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ミッツィ・メイヤーソンが弾くフォルクレにハマッた亭主、早速楽譜を探したところ、やはりウジェル社のle pupitre 出版譜が入手可能と分かり、久しぶりに楽譜専門(?)のネットショップであるDi-Arezzoで注文してみました。発注した翌日の4月15日には、早くも「商品を発送しました」という連絡メールが飛んできましたが、なんだか日本語が変です。冒頭にある「もしもし」という一語、思わず吹き出しそうになりますが、どうやら英語でHelloという間投詞が電話でも使われることから、日本の電話用語に訳されてしまったようです。このDi-Arezzoというネットショップ、パリに本拠があるようで、ウェブサイトは各国語に対応しているものの、どうやら仏語以外は自動翻訳に頼っているフシがあり、結構怪しげな日本語が繰り出されてくるのが笑いを誘います。とはいえ仕事はきっちりやっているようで、メールにあるように翌週にはちゃんと航空便で手元に届きました。というわけでこの週末、改めて楽譜を眺めながらメイヤーソンの演奏をじっくり堪能。やはり「見ると聞くとでは大違い」ではありませんが、とにかく耳で聴いていただけでは分からないことが盛り沢山で、色々な点でフォルクレの音楽の奥深さを垣間見た気になりました。そもそも、音盤の解説記事にしてからが、演奏を聞いただけではピンとこなかったことが、譜面を見ながら聴いた後では俄然面白くなります。庭いじり以外に特段予定がないこの連休、少し本気を出してフォルクレのことを調べてみようという気になりつつあるところです。
2019.04.29
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フォルクレ(Forqueray)といえば、亭主のようなウブな古楽愛好者は17世紀末から18世紀初めにルイ14世の宮廷で活躍したかのヴィオール(ヴィオラ・ダ・ガンバ)の名手を思い浮かべます。「天使のような」とあだ名されるマラン・マレと対照的に、鬼気迫る即興演奏から「悪魔のような」と形容され、息子を(嫉妬のあまりとか言われていますが)牢屋にぶち込んだりと、色々エピソードにも事欠かず、話題性も抜群。ところが、亭主はたまたまユーチューブでジャン・ロンドーが弾く「フォルクレ」のLa Portugaiseという曲を耳にし、そのデュフリやバルバトルに勝るとも劣らないかっこよさにたちまち惹かれてしまいました。そこで、ちょいとネットサーフィンしてみると、どうやらフォルクレの息子が父親のヴィオール作品をハープシコード用に編曲して1747年に出版したクラヴサン曲集というものがあるらしい、ということを知ることに。そこで、さらにこのクラヴサン曲集を入れた音盤を探していたところ、ミッツィ・メイヤーソンのCDが偶然目に留まりました。2002年リリースとやや古いものの、アマゾンでのカスタマーレビューが高評価だったこともあり、迷うことなく中古CDをポチり。先週聴き始めたところ、予想をはるかに上回る快演で、即座に「マイブーム状態」になってしまいました。ところで、フォルクレはこの時代に典型的な音楽家一族に属し、しかもあのクープラン一族と同じショーム・アン・ブリ(ブリーチーズの産地としても有名)に出自を持つとか。こういう場合によくあることとして、似たような名前の音楽家がゾロゾロ出てきて、素人には誰が誰だかよくわからないことがあります。実際、CDに付属していたピエール・ジャクィエさんによるライナーノートを読見始めたところ、この名前の問題で最初は頓挫。気を取り直して亭主なりに整理したところでは、多分最も著名なフォルクレ(ヴィオールの名手)はアントワーヌ・フォルクレ(1671-1745)で、その息子の一人、ジャン=バティスト・アントワーヌ・フォルクレ(1699-1782)が、クラヴサン曲集の「編者」ということになります。(ミドルネームに父親の名前が入っていたのが亭主を混乱させた原因でした。)ちなみに、ライナーノートは大変な力作で、ウィキのような簡略な記事にはないウンチクが色々と詰まっています。特に興味深い点として、ジャン=バティストが亡くなった際の遺産目録中、ヴィオールが1台も無く、楽器といえばクラヴサンが1台あるのみだったことが挙げられており、彼が音楽家としてのキャリアの半ばでヴィオールを捨て、クラヴサン演奏に中心を移していたことを示唆するものとされているようです。CDジャケットに用いられた絵は、ジャン=バティストの妻でクラヴサン奏者としても著名だったマリー=ローズ・デュボア夫人を描いたもので、ジャクィエさんはその左側奥に描かれているクラヴサンこそが遺産目録にあった楽器ではないかと推測しています。そもそもジャン=バティストは幼少時から大いに才能を発揮したようで、15,6歳ごろには既に音楽家として名を成すほどになっていたとか。父フォルクレは、息子とすったもんだあった挙句1720年代半ばに引退し、その後は息子がヴィオール奏者として父親に代わって宮廷や公的な場で活動し始めますが、ヴィオールという楽器自体の人気は(父親の引退もあってか)下火になり始めたようで、この頃からクラヴサン音楽の作曲も手がけていたと推測されます。音楽一家である上に、母親や妻もクラヴサン奏者として鳴らしており、おそらくジャン=バティストがこの楽器に熟達していたことは間違いないでしょう。1747年に出版された曲集では「父フォルクレのヴィオール作品を編曲した」ということになっていますが、どうやらこれは売らんがための出版上の方便で、実際には彼自身のオリジナル作品が相当数含まれているのではないか、と推測される所以です。何れにしてもこのクラヴサン曲集、今日的にはジャン=バティストのクレジットに帰されるべきものに見えますが、その音楽は実にフレッシュで、亭主にとっては新しいレパートリーの発見と言ってもよいぐらい強烈なインパクトがありました。(ミッツィ・メイヤーソンの演奏も素晴らしい!)これまで(亭主にとっては)父フォルクレの名声の影に隠れていましたが、大いに認識を新たにしたところです。ところで、ここで見られる音楽家の父と息子の関係、バッハやスカルラッティのそれと大いに通底するものがありそうです。特に、父親の圧倒的な影響という点では、まさにスカルラッティ親子のそれを彷彿とさせます。ファミリービジネスとして音楽に従事する中で、「偉大な父」を持った息子達が自らの音楽の道をどうやって切り拓くか。いわゆる「家業」を持つ現代の若者にとっても共通の悩みというところでしょうか。
2019.04.21
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ドメニコ・スカルラッティのソナタ全曲の原典批評に基づく校訂譜といえば、現在手に入るのはケネス・ギルバートによるウジェル社の版が唯一です。イタリアの出版社リコルディでも1978年からエミリア・ファディーニ校訂によるスカルラッティ全集が刊行され始めましたが、1995年に第8巻が上梓された後は待てど暮らせど続巻が現れない、という状態がずっと続いていました。亭主もこの状態に慣れてしまい、このところ注意を怠っていたところ、つい最近になってたまたま見にいったウィキペディアの記述で、2016年に第9巻が出版されていたことを知ってびっくり(知らぬは亭主ばかりなり?)。早速大急ぎで件の巻をゲットし、この週末は久しぶりにスカルラッティのソナタで手遊びです。ウィキの記事にもあるように、この巻ではファディーニに加えてマリオ・モイラギさんという方が校訂者として加わっており、どうやらこのプロジェクトはモイラギさんに引き継がれつつあるようです。というのもファディーにさんは1930年生まれということで、特にこの10年ほどは年齢的にこのお仕事を続けることが難しくなっていたものと想像されます。とはいえ、手にした第9巻を眺めた限りでは、その辺の事情も含めモイラギさんのクレジットに関わる説明は一切なし。(冒頭に付された校訂に関する説明記事も、第8巻以前と何も変わっていないように見受けられます。真新しい楽譜を手当たり次第に開いて弾き散らかしていましたが、K.551を弾いているうちに「あれっ?」と引っかかった音があり、譜面をしげしげと眺めて見ることに。問題の箇所は65小節目で、ソプラノの第4音ナチュラルのミが耳に逆らう感じなので、ウジェル版を取り出してみるとわざわざフラット(元々の調号でもフラットがついている)が振ってあります。そこでさらに巻末の校訂注を眺めると、いずれについても逆の可能性が言及されていました。そこで、さらに全音版(橋本英二校訂、100のソナタ第3巻所収)、および音友版(中山靖子校訂、第3巻所収)を眺めてみたところ、いずれもナチュラルのミとなっていてまたびっくり。要するに、ギルバート版(一番古い)以降の校訂者は全員ナチュラル・ミと判定しているので、原典批評の結論としてはこちらが「正しい」ということに落ち着いているようです。この例にも明らかなように、500曲以上もあるソナタから特定のソナタについての情報を得ようとした場合、やはり「全集」版は辞書的な便利さがあるために、亭主のようなモノグサな人間はどうしてもまずウジェル版に手が伸び、リサーチが疎かになってしまいます。その意味でも、リコルディ版が完結することが大いに待たれるところ。(一方で、こういう理由でせっかくの橋本・中山両先生の仕事が必ずしも広く認知されないようなことになっているとすると、いささか残念なことですが…)ところで、新たに校訂者として名を連ねているマリオ・モイラギ(Mario Moiraghi)氏、情報が少ない中でウィキからリンクがあったCorsi Popolari Serali di Musicaという団体(?)のページにあるCVらしきものを眺めてみると、1997年にピアノ専攻でミラノの音楽学校を卒業し、その後研究の道に進んだとあるようなので、現在40歳代半ばぐらいの方のようです。また、リコルディ版スカルラッティ全集の最終巻である第10巻は彼の責任の下で近く出版される予定とのこと。あまり待たされずに「練習曲集」全曲が収まった巻を目にしたいものです。
2019.04.14
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4月に入っての最初の週末、亭主は暖かい陽気に誘われて久しぶりに庭いじりを少々。金曜日ごろからの気温の上昇にともない、近所でもコブシに続いて桜がようやく満開となるなど、未音亭周辺も徐々に季節が進み、春爛漫の様相に。冬枯れで殺風景だった亭内の花壇でも遅まきながらスイセンが見頃に。芝生もジワリと緑が戻り始めたので、ポコポコと芽吹き始めた雑草取りをしようと地面に顔を近づけてみると、何と芝の花も地味に満開状態です。(この快適な陽気、せめて連休ぐらいまで続いてくれると有り難いのですが…)ところで、そのような花金の春の宵、新聞のテレビ欄で表題のような予告がされていた某番組を興味津々で拝見。自身の幼少期に(そして30年後に子供と)見た懐かしいアニメのシーンを思い出すとともに、映像と音楽の関係などを巡って色々と考えさせられました。「トムとジェリー」(T&J)といえば、ドタバタアニメの「クラシック」としておそらく日本でもある年齢以上で知らない人はいないと思われます。基本はネコとネズミが他愛もない追いかけっこをする短編もので、ストーリーも比較的単純、ほとんどセリフが入らないこともあり、サウンドトラックを流れるのはほぼ効果音と音楽のみです。とはいえ、亭主は今回の番組を見るまで、音楽の内容とアニメのシンクロが正確無比なこと、そしてそれがあの抱腹絶倒の笑いの核心だったことをあまり意識していませんでした。この点で興味深かったのは、ゲストとして招かれた上水樽力さん(「うえみずたる ちから」と読むらしい)というお若い方のお話で、彼は大学生になるまでこのアニメを知らず(!)、友人に初めて見せられて音楽と映像のシンクロの完璧さに驚愕、何とそれを研究対象にして博士号までとってしまったそうです。「博士号」と聞いて亭主も思わずテレビの前でのけぞってしまいましたが、考えてみると、幼少期の感覚にはT&Jでの音楽と映像のシンクロがあまりに自然なので、あたかも空気のように意識されなかった(それほど一体化していた)のに違いありません。(「大人」になってその凄さが初めて意識されるようになる、というわけです。)ちなみに、音楽を担当したのはスコット・ブラッドリー(1891-1977)という米国の作曲家で、ウィキによれば彼がMGMでT&Jの音楽を担当していたのは1940年~58年と、初めの5年間は第2次世界大戦と重なっています。このころ、米国ではファシズムを逃れてヨーロッパから渡ってくるクラシック音楽関係者も多く、ハリウッドでもコルンゴルドが映画音楽で活躍。また1940年といえば、音楽と映像の融合という点で記念碑的な作品であるディズニーの「ファンタジア」が封切られた年でもあります。(正直なところ、T&Jがこれほど古いアニメだとは意識していませんでしたが、今になって思えば2000年代半ばに購入したT&Jの「ワンコインDVD」はおそらく日本での著作権切れに伴って再販されたもの。)クラシック音楽を看板に掲げていることもあり、番組ではT&Jでも特にクラシック音楽を直接映像化したような「ピアノ・コンサート(リストのハンガリー狂詩曲)」、「星空の音楽会(シュトラウスのこうもり序曲)」が詳しく取り上げられていましたが、改めてT&Jに使われている音楽を思い起こすと、ブラッドリーはいわゆるクラシック音楽に限らず様々なジャンルの音楽を自在に使い分けています。作曲技法の面からも、十二音技法をさりげなく用いたという「猫はやっぱり猫でした」、あるいは陰鬱な平行4度がスリルを感じさせるライトモチーフのような「天国と地獄」の指摘は興味深く、もう一度全てのアニメを音楽の視点で「鑑賞」し直してみようかという気にさせられます。このようなブラッドリーの音楽、実は映像と組み合わされてストーリーを「語る」という点でバロック音楽と通底するものがあります。かつてアーノンクールが言っていた「しゃべる音楽」としてのバロック音楽です。そこでは、あるフレーズは何かの動きを表す、といった様々な「お約束」(音楽語彙)があり、聴衆もその語彙を理解していた、というわけです。これは、識字率が低かった時代に、絵画が聖書の物語を絵解きしたのと同じ構図でもあります。翻ってT&Jも、まだ字がよく読めない子供向けだったことが、ブラッドリーの音楽に「語り」としての磨きをかけさせた、と言えるかもしれません。そしてT&Jが、言葉の壁を超えて世界的な漫画アニメとなった所以もそこにあると思われます。こうして考えるに、映像と音楽の究極の一体化がどのようなヴァーチャルワールドを作り出せるものなのか、かなり気になってきました。
2019.04.07
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