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棺の中の知人に、参列者全員が花を添えた。札幌の火葬場は過密で混雑しているので、火葬場ではもう顔を見ることはできない。だから、それが知人の顔を見られる最後の機会だった。きみの上にはただ花ばかり葬儀は無宗教で行われた。祭壇は作らず、棺を取り囲むように花が飾られた。読経のかわりに同僚や友人のスピーチが、焼香のかわりに献花が行われた。きみの上には、ただ花ばかり通夜にあたる「偲ぶ会」には200人弱が参会した。同僚の音楽の先生は、クラリネットを演奏した。アメージング・グレースの崇高な調べが心に染み入った。飲み友だちでもあった元同僚は、知人からプレゼントされたという歌のテープを紹介した。会場に、知人の歌声が鳴り響いた。後ろの席の若い男性は1時間強の「偲ぶ会」の間中、声をあげて泣いていた。昨年卒業した元教え子ということだった。人間は、あんなにも泣き続けることができるということを初めて知ったが、もし自分が死んだとき、家族以外のだれが、あんなに泣いてくれるというのか。「源氏物語」の時代、男性の魅力と価値を測る最大の尺度は「泣き方の優美さ」だったという。ぼくが女性なら、彼のような男性を夫に選ぶだろう。イラストレーターを目指しているというその彼のブログは、しかしよほどショックだったのか更新が止まっている。きみの上には、ただ、花ばかり献花の間中、知人が好きだった井上陽水の曲を流した。「すべての人に感謝します」という内容の歌詞がリフレインされる「ありがとう」や、「グッド・ナイト」という言葉で終わる「最後のニュース」、文字通りそうなった「五月の別れ」などが、不思議なほどマッチした。ブラスの効果的でかっこいい間奏のある「青空、ひとりきり」が、なぜかひどく哀切に響いた。きみの、上には、ただ、花ばかりがん細胞は、ひどくアタマのいいやつらしい。しかしその割にバカだ。宿主に寄生して共存すればいいのに宿主を殺してしまう。宿主を殺してしまうから、自分も焼かれてしまう。「偲ぶ会」のあとの、いわゆる「通夜ぶるまい」には、70人ほど残っただろうか。葬儀会社の会場係は、こんなにたくさんの人が残ったのは初めてと驚いていた。きみ、の、上、には、ただ、花、ばかり知人は、学生時代から絵を教えていたので、せんせい、と呼ばれていた。弔辞を述べる機会がなかったのでここに書く。せんせい、あなたにあえてほんとうによかった。素朴で、純真で、子どものように爛漫で、底抜けに人の好かったあなたは、しかし物事の本質を見抜く知性も合わせもっていた。それは奇跡といっていい現象だった。その奇跡に18年間も立ち会うことのできた幸運にはお礼の言葉もない。ありがとう。そして、さようなら。
May 22, 2008
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ある晴れた朝、知人は息をするのをやめた。睡眠時無呼吸症でよく息が止まることがあったので、またそうかと思った。しかし、無呼吸症の時は肺が動くのに動かない。明らかにいつもとは様子がちがっていた。耳元で名を呼び、「息を吸って」と叫んだが、二度と息をすることはなかった。それから10秒もたたないうちに心臓が止まった。母が死んだのも5月の、同じようによく晴れた日の朝だった。天気がいいと人間は楽観的になる。きょうは大丈夫だと思って帰宅した直後に危篤の知らせが入り、病院に戻ったときにはもう冷たくなり始めていた。だから今回は油断せず、ずっとそばについていた。息をするのをやめた瞬間のことは死ぬまで忘れられないだろう。たとえ植物状態であっても、生きてさえいれば、奇跡を信じる気持ちで強い心を保つことができる。がんが全身に転移した母とちがって、知人の体は健康そのものだった。ただ脳だけが問題だった。脳にできた腫瘍が、知人から少しずつさまざまな能力を奪い、最後には命を奪った。高校の美術教師だった知人は、21歳の若さで道展に入選するなど、きわめて優れた画才の持ち主だった。彼の絵に接して、そのうまさに舌を巻き、画家になるのをあきらめた人もいたという。初発の手術のあと、利き腕だった左手を使えなくなったため、右手で描くようになったが、それには相当の努力が必要だったようだ。それから18年、脳腫瘍が再発するまで、いやしてからも、作品の数は減ったとはいえ、創作意欲は決して衰えることはなかった。全身のマヒが急速に進んだ翌日、画材店につれていったが、イーゼルを欲しがったのには閉口した。それでも、人生の初期に絵画というライフワークに出会えた知人は幸福だったと思う。開いていた絵画教室には美人の生徒がたくさんいたらしい。が、冷たい美人ではなく、賢く堅実な女性を妻に選び、実生活も幸福だったと思う。いつも機嫌のいい人だった。珍しいもの、おいしいものに出会うと、まるで昭和30年代の子どものように目を輝かせて無邪気に喜んだ。あの笑顔が見られないなら、この世になんの価値があるだろう。ぼくがもう少し早くお金持ちになっていれば、早期退職をさせて、好きなヨーロッパ旅行に連れていけたのに、それができなかったのが悔しくてならない。ベネツィアやアッシジやシエナで、あるいはマテーラやアマルフィで思う存分絵を描かせることができたら、どんなによかっただろう。15年前に3週間、イタリアを旅したときは、まだ旅行に不慣れだった。今度はゆっくりレンタカーでと思っていたのに、叶わぬ夢で終わってしまった。高橋悠治の「作曲家の生活」にはこうある。・・・・だれもいなくなり、なにもなくなっても、創造の夢は、種子のようにただよいながら、それ自身を夢見続けることだろう。その夢は、けっしてやすらぎを知ることはない・・・知人の「創造の夢」は、けっしてやすらぎを知ることなく、種子のように虚空をただよいながら、それ自身を夢見続けるであろうと確信している。知人の名は廣澤正俊。1949年2月12日生まれ、2008年5月18日午前10時29分死去。59年と3ヶ月の生涯だった。
May 20, 2008
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病院への泊り込みも3週間を超えた。自宅以外の場所への連泊は、統一協会の従姉妹をやめさせるためにマンションに軟禁したときの2週間が最高だったから記録を更新している。最初の3日を過ぎれば環境には順応できた。電子レンジと冷蔵庫があるだけで食事は飽きない程度に変化をつけられるものだ。病院は都心なので、時々は抜け出して映画を観てくることもできる。何百キロも離れたところから日帰りでお見舞いに来てくれる人もいれば、本人の弟のように市内にいるのにこちらから連絡したとき以外は来ない人もいる。お花やお菓子をお見舞いに持ってきてくれる人もいれば、付き添いのためにちょっとした惣菜を差し入れしてくれる人もいる。きのうは農家まで行って買った朝取りのアスパラガスをゆでて持ってきてくれた人がいた。特に女性の細やかな気配りは率直にすごいと思う。大学時代の友人との絆が最も強いようだ。ただ息をしているだけの無反応な知人の顔を見るためにだけ、話せるようになっていることを期待して何度も来てくれる人もいる。同僚はもちろん高校教師だが、学生時代の友人もほとんどが高校教師になっている。みな、どこか浮き世離れしているというか超俗的なところがある。教師にはそういう人が多いということもあるだろうし、その中でもとりわけそういう人が多いのは類が友を呼んだのかもしれない。血中酸素濃度を測るようになったら最期は近い。叔母は1週間、父と母は2週間だった。知人はもう3週間になる。
May 17, 2008
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10年近く、ある地方自治体の外郭団体が発行する「年鑑」の編集を担当したことがある。編集の仕事の半分は企画を立てて原稿依頼をすることであり、あとの半分はレイアウトと割付けである。実際に本を作るのは制作といい、編集とはちがう。その原稿依頼は必要なく、レイアウトも決まっている。あとは割付けをして校正をするだけ。類似の仕事の相場からすると、民間の倍以上のギャラがもらえた、おいしい仕事だった。年鑑だから、たとえば2008年版には2007年に起きた出来事を載せる。そうすると、執筆依頼は遅くとも2006年中に済ませておかなければならない。しかしこんな簡単なことが、編集委員会を構成する「文化人」と担当部署の役人にはわからないらしかった。実際、仕事の依頼が来た時は年の半分も過ぎていたし、仕事の打ち切りの通告が来たのも夏だった。だから、最後の年の夏までの資料収集や取材はすべてムダになった。編集現場の進化や変化にも、この手の人たちはまったく無知で無頓着で、過去を繰り返していた。 デジタルデータで入稿してもらって<ページメーカー>や<クォークXpress>のような編集ソフトを使えば、数百ページの本でも一週間もあればできる。それを、手書き原稿→コンピュータ入力→紙出力→校正を繰り返すものだから、時間も費用も何倍にもなる。印刷所は、オペレーターの仕事が増えるから手書き原稿を歓迎する。効率化とコストダウンを提案することはない。こうして非効率とコスト高が温存されていく。何年か同じ愚行の手伝いを繰り返すうち、元凶が何であるかわかってきた。発注者である自治体の、窓口の役人個人が問題だということに気がついたのだ。すべての提案はそこで握りつぶされる。というか、提案自体を理解する知的レベルにない。自分がコンピュータを使えないので、世の中のたいていの人は使えないと思いこんでいた。こんな輩を税金で養っているのかと思うと暗然とした。だいたい、外注に出すほどの仕事ではない。通常の業務の合間にできてしまう程度の仕事にすぎない。こうした体験から、公共事業が民間の何倍ものコストで行われていることは容易に推測がつく。こうしたムダを省くのにいちばんいいのは、原則として公共事業を全廃することだ。民間企業も公共事業を受注しなければいいのだ。そのことで、どうしても不便が生じたら、その時だけ民間主導で臨時のプロジェクトを組めばいい。公立学校の耐震工事などの落札が不調に終わるケースが頻発しているらしいが、いいことだ。崩れそうなものは、崩れさせてしまえばいい。そんなところへ行かなければいいだけだ。公共事業を発注するバカに、受注するバカ。拡大再生産し続けたこうしたバカの輪が、縮小していくのは喜ばしい。というわけで、自治体からの仕事は断固として断らせていただく。ただし窓口の担当者がミシェル・ヨーやエレナ・ローラ・ハリングのような絶世の美女の場合にのみ、一定の考慮をする。
May 16, 2008
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難病の孫の治療費を捻出するため、未亡人の祖母は風俗店で働くことに・・・こういう内容の予告編を見て、この映画は観なくていいかなと思っていた。荒唐無稽なコメディか、お涙ちょうだいのセンチメンタルなだけの作品のような気がしたからだ。しかしこの映画は思いがけずよかった。孫への無償の愛が自分への愛へと昇華し、老いらくの恋を獲得していくラストには思わずブラボーを叫びそうになった。中ほどから、いったいこの映画はどういう結末を迎えるのがしきりに気になったが、なるほど見事な着地に胸がすく思いだった。ヨーロッパ映画ならではのおとなのラブストーリーとしてはパトリス・シェローの「インティマシー」が秀逸な作品だったが、この映画もそうした秀作の列に加えていいと思う。サム・ガルバルスキという名前は記憶するに値する数少ない映画監督のひとりだ。未亡人でふつうの主婦マギーを演じる女優と、風俗店の支配人ミキを演じる男優の、控えめでわざとらしいところのまったくない演技もすばらしい。風俗店で働いていたことを知られるマギーは友人を失うことになるのだが、その友人たちの偽善者ぶりも上手に描かれている。実際、映画つくりで難しいのは、そういう人たちを上手に描くことだと思うのだが、その点でも、この映画の脚本家や監督の実力には脱帽する。この映画はロンドンを舞台にしており、セリフも英語。テンポやリズムにイギリス映画の香りがあるが、監督はベルギー人だし多国籍のスタッフで作られている。特にヨーロッパ映画で、同じ国のスタッフだけで作られた映画よりこうしたスタッフで作られた映画に秀作が多いと感じるのはわたしだけだろうか。
May 15, 2008
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映画は監督で観ることにしている。というか、いい映画を観たら監督名を記憶しておいて、その監督の作品を追いかけるのが<正しい>映画生活だと考えている。その伝でいけば、この映画は監督名を記憶しようと思うほどではなかった。悪くはないが、同じ題材で、より優れた監督ならはるかに感動的な映画にできたと思うからだ。大金持ちの実業家としがない自動車整備工。立場と境遇の異なる二人が入院した病院で相部屋になる。共に余命6ヶ月。二人の間には奇妙な友情が生まれ、「死ぬまでやりたいこと」のリストを作り、病院を抜け出す。世界を旅したり、やりたいと思ってやっていなかったことに挑戦していく。余命を精一杯生ききろうという前向きさにはアメリカ人ならではの楽天性を感じる。単純でわかりやすい。こういうアメリカは素直にすばらしいと思う。絶望に打ちひしがれがちな日本人はこういう楽天性をこそ学ぶ必要があると思う。可能性の低い治療に専念するより、動けるうちに動いておく、という選択はありうる。母の乳がんの肺転移がわかり手術をしたとき、とりきれなかった癌が残った。そのあと抗がん剤治療をしたが、たいした効果もなく、10ヶ月後には死んでしまった。結果論だが、退院してからこの映画のような過ごし方もしようと思えばできたのだ。たぶん、死期は早まっただろうが、それこそ6ヶ月は、アフリカでサファリをしたり、アマゾンでクルージングをしたり、タイの奥地で象に乗ったりできたにちがいない。その途中で倒れてもいい。そうすべきだったという後悔が残る。アメリカ映画は男の友情を描くのがうまい。それには俳優の力が大きいと思う。この映画は、ジャック・ニコルソンとモルガン・フリーマンという、存在だけでもう何かを語ることのできるような俳優がいるからこそ可能なだったと言っていい。日本だけではなくヨーロッパを見ても、こうした役どころを演じきれる俳優はいないのではないかと思う。その意味では、この映画はこの二人の演技を味わうために見るべき作品かもしれない。違和感が残ったのは、二人の間に生まれる友情にリアリティが希薄なことが大きい。病気の老人同士にそう簡単に友情が生まれるだろうかと思ってしまう。また、余命がわかった段階で「したいこと」というのは、むしろ家族など親しい人間と思い出を作り共有することであり、あるいは何をどう残すかということではないかであって、「やってみたかったのにやれなかったこと」をやることではないと思う。人間はみないつか死ぬ。それはあしたかもしれないし、5年後かもしれない。平均寿命を余命と考えている人も多い。しかし、健康でいられる期間というのはそう長くない。70代後半にもなれば複数の病気を抱えている方がふつうだ。織田信長は人生50年と言ったが、50歳を過ぎれば、健康でいられる期間、いわゆる健康寿命というか「余命」はそう長くない。だからやりたいことは少なくとも50代までにやってしまう、「棺おけリスト」の大半を消化しておくことが大事なのではないだろうか。
May 14, 2008
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プライスレスとは、値段をつけられないほど価値のあるもののこと。マスターカードのCMで有名になったが、この映画はこの会社が協賛しているのだろうか。カードが小道具として効果的に使われている。金持ちの男を漁る小悪魔な女性が、ホテルのしがないウェイターを大金持ちとカン違いして一夜を共にする。ウェイターは彼女に恋をするが、金の切れ目が縁の切れ目。しかし、ウェイターはひょんなことから金持ちの未亡人と知り合い、彼女のアドバイスもあって優秀なジゴロとして成長していく。果たしてこの奇妙な恋のゆくえは?小悪魔な女性に扮するのは「アメリ」のオドレイ・トトゥ、ウェイターに扮するのはガド・エルマレだが、このエルマレがいい味を出している。素朴でお人好しな、どこか垢抜けないウェイターが身のこなしも粋な、しかも嫌味もなく汚れた感じもしないジゴロへと変化していくさまを上手に演じている。一方、トトゥはさほどはまり役とはいえない。小悪魔というにはちょっとトウが立っている。コケティッシュではあるものの、男が貢ぎたくなるようなタイプには見えない。また、ウェイターがなぜ彼女にそれほど惹かれるのかは描かれない。とにかく好きになってしまったのだから、という前提で話が展開していってしまう。しかし、この映画は楽しかった。映画はこうでなくちゃ、と思わせるものがあった。暴力もセックスもなく、南フランスかどこかのリゾート地のゴージャスなホテルのスイートルームなどを舞台に、恋や擬似恋愛の駆け引きが軽妙なテンポとユーモアを散りばめながら続いていく。何の世界観の提出もなく、問題提起もない、ただの娯楽映画にすぎないが、二転・三転するストーリー展開も飽きさせないし、適度に洒脱で日常を忘れさせてくれる。ニースやマルセイユを訪れたとき、あまりの風光明媚さに羨望をおぼえた。港に停泊する船をのぞいたら、夕食会でも行われるのか、食卓が整えられていた。まるで映画のようだと思って、その貴族的な文化や豊かさにさらに羨望をおぼえた。まぶしいほどの豪華さは卑屈になるほどだったが、そういう世界をこの映画で垣間見ることができる。昔はうらやましく思ったが、いまは、人間の生活とはこうでなくちゃと思うようになった。ラストには不満が残った。お金で買えないものに気づく、という暗示はあまりに常套的。彼女は金持ちのパパを見つけ、彼は未亡人とよろしくやりながら、二人はいつまでも愛を育みましたとさ、というラストだと面白かったのに。
May 8, 2008
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いわゆるネイチャー番組はよく見る。冒険家でなければ行けないような場所の風景を見られるからだ。「アース」は、トナカイやクジラなど主に動物の移動を追って、人間の気配のまったくない地球の大自然の旅へとわれわれを連れ出してくれる。いわゆるネイチャー・ドキュメンタリーは特定の動物や地域にフォーカスしたものが多いが、この映画は地球のすべてを対象にしている。200ヶ所以上を5年かけて撮影したそうだが、撮影そのものもさることながら、映像の選択と編集には苦労しただろうと思わせる。遠く離れたところから撮っていると思うが、ブレなどはまったくない。高性能なカメラの開発が、こういう映画を可能にしたのだろうと思う。ツルのヒマラヤ越えの映像はNHKの番組で見たものに似ているような気がするが、それ以外はネイチャー番組をたくさん観てきた者にも鮮烈なシーンが多い。ミニシアターで観たのだが、もっと大きなスクリーンの劇場で観るべきだったと後悔したほどだ。地球温暖化で動物たちも大きな影響を受ける。そのことは、この映画の一方のテーマになっている。つい人間中心に考えがちだが、地球温暖化はホッキョクグマやザトウクジラなど人間以外の動物の生存を脅かすまでになっている事実にはあらためて衝撃を受けた。もう少しひとつひとつのカットやシーンが長くてもいいのではと思った。多少の退屈さや冗長さがあってもいいと思うのだが、アングロサクソン的な、誰にでも受け入れられるテンポになっているのは、親子客を意識したのだろうか。また、ベルリン・フィルをフューチャーした音楽が少しうるさい。自然の音、動物の鳴き声に音楽がかぶせられているシーンがあるのには製作者の感性を疑う。その音楽もエドワード・エルガーのできそこないのようなもので、美しいが酷薄でもある自然の営みを、人間の価値観の色眼鏡を通して眺めているような印象もあたえる。しかしこの映画は一見の価値がある。こんなにも美しい星、いくつもの奇跡が生んだ地球という星に生まれあわせた幸運を、この映画を観てすべての「地球人」はもっとかみしめるべきだ。
May 7, 2008
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5月6日は母の命日。あっという間に2年がすぎた。この時期になると、母の造った庭が花盛りになる。ほとんど手入れをしなくていい多年草と花の咲く低木が多く、しかも春から秋までいつも咲いている花があるように考えて植えられている。母が生きている間はまったく気がつかなかったが、自分が死んだあとのことを考えて植えたのだろうと思う。産んで育ててくれて、死んだあとも見守ってくれる。そう思って見ると、まるで母の命がそれらの花に宿っているようで、神々しく感じられる。家も古くなったし、いっそのこと売ってどこかに引っ越そうかとも思っているが、母の造り給いし庭を見ると、この庭をつぶすのは母をもう一度死なすことのような気がしてくる。遺品は少しずつ整理したが、ネガフィルムは半分ほど整理したところでどうしても続けられなくなった。身につけていたもの、靴や服はそのままで、母が最後に家を出た日のままにしている。処分しろと言われていた絵もそのままだ。大正生まれで岩手の寒村で育った母は何につけ質素だった。どうしても必要なもの以外は買わず、着物すら持っていなかった。参観日には母をすぐ見つけられた。母だけ洋服だったからだ。昭和30年代でさえみな着物だったが、着物を買う余裕のない母親は参観日には来なかったのだろう。しかし母はそんなことには無頓着で、それは、あの時代にはかなり特殊なことだったと思う。映画や音楽会に行かせるのも大変。金券ショップで招待券を買い、もらったものだと言って渡すなど工夫した。タクシーも同様で、タクシーチケットを買って、もらったものだし有効期限があるからとウソをついて使わせる必要があった。母は定年間近まで働いていたので、手の込んだ料理を作ることはなかった。働く女性が少なかった時代、専業主婦の母親が作るお弁当と母が作ってくれるそれは、まるで別物だった。細やかに作りこんだ友だちの弁当をうらやましく思う反面、質より量という感じの母のお弁当を誇らしく思うこともあった。あるとき、小倉千加子がエッセイでまったく同じことを書いていたのを読んで驚いた。かなりの読書家だった母は、しかし自分の本はほとんど持っていなかった。国語辞典、熟語辞典などを除けば、堀田善衛の「インドで考えたこと」と何冊かの画集、あわせて10冊もない。アクセサリーや化粧品なども全部でクッキーの箱ひとつ分しかない。武満徹の「死んだ男の残したものは」をきくと、庭と、何枚かの絵と、出来の悪い息子ひとりと、ものすごくできの悪い息子もうひとりしかのこさなかった母のことが歌われているような気がしてならない。レナード・バーンスタインのミュージカル「キャンディード」は「庭を造ろう」という合唱で終わる。もちろん、そこでは庭は象徴的な意味で使われている。しかし大事なのはこのことなのだ。Make Our Garden Grow・・・われわれの庭を作り育てること、それが人生の意味だ。
May 6, 2008
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2時間10分のドキュメンタリー映画。1994年から13年かけて作られ、昨年完成したらしい。このドキュメンタリーの特徴はナレーションがないということだ。字幕とニュース映像の断片(米軍撮影のものと思われるが)で最小限の状況説明を行うだけで、ほぼインタビューのみで構成されている。話しているのはひめゆり学徒の生きのこりたち22人。この映画の完成を待たずに3人の証言者が亡くなっているというが、あの地獄を体験した人たちの証言が、こうして映像として記録され、映像作品として定着した意義はきわめて大きいと思う。戦争と一口に言うが、戦争のすべては個性的で、その体験は個人的だ。犠牲者の数や戦局の経緯などをどれだけ細かく語ってもそれは戦争の実相には迫らない。個人の戦争体験・戦場体験をできるだけ集める中からしか、戦争がどんなものであるかはわからない。この映画は、証言を通じて、戦争の現実と真実を明らかにしている。皇民化教育や旧日本軍の無責任な軍事指導には腹は立つが、そんな中でも命の尊さを説く人はいたし、沖縄県民を一方的に虐殺したとされることの多い旧日本軍にも人間的な人がいたのを知り、希望を感じた。映画は3部構成になっているが、その前後にプロローグとエピローグがおかれている。特に「重い」のは第3部で、ひめゆり部隊に解散命令が出て戦場に放り出された彼女たちがどんな経験をしどんな最期を迎えたのかが語られる。9死に一生を得た人たちの体験だから、その話はどんな鮮烈な「戦争」映画よりも想像力をかきたてられる。エピローグでの、ひめゆり祈念資料館で語り部をしている人の話は感動的だった。いつかあの世へ行ったとき、生きている間の経験を、ひめゆりのクラスメートたちにたくさん話せるよう健康で長生きしたい・・・それにしても思うのは「教育」の恐ろしさだ。すべての教育は「洗脳」である。自分の頭で考えぬいたこと以外を信じるなという反教育こそが求められているのではないだろうか。わたしにできるのは、天皇制を擁護するアナクロな連中の首を討ち取って彼女たちの霊前に届けることくらいだろう。
May 2, 2008
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