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11月も後半に入り、亭主の住んでいる茨城県南でも紅葉が一段と輝きを増しています。数日前に東京都心に出かける用事がありましたが、都心の銀杏はまだ黄緑色。やはりこの辺は都心より2−3週間季節が先に進んでいることを実感します。写真は市内を南北に10 kmほど貫く幹線に沿って植えられたトウカエデの並木の様子。(これほど奇麗に色づくのは久しぶりかも?)この景色を眺めながらルイ・クープランのハープシコードを聴くのも実に風情があります。亭主はアマゾンでCDを探す場合、サブメニューでまず「クラッシック」を選んでからお目当てのタイトル・演奏家といった情報を入れて検索するのですが、これはどうやら余計な限定条件をつけていたようで(単に「ミュージック」のサブメニューにしておけばよかった)、これがアスペレンによるルイのCD第1巻をうまく見つけられない原因だったことを今日になって理解しました。とはいえ、それでもやはり第3巻の方は相変わらず見当たらず。そうこうしているうちに、AEOLUSに頼んでいた第1巻と3巻は昨日Luftpostで無事に未音亭に到着。早速この2枚に聴き入っています。(ちなみに第3巻は2013年のニューリリースとあるので、アマゾンやHMVで第3巻が見当たらない理由は発売後日が浅いことにもよるのかもしれません。)他の2巻もそうですが、アスペレンのCDは演奏もさることながら、ライナーノートに収められた音楽学者としての彼のウンチクが大変貴重な情報源になっています。その極めつけが、最近新たに発見されたルイの手になると思しき作品の譜面が「初出」として収録されていることで、第3巻には米国カリフォルニアにあるボレル手稿中の「Courante D’Anglebert」(ハ長調)のファクシミリ、およびアスペレンによる校訂譜を眺めることが出来ます。(第1巻のライナーノートにも「ブリュッセル手稿」からの作品が一曲、校訂譜の形で収まっています。)アスペレンは今回、「イ短調」の作品群が標題を持つことに注目し、それぞれのお題の由来についていろいろとウンチクを披露しています。ルイが出入りしていたサロンとその関係者についての資料を博捜することで得られる情報をもとに、題名が指す人物や、その人物とルイの関係などが紹介されており、今までほとんど気にしたことのなかったお題と作品内容との連関をなんとなく理解できるようになります。それにしても気になるのはやはりフローベルガーとの関係で、こちらは相互の音楽が直接影響し合っているらしいので、彼の音楽についてももっと詳しく知りたいと思い始めました。(ライナーノートの最後を見ると同レーベルからアスペレンの「フローベルガー・エディション」全4巻が出ているようなので、近いうちに聴いてみようと思っています。)なお、ここで録音に用いられたハープシコードは、ローマのヴィラ・メジチに所蔵されている無名の製作者による1700年頃の楽器のオリジナルで、とてもよい響きを持っています。レジスターも8 x 8 x 4でハープストップもあり、アスペレンはこれらをうまく使い分けて多彩な響きを演出しています。この楽器、どうやら斯界ではよく知られた存在でもあるようで、ネット上で調べると、あのレオンハルトがこれによる演奏会や録音を行った際の写真にその姿を見ることが出来ます(たとえばこちら:ちなみに、CDジャケットに収まっている楽器の写真はなぜか夜に撮影したもので[窓の外に夜景が映っている!]、部屋の照明が暗いせいか装飾などの色合いが全く分からないのがイマイチ…)。ライナーノートの解説によると、この楽器の音域はF’/G’からd’’’と比較的広いにもかかわらず、スタイルとしてはフレミッシュで、しかも「グラン・ラヴァルマン」(大改造)の跡も全くない、ということから、どうやらフランス人の製作者がフレミッシュをまねて作ったのではないか、とのこと。最後に、肝心のアスペレンの演奏ですが、もちろん五つ星です。
2013.11.24
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亭主はこのところ、通勤の車中で標題のCDをかけっぱなしにして繰り返し聴いています。まず、何と言ってもプレリュードがどれも素晴らしい演奏です。CDの冒頭、Suite in Fの最初のプレリュードは、くしくも亭主が愛聴置くあたわざるあのセンペによるルイのCDの冒頭と同じ選曲ですが、いずれ勝るとも劣らない演奏。というか、実はこの二人の演奏、驚くほどよく似ています。「小節線のないプレリュード」ということで、素人考えには「奏者のイマジネーションに従って自由に弾いてよい」かのようにも思われますが、やはり高音部に流れる線が持つ分節構造のようなものは、小節線がなくてもある程度明確になるのかもしれません。さらに、沢山書き込まれたスラー(時に数字の8のようにくるっと環を描いていたりなど、どうしていいか分からないこともしばしばですが)による「共鳴する音の塊(〜段落?)」のようなものもあるようで、これらからある程度必然的な音楽の流れが自ずと現れる、ということなのでしょうか…プレリュードに限らず、アスペレンの演奏は以前に紹介したエガーの演奏よりも全体に速めのテンポで、実に流麗に響きます。それにも増して感じるのは、あのスキップ・センペの演奏との親近性です。ライナーノートによると、アスペレンは1947年アムステルダム生まれ、レオンハルトとAlbert de Klerkの下で研鑽を積んだとあるので、やはりセンペと師を同じくすることが共通の演奏スタイルに繋がっているのでしょうか。このCDにはF、Bb、g、C、a、およびdのキーによる6つの組曲が収められており、そのうちBb、g、dの中にはルイと同時代の音楽家の作品を演奏者自身がアレンジした曲が含まれていました。(センペの組曲でも、マラン・マレの作品から1曲借用されたプレリュードがあります。)また、最後のトラックには”Duresse de Frescobaldi”(「フレスコバルディの不協和音(?)」)というOldam手稿からの1曲が入っており、これは世界初録音とのこと。ところで、このCDの目玉の一つはその使用楽器で、現在ロンドンのヴィクトリア&アルバート・ミュージーアム(V&A)で保存・展示されているVaudryと呼ばれるハープシコードのオリジナルです。この楽器、フランスのシャトーに数百年ひっそりと置かれていたものが20世紀に入ってから博物館に渡ったらしく、17世紀フレンチ・スタイルそのままを伝える数少ないハープシコードの一つだとか。CDにはV&Aのホームページに上がっている楽器の写真がそのまんま再録されており、CDのジャケット全体は楽器に施された東洋風(シノワズリ)の象眼漆塗り装飾から採られています。Vaudryにはオリジナルのジャック(弦を弾くツメとダンパーを付けた部品)も残っているなど極めて保存状態もよく、修復されて演奏可能な状態に保たれているとのことですが、残念ながら公開の演奏会でその響きを聴く機会は皆無(V&Aでは何と「家具コーナー」に展示されている)とのこと。(亭主も20年あまり前にV&Aを訪ね、家具コーナーの前も通った記憶はありますが、多分素通り状態。)製作元のレーベルAEOLUSでは、以前からこの楽器を使っての録音を検討していたとのことですが、このルイの録音(2006年)でようやくそれが実現。ただし、さすがに博物館からの楽器の持ち出しは許されなかったようで、実際の録音では博物館の建物中で数少ない空調が止められるホール(Gallery 1c)に楽器を運び、近くを走る地下鉄が時折たてる騒音を気にしながら行われたとのことで、録音スタッフの苦労が偲ばれます。(この楽器を弾くアスペレンの姿を収めた写真はこちら。)とはいえ、亭主としてはそのサウンドの出来をどうしてもセンペのそれと比較してしまい、やや不満を感じます。特に低音域の響きが薄く、やや物足りない感じ。演奏自体がそれを補って余あるのでよしとはしていますが…(というか、結局あのセンペの録音が飛び抜けているということなのでしょう。このような経験は、何十年も前にミケランジェリが弾くドビュッシー「映像」のLPを手にして以来かも。)なお、アスペレンによるルイのCDは現在vol.3まで出ていますが、他の2巻はなかなか入手が難しく、結局AEOLUS(ドイツ)のホームページで直接注文をかけることに。とりあえず受けつけてもらえたようなので、到着するのが楽しみです。
2013.11.17
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最近亭主はおぼろげながら、調性音楽とそれ以前の音楽の違いがどこからきているのかを理解出来るような気がしてきました。例えば、亭主はこのところルイ・クープランばかりを弾き倒していたのですが、先ほど久しぶりにラモーの譜面を開いてみると、彼のどの作品を音にしてもそのたびに「おぉ…明るい!」という感覚に満たされ、「こちら側に帰って来た」という印象を受けます。それに比べると、ルイの音楽は長調とも短調ともつかない、というかそもそもどの調性なのかも時として曖昧になるように聞こえます。これがまた不思議な浮遊感を生み出していて、調性音楽に慣れ切った耳にはとても新鮮に響きます。このことは、ボーアン手稿などで数ある舞曲がが調(キー)によって分類されていて、演奏用に「組曲」を構成する場合も同一調の舞曲の中から選んで構成する、というルイの作品を扱う作法と一見矛盾しているように見えますが、上記のような体験を繰り返しているうちに、17世紀以前の「調」を、現在の調号が意味するものと混同してはならないのではないか、と思えるようになりました。こういう思いを特に強くする曲として、例えば「ハ短調(c-moll)」と分類されているサラバンド、ボーアン手稿で32番目、ウジュル版でカーティスの組曲VII番中に登場する36と番号のついた作品があります。この曲、調号を見るとロ音とホ音にフラットが2つ、調性音楽的には変ロ長調/ト短調に対応するので「何となく変だな」、と思いながらも、この調号に従ってハ音から始まる音階を何度も弾いてもそれらしく聞こえます。一方、いわゆる調性音楽におけるハ短調では上記2つに加えてイ音もフラットがつきます。つまり、ルイの「ハ短調」とはこの音の前後で全音・半音の並び方が変わっているわけです。ここまで来ると、これが要するに「旋法」の問題であることはすぐに見て取れます。よく知られているように、調性音楽における短調は、教会旋法の一つであるエオリア旋法の音列(通常の鍵盤上でイ音から始まる音列:隣接する音階の間隔が長・短・長・長・短・長・長)に相当するのに対し、ルイの「ハ短調」は長・短・長・長・長・短・長となっています。調べてみると、何とこれは鍵盤上でニ音から始まるドリア旋法の音列と同じ。ちなみに、この曲の前半はたった8小節ですが、亭主の耳にはそのわずかの間にとてもめまぐるしい「転調」が起きているように聞こえます。仮に開始の小節を「ハ短調」としても、3小節目には一瞬ハ長調に変化し、次の第4小節はまたハ短調、5小節目はト短調、6小節目はト長調、そして7-8小節は変ホ長調で終わる、という感じ。調性音楽風に言うなら「あのスカルラッティも真っ青といったスゴい転調ぶり」ということになりそうです。が、逆にこの例が示唆していることは、調性音楽における属調と関係調に支配された転調に比べれば、この時代の音楽が遥かに大きな転調の自由度を持っていた、ということかもしれません。このような「調性音楽からは予想も出来ない転調」(…というか、やはり「調性音楽」ではない音楽の響き)こそは、ルイ・クープランの作品が醸し出すえも言われぬ不思議な魅力の源泉の一つなのだと思われます。PS 昨日ファン・アスペレンのルイ・クープラン(第2集)をゲット。1681年Vaudry製オリジナル楽器による音に没入中。(そのうちここでご紹介します。)
2013.11.10
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マンフレッド・ブコフツァーについて、その後ネット上で調べていたところ、Music Quarterlyという音楽専門雑誌に彼の訃報記事が出ているのを見つけました。全文を読むためには御代を払う必要があるのですが、サンプルとして提示されていた最初のページ冒頭に彼がmultiple myeloma(多発性骨髄腫)で亡くなったとの記載があり、どうやら癌の一種で早世したことが分かりました。ナチの魔の手からは逃れ得ても、病からは逃げられなかった、ということでしょうか…(余計なおせっかいかとも思いましたが、「不慮の死」とあった日本語ウィキペディアの記事をついでに修正しておきました。)さて、ブコフツァーの「バロック期の音楽」を拾い読みしていた亭主は、その第5章「絶対主義の下でのフランス音楽」の中にある「リュートの模倣と鍵盤音楽:ゴーティエとシャンボニエール」(pp.164-174)という項を大変興味深く読みました。ブコフツァーによると、まずフランスでリュート音楽が発展した理由は社会学的な背景を考えずしては理解出来ない、といい、それはすなわちリュートが貴族階級の楽器であり、国王やその周りの貴族達がいずれもこの楽器の達者な演奏家だったことを理由に挙げています。江戸時代以前の日本もそうですが、絶対王政と表裏一体になっていたのは封建制の延長としての身分制です。その最上位を占める王侯貴族が奏でる楽器、ということでリュートがもてはやされたというわけです。いかなる芸術といえどもパトロネージなくして存立し得ないのは今日でも成り立つ冷徹な現実ですが、18世紀以前に経済力を持っていたパトロンといえばやはり王侯貴族。ちなみに、ブコフツァーに言わせるとフランス・クラヴサン音楽が熱心にリュート音楽を模倣したわけも、実はリュートという「貴族の楽器」にあやかろうというクラヴシニスト達のあこがれ(あるいは打算?)があったのではないかとのことだそうです(なぜなら、クラヴサンの性能を考えれば技術的にはそのような模倣は全く無意味で、音楽的な動機からは考えにくいとのこと)。言われてみればなるほどそういうことか、と思いつつ、本当ならばその俗物性にやや鼻白むところでもあります。(以前このブログで「おそらく17世紀フランスの鍵盤楽器奏者は、ドニ・ゴーティエらの活躍で当時洗練の極みに達しつつあったリュート音楽の微妙な分散和音が人間の耳に及ぼすポリフォニックな効果を発見し、これを積極的に輸入した」のでは、などと書きましたが、これは亭主のとんだ買いかぶりだったのかも?)とはいえ、ブコフツァーがこの時代のリュート音楽を高く評価していたことは明らかで、彼は本来ポリフォニックな表現に不向きなリュートで「暗示」によってそのような効果を引き出すゴーティエの技を「a veritable triumph of mind over matter(物質に対する精神の紛れもない勝利)」とまで書いています。(これもブコフツァーの名調子の一つですが、平凡な言い方をすれば「心理的残像効果の巧みな応用」ということでしょうか。)ところで、亭主が特に興味を抱いたのはその直後に続く装飾音に関する記述で、リュートの持つ「音の急速な減衰」という欠点を補うために、リュート奏者が音の持続を表現するためのありとあらゆる装飾技法を発展させたことが紹介されています。その代表としてトレモロ(同一音の反復)とバトゥマン(2つの音の間の往復、いわゆるトリル)が挙げられています。これで思い出したのが、エガーによるルイ・クープランの演奏で、確かに所々で「トレモロ」と思しき装飾音が使われています。この他にもいろいろな分散和音のパターンがある等、ルイ・クープランや同時代のクラヴサン音楽を奏する場合には、当時のリュートという楽器やその奏法に対する知識が大いに参考になりそうです。…とここまで来たところで、またぞろスカルラッティのソナタにおける例の「トレムロ-トリル問題」が頭をもたげてきました。あれはやっぱりトレモロなのでは…そういえばスペインで同時代に流行したギター音楽も同じような装飾音の体系を持っていたはず…などとあらぬ妄想が始まりましたが、長くなりましたので今日はここまで。
2013.11.03
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