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今夜ははじめて、夕方7時ころ市場に来て、昨日と今日切った、桐のつぼみのついに枝をだしました。
2005.11.30
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クルミのような実ですが、種は無数の小さな紙へんのようなもので、風に乗って遠くまで運ばれます。
2005.11.30
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先日白モジのおかしな丸い実のようなものを載せましたがあれは花のつぼみです花のつぼみを、枝の先のほうからとったものです今日の桐のつぼみの枝の切り出し中の写真は桐の木の高いところの登り、高枝バサミなどを使ってきりとった枝を、一つ一つビニール紐で縛って下におろしている光景を写したものです桐の木はひどくやわらかく高いところに登るのはあまり良い気持ちではありません近くの親しい年配の人たちが桐の木の高いところに登って枝をきっている私のほうを見ながら心配そうにしていました何とか無事に終わりました
2005.11.30
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もう仕事は終わり、夕食を食べていますが、これは桐のつぼみの枝を高枝挟みで切りとっているところです。
2005.11.30
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2005.11.30
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朝、私が持ってきたものを、ならべた゛すところです。向こうに見えるのが競りをするとき、花屋さんがすわるところです。
2005.11.29
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数日前、最高裁から口頭弁論の期日の呼び出し状とともに、決定、というタイトルの文書がきたことを、その内容とともに紹介しましたが、よく考えるまでもなく、その内容は変な部分があります。要するに新聞社への発信不許可の部分は審理するけれども、その他の部分は重要でないから排除するというのですが、これは法的な判断ではない部分があります。重要であるか否かは訴訟上の要件ではありえません。裁判所は、私の訴えに法律的に答えるべきです。 刑務所の私に対する処分が、合法的なものかどうかを判断すべきです。 仮に最高裁の判断があるとしたら、それは違法性がないとか、違法であるとかいう以外にないものです。そうなのではないでしょうか。 明日は早いのでもう寝るつもりです。
2005.11.29
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私は、このホームページでもときどき明らかにしているように女の人と出会いたい性的にも触れ合いたいそういう強い欲求をもっていることを、明らかにしている。言い訳になるかもしれないが仕事が忙しいこともあり女の人との出会いを深めていくことのできるような場に持続的に参加することなどほとんどできずにいる。だからときどき出会い系サイトにいいものがないか探したりすることもある私があまりこまめにメールなど出さないためかまともなサイトと思われるところでは女の人からメールをもらったことがないところがそうした私の欲求につけ込むようにこんなメールがきたりするラムからからの直接連絡ダヨ!いきなりごめんなさい。。。> 沢山の男の人の中から『アナタだけに』連絡しました、本気ダヨ!>> ラムとHして下さい!本気のお願いなの。。。>> あ!ラムはもちろんハンドルネームダヨ、今はごめんね!>> 本名、年齢、3サイズ、趣味、してあげたいH、してほしいH、> 直接連絡方法、ラムの個人情報?全部ココに書いたから!>> あのね、ホントにアナタにしか連絡してないから、内緒にしておいて> 下さい。沢山の人に連絡すると変なお返事多くて困るの。。。>こんなのはとても信じられないけれど万が一のこともあるしほんとに何か私のこと調べて安全だと思いメールしてきたのかもしれないとも思いまあどう出るか著と試してみようとも思いそのアドレスみたいなところをクリックして念のため書き込んでくださいというところに私の名前など書き込んで送信するとすぐ入会を確認しましたという表示が出次の日くらいから1日20通くらいの女の人からHしたいだの何だのというメールが入り始めるここ数日そんなのが続いているもちろんメールを開けばそれだけで金を請求するシステムになっているはずだからそんなメールは開かないアクセス禁止者に登録して削除済みのホールダーに入るようにして1日1回、全部消しているこんなのは詐欺である引っかかる私も私だけれどこんなことで金儲けしている人もいるおそらくさくらとして働いている女の人も私がそのメールを開いただけでいくらかポイントを稼ぎ稼ぎに比例した収入があるのだろうこんなのには付き合っていられないけれどほんとに心から出会える女の人がほしいのは事実だそこまでゆかなくても本当に心から性的な喜びを分かち合える人でもいい57歳を半ば過ぎた私だけれどそういう強い欲求はあるそのことをないかのように振舞うつもりはないそう公言する私には近づきたくないというような人とはであえなくていいわたしは自分を偽って隠して女の人と出会いたいとは思わない
2005.11.29
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2005.11.29
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2005.11.28
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帰る途中、あちこちの枝道に入ってみてきたのですが、本道のすぐわきにみごとな山柿がありました。 木の下に地蔵さんみたいな石がありました。それで守られてきたのでしょう。
2005.11.28
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いま、市場の帰りに朝食を食べています。今日は出すものが、ケイトラに積みきれず、幌の上にも積みました。
2005.11.27
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今日最高裁から、呼び出し状が来ました。来年2月16日午後1時30分に第1小法廷で口頭弁論の法廷を開く、出頭してください。というようなものでした。同時に決定という文書も送られてきて、次のようなことが書かれていました。申し立ての理由中、新聞社への手紙の発信不許可の違法性をいう部分をのぞく部分は、重要でないと認められる。よって当裁判所では、裁判官全員一致の意見で、次のとおり決定する。 主文 本件を上告審として受理する。申し立ての理由中、新聞社への手紙の発信不許可の違法性をいう部分をのぞく部分を排除する。回りくどい言い方ですが、要するに手紙の発信不許可の件は受理し、その他の部分は排除するというものです。このような最高裁の言い方からして、少しは手紙の発信不許可の不当性について、何らかの考慮された後のある判決を出してほしいと思うのですが。あまり期待できないそうです。今日はこれ伝寝ます。
2005.11.27
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今日から今日だけかもしれないけどなるべく採ったものの整理は山ですることにした。野の花社の前の道路は狭いし、近所の人にはこれ見よがしの姿になるし、汚れが目立つし夜の山は静かだし今は寒くなる季節で、蚊やぶよはこないし。夜の山は静かです。今日はあまり風も吹いていなかったし、寒さもそれほどではなくそのためにもっていった防寒用のジャンバーとズボンをはいて暗くなってもしばらく山の中で整理の仕事をしました。まだ日が落ちる前は、薄暗くなるまで、鹿の物悲しい鳴き声が聞こえていました。秋に入るとしばらくの間鹿の声が聞こえます。恋人を求める声のようですでも今日のは違うかもしれません今日昼過ぎに谷の入り口で、猟師の知り合いに、仲間が鹿を仕留めた旨聞きました。あのときないていた鹿は、射止められた鹿の恋人なのかもしれません。帰ってきてから妹が出してくれた惣菜を肴に熱燗で少し酒を飲み少しご飯を食べたあとに少しきつい言葉のやり取りをしました。今日は山の中でシャグラに似た花芽のついていつ枝をきろうとかなり高く上った木の上で、支えにしていた枝が折れれて少し逆さまの状態で木の枝にぶら下がっていましたどうしたらいいかわからず、しばらく思案して何とか無事に降りました。毎日毎日いろいろなことが起こります。
2005.11.27
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2005.11.27
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今朝はちょっと出遅れて、とりあえずず近くで桐のつぼみを採りました。
2005.11.27
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今日は朝9時ころから、夕方の4時半ころまでミッチリ山で仕事をする。そんなにたくさん採ったつもりはなかったが、いざタンポポ号に積もうとすると積みきれないほどだった。帰ってきて夕食を食べ、すぐに整理にかかったが、シキミが150本、仏花に使うビシャという榊に似たのが30本シャグラ=白モジが40本紫式部が20本サンキライが7本榊の枝が10本榊の芯が5本これだけイヤーア眠くなってきた風呂へ入って寝ます
2005.11.26
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2005.11.25
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今夜は一年ぶりくらいに、歩・ホットでの自助グループに参加です。歩ホットは、鳥山敏子さんらが作った賢治の学校の、岐阜県における賢治の学校というか、鳥山さんたちの考え方や実践に共鳴した、関市などに住む女の人たちが中心になって作った活動の場ですというか。私の説明は私の勝手な理解に過ぎませんが。そんなところです。刑務所出所直後にモンジュに教えて貰い、1年半ほど月1度の自助グループや、数カ月おきに開かれていた鳥山さんのワークショップに参加していました。妹がここに来てから生活がハードになったこともありこの1年半ほどはたまに顔を覗かせる程度でした今回ともかく参加する気になったのはともかく少し今の生活の状況を、少しでも私の望む方向に変えていきたいという欲求からでしたうえの写真ではよくはわかりませんが歩ホットの内部は新鮮な木材が使ってありとてもやわらかい感じで、明るくそこにくるだけで気持ちが楽になるところがあります野の花社もそんな感じにしたいのですか今建ているものを壊すのは大変ですし資金もないためとおぶんはだめですここまで書いて着たら眠くなってきました9時半ころにはここに帰ってきていたのですが今日は朝早かったためかもう眠いです。少し寝ます
2005.11.25
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2005.11.24
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ならべてあるのが、今日いままでに切ったものです。手前から二つがサンキライ、そよご、紫式部、コメツゲ、シロモジ、紫式部です。たぶんまだ五千円にもなりません。もうひとはたらきします。
2005.11.24
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昨日の夕方は思い立て桐の花のつぼみを採りに行きました。といっても、野の花社からすぐのところの川べりにその桐の木はあります。上の写真はとってきた桐の木のつぼみを整理していたら暗くなったので携帯のホットライトをつけてとったものです桐の木はひどくやわらかく折れやすいので昨日上に上がって切るのは少しおっかないです高切りバサミも使いましたいくつかは落としてしまって、先が折れてしまったりしましたいいものが10本ぐらい取れましたいいのなら良い値がするということで少し楽しみですこんなことが仕事になり収入になるということは私にとってとてもありがたいことですいろいろ大変なこともありますが確かに次から次に季節ごとに取れるものが出てきて何とかしのいでゆけます始めて1年目の私でもきのうは市場から帰ってきて野の花社の前の山に入り榊の小束を作るための小枝を切り作ってくれる人のところに持ってゆき昼過ぎからはサンホームという老人福祉施設の祭りだったのでそこにゆきラーメンと焼き芋を食べてその帰りにその近くの荒地に野茨の実のついたのがあるのを見つけ15本ほど採りましたそして夕方は桐の花のつぼみ採りです何とか全部で5,6000円にはなっているでしょうこんなことで収入が得られる敬子さんが言っていたようにまるで子供のときの遊びの延長が仕事になっています確かにまだ始めたばかりであり楽ではないのですがそれでも会社勤め等をするのとはまったく違った自由さがありますしかも1日じゅう自然の中にいられますほんとにありがたいことですこの1日1日を本当に喜び感謝して生きていたら物事は不思議にすべてうまくゆくようになるのかもしれません敬子さんへ水もは、ミズゴケの間違いでした
2005.11.24
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道の脇の荒れた耕地に野のイバラの赤い実がなっていたので入って行くと、こんな黄色の可愛い実のなっている、トゲのあるツル性のものがありました。これはなんというくさですか。栽培してたのが野生かしたのかな
2005.11.22
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野の花社の前の道路わきで、最後にしきみを整理しています。
2005.11.22
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2005.11.22
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いい榊を求めて来ましたが、良いものはほとんどなく、しばらく一休み。山の木のしたは枯れ葉で覆われています。
2005.11.22
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市場に物を出した日は、その日の夕方ころ以下のような売上の詳細を書いたファクスが送られてきます 品名 階級 セリ単位 単価 口数 金額 榊 (平) 20 1,660 1 1、660榊 (平) 30 2、500 1 2、500榊 (平) 35 2,000 1 2、000 榊 (たば) 50 3,000 1 3、000シキビ 40 1、000 1 1、000シキビ 50 1、500 1 1,500紫式部 9 1、000 1 1、000モミ 6 1、000 1 1、000モミジ 5 1、000 2 2,000モミジ 5 600 1 600モミジ 8 600 1 600ユズリハ 15 500 1 500合計 消費税 税込み合計 手数料 郵送料 差引仕切金額17,360 868 18,228 1,823 80 16,325だいたい昨日は予測していた値に近いものでした。榊の束が少し安かったほかは。紫式部やモミやモミジをたくさん採るほうが良いとも思えますが、たくさん採るためのいろいろな条件があって、なかなかそうはいきません。今日は朝4時ころ目がさめてしまったので、こんなことを書いてみました。また眠くなってきたので、もう少し寝ます。自分の書いたものをページで見たところ、おかしな表になっています。直しようがないので直しません。元の原稿はきちんとした表になっているので、再度編集しようにもしようがない感じなのです。
2005.11.22
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今夜は水もの袋詰め終わります。一袋300円 2100円分です。バーコドも張りました。
2005.11.21
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夕食後、水もの袋詰めの作業をしています。
2005.11.21
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今日はあの榊を上げてから、下見がてらまた新しい尾根に入った。かなりいい榊がありそうだったし、ヒメコ松もいっぱいあった。もし榊がいいのがあれば、ヒメコ松やモミの木なども含めて、12月はそこそこいくかもしれない。 そのあと紫式部とユズリハを採った。 帰ったのが5時半、夕食食べて一休みして、寒いのでお酒も飲んで、外で取ってきたものの整理。 後は風呂に入って寝ます。
2005.11.20
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静かです。飛行機の飛ぶ音がします。これから榊を背負って山の斜面をあがり、ケイトラにたどり着いて、お昼です。
2005.11.20
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久しぶりにOshoの言葉に触れた。ある瞑想キャンプのチラシに目を通していて。 生を愛しなさい 生の小さなことがらを愛しなさい とても仔細なこと 食べたり 歩いたり 眠ったり 人生の単なる日常的活動は 歓喜へと変容されるべきだ すべてがダンスとなるほど 喜びをもてすることだ そのとき 真実はそう遠くにはいない まさにこの瞬間 あなたの至福はトータルだ 真実があなたにもたらされる そのとき一瞬ごとに それは近く、近くなる そして真実が解放される風呂に入った。脱衣場がないから浴室の中で脱いでかごにいれ、ビニールの袋をかぶせて、バスタブの隅のほうに置く。そしてシャワーをあび、、、あったまった体でここに戻ってくる。もう眠いから寝よう。寝られるということもすごいことだ。こんな言葉を読むと、すぐそんな気持ちになる。でもこういう和尚の言葉は好きだ。生の小さな事柄を愛すること、そんな風にありたい。もう寝よう。妹はずーと長屋の彼女の部屋にいて、今日ここは静か。ありがとう。
2005.11.19
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今日は朝10時ころから夕方4時過ぎまでずーと山に入っていましただから携帯に返信用のここのメールが入らなかったで18日のメールを使って今日写した写真を送った18日付けで載っている赤い実のついている草と崖っぷちに立っているモミジを写したのはそれで今日のです赤い実のついた草は実物はもっと美しいですその赤い玉のような実がとてもつぶらな初々しさで輝いています残念なことにその葉の大半はこの2,3日の寒さでしおれてしまいましたが今日は昼ころまでは新しい榊を採る場所を探すつもりでこれまで入ったことのない2つの谷に入りました結局榊はなくついでに生えていたシキミを採りまた崖の上に生えていたもみじを切りましたもみじは大きな木でそれによじ登ってかなり上がり枝を切り落としました落ちれば多分死ぬようなところですでも榊のように曲がるわけでも折れるわけでもありませんからよほどのことがない限り大丈夫ですちょと紅葉しすぎていて昨日出したものより安いかもしれませんそのあと昼ごはんを食べその近くの少し上に榊を採りにいきました以前榊採りに連れて行ってもらったところでしたでもあまり良いものがありませんでしたしかしそこを歩くうちに、モミの木がかなり生えているところを見つけましたそんなにたくさんあるわけではなく一日できり終わる程度でしかありませんがともあれこうして山を歩くたびに新しい発見がありますはじめに入った谷にはかなり多くのシキミが生えていましたし今日は朝早くから榊の小束つくりのための枝を採りに野の花社の前の山に行き8時半ころ帰ってきて昨日採った柿を道の駅に出しに行きましたそのあと山に入ったのです山に入る谷は白モジの葉などが絶え間なく落ちていました少し風が吹くとそれが道の上を転がり舞い秋も終わり近いです明日はただ榊を採りに行きますまっすぐに採り終わってから時間があれば、ほかのもとりに行きますが
2005.11.19
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昨日市場に出したものは、モミジがいいもの30本で5000円、あとコメツガというモミの木に似たものが、クリスマス用として使えるためか3本で1000円、榊の芯立ちのものが3本で1500円、どうだんの紅葉したものが11本で2000円という良い値がついたものの、あとは2足3文の値段だった。 ともかく近くの山には榊、しきみ、正月用のヒメコ松といったものしか良い値のつくものはあまりなく、もうそれらを徹底的に探して採るしかなさそうだ。あと今年も40日、瓦拭きの仕事も少しは入りそうだけど、山の仕事としてはそれらを採ることに絞り、朝早くからハードに働くしかないだろう。 ユズリハはやはり正月用として年末には少し良い値がするかもしれないけれど、昨日は桐の花のつぼみ50本などと含めて20本ほどが1500円でしかなかった。桐の花も背の高いものは良い値で売れるそうだが、昨日出したのは背の低いものばかりで、だめだった。ともかくこうしていろいろなことを学んでいく、今は見習い期間だということだ。そう1年目からうまくはいかない。 でも今年1年ほんとに良くやってきたと思う。売上だけで行けば20万を越す月が多くなったし、どうだんツツジやウスゴといたものの採り方なども少しはわかってきたし、ミズゴケも含めよくこけも採ったし、ありとあらゆるこの地の野山で取れるものはとりつつ稼いでいくという道を、何とか切り開いてきたのだと思う。こんな形でもここで生き抜くことができるのだ。これを基礎に来年は収入の面でも、本当に私がやりたいことをやり始めるということでも、もう一つの飛躍の年としたい。 昨日は妹と前の山に生えている渋柿を採った。本当は榊採りの仕事をしたかったのだけれど、妹のできる仕事をともにする日も作ることも大切に感じ、そうした。彼女がそうした仕事を2人でしたがっているのを感じたからでもあった。 ただ柿採りの仕事は、単調で飽きる。上ばかり向いていて、体がかったるくなる。また妹とずーと時を過ごすと、気分的に疲れてくる。 妹との関係は、ずーと苦しみに苦しんできて、どこか自分を見失い、楽に生きられなくなっている彼女が、どうしたら自分を回復し、もう少し楽に生きられるようになれるか、そのことにかかわり私に何ができるのか、何が私にかけているのか、そんなことを学んでゆくことでもあるのだろうと、考えたりする。そういう意味ではとても大切な関係なのだ。私はそうした関係の中で、自分をより深く見つめてゆけるのだとも思う。もともとそうした人間の自己回復にかかわる仕事をしたいと思っている私には、かっこうのトレイニングの場なのだとも思う。そういう風に真に感じられれば、敬子さんの言うように感じられるのだと思う。そうなれたらと思いつつ、なかなかそうはなれない。 人を真に愛することができないということを、私はこうしたことを通して気づかされている。それは大切なことなのだ。 今日の柿採りは、お金に変えれば5000円にもならない。そう考えると、ため息が出る。でも週に1度くらいはこうした日を作るほうがいいのだと考えると、金に変えられない価値があるのだということがわかる。そんなことをあれこれ思いながら、昨日は妹と1日中共にいた。相変わらず口げんかもしつつ。朝、4時ころ目がさめてこうして書いている。ストーブのファンが回る音とキーボードをうつカチカチカチという音だけがしている朝はまだ暗いもう一眠りしよう今日からはまたハードに働きますそんな決意をしつつもう少しだけ寝ます
2005.11.19
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2005.11.18
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これはなんという草
2005.11.18
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うえの写真は、今日の仕事の帰り道に、私がぶつぶつに切ってしまった、美しく紅葉していたモミジです。今年もみじを切るのはこれが最後になるかもしれませんが、ともかく今日のはかなり美しいものでした。枝を30本グらい切りました.残っている枝は、細いものばかりです。お金に換えると多分5000円くらいになるかもしれません。そのことは嬉しいのですが、そのためにここまできると、さすが心にやましいような何かを感じます。まったくかってですが、切り終えて枝を積み、車を発進させながら、すまないな、片手で拝みました。 ともあれ今日は心細いまま山に登り、正月用の木を探して歩く中で、ヒメコ松や槙などがたくさん生えているところを見つけました。いい感じで取れれば、それなりの稼ぎにはなりそうで、とりあえずほっとしています。心細さの1番の原因は、12月に切り出す木があまりないということにありましたから、そのことは大体めどがついた感じで、少し気持ちが軽くなりました。 敬子さん、詩を載せてくださってありがとうございます。敬子さんのプログ、花宇宙ひとつらなりの生命、ときどき見ています。あまり丁寧にではないのですが。敬子さんたちがくつろいでこの生を楽しみつつ、この世界に平和をもたらすために何事かをなされているということ、私もそんな感じで生きられるようになりたいです。敬子さんが視野を広げてといわれるのはわかる気がします。ほんとにいまの私は、ここでの出会い以外の出会いが少なく、触発される本も読まず、とても狭い世界で生きています。せめて精神的にだけでも、もう少し余裕を持っていきられるようになれたらとも思います。レイさんへ、あれは確かにソヨゴですね。教えてくれてありがとう。助かります。なんせ私は名前も知らずに市場に出しますから、軽く見られるというか、その分値も下がるとある人はいっていました。明日は市場に行く日なので、そろそろ寝ることにします。
2005.11.17
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レイさん これはなんという木ですか
2005.11.16
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2005.11.16
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若いころのように暗い気持ちにはならないけれどときどき心細くなる14日に生花市場に出したとても大きなしきみの25本入りの束が2000円と1500円が2つだっただから計5000円その他に出したものもあったから全部で11000円くらいにはなったけれどやはり七宗の山で採れるしきみでは多くは望めない榊も難しいそんなんで今日は割と朝早くから山にはいたけれど榊やしきみは目を向けずいろいろなものを採った桐の木の花のつぼみ紅葉したどうだんつつじ紫式部槙コメ栂ユズリハいろんなものを採っては見たがこの世界の初心者の私はそれが良い値で売れるのかどうかちっともわからないだから心細いふっと力が萎えるような気分になるときがある瞑想というのがそういう気分そのものをも見ている、観照するということでもあると頭で知ってはいるけれど私にはそんなことはできないただ仕事の中で自然に触れていたり、険しい山の中を上り下りしたりしているとそんなことは頭になくなる ああまた妹が、 悲嘆にくれたような独り言を繰り返しているついてるファシリテーターさんのページを読むと今の私は金がなくなることを恐れて働いていることになる今自分が1番したいことわくわくすることをはじめればお金はついてくるしいいパートナーも現れるとかあるそうなのかもしれないそんなにうまくはいかない気もするなんだか気分がローであるあまり物をまともにかけないきょうはこれで止めよう
2005.11.16
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林道わきに一杯実をつけていたので、20本ほど枝を切ったのですが、なんという木なのかわかりません。ゴムの木によく似ていて、いっぱい生えています。
2005.11.16
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2005.11.16
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敬子さんがこんなコメントをくれました。<人それぞれ生きてきた道があり、これから行こうとしている道があると思うので すが、たまには視点を変えて次のような本読んで見ませんか。私はいつも、宇宙 の中の一つの星である地球という星に住む宇宙人だと自分のことを感じていま す。「プレアデス、銀河の夜明け」バーバラ・ハンド・クロウ著 未来に対する 感じ方が少しは変わるかも(笑)(2005年11月14日 19時24分47秒>敬子さんのこういう感じ方は、とても素敵なもので、私もあやかりたい気持ちはあります。ニコニコ。そんな本も読んでは見たいですが、少し暇がない感じです。少ない時間の中で、まず読んでみたいほかの本もあり、すぐには手が出そうにありません。その他に、その本にどういうことが書いてあるのか良くはわからないのですが、私は大地に生きるものであることの自覚を通して、宇宙とつながるというような感覚が好きなこともあり、少し敬子さんと違う感じ方のうちに生きていて、そういう視点を自分のものにするということのすんなりとはなじめないところがある気がします。読めば変わるかもしれませんが。多分今の私のありようが重たいことから、もう少し軽くしてあげたいというようなお気持ちからそういわれていつのではないかと思いますが、私自身はここを通り抜け、生きぬこことを通して楽になりたい気がしています。この今の困難にはまた、私にとっての大切な意味や・価値があるようにどこかで感じていることもあります。このような困難は、これまた初めての体験であり、多くの人々が体験している困難を、ここを通り抜けることで少しは深く理解するための機会が与えられている気もしています。いやだからこそこの本を薦められているのでしょうが、にこにこ。私は秋の冷たい風に吹かれてしおれ、枯れてゆくこともあるはかない野の草でも寒い季節が去り春の日差しと温もりがこの地を訪れるときまたこの大地から小さな芽を出し傷つきやすいその姿で自らをあらわす野の草野の花その種として地にあるときかすかな日差しやぬくもり太陽や星星の営みのかすかな変化をその全身で受け止めることを通して広大な宇宙とつながりひとつであることを自覚しながら壊れやすく傷つきやすいその生命の営みを生き尽くす野の草野の花私はそして豚小屋から逃げ出した野の豚寒さの増してゆく冷たい風が吹き始める季節に震えながら野を歩く生きるすべをあまり知らない野の豚生きる糧を求め生きるすべを求め社会という野原を歩き走りつづけ生き抜くということを学んでゆく野の豚山のくぼみの風のこない陽だまりに休み日の暖かさに涙する野の豚ありがとう 敬子さんそして多くの人々
2005.11.14
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今年は昨日となりの人に言われてはじめて、おもやのうらてにあるこの柿がたわわに実のっているのに気づきました。
2005.11.14
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2002年12月に熊本刑務所を出た直後は、あまりにも問題の多かった刑務所のありようを何とか自分のできる範囲で、社会的に明らかにしようという強い気持ちを抱いていた。ここに来てからはここの生活が始まり、今は刑務所のことなどほとんど考えもしないような生活をしている余裕のない今は、あまり刑務所のことに触れたくはないいまここに生起していることの中に私のリアリティがあり刑務所のことに触れるのはそこから離れる感じがあるからだともあれ裁判のこともあるので少しづつかいていていくかも知れない熊刑に入り4ヶ月ほどして工場出役になるとすぐ3人の人から刑務官に暴力をふるわれたことなどを聞いた私が反政府的な活動をしていたことを知って私に話す気になったのだろうその中の一人は何か不当な仕打ちを受けたということで、弁護士のところに相談の手紙を出そうとしたところ保安課の調べ室に呼び出され、多くの刑務官に取り囲まれて袋叩きにあったというようなことだった、その件も含めて弁護士のところなどに何度も手紙を出そうとしたが毎回不許可だったというようなことだったあとの二人も似たようなことだった私はそのことを聞いたあと何らかの形でそのような不当なあり方の改善をしてほしいと思い私が聞いたことを長い書面に書き刑務所当局に提出したその中に次のようなことも書いた私はいたずらな反抗のためにこんなことをするのではなく私が罪を犯したありように対する捉え直しを深める中で人間不信を増幅せざるを得ないような社会のあり方も犯罪に加担しているのが事実で真に罪を反省しているなら自らの罪を償う意味でもそのようなあり方が改善されるようできる範囲で社会に対しても働きかけていく必要があるそれが自らの罪を償うひとつの方法であるそのように考えてこの書面を出した3人への暴力的な対応は3人の人間不信を高め、再犯可能性を高めるものだからそうしたことはやめてほしいそんな風に書いたそんな事実はなかったというのが彼らの公式的な回答だったただ非公式的には、何らかの会議で教育課長がそういうことをするのは刑務官として失格なのだと強く言ってくれたようだ
2005.11.13
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これから運び下ろすサンキライとしきみ。全体のさんぶんのいちくらい。あとはもみじをとる予定。 ( 午後1時半ころ送信しようとしてできていなかったもの)
2005.11.12
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2005.11.12
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以下は辰の春産のコメントへの応答という形で書いたものですが、字数が多くてコメントには収まらなかったので、ここに貼り付けたものです。大雑把な考察です。辰の春さんへ>昭和20年2月14日、近衛文麿は参内して昭和天皇に>もう戦争継続は難しい、戦争を終結させるべきだと奏上した。これに対し、天皇は「もう一戦戦果を挙げてから」とこれを退けた。この時点では皇室の存続が不明確であったからである。その後、東京初め各地の大空襲、>沖縄戦、広島・長崎の原爆投下、ソ連の参戦と多くの国民を死に追いやった。国民の命よりも皇室の存続を優先したのである。>昭和天皇と近衛のその会話は、よく取り上げられますね。そのほか戦争の初期の目覚しい戦果に、研究した甲斐があったと喜んでいた発言とかもあります。ともかく当時の天皇は、政府の人形ではなく、その政策決定に主体的にかかわっていますね。戦争を避けようとした形跡もあるにはあると思いますが。最終的には開戦を受け入れ、自らもどうしたら戦争に勝てるのかということを、当時の政府首脳と研究しているのだと思います。 ともあれ昭和天皇にはあの戦争に対し直接的な責任がありますし、その戦争の中で天皇制がどのような役割を果たしたかといったことも含めて、ことを主体的に見つめ直す責任があったと思います。これは法律的な問題ではなく、彼の実存的な問題です。彼にはそれを果たす力がなかったとは思いますが、それは事実としてある責任とは関係のないことです。今の天皇家の人々にも、そうしたことに対する、あるいは天皇制の存在に対する、それが人間の精神に、有益な影響を与えているものかどうかといったことに対する、主体的な考察をする責任があります。これも法律的にできるできないの問題ではなく、実存的には回避できないこととしてあります。もしそれが法律的にできないというのであれば、それは法が有害なものを含んでいるからです。単純に言えば、民主主義や、基本的な人権の精神と、天皇制はまったく相容れません。天皇とされる人々などには、言論の自由やその他の基本的人権が認められていない。それでも戦前の憲法と比べれば、比べようがないほどにまともな憲法なのだと思いますが。ともかく天皇家の人々を人間的に扱うためにも、天皇制は廃止されたほうがいいはずです。 実存的な責任とは、たとえば自らその責任を果たさないと、その人は自らの生をその分だけむなしくせざるを得ない、というようなことです。
2005.11.12
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夕方の林道わき ススキの穂が かすかに揺れている なにか虫が鳴いているしきみを背負って山を歩いた後の汗をかいたからだが冷たい風に少し冷えてわずかに寒い空は赤く染まる雲もなく遠い向こうの山のかなたが黄金色に光っている
2005.11.12
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車で登る林道は朝からの強い風にあおられて木々の枝から舞い落ちた落ち葉が溢れている午前中は仕事がはかどらず無駄足を踏んで走り回った少し不安に駆られながらほんの少しでも実入りのある仕事をしようと午後2時ころから山に上がる寒い季節に向かうしるしのまるで路面が見えないほどに降り積もった落ち葉を踏みしめて木々のトンネルのような林道をも上がり山の中腹の明るい林道を走る
2005.11.12
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