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「8時だヨ!全員集合」展が東京・杉並区の区立郷土博物館で開催されている(12月10日まで。月曜休館)。 これを伝える朝日新聞デジタル版が、「情報提供求む!!切実な理由」とタイトルにしているので、何事かと思い読んでみた。そして、ちょっと驚いた。 1969年10月4日の第一回放送から16年間、長寿・高視聴率のおばけ番組といわれ、803回放送されたそうだ。いわゆるライブ・パフォーマンスの公開収録が注目された。まだヴィデオが一般的でなかった時代で、おそらくTV局においてもヴィデオ・テープは高価なものだったのではあるまいか。収録は文京公会堂においてだったと記憶している。ところが1970年8月8日の分は、唯一、旧杉並公会堂からの公開収録だったという。私が驚いたのは、そのことだ。というのも、私はその旧杉並公会堂の公開収録を会場に居て観ていたからである。 当時、私は公会堂の近所に住んでいた。すでに大学は卒業していたが、アルバイトをしながらイラストレーターになろうと絵の勉強を始めていた。ある日、つまり8月8日、通りを歩いていると「8時だヨ!全員集合 公開収録」のポスターが目に入った。ポスターを見た途端に、私の好奇心がムクムクと頭をもたげた。公開収録とはどんなふうに行われるのか見てみよう! 子供たちが賑やかに列して会場に入る後ろに、私は恥ずかしげもなく並び、公会堂の座席に座ったのだった。拍手の練習やら、ドリフターズ(志村けんさんは、まだメンバーではなかった)のリハーサル等が進み、本番。 朝日新聞デジタル版の「情報提供求む!!切実な理由」という意味は、やはりヴィデオ・テープが高価で使い回しをしていたので、この旧杉並公会堂の公開収録に関してほとんど資料が存在しない。展覧会の企画者は、もし、この公開収録を観ていた人は、コントの内容等の思い出を知らせてほしい、というのである。 さーて。私はたしかに観客の一人だった。 私のこのブログの先月26日の日記に、民生委員合唱団「かしの木」の今後のスケジュールについて書き、そこに来年3月に杉並公会堂に出演することを書いた。50年ぶりに訪ねることになり、懐かしい、と。----じつは、その懐かしさとは、「8時だヨ!全員集合」のたまたま遭遇しての公開収録現場を見たことをさしていた。 しかし、記憶力には自信がある私だが、名にしおう「8時だヨ!全員集合」も、その場で子供たちと一緒に大笑いして、25歳の男の記憶の頭陀袋に入れるのを忘れてしまったらしい。階段状になった客席の後方に座り、そこからの眺めは視覚的記憶として思い出すのだが、コントの内容を説明するとなると----ああ、まったくダメだなー。覚えていれば、情報提供するにやぶさかではないけれど---- まあ、しかし、803回のうちの唯一の会場となった公開収録を見たのだったか! と、驚きながら初めて知ったのだった。47前のことだ。
Nov 30, 2017
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きょうは何だかやたらと動き回っていた。高齢者を訪問したり、市へ連絡書類を郵送したり、猫達の食糧を買いに出、あるいはクリスマス.コンサートで歌わせてもらう曲の楽譜を買いに出たり、それをチェンさん宅へ届けたり、画商からの電話を受けて次作のキャンヴァスを用意したり----別にたいしたことをしてもいないのに、動いた距離は長い。 それはそうと、この楽天ブログのスタッフから重要なお知らせだと言って、旧PC管理画面の提供を来年4月をもって終了するとあった。ということは、私のブログもその次点で終了ということか。 というのは、去る8月30日頃までスタッフ言うところの「新画面」からブログを記述していたのだが、突然、その画面の日記記述面がマウスに反応しなくなったのだ。タイトル面やその他は反応するのに、肝腎の「本文画面」がまったく反応しない。そこで楽天スタッフに問い合わせたところ、幾つかの試行方法を指示してきた。しかし、それもすべてダメ。仕方がないので、旧PC管理画面からブログを書いて来た。いま、まさにこの日記も、旧画面を使用している。----それが提供されないとすると、私のブログもホームページもそれまでということになるわけだ。 今後のことを考えなければならないだろうか? すべての記事と画像の引っ越し。あるいは、DVDに焼き付ける? たいへんだな----
Nov 29, 2017
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きょうは、12月3日(日)に開催する「歳末たすけあいバザー」の準備。市民から寄付された沢山の品物を仕分け。明日も、民生委員のメンバーを交替して、準備はつづく。 開催日には、毎年、大勢の市民が来て買い物をしてくださった。売上金はすべて社会福祉協議会に寄付され、福祉事業に役立ててもらいました。今年も市民のみなさんのお買い上げを期待しています。一般商店やスーパーマーケット流に言えば、「激安! お買い得品満載!」は、まちがいありません。 日時:12月3日(日)10時〜 場所:日野市中央福祉センター (日野市日野本町7丁目5番地の23 )
Nov 28, 2017
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会津若松市の旧友・Eさんから「会津みしらず柿」の贈り物。みごとな柿である。 御礼の電話をと思ったところへ、Eさんの方から先に電話が入った。 「どうもありがとう。みごとな柿!」 「みごとでしょう? きのう近所の果物屋さんの前を通ったら、会津の私でも驚くような柿が目に飛び込んで来たの。すぐに、これはヤマダに送らなきゃ、と思ったわけ」 「それは恐縮だなー。懐かしかったし、あまりのみごとさに、びっくり。ほんとうに、ありがとう」 というわけで、朝っぱらから何やかにやの話題で長電話。笑ってしまったのは、「ヤマダ君は"断捨離" は、しないほうがいいよ。絵も本もそのまま残して死になさい。まあ、捨てるのは下着くらいにして---」 「ははは、パンツだけ捨てるわけだね」 「それと靴下。私も何も整理しない。私、水泳やっているでしょ?」 「まだつづけていると言っていたね」 「そう、元気に泳いでいる。三途の川をクロールで泳ぎ切ろうと思っているんだ」 「はは、いいね、それ!」 「で、子供に言っておいたの。私の棺にスイムスーツとゴーグル入れるのを忘れないで、って」 「ますます、いいねー」 まあ、こんなバカっ話をしたのだった。実際、私は作品の始末と本の始末については、日頃、ちょくちょく考えはする。所蔵本の中には相当貴重なものがある。れっきとした古書店でも見つけられないかもしれない本だ。それらを、しかし、死ぬ前に片をつける気持にはなれない。 つまり悟ってもいなければ、慾もあり、執念もあり、枯れてもいない。元気に年をとるのはいいが、そういう欲望----若いときの欲望とはちがうにしても---が、依然としてあるのが、ちょいと困る。だからといって、宗教的な修行などという---当人の思い込みに反して、真相は所詮、骨の髄からナルシスティックに自分のことばかりにとらわれている---バカな真似を、私がするはずはないのだ。要するに、私は、まったく枯れずに、生々しいままで死にたいわけである。Eさんのようにクロールで三途の川を泳ぎ切りたいのである。Eさん、良いことを言ったなー!
Nov 27, 2017
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朝、晩秋恒例の市内一斉清掃。 11時30分から12時30分まで、日野市に新しくできた「ひの社会教育センター」の小ホールのこけら落としに、民生委員合唱団「かしの木」が招かれ、公開練習という感じで普段着のコンサート。 財津和夫さん作詞・作曲『切手のないおくりもの」、新沼健治さん作詞・作曲「ふるさとは今もかわらず」、吉川安一作詞・普久原恒勇作曲・後藤寿美編曲「芭蕉布」、武満徹作詞・作曲『小さな空」合唱バージョン、ドイツ民謡「故郷を離るる歌」、三木露風作詞・山田耕筰作曲「赤とんぼ」、中村雨紅作詞・草川信作曲「夕焼け小焼け」---の7曲を披露した。 メゾソプラノ歌手のチェン・シ(陳曦)さんからクリスマス・コンサートの案内がとどいた。手紙がそえられていて、是非私に歌ってくれ、連絡を待っている、とあった。 どうしよう----。まだ迷っている。プロのピアニストの伴奏での独唱は、とっても心惹かれるけれど----。チェンさんは、どんなふうに考えていられるのだろう、私というアマチュアに対して。 追記; 19時30分、チェンさんに電話。歌わせてもらうことにした。2曲。チャールス・C・コンヴァース作曲・杉谷代水訳詞「星の界(よ)」、サトウハチロー作詞・古関裕而作曲「長崎の鐘」。 後日、楽譜を届けることに。また、ピアニストとの打ち合わせの機会もつくってくれるとのこと。ありがたい。 ----数年前、私が地域の方々と一緒に歌ったのをチェンさんは聴いていて、そのとき声をかけたかったけれど、まだ知り合ってもいなかったので勇気がなかったのだそうだ。そうでしたか、そういうことでしたか。
Nov 26, 2017
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私は16歳から長年、毎日ほぼ3食を自分で調理してきたことは、このブログに何度も書いた。さらに5年前、2012年7月以来、口に入れた食い物・飲み物を日記として記録していることも書いた。 きっかけは、母が亡くなる直前、ほぼ4年間在宅看護に従事してきた私の様子を見た母の主治医が、訪問医療のついでに、「ちょっとお兄さんを診てみましょう」と診察してくださった。たぶん外見的に気にかかるところがあったのだろう。そして、その結果、「高血圧症と糖尿病の予備軍になっています」と宣言した。 意外ではなかった。母の24時間の気が抜けない看護生活に入ってしばらくして、この調子では私自身が精神的には強靭でも、体力的につづかないかもしれないと思った。それで、とにかく食べなければダメだと思い、良く食べた。しかしまったく外出ができなかった。1週間に一度、大急ぎで1時間ばかり、1週間分の食糧や介護用品その他の買い物に出るのが関の山だった。つまり、運動不足であることは明らか。それで食べるのだから、高血圧症にも糖尿病にもなって当然だろう。 母の主治医に指摘されて、私は即座に調理法を変え、毎日の食事記録をとることにした。じつは、そうさせるもうひとつの機縁があった。作家・池波正太郎氏の「残りあと何日の食事」という言葉である。美食家で知られる池波氏だが、その言葉は私の意表を衝いた。おもしろいことを考える方だなー、と。そして、なるほど、食べなきゃ死んじゃうわけで、生きるために食うのか、食うために生きるのかは、哲学的にはややっこしい。しかも美食家を自認していれば、なおさらだ。しかし、その哲学談義は措いて、私も一日一日の食事を記録してみよう! 死ぬまで記録したら、もっと自分自身が分かるのではないか? 赤ん坊のころからやっていないのが、ここに来て痛恨の極み! これが書かれていれば、私という人間が一生の間に何を食って生きていたか、明らかになったであろうに! おそらくそんな記録は、世界広しといえども、皆無ではあるまいか? ---というわけで、もう5年間、欠かさず記録している。そしてである、異常と思われるかもしれないが、私の徹底ぶりは、じつは年に2度、つまりほぼ6ヵ月毎に血液検査をしてもらっている。その結果を主治医に解析してもらい、調理法のみならず何を食べるべきかを判断しているのである。悪玉善玉のコレステロールのバランス、すなわち脂質に関する問題、あるいは糖質の適正値を出すために如何にするか。炭水化物の制限か? しかし炭水化物と一口に言っても、米、麺、パン、粉物、薩摩藷やじゃがいもや牛蒡、人参などの根菜類、玉蜀黍も南瓜も、果物もありで、これらを止めていたら栄養バランスが崩れて元も子もなくなる。さて、3食のメニューをどう作るか。 私はこれがおもしろいのだ。なんでも遊びにして楽しんでしまう質だが、自分の健康問題も遊び感覚だ。それでいながら、私の気質を充足させる、科学性、分析性、という理論面だけではない味覚という感覚性、料理の出来栄えとしての色感や美観も、この遊びにはそなわっている。 長々と書いたが、じつは今日、その血液検査の結果を聴きにクリニックに行って来た。 タンパク質(栄養状態)OK。肝機能OK。脂質OK(HDL対LDL比、1対2)。腎機能OK。血糖値OK。貧血無し。 已然として良くコントロールされているとの所見。 ただ欲を言えば、善玉コレステロール値(HDL)がもう少し上がってもよい。が、しかし医者にとってはここがポイントで、悪玉コレステロール値(LDL)を下げると、これがいわば細胞を周囲から支えているので、支えを取ってしまうことになり、細胞破壊につながる。コレステロール薬はLDLを下げることはできるが、HDLを上げることはできない。---したがって、私(ヤマダ)の場合は、無理に脂質を制限しようと考えない方がよかろう。いまのコントロールで充分、とのこと。 ウウーン、なるほど、なるほど。 次の血液検査は来年の5月か6月頃だ。さて、どうなって行くことやら。 そして、今夜は、何を食おうか。
Nov 24, 2017
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従姉が電話をかけてきて、久しぶりに会って食事をしようと言う。弟夫婦や、近在の親戚じゅうに連絡し、スケジュールをすりあわせてくれた。元気そうだ。 夕方6時過ぎ、夜が降りるころを見計らって、高幡不動尊の萬燈會に行って来た。商店街では「もみじ灯路」と称しているが、参道も境内もそれこそ万の蠟燭灯籠がならべられ、参道の商店は店の看板を特性の灯籠に代え、あるいは店先にわざと紅葉を散らした演出。境内の五重塔を見上げれば各階の回廊は軒下にたくさんの提灯。その水煙の彼方、まるで寄り添うように上弦の五日月。みごとに絵はがき的な日本風景が現出している。プロ・アマ問わず写真家たちがおちこちに陣取っている。おやおや、お坊さんもスマートフォンで撮影している! なるほど現代の僧侶だわい。おもしろい光景だ。 というわけで、私は人ごみを縫って1時間ばかり境内を散策した。
Nov 23, 2017
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冷え込む。我家の近辺は今日も8℃。おまけに小雨だ。しかし私の仕事場は暖房を消している。制作に揮発性の油を使用しているからだ。慣れっこといえば慣れっこだが、やっぱり寒さは身にしみる。 ごく小さなサイズの作品の下絵をつくった。小さいけれどもイメージは込入っている。完成までに時間がかかりそうだ。 ところで、過日、私が定期的に健康診断してもらっているクリニックの院長で私の主治医が、私の方に身をのりだすようにして私の元気の「秘密」を探るべくいろいろ質問してきた。秘密なんて何にもないのだけれど---。 「旺盛な好奇心かなー?」と、おっしゃる。 「そうですね、何にでも好奇心がはたらくのは事実です。ある方が、私を器用貧乏と言いましたが」 「それは言葉の使い方をまちがえてるなー」 「ハハハ、貧乏なところは当たっています」 院長は高齢者医療が半ば専門なので、72歳もすでに73に近い私の活力が維持されていて、検診を受けに来てもちっとも患者らしくなく機嫌良く笑っているので、他の本当の患者に応用できることがあるのではないか、と---そんなふうには口に出さないが---考えていられるかもしれない。 院長はかなりの読書家で、また芸術愛好家である。しかし、どうも先生のある抜きがたいイメージとして、芸術家はどこかしら「破滅型」人間だと思っていられるかもしれない。「山田さんは、破滅型ではないでしょう?」と言う。 「まったく違います。自分で言うのもナンですが、きわめて理性的で、科学的で、つまり分析的だと思います」 「そのようです。何なんだろう、創造の源泉は?」 「さあ、何なんでしょう。私自身であることでしょうねー。徹底的な自己解剖の結果、とりつくろえない、非論理的な矛盾をかかえていることが分かりました。しかし、それゆえにこそ精神は肥沃であると。私の絵は写生画ではありません」 「そうですね。頭のなかに存在するイメージ」 「幻想画と言われていますが、じつは、幻想ではありません。私自身の解剖図です。」 院長先生には言わなかったが、先生が「好奇心」と指摘したことは、ほとんど当たっているけれども、どのように好奇心をはたらかせているかという点に、じつは私の方法論というか独自性がある。 それを私の思想といってもよい。私は人間にしか興味がない。しかしそれは単なる「個人」ではない。個人が「普遍」になりうる機縁に私の神経のアンテナが振れるのだ。その機縁をもとめるのが私の好奇心なのだ。 だが、これはもう、他の人に応用が利くことではない。意識を超越した、習い性なのだから。私の好奇心は職人仕事と同じ。そして、あらゆる文化的価値を疑ってみる、何と言うか、「反骨精神」に起因するかもしれない。 つまり、---ハハハ、院長先生、リタイアなんて考えている人に、私の元気は通用しないと思いますよ!
Nov 22, 2017
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想像を絶することではあるが、このニュースを見聞して、いささか粛々として瞑想気分になった。7時間周期で自転しながら、秒速38kmで宇宙空間を何億年も旅してきた太陽系外小惑星についてNASAが発表した。 長さおよそ400m、幅はその10分の1、葉巻型をしている。宇宙観測史上はじめての形状だという。 その特異な形状が注目されているが、私が粛々とした気分になったのは、太陽系外から何億年も飛行してこの我らが太陽系にやってきたということ。宇宙巨人の捨てた葉巻を童話のように想像することもできようが、私は「何億年も宇宙空間を旅している」事実に、テもなく感動した。 自分自身を「宇宙の塵」と想うことは、私にはできないが、「私は何者?」と思わないではいられない。 地球が誕生したのは45億年前。現在、宇宙物理学者のホーキング博士が、早々に地球から他の惑星への移住を考えるべきだと警告的提言をしていられる。地球の消滅は迫っている、と。人類が生き続けることを望むならば。人類だけでその生を永続させることができるかどうかはともかくも。 人類は、わずか100数十年の間に、自分で自分の首を絞めるように、地球の寿命を縮めてきたのだ。星(地球)の崩壊は、廃墟を復元するようには、元に戻すことができない。壊れかかった地球を復旧することはできないのである。そこにホーキング博士の移住提言はもとづいている。 何億年も飛行して我らの太陽系にやってきた葉巻型惑星は、現在、火星の軌道の外側を通過中である。まもなく土星軌道に近づき、やがて太陽系を離れる。どこに行くのだろう? 戦場に飛び交う敵・味方の大砲の弾にひょいひょい乗り移った「ほらふき男爵」のように、私は宇宙巨人の捨てた葉巻にしがみついて、夢想の彼方へ飛行する。永訣のときである。
Nov 21, 2017
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東京は12月中旬の気温だそうである。8℃だったから、たしかに寒い一日だった。 きのうは自転車で遠出をして、ついでに本屋に立ち寄り3冊購入した。未読の本が14,5冊溜ってしまった。というわけで今日は、ほぼ一日、読書で過ごした。 先日、東京薬科大学の大学祭の古本市で小林勇著『蝸牛庵訪問記』を買い、中谷宇吉郎博士の『随筆選集』全3巻も買った。その『蝸牛庵訪問記』のなかで蝸牛庵こと幸田露伴が小林勇に、「中谷宇吉郎氏の雪の随筆がおもしろい」と言っているので、私はびっくりした。私が博士の『随筆選集』を買ったのは、たまたま見つけたからで、露伴が言及しているとは知らなかった。 読書はこういうネットを発見し、自らも参画して探書しながら知の繋がりを編んでゆくことにも、楽しみがあるのだと、中・高校生諸君には話しておきたいなー。
Nov 20, 2017
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我家の近所というのではない。自転車で遠出をすると、その家が通り道にある。 晩秋の気持よく晴れた空の下、自転車を駆ってその家の前まで来ると、おばあちゃんやお母さんや子供たち一家総出で、街路に面したサーモンピンクに塗装した丈低いブロック塀や、その上に植え込まれた鉄柵を掃除していた。男の子は歯ブラシを使って、鉄柵の隅にたまった塵埃を一心不乱に洗い落している。 私は、あっそうか! と思った。 じつはこのお宅は、クリスマス近くなると華やかなイルミネーションに彩られるのである。私が最初に見たのはもう15、6年前だ。男の子はまだ生まれていなかったはず。以来、ご一家は毎年少しずつ豆電球の飾りを増やしているようだった。数年前には、門や塀や玄関先まで満艦飾となった。 しかし、その準備のために一家総出で、まず家周りの大掃除をし、水洗いしている現場に出会ったのは、今日が初めてだ。そして私は、思った。なんと気持のいい御一家だろう! 遠からず私はまた遠出してこの家のそばを自転車で通るだろう。そのときはクリスマス・イルミネーションが、銀河のようにまたたいているにちがいない。
Nov 19, 2017
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年末に向かって次々と民生委員・児童委員としての行事がつづく。きょうは午前中いっぱい、統廃合した小学校の新しく出発して10周年の記念式典に出席し、また、その前に1時間半ほど公開学習発表会を参観。 1年生から6年生までのすべての発表を見せてもらった。コンピューターやパワー・ポイントを活用しての学習は、まさに現代の子供たちの勉強方法。この小学校は、IT教育のモデル校なのである。 しかし、私が感心するのは、一方で農業体験教育を実施していて、地域の農業者の指導を得て学校菜園で稲作や薩摩藷・胡瓜をつくっているのだ。もちろん収穫作物は給食に利用している。さらに付け加えれば、この小学校の給食は地場産食材を使って、工夫に富んだメニューでとてもおいしい。文部科学省から表彰されている。 じつは私も以前、校長先生・副校長先生のご相伴で「七夕給食」を頂戴したことがあるのだ。私は高校生の頃から始まって現在まで自分の食事を調理しているので、「男の料理」などとカッコ付では言えない長い経験を積んで来ている。ことさらグルメなどとは決して言わないが(みっともないしねッ)、亡母が生前、「わたしは御飯がおいしいから幸せ!」と言っていたのは、私に料理をやらせて自分は食べることだけに徹する魂胆だったわけでは、まんざらないのだ。味には自信があるのである。 そんな私が、この小学校の給食を食べさせてもらって、「ホーッ!」と感心した。味に濃淡の偏りが無く、健康的に中庸で、しかし深みがあったのだから、これは感心せざるを得ない。このとき栄養士さんもご挨拶くださったが、子供のための給食をつくりたくて、それが夢だったとおっしゃった。そして食材はすべて自分が発注している、と。私はこれにも感心してしまった。この人あって、この給食だ、と。 コンピューターを日常的に駆使する子供たちが、農業を通して自然相手に自分の身体生命を育むことがどういうことかを学んでいるのだ。私はそう思った。いいじゃないか、とっても。
Nov 18, 2017
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一ヶ月前の10月17日のブログ日記に「レオナルド・ダ・ヴィンチの絵が売りに出ている」と書いた『サルヴァドル・ムンディ(世界の救世主)』が、11月15日、ニューヨーク・クリスティーズのオークションに出品され、美術品としては史上最高額の4億5030万ドル(約510億円)で落札されたそうだ。16日のCNNが報じた。落札者は明らかにされていない。美術館ではないことは間違いない。 この作品は一時行方不明となり、1958年に突如オークションに現れたときは複製とみなされ、わずか45ポンドという捨て値で落札された。以後、個人所有の履歴がつづくことになった。レオナルド作品の個人所有は大変めずらしい。現存するレオナルドの数少ないタブロー作品のなかで、1500年頃にフランス国王ルイ12世に依頼されたことが分かっている、制作経緯の明瞭な作品である。 私は、前の日記で指摘したが、レオナルド作品としては異例とも言うべき主題である。あるいは、ルイ12世は制作を依頼するに当たって主題を指定したのかもしれない。そういうことは近代以前はごく普通のことというよりも、むしろ画家たちは依頼主の希望する主題を制作することが多かったのである。それゆえ、教会から依頼された宗教画は、主題のみならず「教義」に合致していない作品ができあがった場合、受取りを拒否され、むろん代金支払いも拒絶されたのだった。訴訟を起こしたところで勝つ見込みは皆無。画家は泣き寝入りするしかなかったのである。 レオナルド・ダ・ヴィンチの伝記を調べていると、作品がめでたく依頼主の手にわたったことは、絵のみならず彫刻も含めて、あまり多くはなかったのではあるまいかと思える。理由は、むしろレオナルド側に多くあったようだ。約束期限が来ても完成しなかったり、制作過程における不慮の失敗であったり(壁画の絵具が流れ出してしまったことがある)、イメージが壮大過ぎて工房の技術が追いつかなかったり---。 であるから、『サルヴァドル・ムンディ』が、ちゃんと依頼主ルイ12世に引き渡されたことは、むしろ特筆にあたいすることかもしれない。私たちには意外ではあっても。 落札額510億円は、驚きの金額なのか、それとも驚くことはない当然の金額なのか。----私には、そこらへんは分からない。
Nov 17, 2017
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きょうは日野市民生・児童委員合唱団「かしの木」の本番ステージ。チャリティー・コンサートではなく、「第71回 東京都民生委員・児童委員大会」においての式典にともなう披露である。 感動して涙をぬぐっていられた方もいらした、と事後報告があったが、ほんとうかしら? それはともかく、まあまあの出来だったかもしれない。 帰りのバスの中で、会場の客席でタブレットで撮影録音してくれたという画像を見せてもらった。都庁のスタッフが曲にあわせてホリゾント・エフェクトを演出してくれていて、歌っている我々にはもちろん見えなかったのだが、大ホールでのそのような演出は我々合唱団としては初めてだったので、とても嬉しかった。じつは、私は自分たちの合唱の本番の録音を聴くのも初めて。自分が歌っていて、どんなふうに観客に聴こえているのか、まるで見当がつかなかった。タブレットで初めて聴いて、ああそうだったのかと、ヘンな納得をしたのだった。 告白すると、私は直前リハーサルのときもじつはヒッチャカメッチャカで、歌詞はまちがうは、途中で忘れて「うにゃうにゃめろめろ」なんて口ずさむは、----「このぐらい、滅茶苦茶やって笑いとばしていれば、もう大丈夫!」なんて、勝手なことをほざいていたわけ。でもね、本番で、完璧とはいかないまでも、ちゃんとやりました。なんという度胸でしょう! 年寄のずうずうしさでしょうかねー、-----。
Nov 16, 2017
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《拝啓アメリカ; あなたは、かつてのドイツがそうであったように、国民の三分の一が見守っているあいだに、あなたの国民の三分の一が他の三分の一を殺すかもしれない、ということをよみがえらせています。 ヴェルナー・ツヴェルソグ》 【注】ヴェルナー・ツヴェルソグ(Werner Twertzog)は、ドイツの脚本家・映画監督であり作家であるヴェルナー・ヘルソグ氏(Weruner Hertzog ; b.1942~) のツイッターにおける変名。掲載画像はそのツイッターからの再掲載です。日本語訳は私、山田。ヴェルナー・ヘルソグ氏は、「タイム」誌が、2009年、世界で最も影響力がある100人に選んでいる。 上記の言葉を、私は次のように書き換えてみる。『拝啓 日本国民のみなさま; わたしたちは、かつての日本がそうであったように、日本国民の三分の一がただ黙って見ているあいだに、日本国民の三分の一が他の三分の一の日本国民を殺すかもしれないことに、気がついているのでしょうか。 山田維史』
Nov 14, 2017
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今日は市から依頼されていた高齢者等を訪問。一応全員を訪ねたけれども、必ずしもお会いできたわけではない。半数以上が不在だ。2度3度訪ねてもお留守という方もあって、お元気で外出されているなら心配はないのだが、とにかく様子がわかるまで私としては安心できない。 高齢者であっても(私もその一人であるが)、お訪ねした中にはシルバー人材センターで活躍している方もあれば、福祉活動としてホスピスで最期を迎えられる方を看取っていられる方もある。そういう方々にお目にかかるのは、私としては嬉しいし、ご立派なことと敬意を抱く。そして、「お互いに元気で活動しましょう!」と言って別れるのである。 今日は、私の顔と名前を見て、「アッ、画家さんですね!」と言われた。私の作品を知っていられるのだと言う。「ありがとう存じます。じつは、きょうは市からの依頼で伺いました」と。----まあ、ありがたいことに、以後は打ち解けてお話を聞けるのではあった。
Nov 13, 2017
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ホホーッ!アッハッハハ! CNNがおもしろいニュースを伝えている。アメリカはカンザスシティーのネルソン・アトキンス美術館が所蔵するヴァン・ゴッホの1889年の作品『オリーブの木々(別名;オリーブの園 ー山田註)』に、昆虫の「バッタ」が塗り込められていることが初めて分かったという。修復のために事前の精密な画面観察をしていて発見したのだとか。 CNNはその写真を掲載している。私が所蔵するゴッホの全作品画集に、もちろんその作品は掲載されているのだが、残念ながらこのブログに掲載することはできまい。73×93cmの作品である。日本のキャンヴァス・サイズで言うとおよそ30号である。 美術館が言うには、観客がバッタを探そうとその絵を見ても、見つけるのは難しいそうだ。 一般の方でも美術ファンならば、ゴッホが野外で怒濤のような激しさで描いたという逸話は衆知だろう。この「バッタ」も、おそらくそんな野外制作の最中にでも、風にまぎれて塗り立ての濡れた絵具のキャンヴァスに張り付いたのであろう。 この作品を描いた1889年、ゴッホはなぜかオリーブの木を数多く描いている。そして翌1890年の7月27日にピストルで自らを撃ち、その銃弾が摘出できずに29日に死亡した【後註】。7ヶ月間に、私が数えたところ112点の作品を描いている。死亡した7月は25点である。 数年前、荒俣宏氏と対談したおりに、ゴッホについても話し合った。ゴッホの現物をご覧になった方は気がつかれたかもしれないが、彼の作品は130年後の現在も、絵具の状態がたったいま描かれたように輝いている。彼は狂っていたとか何とかいろいろ説があるが、画家としては油彩材料学の見地からは、まったく狂いがみられないのである。油彩化(科)学の理に適った、みごとに絵具が統御されているのである。自殺した月の25,6日間に25点の作品を描いていることを知れば、その絵具統御力は驚異的ですらある。 「バッタ」が塗り込められていたからといって、狂気のままに滅茶苦茶筆を揮っていたわけではない、と、私は言っておこう。【註】ゴッホがピストルをどこから、どのように入手したかは、現在も謎と言われている。自殺を試みる4日前、彼はパリの弟に絵具を注文している。27日、彼は夕方になって外出した。帰って来て、自分の部屋に上がってゆく彼を見たラブー夫妻は、ゴッホが傷を負っているのに気がついた。夫妻はすぐに村のマズリー医師とガシェ博士に連絡した。ゴッホは二人にピストルで胸を撃ったと告白した。銃弾は摘出できなかった。二人の医師は包帯をした。ガシェ博士が手紙を書いて弟テオに報せた。翌日、テオが駆けつけたとき、ゴッホはベッドに横たわってパイプを吹かしていた。そして弟に見守られながら29日に死亡した。【追記】2019年4月5日のC N Nが、ゴッホが自殺に使用したとみられるピストルが同年6月にパリで競売に出品されると報じた。このピストルは口径7㍉のリヴォルヴァーで、ある農家が農地で発見して保存していたのだが、1965年に現在の所有者に譲渡した。その所有者が今回、競売に出品するというのである。 C N Nは写真も掲載していた。銃把(グリップ)のおそらく木製だったと思われる部分は失われ、撃鉄バネがむき出しになり、銃全体が厚く錆に覆われ、腐食も激しい。弾倉軸は上方に銃身に引っかかるほどひん曲がっている。用心鉄がない構造である。1850年代のルフォウショー製であろうか?
Nov 12, 2017
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さわやかな秋晴れ。日野市産業まつり。さまざまな地場産業の紹介ブースに市民が親子連れでやって来て大盛況。民生・児童委員もブースを設け、私は午前中9時から12時半までを担当し、来場者にPR活動。
Nov 12, 2017
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《 わたしは、若者が死ぬ戦争を希求する年寄連中の話には、飽き飽きしている。 ジョージ・マクガヴァン》 (日本語訳;山田維史)The excellent photo with a message from web ; If your photo is here and you want it to be removed, let me know and it will be removed immediately.【注】ジョージ・マクガヴァン氏(1922-2012)は、アメリカ合衆国連邦下院・上院議員、大統領特別顧問、飢餓問題国際連合大使等を歴任。
Nov 11, 2017
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喪中葉書が届く時季である。ことしも何人かの友人を亡くした。きょう頂戴した一通も私を驚かせた。 わたしが高校生、彼も学校は別であったが2年先輩の高校生。共に町の劇団に所属する芝居仲間だった。彫の深い日本人離れした顔は、10年前に何十年ぶりかで会ったときも変わっていなかった。幸福そうなジイちゃんになって、地元であいかわらず元気で舞台に立っていた。去る5月にも舞台に立ったようで、元気で活躍していることを遠くから喜んでいたのだった。 奥様からの葉書はちょっと要領を得なかったので、ご本人に尋ねるのも気が引けて、やはり同じ劇団の仲間だった後輩に電話を入れた。しかし時間を違えて3回かけてみたが、留守らしくつながらなかった。 それで、これまた故人とは同年齢のただし学校は女子校で、ただひとり現在も私と電話で近況等を長話するEさんに電話した。 私はいつも名のりながら頭の中で、「いま電話に出ているのは誰だろう?」と迷うのだが、お嬢さんだか本人だか分からない若い声なのだ。一瞬、私の名のりが躓いたとき、「ただみクン?」と相手が言った。 「なんでそんなに声が若いの!」と、私はまるで詰問するように言った。「声だけよ。ほかは見る影も無いワ!」 ところが、この電話、Eさんは驚くようなことを言ったのだ。 じつは以前の電話で目の手術をすると言っていたので、そのことを問うと、「目じゃなくて、ガンの手術をしたの!」 「ガンって、誰が?」 「私よ---」 「何言ってんの? 前に何も教えてくれなかったじゃないの」 「だって、私自身が全然気付かなかったんだもの。目の手術をすることになったT病院、ただみクンもしっているでしょう? 予診してもらったら、「ガン」だって言われたの。すぐ手術だって言うのよ。その日が、目の手術の日と同じだったのよ。それで先生に言ったのよ。そしたら、『命にかかわることと、目と、どっちが大事なんですか』って言うから、私思わず『目です』と言っちゃったの。そしたら『すぐガンの手術!』---そういうわけだったの」 「それで、手術して、いま、どうなんですか」 「手術前までは、いまになって気がついたんだけど、みるみる痩せてきて、ゲッソリしていたの。全部剔出して、2ヶ月入院して、そしたら回復して来て、いま、43キロ。元気なのよ。水泳もしていいって----」 「よかった、よかった。本当に、よかった。何だか涙が出ちゃったよ」 「どうしてよ」 「よかったからだよ!」 結局、故人については不得要領のままになっている。奥様としてはまだ他人に触れられたくないかもしれない。そう思うことにする。 点鬼簿に指折りかぞえる秋の暮れ 青穹
Nov 10, 2017
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夕方から合唱練習。文京シビックホール(座席数1802名)での本番を来週にひかえた最後の練習。和気あいあいながら、全員がなんとなく昂揚している。それが良い方に出ているらしく、毒舌家の先生も、「きょうは包み込むようないい響きをしている!」と言われた。ウフフである。4曲連続して歌うが、すべて曲調がちがいリズムがちがう。気分の切替えは歌っていて楽しいのだが、うまく素早く切り替えなければ、プログラムのおもしろさが失われてしまうだろう。これも音楽を造形するおもしろさである。
Nov 9, 2017
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朝、雨が降っていたので外出を予定していたのだが、雨具を持って行くのが億劫になり、止めてしまった。それで「晴耕雨読」の「耕」は無縁ながらほぼ終日「雨読」となった。 1冊読了し、ちょっと画像資料をならべて見ていたら、「あれッ?」と注意を引かれることがあった。 長い間まったく気にも止めなかったことだ。いや、むしろ児戯にひとしいイメージとして収集から排除すらしていたのだが、巧拙とりまぜて作者も違うのに非常に似たイメージ(それも、かなり特殊な)があることに気がついたのだ。「なぜだろう?」 この特殊なイメージは、欧米文化の中の識域下にある私がいままで知らなかった「何事か」だろうか? ----もしかしたら新しく研究に着手しなければならない問題かもしれない。そう思って、コンピューターの中に新たなファイルを設け、それに該当するイメージを収集することにした。どのくらい集めることができるか、何年かかるか分からない。論が立てられかどうかも分からないが、ともかく証拠をあつめなければお話にならない。 それから、合唱団の本番で歌う曲の楽譜をおさらいした。 先々月のこと、先生が男声パートだけを歌わせてから、「なんだか、ヘンにハモっている!」と首をかしげられた。それからご自分で短いフレーズをアカペラで歌ってみせ、再び我々が歌うと、「今度はちゃんとできている---」と言われた。 私はその日、帰宅してから楽譜を開き、自分も口ずさんでみた。「あちゃー!」であった。犯人は私だった! 正しい音程より3度低く覚えていたのだ。つまりそのパートに入る前まではユニゾン(ソプラノもアルトも男声のテノールも同じ音程)なのだが、そこにきて男声だけが数小節だけ低音部になる。そして再びユニゾンになる。----どうやら、私は、低音部に入る第1音を意識するあまり正しい音程よりさらに低く3度下げてしまっていたらしい。自分では暗譜したつもりで、練習のときも楽譜を手放していたのであった。 こういうオッチョコチョイは、以前もやっていて、本番で歌うのを止めてしまったことがある。僅か1小節だけだったが、合唱だからごまかせたものの、私ひとりが最前列で歌うのを止めてしまったのだ。ドイツ歌曲の『故郷を離れる歌』のときである。最終部分に「さらば故郷、さらば故郷、故郷さらば」をリフレインで2度繰り返すのだが、私はリフレインせず最初のフレーズだけで、ぴたりと止めてしまった。言い訳がましいが、本当に「さらば」という気持になってしまったのである。止めた途端に隣のH氏やT氏の声に「はッ!」と我に返って、1小節抜かして「---- さらば故郷 故郷さらば」と、なにくわぬ顔で歌い終わった。 ステージ袖に引き上げながら、「歌うのを止めてしまいました、すみません」と男性諸氏に小声で言うと、「びっくりしました。我々が間違ったかと思いました」とT氏が言った。
Nov 8, 2017
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腰の痛みも、休養と、山越えして東京薬科大学へ行ったり、市から依頼されていた高齢者訪問に歩き回り動き回って、どうやら消えつつある。合唱団「かしの木」の本番ステージが来週に迫り、脚をひきずり腰が曲がったままでは歌えない。明後日の最後の練習も出席できそうだ。 というわけで3日間制作から離れていたわけだが、休養しながらも、どうにも落ち着かない。積んである本を読みながら、不意に作品の英語のタイトルを思いついてメモしたり、小品の構想をメモしたり、別の本に手をだしたり---。やっぱり制作しているときが一番いい。 そういえば、新実さんの新作の副題が「神々への問い」となっている。新実さんは、特に限定した宗教ではないようだが、昔から「神々への問い」を作品においてされてきたように思う。「神」ではなく「神々」というところに私は注意する。新実さんの「神々」って、何だろう? こんど訊いてみなくては。 じつは私は「祈り」について考えてきた。先日もちょこちょこと考えをメモしたばかりだ。私には「祈り」がわからないのだ。大江健三郎さんはご自分をして「無信仰者の祈り」と言われている。「祈り」って、何だろう? それは行動に先立つものだろうか。行動が行き詰まっての「祈り」なのだろうか? あるいは法然の「只管打座(しかんだざ)」のように、ただただ動かずに祈ることだろうか? そのとき「知」はどうなっているのだろう。あるいは、どうなってしまうのだろう。役立たずの「知」は。----いまだかつて、私を納得させる教えはない。
Nov 7, 2017
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作曲家・新実徳英氏から新作発表の二つのコンサートの案内があった。一つは、NHK児童合唱団定期演奏会。委嘱作品・宮沢賢治原作による新実徳英作曲・合唱劇『かしはばやしの夜』 11月18日(土)19日(日)/ 東京オペラシティ・コンサートホール・タケミツメモリアル二つめ、全音現代音楽シリーズ24「四人組とその仲間たち 2017」 全曲新作・世界初演 12月8日(金)/ 東京文化会館・小ホール ♫ 池辺晋一郎『バイヴァランス XIII 〜2本のフルートのために〜 ♫ 新実徳英『ピアノのためのエチュード 〜神々への問い〜 ♫ 西村朗『無伴奏ヴィオラ・ソナタ第3番〈キメラ〉 ♫ 金子仁美『歌をうたい・・・(II) 〜リコーダーのための〜 ♫ 酒井健治『エーテル幻想 〜ギターソロのための〜
Nov 6, 2017
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毎年この日を楽しみに出かけてゆく東京薬科大学の『東薬セミナー』を受講。 1)生命科学部応用生態学研究室・野口航教授『ストレス下における植物の適応戦略』つづいて、 2)薬学部薬学動態制御学教室・白坂善之准教授『くすりと飲料の相互作用 ーなぜくすりは水で飲まないといけないのか』 各講義のトピックスに沿って私の理解を記述したいところだが、そう単純にはいかない。理化(科)学のおもしろいのは、ただ一個の問題を分断的に抽出してもあまり意味が無く、あらゆる現象が連繋していることのエビデンス(証拠)を収集し、世界の総体的構造を究めることにある。私としては頭にたたきこんだということで、この場は済ましておく。(---自分の言葉で écrere しないということは、何も理解していないと同じことで、この日記は意味が無いということになるのだけれども---ともかく---。)幻想も信仰も、用は無い。画家である私が、何を考えながら理化学講義を受講しているか------- このセミナーは、大学祭『東薬祭』のひとつのプログラム。私はセミナーに出席する前に、いつも名物ガラクタ市のなかの古本コーナーを覗く。きょうも以下の13冊を購入した。合計金額510円也! 買った本を解題してもしかたないが、中谷宇吉郎博士は衆知のごとく雪の研究者。すぐれた随筆家でもあった。矢内原忠雄博士は、キリスト教研究が有名であるが、私は戦中のファシズムに抵抗した人物として畏敬の念を抱く。いま、ファシズム的な大政翼賛体制に進みつつある我国において、私は矢内原忠雄博士から学ばなければと思いつつ---。小林勇著『蝸牛庵訪問記』の「蝸牛庵」とは幸田露伴のこと。須賀有加子著『岩と渦の間』は、「あとがきとして」によれば姫路獨協大学学術出版助成によるそうだ。私がここ数年取組んでいる絵の主題がいわゆる「女性問題」なので、その研究資料である。今東光著『奥州藤原氏の栄光と挫折』は、なにしろ今東光氏は中尊寺貫主であられた(後註)。その方が書く奥州藤原氏である。また、私は拙著『夢幻能の劇構造と白山信仰私考』において藤原氏に言及している。最後に記した『瞑想録』は、もちろん『パンセ(Pansées)』のこと。わたしの書棚にすでにないわけではない。しかし、それは高校生のときに読んだ抄訳本。きょう見つけたのはブランシュヴィック版を底本とした完訳である。☆『中谷宇吉郎随筆選集』 第1巻・第2巻・第3巻(朝日新聞社、1966年)☆『矢内原忠雄 ー信仰・学問・生涯ー』南原繁・大内兵衛・黒崎幸吉・楊井克己・大塚久雄編(岩波書店、1968年)☆ 小林勇『蝸牛庵訪問記』(岩波書店、1955年)☆ 新藤兼人『追放者たち 映画のレッドパージ』(岩波書店、1983年)☆ 須賀有加子『岩と渦の間 ーイギリス小説にみる逸脱の女性像ー』(南雲堂、1990年)☆ 今東光『奥州藤原氏の栄光と挫折』(講談社、1993年)☆ 吉行淳之介『懐かしい人たち』(講談社、1994年)☆ 大江健三郎『ゆるやかな絆』(講談社、1996年)☆ 井上靖『孔子』(新潮社、1988年)☆ 松本清張『草の径』(文藝春秋、1991年)☆ パスカル『瞑想録』由木康訳(白水社、1959年)【後註】 註というほどのことではない。今東光氏の在りし日のお姿を思い出したのだ。あれは、谷崎潤一郎が亡くなってその追悼講演のときだった。今東光氏は若い頃、谷崎潤一郎の謦咳を浴びて兄事されていられ、谷崎氏の思い出を語られたのだった。有職故実にしろ何にしろ、良くよく調べて話さなければ忽ち一喝されたこと。牛車(ぎっしゃ)の乗り方のことを例にされたのを覚えている。また、二度同じ話をさせなかった、「その話、聞いた!」とそっぽをむかれるのだ、と。そして、これはたしかご自分のことだったと記憶するが、僧侶としてはいたくのんびりと、村の住職のように、縁先に上がり込む鶏を「こらこらコッコッコ、コッコッコ」とやっているのだと言って、聴衆を笑わせた。そうそう、御母堂との確執についても話された。愛情の裏返しと私は受け取ったが、御母堂が逝去されたときには「万歳」を叫ばれたとか。----50年以上も昔のことを、ふと、思い出した。
Nov 5, 2017
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午後3時20分、作品完成。長かった。起筆したのが10月1日だから、1ヶ月と4日。座りつづけていたので、一昨日あたりから腰が痛み出していた。次の作品があるが、まあ、いいところで終わった。2,3日休養すれば、腰の痛みもとれるだろう。
Nov 4, 2017
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昼前2時間ほど自治会主催の消火栓使用の消火訓練および家庭用消火器を使用した訓練と、引続きAED(自動体外式除細動器)を使用しての応急手当の実施訓練を日野消防署の指導のもとに受講した。 私はすでに3年間、毎年受講して来たが、緊急の現場ではとかくあせってしまうものだと自分に言い聞かせて、機会があれば何度でも実施訓練を受けている。民生委員としてどんな現場に対応しなければならないか予測がつかないからでもある。【消火栓の使用】 街路等に埋設されている消火栓にスタンドパイプを取り付け、ホースをつなぎ、ノズルの装置を取り付け、「放水始めー!」と大声で後方に伝え、右手でしっかりノズルパイプを握って腰に当てて支え、ノズルを開放する。放水。 ノズルレバーを一杯一杯開放すると水はシャワー状になる。 この水の状態はいかなる場合に適応するのかを、私は質問する。答え。もちろん、一本状の放水が消火効力はあるのだが、炎や火の粉が広がって熱風が自分に向かってくるようなときはシャワー状にする。 ----「放水止めー!」の掛け声を後方に伝えて、終了。ホース内の残水を抜き、巻き取り、スタンドパイプを外し、マンホールの蓋を閉める。 ----その後、ホースの劣化とカビを防ぐために完全乾燥する。長大なホースをまっすぐにのばした状態で吊るすことは一般建造物ではほとんど不可能なので、消防署に依頼すれば乾燥してくれるそうだ。 たまに消防署の前を通ると庁舎の最上階から何本ものホースがぶらさがっているのを見かけることがあるが、ホースを乾燥させているのですね。【家庭用の消火器】 次に家庭用の消火器。これは消化薬の容量がおよそ10秒くらいしかもたないそうだ。そのため火元近くまで運んでからピンを抜き、ノズルを持ち、レバーを引く。放水が始まる。火元の手前から地面を箒で掃くように撒きながら火元に近付いて放水する。 ----炎の高さが自分の身長を超えたら、自力で消火は不可能と見極めて退避すること。【AED の使用法】 AEDの使用法については東京消防庁発行のリーフレット画像を以下に掲載する。----じつは、このリーフレットは私の外出時のバッグのなかにいつも入れてあるのだ。もちろん、いざという時に、読んでいる時間はないけれども、念のためである。
Nov 3, 2017
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きのうは休筆したので、きょうは午前中から午後6時までびっしり制作。もう少しで完成する。いまだかつて私の想念に出て来なかったイメージ。捨てずに描き切った。
Nov 2, 2017
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きょうは午後1時から4時まで地域のボランティアの方々が主催している高齢者のためのサロンにでかけ、これから寒さに向かってヒート・ショックに注意するように話した。入浴時ばかりではなく、温かい部屋から寒い戸外に出た途端に血管収縮により目眩や心臓の不調をおこすことがある。その注意も必要、と。 お集りの方のなかに、過日選挙投票日に家を出て間もなく気分が悪くなりそのまましゃがみこんでしまった経験を話された方があった。あの日は雨で、寒かった。しばらくその場で休んで、歩き、投票所を出たとたんに再び心臓が苦しくなってしゃがみこんでしまった、と。幸い大事には到らず、翌日病院で診察してもらうとヒート・ショックだと言われたという。 そんな話をした後、お茶を飲みながら、「しばらくぶりに来て下さったのだから、山田さん、何か歌ってください」とリクエストされて、唱歌や昔の流行歌やディック・ミネさんが歌っていた和製タンゴの名曲『ある雨の午後』など数曲歌った。それからみんなで歌いましょうと、懐かしい歌を歌った。「大きな声で歌うと、喉の筋肉が鍛えられて、誤嚥をしにくくなるそうですよ。それに、肺も鍛えられます」と、私自身の内緒の肺の鍛え方を教えた。民生委員合唱団「かしの木」の一員となって、私は個人的に主治医のクリニックで肺の検査をしてもらい、「非常にきれいな肺です」と折紙をつけてもらった。それならと、大きな声,高音、そして無ブレスの長いパッセージをうたえるように、じつはこれも個人的に肺を鍛えることを始めたのだった。---私は人前でのパフォーマンスのためには、じつは陰に隠れたそれなりの努力をするタイプ。子供のころから変わらない、一種の、---あまり意識はしないのだが---慣い性である。 というわけで、このところ仕事場に籠った制作がつづいているので、午前中にほんの少し描いて、午後は筆休みにしたのだった。
Nov 1, 2017
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