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coming soon
September 28, 2015
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coming soon
September 27, 2015
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21日朝4時に札幌発、大雪湖レイクサイトの臨時駐車場到着は8時。8時30分のバスで大雪高原温泉着は9時。レクチャーのあと9時20分に歩き始める。16時30分の終バスに間に合うには13時に最奥の空沼を出発すればよい。余裕のはずだったが、紅葉ポイントで長居したりしたため、結局はギリギリだった。やはり前夜のうちにせめて層雲峡までは来ておくべきだったし、秋の登山は可能な限りの早出が原則だ。紅葉はピークの一歩手前で、色づきは平年並み程度といったところか。大学沼、高原沼あたりの景色は何度見てもすばらしい。高根が原からの三笠新道はこの時期はいつも閉鎖されているが、初夏には通行できることが多い。白雲岳避難小屋で一泊するなら一周はさほど難しくないと思うので花の時期に訪れてみたいと思った。この日は好天の連休中日とあって層雲峡の宿はすべて満室。車中泊できそうな場所もキャンピングカーで埋まっている。偶然キャンセルの出た上川町の民宿に泊まって人心地がついた。22日、朝起きると左足首が痛い。痛いというよりこわばった感じ。どうも、ナイキのエアマックスをパンクしたまま数日間履いていたのが祟ったらしい。何週間も経ってから出てくるとは不可解だが、登山などで酷使したので寝ていた子が起きてしまったのだろう。東大雪でまだ登ったことのないウペペサンケ山あたりに行こうと思っていた計画をあっさり放棄し、温泉行脚に切り替えることにして、まずはホロカ温泉へ。3軒あったここの温泉も残っているのは一軒。この一軒もいつまであるかわからないので、今のうちにできるだけ行っておきたい。秘湯といわれるような温泉は林道崩壊や後継者難などでどんどん減っている。ホロカ温泉に来たら次は岩間温泉。記憶を頼りに走るが他のクルマにつられてやはり迷う。室蘭ナンバーの軽自動車が入っていったので、ついていくと無事に着くことができた。入浴しながら話すと、40代の夫婦。子どもが独立したので数年前から温泉通いを始めたという。いつも車中泊・自炊の旅。オススメを聞くと弟子屈のオーロラファームヴィレッジで、泉質はここが今までのベストだという。アルカリ度が高く、肌がツルツルになるらしい。その話を聞きながら、旅のプランが浮かんだ。道東に増えている個人経営のキャンプ場を見学しつつ未入湯の温泉に入るのをやめ、摩周湖や屈斜路湖といった定番の観光スポットとその近くにある温泉を制覇することにした。結局、屈斜路湖のコタン温泉と和琴温泉、養老牛温泉、オーロラファームヴィレッジ、そことほぼ同じ泉質と思われる写真家経営のホテルTAITOの温泉を満喫した。特にコタン温泉の解放感はすばらしく、今までの温泉でロケーションではベスト。というかこれ以上の温泉はありえないとうと思う。20年前に来たときはちょうど清掃中で入ることができなかったので感慨深い。和琴半島の遊歩道は一時間ほどで一周できる快適な散歩コース。最先端部分には水蒸気の出ているところがある。カヌーでしか行けない野天湯が「野天湯へGO」という番組で紹介されていたが、たぶんこの突端部分から少し時計周りに行ったところだと思われる。天気が悪化傾向になったので標津で2泊しただけで切り上げる。3泊4日で東大雪と摩周や屈斜路を周遊できたのには驚く。道東自動車道が延びたのと日勝峠を通らずに済むのが大きい。あの峠の往来は、特に積雪期は命がけだった。
September 24, 2015
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ケガのせいでこの1年あまり登山をしていなかった。シルバーウィークの5連休と重なるのは厄介だが紅葉は人間の都合に合わせてくれない。ビジターセンターのブログなどを参考に今年の大雪山黒岳と赤岳の紅葉のピークを9月14日前後、高原沼のピークを21日頃と予測して、11泊12日のつもりでクルマに荷物を満載にして旅に出た。元々、13日からの週に黒岳に行くつもりだった。13日が新月なので、そのあと数日は星がきれいに見られるだろうと考えた。13日は層雲峡泊。14日は朝9時に登山開始。テント場に13時に着き、幕営のあと北海沢方面と雲ノ平を散策。空身の高原散策ほど楽しいことはそうない。スターウォッチングや撮影のためのテントが8張りほど。16時夕食、17時就寝は山生活の標準タイムテーブル。ところが18時ごろから雷が鳴り雨に。25年ぶりの山中テント泊が雷雨とは幸先がいいにもほどがある。星はダメかとあきらめたが、22時過ぎ、雲が消え満天の星空になったのを隣のテントの人が教えてくれた。ここの星空を見るのは26年ぶり。しかしこの日は寒くてゆっくり眺めてはいられない。目が慣れてくるころにはシュラフに潜り込みたくなる。教訓。スターウォッチングは暖かい季節にできれば平地で。15日は寒さで目が覚めた。石室の管理人によれば朝はマイナス7度だったとのこと。スリーシーズン用のシュラフでは寒いはずだ。シュラフカバーは必需品だった。こういう経験をすると植村直己のような人の途方もない凄さを実感する。それでも、草紅葉が氷に覆われた独特の美しい光景見ることができた。陽が昇ってしばらくすると溶けてしまうので、寒さに耐えて山中泊した人間だけが得られる特権。あの辛さが報われた。この日は北鎮岳往復のあと下山。天気はよく紅葉も最高だったが昼ごろ雹が降った。初雪というわけだ。天気は回復傾向と読んだので、翌16日は赤岳へ。シャトルバスの最終が16時30分なので14時には下山を開始しなければならない。9時に入山したが、前日までの疲れのせいかペースが上がらない。ふつうなら往復5時間のところ7時間かかり、山頂付近の散歩など寄り道もできなかった。しかし紅葉は最高だった。10年に一度と言われた昨年と同程度だという話を他の登山者から聞いた。キャンピングカーで旅している愛知県在住のリタイア夫婦と話す。信州の紅葉を見に行っていたが、大雪山の紅葉を見てからはつまらなくなったという。暑い季節はずっと北海道にいるらしい。昼食をとっている60代くらいの3人組がいた。会話の内容から今回の山行で知り合った人たちであることがわかる。女性二人のうち一人は未亡人で、他の二人も単身者のようだった。その未亡人は、天候が今ひとつのときはワッカ原生花園を自転車で走るのだという。亡くなった夫とよく行っていたらしい。天気予報では18日以降は雨。どうしようか迷っていたが、3日連続登山のあとは少し休養した方がいいと判断。17日は小耳にはさんだワッカ原生花園に向かう。サロマ湖の東側にあるワッカ原生花園は北海道で、つまり日本で最大の原生花園。層雲峡からは3時間ほどで着き、さっそく自転車をレンタル。右側にオホーツク海、左側にサロマ湖を見ながらのサイクリングは快適そのもので、季節のせいかほかに人はいず静かだ。これだけ広いと、中には狂い咲きしている春や夏の花もある。日の長い初夏はこのあたりをベースにするのもよさそうだが、キャンプ場にはヒグマが出没するらしくほとんど利用者はいないようだった。北海道もずいぶん観光地化と開発が進んだが、道北や道東は車中泊の場所に困ることはない。能取湖のサンゴ草を見たあとサロマ湖に戻る。サンゴ草群落は小さくわざわざ見に行くほどのものではなかったが、むしろ観光スポットになっていないようなところのサンゴ草には風情を感じる。やはりオホーツクならではで、和人が侵略する以前の<北海道>を象徴するような景色ではと感じる。18日は予報通り雨になったので札幌に戻る。19日はジョシュア・タンというシンガポール出身の若手指揮者が札響を指揮するフランス音楽特集のコンサート、20日は斉藤歩の新作「空知る夏の幻想曲」の千秋楽(シアターzoo)に。4年ぶりの新作は抱腹絶倒の怪作。
September 20, 2015
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札響が定期演奏会レヴェルの内容でシーズンに5~6回行っている「札響名曲シリーズ」は、土曜マチネーということもあって行きやすい。行きやすいが、泰西名曲に偏りがちなプログラムのせいであまり行く気が起こらない。それでも久しぶりに行ったのは、ジョシュア・タンというシンガポール出身の中国系指揮者への興味のため。世界的な(有能な)指揮者不足のためか、演奏家から転身した指揮者が増えている。が、ごく一部を除いて、大味でつまらない演奏をする指揮者が多い。誰とは言わないがバレンボイム、エッシェンバッハ、シェレンベルガーなどだ。しかし、やはり若いころからきちんと指揮の勉強をした指揮者は、その音楽の好悪は別として、やはりどこかちがう。表現のパレットの種類がケタ違いに多く、またライブの白熱もスケールがちがう気がする。しかも世界的にいい指揮者はベネズエラやポーランド、エストニアといった国や地域から出てきている。オーケストラの数も多く聴衆も多い東アジア地域からはいい指揮者が出てくるにちがいないと常々思っていた。ジョシュア・タンは1976年生まれというから39歳とのことだが、まだ20代の青年に見える。プログラムはすべてフランス音楽。ドビュッシー「牧神の午後への前奏曲」、サン=サーンスのチェロ協奏曲第1番、ラヴェル「道化師の朝の歌」、ドビュッシーの交響詩「海」。日本のオーケストラからフランス音楽の洒脱さや官能性を引き出すのはどんな大指揮者でも不可能だろう。という前提つきで言えば、タンの指揮及び解釈は悪くなかった。フォルテも重くならず濁らず、リズミカルな部分もドイツ音楽のような軍隊調にならない。これは日本のオーケストラではかなり珍しいことで、拍が見えなくなるのが魅力でもあり特質でもあるフランス音楽をきく歓びはじゅうぶんに満たされた。特にそう感じたのは後半の2曲。「牧神~」は高橋聖純のソロに期待したが端正なだけで全体としても夢幻的な雰囲気の醸成には至らない。首席チェロ奏者の石川祐支をソリストに迎えての協奏曲は、どちらかというとソロ、バック共に抑制された古典派的な演奏で、それはそれでいいのだが「協奏」のスリルには乏しい。これらのソロも指揮者も、人柄のよさが音楽に出ているような演奏にはすがすがしさがあった。みな40歳前だろうか。今の時代ではまだ「若手」と呼ばれる世代が作り出す音楽には清涼感がありまだ残暑の残る季節にはふさわしかった。
September 19, 2015
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ハインツ・ホリガーをきくのは念願、あえていえば悲願だった。札響の定期演奏会にはじめて出かけたのは第93回(1970年3月)のことだった。中学1年の春休み。その前の月の第92回にはハインツ・ホリガーが、91回にはマルタ・アルゲリッチがソリストとして登場しているがきき損ねた。前年4月にはオーレル・ニコレ、6月にはアンドレ・ワッツがソリストとして登場しているが、故谷口静司事務局長時代、今では考えられない「大物」が来演していたというのにもったいないことをした。ニコレはとうとうきき損ねた。45年ぶりの登場はソリスト及び指揮者として。ホリガーは作曲家としても高名だが自作演奏はなかった。フンメル「序奏、主題と変奏」は4手連弾ピアノ曲を独奏管楽器とオーケストラのために作曲者自身が編曲したものらしい。どうということはない曲だが、ホリガーの音楽性の豊かさ、知的な冴えのようなものはかえってこういう作品の方がよくわかる。テクニックに年齢的な衰えを感じる部分はあったが、「この音楽はこうでなければならない」というホリガーの目指すものがはっきりわかる演奏なので、それが気にならない。華麗なフレーズが続く変奏部分も上滑りしない音楽に、ホリガーの真骨頂をきいた気がする。フンメルでもかいま見ることのできた思い切りのよい指揮はシューベルト(モーゼル編)アンダンテと交響曲第7番「未完成」ではっきりと確認できた。この2曲は続けて演奏されたが、ロ短調交響曲の前に同じ調の未完に終わった最後の交響曲の一楽章として構想されたものらしく、晩年の作品ふたつをひとつの音楽のように演奏するというのは、作曲家ホリガーならではの発想だろうし、前半を「ウィーンもの」で固めてウィーン的なものを感じさせたのは秀逸なアイデアだ。いわゆる「未完成交響曲」がこんなに厳しく凛々しい音楽とは知らなかった、というくらいホリガーの音楽作りは立体的かつ構築的。しっかりとした土台の上をシューベルトの「歌」がやはりあいまいさを残さず歌われていくという感じで、久しぶりにホンモノの音楽を味わうことができた。バルトーク「管弦楽のための協奏曲」は、やや速めのテンポできびきびと進められていく。ちょっとドライすぎるかなと感じる部分もあるほどだが、第4楽章をやたら甘ったるく演奏したり、フィナーレをスケール雄大に表現しようとしてこける演奏ばかりが目立つ中、スコアそのものから音楽を取り出してくるホリガーの誠実さには感動させられた。絢爛豪華なサウンドなどなくても、ありのままのスコアを細心かつていねいに音にするだけでどれほど豊かな音楽になるかを思い知らされた、つまりバルトークの偉大さに圧倒された40分。
September 5, 2015
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バーゼル音楽院教授のフルーティスト、フェリックス・レングリを迎えての非常にバラエティに富んだコンサート。レングリのソロによるブーレーズとホリガーの作品をめあてに出かけたが、むしろアンサンブル曲が刺激的かつ楽しかった。フルートオーケストラやフルートアンサンブルは音色が単調で退屈する。長い時間きいていられるものではない。しかしヘンデル「シバの女王の入場」とボワモルティエ「5本のフルートのための協奏曲」による開始は実に鮮やか。札幌の若手奏者たちがレングリの向こうを張ってまったく位負けしていないのにも驚く。このあとはレングリのミニ・リサイタルのような趣向で、マラン・マレー「ラ・フォリア」とブーレーズ「エクスプロザント・フィクス」、モーツァルト「フルート四重奏曲ハ長調」、休憩をはさんでベルリオーズ「キリストの幼子」のトリオ(第2フルートは阿部博光)、ホリガー「クリ」、ヴィラ=ロボス「ショーロス第2番」、ラヴェル「序奏とアレグロ」。最後に出演者12人でラヴェル「マ・メール・ロア」から「妖精の園」。レングリはニコレとグラーフに学んだという人で、現代音楽のスペシャリストとして活躍しているらしい。安定したテクニックを持ち、特に音量のコントロールが優れている。大きい音も鋭い音色、太い音色と音楽の要求する音色で吹き分けるあたりがすごい。ただ、ソリストとしての、舞台人としての華はそれほどなく、どこかアカデミックな人という感じがする。オーケストラ・プレイヤーや教授職を長くやると、そういう「体臭・体質」みたいなものが身についてしまうことがあるが、モーツァルトなどをきくとそういう傾向を感じなくもない。一方のマレのようなバロック音楽、ブレーズやホリガーといった現代曲は、自分の体の一部のようにごく自然に演奏している。無調の音楽と調性の音楽にヒエラルキーを持ち込まない、こういう姿勢はヨーロッパでも少数なのではないだろうか。最後の3曲はコンサート・ピースとして文句なく楽しめた。考えてみれば「序奏とアレグロ」などは名曲の割にめったにきく機会がない。こうした地味だが内容・質とも高いコンサートが2000円程度で、毎週のようにきけるなら札幌も住みいい街だと思うがこんなことはめったにない。会場は大谷大学ホール。
September 3, 2015
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