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ネパールの旅もとうとう最終日になった。今日の朝食も揚げパンを買ってテイクアウト。パックジュースは1個40円ぐらい。商店が開く時間になったら仕入れに行こうと思って部屋で寛ぎながらipadをチェックしてたらマルディヒマールのトレッキングで一緒だった韓国人から「サイトーは今どこ?僕達はカトマンズに昨日戻った」とメッセージ。「タメルの裏通りの小さなゲストハウスにいるよ」と返信してお互いの居場所を確認したら歩いて15分ぐらいしか離れていなかった。「昼食を一緒にどう?」と誘われたのでOKの返事をして僕が彼らの泊まってるホテルのロビーに行くことにした。チェックしたら日本円で1泊16,000円のホテルじゃあないか!僕は豪華なホテルよりも安宿の方が逆に好きなので1泊2,000円のゲストハウスに泊まってるが本当はもっと質素な宿が好きだ。1時間後に会う約束でシャワーを浴び終わったら今度はエクアドル人のかわいいエリアナからメッセージ。「サイトー今どこ?私は今バクタプル」「僕は今から山で一緒だったyoon達と会って一緒にランチ」と答えたら「今夜みんなでディナーを一緒にどう?」と返事が来た。「残念だけど今夜のフライトで帰国なんだ」「残念!またいつかどこかで会いましょう」って感じでエリアナとは最後にもう1度会えずに残念だった。韓国人達が泊ってるホテルのロビーで彼らと再会した。屋上にはプールもあるじゃん!カトマンズの街が見渡せる。でも僕は裏通りの緑に囲まれた静かな宿の方が好きだな。昼食はあえてローカル食堂へ。その後は一緒にダルバール広場に行った。僕1人の時は係員に入場料の催促は来なかったが彼らと一緒の時は「入場料払って」と言ってきた。韓国人2人の恰好を見て観光客だと分かったんだろうな。じゃあ入場やめて別の場所に行こうと歩いた。夕方近くまで一緒に座ってジュースを飲みながら話をした。僕はアクセサリーのオーダーをしてて出来上がる時間になったので彼らとはインドラチョークの雑踏の分岐点で別れた。いつか日本か韓国で再会できるでしょう。ちなみにこの日に仕入れたアクセサリーは少しずつ売れている。
2025年06月29日
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カトマンズのタメル地区は色んな商店がひしめき合い流通には荷台付き自転車や3輪車がよく走っている。でもこんなに積んで大丈夫なの?どうやって降ろすの?野生のサルは電線を伝って移動している。そこから家の窓に侵入していき食べ物を漁る。観光客相手のお土産屋は値段交渉して買い物する。でもこの店に欲しい物はないな...。今回仕入れをしたシルバー問屋のうちの1軒。ここで50点ぐらい、別の店で50点ぐらいをオーダー注文した。天然石の質は良いが装飾が派手過ぎるのでシンプルな物を購入。
2025年06月27日
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異国の町の夜の散歩は楽しい。カトマンズの治安はとても良く心配は要らない。パスポートもお金もゲストハウスの部屋に置いたままでちょっとした小銭を数百円程度ポケットに入れて夜の食堂にふらりと入っていって食事をする。観光客が絶対に入らないような路地裏の食堂が好きだ。タメルから南に向かってチェトラパティを過ぎて約1km弱歩くとカトマンズの名所ダルバール広場に着く。ここは有名なクマリの館なんかがあったりして昔は無料だったけど今では入場料が1,000ルピー必要だ。日本円で1,000円もするが僕は今まで1度も払ったことがない。抜け道のような脇道から広場に入っていって集金係員がいても僕に「入場料を払え」とは言ってこない。きっと地元のネパール人と思われているのだろう。何度も見たことがあるカーラ・バイラブ像。多くの人達が祈りの火を捧げている。ちょっとした建物にもネパール様式の彫刻。この写真に写ってる箇所を見るだけでも溜息が出るほど素晴らしい。いかにもレンガを削ると彫刻が出てくるような作り方はもはや完全な芸術作品である。そしてこれでもか、というような緻密な額の装飾。まさに屋外美術館だ。夜間照明が彫刻をさらに浮き出させている。ラーマヤーナやマハーバーラタの物語を知っている人ならこの彫刻はあのシーンだな、と連想できる。カトマンズの東にあるパタンという町はもっと素晴らしい。のんびりと彫刻を堪能してゲストハウスに戻る。もう店のほとんどは閉まっている。このY字の分岐の手前に左に入る路地があって小さな坂を登って右に曲がってすぐ左に曲がると僕の泊まっているチベット・ピース・ゲストハウスがある。どの宿泊情報サイトにも載ってないんだけどね。暗い曲がり角でマリファナの匂いがした。2人のネパール人が吸っている。その横を通ってゲストハウスに入る。今回の旅では自分用のお土産を買いまくったなあ。HEMP帽子500ルピー、紅茶デザインのバッグ100ルピー、Tシャツ500ルピー、薄手ジャケット1000ルピー、合計で2100ルピー(約2200円程度)の豪遊ではないか。さて、明日はネパール最終日。旅費をなるべく取り戻すように明日は商品買い付けをしよう。
2025年06月26日
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カトマンズにはお土産物屋と並んで登山用品店が多くある。テントや寝袋、リュックや防寒具などがかなり安いしそれらのレンタルショップも多く見かける。逆に山で使った物を買い取ってくれたりもする。過去に日本で買って何度も使った3シーズンの安い寝袋を韓国製のタグを切り取って「1回しか使ってない日本製」と言って高く売り払ったことがあるということはココでは割愛する。僕はブランド衣料には全く興味がないワークマン信者だがネパール人の山岳ガイドがよく着てた「SHERPA(シェルパ)」というダウンジャケットが欲しくてちょっと探してみた。専門店を見つけたがすげえ高くて買うのをやめた。その流れでノースフェイスの看板を掲げた登山用品店に入ってみた。すると大安売りをやっていたのである。NORTH FACEの機能性Tシャツが何とセール価格で1250ルピー。日本円にして約1300円ちょい。僕は身長170cmの瘦せ型なのでTシャツのサイズはMサイズだ。メーカーによってはLサイズの場合もあるがこのTシャツはなぜかXLサイズでピッタリのサイズ。ついでに春秋用の薄手ジャケットも買おうと思った。こちらは確か2500ルピーで売ってたかな?こちらも胸元にはNORTH FACEのロゴ。合わせて3750ルピーだが「2点買うから値引きして」と言ってみた。「Tシャツは500ルピー、ジャケットは1,000ルピーでどう?」とめちゃくちゃダメ元な値段を言ってみた。「いやいや、ノースフェイスだぜ、そんな値段で売れるか!」と絶対そういう返事が返って来てそこから妥協案の値段で折り合う、そういうシナリオを描いての値段交渉である。「OK、1500ルピーでいいよ」あれれ?そんな値段で売ってくれるの? 即買いである。タグもちゃんとNORTH FACEのものだったがMADE IN CHINAと印刷してあった。もしかしてコピー品の偽物なのかなあ?ノースフェイスならぬ「ノースフェイク」なのかな?でもあんなに大々的にNORTH FACEの看板を掲げてたんだけどな。ちなみにすぐ近くの店では店先でサングラスを売っててくるくる回せるディスプレイスタンドで売られてたのは全てRay-ban(レイバン)のロゴがちゃんと入ってるやつで正規の値段は3万円とかするんだけどたったの500ルピーでした。こちらは偽物かも知れんと思って買わなかったけど。
2025年06月25日
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カトマンズのタメル地区を歩いていて思い出した。妻から紅茶を買って来てと頼まれていた。ヒマラヤは紅茶の産地で有名なのだ。紅茶の店に入って数種類の紅茶を買った。マサラチャイ100gで150円前後。タメルのチェトラパティの近くには床屋さんが多い。歩いていると全ての床屋から声が掛かる。ゼスチャーで「そんなボサボサの髪はダメだ!」と手招きする店もあれば強引に腕を引っ張る店もある。こりゃいかん、と思って帽子を買うことにした。5月のカトマンズは暑くてTシャツ1枚だ。日除け対策にもなるので帽子を売ってる店に入った。HEMP製の無地のハットを買おうと思った。「私は日本が大好きです。モーニング・スペシャルプライスね」と日本円で約1250円という値段を提示された。一応値切ってみる。「その値段じゃ日本と同じだよ。500円なら買うよ」「OK、500円でいいよ」おいおい、750円も上乗せしてたのか。そんで500円でも利益があるってことだもんなあ。次にバッグを買おうと思った。市販されてるバッグはイマイチつまらない。500円から1500円ぐらいする。紅茶の問屋の前を通ったら紅茶10kgを入れるバッグがあった。売り物ではない運搬に使うバッグだ。「これ売って欲しいんだけど」「こんなのを?100円であげるよ」うわあ、ラッキー!これは帰国後に毎日仕事に持って行ってる。紅茶10kg入り、高品質、スワンティーと書いてある。まさに非売品のバッグだ。もっといっぱい買って来て売ればよかったな。朝ご飯を食べるために食堂に入る。店先では揚げパンを売ってる。衛生的とは言えないかも知れないが僕には問題ない。店内はこんな感じの完全ローカル食堂。揚げパン数個とチャイ1杯で70円。随分と値上がったもんだ。お皿の代わりにメモ用紙。テイクアウトの場合もこの紙に包むだけ。店内のカレンダーは非常に魅力的。帽子で髪の毛を隠しても床屋からの声掛けは後を絶たず楽しいタメルの散歩は続くのだった。
2025年06月23日
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カトマンズ市内の中で最もお土産物屋さんやレストランが多く宿にも困ることがないほど何でも揃うタメル地区。しかし夜8時を過ぎれば静まり返る。僕がチェックインした裏通りのゲストハウスは実に静かでぐっすりと眠ることができた。部屋にはテレビがあったが観なかった。異国のテレビ番組ってずっと観続けちゃうんだよね。朝になってホットシャワーを浴びる。でもお湯が出なかったから気にせず水のまま浴びる。5月のカトマンズはTシャツ1枚で過ごせるぐらい気温が高いのだ。シャワールームで洗濯もして1階の庭の椅子で乾かす。この場所でスイス人の老人ヒッピーと出会って色んな楽しい話を聞いて時間を過ごした。宿泊客は僕達2人だけで、彼は3ヶ月も泊まっているという。「そろそろモンスーン期だから他の国に行こうかな」なんて年金生活でそんなこと出来るなんて羨ましいな。しかしそれはそれで孤独だ。色んな人と出会うだろうがそれは一過性で短期間でお別れになる。所持品は服を数着、それぐらいだけで生活はできる。あとはお金という紙切れを取り出して食事をして移動のためにまたお金という紙切れを出してバスや飛行機に乗る。夜はベッドに横になって今日1日のことを思い返すが同時に不安に駆られることもあるだろう。やはり一緒に生活してお互いの今日の出来事の話ができる一過性ではない人との暮らしが幸せなんじゃないだろうか。「旅をするのは帰る家があるからだ、さすらいの旅ほど淋しいものはない」誰かの歌の歌詞でそんなのがあるがどんなに旅をしようとも人間が求めているのは「帰る場所」なんだよな。この庭は広くはなかったけど頭上にジャスミンが咲いていて時々はらりと小さな花が風に揺られて落ちてきてその甘い匂いと相まって幸せな時間を過ごした。さて、タメル周辺を散歩しよう。そもそも僕は今どの辺りの宿に泊っているのかさえ分からない。通りにはブッダの彫刻。ネパールは神の国。仏教とヒンドゥーの融合。犬もヒンドゥー教。どこからどこまでが仏教でどこからがヒンドゥー教でどこからがラマ教でなんて境界線なんてものはあるのだろうか?宗教や宗派に境界線があるというのが人間の愚かさだ。キリスト教、カトリック、エホバ、ユダヤ教、イスラム教、真宗大谷派、日蓮宗、そんなネーミングが腐るほど溢れてる。聖書に手を置いて神の名において戦うと宣誓する、アラーの神に聖戦を誓う、シオニストを撲滅させる、などなど人間は何と愚かな生き物なのだろう。あなたはあなた、私は私、国も宗教も違うけれどいがみ合わずにお互いの国で平和に家族と暮らしましょう、とそんな簡単なことがどうしてできないのだろう?
2025年06月22日
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ポカラからカトマンズ行きのバスは大渋滞に巻き込まれ暗くなってからまたまたトイレ休憩。その頃からバスの車内のライトがド派手に光り出したので「こりゃいよいよカトマンズも近いかな?」という予感があった。なぜなら派手なライトをガンガン点灯することによって「うちのバス会社は元気だよ」とアピールしているのではないか?と僕は勝手に解釈していたのであった。 ⇒ 【車内の音楽のボリュームも一段と上がった~動画14秒】そして僕が乗ってから約11時間後、遂にカトマンズ市内に到着。(始発から乗ってた乗客は何時間乗ってたのかは不明)真夜中の真っ暗なバスターミナルだったが客引きはいた。明日から僕は買い付けの仕事をしたかったのでタメルという賑やかな地区を拠点にしたかった。寄って来た若いタクシーの運ちゃんに「タメルの裏通りの2000ルピー以内のゲストハウスまで」と伝える。「この時間だとチェックインできる宿は少ないかも」と言われる。値段が折り合わなかったりで数軒断られた後、やっと「チベット・ピース・ゲストハウス」にチェックイン。はあ、やっと寝転べる。もう2度とネパールの長距離バスには乗らんぞ。ちなみにかわいいエリアナちゃんも1日遅れでポカラ・カトマンズ間のツーリストバスに乗ったようだがこんな写真が送られて来ていた。うは~、20時間!さあ、明日からカトマンズを散策だ。懐かしいなあ、といっても1年半ぶりだけど。
2025年06月21日
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長距離バスのタイヤのパンク修理は1時間ほどで終わり僕の乗ったバスはカトマンズに向かって再出発した。現在ネパールでは道路などのインフラが急速に発展しており電気自動車でヒマラヤの奥地まで行けるようになっている。カトマンズとポカラ間の幹線道路も新しい道路を建設中で「主要都市横断ハイウェイ」として中国企業が舗装工事を請け負い以前よりも格段に速く目的地に行けるようになった、と紹介されていたのを信じた僕がバカだった。道路工事は至る所の区間で同時に作業されており舗装済みの区間もあれば砂利の区間もあれば土のままの区間もある。悪いことに昨日の雨の影響を受けた区間もある。こんな泥道となった区間を横滑りしながら走る区間もある。四輪駆動車ですらズルズルと滑りながら走っているのだから後輪駆動の重いバスやトラックなんてスタックしまくりである。しかも山道のカーブ区間でも道路の幅が広く作ってないのですれ違いすら難しく、双方が譲らないので(止まったらスタックする)激しい、非常に激しい、猛烈な、地獄の、終わりの見えない渋滞となる。今度はパンクではない食事タイムの休憩になった。乗客の皆さんはまずトイレに行く。それから食事だ。ここで僕は車掌からある提案を受けた。同じ会社のバスが今ここに止まってるからそれに乗り換えればその方が先にカトマンズに着くし追加料金は要らない。言ってみれば普通列車から準急に乗り換えるようなもんだ。そりゃラッキー!とリュックを準急バスに移し替えた。じゃあ僕も食事をしよう、とダルバートを注文。周りの人達(今まで乗ってた普通列車のバスの乗客)も寛ぎながら一緒に食事をしている。食べ終わってタバコでも吸おうと食堂の外に出ると新しく乗る準急バスがいないではないか。そのバスにはパスポートや現金など全てが入ったリュックが載っている。そして今まさに幹線道路に合流しようとしている準急バスを発見。僕はもの凄い猛ダッシュで「お~い!」とバスを追いかける。どうやら乗客の誰かがその声に気付きバスは止まってくれた。あぶねえ、こんな知らない場所で無一文だなんて困っちゃうよなあ。そんなピンチを切り抜けて僕は準急バスの乗客となった。バスの車内は快適な柔らかいシートだ。ケツは痛くならない。しかし、猛烈な上下のシェイクに加えて横滑りもするので何だかボートに乗ってるような感覚になるのだ。僕を含めてほとんどの人は車酔いはしていなかった。しかし、よりによって僕の隣りの席のお爺さんはずっとビニール袋を持って「オエ~!ウガ~!」と吐き続けなのだ。酸っぱい匂いが漏れてくる。こりゃ~たまらん。このままだったら僕ももらいゲロをしそうだ。まあ気持ち悪くはならなかったから良かったもののこのままいつ着くかも分からないバスに乗り続けてるのはヤバい。しかも乗っている準急のはずのバスがスタックしている間に今まで僕が乗っていた普通バスが追い越していった...。あ~、あのバスに乗り続けていた方が良かったじゃん。次の町でバスが止まった時、2人組のネパール人が乗り込んで来た。僕はすかさず席を譲ったのである。譲られたネパール人には感謝される、周りの乗客からも褒められる、僕は一躍「さすが日本人!」という称号を貰えたようだったが心の中では「やっとゲロ爺さんから逃げられた!」と安堵したのである。ほとんどの乗客の膀胱が破裂しそうになったところでやっとトイレタイムというか乗客の暴動に近い感じで強行"野ション"タイム。まずは男性が立ちション、そのあとに女性陣が隠れて野ション。夜になった。バスはすごい渋滞に巻き込まれて進まない。いつカトマンズに着くのだろう?いや、そもそもカトマンズなんて町はこの世界に本当にあるのか?夕方になり、乗客の目は死んだ魚のような目になっていた。
2025年06月19日
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カトマンズ行きの長距離バスに乗って約2時間、シートのスプリングは飛び出てないし窓も開閉できるし路面のデコボコで激しくジャンプする程度で別に何の不満もなく快適に車窓の風景を楽しんでいた。乗ったのはこのバス。前面にTOURISTと書いてあるがツーリストは誰も乗ってない。外国人は僕1人だけである。山道を走っている時に側道のお店で止まった。お、トイレタイムかな?食事タイムかな?バスから降りたらタイヤ交換を始めるという。 ⇒ 【21年前の記憶が蘇る】過去にも長距離バスに乗ったことがあるがパンクは2度目だ。僕達乗客は修理が終わるまでお店で食事をしたりチャイを飲んだり雑談してるだけなので別に問題はない。こんな重いタイヤを機械も使わずにジャッキアップして取り外し人力でタイヤからホイールを外す。え? 今の時代でまさかのチューブタイヤ?ちなみにタイヤの周りでウロウロしてるのはみんなバスの乗客。ネパールの正装であるトピーという帽子を被ってる人もいますな。僕は店でお菓子とジュースを買って店頭のテーブルに座りタバコを吸いながらのんびりと修理を眺めていた。乗客の1人がライターを貸してくれと言って来て僕が日本人だと分かったら他の人達もいっぱい寄って来た。ネパールは酷い発音だが英語が通じる。インド英語のいわゆる「ヒングリッシュ」と同じ発音だ。brotherは「ブラザル」、superは「スーパル」って感じでrをそのまま発音するのでそれに留意していれば問題ない。だからこちらが喋る時もそれを意識した発音をする。日本人は人気があってスマホで2ショット撮られて「今、日本人の友人といるよ」なんてメールしておる。たった今会ったばかりで友人だなんて言ってるが日本人といることがステータスになるぐらいの勢いなのだ。インスタやワッツアップとかのアカウントを教えてくれと言うが会ったばかりで名前も知らない人にそんなもんは教える必要はない。「俺、モバイル持ってないんだ」と全て断る。約1時間後にパンク修理が終わって再出発。停車前までは後ろの方の席で1人で寛いでいたけれど再出発してからは隣りも前もネパール人の若い子が座ってその後はずっと面倒臭い会話をしながら次の休憩まで過ごした。まあパンクなんてハプニングやトラブルのうちに入らないんだけどね。
2025年06月18日
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シディン村からジープでポカラに向かったのだがジープの終着点はダムサイドという観光地。終点まで乗って行けばジープを降りてエリアナ達と合流できるが僕はカトマンズでアクセの買い付けをしたかったので幹線道路でジープを降りてカトマンズ行きのバスを拾うことにした。往路のように国内線の飛行機なら25分でカトマンズに着くが飛行機代は15,000円ぐらい。僕は過去に2度、カトマンズとポカラ間の"地獄のバス"を体験してるが今は2025年、しかもその区間は新しい道路を建設中だ。さすがにこのご時世ならバスもすんなりと走るだろう、と現在のネパールのバスを信じてバスでカトマンズに戻ることにした。通行人が何人か声を掛けてきてアドバイスをしてくれた。「大きなバスが通ったら運転手に手を振れ」と。しかし長距離バスはなかなか来ない。半ば諦めながら町の風景を眺めていた。日本のハイブリッド車なんて全く走っておらずシェアの半分以上は中国製の電気自動車だ。デジカメのCanon s120は小銭入れと一緒にズボンのサイドポケットに入れていたんだが撮りたい時にデジカメをサッと取り出せて便利だった。そして遂に長距離バスが目の前を通った。「このバスはカトマンズまで行くか?」「ローカルバスなので色んな町に止まりながら行くよ」「OK、乗るよ」「ツーリストバスなら高いけどノンストップでカトマンズだよ」「いや、ローカルバスの方が魅力的だよ」そんな感じで僕はそのバスに乗った。ツーリストバスだと料金は3,000ルピーだがローカルバスは1,000ルピー。僕は車内で小銭入れから1,000ルピーを出そうとした。な、ない! 小銭入れがない!そっか、バスを待ってる間にデジカメで写真を撮っててその時にポケットから滑り落ちたんだ...。スリとかには遭うような機会はなかったし。その小銭入れはヘンプ製のボロボロだったが中身は70ドル+とりあえずの約5,000ネパールルピー、合計で日本円にして15,000円ぐらいが入っていたのである。仕方なくリュックの中のパスポート入れからトレッキング前に両替した大量のネパールルピーの札束を輪ゴムを引っ剥がして使うことにした。ああ、旅先で財布を落とすなんて初めての失敗だ...。しかも15,000円も入ってるやつを。そのお金があれば飛行機でカトマンズに戻れたじゃないか。だけどクヨクヨしても財布は戻って来ない。せめて貧しい人が拾ってくれて幸せになってくれ!神様からの贈り物だと思って天を仰いで手を合わせてくれ。僕は失敗も勉強のうちだと思って良い方に考えることにした。お金なんてまたがんばって稼げばいいじゃないか。お金なんていつだって取り返せる。僕は自分が今乗っているバスの旅を楽しむことにした。しかし、このバスもまたなかなか刺激的な試練を与えてくれたのである。
2025年06月17日
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シディン村でもぐっすりと眠れた。日の出前に目が覚めてドアを開ける。冷たい空気の中で鳥のさえずりが聞こえる。おお、マチャプチャレが見えてる。部屋のガラスに映った自分をパシャリ。寝ぐせっていうか、いつもこうなんです。今日も朝食は庭のテーブルで食べることにする。都会の最上階レストランで夜景を見ながらフルコースを食べるよりも僕は同じ値段でもこちらを選ぶな。この空気感、開放感、山の匂いがたまらない。ゆっくりとチェックアウトしてジープ乗り場まで10分歩く。お、ポカラ行きのジープが並んでる。ジープとジープの間にいる女性が僕を見て驚いている。何と!ハイキャンプで一緒に星空を眺めたエリアナじゃあないか。打ち合わせとかしなかったけど彼女もシディン村経由で下山したんだ。残念ながら違うジープだったので、ハグして本当のお別れになった。先回のエヴェレスト方面のジープの旅同様、今回もシディン村からポカラまでの動画がこちら。 ⇒ 【今回もこんな悪路です~動画20秒】途中はこんな吊り橋があったりの田舎の風景だった。そしてポカラに近付くとこんな大通りに。20年前に居候したポカラの「ロク」の家を探そうとしたけど町は全く様変わりしていて、探す前から諦めた。往路はカトマンズからポカラまでは飛行機で来たけど帰りはなぜかローカルバスでカトマンズに戻ろうと思った。そしてその判断こそが今回の旅の最高のハプニングになったのだった。
2025年06月16日
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マルディヒマールのローキャンプからシディン村に下りると延々と数時間も続く石段を歩くことになる。そのうちにシディン村が見下ろせるようになると膝が痛くてペースも落ちてくる。どこかで休憩でもするか、と思う丁度良いタイミングで左側に一軒のホテルが建っていた。”HOTEL MARDI CHIYA KAKA”という看板が立っている。6部屋しかない小さなホテルだ。全体の外観はこんな感じ。宿の女の人が「冷たいジュースあるよ」と手招きする。そこでジュースとカスタードプリンを注文した。「ポカラに行くの?ジープ乗り場まで10分」と教えてくれた。そこからジープに乗って約2時間弱でポカラに着く。暗くなる前にポカラに着くんだ、トレッキングも終了か...。そう思うと山から離れるのが惜しくなった。別に今日ポカラに行かなくてもいいじゃないか。どうせ行き当たりばったりの旅だ。「ポカラには明日行く。今日はここに泊まるよ」こういう選択ができるのが個人旅行の良さだ。宿代は1000ルピー、食事もできる、景色も良い。最高じゃないか。部屋は全て空いている。好きな部屋を選んでチェックイン。庭を散策するとガンジャがいっぱい生えていた。もはや草むしりの対象。そのうちにホテルのオーナーのおじさんが来た。話をしていたらマルディヒマール一帯では有名な人でホテル名の”CHIYA KAKA”はネパール語で”チャイおじさん”。検索すると相当な伝説の人のようだ。 ⇒ 【彼の偉大な功績 日本語に翻訳してどうぞ】今まで遠くで聞こえていた雷鳴が近付いてきた。そして遂に激しい雷雨。このホテルでストップしておいて正解だった。ラッキーだ。眼下のポカラの町に雷が何度も落ちた。そしてここも停電。そして雨が止んだ後には2重の虹が出た。チャイおじさんと素敵な時間を過ごし、ホットシャワーを浴び静かで幸せな夜を過ごした。チャイおじさん、ありがとう。マルディヒマールのトレッキングをしてシディン経由でポカラにすぐ戻ってしまうのは勿体ない。ぜひこの最高のロケーションのホテルに泊まって至福の時を過ごして下さい。It would be a shame to trek in Mardi Himal and then immediately return to Pokhara via Siding. Be sure to stay at this hotel in a great location and enjoy a blissful stay with chiya kaka.
2025年06月15日
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マルディヒマールのハイキャンプを午前中に出発してローキャンプを経由してシディン村方面に下山した。シディン村からポカラに向けてジープがあるという。今日はそのジープに乗って一気にポカラに帰る予定だ。深い森の中を一人で歩いていた。アクセスを良くするためか、土砂崩れを防ぐためか、石段が延々と続いていたのだがこれがまたキツい。本当に何時間もずっと石段なのだ。ここは絶対に登りでは使いたくないルートだ。途中にあった看板。荷物運搬の仕事の人はスマホで音楽を流しながら歩く人が多い。大抵はトラディショナルなネパール音楽を流している。それがまた異国情緒を引き立てるBGMになるんだが最近は音楽が聞こえるのを禁止する動きがあるようだ。僕個人としてはネパール音楽が聞こえる方が好きなんだけどな。誰とも出会わない静寂の森の中、鈴の音が聞こえてきた。 ⇒ 【ロバに乗って登山道を登る人~動画約20秒】嫌というほどの石段を下山していたらシディン村が見えてきた。ジープ乗り場までもう少しだ。
2025年06月12日
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いよいよ下山を始める日になってしまった。一緒にトレッキングしていた仲間は先に下山したり今日マルディヒマール・ベースキャンプまで登っていたりで残ったのは僕とマレーシア人のジーウィーの2人だけだ。ジーウィーはこれまた日本が大好きで来日したこともあり京都や奈良、長野の戸隠や岐阜の白川郷など色んな場所に行ってプロ並みの写真を撮っている。外国人が撮る日本の風景ってのは視点が面白い。 ⇒ 【ジーウィーのインスタグラム】今回も僕のトレッキングは全てワークマンの服。登山靴だけがメレルっていうお高いメーカー。2晩泊まったハイキャンプロッジの朝は誰もが旅立って薪ストーブの周りの椅子も片付けられて朝陽を浴びている。「ジーウィー、朝食は外で食べようぜ」彼と並んで山を眺めながらの朝食。こんなに山奥にいると牛とかロバとかの動物もみんな命ある仲間みたいに思えてきちゃって僕はずっと肉を食べずベジタリアンになっていた。「あの岩場を下りてるグループはエリアナ達じゃない?」ジーウィーがもう1時間ほどで彼女達が戻って来ると言うが”また会うのを待ってた”なんてのは格好悪い。男は去り際が重要なのである。特に急ぐ下山ではない。だけど「彼らはもう下山しちゃったよ」の方がサマになる。「ジーウィー、俺は下りるよ」「じゃあ俺も」と2人で下山開始。下山後すぐにマチャプチャレは雲に覆われて見えなくなった。ジーウィーと談笑しながらのんびりと山を下りる。僕は登って来た道ではない別のルートで下りようと思った。そして別れの分岐。「また日本に来ることがあったらどこでも案内するよ」「マレーシアにも来てね」何かすごくかっこいいグータッチで別れたのだった。今日はハイキャンプからこのまま一気にポカラまで下山かあ。健脚ならそれも可能なのである。マルディヒマール、実に楽しかった。
2025年06月11日
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満天の星空を見ながら夜明けを迎えた。こんな景色はもうこの先は見れないだろうな、と名残りを惜しんでいたら朝が来た。マチャプチャレって笠ヶ岳方面から見た槍ヶ岳に似てるな。マチャプチャレの山頂をズームで撮影。宗教上の理由で登山禁止。ただ残念なのは、ここからは朝の時間は逆光なので写真的にイマイチ。その代わり夕焼けで赤く染まるマチャプチャレが見えるスポット。でも今の時期の夕方はいつも曇りか雨なんだよなあ。北西の方角にはアンナプルナ群の山々。こんな山によく登ろうと思うなあ。登ってることを想像するだけで心臓がバクバクする。ハイキャンプ・ロッジの周りはシャクナゲが満開。天国みたいだ。(行ったことないけど)昨日登ったマルディヒマール・ベースキャンプからこの雄大な景色は見れなかったけどココからでも大満足。韓国人の2人はこの景色を見ずに下山しちゃったんだ、残念。さあ、この景色を眺めながら外のベンチで朝食とするか。
2025年06月10日
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夜中の3時に起きた時、ヒマラヤの夜空は晴れ渡っていた。確実に人生で最高の星空だった。何たって不覚にも夏の大三角形すら最初は分からなかったほどだ。雨上がりの空気が澄んだ条件で月明かりもない。肉眼で見ても天の川が茶色っぽく見える。明るい流れ星は見れなかったけど4等級ぐらいの小さな流れ星が全天の色んな場所でヒュンヒュン飛んでいる。流れ星って毎晩こんなに流れてるんだなあ。Canon s120のコンデジの星空モードで撮って簡単な画像処理をして見やすくした写真がこちら。さそり座周辺ってことはブログ仲間のmartindさんなら分かるよね?2枚目はマチャプチャレと星空。地面が濡れてたから仰向けに寝転べなかったけど寝転んで見たらもっと凄かったんだろうな。一眼デジカメで撮ったらもっとすごいんだろうな。こんな星空を体験したい人は案内しますよ。現地集合現地解散で。
2025年06月09日
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マルディヒマール・ベースキャンプは標高4,500m。最終宿泊地点のハイキャンプからは1,000mの高低差。話しながら登っているので先頭を歩いたり最後尾を歩いたり自然と入れ替わりながら稜線を歩いているのだが時々僕が先頭になると自分のペースで進むことになる。僕は”隊列を整えながら歩く”というのはダメなのである。そもそもみんなと違って山で息が切れるということがない。富士山山頂だろうが今回の標高4,000m超えだろうが酸素が薄いと感じたことはない。標高0mと何ら変わりはないのである。黙々と歩いているといつの間にかグループと距離が離れ、しばらくタバコでも吸いながら待つか、ということが何度もある。他のトレッカー達からは「アンビリーバボー」だとか言われる。屋根のある簡易シェルターで全員で休憩していてネパール人ガイドが「そろそろ再出発するか」と言う。僕が「あと5分で雨が降り始める。もう少し休憩しよう」と言う。するとその通りに5分後に激しいみぞれが降る。雲を見て「あと15分もすれば止む」と言えば大体そうなる。いつしか僕はネパール人ガイドからこう呼ばれていた。「サイトーはリアル・スーパー・マウンテンマン」だ。「この辺りに危険な動物はいるの?」と誰かがガイドに質問する。他のトレッカーが即座に「サイトー!」と言ってみんな笑う。当初の目的地はベースキャンプ4,500mではなく4,200mだか4,300mのアッパー・ビューポイントだった。でもガイドと僕は韓国人2人をベースキャンプに行かせたかった。それで僕が先頭の時にアッパー・ビューポイントへの分岐を無視してマルディ・ヒマール・ベースキャンプ方面へと進んだ。韓国人達は「アッパー・ビューポイントはまだ?」とガイドに何度も訊くが「あと5分だ」とか言ってごまかす。そして霧の中にベースキャンプが見えた。到着まであと3分ほどの場所で僕は韓国人達に先頭を譲る。下を向いて喘いで登っていた韓国人2人は最後まで気が付かずいきなり到着した4,500mの標識を見て驚く。「えっ!ベースキャンプまで登って来たんだ!」全員で握手して抱き合って喜ぶ。ヒマラヤの大展望は全く見れなかったが問題ではなかった。この岩に書かれた文字だけで良かったのである。ガンジャマンが「サイトー、Tシャツで記念写真撮ろう」と言う。撮った後に僕は置かれていた彼のダウンジャケットを奪って走る。「さ、寒い!サイトー、待ってくれ~」と追いかけてくる。他のみんなは「アイツら、バカだな」「狂ってる」と大笑いだ。ベースキャンプにはシェルターがある。中に入って休憩しようということになった。それがこのシェルター。中に入るとこんな感じ。コレってシェルターの役目果たしてる?韓国人2人にとってこの標高は厳しいらしくガイドがすぐに下山して標高を下げると言った。いや~、気のせいなんじゃない?標高たった4,500mなんで特に違和感ないんだけど。気温は多分0度前後、気圧は600ヘクトパスカル。そっか、気圧は平地の6割しかないんだ。僕とマレーシア人のジーウィーはここでゆっくり滞在。でも結局ヒマラヤが姿を見せることはなかった。僕達2人は夕方までかけてゆっくりとハイキャンプロッジに戻った。ロッジに到着した時、韓国人2人とガイドとポーターは高山病の問題から既に下山した後だった。あっけないお別れだったな、それが心残りだ。その夜は入れ替わりで登って来た別のトレッカー達やエクアドル人のかわいいエリアナ達と楽しい夜を過ごした。明日の夜明けの3時にベースキャンプに出発するエリアナに「明日の3時に見送りをするよ、起きれたらね」と言う。翌朝、3時にロッジの外でエリアナに会う。「本当に見送りのために起きてくれたの?」「最後にちゃんとしたお別れをしたかったからさ」真っ暗闇でハグ。いやはや、ワシも隅に置けませんなぁ。「じゃあ。楽しい人生を」まあ、それからの後日談としましてですな、ネパール人ガイドとも韓国人2人ともガンジャマンともそしてもちろんエリアナともインスタグラムで繋がってるんだが彼女からはその日の登頂時のこんな素晴らしい写真が送られてきた。うわあ~、韓国人達の日程に歩調なんか合わせずに1日遅らせてエリアナとベースキャンプに登れば良かった.......。
2025年06月08日
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いよいよマルディヒマール・ベースキャンプへ登る日だ。朝の3時にロッジを出てライトを頼りに暗い山道を歩きアッパー・ビューポイントで日の出を見る計画だ。ところが夜中から猛烈な雷雨となった。一応みんな3時にロッジの軒先に集まったがとてもじゃないが行ける天候ではなかった。ということで全員がもう一度寝るために部屋に戻った。僕はマレーシア人のジーウィーと相部屋だ。朝6時頃にみんな再び起きてきた。雨は止んでいるが濃い霧が出ている。朝食後に登るか、それとも登らずに下山するか?登ったとしても景色は望めない。軽い高山病の韓国人2人は下山の考えに傾いていた。ガイドとポーターを雇ったプライベート・ツアーなのでガイドに合わせた日程の制限があるし、延長したら追加料金だ。ガイドが「どうするかはあなた達の判断だ」と言う。韓国人達は「サイトーはどうする?」と聞いてくる。彼らはせっかくガイドを雇ってお金を払ってここまで来たのだ。天候が悪かったとはいえ、このまま下山したら後悔するだろう。僕としては、他人事だがベストを尽くして登って欲しい気がする。「天気が悪くて登らなかった」と「登ったが天気が悪かった」では似ているけれど全然違う。トライしたか、トライしなかったか。それは今後の人生で何かを決断する時に重要になる。韓国人2人は30代前半、僕は60歳だ。親子ほどの年齢差がある。親心じゃないけど、彼らにはチャレンジして欲しい。「俺は行くよ。俺だけでも行く」「よし、サイトーが行くなら僕達も行く」ガイドが僕を横目で見てニヤリと笑う。そうして朝食後に出発することになった。出発の際、マレーシア人のジーウィーも行くと言った。それからネパール人のガンジャマンも行くことになった。エクアドル人のエリアナとコロンビア人のジョアンナは「私達は1日停滞して明日登るわ」と言った。エリアナとハグして出発。うは~、かわいいピンクのうさぎさんのパジャマだ。てか、こんな山にそんなパジャマ持ってくる?ハイキャンプのロッジ周辺はシャクナゲの花が満開だ。歩き始めて1時間後、相変わらず深い雲の中だ。数m先で牛が寝そべっているのすら直前にならないと分からない。悪い視界の中を登るネパール人ガイド、韓国人2人、マレーシア人。時々みぞれ混じりの雨が弱く降る。これって眺望絶望的じゃん。しかしもう眺望云々の問題ではないのだ。1歩を踏み出したか、踏み出さずに帰ったか。見えない目的地を求めたか、見えないと言って諦めたか。僕は滑稽でもいいから自分の満足する方を選ぶ。
2025年06月07日
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標高3550mのロッジでみんなで晩ご飯を食べた後、晴れて星空が見えてきたので外に出た。南の空はポカラの夜景が見えてイマイチなのでロッジの北側の暗い場所で写真を撮っていた。僕を呼ぶ声がして振り向くとエクアドル人のエリアナがいた。彼女は日本にも旅行しに来たことがあって彼女はインスタグラムにも日本旅行の写真をアップしてるがまあとにかく僕好みのアクティヴな性格で顔立ちも相当かわいいのである。数日前からトレッキング道中で”かわいい子だなあ”と思っていてそれがいつの間にか一緒に行動するようになってその彼女と2人だけでヒマラヤの星空を眺めているのだ。(あれ?1年半前のヒマラヤでも似たようなコトあったな...)2人で空を眺めていると何やら東の空が帯状に明るくなった。何だアレ? 急いでデジカメのシャッターを押す。高感度モードだったか星空モードだったかは忘れたが気付いてからシャッターを押すまで10秒ぐらいあったかな?それでもそれは消えずに南東方向へ飛んでいるのだ。飛行機よりも速く、流れ星よりずっと遅い。そして尾を引いているっていうか”点”ではなく”線”なのだ。国際宇宙ステーションが頭上を通過する時よりやや速く多分ミサイルか人工衛星の大気圏突入の光なのかなあ、と思ったが光跡が広がるわけでもなく分裂するわけでもなく飛行機雲のでき方とはちょっと違うんだよなあ。ココはひとつ、天体に詳しいお方に解析して欲しいんだけど。ちなみに2025年5月3日の日本時間23時00分ってデジカメに表記。ネパール時間の19時45分。ステラ何とかみたいなソフトで調べれないかなあ。軌跡はネパールのマチャプチャレという山周辺を北西から南東に向かって飛んで行った。夜空の彼方に消え去るまで1分弱ぐらい見えてたかな。エリアナは「すごい流れ星!」と興奮してたけどどう見ても流れ星じゃないだろ。その後も2人だけで真っ暗な場所で過ごしてて「マチャプチャレをバックに写真を撮るよ、20秒動かないで」と日本の明治時代の写真の撮り方みたいなことやったりした。2人だけのいい雰囲気を壊したのはやはりガンジャマンである。(以下、ガンジャマンはガ、エリアナはエとする)ガ「サイトー、ガンジャまだある?」ガ「ここは星がよく見えるね。モバイルで撮ってこう画像処理して、と」エ「わあ、ガンジャマン、ステキ。私にもその処理方法教えて」ガ「そこに立って。しばらく動かないでよ」エ「きゃ~、モバイルでこんなに星が写るのね」さっきまでのワシとエリアナのいいムードは流れ星のように流れて消えた。さあ、明日の夜明けからマルディヒマール・ベースキャンプに出発だ。
2025年06月04日
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遂にマルディヒマール・トレッキングルートの最高宿泊地点「ハイキャンプ」に3日かけて到着した。といっても標高3,550mだから大したことはない。まあ子供でも登れると思うよ。僕の体調は全く問題ない。ただ問題は僕のリュックの中身だった。実は日本のお菓子をとんでもなくたくさん持って来たのだ。75リットル入るという大きめのリュックの半分近くがわさび味の柿の種とかエビせんべいとかブラックサンダーとかもう本当にお菓子ばっかりなのだった。もちろん僕が食べる非常食ではない。仲良くなった人達とワイワイと食べるためだ。そのためにダウンジャケットもアイゼンもリュックに入らず自分の所持品は必要最低限持って来ただけだ。トイレットペーパーだって使いかけのを芯を抜いて持って来てるのだ。(これはアジア貧乏旅行では皆さんがやってる技)そしてそのお菓子群が気圧で膨れて爆発しそうに膨れ上がってたのだ。そんなわけでロッジに泊まる度に夜はみんなで食べてたのだがもはやこのハイキャンプのロッジで食べ尽くさないといつお菓子が爆発してリュックの中で散乱するかわからない。もうみんなに大判振る舞いで、居合わせたフランス人老夫婦や韓国人グループやロッジのおかみさんやら全員に「さあ食べて、日本のお菓子だよ、さあ、ほら!」ってぐらいに半ば強引にお裾分けしたんだがそれがまたウケたのであった。みんな「どえらい美味いがね!」って感じで喜んでくれた。薪ストーブの周りにみんな集まって楽しかったな。さて、ヒマラヤでトレッキングするには許可証が必要だ。当然僕も【ポカラでがんばって取得】したのだがココへきて「許可証っていつどこで提示するんだ?」とふと思った。一緒に歩いて来た韓国人達やネパール人にそのことを聞いたら「普通にチェックポストがあって提示してきたよ」と言うじゃないか。「いや、俺はチェックポストなんて見なかったよ」なんて言ってたらあ、そっか、道が二股に分かれてる場所があって俺は頭にカゴを乗せた地元のネパール人の後をついて歩いててなんか獣道みたいなとこを歩いたなあ、と思い出した。そういえば「あれ?サイトー、いつ抜いてきたんだ?」なんて言われた時があったがその時だったんだ。というわけでせっかく取得したトレッキング許可証は提示することなく無駄になったのであった。あ~、3000円もしたのにもったいないぜ!
2025年06月02日
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ローキャンプからハイキャンプに登って行く途中で同じ日程でトレッキングをしている人達が何人もいた。当初僕はガイドもポーターも付けずに独りでいたが韓国人2人+ネパール人ガイド+ネパール人ポーターの4人グループと合流して計5人で歩いていた。そこにマレーシア人1人が合流して6人になった。更にエクアドル人のかわいいエリアナとセクシーなコロンビア人のジョアンナという女性2人、彼女達のネパール人ガイドが合流して計9人になり、それからネパール人の20歳の単独行の男の子も合流して計10人でハイキャンプの同じロッジに泊まることになった。20歳のネパール人の男の子はガンジャばかり吸っていてポケットには大量のガンジャを持っていた。他の仲間は吸わないけど僕は”あれば吸う”程度でネパール人の男の子(以下ガンジャマン)は「サイトーも吸う?」とウザいぐらいにくっついてきて「じゃあ吸うよ」程度に付き合っていたのだがガンジャマンはいつも普通のタバコをバラしてガンジャに詰め替えて僕にくれてばかりだった。ネパールの旅にガンジャはつきものであるが最後の頃は「もう要らないよ」と断るぐらいに今回の旅もガンジャがつきまとったのであった。ちなみに日本ではマリファナは麻薬だ、なんて教育しているがタバコよりもお酒よりも依存度は低いのである。吸えば平和的な思考と研ぎ澄まされた感覚になるが2時間もすれば元通りの感覚に戻るし更に欲しい、もっと吸いたいという考えにはならないのである。1度吸ったら廃人になる、といった日本の洗脳は間違っている。だからといってみんなも吸ってみて、と勧めはしないが教育されているほどに悪いモノではないのである。芸能人やミュージシャンが大麻(マリファナ=ガンジャ)を吸えばニュースにもなってファンも減ったりするんだが正直いってコレ吸ったごときでそんなに悪者扱いされるの?と改めて日本の常識の真面目さに感心および辟易するのである。まあ大麻の擁護をするだけで悪者扱いされちゃうから”吸っても暴力的にはならないしケミカル製の覚醒剤とは違うよ”とその程度の見解に留めておくか。それはさておき、みんなで遂にハイキャンプの同じロッジに泊まってワイワイと楽しい夜を過ごしたのであった。外は雨が降ってきた。
2025年06月01日
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