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事前にアナウンスされていた26回(年)目のパシフィック・ミュージック・フェスティバル(PMF)の内容は例年になく低調。予定されていた音楽監督(今年はデヴィッド・ジンマン)が去年のマゼールに続いてキャンセルになっただけでなく、PMFならではと思えるプログラムのコンサートがない。ただ、今年は指揮者のコースがあり、全く未知の3人の若手指揮者を知ることができるこの日のコンサートには関心があった。もっとも、24日にこの3人が1曲ずつ指揮するフリーコンサートがあったらしく、それを聞きのがしたのは残念だ。この件に限らず、一人でも多くの聴衆を獲得してこの音楽祭を根付かせようという情熱が感じられなくなったように思う。収入に占める入場料の割合をわずかでも高めようという努力を最初から放棄しているように感じられる。このコンサートでは日本の栗辻聡、アメリカのコナー・コヴィントン、香港のウィルソン・ンがモーツァルトの交響曲第34番を1楽章ずつ分担して指揮したが、第1回PMFのときのように、コンサートが長大になってもいいからひとりが1曲全部を指揮するのを聞いてみたかった。ほんの数分ずつの見聞だが、中では香港のンの個性を面白く感じた。ジンマンの代役として準・メルクルと共に招かれたアンドリス・ボーガは、パリ管やボストン交響楽団のアシスタントをへてラトビア国立交響楽団の音楽監督をつとめている人。カリスマ性や才気を感じることもないが、大きな不満もない音楽を作る。深遠さも情熱で突っ走るところもないかわり、ケレンもあざとい表現もない。独自の譜読みで個性を売り物にしようという邪心が感じられないのが最大の長所だが、それだけ、という感じもする。作品との一期一会の出会いを体験させてくれたという印象はない。この25年間、PMFオーケストラは約80種類のプログラムで150回以上のコンサートを行った。そのうち90%のコンサートに足を運んだが、記憶に残っているのはわずか4~5回にすぎない。記憶に残らなかった大多数と同じように、このコンサートが記憶に残ることもないだろう。最初に演奏されたウェーバーの歌劇「オベロン」序曲(ボーガの指揮)とモーツァルトはアカデミー生だけ、メーンのチャイコフスキー「交響曲第5番」は教授陣(ファカルティ)も加わった演奏。ただし首席奏者はアカデミー生に担当させていた。3階席には人を入れず、ファサード席がほぼ満席だったほかは8割の入りというところ。ファサード席以外は、札響の定期演奏会と同じように、高齢者が目立ってきた。
July 26, 2015
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3日目の朝はやはり雨だった。しかし雨量はそれほどではなく、ときおり止み、山も見えている。このまま帰るのも惜しいと思い、登山モードからスイッチを切り替えた。しばらく行っていないこのあたりの温泉やレストラン、拓真館や四季彩の丘を訪れてみることにした。美瑛をはじめて訪れたのは1971年の夏。駅前に大衆食堂のほかにめぼしいものはなく、観光名所は温泉のほかは十勝岳登山口の望岳台だけで、登山者以外に訪れる人は稀だった。バスで望岳台に向かう途中、道がカーブするたびに見える山が変わり、そのパノラマショーに魅了された。テレビドラマで有名になった吹上温泉もただの温泉滝の滝つぼで、いわゆる野湯だった。「北の国から」人気によるブレークはちょうどバブル期だったろうか。旅人宿からペンション、高級ホテルができ、観光客めあてのカフェやレストランはいまも増殖し続けている。とはいえ、元々が広大な地域なので、まだ過密感はない。一方で人口は減り続けている。美瑛ほどではないが富良野も人口が減っている。いまは関西を含むアジアからの観光客で繁栄しているように見えるが、生産年齢人口など半減している。札幌や旭川からは日帰り圏なので、満室が多く予約のとりにくいこの地域の宿泊施設は敬遠される傾向にある。選択の幅も少なすぎる。移住者が始めた宿などは北海道人には合わないところがある。上富良野の和食「つた家」では店主に話をきくことができた。そもそも超リッチな人たちはこの地域のホテルに泊まることを最初から諦めていて、別荘を購入しているという。上海や東京から自家用ジェットで旭川空港にやってきて滞在するのだという。この地域にはそうした層を受け入れられる飲食店はほとんどない。この店にはそうした層も来る。移住者が土地を購入するのは離農した元農地が多いらしいが、3000坪で400万円が相場。土地代がそれだけ安ければ、寒冷地仕様の住宅やペンションを建てようという決断にそれほどの勇気はいらない。富良野では卸売市場と同じ敷地内にある有機野菜や牛乳を売り物にしているイタリアンに入ってみた。トマトソースがイタリアの標準的な店よりもおいしいので聞いてみたら、シェフはイタリアで勉強した人で、地元の食材を使ったメニューの開発に余念がないという。この日は、アスパラを使ったピザのシーズン最終日だった。驚いたのが店頭で販売している斎藤牧場の牛乳。有機でしかもノンホモジナイズとのことだが、今まで飲んだ牛乳のすべてが足下に及ばない。同じ牛乳という名称で呼ぶのがはばかられるほど。食べ放題のソフトクリームもそうだが、素材のよさがわかる、素材のよさを生かしたメニューは生産地から遠い場所では決して味わえない種類のものだと感じた。このあとニセコに向かい、雨でなければ野湯と湿原めぐりをしようと思ったが、あいにくの雨。夜はニセコの野菜を生かしたフレンチを、翌朝はしばらく休業していて最近再オープンした「まぐろや十割」を楽しんだ。「まぐろや十割」はまぐろ丼が自慢の十割そば屋で、そばのレベルは標準的(ニセコでは屈指)だがまぐろがずばぬけておいしい。築地の鮨店を含めて、ここのまぐろよりおいしいまぐろには遭遇したことがない。店は改装されきれいになったが小さくなった。美瑛に続いてニセコを訪れたのは外国資本による開発や外国人観光客の入り込み、そうした状況にへの地元の対応を見ておきたいという社会学的興味からだった。直截にいえば、そうした開発や観光地化でこうした地域のよさが壊滅する、そのプロセスを見ておきたいという興味だ。公共交通機関を使って辺鄙なところを旅したり、車椅子でもどん欲に旅行する中国人旅行者のパワーには敬服させられる。高度成長期やバブル期の日本人の海外旅行マナーよりはるかに知的で洗練されているのが印象に残る。美瑛でもニセコでも、雨にもめげずレンタル自転車で走り回っているのは中国や香港、台湾や韓国の若者ばかりだった。ペンションやレストランには高齢化で廃業したケースも目立つ。一方、富良野のイタリアンのような新しい可能性を感じさせる店も増えている。美瑛やニセコは、登山基地でありながら一般観光客にもアクセスが容易な世界的にも珍しい地域だ。この2カ所を定点観察することで世界の大きな流れの一端がつかめるにちがいない。5日間の走行距離は約1000キロ。一日200キロは走りすぎだった。
July 21, 2015
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今年の6月は気温が上がらなかった。庭にまいたイタリアンパセリとバジルはとうとう芽さえ出さなかった。今年は高山植物の開花が遅いにちがいない。調べてみると、礼文など離島では例年より早く、高山地帯では雪融けが遅いせいで10日以上遅れているようだった。大雪山姿見の池から20分ほどのところにあるお花畑の開花は例年7月12日前後なので、1週間後を狙って行ってみることにした。ちょうど天気予報も連続5日間の好天を予測していた。札幌を14時に出発。上富良野にある日の出公園キャンプ場に向かうが3連休の中日とあって何と満員。吹上温泉駐車場で車中泊でも、と思って向かったが、何となく雰囲気がよくない。すぐ近くの白銀荘前キャンプ場に行ってみると以前とは段違いに整備され快適そうだったのでここを拠点にすることにした。キャンプ場の選択で注意しなければならないのは、利用者の層というか質。花火やBBQをめあてに来るファミリーが多いと夜遅くまで騒がしい。一方、登山者は朝が早く早朝から物音をたてるのでファミリー層からは迷惑がられる。ところがこのキャンプ場はかなり高地にあるせいか、利用者のマナーがよく両者が共存している。クルマのすぐそばにテントを張ることはできないが、それほど離れていない。ケシュアのポップアップテントは設営に1分もかからない。15分後には荷物運びも終わっていた。翌日は旭岳温泉からロープウェイで姿見の池駅を8時に出発。あまり朝が早いと花が開いていないことがあるのと、連休最終日の混雑を避けた。肝腎の花はというと、まだら模様。姿見の池周辺でも、雪融けの早かった日当たりのよいところはもう終わっていて、日当たりのよくないところにはまだ雪が残っていて花はまだ。こゆっくり歩いて2時間程度の裾合平はチングルマが6割、エゾコザクラが3割といったところで、ピーク(というものがあるとすればだが)は7月末と思われた。当麻乗越への途中にあるピウケナイ沢は増水でかろうじて渡れるかどうかというところ。危険は避け、中岳温泉に向かう。やはりこの時期としては残雪が多くストックがなければアイゼンが必要なほど。ふつうならもう終わっているリュウキンカもまだ咲いていなかった。15時ごろ、小雨がちらついてきたので下山。FACEBOOK「みんなの登山部」のバッジをつけた女性と情報交換したり、分岐でビールを飲んでいる60代とおぼしき女性に食べ物をもらったりといった面白いハプニングもあったが、最大のハプニングは旭岳の熊が岳よりにある雪渓を登っていくヒグマ2頭を見たこと。最初は人かと思ったが、あんなところを真っ黒な格好で登っていく人間などいない。30年近く毎年のように来ているが、クマを見たのは初めてだ。翌日は曇り。天候が怪しかったので、富良野岳からカミホロカメットク山の縦走は諦め、安政火口まで行って様子を見ることにした。一昨年よりもさらに道がわかりにくくなっていて、ルート選びには経験と慎重を要する。ほかに訪れていたのは香港からの4人組だけで、絶景の中での時間を静かに楽しむことができた。下山時に分岐で本州からの9人ほどのパーティと遭遇。カミホロ避難小屋で泊まるのだろうが、運の悪い人たちというのはいるものだ。30分後にはかなりの雨になり、夜もやまなかった。
July 19, 2015
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