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札響創立時からのチェロ奏者、上原与四郎の門下生たちによる師の傘寿を祝ってのコンサート。たしか喜寿の年にも開かれたので3年ぶり。出演した「弟子」は総勢28人。プロとして活躍している人たちとアマチュアとちょうど半々くらいの割合。かつて札響の弦楽セクションは日本のオーケストラの中では最も柔らかく美しい音色を誇っていた。それは創立指揮者の荒谷正雄氏がバイオリン奏者でありメンバーには彼の教え子が多かったこと、2代目指揮者のペーター・シュバルツがチェリスト出身だったことが大きいと思われる。そうした弦楽セクションの要となっていたのが、当時のコンサートマスター佐々木一樹と上原氏であり、この二人の音色が、札響トーンと言われた音色の原点を作っていたと思う。氏の演奏はヴィヴァルディのチェロ・ソナタ第1楽章とプログラムにはない「鳥の歌」。総勢28人の教え子のチェロをバックに滋味豊かに繰り広げられるほんの数分ずつの音楽。しかし、そこには量産される音楽とはまったくちがう世界が広がっていく。具体的に言えば、楽譜から小節線が取り除かれたかのようで、こうした邪心のまったくない音楽には心が洗われる。出演した人たちの中では、鈴木友美、竹本利郎、奥泉貴圭の3人が印象に残った。また賛助出演したソプラノの中江早希という人は、声の美しさといい音程のよさといい北海道出身の若手女性歌手としては傑出している。国際的に活躍できる実力の持ち主と見た。いまの時代はフェイスブックやツイッターでこうした人たちの活動がすぐ把握できるのがすばらしい。
December 29, 2013
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11月の九州行きでは、いろいろと不便が多かった。現在、最も割安なモバイル通信はソフトバンクのプリペイド携帯とWIMAXの組み合わせである。次がウィルコムのPHSとWIMAX。わたしは後者にしている。札幌や東京など大都市にいる限り、この組み合わせで不便を感じることはない。しかし九州ではほとんど使いものにならなかった。少し幹線道路を離れるとどちらも圏外になってしまう。「ウィルコムって何?」という人も多かった。電話が通じないのはまあいい。しかしインターネットが何日もできないのは困る。WIFIスポットの少ない日本では、やはりSIMカードが使えるタブロイドが必要。そう考え、まず比較的手に入りやすかった旧型のiPad miniを買った。SIMフリー、64GBの新品をヤフオクで51000円。そうしてiPad miniを使ってみて感じたのは、旧来のiPadとiPad airは別物ではないかということ。何せアクセスがはやい。そして軽い。旧型のiPadの重さは小型ノートパソコンとさほど変わらないが、miniやairはバックパッカーにさえ受け入れられる軽さだ。miniは携帯用に、airは日常、パソコンのように使うことにした。軽いから、いざとなればairを持ち出してもいいと考えた。できればairもSIMフリーモデルを買いたかったが、出たばかりなので値が張る。そこで国内ではSIMが使えない新品だが判定×モデルをヤフオクで69000円、BLUETOOTHキーボードを6500円で手に入れた。カードリーダーなどはまだ手に入れていないので写真を読み込んだりはできないが、デスクトップパソコンが使える間はicloudを使ってしのぐことにした。まだ完全に理解しているわけではないが、icloudを使うと複数のタブレットやパソコンをそのままコピーできるというか、知らず知らずのうちにクローンができる。買い換えるたびにソフトをインストールし直したり、ブックマークを登録したりする手間がなくなる。写真などのデータも自動的に読み込む。サイズがちがうだけの二台のタブレットを同じものとして使うことができるメリットは大きい。パソコンを使う機会はますます減ってきた。トレードと、ディスクを使ったり作ったりするときだけになってきた。SDカードの価格が単位容量あたりでいまの10分の1くらいになり、ソフトが対応するようになれば、デスクトップパソコンは消えていく可能性が高い。iPadで楽譜を表示して演奏しているコンサートに遭遇したことがある。100人のオーケストラがタブレットやパソコンを見ながら演奏するようになる、そんな時代も近いのかもしれない。
December 26, 2013
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北洋銀行は手堅い経営で知られる。そのためバブル崩壊で破たんすることはなく、逆に北海道拓殖銀行の社員を吸収するようなかたちになった。自治体の窓口銀行でもあり、北海道では知らない人はいない。貸し出し金利が高いことでも有名だ。その北洋銀行は2012年から年2回、応募者抽選によるクラシックコンサートを始めたらしい。こうした「無料」コンサートには失望させられることが多いので足を運ぶことはまずないが、十束尚宏が札響を指揮するというので行くことにした。大野和士が第2位になった指揮者コンクールで1位になったのが十束尚宏。しかし、このところあまり活躍のうわさをきかなかった。こちらがオーケストラ音楽に興味をなくしたのもあるが、国際的に重要なポストを得て活躍している大野和士に比べて、あまりに情報が少なく、アマオケの指揮者になってしまったと誤認している音楽ファンも多い。ところが、久しぶりに接した十束の指揮は見事で、音楽的にもきわめて充実したものだった。2002年にウィーンに移住し、主にヨーロッパでオペラを中心に活躍しているらしい。プログラムはクリスマス時期にヨーロッパでよく演奏される曲(ヘンゼルとグレーテル序曲、魔笛序曲、くるみ割り人形から、こうもり序曲など)5曲を後半に、前半にベートーヴェンの交響曲第7番というちょっと変わった構成。最も見事だったのはそのベートーヴェン。繰り返しを省き、はやめのテンポできびきびとすすめられていくその演奏は、みずみずしさと楽譜の確かな読み、考え抜かれていながら思索のあとを感じさせない音楽作りに胸のすく快演だった。この曲は「新世界」の次によく演奏されるので、たくさんの演奏に接してきた。最近もサロネン指揮フィルハーモニア管できいたし、バーンスタイン指揮のロンドン響、札響では山田一雄、ペーター・シュバルツらの名演もきいた。それらを参照しても、この日の演奏は秀でていたと断言できる。小澤征爾なみにひんぱんに出すキューはさておき、そのキューが単なる合図や交通整理に終わらず、音楽的な意味をきちんと伝えていることに感心する。オーケストラの側も共感したようで、こうした無料コンサートにもかかわらず、いつにない熱演。いまや知名度ではかなり負けてしまったが、オオウエやサドなどよりはるかに優れた指揮者であることが確認できたコンサートだった。開演2時間以上前に座席指定券との交換、コンサート前の頭取のあいさつなど、ヨーロッパでも多い「冠コンサート」に比べるとあか抜けなさがいなめない。徳は隠れて積むから徳なのであって、企業名をおおっぴらに出し連呼するのは殺意をおぼえるほどのダサさだ。
December 25, 2013
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吹奏楽、弦楽合奏、合唱、協奏曲、そして交響曲。ガラ・コンサートでもない限り、こうした多彩な編成・プログラムによる音楽会をきく機会はない。そして、最も裏切られることの少ないのがこうした内容のコンサート。要するに出演者ひとりあたりの負荷が比較的少ないので、十分な練習ができ高い水準の演奏をきくことができる。また、嫌いな曲や演奏に遭遇しても、少しのがまんで済む。これがオーケストラのコンサートだと、音楽的にはつまらない内容の協奏曲(ショパンのピアノ協奏曲など)を延々と聞かされることも多い。メーンの曲の方が短かったりする。吹奏楽は難聴になるし、(日本の)合唱団のコンサートはプログラムの過半がクズ音楽で占められる。だから普通の音楽ファンがこの二つのジャンルのコンサートに足を運ぶことはない。この学校は近年、優れた演奏家を輩出している。型にはまらないユニークな活動をしている人もいる。そういう可能性のある人を見つけるのが年に1度の定期と卒業演奏会である。この「定期」に足を運ぶのは何度目かになるが、合唱のレヴェルが高いこと、ソリストに抜擢される人たちの腕前が確かなことが記憶に残っている。今回もその印象の通り、メモリアル・イヤーのヴェルディの合唱曲4曲の演奏は、いままでに地元できいた地元のコーラスによる最も優れたもの。大編成のコーラスは鈍重になるのが普通だが、若者たちの合唱は機敏ながら決して走らず、迫力にも不足のない見事なものだった。冒頭に演奏された吹奏楽によるヒンデミット「ウェーバーの主題による交響的変容」は、残念ながら第2楽章を割愛しての演奏だったが、たとえ編曲版であれ実演でこの曲をきいてみたいという長年の欲求をかなえてくれるものだった。ヒンデミットのオーケストラ作品は「画家マチス」とこの曲が比較的よく演奏されるが、なぜかこの曲には出会うチャンスがなかった。しかし第4楽章は録音できいても興奮させられるほどヒロイックに盛り上がる音楽で、インディ・ジョーンズものの映画音楽として使ってもはまると思われるくらい演奏効果が高い。専攻生が過半を占めると思われる演奏は闊達で積極性に富み、この曲の魅力をじゅうぶんに伝えるものだった。音量が大きいところでも音が汚くならないといったところに、音楽を専門に学んでいる人たちの集団ならではのものを感じる。ほかにシューベルトの「死と乙女」第1楽章(弦楽アンサンブル)、渡部美蕗のピアノでリスト「ハンガリー幻想曲」、齋藤友太のクラリネットでウェーバー「クラリネット協奏曲第1番」より第3楽章、トリはブラームスの交響曲第2番。交響曲で驚いたのは管楽器セクションのレベルの高さで、半世紀前の日本のたいていのプロ・オーケストラを凌駕している。かつては実力のない人がプロで通用していたということだ。プロ・オーケストラのルーティン・ワークをきかせられるより、こうしたコンサートの方が発見も収穫も大きいということを再認識した一夜(札幌コンサートホール。同内容で10日に岩見沢市民会館でも)。
December 17, 2013
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予告編を見て、この映画はスカではないかと思っていた。最終日に行ったところ、客席はまばら。興行的にもこけたようだが、蠍座で上映される映画としては珍しくスカだった。シャチに両脚を食いちぎられて義足になった水族館の調教師と、子どもを連れて流れてきた文無しのボクサーが出会い、友情とも恋愛ともつかない関係をはぐくんでいく、というもの。2012年のフランス・ベルギー映画。逆境におかれた人間同士の恋愛ものかと思ったらそうではなく、どんな状況でも人生に対して前向きになることの大切さをケレン味なく描いている。日本映画なら同じテーマでどれほど安っぽくなったかを考えると、さすがヨーロッパといったところ。「このテーマならこうなるだろう」という予測を完全に裏切ってくれるあたりが見事だ。二人はセックスをする関係にはなるが、ベタベタした関係にはならない。それぞれの人生を歩み、それぞれの存在がお互いの励みになり希望になっていく。ではなぜスカなのかというと、結局、着地点が小市民的な幸福を超えないからだ。逆境からの個人のリカバリーはたしかにめでたいかもしれないが、この二人にはどちらも常人にはない特技がある。特別な人たちの特別の物語にすぎない。その点は予想されたことではあった。それではなぜ観に行ったかというと、たとえば義足はどう作るのかとか、どの程度の実用性があるのかが、ある程度わかるのではないかという興味からだ。また、食いちぎられた脚をどれくらいCGの技術で表せるのかにも興味があった。そのCGの技術は大したものだった。昔の人が観たらあまりの自然さに実写だと思うにちがいない。
December 15, 2013
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