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世界には63億の人がいます。もしそれを100人の村に縮めると52人が女性で48人が男性です。30人が子供で70人が大人です。70人が有色人種で30人が白人です。30人がキリスト教 19人がイスラム教13人がヒンドゥー教 6人が仏教で5人はすべての自然に霊魂があると信じています。24人は宗教を信じているかあるいはなにも信じていません。いろいろな人がいるこの村ではあなたとは違う価値観を持ちそれを理解し受け入れることが大切です。100人のうち20人は栄養がじゅうぶんでなく1人は死にそうですが15人は太り過ぎです。(現在6人に1人は飢えています)すべての富のうち6人が全体の59%を持っていてそれはアメリカ人です。すべてのエネルギーのうち20人が80%を使い80人が20%を分け合っています。75人は食べ物があり雨露をしのぐところがありますが25人はそうではありません。17人は安全な水を飲めません。銀行に預金があり財布にお金があり家のどこかに小銭が転がっている人はいちばん豊かな8人のうちの1人です。信仰や信条、良心に従ってなにかをし、ものが言え書けるならそうでない48人より恵まれています。これを読んだ瞬間 あなたの幸せは2倍にも3倍にもなります。なぜなら あなたを思う誰かがいるだけでなく文字も読めるからです。あなたは生きています。まだ間に合います人々を引き裂いている非道な力からこの村を救えます。・・・・・・きっと。<2003年刊 池田香代子&マガジンハウス編より>最近、悩んでいる人、落ち込んでいる人と接し(私もかな?)励ます言葉がみつからなかった時、ふと、6年前に話題になったこれを思い出しました。その時は世界を100人の村にたとえるなんて・・暴論だと感じ無視していたが、多くの不幸な人を知ることで日ごろの不満や不平なんか、アリのうんこ(?)以下と感じます。なお「真実の宮本武蔵」は武蔵、急病のため休止します。ゴメンチャイ。梅雨空に 頭開いて 虫干しだ 飼い猫 脳みそ食べ始め 慌てて 閉じたが半分なくなり・・ツーツーレロレロわたしは だれ? ここは どこ?み・な・さ・ん・サ・イ・ナ・ラ。
2009/06/20
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○誕生年の時代背景天正10年(1582)播州(兵庫県)に勢力を誇る赤松氏の一族、赤松持貞の遠孫、田原甚右衛門家貞の二男として生まれた。この年、甲州の武田は織田信長に攻められ勝頼は自害するが、信長も本能寺にて明智光秀に討たれる。その光秀は秀吉に敗れさり歴史上例を見ない天下動乱の真っ只中の年である。天正19年天下統一を果たした秀吉が朝鮮征伐を命じた年、作州の十手術で著名な新免無二之助一真の死去を受け新免家の養子となった後、新免○○玄信を名乗り成長する。彼が晩年に書いたとされる「五輪書」の序文に我、若年のものより兵法の道に心をかけ13歳にして初めて勝負をなす。その相手、新当流の有馬喜兵衛という兵法者に打ち勝つと記している。60余度にわたる勝負の最初と思われるが、この試合の顛末は「丹冶峰均筆記」に記されているので抜粋してみよう。(最初の三行以外は想像です)有馬喜兵衛が播州に来て「試合望みしだい致すべし」と高慢な高札を立てたのを近所の子供たちと手習いに行った帰り道に見た彼は「○○弁之助、明朝試合を致すべし」と書きなぐり僧庵に戻った。すぐに喜兵衛から承諾が届き驚いた住職は直ちに旅宿に赴き「子供が悪さをしたので、なにとぞご容赦を」と詫びたが「それでは拙者の面目が立たない、本人を連れて来て衆人の前で言えば許してやる」と高飛車に出た。翌日になって弁之助を連れて試合場所(浜辺)に行くと辺りには多くの野次馬が押し掛けている有り様。僧が頭を下げ謝ろうとするやいなや、弁之助前に飛び出し叫んだ。「その方が喜兵衛か、さあ参らん」七尺ほどの太い棒で打ちかかった。気持ちの整理もなにもない喜兵衛、吃驚仰天し抜刀するが敏捷さで有利な少年、相手の腕を取り組み付けると脇の下に手を差し込み腰を入れ投げ捨てた。強力な右上手投げを食らった男が目を白黒している間に捨てた棒を拾い後頭部めがけ13回ほどめった打ちにして絶命させてしまった。それにしても13才の少年が大人を倒すことなど考えられないが、毎日野山を駆け巡り子供たちと木刀で遊び、剣術道場で大人と一緒に鍛えていたし、数多い文献で共通しているのは小さい時から身体大きく常人以上の腕力を持っていると記述されている。相手の不意をつき戦う戦術やウイークポイントを探し徹底的にそこを突くやり方はすでに少年の頃から身につけていたのかも知れない。この男をけなすつもりはもうとうない。・・が、吉川英治という作家が1935年に大阪朝日・東京朝日に連載を開始して1939年7月(途中休載あり)終了するまで書き綴られた彼は一人の剣術家から虚構の大人物として生命力を注入されて世間の注目を浴びることになった。多くの関係文献は史料、著書、論文となり書き記されて千以上にも及び、この男の人気はいつの時代でも廃ることはないのだ。男の名は・・・・・・宮本武蔵 おしまい はたして吉川英治が描いたような剣豪だったのか 多くの文献を漁り歴史探訪の世界に みなさんをお連れしたいと考えています。 次の更新は・・・10日以内←本当か? ↑ たぶん? それまで、サイナラ サイナラ。
2009/06/01
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