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November 24, 2013
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November 23, 2013
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第1幕と第2幕が終わって休憩があった。この休憩のとき、暑くはないのにびっしょりと汗をかき、立ち上がることができないほど打ちのめされた。人間にこれほど完全なものは可能だろうか。これを作ったのは人間か。「フィガロの結婚」がこれほどすばらしい作品だとは思ってもいなかった。これを作り出した人間の想像力と創造力は宇宙の創造にも比較すべき奇跡ではないだろうかとさえ思った。クラシックのコンサートに行き始めて45年。回数を数えたことはない。三千回を上回ることはないと思うが、千回を下ることはありえない。その中で、きのうのことのようにおぼえているコンサート、自我が崩壊するような感動を味わったコンサートというのは数えるほどしかない。多く見積もっても20回、厳しく選ぶと十数回しかない。王子にある北とぴあ(さくらホール)で開かれたモーツァルトのオペラ「フィガロの結婚」(セミステージ形式)は、そうした数少ないコンサート体験のひとつ、人生の宝といえるかけがえのない体験になった。もともとはスザンナ役のロベルタ・マメリめあてだった。マメリがスザンナをやるなんて空前絶後だろう、前回の「コシ・ファン・トゥッテ」は行けなくて残念だったからリベンジだ。そんな心づもりで出かけたのだが、アルマヴィーヴァのフルヴィオ・ベッティーニといいフィガロの萩原潤といい見事の一語で、腹の皮がよじれるくらい笑ったあげく感動のあまり涙が出るという、オペラ・ブッファならではの体験を味わった。作品の力と演奏の力。この二つが相乗したときにあらわれる世界を体験するのは、もしかしたらオペラでははじめてかもしれない。それには指揮の寺神戸亮のアイデアによる、演技も舞台装置もミニマムにした演出が大きい。そうすることで作品そのものに集中ことになった。これは一流の歌手を集めればそれでできるということではないと同時に一流の歌手たちばかりでなければできないことだ。マメリを見て聞くために最前列をとったが、このあやとりのような細部の入り組んだ物語を味わうには最適だった。マメリが全体から浮いてしまうのではという危惧もまったくの杞憂に終わった。第2夜はどうだったのだろう。さらにすばらしかったのだとしたら、見のがしたのがかえすがえすも残念だ。サントリーホールやオペラシティで見かける評論家や文化人の類が皆無。その点もすがすがしかった。
November 22, 2013
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モハメド・マシード。2009年から12年までモルディブ大統領をつとめたモルディブ民主化運動の活動家。20年の間に12回逮捕され4回投獄、2回の拷問体験がある。ポジティブ・シンキングという言葉のほんとうの意味を知りたい人、人間の行動力の可能性にわずかでも疑いを持ったことのある人はこの映画を観るべきだ。CO2の増加を主因とする地球温暖化、その結果としての海面上昇によって2000の島のすべてが水没する可能性のあるインド洋のモルディブ。この映画は、民主化運動の結果モルディブの大統領になったマシードが、国際会議でエゴイズムをむき出しにする先進国と発展途上国の指導者たちを明快かつ巧妙な論理で説得し、ついには少数意見に同意させ獲得ていく過程を中心に描いたドキュメンタリー。ヒラリー・クリントン、サルコジ、温家宝など見たことのある政治家もちらほら出てくる。こうした政治家たちの人品の卑しさは、マシードのような人物と対比すると鮮明だ。ひときわ醜悪などは自国のエゴを隠そうともせずむき出しにするインドや中国の担当者。そうした人物の主張に一定の理解を示しつつ、ひとまわり大きな論理で包囲して説得していくその過程には胸がすくし感銘を受けない人はいないだろう。そうしたマシードだが、ただ楽天的なだけではない。身の危険を感じ亡命するなど状況判断も正確だ。モルディブでは旧支配層を背景としたクーデターが起き、2012年にマシードは失脚したらしいが、現在のモルディブがどうなのかは気になる。国際社会はノーベル平和賞などでこの優れた人物を守り抜くべきだ。映画の作りにはBBCのドキュメンタリーの手法の影響を感じる。対象への密着だけでなく、周囲の人間のコメントも多く盛り込んで客観性を高めるという方法。土井敏邦氏が文章を寄せているので映画パンフを買ったが、こんなことは10年に1度もない。
November 20, 2013
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2004年にプーケット島を襲った津波に巻き込まれたイギリス人一家を描いた映画。実話に基づくという。映画としてはたいしたことがない。津波に巻き込まれた夫婦と子ども3人は、バラバラになりながらも何とか再会し、困難を乗り越えていくのだが、事実の数奇さ、おもしろさをそれほど超えない。ただ、困難な局面における人間精神の強さと脆さ、崇高さと卑小さの両方を描いているので奥行きがあるとはいえる。母親役のメリル・ストリープの演技もなかなかだ。しかし、アジア人を何か理解しがたい民族のように描いている部分もあり、有色人種差別を感じて不快だ。こうした映画を観る意義は、こうした映画を観て何を考えるかで決まる。こも映画は難局に直面した家族を描いている。母親と行動を共にすることになった長男は、母親を助け、母親から自分が苦しいときでも他人を助けることの大事さを学び、成長していく。愛にはいろいろあるが、その中でも最も強いもののひとつに「同志愛」がある。かつて、世の中ぜんたいが貧しく不便だったころは、生活じたいが戦いだったから、家族の中に「同志愛」が育まれた。子どもはすすんで家事を手伝い、親はいまの何倍も苦労して子どもを育てた。愛があるから苦労が気にならないのではない。苦労するから愛が生まれるのだ。こうした同志愛を介在しない現代の家族関係が弱く脆いのは当然であり、これはあらゆる人間関係にあてはまる。
November 19, 2013
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最終日、まだ行っていなかった水俣病の第2の爆心地「八幡残渣プール」を見たあと空港へ向かう。水俣市南部の集中していた水俣病患者発生が北側に広がり、御所浦、果ては対岸の天草など不知火海全体に広がった原因となったのがこの八幡(はちまん)残渣プールである。このプール自体を見ることはできなかった。どの道を行っても立ち入り禁止になってしまう。とはいえ、周辺はだいたい見渡すことができた。一言でいうと埋立地に作られた最終処分場で、殺伐とした一角である。戦前は塩田があったというが、そうした面影はまったくない。それにしてもこの処理場といい、チッソ水俣工場といい、水俣におけるチッソの物理的な存在の大きさを思い知る。ヘドロ埋立地とか社宅を入れたら、水俣の海沿いのある程度の平地のほとんどがチッソ関連で占められていると言っても過言ではない。いまとなってはもう想像するしかないし、想像すらできないが、チッソ(日本カーバイド)以前の水俣は、芦北海岸のような美しい浜と天然の良港が共存する国立公園級の美しい場所だったにちがいない。そんなところに工場を建て、自然を破壊し、そのことで生活できなくなった農民や塩田で働く人たちを工場で働かせていったという経緯は、日本の漁業会社が根こそぎ漁業資源を奪い、生活できなくなった漁民を缶詰め工場で雇用するといったインドネシアにおけるような新植民地支配の経緯と同じだ。水俣病問題は「公害」問題なのか。一私企業による目先の利益優先の愚行にすぎないのか。それとも、自然とともに生きる農漁民とは共存しえない工業文明が必然的に生み出したものなのか。そこで問われているのは何なのか。自然と人間、環境に対して敵対的・破壊的でない工業は可能なのか。そういう工業を目指すべきなのか、それともそれらは相容れるものではなく、文明の転換そのものが目指されなければならないのか。二者択一ではない中間はあるのか、それとも第三の道があるのか。それを考えるのは哲学者や思想家や社会運動家だけにまかせていい仕事ではない。本を読むのは大事だが、もっと大事なのは自分の足で現場を歩き、自分のアタマで考えることだ。実際、不幸な(被害者を無視した行政やアカデミズムを決してゆるすことのできない)20世紀最大の公害問題だという認識しかなかったが、新植民地支配と同じだという視点は、水俣を訪れるまで持つことができなかった。先月(10月)には天皇が水俣を訪れている。石牟礼道子のような人さえそれを歓迎するといったような風土がここにはある。いまだにチッソを頂点とするヒエラルキーは貫徹している。しかし相思社を訪れてみればわかるが、前天皇は水俣病の責任の一端を負っている。一方、現天皇はもう豊かな海は戻ったと水俣病問題を忘却もしくは終結させるために行動している。「ミナマタ」は海をめぐる文明の激突を提起している。人間や農漁業に害がなければそれでいいのか。そこからぬけおちる生命はどうでもいいのか。ここから導かれるのは生命第一主義、生命原理主義とでもいうべき結論である。それを脅かす人間たちを滅ぼす聖戦の開始こそが待たれている。
November 13, 2013
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鹿屋について「こんな町」などと言ってしまったが、鹿児島では3番目の大都市であり、生活に不便なところはほとんどない。映画館もあるし、札幌ラーメンの店まであった。山に囲まれているのでタケノコや山菜は豊富そうだ。九州では「酒」というと日本酒ではなく焼酎のことだが、この地域にも無名の会社がたくさんあり、森伊蔵などと遜色のない焼酎が破格の値段で手に入るらしい。しばらく滞在するなら、こうした酒蔵を訪ねて絶品焼酎を発掘したりするのはおもしろいかもしれない。北海道では、一般道のみの利用で一日に500キロ以上移動することは難しくない。平均時速80キロ走行が可能だ。しかし東北では時速60キロ以上は難しいし、九州ではさらに速度が落ちる。平均時速30キロくらいで移動プランをたてる必要がある。今回の旅では、宮崎県の土呂久にも訪れたいと思っていた。しかし大分や熊本との県境にも近いこの山里を訪れるのは距離の割にたいへんなことだというのがわかった。紅葉の名所として知られる秘境・祖母山の宮崎県側からのどんづまりにある土呂久訪問は諦めざるをえなかった。朝日新聞宮崎支局(当時)の川原一之さんや写真家の芥川仁さんたちの労苦がしのばれる。水俣の人たちも土呂久とはほとんど交流がないようだった。もっとも、最近では土呂久にも修学旅行生が訪れるようになったりしているようだ。こうして旅をしていると、次の旅のアイデアが自然と浮かび上がってくる。豊前火力発電所反対運動を行い「豆腐屋の四季」や「砦に拠る」で知られる故・松下竜一氏がいた大分県の中津市と土呂久、祖母山登山を組み合わせるような旅である。いずれにしても土呂久は、鹿児島からではなく大分や宮崎、熊本からの方がアクセスがよさそうだ。というわけで早朝に鹿屋を出発し、40キロほどのところにある志布志に向かう。ここは1970年代に持ち上がった国家石油備蓄基地計画に対して反対運動が起こり、計画の大幅な縮小をかちとった場所。住民運動が勝利した数少ない例のひとつ。縮小されたとはいえCTS基地は作られたので、それがどういう影響を及ぼしているのかを知りたいと思った。海沿いに住んでいる人なら、ちょっとした埠頭工事で潮の流れが変わり、入り江や海岸の形が変わってしまうのを知っているだろうと思う。見事な松林はかろうじて残っているものの、CTS建設によって浜が侵食されてしまっているのがわかる。もう少し風光明媚なところかと思って来たし、CTS本体は浜からほとんど見えないように景観には配慮して作られているように見えるが、ほんの少しでも人間の手が入ると自然はダメになるという見本のようだ。ここには全国でも珍しく松林の中にキャンプ場があるが、まだ手つかずの自然が残る地域から来た人間としては、こんなところでキャンプしたいとは思わなかった。松林自体も劣化しているようだった。その理由についてはわからない。植林事業なども行われているようで、朝から作業していたが、時には猛威をふるう自然も実は非常にデリケートなものではないかと感じた。予定では日南海岸のビーナスラインを走って宮崎まで行き、アジア砒素ネットワークの事務局を訪れるつもりだった。海岸線だから飛ばせるだろう、そう考えた。ビーナスラインは海外旅行が一般的でなかった時代は新婚旅行のメッカとして知られ、その南国的な風景は多くの人の憧れだった。その核心部は都井岬から日南市にかけてだと思うが、今となっては特に魅力を感じない。しかも道が細く曲がりくねっているので海岸線にもかかわらず距離を稼ぐことができない。結局、宮崎市行きは諦め、日南から都城経由で水俣に帰ることになった。先日の教訓を生かして2ケタ国道のみを選択したので、太平洋側から不知火海側までかろうじて明るいうちに着くことができた。
November 12, 2013
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ひたすらドライブする予定で宿を出た。きのう行けなかった長島町方面をまわって指宿まで南下、鹿児島湾をぐるっと走って友人のいる鹿屋で泊まるつもりだった。しかし、出水市にさしかかるとやたらに「つる観察センター」の標識がある。それほど回り道でもないし行ってみることにした。知らなかったが、出水市は日本どころか世界一のつる飛来地だという。10月から3月まで、1万羽を超えるつるが飛来するらしい。ちょうどボランティアとおぼしき解説員が、数人の集団にいろいろと教えているところだったので便乗させてもらったが、つるの出発地に関する情報や飛行距離、つるの種類と性質に関する話は非常に興味深く、つい聞き入って長居してしまった。このつるを見に来るだけでも価値がある。ピークのちょっと手前だったようだが、ピーク時に来てみたいと思うほどだった。長居してしまったので、長島町行きはあきらめ、まっすぐ指宿に向かうことにした。おもしろいのは、出水市は鹿児島県の北端だが、「鹿児島の北海道」と呼ばれるほど寒い土地だということ。たしかにこの日も寒かった。それが、原発のある川内、ちけあげで有名な串木野あたりからどんどん南国っぽくなっていく。南九州にはミクロネシアから渡ってきた人たちの子孫らしい風貌の人がいるが、そういう人の割合も多くなっていく。外国に来たような感じがして心がうきうきしてくる。開聞岳がきれいだったという話をきいたので開聞岳を一周し、夕方、長崎鼻のすぐ近くにあるヘルシーランド(たまて箱温泉)で入浴と夕食。ここの露天風呂は開放感がありすばらしい。撮影禁止の表示を、撮影しまくったあと見つけた。大隅半島の鹿屋に行くには、鹿児島から垂水にわたるフェリーに乗るという手もあったが、まだ明るいので錦江湾をぐるっとまわり海沿いを行くことにした。鹿屋に行くのは、今回の旅行の目的の一つでもあった。冬の間、滞在できそうな家があり、その家に泊めてもらうことになっていた。しかしまぬけなことに、ちょうど鹿屋に着いたころ携帯もIPADもバッテリーが切れてしまい友人と連絡がとれなくなってしまった。シガーライターから充電できるソケットを忘れてきたのがここで響いた。ただ、来てみると長く滞在はできないと思うようなところだった。住めば都なのかもしれないが、これといった特徴がない。空港からもかなり遠い。桜島は見えないのに桜島の灰が降る。市役所近くの公園で車中泊する羽目になったが、けっこうな数の車がいて早朝には出発していった。旅行者など決して来ない町だから、地元の人だろう。こちらも、こんな町にはもう用がないので、明るくなったらすぐ出発。志布志から日南海岸を走る予定なので急がなくてはならない。
November 11, 2013
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公的施設は月曜日が休館のことが多い。そこで日曜日は水俣病情報センター訪問をメーンに、徒歩で水俣市中心部を歩いたあと湯堂や茂道といった患者多発地区を訪れ、時間がゆるせば出水市を超えて長島町まで足をのばそうと考えた。結果的には、出水市方面に行くことはできなかった。北の津奈木町方面よりもさらに道が狭く入り組んでいて、予想以上に時間がかかってしまったからだ。それでも、袋湾の美しい景色を見ることができたし、水俣病公式確認の地である坪段にもかろうじて訪れることができた。水俣駅に車をとめる。海側に下ったすぐのところにチッソ水俣工場の正門がある。これほど露骨な企業城下町も珍しい。そこから500メートルほど南に歩くと、水俣病の「第一爆心地」、原爆にたとえるなら水俣におけるヒロシマというべき百間排水溝があり、水俣病巡礼一番札所の地蔵がある。この地蔵は新潟の阿賀野川の石で作られたものだ。百間排水溝の小ささに驚く。ここから有機水銀を含む排水が垂れ流されたのが水俣病発生の原因だが、こんな小さな排水溝からの排水が八代湾どころか不知火海全体を汚染したというのは、事実を知らなければ想像できない。ここから類推できるのは、太平洋全体、地球の海洋全体を汚染するのに大した手間はかからないということだ。湯堂と茂道にはさまれた袋地区も患者多発地区。この地区は国道まで割と平坦なので行きやすい。そのせいかガイアみなまた、エコネット水俣、はんのうれん、水俣浮浪雲工房などが集中している。以前、甘夏みかんの共同購入をやったときに少しだけ交流があったので、どこか一箇所は訪ねておきたいと思ったが、見つけることができなかった。レンタカーにナビをつけるんだったと後悔した。故砂田明さんが建立した「乙女塚」は見つけることができた。この乙女塚には胎児性患者・上村智子さんの遺品とともに、南京大虐殺記念館の庭石、白保のサンゴ、知床原生林の切り株、ヒロシマ・ナガサキの被爆瓦などが納められている。水俣病で犠牲になった生き物すべての霊を祀った場で、定期的に慰霊祭などが行われている。侵略戦争を賛美し戦犯を祀っている靖国神社とは対極をなす。 水俣にはほとんど食堂がない。とくに夕食をとる場所を見つけるのはかなり困難。丸島漁港にある鶴岡食堂は定休日。というわけでしかたなく道の駅みなまたにある「味の駅たけんこ」で昼食。一昨日の昼食も「道の駅」(たのうら)だったが、水俣らしい食べ物にありつくのは短期滞在者には難しいようだ。ヘドロ埋立地はエコパーク水俣という広大な公園になっていてその先端は親水護岸(親水緑地)になっている。このヘドロ埋め立て工事があらたな水銀汚染拡大をもたらす可能性が高いというので反対運動が起こり、一定期間、工事を中止させた。ちょうどそのころその反対運動にかかわったので、感慨がある。「エコパーク」の下には、いまも高濃度の有機水銀が埋め込まれたままだ。つまり、埋め立て事業それ自体はともかく、エコパークそのものが欺まん的なものだということだ。緑地公園の下には高濃度有機水銀。これは人類がよってたつ文明そのものを表している。エコパークに隣接する高台には国と県と市の施設が軒を接して建てられている。国立水俣病情報センター、水俣市立水俣病資料館、熊本県環境センターの3つ。前者ふたつは廊下でつながっている。観光コースにも組み込まれていて、ツアー客がひっきりなしに訪れていく。水銀は自然界にも存在し害ではないとか、チッソでは世界中で必要とされる原料を作っているとかいった展示がまず目に入るようになっている。エコパークと同じく、欺まん的な施設である。ニュートラルな体裁をとりつつ、実際はチッソを免罪するためにあるようだ。というより、過去の失敗は忘れて前向きに生きようと呼びかけているかのようだ。原爆慰霊碑の碑文「あやまちは繰り返しません」を思い出させる。主語のない、誰に向かってかわからない発語を日本人は得意とする。「がんばろう日本」などはその典型だ。ただ、展示の物量は圧倒的で、忘れていたようなことを思い出させてくれる展示もあり、やはり水俣に来たなら訪れておくべき場所のひとつだろう。患者が語り部になる催しも定期的に開かれているようなので、できればそういうタイミングに訪れたい。国立水俣病総合研究センターでは、無料で毛髪水銀量をはかってもらえる。驚いたことに、5.6ppmという高い数値が出た。これはかなり危険な数字。東日本と西日本では平均値が異なるが、西日本の2倍以上の東日本の平均値より、さらに2倍以上。思いあたることがある。マグロだ。原発事故以来、太平洋の魚介類は食べないようにしてきた。インド洋と大西洋のマグロを食べる機会が多かった。マグロは日持ちがするし好物のひとつなので、週に300グラムは食べていた。厚生労働省のホームページを見ると、マグロは世界的に水銀に汚染されているので、妊婦は食べないようにとある。それ以外の人も週180グラム以内を推奨している。危ないところだった。あの調子で食べ続けていたら、水俣病になっていたかもしれない。きっぱり、マグロやカツオを食べるのはやめることにした。
November 10, 2013
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9日は土曜日とあって駐車場は7時には満車。7時40分に登り始め、9時10分に頂上着。かなりゆっくり歩いてこの時間だから、空身で急げば1時間程度だろう。登山口の標高は1250m、頂上が1700mなので標高差は450m。アップダウンはほとんどないので獲得標高差も同じくらい。好天にもかかわらずガスが出て眺望はいまひとつだったが、360度を見渡せ高度感がある。それほどの苦もなく登頂できるにもかかわらず眺望のいい、初心者に絶好の山。新燃岳の噴火のため霧島山への縦走は禁止されているが、この縦走はかなりおもしろそうだ。眺望はいいが、意外と遠望がきかない。とくに水平線の低い位置は空気が淀んでいる。これと同じ景色、内陸部の低い場所ほど空気が黒く淀む風景は1980年代までの札幌でよく観察された。一言でいうとスモッグである。たぶんこれは中国からのPM2.5に桜島や普賢岳の噴煙のそれ、大気汚染がミックスされたものだろう。札幌のかつての大気汚染はスパイクタイヤによる粉塵とクルマの排気ガスが主因だったが、スパイクは禁止され排気ガスは改善された。しかしこれらが原因だとすると九州の大気汚染の改善は難しい。実際、夫婦で九州を一ヶ月以上旅している人と話したが、鹿児島では奥さんの喘息が悪化したとのことだった。標高の高い硫黄山側登山口から登り、大浪池登山口に下山。大浪池側登山口から駐車場まで少し戻らなければならないが、この選択はプチ縦走気分が味わえて正解だった。韓国からの登山グループと数組遭遇。AMラジオをつけると中国や台湾、南北朝鮮の放送がたくさん入り、距離の近さを感じる。下山すると、クルマの多さに驚いた。まだ時間があるので霧島山にも登ろうと思ったが、行楽客のクルマが何キロも路上駐車していて諦めざるをえなかった。この調子なら霧島温泉は混雑がひどいだろうと考え、反対側のえびの市側にある白鳥温泉上湯に。えびの市を見おろす見晴らしのよい露天風呂がある。入浴料は500円で宿の奥には通称地獄谷があり、湯けむりがあがっている。硫化水素臭がするので危険もあると考え入らなかったが、地熱を利用した蒸し風呂もあった。日曜日は水俣病資料センターと水俣から南側の地区に行く予定なので、霧島から出水市経由で水俣に帰ることにした。ロクに地図も見ずに出水方面への矢印にしたがって走行していると、とてつもなく細くて山深い峠道に迷い込んでしまった。途中に紫尾温泉があったから紫尾峠だろう。あとで地図で確認したら、たしかに近道だが、まるで「もののけ姫」に出てきそうな場所。実際、ニホンカモシカを数十頭は見たし、一頭はあやうくひくところだった。これは地図では立派な道のように表示されているが、断崖絶壁の淵を通る箇所もある非常に危険な道。一時は遭難を覚悟したほどだが、この道を走ったことで3ケタ県道にはトラウマができた。トラウマと共に九州ではなるべく国道を選んで走行すべきという教訓を得た。九州は道が狭いせいか軽自動車が多い。夕暮れ時、軽自動車でさえ脱輪しそうな街灯のない狭い峠道を1時間近く走るのは、登山よりよほど疲れる難行だった。
November 9, 2013
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8日はよく晴れた。ガイドブック「水俣を歩き、ミナマタに学ぶ」(熊本学園大学水俣病研究センター)にしたがって、まず水俣病の広がりを体感してみることにした。湯の児は水俣市中心部から北へ5キロほどの温泉リゾートで人工の浜もある。ほぼ海沿いに県道56号線が通っていて、芦北海岸と呼ばれリアス式海岸の入江に漁村が点在する。チッソが水銀をたれ流した水俣川河口から30キロ以上離れた井牟田でも患者が多発している。沖合10数キロのところにある御所浦島でも患者が多発していることを考えると、不知火海全体が汚染されたと言ってほぼ間違いがない。これは公害などというものではなく、一企業による地域の生態系全体の破壊にほかならないことがわかる。九州は道が狭く曲がりくねっている。そのせいか軽自動車が非常に多い。軽自動車でさえすれ違えないような道の両側にはミカン畑が広がる。岬を超えるたび、それなりに豊かさを感じさせる漁村が現れる。リアス式海岸の常で背後には山が迫り、かつての交通の不便さがしのばれる。ほとんど自給自足に近い生活だったのではないだろうか。魚が主食で米が副食といった地区もあるらしい。そういう豊かな海に恵まれたことが水俣病多発の要因の一つになっているのだから皮肉だ。芦北海岸は患者運動も盛んらしい。しかし訪れるだけでたいへんなこの地区からは陳情ひとつ行うにしても、検診を受けたり行ったりするのも非常な労苦がつきまとったであろうことは容易に想像がつく。実際、この日は芦北海岸だけでなく、患者最多発地域である水俣市から南側の出水市にかけての地域も訪れるつもりが、たった80キロほどの運転で疲れ果ててしまった。水俣病の症状はさまざまで、加齢によって起こる体調の変化と区別がつかないものもある。耳鳴りや頭痛、手足のしびれなども起こるらしい。かつて、日本中の工場は平気で排水をたれ流していた。当時住んでいた近くの川の汚染もひどいもので、工場の川下で獲れた魚は決して食べなかったが、上流で獲れた魚は食べた。こうした魚も何かで汚染されていたかもしれないし、そもそも近海魚や大型魚は地球規模で汚染されており、いろいろな研究機関が日常的な摂取を控えるよう勧告していたりする。重化学工業そのものがこうした環境破壊を必然とするものなのかどうかはわからないが、耳鳴りや頭痛や脱力に悩まされている人は、環境汚染による健康被害を疑ってみる必要はあるかもしれない。芦北から田の浦へ行く途中にある計石温泉(入浴料170円)に入ってみたが、それほど高齢でもない人たちの動作の緩慢さに驚いた。もしかするとこのあたりの高齢者の多くは中程度の患者なのかもしれない。10日が雨の予報なので9日は韓国岳に登ることにした。駐車場の混雑が予想されるので近くまで行き車中泊することにした。水俣からえびの高原の入り口までは90分ほど。えびの高原は日本で最初の国立公園。韓国岳は霧島連山の最高峰で、新燃岳の火山活動のためしばらく入山が規制されていた。韓国岳から霧島山までの縦走は依然として規制されている。
November 8, 2013
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7日朝は雨。小降りになるのを待って11時に出発。エコホテル湯の児に17時にチェックインする予定なので、何はさておいても水俣病センター相思社に行くことにした。ここには水俣病歴史考証館があり、資料などが展示されている。2時間もあれば見られるだろう、と思ったら85年から水俣に住んでいる相思社の弘津さんとは映画監督の故・佐藤真の思い出や水俣の映画についての話に花が咲き、袋地区出身のスタッフの永野さんとは去年逝去した原田正純氏の思い出や個人的な体験をきくことができあっという間に4時間がすぎた。水俣病で死んだ猫の墓に参ることもできた。わたしが水俣病患者の支援運動に関わったのはもう30年近く前である。しかしその30年の時間などなかったかのように、お互いの魂がたちまちのうちに響き合う。こんな経験はそうあるものではない。水俣にはいつか来なければとずっと思っていた。なぜなら、水俣病は不幸な公害問題などにとどまらない、ある大事な問いを未来と世界に突き出していると思うからで、その問いそのものとその答えは水俣に来なければわからない性質のものではないかと感じていたからだ。数日の滞在で何がわかるかという疑念はぬぐえない。しかし、必ず何かがつかめるだろうと確信している。水俣の死者たちの魂に導かれてここに来たが、初日でもう魂の響き合う人たちと出会うことができた。相思社では毎年、11月はじめに「水俣の秋を食べる」という催しをやっているらしい。4日間のこのイベントに参加するのが、ミナマタを知る最適な機会と思われる。相思社ではガイドも行っているので、数人まとまるなら、ツァーガイドを頼んだ方が絶対にいい。なぜなら、地理に不案内なところを個人でウロウロするのは非常に効率が悪いからだ。相思社自体、町の中心から離れたわかりにくい場所にある。標識があるのでたどりつけたが、看板も出ていないような場所を見つけ出すのは一苦労だ。知らなかったが、相思社には一泊1800円で泊まることもできる。こうした収入は貴重な資料の保存や施設の維持に使われるので、次回はここに泊まることにしたいと思う。エコホテルは、タオルや寝巻きなどをおかず、布団の上げ下ろしなどもセルフで行うことで人件費を低く抑え、低料金で泊まれるタイプ。全国に少しずつできている。湯の児のエコホテルは今年5月にオープンという。水俣の中心部から4キロほど離れた温泉街の上部にある。10畳ほどの和室に通される。長期滞在している人たちも多いようだった。水俣では産廃施設に反対する住民運動が勝利するなど、水俣病発生を教訓とした人たちも多いようだ。熊本県全体に言えることだが、反農薬農業を行っている人たちも多い。相思社ではこうした農家が作っているお茶なども販売しているので、何点か買い求めた。
November 7, 2013
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きょうは移動日。朝7時にりべるたんを出て、新宿から名古屋まで高速バス。富士山を眺めながらの東海道は新幹線、在来線、自分の運転などで何度も通っているが、レナード・バーンスタインが感嘆した美しさはほぼ完全になくなっている。住宅地と工場と田んぼが同居する風景というのも奇妙なものだ。高速バスに乗るのは久しぶりだが、映画が観られるようになったのが嬉しい。2本も観るともう到着。名古屋に入った、と気がついたのは空気の透明度が低くなったのを感じたからだ。大気汚染そのものの状況は東京とさほど変わらないと思うので、たぶん中国からのPM2.5だろう。新宿〜名古屋は2500円。名古屋から中部国際空港までは名鉄で50分850円。鹿児島までの航空券をジェットスターのセールで980円で手にいれているので、こういうものがやけに割高に感じる。九州には6泊する。決めているのは水俣に数日滞在することと、霧島山に登ることのみ。レンタカーは6泊7日で約2万円。一昔前に比べてずいぶんと安くなったものだ。到着が夜だったので、空港からクルマで15分ほどの妙見温泉田島本館に向かう。1泊2865円の湯治宿。予約なしでは泊められないというのを、ネットも電話も圏外だったとネゴシエイトしてなんとか泊まることができた。川沿いの露天風呂が雰囲気といい泉質といい素晴らしい。キズ湯、胃腸湯など3種類のお湯があるが、柔らかく包み込まれるようなお湯は、もしかしたらこれまで経験した最高の温泉かもしれない。ただし露天風呂が川に面しているのは男湯だけ、内風呂も男女で大きさが大きく異なる。こういうところに封建遺制の残る九州を感じる。
November 6, 2013
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November 4, 2013
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クラシック音楽の受容にはいくつかの段階がある。まず曲を知る段階。時間の篩にかけられた名曲は、世界中の美女を集めたハーレムのようなだ。その美女たちひとりひとりを知っていくほどの幸福や快楽は比較の対象がない。これを1とする。次は聞きくらべ。名曲には限りがある。しかし、ちがう演奏できくと、まるでちがう曲というか、得られる感動がまったく異なる次元に入っていく。これを2とする。厳密に調査したわけではないが、音楽ファンのうち、1の段階に達する人でさえ実は少数だ。生まれつき好奇心のレベルの低いということなのだろうが、ショパンはきいてもブルックナーはきかないとか、自分がたしなむ楽器以外のジャンルには興味がないとか、「偏食」な人はあきれるほど多い。2の段階に達するのは男性がほとんどだ。まあ、女性は服や化粧にお金がかかるので何種類もCDを聞きくらべたりできないのだろう。音楽をいい音できこうという人も皆無だ。オーディオフェアで女性を見かけることはない。たまに見ないこともないが、女性のはずがないのできっと女装趣味の人だろう。2の段階で終わる人も多い。許光俊のような評論家もそのひとりだ 。そうして音楽ファンの1%にも満たない少数がたどりつくのが、未知の音、未知の音楽体験との出会いである。実は、現在流通している音楽の99.9%は、同じ音楽言語で作られている。クラシックもジャズもロックも演歌もKPOPも、実は音楽的には同一である。19世紀ヨーロッパで完成したこうした音楽語法に飽きたらない人々がたどりつくのが、現代音楽とフリージャズと民族音楽である。理由は詳述しないが、この3つが交わる場所にこそ新しい音楽の可能性がある。こうした音楽の可能性を実際の作品や演奏でかいま見せてくれる音楽家は、世界ぜんたいを見わたしても少ない。そのひとりであり、たぶんその最前衛なのが高橋悠治であることに異論のある人はいないだろうが、いたらかかってこい。三軒茶屋にある定員50名のサロン・テッセラ。ここでピアニストの廻由美子のプロデュースによる「テッセラの秋・第13回音楽祭」が3日にわたって開かれるというので行くことにした。ただし第3夜「林光に」はソールドアウトで行くことができなかった。開会の挨拶で廻氏は「高橋悠治という音楽家の存在のおかげで、音楽界がどれほどカラフルになったか」と言ったが、なるほどうまいことをいうと思った。第一夜は第一部がソロ。ネットで探しあてたというクロード・ルドゥ、ファン・マリア・ソラーレ、旧友のジェフスキーの作品。第二部が廻氏との連弾でソラーレとルドゥ作品の間に自作の「とげうた」(1980、2009年改作)。すべてはじめての曲だったが、「とげうた」と最後に演奏されたルドゥの「ヘヴィー・ファンク」をおもしろくきいた。リズムとも、リズムのずれともいえないたどたどしい音型から虐げられた女たちの歌の断片がこだまする前者、灼熱のような「ファンク」のリズムが高揚していく後者はいずれも連弾ピアノのための傑作といえる。第2夜は「風ぐるま」と題してメゾ・ソプラノの波多野睦美とバリトン・サックスの栃尾克樹がゲスト。前半はパーセル、バッハ、プレヴィン、ハジダキスの歌曲を5曲のあと、栃尾のソロでの新作「網膜裂孔」、永瀬清子の詩による「小さな水車のように」。後半はすべて自作曲で「影の庭」(2006)、辻征夫の詩による鳥籠、突然の別れの日に、六番の御掟について(2012)。ハジダキス「好きなの」(1972年)の素朴な美しさ、栃尾の闘病体験によるというサックスソロ「網膜裂孔」のユーモアが印象に残る。サックスとピアノのための「影の庭」も、ソロと伴奏といった音楽ではなく、さりとて二つの楽器の対話でもないユニークな音楽。もつれるようにからみあったり、別々の歩みが突然出会ったりする。辻征夫の詩による3曲は、詩の言葉から生まれた歌にピアノやサックスが異化するような、注釈するような音楽がついていく。言葉にこびることのない音楽。1曲目はピアノ、2曲目はサックス、3曲目はピアノとサックスの両方が使われている。歌というより詩の朗読といった部分も多い。この2夜の曲目の多く、特に自作曲はCD化されるような気がする。リリースされたらじっくりと聞き直してみたい。
November 3, 2013
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東京に来ている。目的は4つ。三軒茶屋のサロン・テッセラで開かれる「テッセラの秋 第13回音楽祭」をきくこと、千葉動労その他呼びかけの国際労働者集会に参加すること、映画「ニッポンの嘘」を見ること、そして東池袋の共同スペース「りべるたん」を体験することである。もうひとつ、東京インターナショナルオーディオショウにも行くつもりだったが、結局5泊した「りべるたん」がおもしろくも刺激的でかすんでしまった。運もよかった。たまたま大学祭シーズンで、自主乾杯祭や脱就活シンポジウムなどに参加する学生やOBが全国から来ていて交流できた。女子大生数人と雑魚寝した50代男は世界的に見ても稀だろう。GoogleMAPで場所を見つけられないという初めての体験をしつつたどり着いたりべるたんには、たまたま法政大文化連盟の前委員長と現委員長がいた。しかしこのふたりは昨年の「全日本無罪祭」で見知っていたので、すぐに打ち解けることができた。りべるたんに居住しているのは映像作家志望のMくん、科学喫茶コペルニクスの店長Kくん、ゆとり全共闘の菅谷くん。それに演劇をやっているEさん、全国学費奨学金問題対策委員会代表の東洋鍋子さんなどが入れ替わりで登場し、マイナー有名人たちの顔と名前がはじめて一致した。ヒッチハイクでやってきた同志社大のカップル、北大出身のNくん、やたら戦闘的なHくん、神戸大のイケメンSくん、やはりイケメンだが童貞の明学大Mくん、それぞれ早慶に進学が決まっている横浜の高校3年生二人組など、革命系若者多数と一度に面識ができるのがりべるたんマジック。りべるたんを知ったのはたまたま某大学構内で飲酒闘争を行っていたグループに声をかけたからだが、ひとりを知るとたちまち何十人もの知り合いができる。自由と自治は切り離せない。言論や表現の自由は、それを行える場所の獲得なしにはありえない。自治的空間はかつて学生会館や学生寮だけでなく大学自体にあった。しかし、こんにちでは大学内でビラまきができない、立看板が立てられないといった状況が普通になっている。大学が学問の府であるよりは利潤追求の営業組織になってしまったからだ。学外でのビラまきに対して「営業妨害」として恫喝的な仮処分申請をした法政大学は、新自由主義大学の先頭を走っていると言って過言ではない。そうであるなら、大学の名に値しないこうした大学は解体をも視野にいれて戦わなくてはならない。誰でもが自由に入れるはずの大学祭でさえ、処分者や批判者はガードマンやゲバ職員が暴力的に入場を阻止する。しかもその大学祭で行われているのは、模擬店でなければ単に享楽と消費のほとんど白痴的ともいえる催しばかりで知的なイベントはほぼ皆無だ。法政大学では学祭での飲酒を禁止するだけでなく、今年からアルコールを摂取した人間の入場すら禁止するようになった。こうした管理の思想からファシズムまではほんの一歩である。法大文化連盟の学祭実行委員会打倒方針の正しさは明らかだが、こうした管理の思想は日本社会全体の風潮の反映でもあるだろう。そうであるなら、法政大学と同じく日本社会自体も解体の対象だが、その核心点は、管理の思想を体現する走狗どもの一掃ではないだろうか。おもしろいのは、たとえば科学喫茶コペルニクスのKくんが典型的なのだが、中心的なメンバーはむしろノンポリだということだ。しかし言いがかりとしか言いようのない不当逮捕を経験することによってこの社会のからくりに気づき、かなりの決意性を要求されたようなデモに気軽に参加するようになっている。このブログを読んでいるであろう公安のクズどもに告ぐ。微罪の不当逮捕を激発せよ。そうすればノンポリが革命運動に決起する。逮捕だけでなく、わたしに加えたような理不尽な暴力を加えると最高だ。そうすれば、青春の通過儀礼ではなく、わたしのように死ぬまで革命を追求する人間が弾圧の数だけ現れるだろう。
November 1, 2013
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