2006年03月09日
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
山崎 正和著  『柔らかい個人主義の誕生 消費社会の美学』  1987 中央公論社 p.28

交通機関の発達により物理的な世界がボーダーレスとなりつつあるが、IT革命により一気にメタフィジカルの世界も収縮した。
そんな時、個人の拠所として地方が見直される。
中央集権だった政治力が、地方分権へと傾き始めたのも、あながち偶然とも言いがたい。
時代の流れを考えるに、半分必然的なのではなかろうか。

地縁は土地に縛られる。
血縁は人に縛られる。
実は山崎が言うところの文化的共感は時間に縛られる。
地縁や血縁よりは緩やかだけど、メタフィジカルへの飛躍はしていない。


つまり「顔の見える大衆」だ。
顔の見える大衆は自分のアイデンティティを「流れ」の中で確立する。
それが柔らかい個性となり、時代の主流となる。

そうであるとすれば、必然的に新しい集団はメタ・フィジカルなものとなる。
それは文化的共感も含むかもしれないけど、もっと感覚的だ。
メタ・フィジカルであることにより、身体の外へと追いやられるのであるが、それがゆえに感覚へと直接的に訴えかける。
その深遠なる部分を直接つなぐものが情報でありITである。
それは脱フォーマリズムであり、山崎のいうところの脱産業主義である。
そんな中で「顔の見える大衆」が構築される。

この本が書かれたのは1987年、世はバブル絶頂期。
世の中金も出回り、生活に縛られない自由な生き方をすることができていた。

山崎の理論自体は非常にスリリングだ。
とくに消費を時間軸へ還元しているところはハイデガーの生まれ変わりかと思うくらいだ。
ただ、やはり同時代を読むことの難しさがもろに出ているのか。
どうしてもリアルな世界に縛られている。
20年たった今、読み返してみるとそれが浮き彫りにされてくる。


情報の開示はすなわち、リスクシェアに他ならない。
自分で情報を読み、自分で判断しなくてはならない。
判断の基準となるのは価値観だ。
だから「顔の見える大衆」の拠所となるのは「共有される価値観」だと思う。
価値観には文化的背景が大きく影響する。
しかしそれだけではない。
価値観は土地も人も時代も超えていくだけのパワーを備えている。
それだけに自分という足場をしっかりと固めていないと、知らないうちに流されてしまうだろう。
「個人」にとって厳しい時代が到来する。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2012年04月18日 21時52分38秒
コメント(4) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

キーワードサーチ

▼キーワード検索

コメント新着

Jeraldanact@ Проститутки метро Выборгская Брат замминистра инфраструктуры Украины…
Adamixp@ Свежие новости Где Вы ищите свежие новости? Лично я ч…
FLUR @ >alex99さん(2) alexさん、こんばんわ! >いいえ。 …
alex99 @ Re:>alex99さん(09/23) FLURさん >一休和尚がご乱交!? -----…
FLUR @ >alex99さん alexさん、こんにちわ! >万物はうつ…
FLUR @ >alex99さん alexさん、こんにちわ! 返事が遅くなっ…

© Rakuten Group, Inc.
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: