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帰宅途中の電車で居眠りして母の夢を見ていました。積み重ねたピンク色の空の衣装ケースを持って同じようなパステルピンクの上下の服を着た母が電車に乗ろうとして一番上の蓋を落とし拾おうとしています。なかなか拾えずにいるのでああ、やっぱり動作が鈍くなっているなあと手助けに行こうと思う夢です。本格的な介護をするようになってから物を持っていたり何か拾おうとしていたら飛んで行って介助していました。でも、夢の中ではかさばる物を一人で持ってしかも蓋を拾おうとしている母を見ても、危ないとか、支えなくちゃとか、思わなかったので夢の中では私の気持ちはやっぱり母が元気な時のままなんだなあと気がつきました。衣装ケースと蓋の件は昨日家で片付けていた件が夢に出たのでしょうが、ピンクはどこからなのかよくわかりません。(追記:私が使っている布製の収納ボックスがピンクベージュなので、その色に近い色が夢に出てきたのかもしれません)母が着ていたのは一見ワンピースに見えるピンクのセミタイトスカートとお揃いの七分袖だったように思います。普段はパステルピンクはほとんど着ない母でしたが晩年は私や孫の好みを考えてでしょうかピンクの物を選ぶ事も多く携帯もピンクを選んだ事があったので、おしゃれして楽しく過ごしているのでしょうか。それとも母が最後に着たのがピンクの入院着だったのでその印象が残っているのでしょうか。でも夢で見たのはスカートのツーピースだったのでやっぱりおしゃれしていたんだと思います。七分袖だったし、素材も厚手な感じだったから秋のおしゃれをしてたかもしれませんね。夢っていろんな事がごちゃまぜで頭の中を整理する役割があるそうです。夢で頭の中の余分な物を処理しているのだそうです。だからいろんな事がごちゃまぜになってそんな夢をみたのでしょうけど、世の中には不思議な事が沢山あるので只の夢だと思わずに、これで少しほっとできるならそう思おうと思います。最近母の事がつらくて続けて何日も泣いていたので母が、元気で忙しくしているよって教えてくれたのかもしれません。
2019.09.30
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先月、母の月命日頃、「2~3日会ってなかったけど今日は母が来る日だから」と母に会うのを楽しみにしている夢を朝方に見ました。母がいた時は母のために食品の買い出しをしたり、お料理したり母にプレゼントする洋服等を探したりしていたので、そういう仕度をしなくちゃと街中を歩きながら考えている夢です。夢の中で何度も楽しく考えているのですが、ふと、「なんだかずいぶん母に会っていない気がするけど」と思いました。でも、「そんなことない。だって2~3日前に来たもの。」と思い直し、母が来ることを楽しく考えているのですが、急に母が亡くなった事を思い出し、夢から覚めました。夢から覚めても、母が来るという楽しい気持ちを思い出せて幸せでした。心の奥では母が生きている時のままなのかもしれません。私の無意識の希望からそういう夢を見るのでしょうが今のところはそれでいいと思います。母が消えていなくなったと思うと辛すぎるし急に亡くなったので、突然いなくなったショックを和らげているのかもしれません。そういう無意識の希望があるんだと気づく事で自分の状況を理解できる事が大事だと思うんです。もう一つ気がついたのは、何かを楽しみにして、嬉しい気持ちになった事は母が亡くなってからないなあ、という事です。それがわかった事でまだまだ元気じゃないんだなあと自分の状況が理解できたのも良かったです。これも今のところはしょうがないです。少しづつ元気になっていればいいので。そのうち母の事はそっちのけで楽しいと思う事も沢山あるようになるんだと思います。そうなったら、母は喜ぶでしょうね。「自分の為に生きなさい」という人だったので。嬉しそうなにこにこした母の顔が浮かびます。ちょっと辛いことがあったら今日見た夢の感覚を思い出して楽しい気持ちを思い出そうと思うのですが、なんとなく心細くて、寂しい気持ちが続いていて母の事を思い出して、家でわあわあ泣く事もまだあります。半年くらい前までは毎日のように泣いていたから元気になっていってはいると思います。つらくなったら、母はいてくれるんだ、いつでも一緒にいた気持ちを思い出せるんだと思ってあんまりつらいことばかり考えずにのんびりとやっていこうと思います。
2019.09.30
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何となくつけたテレビで見た生尾将輝君という専門学生がとっても素晴らしかったので書いておきます。所ジョージさんの番組で、長距離通学をしている人について行く、そんな始まりだったと思います。最初それを見た時、「あ~長距離通学ね、たまにいるよね。名門校に通うために新幹線通学とかね。」とあまり興味は持ちませんでした。私の親戚にもそういう子がいて、なんというのかなあ、長距離通学しているお家って親子ともども優秀で余裕があって真面目で仲が良くって、もうそれで完結していて素晴らしいね!って言う以外は何もないんです。だからそういう番組展開なんだろうなあって思い先の展開は大体わかるのでチャンネル変えようかなあって思いながらキリのいいところまで=長距離を帰宅すると、立派なお家から優しく明るいお母さんが出迎える展開のあたりまで見ようかと思いました。でも見ていると、生尾君は新幹線を素通りしてず~っとローカル線を乗り継ぎ続けています。そして家に帰る途中、スーパーで夕飯の買い物をはじめ、入念に刺身を柵で選んでいます。家に帰ると休むことなく夕飯の支度をし始めました。長距離帰宅して、夕飯の支度?大変じゃない?と見ていると生尾君はお父さんと兄弟と3人暮らしで、仕事が遅いお父さんのために早く帰宅できる日は夕食の支度をしている事がわかりました。学校に近い所に越すと、家の事ができなくなるので遠くても家族と一緒に住んで長距離通学をしているのだそうです。そして交通費を節約するためにローカル線を利用しているそうです。通っているのは寿司職人を育てる専門学校で、その理由も、お寿司が好きなお父さんに好きなだけお寿司を食べてもらいたいからなんだそうです。男3人の普段の夕食の場面は、派手な所はないけど家族愛と真面目な生活が伝わってきました。長距離通学も家事も大変だと思うけど仲がいい家族と、若さと、希望があって今も将来もきっと幸せなんだと思います。自分でできる事をコツコツ努力できる生尾君を見て素晴らしいな、こういう事が大事だなと思ったし、なんというのかな、今の私の沈み込んじゃって希望が見えない状況にポッと小さな暖かい灯りがともるような私も頑張ろうと思えるようなそんな気持ちになりました。とてもよい人を知る事ができた番組でした。生尾君が通う専門学校で出している本。画像をクリックしてすると詳細が見られます。
2019.09.27
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参加したイベントで抽選会があり思いがけずに新茶10袋のセットが当たりました。母が元気な時はお茶って母がくれる物だと思っていて次々持ってくるのでいつもあまり気味でしたが、母が要介護になってからは旅先やデパートで少し寂しい思いをしながら選んでいました。でも美味しいお茶って結構お値段するので節約しようと最近良いお茶を買うのを我慢してティーバッグなど使っていたのでなんだか不思議な気がしました。お茶くらい美味しい物を飲みなさいって母が当ててくれたのかなあって思いました。そういえば母には水分をとってもらうためにお茶をこまめに入れていました。お茶菓子や果物もいろいろ勧めました。母は「ここはずいぶんサービスがいいねえ。」と笑っていました。母が亡くなってから、美味しい物を自分に用意するのが長い間つらかったので、美味しいお茶を買うのも我慢していたのかもしれません。やっぱり母が美味しいお茶ぐらい飲みなさいって当ててくれたのかもしれませんね。面白いのは、その1週間後位に私が行くように勧めた全然別の地元イベントにはとこが行った際、たまたま抽選会をやっていてやはり美味しいものが当たったそうです。はとこの母は、私の母と同い年の従姉で母と仲が良かったのですが、母より半年前に亡くなっています。私ははとことは今まで面識がなく母が亡くなって初めて会ったのですが、母達の事や祖母達(姉妹)、曾祖母の事等時々話しています。敬老の日やお彼岸が近かったから先祖が当ててくれたのかもしれませんね。これが当たりました。私はずっと宇治茶派だったのですがこちらも美味しく、買いやすい価格だったのでその後ネット注文しています。セットだとおまけに1本ついてお得です。当たった物とは違いますが贈ると喜ばれる美味しい物をいれておきます。お年寄りに喜ばれる老舗料亭のプリン。とても滑らかで上品な味で栄養価の高い良い食材を使っています。奥に見える黒いのは黒ゴマプリンです。デパ地下のこのお店で時々お惣菜を買っていてこのプリンを知ったのですが、とても美味しくて母にも何度か食べてもらう事ができ本当に良かったと思います。画像をクリックしてすると詳細が見られます。
2019.09.25
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母が亡くなってまだ2年半たっていませんが、春に亡くなったので、敬老の日は3回目です。私が実家から遠い会社で仕事を始めた年、社内で敬老の日のお花のパンフレットが回覧されました。そのお花、洋風アレンジメント画像がとても綺麗で実家に半年も帰れないので、敬老の日だから母にはちょっと違うけどせっかくだから少しでも喜んでもらえればと送ることにしました。日比谷花壇のパンフレットでした。母は「こんなにいいお花大変だったでしょう。お給料は自分の為に使うようにしなさい」とだけ言ったのですが、居間のテーブルの真ん中に置いて一番近い所で朝晩眺めていたと叔母が言っていました。敬老の日は仕事で母に会えない事が多いので賑やかに過ごしてもらおうとそれからは母の日以外にも母と叔母達に花を送るようになりました。母は最初の頃、「敬老の日って…」と呆れたような、納得できないような様子でしたが、「いいじゃない、敬老の日でも何でも。お花の贈物がこの時期にちょうどあるし。それにほんとはお祖母ちゃん(母の母)に贈りたいの。」と言うと、その後は何も言いませんでした。お花って届くと嬉しいものだと思いますが、お花とお菓子がセットになったものは特に楽しいと皆に好評でした。配送なので敬老の日の一月ほど前から今年は何にしようとあれこれ考えていたので母が亡くなって最初の敬老の日は「え?敬老の日?なんで忘れてたんだろう。プレゼント探さなくっちゃ!」と思いました。当時は母のいない季節が過ぎる事を心が拒否していたのか、9月になったのはわかっているのに心の中はまだ初夏の感覚で、敬老の日の広告を見てもなぜ今頃敬老の日の広告?半年も先なのにと思っていました。今考えると、心がついて行けなかったのだと思います。2回目の敬老の日も同じように感じましたが最初よりも強くは感じませんでした。3回目の今年は敬老の日という言葉が全然入ってこなかったようで、敬老の日の広告なども全く目に入りませんでした。心の中でもう関係ないと、敬老の日という言葉を無意識に排除していたのかもしれません。当日、今日は敬老の日だとお昼過ぎに気がつき、もう関係ないと無気力な気持ちがしたのですが、たまたま早朝からいつもよりも賑やかな御膳をお供えしていました。何にも予定がないけど、せめてご馳走をお供えしようと思い、手元にある食材ですが夕食もご馳走にしてお供えをしました。すると遠方に住む友人から近くに用事で来ると急に連絡があり、急遽外出して、夕食を一緒にすることができました。寂しい気持ちがしていた一日だったのでこれもちょっと不思議かもしれません。不思議な事があるから母はいてくれると思って元気でやっていこうと思います。寂しい寂しいばかり、無気力なままでは先に進めないので、お供えをすることで、出来る事がある、一緒に祝える、そういうふうに気持ちをもっていったほうがいいと思いました。これはお供えのお花ですが華やかなお花でこんな風にアレンジしたセンスの良いアレンジメントでした。日比谷花壇のなだ万のプリンセット。このプリンものすごく滑らかで上品な味で絶品です。大事な方にぜひ食べてもらってください。画像をクリックしてすると詳細が見られます。
2019.09.24
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追記:春のお彼岸明けに書いて適当に、先の期日指定にして保存していたブログです。偶然ですが、秋のお彼岸2日目の今日の日付だったようで、気がついたら公開されていましたので追記を入れました。以下は春のお彼岸明けに書いた本文です。今日は彼岸明け。 少し遠い先祖や近所の方のお墓も お参りしてきました。 母が亡くなるまで彼岸の入りだの明けだの何にも気にしていませんでした。 今日は中日だから、とか お仏壇にお供えしながら祖父母や母が言っていたのを ぼや~っと聞いていただけでした。 祖父母は戦時中に亡くした娘(母の妹)と一番近くなる日だという思いで話していたのかもしれないし、 母は祖父母や叔母や父と一番近くなる日だと思って話していたのかもしれません。でも私は、そんな心は知らずに さげてもらったお供えやぼたもちを能天気に食べていました。おばあちゃんっ子だったので、 祖母が亡くなった時は悲しくて悲しくて その後もず~っと悲しかったけど お仏壇やお墓を守る人の気持ちとは また違っていたんですね。さげたぼたもちを食べながら そういえば、私は子供の頃から甘すぎる餡子が苦手で、ぼたもちは食べないで、ごまをまぶしたのだけ食べていたのを思い出しました。 母がいつも、 「餡のほうも食べればいいのに、美味しいのに」と勧めてくれていたのを、 「いらない」とそっけなく断っていました。 最後に母が薦めてくれたのは つい2年位前の事のように思えますが、7~8年前になるかと思います。 母が元気な時には、わがままばかり遠慮なく言っていたなって今になって申し訳なく、ありがたく感じます。 「餡子も美味しいねえ」って、 一緒に嬉しそうに食べたら母は喜んだでしょうに、 可愛げのない娘でした。秋のお彼岸は実家に行けないのでお供えのお菓子を実家のお仏壇とお仏壇をたまに見てくれる叔母達に送っています。そして私の家の母の写真を飾っているところにいつもよりちょっと豪華めにお供えしています。お彼岸はご先祖様が近くに来てくれる時期だそうで近くに来てくれていると思うと嬉しいです。直営店でなければ買えなかった老舗のお菓子ですがネット販売しているので入手しやすくなりました。柔らかいのでお年寄りにもお子さんにも喜ばれます。画像をクリックしてすると詳細が見られます。
2019.09.21
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母が亡くなって3回目の敬老の日の翌朝母の夢を見ました。実家の寝室で母に起き上がってもらうところで、母の足首をしっかり支えようとしている夢です。布団から起きてもらう時やトイレに連れて行くときに、足がしっかり床につけられるようにまず足の位置をしっかりさせてから母に補助スタンドに摑まってもらい体を引っ張りあげていたのですが結構大変でした。ここでさっと起き上がれるとスムースに行くのですが、母がぐったりしているとすぐに立ち上がれずに、トイレ介助に間に合わずにシーツも全部洗い直しになるし、仕事にも遅くなるしで、毎朝一生懸命でした。それで記憶に強く残っているのかもしれません。夢で見えたのは足だけで、最初、祖母を介助しているつもりでいたのですが、あ、このおばあちゃんは母だ、母は年を取っておばあさんになっていたんだ、と思い出し目が覚めました。祖母を介助しているつもりで、母だった、という夢は時々見ます。意識しているわけじゃないけど私の心の中で、母は若い元気な時の母なのかもしれません。私はおばあちゃん子で祖母(母の母)が亡くなった時とてもつらく、それで母とごっちゃになってきているのかもしれません。祖母も母ももうご先祖様になって一緒になっているのかもしれません。偶然でも、敬老の日の翌朝に大事に思っている祖母や母を夢の中でも介助できたのは、ありがたいなと思います。何という事はない、只の夢ですが母を介助できた気持ちになって、心が落ち着きました。今年は敬老の日はもう関係ないと思って、何日なのかも意識していなかったのですが、たまたま朝から炊き立てのご飯とご馳走と珍しいお菓子をお供えしていたので良かったです。
2019.09.20
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昨日書いた母の事が急に懐かしい思い出に感じて悲しくなったという話ですが、よく考えてみると、その時はたまたま沢山の元気な年配女性達がおしゃれをして集う会をやっていました。たぶんその方達を見て、母の元気だった時や母とおしゃれして出かけた時の事を無意識に思い出して、懐かしくなり、また、周囲は元気で賑やかなのに母はいないので悲しく、寂しくなったんだと思います。友人知人のご両親にも街中にも母より高齢でお元気な方達は沢山いらっしゃいますが、母と比べてあれこれ考える事は全くしていませんでした。というのも私は早くに父を亡くしたのですが、大きな夢を持って仕事に打ち込んでいた優しい父は唯一無二の存在で、周囲と比べでも仕方がない、という事を母が幼児にわかるように教えてくれていたから友人達の元気な頼もしいお父様方を見聞きしても羨ましいとも、悔しいとも思わなくてすみました。だから母が亡くなった時も他の方のお母様がお元気なのと比べたり人様の事をああだこうだと思う事はなく、その点はとてもありがたいと思いました。でも周囲に沢山の元気な高齢者女性がいると無意識のうちに母を思い出して悲しく、寂しくなったんだと思います。それがわかって良かったと思います。これから急に悲しくなったり、寂しくなっても、周囲に無意識に影響されているかもしれないな、と少し落ち着いて考えられるかもしれません。他の方の不思議な話も沢山あるし私も不思議な事があるからきっと母は消えてしまったわけではなくて一緒にいてくれると思うのでこれからも心の中で話しかけながら頑張ってやっていこうと思いました。【楽天1位】[あす楽][送料無料][ポイント2倍][即日発送可][誕生日花束][季節花][お悔み花][送別花][発表会花束][誕生日アレンジ][記念日花][お見舞花][御供花束][祝花]敬老花束[結婚祝花][入学合格祝花]【あす楽_土曜営業】価格:2950円(税込、送料無料) (2019/9/17時点)楽天で購入
2019.09.17
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外出先のトイレに入ると今でも、母に楽に使ってもらおうと介助していていた事を思い出します。数日前、宴会場の広いトイレで母を介助していた事を懐かしく思い出し、その途端、もう思い出なんだ、母はもういなくなってしまったんだ、と悲しくなりました。今までは、母の事を思い出してもつい数か月前の事のようで母はどこかにいてそのうちすぐまた家に来る気がしたのに、なぜか急に母の事が思い出になってとても悲しい気持ちでした。宴会場からの帰り道真っ暗の夜空を見ながら、母はもういなくなってしまったんだな現実を見なくちゃいけないんだろうなと考えていました。でも、またそこで思い出したんです。ずっとずっと晴れていると。今回も、つい数日前まで大雨だったのに晴天続きでした。母ががんばりなさいと言ってくれているのだ、母はどこかで見守っていてくれるんだと思ってやっていこうと思い直しました。
2019.09.16
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『プロフェッショナル仕事の流儀』で認知症ケアのプロたちについての番組を見ました。施設に勤める大谷るみこさんという方が高橋保子さんという94歳の認知症の方を寄り添うように介護されていました。高橋さんは今は毎日眠っていらっしゃることが多いようですが、大谷さんが話しかけると嬉しそうに返事します。12年前の大谷さんと高橋さんも映像に残っているのですが、その頃は高橋さんは、しきりに家に帰りたがっていたようでした。大谷さんは一緒に外に出ながら、高橋さんに話しかけて高橋さんの気持ちを引き出します。高橋さんは、息子さん二人を亡くしご主人も亡くしてつらい気持ちでいる方でした。大谷さんは、ご主人がどんな方だったのか話を聞き、素晴らしい方だったと同意し、高橋さんがとてもがんばったと褒めて高橋さんにも同意してもらう方向に話をしていきました。そのころには高橋さんも笑顔で施設に戻る気持ちになってきて嬉しそうにただいまと施設に入っていきました。そして大谷さんの事を、いい人、優しくしてくれたと嬉しそうに褒めていました。そんな生活を12年以上も続けての今の穏やかな表情の高橋さんなのです。そんな高橋さんは、50代の頃年輪と言う題で、随筆を投稿して新聞に載った事があるそうです。年齢というよりも、努力の年輪を重ねてしっかり生きて行きたい、という内容の随筆です。今の高橋さんを見ただけだとお年を召したおばあちゃま、だけの印象ですが、新聞にしっかりした文を投稿されている向上心ある真面目で知的な方なのです。そして息子さん二人を育て旦那様と親子4人で仲良く暮らしていたのだと思います。高橋さんは息子さん達の事を話すとき、長男を死なせ、次男を死なせた、と繰り返し言っていました。息子2人が亡くなった、ではないんです。高橋さんにとって、長男は長男、次男は次男、二人ともそれぞれ大事で、ひとくくりにできないし、何とか助けられなかったか、自分は何も出来なかったその思いが強くてそんな話し方になったのでしょう。とてもつらい思いをされたのだと思います。高齢でも、認知症になられても、高橋保子さんという方の唯一無二の暮らし。この番組では、その人の人生や尊厳を大事にする介護を取り上げていました。最近は、高齢者が長生きする事を無駄扱いする考え方が当然のように語られることが多いのですがそうではない、その人その人の人生はその人のもの、その人が幸せであるべきで、周囲が決めるものではないという当たり前のことをちゃんと伝える番組だったのでほっとしました。評価が良い本を載せておきます。私の母は認知症ではなかったのですが老人性の脳萎縮があり、その後脳梗塞で失語症になりました。しかし、以前こういった本を読んでいたので母が不安にならない、安心できる話し方・対応が出来たと思います。おかげで、いつも母と笑いあって幸せに介護する事が出来ました。画像をクリックしてすると詳細が見られます。
2019.09.10
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子供の頃、ドラマとか漫画に主人公が誰もいない海岸で「お母さ~ん」と叫ぶというシーンがよくありました。本当にそんな事してる人なんて見た事ないし、いくら悲しくても海に向かって叫ぶ理由がよくわからないと子供の私は思っていました。高校生くらいになって皆で海に行った時にふざけて「お母さ~ん」と叫んだ男の子がいて皆で笑って、周囲の子も口々に叫んだのですが、一人、何度も呼び続けた男の子がいました。高校も違う私は知らない子だったのですがお母さんを亡くされていたのかもしれません。私も他の子も、母親がいて当り前でしかも些細な事でよく反発しているそんな年頃だったせいか、その子にどう声をかけていいかわからないでだまって少し離れたところで待っていました。子供だったんですね。その子もしばらく叫んだあと、何もなかったように、皆でわいわい笑いながら海岸を後にしました。海に向かってお母さんを呼んでいる人を見たのはその時だけだったのですが、母を亡くして、電車が通り過ぎる時や車の往来が激しい道では、周りに人がいないと「お母さん!」とはっきり声に出したくなり、これが、海岸でお母さんを呼ぶ心境なんだなってわかりました。波音で声が消えるし、目の前一帯誰もいないから海岸で叫ぶんですね。大きい声で呼ぶことで、心に閉じ込めていたつらさを解放できるからかもしれません。大きな声で母に気持ちを届けたい、母を探したい、呼びたい、そんな気持なんです。人が聞いていたら変な人ですが、人目ばかり気にして、全部自分の心に閉じ込めるのは良くないので、誰にも聞こえないところで大きな声を出すのは大事なんだなって思います。そういえば、大きな声で叫んでも周囲に聞こえないという壷の形のストレス解消用品?の広告を見た事があります。???いったい何のために、と思った当時の私はとっても幸せだったんでしょうね。今探してみたら大手ドラッグストアでも扱っているので驚きました。評価は五段階評価で3.5~4位みたいです。こちらは歌の練習用らしいです。画像をクリックしてすると詳細が見られます。
2019.09.05
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実家の庭に、母が植えたと思われる観葉植物が沢山青い実をつけていました。色づくととても綺麗な赤い実になり、それを実家からよく持って来てくれました。色づくのは晩秋だと思いますが私が次に実家に行くのは半年後の予定なので、思い切って青い実のまま2本ほど葉と一緒に家に持ってきて活けてみました。といっても洋風の花瓶に投げ入れただけです。緑の葉と、赤くもなっていない実だけなので何の期待もなく花瓶に入れただけでした。いつもは玄関に飾るのですが、只花瓶に入れただけだったのでわざわざ飾ろうという気もなく、居間のテーブルにおきっぱなしになっていました。居間なのでよく目に入ります。思いがけず、見るたびにほっとすることに驚きました。緑だからほっとするのか実家を思い出すからなのか母が喜ぶだろうなと思うからなのか、残暑が続く中、クーラーをかけているとはいえお花だったらすぐだめになるのに葉っぱだけなので長持ちするという安心感なのか、よくわからないけどほっとします。青い実を活けるのは貧弱かなと思いましたが青い葉に青い実はなかなか素敵です。力強さ、みずみずしさ、肩に力のはいっていない活力、そんなものを感じます。この時期、お花はすぐだめになるし毎週購入するのも結構出費になるのでちょっと控えていましたが、葉物だけなら長持ちするしプランターに植えているので間に合います。7~8年前、母が実家から同じ植物を根をつけたまま持って来て玄関のプランターに植えたのです。万年青に似ていますが、実が全然ちがうので万年青の仲間ではないと思われます。なんという名前なのか、調べたけれどわからないので分かり次第こちらに書きこむことにします。葉物だけで充分素敵だとわかってこれからの夏場が楽しみになりました。こちら観葉植物のお任せ5点セットだそうです。評価も高いので、自宅用やプレゼントに良いかもしれません。画像をクリックしてすると詳細が見られます。
2019.09.03
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友人と過ごしている時はあまり気にならないのですが、一人でのんびり過ごしていたりするとふと、こんなに遅くなっていいのかな、と不安になることがあります。1周忌の頃までだったら母がデイサービスから帰ってくる時間までに家に帰っていなければと、つい思ってしまっていたのに、今はもう母がいない事も帰ってこない事も、当たり前になっていて、でもまだ少しだけ、母優先で過ごしていた思いが残っているから、不安になるんでしょうね。来年になれば、もっと母が遠くなりそんなふうに思う事もなくなって、母がいないことは当然で母がいたことも昔の事に感じるのかと思うとそれも悲しいです。でもいつまでも悲しい悲しいばかりでも前に進めないし。母がいない事が平気になるのは嬉しい事なんでしょうか。母はきっと、そうだよ、と言うでしょうね。母は今、どこにいるのでしょうか。空の大気と一体になって、のんびり、幸せに心地良く、穏やかに広がっているような気がします。私の事は忘れてしまったのかな、と悲しく思うけど、でも違う、だって不思議な事が沢山あったし今もあるから、消えてしまったわけじゃないし一緒にいてくれると、それだけが心の支えになっています。何もせずに不安を感じるだけのままでいないで、もう少し前に進まなくちゃと思っています。今日、デパートで見つけたミニサイズのステーキのキャンドル。小さなお皿に盛り付けてあって本物そっくりですがよく見ると蝋燭の芯が出ています。ステーキの香りもついているそうです。無人の実家のお仏壇用に包んでもらったので香りは使う時にならないとわかりません。留守がちのお仏壇のお供えにちょど良いです。たまにはこんな洋風の食事も喜ばれるかもしれません。蝋燭は燃やすと、その煙が届くということなのでしばらくお供えしておいて年忌や誕生日に使うといいと思うんです。画像をクリックしてすると詳細が見られます。
2019.09.02
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