起の特徴的なことかもしれないが、60年を飛び越えて、ありありと浮かんで来る映像である。映画のように動きながら! 人間って、おもしろいねー。この記憶装置に蓄積されている映画のような動く映像が、私の死によってはじめて完全消滅するのだもの。コピー不可能なんだよねッ。まったく他者と共有できないものなんだ。私にしてみれば、それがアイデンティティ(存在証明)でありながら、外部に取り出して「証明」することはできない。つまりは他者に対する自己証明にはならないということ。 -----私は作品を創作するときに、自分の記憶を織り込むことはあるのだが、しかしそれは、私だけが納得しているかすかなそれらしき「匂い」をなすりつけているだけで、記憶を再現しているわけではない。再現できるとも思っていない。場面を描いたからといって、記憶というものが内蔵している豊かさ、微妙さ、甘さもあれば棘もある、いろいろな要素のアマルガム-----それを再現できはしないのだ。 しばしば、「こころを描く」などと言っているのを聞くが、私はずいぶんわけが分からないことを平気で言うなー、と思っている。「こころ」があるとして、しかし「こころ」から切り離されているから「作品」なのだと、私は考えている。------たぶん、作品を仕上げる精神というのは、私が考えている「こころ」とは全然ちがうと思うなー。 いまここで言うが、私がかかえている深い悲しみの「こころ」は、何十年と作品を描いてきても消えはしないのだもの----。 まあ、いい。そんなことは、いい。 中学校の体育祭を、きょうは参観したのである。
May 27, 2017
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年に3回刊行される『SPECTATOR』(スペクテイター)という、知る人ぞ知る雑誌がある。発行は有限会社エディトリアル・デパートメント(長野県長野市)、発売は幻冬社(東京)。そのNo.39が発行元より届いた。 本号は「パンクマガジン『Jam』の神話」と銘打たれている。1979年に、いわゆる自販機雑誌として出版界・読書人に、一方で驚嘆絶賛され、一方で顰蹙と批難された『Jam』を特集している。そして、じつはその『Jam』の創刊号に、私はブラックユーモア風な漫画を2ページにわたって描いていた。それが送られてきた『SPECTATOR』に再掲載されているのである。 過日、『SPECTATOR』の編集者赤田氏が電話をしてきて、再掲載の許可をもらえまいかと言った。 38年前の若描きであるので、私はいささかならず躊躇した。のみならず、私はその漫画を、当時、我家に直接訪ねて来て依頼した『Jam』の編集者美沢氏の勧めで、ペンネームで発表していた。私がペンネームで発表した唯一の作品だった。私は、赤田氏がそのペンネームから私・山田維史にたどりついたことに驚いたのだ。訊けば、私のこのホームページにその作品が掲載されていることを知ったのだという。そして、「なぜ、ペンネームにしたのですか? しかもMISAWAというペンネームは、編集者の美沢さんを連想しますが?」と言った。 私はあらためて38年前の経緯を思い出していたが、これといって確かな理由は思い出せなかった。 美沢真之助氏(故人)は、当時まだ日大芸術学部の学生だった。しかし異才と称すべき博識で、私は年下の彼を何の疑念もなく信頼し、勧められるままにMISAWAというペンネームにした。美沢氏は数度我家に足を運び、我家の夕食を一緒にしたこともあった。 『Jam』への執筆を依頼される以前から、氏との面識はあった。田中泯さんの踊りのプロジェクトに関連して、そのプロジェクトのスーパーバイザーだった松岡正剛氏の工作舎か、あるいは踊りの現場で出会い、言葉をかわしていたのだろう。 私は松岡氏の依頼で『身体気象図譜』にエッセイを書いていたので、美沢氏はむろんその文章を読んでいただろう。また、イラストレーターとして『奇想天外』や、荒俣宏氏のやっていた『幻想と怪奇』にも執筆していたので、私を知っていたのだと思う。 そうそう、思い出した。同じ頃、田中泯さんがどこか地方で踊るために車を走らせていると、田舎道でひとりの老婆とすれちがった。「山田さんの絵のお婆さんだ!」と、スタッフと盛り上がったという。それは『宝島』誌に描いたイラストレーションだった。美沢氏はスタッフとしてその車に同乗していた可能性がある。 私は、美沢氏の執筆依頼が『Jam』創刊号だというので、餞(はなむけ)のつもりで執筆を快諾したのだった。 1コマ1ページ大の2ページ分の漫画は美沢氏と相談のうえで、見開き掲載ではなく表裏ページになるようにしてもらった。冗談が表裏ページである2コマによって成立するという設計である。 同じポーズの裸女の第1ページ目の「MMM」「KKK」は「呻き声」ではあるが、次ページの爆発音としての「PUN」と組合わさると「PUNK」(ちんぴら)になる。また「PUN」という英語には「だじゃれ」という意味がある。昔の男の子たちは雨蛙の尻に麦わらを突っ込んで息を吹き込んだものだが、もちろんその悪ふざけがベースになっている漫画だ。 そして、自販機雑誌がどんな雑誌であるかなどは、じつは私には何程の問題でもなかった。というのも、当時、私は『奇想天外』の編集者から紹介されて、SM雑誌の早川氏の依頼で、2度だけだったがその口絵を描いてもいたからだ。あるいはまた、このたびの『SPECTATOR』で言及されている『冗談王』誌も読んでいた。第1ページから最終ページまで冗談に徹した日本出版界初めての雑誌は、高杉弾氏の編集だったが、高杉氏は美沢氏とともに『Jam』を編集していた。 思い出せば、いろいろなことが裏表に関わっていた。赤田氏は、「ホームページにあの絵を掲載したのはなぜですか?」と問うた。「今の私の年齢になって、すべての作品が自分の人生を作って来ているのだと思い、それを並べてみようと考えました」------そんなような意味合いの話しをした。そして、赤田氏の『SPECTATOR』についての真摯な言葉に、再掲載を許可したのだった(www.spectatorweb.com)。
May 26, 2017
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夕方から合唱団「かしの木」の練習。 6月11日の本番ステージを控えての最後の練習である。先生の注意点、すなわちその音楽造形を頭に感覚に声にインプット。 団員諸兄姉はみな本番に強いので(そう、思うことにして)、そして私自身は一発勝負のステージが大好きなので、当日が楽しみなのである。 姉様たちが昼の弁当を用意してくれるというから、それもありがたい。ユニホームであるステージ衣装だけを持っていけばよさそうだ。------私の絵画作品ができあがっているので、気が楽になっていて、練習にも身が入り、楽しみもした。
May 25, 2017
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午後2時45分、長らくかかったが予定内の日数で作品制作の筆を止めた。しばらく寝かせてから署名して文字どおりの完成とする。一ヶ月半後にはアメリカに渡っているだろう。 さて、今日はもう休息をとるが、すぐに大邱(テグ)のための作品を構想しなければならない。
May 24, 2017
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きょうも制作に専心。ただいま22時30分になるところだが、これからもう少し仕事をすれば、あるいは明日一日のしごとで擱筆するかもしれない。日記執筆はこのへんにして、作品に向かうことにする。
May 23, 2017
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きょうも正午過ぎに30℃まで気温が上昇し、5月の真夏日が3日連続となった。終日、制作をしていたが、オイルの乾燥が早く、筆のすべりが鈍くなる。いつもより溶き油を多めに調整しながら描いていた。 今朝、4時半頃に不意に目が覚めた。夢をみていた。その夢の物語は、現実に起ったことでもないし、今後も起りはしない態のことではあったが、私は自分の心の何がそのような物語をつくりだしたか、あるいはそこに語らせたか、明確にわかった。私の作品と私の姿勢とをとても微妙な「不安」というかたちで物語っていた。「そうか、無意識裡で、自分はそんなふうに思っているのか----」と、私は思った。そして、意識化できたことを吉とした。「闘っていける」、と思った。 もう、眠ることはできなかった。枕元の小説の英語の原書を取ってみたが、読む気になれなかった。そのまま起床し、仕事場に行き、昨日描いたところを眺め、きょうの手順を考えていたのだった。
May 22, 2017
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暑い日だった。午後3時の気温が29.7℃。 きょう一日の食事記録のなかに、冷たいコーヒー(無脂肪牛乳、無糖)2杯と緑茶1杯。ことさら注意しての水分補給ではない。むしろ毎日コーヒーが3杯のところ1杯少なかった。普段はコーヒーを午前中に1杯、昼食時に1杯、午後3時頃に一杯飲む。きょう少なかったのは、仕事に集中していて飲み物を忘れていたのだ。危ない危ない、こんな暑い日は熱中症に気をつけなければ。 今朝、鉢植えの植物に水をやりながら、その他の樹木を見やると、茱萸(グミ)が真っ赤に熟れていた。この茱萸の赤は美しい。
May 21, 2017
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朝8時15分に家を出て午後1時20分に帰宅するまで、午前中いっぱい、近所の児童館恒例の子どもまつりの手伝い。 私が担当したのは工作コーナーのひとつ。私のコーナーを訪れたおよそ100人を超える幼児から小学3,4年生を相手にして、まあ、その元気な圧倒的なエネルギーを受け止めるのだから、終了したときには爺ちゃんはいささか疲れました。というのも、今日は自分の仕事場に閉じこもれないと思ったので、昨夜は午前0時30分まで制作し、就寝したのは2時だった。ちょっと寝不足ぎみではあったのだ。 毎年手伝いをして思うのは、年齢に関係なく、さまざまな素質や感覚の子どもがいるということ。相手をしている私の気分はじつに愉快だ。お父さんの膝に抱っこしたおそらく2歳程度の子どもが、カラーペンで積極果敢に自主的にぐいぐい描いていく。お父さんは一切口を出さないのもすばらしい。 そうかと思えば2年生くらいの男の子。机の前で、当惑したように「絵がかけない」と言う。私は黙ってそばで見ている。10分、20分。やがてカラーペンをとり、円弧を描いた。色を次々にかえて虹ができあがった。それからその下に丸と棒の色違いで記号のような人物を描いた。私は初めて言う。「きれいな虹だなー!」それからアドヴァイスしながら紙皿2枚を重ねたコマをつくった。「できたねー、きれいなコマだ。ちょっと借りていい? 回してみよう』と、私は床にしゃがみこんで回す。虹が回転のなかで色の帯になる。「いいねー、君のコマ、きれいだねー!」男の子の目が輝く! あるいは綿密なグラフィック感覚の、やはり2,3年生の女の子。軽快な細い線で複雑な模様を創りだした。また、そのお友達は、互い違いに綿密に幾つもの色を塗りこんだ帯をコマの周囲に描いた。私は再び、「回してみようよ、貸してもらっても、いい?」私は回す。すると、いろいろの色を隣り合わせにした丸い帯は、回転と同時にほとんど黒い帯になった。女の子は驚いた。「あれ? 黒くなってしまった」「ほんとだね、止まると色がでてくるけど、回ると黒くなってしまうね」私はなぜそうなってしまうのかを説明する。加算混合の原理を-----。 あるいは、こんな父子も。-----男の子である。おそらく学齢前だ。黒と緑で描いたのは、ロボットかもしれない。次に茶色でそのロボットを塗りつぶさんばかりにランダムな線や円を描き始めた。お父さんは、せっかくの絵がダメになってしまうと思ったにちがいない。「もう、そこでやめておけ。もう、できただろう、やめろ、やめろ」ロボットは姿が見えなくなるほど、いわばグチャグチャな線で埋め尽くされる。それから彼は、コマ作りの過程としては描かなくてもよい、紙皿の別の面にも同様の絵を描き、同様に塗りつぶした。お父さんは、とうとう見ていられなくなったのだろう、コマに仕立てるようにと取り上げたのだ。すると男の子は、床に座り込んで泣き出した。「いやだ、いやだ」------私は、黙ってその様子を見ていたのだが、お父さん、ちょっと児童画の本質をご存知でなかったか。 つまり、幼児から小学2,3年くらいまでは(もちろん子どもによるのだが)、「対象」を描いているのではないということ。自分の「こころ」を描いているのである。対象認識が未発達で、対象と自己とが同化しているためなのだ。 このような発達過程における絵について、親や教師たち第三者が「それ、何描いているの」とか「お花はそんないろじゃないでしょ」とか「お空は緑色じゃないんじゃない?」などと口をはさむことは厳しくつつしまなければならない。子どもの「こころ」の否定になりかねないからだ。 -----この時代が過ぎると、いよいよ対象認識が明確になってくるのだが、しかしこと絵を描くについては技術の未発達のために対象の個性は見てとれてはいるのだが絵への変換においては紋切り型になるものである。 それは2次平面上に仮想の3次元を描き出すことができないため、つまり光と陰との関係を認識して技術処理できないためである。また、これは私見ではあるが、マンガやアニメによって育てられた視覚が、平面感覚を発達させる一方で、立体感覚の発達を遅らせているかもしれない。 たとえば、3年生くらいになると人物表現に衣服のシワを描くようになったりする。しかし、それは実物を観察したものではなく、つまりは紋切り型なのだ。 こういう絵を描くようになった子どもの親御さんのなかには、しばしば、「ウチの子は、こまかいとこに気がついて、シワも描くんです。私、もう、びっくりしちゃって!」 ------子どもの絵というのは、ムズカシイものなのである。 というわけで、帰宅して、昼食を摂り、仕事場に入りしばらく椅子にかけているうちに、20分くらい居眠りをしていた。それから気をとりなおして昨夜やったところに手を入れ、いよいよ最後から2番目のヤマまでこぎつけた。来週いっぱいで描写は完成するだろう。作品引渡しの6月11日までに最終の化粧をする。
May 20, 2017
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あいかわらずの作品制作でおわった一日。今月後半も制作に専念できない別仕事のスケジュールが入っているので、ちょっと気が気で無い。 医療クリニックから頼まれている美術講義のための原稿も執筆しなければならないが、いまのところ全然とりかかれない。一般の方々に話すのだが、私は相手を選ぶ事はしないので、既存の論説を借りての解説らしきことはしていない。既説の紹介ならば、これこれの本を読んでくださいと言えばよい。小さな講座だけれど、私自身の研究発表の場と考えている。もちろん証拠収集はやってきたつもりである。それだから講義用原稿は論文の草稿程度には仕上げたいのだ。-----さて、執筆時間をどこにぶっ込むか、それが問題だ。 ご近所に住む声楽家、メゾソプラノの陳曦(チェン シー)さんが、ミニコンサートの知らせをポストに投込んでくれた。聴きに行くと返事をするまえに、私のスケジュール表を確認すると、「あッ!」。なんとその同じ日(6月11日)に、私自身も合唱の本番ステージだった。そうだったそうだった、『童謡と唱歌のフェスティバル』に賛助出演し、3曲歌うのだ。陳曦さん、ごめん、行けないや。
May 18, 2017
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廃墟観光とか産業遺跡観光がひそかなブームだという。今夕のTV番組でも神戸市の摩耶山麓にある旧・麻耶観光ホテルが紹介されていた。崩落の危険があるので立ち入ることはできないが、近くから望んで写真撮影する人達がたくさんいた。 麻耶観光ホテルと聞いて、私は懐かしくなった。宿泊したことがあるのだ。いや、ホテルとして宿泊したのではない。 もう40年ぐらい昔、1977年か78年だったか、その当時すでに廃墟だったが、そこで舞踊家の田中泯さんが踊った。1800時間ぶっつづけに踊りつづけるというプロジェクトの中でのことだった。その頃私は土方巽氏の暗黒舞踏に関心をもち、土方氏をはじめ麿赤児氏や大野一雄氏、笠井叡氏、天児牛大氏など多士済々の舞踊を見て回っていた。そのなかの一人が田中泯氏だったが、私の関心は最終的に田中泯氏に行き着いた、と言ってもよい。土方巽氏は暗黒舞踏の創始者として記憶しなければならなかったが、私は田中泯氏の踊り(舞態、と氏は称していた)に、ステージ・エンターテイメントとしてのショーピースを超えた「何事か」を見た。舞踊のまったく新しい創造を見たと思った。彼の言う「舞態」は、踊りの始源の探求----そして、皮膚感覚を時間論として機能させようとしているのではあるまいか、と思ったのだ。 私は田中氏に長い手紙を書いた。------- 田中泯氏(私はいつしかミンさんと御呼びするようになった)が、1800時間踊るプロジェクトを始めたとき、そのパンフレット『身体気象図譜』に私は「観客席よりの視感」という文章を書いていた。このプロジェクトのスーパーバイザー松岡正剛氏の依頼だった。 そんな経緯があって、関西方面に踊りの場所を移したとき、私は京都大学で泯さんとスタッフ一行に合流し、観客としてではあったがスタッフの車に同乗して二日間を一緒にすごした。第一日目の宿泊場所が、廃墟となっていた旧・麻耶観光ホテルだったのだ。 廃墟とは言え、当時はまだ今のような崩壊寸前ではなく、たしか大学等のクラブの短期合宿所として貸していたのではなかっただろうか。清潔なシーツのベッドを備えた部屋もあったし、ベッドはないが大部屋も合宿所としては最適だった。朝、関西の大学生を中心とするサポーターがつくった朝食を、大窓が展望室のように開けたさんさんと差し込む光のなかで、眼下に神戸市を遠望しながら食べた。そうだ、思い出した、メニューはクリームシチューとバターロールパンだった! 泯さんが踊った場所はかつてのボール・ルーム(舞踏場)で、まだ臙脂色の垂れ幕がステージ上に吊り下がっていた。あるいは崩壊した油彩画が。-----私はその油彩画の剥落具合を観察しながら、気候風土と油彩組成構造について思いを巡らしたものだ。じつは、画家・イラストレーターとしてほとんど出発して間もなかったので、その崩壊した作者不明の油彩画を目の当たりに観察したことは、そのころすでに始まっていた私の油彩組成研究に何程かの意味をもっていたのだ。 というわけで、40年になんなんとする昔、たった一度、実際に宿泊したことがある旧・麻耶観光ホテルを思い出したのである。TVで目にした建物は、もうあの頃の面影さへ崩壊していたが、カメラを構えた観光客が見やる半円形に張出した大窓の部屋は、たぶん私が朝食を摂ったあの朝日が差し込んでいた大きな部屋にちがいない。
May 17, 2017
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制作をしていると、エイジェントである画商の担当者から電話。秋に韓国で新作を発表しないかと言う。 これについてはすでに話を聞いていたのだが、7月にアメリカで発表することになっている現在まさに制作中の仕事が済んでから考えると応えてあった。今日の話は書類ができあがっていて、私の返事次第だ、と。それから、-----かなり長い時間、いままで口にしたことがない私の悩みを打ち明け、今後の方針等を聞いてもらった。 担当者との電話を切って、ほんの数分後に再び電話が鳴った。画商の社長からだった。担当者が私の話に困惑し、社長に報告したのだそうだ。ぐずぐずと申し訳ない話をしたと思ったが、社長が言うには、私のテーマと制作はゴールが無いことをやっているのだから(死ぬまで)やりつづけるしかない、と。 -----私自身、そのことは承知している。残酷なほど自己解剖して、自分が存在できる精神衛生上の、ならびに生理衛生上の、その核のところで生まれてくるものを作品として描いている。それは作品の良し悪しでは全然無いのだが、別な核があるとは思えないということだ。しかし、私も生身の人間。毎日毎日が72年間、悩みも出て来るのである。 韓国で新作を発表しろと社長は勧める。 私は承知した。後日、契約書類が届くだろう。
May 17, 2017
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きょうは民生・児童委員活動啓発の新宿パレード。東京都の民生委員1万人のうち1500人が参加して、全面交通止めされた新宿通を、新宿三丁目交差点からアルタ前の新宿駅東口広場までを行進した。四谷交通少年団鼓笛隊、明治学院大学吹奏楽団、日本大学吹奏楽団等の応援参加。各区部民生委員協議会の着ぐるみキャラクターも集結。毎年恒例のにぎやかな啓発パレードとなった。 今年は、民生委員制度が設立されて100年目、子どもに寄り添う児童委員制度が設立されて70年目になる。 来る7月には全国から民生委員1万人が東京に集結して、『民生委員制度創設100周年民生委員児童委員大会』が、東京ビッグサイト国際会議場で開催される。ならびに文京シビックホール、東京大学安田講堂(予定)、よみうりホール、東京国際フォーラム「ガラス棟会議室」や「Dホール」において分科会議が行われる。 全国には厚生労働大臣から委嘱された約23万人の民生委員が、日々、地域のために無給で福祉活動している。辛さ、苦しさ、悲しみのなかで光をもとめる人々に、さまざまな分野の専門家と連繋して手をさしのべ、支援することをモットーにして------
May 14, 2017
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一日中、作品制作。 今日はごく小さな近作を14点ご覧ください。内1点は韓国の画廊の所蔵となっています。All paintings by Tadami Yamada, From a series of "Adam and Eve with the Fruit of the Wisdom" Oil and mixed media on canvas.
May 12, 2017
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作品制作は全体のある程度の描写が終り、次の段階の仕上げ前の描写に移る前に指触乾燥を待つことに。したがって今日は、ほぼ一日、休筆。
May 11, 2017
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昨夜来の小雨が朝方までつづいていた。小庭の種々の樹木の緑葉が、それぞれ色の深さを変えて美しい。柿、楮(こうぞ)、椿、茱萸(ぐみ)、草木瓜(くさぼけ)、紫陽花、南天、ヤマモミジ、柚子、山査子。 午後から制作。
May 10, 2017
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午後から制作。エイジェントから6月11日までに作品が到着するように送ってくれと言って来た。私の予定より1週間早まった。いまのところ順調に進んでいるので、大丈夫、仕上がるだろう。 モデルとして使用したいある物品を探してほしいと弟に頼んだ。「ちょっと難しいかもしれない」と言う。入手できない場合の代替物を考えておかなければなるまい。
May 9, 2017
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フランス大統領選、自由と博愛平等主義のためにマクロン氏の勝利を祝す。グローバル世界は、もはや他国のことと看做しているわけにはいかない。フランス国民の「知性」は、眠ってはいなかったのだろう。
May 8, 2017
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午後3時の気温が28.5℃。暑い。 午前中、市役所ロビーで民生・児童委員PRパネル展の設置。2時間半ほどで終了。 市役所展示は11日の3時まで。その後、11日夕方から豊田のイオンモールに場所が変わる。 14日に都内の民生・児童委員1,500人(東京都の全民生・児童委員は1万人)と大学吹奏楽団による新宿パレードを開催する。各区部・各市部のキャラクター着ぐるみが人気のパレードである。10時40分〜11時20分。新宿三丁目交差点 → 新宿駅東口広場アルタ前。
May 8, 2017
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今日は暑かった。東京は最高気温28℃だったという。家人は植物園に出かけ、私は制作。 何だか知らないが悲しみが私の身体にいっぱいつまっていて、飽和状態なのか、ちょっとした他人の事情に涙ぐんでいる。その事情とやらが私に取り憑いて、私はただただ無力感に立ち尽くしてしまうのだ。------どうにもならないのか、どうにかなるのか、答もないまま涙ぐんでいる自分が嫌だ。
May 6, 2017
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端午の節句。立夏。初夏のこの日頃が私の一番好きな季節だ。さすがに鯉幟を立てたり武者人形を飾ったりはしないが、菖蒲を買って来て風呂を楽しむ。 連休中もあいかわらず一歩も外出せずに、仕事場に籠って作品制作をしている。来週から民生・児童委員設立100周年の内でのPR月間に入る。私もいろいろ役目があって、パネル展の準備をしたり、14日(日曜日)は新宿パレードに参加する。そんなこんなで休日返上で制作を詰めておかなければならないのだ。画商への作品引渡しは6月半ばの約束である。
May 5, 2017
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特定秘密保護法制定時内閣【現・内閣】内閣総理大臣 安倍晋三副総理・財務大臣 麻生太郎総務大臣 高市早苗法務大臣 金田勝年外務大臣 岸田文雄文部科学大臣 松野博一厚生大臣 塩崎恭久農林水産大臣 山本有二経済産業大臣 世耕弘成国土交通大臣 石井啓一環境大臣 山本公一防衛大臣 稲田朋美内閣官房長官 菅義偉復興大臣 吉野正芳国家公安委員会委員長 松本純内閣府特命大臣 鶴保庸介内閣府特命大臣 石原伸晃内閣府特命大臣 加藤勝信内閣府特命大臣 山本幸三東京オリンピック・パラリンピック競技大会担当 丸川珠代内閣官房副長官 萩生田光一内閣官房副長官 野上浩太郎内閣官房副長官 杉田和博内閣法制局長官 横畠裕介
May 3, 2017
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午後から作品制作。 ニコール・キッドマン主演、オリヴィエ・ダアン監督の映画「グレース・オブ・モナコ」に、次のようなセリフがあった。書き留めておこう。「独裁者の立場は国民の意識が高くなれば崩壊する」 これが真実であるならば、独裁者は低劣な人達によって支えられていると言い換えることができよう。なんなら、独裁者という言葉を、いま世界に誇るべき平和憲法を改悪しようと企む日本国現首相と言い換えてみようか。
May 2, 2017
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昼過ぎ、雷雨。私はたまたま外出中で傘も持たずに歩いていた。濡れはしたが、小雨程度、雷鳴だけがやけに大きい。 夕方、雨はあがった。知人が亡くなり弔問にでかけた。急逝だった。心の準備ができていなかった遺族を思うと、私も呆然とする。
May 1, 2017
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