2006年03月17日
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内田 百ケン著  『青炎抄』  「東京日記 他六篇」

「身の廻りに起こっている事に後先のつながりがなく、辺りの様子もとりとめがなくて、つかまり所のない様な気持の中に、しんしんと夜が更けていると云う一事だけが、はっきり解った」

ほんとはこれをタイトルにしたかったんだけど、制限字数をオーバーしてしまったため、一部だけ載せることにした。

内田百ケンは随筆を読んでみると結構因習にとらわれた頑固おやじという感じがする。
ところが、これがどうして、小説となるといきなり谷崎とは言わないまでもかなり繊細で意味深な文章をつむぎあげる。
この短い文章にもその片鱗はうかがえる。

なんて潔い文章なんだろうか。
そしてなんて冷たい文章なんだろうか。
この潔さと冷たさは、ほんとに冷静に時代を読んでいる人にしか表現できないと思う。


「身の廻りに起こっている事に後先のつながりがない」
そう、冷静に考えればまさにその通りなのだ。
信心とか迷信とか、そういうものが現象として表出してくることの、解釈の上では間接的な原因とはなりえるかもしれないけど、直接的な原因となっているという証明は難しい。
科学がすべてというわけではないにせよ、どうしても信じているんだから信じるだけというような考え方に近くなってしまう。

現在の事象を同時代で閉じていると考えてみることもできる。
地球上のすべての事象が関連の中で実存している。
そこには過去とか因果関係とか一切関係がない。
純粋に実存する事象の連携によって「現在」が構築されている。
一種、ガイア理論にも似た考え方だ。

そうなると事象の間に存在する関係は重層的で複雑だ。
バタフライ・エフェクトよろしく、ほつれを解くことなどまずできない。


「しんしんと夜が更けていると云う一事だけが、はっきり解った」

なんだ、そういうことなんだ。
ぼくの存在は歴史によって否定されることはない。
そこにあるのはぼくがここにいるという事実だけだ。
それを否定する時代解釈などなんの意味も成さない。

存在はそれだけ重いものなのだ。
しかし世の中、昔から存在を軽くするように仕組まれることが多い。
それがバイアスであり、因習であり、慣習であり、差別である。
とにかく、そこに在る事象をしっかりと見続ける目だけは養っていきたいと思う。





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最終更新日  2012年04月11日 18時29分15秒
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