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意外だったのは、日ごろのハードワークを楽々こなしている同じ班の連中が、ことランニングについてはあまり得意ではなかったということ。私だって決して速いというほどではなく、まあ人並みより若干上という程度でしたが、タイムを計ると班の中では上位の方でした。しっかりと駅伝予選会のランナーに選ばれてしまいました。朝から8時間立ちっぱなし、動きっぱなしの仕事を終えたあとで、夕刻からランニング練習って、よくもまあ文句も言わずにやっていたなあと思います。いやたぶんブツブツ文句を言いながら参加していたのだと思いますが。しかし、いざ練習がはじまってみると、苦しいだけでもなくて、走ることが思いがけず気分転換になるということを発見しました。また、ラインの連中の多くは私と同様、嫌々参加させられていたという意味で、なんとなく共通の連帯感のようなものが生まれました。予選会本番は週末ということで、これでまた日曜日が一日つぶれたのですが、不思議とそれを恨めしく思った記憶はありません。練習の甲斐あって、我が班は優秀な成績を収めました。私も何番手かで走りましたが、二人抜いて、班の仲間から喝采を浴びたものです。本番の「サーキット駅伝」のメンバーには残念ながら選出されませんでした。万一本番に選ばれていたら、またその時点から練習漬けの日々が始まっていたので、結果オーライでしたが、サーキットの上を走ってみたかったなという気持ちもほんの少しあったのもまあ事実です。それにしても、このころの私は、部活をやっていた学生時代を含めても、もっとも足腰が鍛えられていたような気がします。太ももの筋肉なんて本当にパンパンでしたし、たまに東京で電車に乗っても、多少の揺れには微動だにしない位、下半身が安定しているのが自分でも判りました。工場実習の数少ない成果でしたね。もっとも、実習が終わって一年もしないうちにもとに戻ってしまいましたけど。工場実習の思い出。工場実習の思い出〜その2 工場実習の思い出。~その3 工場実習の思い出~その4 工場実習の思い出~その5(実習期間が9ヶ月に延長) 工場実習の思い出~その6(亀山市でヤクザに監禁される) 工場実習の思い出~その7(亀山でヤクザに監禁されてその後)工場実習の思い出~その8(名古屋でヤクザの車に追突) 工場実習の思い出~その9(続・名古屋でヤクザの車に追突) 工場実習の思い出~その10(名古屋でヤクザの車に追突その後) 工場実習の思い出~その11(痔で歩けなくなる) 工場実習の思い出〜その12(痔で動けなくなってその後)工場実習の思い出~その13(駅伝の練習ってマジですか??) 工場実習の思い出~その14(駅伝ってマジ?~その後) 工場実習の思い出~その15(ジョブローテーションでさらにキツイ仕事に…) 工場実習の思い出~その16(ジョブローテーションでキツイ仕事に…)工場実習の思い出~その17(ラインの同僚のこと) 工場実習の思い出その18(休日の過ごし方) 工場実習の思い出~その19(友人とそのフィアンセの話) 工場実習の思い出~その20(もうひとりの友人のこと。) 工場実習の思い出〜その21(実習終了間近なれど…)工場実習の思い出~その22(実習終了)
2012年10月31日
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実習期間が延長になると聞いて、一時はジタバタした私でしたが、結局現実を受け入れる以外の選択肢はなく、ラインで毎日毎日同じ作業を繰り返すだけの日々が再び始まりました。 とはいえ、実習の初めの頃と圧倒的に変わったのは、自分自身がラインの仕事に慣れてきたことです。土曜日曜の休日買い上げは相変わらず続いていましたが、仕事が終わって寮でバタンキューということもなくなってきていました。では、平日勤務が終わったあとの時間をいかに有意義に過ごそうかということが、楽しみになるはずでした…。ところが、また例によって、そうは問屋がおろさなかったのです。工場では、秋になると部門対抗の駅伝大会というイベントがあります。まずは予選会のような感じで、班対抗の駅伝大会が行われ、その中び一部の人間がさらに選抜されて、「サーキット駅伝」という本選イベントに出場します。サーキット駅伝とは、その名の通り、鈴鹿サーキットを走る駅伝大会のことです。工場プロパーの人たちにとってはサーキット駅伝に出場するというのはそれなりに栄誉なことのようでしたが、われわれ実習生にとっては、ハッキリ言ってどうでもいいことです。「いや~、仕事が終わったあとに練習なんて、大変ですね。がんばってくださいね。」「なにをひとごとのように言うとるんや。オマエも出るに決まってるやろ!」「ハァ?」というわけで、早番の終了後は、今度は毎日のように駅伝の練習に参加することになったのでした。実習延長にヤクザとのトラブル、交通事故、痔ときて、今度はマラソン。我に七難八苦を与え給え、って、私は山中鹿ノ助か…。工場実習の思い出。工場実習の思い出〜その2 工場実習の思い出。~その3 工場実習の思い出~その4 工場実習の思い出~その5(実習期間が9ヶ月に延長) 工場実習の思い出~その6(亀山市でヤクザに監禁される) 工場実習の思い出~その7(亀山でヤクザに監禁されてその後)工場実習の思い出~その8(名古屋でヤクザの車に追突) 工場実習の思い出~その9(続・名古屋でヤクザの車に追突) 工場実習の思い出~その10(名古屋でヤクザの車に追突その後) 工場実習の思い出~その11(痔で歩けなくなる) 工場実習の思い出〜その12(痔で動けなくなってその後)工場実習の思い出~その13(駅伝の練習ってマジですか??) 工場実習の思い出~その14(駅伝ってマジ?~その後) 工場実習の思い出~その15(ジョブローテーションでさらにキツイ仕事に…) 工場実習の思い出~その16(ジョブローテーションでキツイ仕事に…)工場実習の思い出~その17(ラインの同僚のこと) 工場実習の思い出その18(休日の過ごし方) 工場実習の思い出~その19(友人とそのフィアンセの話) 工場実習の思い出~その20(もうひとりの友人のこと。) 工場実習の思い出〜その21(実習終了間近なれど…)工場実習の思い出~その22(実習終了)
2012年10月30日
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入院して以来、およそ1ヶ月ぶりのワインです。前日にビールを飲んで、とりあえず問題はなさそうだったので、ワイン再開と相成りました。デ・クロワの05ボーヌ・ブレッサンド。05年はデ・クロワの実質デビュー年だったはず。この年の村名ボーヌに出会ったことが、私がこの作り手を贔屓にするきっかけになりました。ちなみにこのころはまだラシーヌさんは扱っていなくて、インポーターはラングドシェンさんです。グラスに注ぐと、濃い!村名とは段違いの濃さです。香りがあまりたちません。黒い果実のコンポートやナツメグ、白コショウなどのスパイス類などのこもった香り。味わいもまた手ごわいもので、力強い酸を基調に凝縮した果実味ときめ細かいながらも粉っぽいタンニンとがせめぎあっています。後半からフィニッシュにかけて少しばかりのエグミも感じられます。タンニンの質なんでしょうか、なんとなくボルドーチックに感じられる部分もあります。いずれにしても予想以上に長熟タイプのようで、今は全然飲み頃ではない感じですねぇ。また、各要素の密度感は村名の比ではないものの、村名を飲んだときに感心した精妙さがあまり感じられないのも残念でした。それにしても2005年は、今結構難しい時期ですね。このワインにしてもマッチョなストラクチャーはあるものの、どうにもこうにも飲みにくい時期に開けてしまったなぁという思いです。追記:う~む。まだワインは早かったんでしょうか。翌日は腹がゴロゴロしっぱなしだった上、肛門がヒリヒリするような感覚もありました。こんなことは退院後初めてです。他に刺激物を摂取した覚えはないので、やはりアルコールが原因なんですかねぇ。少量からといいつつ、結局ボトル半分飲んでしまったのがいけなかったかな。
2012年10月29日
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今にして思えば、わざわざ東京まで帰らずとも、鈴鹿市内の病院に行った方が体に負担をかけずに済んだのになぁと思います。が、このときは、体調を崩して気弱になったのか、なぜだか無性に勝手知った地元の町に帰りたくなったんですよね。たまたま実家のすぐそばによく知られた肛門科の病院があったということもありました。帰りの新幹線の中や都内の電車移動なども相当大変だったはずですが、その辺のことは覚えていません。翌朝、さっそく肛門科を訪ねました。ベッドに横になるように言われて、友人が言っていたとおり、「フラスコのようなもので」グリグリと尻の中をひととおりかき回されました。大腸内視鏡や直腸触診などを日常的に経験している今となっていは、全く大したことのないことですが、当時の私にとっては、それなりに衝撃的(笑)な出来事でした。そもそも、工場実習が延長になられなければ、こんな思いをすることもなかったのにと、会社の仕打ちを改めて恨めしく思いました。医師はひととおり、診察を終えて、ひとこと。「痔核(イボ痔)だね。」「あんまり飲み過ぎるなよ。」処置としては、患部に軟膏を塗って、ガーゼをあて、ガッシリと絆創膏を止めただけでした。あとはたしか便通を整えるための漢方のクスリが処方されたと記憶しています。あれだけ痛く苦しい思いをしたわりには、あまりにあっけない診察結果でした。「まあ、あんまり酷いようなら、手術すればいいから。金曜日に来てもらって、翌月曜日には通常に戻れるよ。」そんなものなのでしょうか。痔の手術って、すごく痛いとか大変だとかよく聞かされていて、結構ビビッていたのですが。たしかに、これで、発作的な激痛いったんは収まりました。しかし、その後も大規模噴火こそありませんでしたが、小規模な痛みは継続的にありました。症状が出るのは、冷たい椅子に座ったりして尻や下半身が冷えたとき、ずっと同じ姿勢を強いられたとき、寝不足や体調不良などのとき、ストレスがたまっているときなど。その都度、対症療法的に軟膏を塗ったり安静にしたり、風呂で暖めたりして、なんとかしのぎました。冬場は尻のポケットに使い捨てカイロを入れたりして、とにかく下半身を冷やさないように注意していましたね。3月に実習を終えるときに、ラインの同僚たちが寄せ書きを書いてくれました。今でも実家に残っている、寄せ書きを見返すと、数人の同僚が「痔、大事にしてくださいね。」「痔が早く治るといいですね。」といったことをを書いていました。当時、私の痔疾は班の連中にもよく知られていたようです。前に書いたヤクザ絡みのトラブルは(その場こそ大変でしたが)どちらも実習期間中に決着しました。しかし、痔については実習終了後もずっと、それこそ20代から30代前半にかけて、長く苦しめられることになりました。鈴鹿での実習終了のあと、冬の寒さが厳しい宇都宮勤務になったのもツイていませんでした。今思い出すだけでも、スキー場でゴンドラを待っている間に痛み出したり、海外出張中に痛み出したり、会社で重要なプレゼンを控えた前日に痛くてたまらなくなったりと、いろいろ苦労しました。といって、日常生活に支障をきたすような酷い症状が出るのはせいぜい2〜3年に1度程度だったので、手術を受けようという踏ん切りもつかないまま、なんとかやり過ごしてきました。その後の私は痔とうまくつきあえるようになったというのでしょうか。私にとって、痔は体調のバロメーターのようなもので、寝不足が続いたり、暴飲暴食が続いたりすると、尻のあたりがモゾモゾとしてきました。そしてそれが出ると、日常生活でも節制を心がけるようにしていました。あと、家のトイレをウォッシュレットにしたのもよかったのだと思います。歩けないほどの痛みが出たのは、33歳のときに行った中国旅行で苦しめられたのが最後でした。こうして、その後激しい痛みが出る事もなく、長い年月が経過しました。ここ数年は、かつて自分が痔で苦しんだ事も忘れていました。ところが、昨年、すっかり過去のものだとばかり思っていた痔の痛みが15年ぶりに再発したのです。それはほかならぬ昨年の東日本大震災の当日、帰りの交通機関がなく、職場で一晩過ごしたときのことでした。それだけ精神的にストレスになっていたということなんでしょうね。まあ、かつて味わったような、歩けないほどの痛みではありませんでしたし、痛みと腫れも1ヶ月ほどで収束して、今はまたなんともなくなりましたけど、忘れかけていた痔が完全に治癒したわけではなかったのだということを改めて思い知らされました。また、今回の下血に際しても、医師は最初、「痔」だと疑ったらしく、痔の既往歴があるかをずいぶんと聞かれました。しかし、私はいわゆるキレ痔ではなかったので、過去出血した事は一度もありませんでしたし、今回のの下血は痔とはまったく関係ないとう確信に近いものがありました。いずれにしても、今回の出血とあわせて、刺激物や暴飲暴食、睡眠不足、過度なアルコール(笑)など、今後も気をつけなければならないということなんでしょうね。もうひとつ、自分が痔になって気づいたことがあります。それは、みな自分から口に出しはしませんが、想像以上に痔で悩んでいる人は多いということ。私が痔の話をすると、「実は俺も(私も)…」という人に今まで何人であったことか…。工場実習の思い出。工場実習の思い出〜その2 工場実習の思い出。~その3 工場実習の思い出~その4 工場実習の思い出~その5(実習期間が9ヶ月に延長) 工場実習の思い出~その6(亀山市でヤクザに監禁される) 工場実習の思い出~その7(亀山でヤクザに監禁されてその後)工場実習の思い出~その8(名古屋でヤクザの車に追突) 工場実習の思い出~その9(続・名古屋でヤクザの車に追突) 工場実習の思い出~その10(名古屋でヤクザの車に追突その後) 工場実習の思い出~その11(痔で歩けなくなる) 工場実習の思い出〜その12(痔で動けなくなってその後)工場実習の思い出~その13(駅伝の練習ってマジですか??) 工場実習の思い出~その14(駅伝ってマジ?~その後) 工場実習の思い出~その15(ジョブローテーションでさらにキツイ仕事に…) 工場実習の思い出~その16(ジョブローテーションでキツイ仕事に…)工場実習の思い出~その17(ラインの同僚のこと) 工場実習の思い出その18(休日の過ごし方) 工場実習の思い出~その19(友人とそのフィアンセの話) 工場実習の思い出~その20(もうひとりの友人のこと。) 工場実習の思い出〜その21(実習終了間近なれど…)工場実習の思い出~その22(実習終了)
2012年10月28日
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研修期間中、何人もの実習生が痔になったという話を聞いていました。秋が深まり、だんだんと冷え込んでくる上に、毎日同じ作業の繰り返しで血行が妨げられる。おまけにストレスや偏った食生活など、痔になる要素が満載だったわけです。私がいつも昼飯を一緒に食べていた実習生仲間でも痔になったという友人がいて、痛くて歩けなかったとか、医者にいったらフラスコのようなものを尻の穴からグリグリ入れられた、なんていう話を茶飲み話で聞かされていました。しかし、このときはまさか自分も同じ目に会うとは思ってもいませんでした。実習が延長期間に入り、秋も深まってきたころだったでしたから、11月頃だったと思います。その日、私は腹の調子が悪く、作業をしながら何度もトイレと往復しなければなりませんでした。ちなみにこの頃にはさすがにラインでの仕事にも慣れて、休憩中でなくても、自分の工程が少ない車種が流れてくる合間に、速攻でトイレに行って帰ってくるなんていう芸当も出来るようになっていました。慌ただしく行ったり来たりしている私を見かねて、隣の工程のオジさんが手持ちのクスリをくれました。「下痢に速攻で効くクスリを持っているけど、水で飲まなくてもいいってやつなんや。」「一発で収まるで〜。」ありがたく頂戴して、その場で飲むと、たしかに下痢は収まりました。ところが…。定時間際になって、急に尻に激痛が走り始めたのです。最初は何が起こっているのかわかりませんでしたが、ふと実習生仲間が語っていた経験談を思い出しました。「もしや、これって、『痔』では??」この日の寮までの帰り道は全くもって悲惨なものでした。尻のあたりに大きくポツンと腫れたような異物感があって、それが歩くたびに擦れて激痛が走るのです。いや、歩くどころか、大きく息をするだけで、尻にジンジンと響きました。友人が痛くて歩けなかったと語るのを、当時はそりゃ大変だったねぇと笑いながら聞いていましたが、自分が経験してみるとまさにその通り、いやそれ以上でした。やっとの思いで帰宅。経験者の友人のアドバイスに従って、風呂の浴槽に長く浸かるうち、腫れと痛みは若干収まりました。その日は食事も摂らず、早々に床につくことにしました。翌朝、痛みは収まっていました。それで、きっと慣れないクスリを飲んがための、急性の症状だったのだろうといったんは安心しました。ところが、午後、終了間際になると、また前日同様に鈍い疼痛が始まり、だんだんと酷くなってきました。帰路は前日よりさらに過酷でした。一歩歩いて、フーッと深呼吸をし、また一歩歩く。そのたびに尻からの疼痛が全身に響き渡ります。痔ってこんなに痛いものなのかと改めて思い知らされました。幸いこの日は金曜日だったので、翌日の「休日買い上げ」を休ませてもらい、この日のうちに実家に帰ることにしました。工場実習の思い出。工場実習の思い出〜その2 工場実習の思い出。~その3 工場実習の思い出~その4 工場実習の思い出~その5(実習期間が9ヶ月に延長) 工場実習の思い出~その6(亀山市でヤクザに監禁される) 工場実習の思い出~その7(亀山でヤクザに監禁されてその後)工場実習の思い出~その8(名古屋でヤクザの車に追突) 工場実習の思い出~その9(続・名古屋でヤクザの車に追突) 工場実習の思い出~その10(名古屋でヤクザの車に追突その後) 工場実習の思い出~その11(痔で歩けなくなる) 工場実習の思い出〜その12(痔で動けなくなってその後)工場実習の思い出~その13(駅伝の練習ってマジですか??) 工場実習の思い出~その14(駅伝ってマジ?~その後) 工場実習の思い出~その15(ジョブローテーションでさらにキツイ仕事に…) 工場実習の思い出~その16(ジョブローテーションでキツイ仕事に…)工場実習の思い出~その17(ラインの同僚のこと) 工場実習の思い出その18(休日の過ごし方) 工場実習の思い出~その19(友人とそのフィアンセの話) 工場実習の思い出~その20(もうひとりの友人のこと。) 工場実習の思い出〜その21(実習終了間近なれど…)工場実習の思い出~その22(実習終了)
2012年10月27日
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翌朝、事の次第を班長に報告しました。班長は「う~ん。」と腕組みをしながら長考したあと、「一応、上にいれておこうか。」ということで、係長のところに連れて行かれました。ひととおり話を聞いた係長は、とりあえずこの場で収めて、上司や本社の人事には報告しない、ということにしてくれました。まぁ、私を慮ってくれたというよりは、どこの馬の骨かもわからない実習生のことであまり事を大きくして、自分の管理責任を問われては面倒だ、という感じでした。実のところ、会社には黙っているという手もありました。しかし、結果的には正直に申告して正解でした。というのも、このあと、何度か先方のヤクザからの電話が職場にかかってきたりしたので…。一度は、打ち合わせをしたいと言われて名古屋から名鉄で何駅かの駅前の寂れた喫茶店に呼び出されました。何の打ち合わせをしたのかよく覚えていません。電話をとりついだ工場の工務の人から、後日「なんだかすごくガラの悪い人でしたけど、大丈夫でしたか?」と言われました。その後も何度か電話のやりとりをしました。あちらは私と話すときはいたって普通なんですが、他の人間に対してはヤクザそのものの話しっぷりだったようです。寮の管理人さんなどは気を使って、「なんだか大変そうな相手だけど、取りつがないようにしようか?」などと言ってくれたりもしました。そして、だんだんと先方が本性を見せ始めました。まず、私の自動車保険の担当者が先方とコンタクトをとったところ、「二人とも入院してしまいました。」ええ?事故の時はまったくそんなそぶりはなかったのに、やっぱりそう来ましたか、という感じでした。「クビがいたい」といって、二人ともずいぶんと長い期間入院していたようです。その後も、保険の担当者が電話をするとヤクザの事務所のようなところに繋がって、いろいろと難癖をつけられたようです。二人のうち、角刈りのオヤジよりもむしろ事故当日ほとんどしゃべらなったアキバ系っぽい男のほうが性悪で難儀しているとも聞きました。ただ、幸いなことに、交渉相手が保険屋になってからは、相手のヤクザが直接私に電話をかけてくることはなくなりました。その代わり、先方は「保険がなかなか下りないので、立て替えてほしい。」といって、私の実家にまで電話をかけてきたこともありました。実家が近隣だったりしたら、家まで押しかけられていたかもしれません。示談が成立したと保険屋から連絡があったのは、事故から数ヶ月後のことでした。角刈りの男に200万、アキバ系には300万支払ったとのことでした。合計500万。保険屋が払ってくれて助かりました。本当に、このときほど保険に入っていてよかったと思ったことはありません。今思い出すと、そもそもこの連中は「当たり屋」だったのではないかという疑惑もあります。というのも、事故ったときに私が一瞬よそ見をしたのは事実ですが、片側3車線の道路のもっとも中央分離帯に近い車線で、信号もなく渋滞だったわけでもないのに、突然前のクルマが急減速する、ということ自体、考えてみれば不自然だったよなぁ、と。今となっては、真相は闇の中ですがね。酷い目に会った中で、いくつか不幸中の幸いだったこともありました。まず、相手がヤクザといっても、おそらくはチンピラレベルだったこと。もし相手がベンツだったりしたらと思うと、ゾッとします。それから、担当の保険屋がよくやってくれたこと。人身事故扱いになったことで、翌年からの保険料は大幅に上がってしまいましたが、それはもう仕方のないことです。保険屋が払い渋ったりしていたら、もう一悶着あったところでした。あとは、金ヅルになりえないと思ったのか、私自身には後半、まったくといってよいほどアプローチがなかったこと。事故直後に迷わず警察を呼んだ事(これがなければ、はたして保険屋がどこまで対応してくれたか…)。クルマを相手に貸さなかったこと、などなど。しかしながら、地図を持たずに不案内な土地に行ったり、迷ってからも止まって確認せずによそ見をしながら運転してしまったことなど、この事故は、私自身にも大いに非があったのは事実です。街中を普通に歩いていたり、電車に乗ったりしていて、人生が狂わされるような災厄に出くわすことはそう滅多にありませんが、クルマって、たとえば人を轢いてしまったり、ヤバイ相手にブツケたりなど、ひとつ間違えれば本当に人生を破滅させかねないなぁと実感しました。このとき以来、クルマの運転には、慎重すぎるぐらい慎重になりました。といいつつ、その後も人生で何度か事故に巻き込まれているのですけど、まあその辺の話も機会があればいずれ…。工場実習の思い出。工場実習の思い出〜その2 工場実習の思い出。~その3 工場実習の思い出~その4 工場実習の思い出~その5(実習期間が9ヶ月に延長) 工場実習の思い出~その6(亀山市でヤクザに監禁される) 工場実習の思い出~その7(亀山でヤクザに監禁されてその後)工場実習の思い出~その8(名古屋でヤクザの車に追突) 工場実習の思い出~その9(続・名古屋でヤクザの車に追突) 工場実習の思い出~その10(名古屋でヤクザの車に追突その後) 工場実習の思い出~その11(痔で歩けなくなる) 工場実習の思い出〜その12(痔で動けなくなってその後)工場実習の思い出~その13(駅伝の練習ってマジですか??) 工場実習の思い出~その14(駅伝ってマジ?~その後) 工場実習の思い出~その15(ジョブローテーションでさらにキツイ仕事に…) 工場実習の思い出~その16(ジョブローテーションでキツイ仕事に…)工場実習の思い出~その17(ラインの同僚のこと) 工場実習の思い出その18(休日の過ごし方) 工場実習の思い出~その19(友人とそのフィアンセの話) 工場実習の思い出~その20(もうひとりの友人のこと。) 工場実習の思い出〜その21(実習終了間近なれど…)工場実習の思い出~その22(実習終了)
2012年10月26日
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そのとき彼らが何と言っていたのか、今となっては思い出せません。そもそも私自身が平静さを取り戻すのにある程度の時間が必要だったと思います。とりあえず、追突された二人に怪我がなさそうなことを確認して、まずは警察を呼ぶことにしました。警察と聞いて、二人は一瞬渋ったようでしたが、私はお構いなしでした。あとから考えると、初動で警察を呼んだことは、本当に不幸中の幸いだったと思います。なあなあで示談にしようものなら、後でどんな悲惨な目にあっていたかもわかりません。工場勤務の前に経験したディーラー実習の経験が少しは生きました。警官が来て、実地検証をしたあと、みなで署まで一緒に行くことになりました。ここで初めて、私は自分が中川区というところを走っていたことを知りました。署で名前と職業、住所を書くように言われて、あちらの二人がまたまた口ごもっていたのですが、当時の私には、それを不審に思う心のゆとりはありませんでした。調書を取り終えて帰ろうとした私を警察の人が呼び止めて言いました。「大丈夫?相手は普通の人じゃなさそうだから、気をつけたほうがいいよ。」「え?そうなんですか?」実はそう聞かされるまで、私は先方は地元の自営業かなにかの人たちだとばかり思いこんでいていました。前回の亀山ヤクザと違って、今回の二人とのやりとりは至って常識的なものだったし、とりたてて私を恫喝したり威嚇したりすることもなかったし、あちらの乗っていたクルマもオンボロのシルビアだったし…。警官から言われてもまだ半信半疑だったぐらいです。そもそも、このときはもっと心配なことがあったのです。それは、「会社をクビになるんじゃなかろうか?」ということでした。自動車メーカー勤務で、交通事故を起こすというのは、きわめて重大なことです。事故の状況や成り行きしだいでは「クビ」ということは十分ありえます。まして私は仮採用の実習生の身。まあでもいいか。どの道、実習が延長になると聞いて、一度は真剣に転職しようとしたのだから…。別れ際、帰りの足がないという角刈りのオヤジに、「いいクルマ乗っているやんか。」といわれて、私はこともあろうに、自分のクルマを貸しましょうかと申し出てしまいました。「おお、そうか。」オヤジは満足げに私のクルマに乗り込みましたが、エアコンがないと聞いて、「この季節にエアコンのないクルマなんか乗れんよ!」と、結局私のクルマには乗らずに帰りました。これもまた本当に不幸中の幸いでしたね。あのとき貸していたら、私のインテグラはおそらく二度と私の元に戻ってこなかったと思います。今思えば、冷や汗ものです。このあと、一体どうやって私自身が鈴鹿に行き着いたのか、よく覚えていません。事故を経験した人なら判ると思いますが、事故った直後って、運転するのが怖くて仕方ないものです。まして土地勘のないエリアということで、何度そのままクルマを乗り捨てていこうかと思ったことか…。ふたたび道に迷ったり、周りに何もない農道を走ったりして、とにかく事故を起こさないことだけを考えて走り、ようやくド深夜に寮にたどりついたことだけは覚えています。工場実習の思い出。工場実習の思い出〜その2 工場実習の思い出。~その3 工場実習の思い出~その4 工場実習の思い出~その5(実習期間が9ヶ月に延長) 工場実習の思い出~その6(亀山市でヤクザに監禁される) 工場実習の思い出~その7(亀山でヤクザに監禁されてその後)工場実習の思い出~その8(名古屋でヤクザの車に追突) 工場実習の思い出~その9(続・名古屋でヤクザの車に追突) 工場実習の思い出~その10(名古屋でヤクザの車に追突その後) 工場実習の思い出~その11(痔で歩けなくなる) 工場実習の思い出〜その12(痔で動けなくなってその後)工場実習の思い出~その13(駅伝の練習ってマジですか??) 工場実習の思い出~その14(駅伝ってマジ?~その後) 工場実習の思い出~その15(ジョブローテーションでさらにキツイ仕事に…) 工場実習の思い出~その16(ジョブローテーションでキツイ仕事に…)工場実習の思い出~その17(ラインの同僚のこと) 工場実習の思い出その18(休日の過ごし方) 工場実習の思い出~その19(友人とそのフィアンセの話) 工場実習の思い出~その20(もうひとりの友人のこと。) 工場実習の思い出〜その21(実習終了間近なれど…)工場実習の思い出~その22(実習終了)
2012年10月25日
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多くの地方都市同様、鈴鹿もクルマがないと何かと不便なところです。実習期間が3ヶ月であればなんとか我慢できましたが、9ヶ月となると、自分の車を持っている人間は手元に持ってきたくもなります。さすがに会社側も考慮してくれたようで、しばらくして実習生のクルマ持込みがOKになりました。私もさっそく、休日買い上げのない週末に実家に戻ってクルマを持ってくることにしたのですが…。私が当時乗っていたのはインテグラ。ディーラー研修時代に購入したものでした。先立つものがなかった私は、エアコンやその他のオプション類をすべて後から装着することにしていたので、この日も窓を全開にして東京から鈴鹿に向かいました。車載の地図を家に忘れてきたことに途中で気づいたのですが、まあ高速をずっと走るだけなので大丈夫だろうと高をくくっていました。東京から4時間で名古屋に到着。すでに外は真っ暗でした。さて、ここからどうやって鈴鹿に向かえばいいのか、というところで、あてもなく適当に走ったら、早々に道に迷ってしまいました。ただでさえ方向音痴気味なところにもってきて、今のようにカーナビなどまだ無かった時代です。なぜこのとき、コンビニにでも立ち寄って、地図を購入しなかったのかと思います。こうなったら道路の標識と勘だけを頼りに鈴鹿まで行き着こうと半ばムキになっていたのでしょう。そもそも、今改めて地図を見てみると、なぜ名古屋で下に下りたのか分かりません。東名から東名阪に出て、鈴鹿ICで降りればよかったのですが、どこをどう間違えたのか…。そんなお粗末な状況で、一体どこを走っているかもわからぬまま、だんだんと路上の標識も減ってきました。このままでは到着するのが夜中になってしまう、翌朝キツイぞ、とさすがに焦り始めました。交差点にところどころある地名の書かれた青い標識を頼り煮に自分の知っている地名がないかと目を皿のようにして走っているうちに、ふと視線を目の前に戻すと、前を走っていたシルビアがなぜだか急に減速したように見えました。ヤバッ!あわててブレーキを踏んだものの、時すでに遅し。前の車のリアランプが、かつて自分の経験したことのないほど間近な車間距離に迫ったと思ったら、直後にガシャンと衝撃に包まれました。クルマが大破したわけではありませんが、といって、決してコツンというような軽い追突ではありませんでした。実際ぶつかった直後、ハンドルを握っていた私の両手は衝撃で痺れていましたから。「なんや、なんや~」と、前のシルビアから二人の男がおりてきました。ひとりは小太りで角刈り、もうひとりは銀縁メガネをかけた今で言えばアキバ風の風体でした。実はこのとき、私は二人がそんなにヤバイ業界の人だとは全く思いませんでした。工場実習の思い出。工場実習の思い出〜その2 工場実習の思い出。~その3 工場実習の思い出~その4 工場実習の思い出~その5(実習期間が9ヶ月に延長) 工場実習の思い出~その6(亀山市でヤクザに監禁される) 工場実習の思い出~その7(亀山でヤクザに監禁されてその後)工場実習の思い出~その8(名古屋でヤクザの車に追突) 工場実習の思い出~その9(続・名古屋でヤクザの車に追突) 工場実習の思い出~その10(名古屋でヤクザの車に追突その後) 工場実習の思い出~その11(痔で歩けなくなる) 工場実習の思い出〜その12(痔で動けなくなってその後)工場実習の思い出~その13(駅伝の練習ってマジですか??) 工場実習の思い出~その14(駅伝ってマジ?~その後) 工場実習の思い出~その15(ジョブローテーションでさらにキツイ仕事に…) 工場実習の思い出~その16(ジョブローテーションでキツイ仕事に…)工場実習の思い出~その17(ラインの同僚のこと) 工場実習の思い出その18(休日の過ごし方) 工場実習の思い出~その19(友人とそのフィアンセの話) 工場実習の思い出~その20(もうひとりの友人のこと。) 工場実習の思い出〜その21(実習終了間近なれど…)工場実習の思い出~その22(実習終了)
2012年10月24日
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寺田倉庫からDMが来ました。二子玉川のトランクルームが11月に開業するそうです。お、二子玉なら今の横浜都築より近くなるので引っ越そうかな、と思いましたが、さらにその下に驚きのニュースが!「世田谷代田トランクルーム1月オープン」ですと!。世田谷代田ならクルマで10分以内です。引越し決定ですかね~。でも、立地上、値段が高くなるのかな…。しばらく目が離せません。今日は退院後初の検診の日でした。それにしても大学病院って、混んでいますね。9時の予約で行きましたが、診てもらえたのは10時半近くでした。血液検査の結果、ヘモグロビンは12.9まで戻っていました。私の普段の値は15以上なので、まだ完全復活とはいえませんが、入院時の10台からはだいぶ戻りましたし、ほぼ正常範囲といえる値です。胸部CTやカプセル内視鏡の検査も所見なしとのことでしたが、大腸にあったいくつかの小さなポリープを今回は取らなかったので、それを次回取りましょうということになりました。といっても、1年後をメドにという話ですが。だいぶ食欲も出てきたし、予定通り11月に入ったら飲酒再開できそうです。
2012年10月23日
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前回長文を書いて疲れたので、今日は軽めのネタを。夏休みに旅行に行った際、子供たちがカブトムシを採ってきました。といっても、天然モノではなくて、イベント用のホテルの仕込みです。新幹線でわざわざ連れ帰ったのにも関わらず、それらのつがいは早々に☆になってしまいました。ところが、飼っていたプラケースを捨てようと蓋を開けたところ、土の上になにやら丸いコロコロしたものが点在しているのを発見。これはきっと幼虫のフンだな、と思って、プラケースを片付けずにそのまま玄関に放置しておきました。先日蓋を開けてみたら、上の方がほとんど糞だらけになっていたので、土を取り替えることにしました。上の子のプラケースから2匹、下の子のプラケースからはなんと8匹もの幼虫が見つかりました。さすがにこれでは狭かろうと、発泡スチロールの大きな容器に移すことに。どうやら玄関先に置かれたまま越冬となりそうです。それにしても、カブトムシの生命力繁殖力って、スゴイですね。明日は退院後初めての外来検診です。
2012年10月22日
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こうしてヤクザお得意の「落とし前をつけろ。」「誠意をみせろ。それが何かは自分で考えろ。」というペースで時間ばかりが無為に過ぎました。外で考えろと店の外の駐車場に追い出されて、夜風に吹かれながら途方に暮れていると、ヘッドライトを上に上げたクルマが一台駐車場に入ってきました。パトカーでした。どうやら先に逃げおおせた同僚たちが店に電話をしてきたら、ちょうど「指を詰めろ。」などという物騒な怒鳴り声が聞こえてきて、それで警察に通報してくれたようなのです。「助かった〜。」と、まずは安堵したのですが…。事はそう簡単には済みませんでした。警官から一体何があったのかと問われて、「この人たちに脅されていました。」と答える私に対して、当然連中は、「そんなことは知らない。」と言い張ります。それに加えて、今までのやりとりの間、厨房にこもったきり、とりなしてくれるでも仲裁してくれるでもなかった店主が急に現れて、私に向かって、「何を言っているんだ、お前は?そんなことはなかっただろう?」と怒鳴り始めたのです。警察が来てマズイと思ったヤクザたちが、一転して私たちをさっさと帰らせてこの場をしのごうとしたのに、私が「脅されていた」と証言を始めてしまったので、なんとか上手く収めようとした。「後に」店主はそう弁解してましたが、この時の私がそんなところまで気が回るはずもありません。それに、この場で警察を帰らせたら、残された私たちはそれこそどうなるかも判りません。私はすっかり混乱してしまいました。パンンチパーマなどは急に猫なで声になって、「あ、缶コーヒー飲みますか?」などと警官にすり寄っていました。一方、私は「どうなの?」と聞かれるも、例によって店主が激しくプレッシャーをかけるもので、あまり強く言う事もできず、その後は沈黙がちになりました。細かいやりとりは失念しましたが、結局、なんだかんだで、若親分とパンチパーマの二人が連れて行かれました。逮捕というわけではなく、署まで同行という感じだったと思います。(まあ、あの時の雰囲気だと「カタギの人相手にあんまりオイタが過ぎるぞ。」とかなんとか叱られてすぐに放免になったのだと思います。)一方、ひとり残された親分さんは収まりがつきません。「もしアイツらがムショに入ることになったら、お前ら、ただで済むとは思うな。」「オマエらの工場まで行くからな。どこまでも追いかけるぞ。」とかなんとか、まるでテレビドラマに出てくるステレオタイプなヤクザの恫喝を繰り返していました。この親分がその後いつどうやって帰ったのか、覚えていません。たぶん一人で車を運転して帰ったのだと思います。彼らがいなくなったあとで、連中が時々店に来るホンマもののヤクザで、親分とその息子だということを店主から聞かされました。「粗相がなければいいなぁと思っていた」という店主でしたが、だったら思ってないで、誰かがトイレに立ったときにでも教えてくれよ、と言いたくなりました。この店主の小物ぶりには、今思い出しても腹が立ちます。ようやく放免されて、私たちが寮に帰り着いたのは、朝方4時過ぎでした。マズイなぁと思ったのは、私たちの素性が先方に割れていることです。単に工場勤務というだけなら、何千人もいるのですから見つけ出すのは困難でしょう。しかし、職場の同僚たちはこの店の常連でしたので、名前も知られています。店主が口を割れば、絞り込むことは可能です。職場に来られたり、日中しつこく電話をされたりしたら、しがない実習生の私はともかく、同僚や上司に激しく迷惑がかかります。今であれば、ワインのおつきあいで知り合った(笑)法曹界の方々や警察幹部の方々など相談する相手も思い浮かびますが、当時の私にはそうしたつてもありませんでした。職場の「その筋に詳しい」先輩に話しても、「そりゃ、ヤクザにはヤクザや〜。」などとアドバイスされる始末。大体、カレンダーを落としたぐらいで、なんでここまで追い込まれなきゃいかんのでしょうか。まったく理不尽な話です。そんなこんなで、その後数週間怯えながら過ごしたのですが、結局、ヤクザたちが工場にまで追い込みをかけてくることはありませんでした。これでこの件は終わりとばかり思っていたのですが…。忘れた頃、たしか数ヶ月後だと思います。本当に忘れた頃になって、副班長から「話がある」と呼ばれました。「実はなぁ〜。思い出したくもないと思うんやけど…。」「あのときの連中が、しつこく店主に、あのときの話はどうなったんだ、と言ってきてらしいんよ。」「要はカネを払え、ということなんや。」「で、いくらぐらい払えと?」「2万円だっていうんだけど。」「はぁ。2万ですか。」「みんなでカンパすることにしたんで、ナベちゃんも3千円払ってよ。」……。数ヶ月たってもまだしつこく言ってくることへの怒りとか、まだ終わっていなかったのかという驚きとか、はたまたこれでケリがついたいう安堵感とかはありませんでした。それよりもむしろ、夜中に監禁されてあれだけ追い込まれた落としどころが、2万円だったのかと思うと、呆れるやら情けないやら…。もっとも連中のことです。もしあの場で万札を出して、これで勘弁を、などと言っていたら、「なんや、金で解決しようって言うんか〜。」「誠意を見せんか〜。」とかなんとかいって、要求がエスカレートしたことは想像に難くありません。それに、当時の私はといえば、月給手取り12万円でした。今でこそグランクリュ1本分、などとすぐワインに換算してしまいますが、新卒実習生の私には、2万円という金額はそれなりの重みはありましたし、みながカンパしてくれたのは、素直に嬉しかったです。いやはや。この事件については、あまりデリカシーがあるとは言えないラインの同僚の連中も、さすがにネタにしては悪いと私に気を使ってくれたようです。その後は話題に上る事もなく、あのときは大変だったねぇ、とみなで語り合ったのは、3月末の私の送別会の時が最初で最後でした。ところが…。鈴鹿で過ごした期間で、ヤクザ絡みの事件はこれだけでは終わらなかったのです。(さらに断続的につづく)工場実習の思い出。工場実習の思い出〜その2 工場実習の思い出。~その3 工場実習の思い出~その4 工場実習の思い出~その5(実習期間が9ヶ月に延長) 工場実習の思い出~その6(亀山市でヤクザに監禁される) 工場実習の思い出~その7(亀山でヤクザに監禁されてその後)工場実習の思い出~その8(名古屋でヤクザの車に追突) 工場実習の思い出~その9(続・名古屋でヤクザの車に追突) 工場実習の思い出~その10(名古屋でヤクザの車に追突その後) 工場実習の思い出~その11(痔で歩けなくなる) 工場実習の思い出〜その12(痔で動けなくなってその後)工場実習の思い出~その13(駅伝の練習ってマジですか??) 工場実習の思い出~その14(駅伝ってマジ?~その後) 工場実習の思い出~その15(ジョブローテーションでさらにキツイ仕事に…) 工場実習の思い出~その16(ジョブローテーションでキツイ仕事に…)工場実習の思い出~その17(ラインの同僚のこと) 工場実習の思い出その18(休日の過ごし方) 工場実習の思い出~その19(友人とそのフィアンセの話) 工場実習の思い出~その20(もうひとりの友人のこと。) 工場実習の思い出〜その21(実習終了間近なれど…)工場実習の思い出~その22(実習終了)
2012年10月20日
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齢50に近づいた今、振り返ってみると、長いサラリーマン人生の中でほんの半年間工場勤務の期間が延びたぐらいで、なんでこの世の終わりのようなリアクションをしていたのか。ラインで一生を過ごす工員だっているじゃないか。それにこの先(肉体的にはともかく)精神的にもっと打ちのめされるような出来事に何度も出くわすことになるんだぞ、と当時の私を叱りつけたくもなります。。せっかく鈴鹿であと半年過ごすことになったのだから、たとえば毎週末関西や中国四国方面を観光で回ってみるとか、なにか習い事を始めるとか、もっと建設的なことをしておけばよかったとも思います。しかし、当時の私(というか実習生全般がそうだったのですが)は、なんというかネガティブ&ペシミスティックな思考に支配されていて、それがまた不運なめぐり合せや悪い出来事やを呼び込んでしまうという悪循環に陥っていたような気がします。今振り返ってもやはり鈴鹿で過ごした1年間は我が人生最悪の1年間でした。というのも、ここからさらに最悪な出来事が次々と起こるのです(笑)。今でこそ(笑)とつけられますが、当時はシャレになりませんでしたよ。まず、一発目が「亀山市でヤクザに監禁された事件」。実習期間が半年延長になったと知って、それまでは「どうせすぐにいなくなるんだから…」と無関心を装っていたラインの同じ班の人たちがわりと目をかけてくれるようになりました。その日も、仕事が終わってから、「焼肉を食べに行こう」と誘われて、みなで連れ立って、亀山の辺鄙な山の中にある焼肉屋に行ったのでした。周囲に店はなく、県道脇のドライブインといった趣の店でした。夜勤終了後だったので夜中の12時を回っていました。その店で何を注文したのか、肉はどんな味だったのか、今となってはまったく覚えていません。狭い座敷でひとしきり食べて、さて帰ろうと私が席を立った瞬間、柱にかかっていたカレンダーが肩に触れて落ち、運悪くすぐ脇にいた客にパサリと軽く当たってしまいました。ただ、それだけのことでした。あ、これはすみませんと、そこに座っていた客に謝ろうとした途端、横っ面をピシャンと引っぱたかれました。一瞬何が起こったのか分からず呆然とする私の前で、なんじゃコリャアと、パンチパーマの兄ちゃんから凄んでいました。相手は3人。もうひとりは方から刺青をした30前後の男。あとで聞いたところ、これが若親分だとか。そしてもう一人は年配のオヤジ。これが組長だったようです。その直後の経緯は失念してしまいました。とりあえず激高している相手に謝っておいて、さっさと店を出ようぜということになり、各自クルマに乗ろうとしたことは覚えています。(ひょっとしたら、店主から逃げろとアドバイスがあったのかもしれません。)ところが、工員仲間のうちの一人のクルマに彼らのクルマがピッタリと横付けされていて、駐車場から出られないのです。「○○がつかまった!」という怒鳴り声を聞いて、私たちも引き返さざるをえなくなりました。今にして思えば、店に着いた時点で、客の誰かをカモにしてやろうという魂胆だったのかもしれません。先に出た数人はそのまま逃げおおせましたが、この時点で、私を含めた数人が店に取り残されることになりました。店の中に他の客はおらず、完全に監禁状態。逃げようとしたとあって、相手のボルテージは上がっています。そしてそのターゲットは当然カレンダーを落とした私です。いくら謝っても、それで許してもらえるはずもなく、「どう落とし前をつけてくれるんだ。」「どうすればいいんですか?」「それは自分で考えろ。」の繰り返し。典型的なヤクザの問答でした。相手が金銭を要求しているのはなんとなく分かりましたが、この時点でこちらから金を払うと申し出るのはどうあってもマズイと直感的に感じました。(おそらく居合わせた誰もがそう思ったようで、金の話は最後まで出ませんでした。)「オマエら○○○の者か?会社に電話してやるから待ってろ」埒が明かなくなると、今度はパンチパーマの男が工場に電話して、なんだかんだと因縁をつけはじめました。しかし、電話に出た守衛の人たちはまるで無反応。私に電話を代わらせると、「自分でまいた種なんだから自分でなんとかしなさい。」と突き放されてしまいました。じれたパンチパーマは、しまいには「指つめろ。」と息巻き始めます。「いや、指つめたら工場で仕事できなくなるので勘弁してください。」「じゃあどうするんだ?」「どうすればいいんですか?」「それは自分で考えろ。」こんな感じでもはや無限ループでした。 (つづく)工場実習の思い出。工場実習の思い出〜その2 工場実習の思い出。~その3 工場実習の思い出~その4 工場実習の思い出~その5(実習期間が9ヶ月に延長) 工場実習の思い出~その6(亀山市でヤクザに監禁される) 工場実習の思い出~その7(亀山でヤクザに監禁されてその後)工場実習の思い出~その8(名古屋でヤクザの車に追突) 工場実習の思い出~その9(続・名古屋でヤクザの車に追突) 工場実習の思い出~その10(名古屋でヤクザの車に追突その後) 工場実習の思い出~その11(痔で歩けなくなる) 工場実習の思い出〜その12(痔で動けなくなってその後)工場実習の思い出~その13(駅伝の練習ってマジですか??) 工場実習の思い出~その14(駅伝ってマジ?~その後) 工場実習の思い出~その15(ジョブローテーションでさらにキツイ仕事に…) 工場実習の思い出~その16(ジョブローテーションでキツイ仕事に…)工場実習の思い出~その17(ラインの同僚のこと) 工場実習の思い出その18(休日の過ごし方) 工場実習の思い出~その19(友人とそのフィアンセの話) 工場実習の思い出~その20(もうひとりの友人のこと。) 工場実習の思い出〜その21(実習終了間近なれど…)工場実習の思い出~その22(実習終了)
2012年10月19日
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研修の期間中、私が過ごした会社の寮は工場まで徒歩10分ぐらいのところにありました。老朽化したボロボロの建物で、タタミ6畳の部屋に2人で万年床を敷いての生活でした。私が生活していた1階の部屋はジメジメとしていて、たまにゲジゲジが畳の隙間から現れたりしていました。ムカデにかまれた同僚もいました。食事も出されるのですが、あまりに「貧相で不味い」ため、みな工場で食べるか、外食にしていました。同じ寮の期間工の中には気性の荒い人もいて、風呂で湯がかかったかからないで喧嘩になったなんて話も時折耳にしました。いろいろな意味で、劣悪な労働環境、居住環境でした。そんな実習生活も3ヶ月の辛抱。工場からの行き帰りに、寮の前に広がっている田園風景を眺めながら、この田んぼの稲穂が黄色く色づくころには東京に帰れるね、などと会話をしていたものです。ところが、実習期間も2ヶ月を過ぎた8月頃になって、耳を疑うような話が飛び込んできました。「円高が急激に進んで厳しいので、その対策として、期間工の採用を絞り、代わりに新入社員の実習期間を延ばして、今年度いっぱい工場で働かせることを会社が考えている」というのです。たちの悪い噂だと信じたかったです。いくらなんでも、まさか会社がそんな理不尽なことをするわけなかろう、と思いました。ところが、火のないところに煙は立たず、とはよく言ったもので、ある日、実習生全員が集められ、本社の人事担当者から、3ヶ月の実習期間を延長して翌年3月までとする旨の発表がありました。実に6ヶ月の延長。7月から翌年3月まで、私たちはまるまる9ヶ月工場で働くことになりました。この発表を聞いたときの無力感脱力感をうまく文章で表現できるだけの語彙と文章力を私は持ち合わせていません。ようやくあと1ヶ月で終わると思っていた苦行のような生活が、突然6ヶ月延長されるという、あまりの不条理さ。田んぼの稲穂が黄色く色づくころには帰京して正規配属になると思っていたのが、収穫を終えて、翌春の田植えのシーズンまでライン勤務が続くというやるせなさ。労働に対する苦痛もさることながら、会社に裏切られたという思いが半端でありませんでした。実は私もこのとき、真剣に会社を辞めようかと思い立ち、有休をとって帰京して、大学の学生課に相談に行ったりしました。しかし、いわゆる第二新卒的な転職が一般的でなかった当時、卒業したての学生を採用しようという企業はほとんどなく、かといって、学科の劣等生だった私に、大学に残るという選択肢もなく、泣く泣く鈴鹿に戻ったものです。工場実習の思い出。工場実習の思い出〜その2 工場実習の思い出。~その3 工場実習の思い出~その4 工場実習の思い出~その5(実習期間が9ヶ月に延長) 工場実習の思い出~その6(亀山市でヤクザに監禁される) 工場実習の思い出~その7(亀山でヤクザに監禁されてその後)工場実習の思い出~その8(名古屋でヤクザの車に追突) 工場実習の思い出~その9(続・名古屋でヤクザの車に追突) 工場実習の思い出~その10(名古屋でヤクザの車に追突その後) 工場実習の思い出~その11(痔で歩けなくなる) 工場実習の思い出〜その12(痔で動けなくなってその後)工場実習の思い出~その13(駅伝の練習ってマジですか??) 工場実習の思い出~その14(駅伝ってマジ?~その後) 工場実習の思い出~その15(ジョブローテーションでさらにキツイ仕事に…) 工場実習の思い出~その16(ジョブローテーションでキツイ仕事に…)工場実習の思い出~その17(ラインの同僚のこと) 工場実習の思い出その18(休日の過ごし方) 工場実習の思い出~その19(友人とそのフィアンセの話) 工場実習の思い出~その20(もうひとりの友人のこと。) 工場実習の思い出〜その21(実習終了間近なれど…)工場実習の思い出~その22(実習終了)
2012年10月18日
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退院後10日ほど経過しました。 食事は先週末から普通の固さのご飯に戻しましたが、おかずについては 刺激物や極端に消化の悪そうなものは避けています。それと、食事の量自体はまだ入院前の3分の2ぐらいしか食べていません。絶食生活で胃が 小さくなっていることもあるのですが、そもそも入院前は暴飲暴食で太り気 味だったところ、怪我の功名で4キロ減量して適正体重に戻っていることから、 それを維持したいという思惑があります。 アルコールについては、直感的に、まだ飲むのは危険だという意識があって、会食等でも飲まないことにしています。晩酌の再開は、とりあえず 11月中メド、ワイン会への参加についてはもっと慎重に年が明けてからと考えています。 大好きなコーヒーについては、それに先んじて、数日前にカフェラテ、今日からブラックコーヒーを飲み始めました。もちろん入院前のように1日5〜6杯ということはなく、様子を見ながら少しずつという感じです。 体調的には、貧血や立ちくらみは減ったものの、今度は便秘で困っています。食事の量が少なめなこと、あまり動いていないことが原因なのは言うまでもありません。規則正しい便通を心がけるよう、ヨーグルトなども毎朝摂取しているのですが‥。 入院前は週末の天気のよい日には5〜6キロのジョギングが日課だったので、土曜日にとりあえずウォーキングを再開してみました。距離は3キロ程度。 ところが、これがいけませんでした。 帰宅後、なんというか、ガス欠的な感じで、明らかに体調が悪くなり、結局、翌 日曜日も終日ほとんどうとうとと寝てすごしました。 便秘が続くのは、今回の疾病の予後には明らかによくないと思う反面、便秘解消のために運動しようにもまだ体がついていかず、悩ましいです。改善しないようなら、作用の穏やかな漢方の下剤でも服用しようかと思っています。
2012年10月17日
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ところで、これほどキツイキツイと書いてきた工場勤務ですが、当然ここで普通に勤務している社員たちもいるわけで、彼らはいったいどういう生活をしているのでしょうか。私が所属していた職場は、四輪車体組立二課11班というところでした。鈴鹿の第二ラインの最後の方に近いところです。班には班長と副班長がいました。班長は30台後半。独身ながらすでに一戸建ての家を買って持っているという堅実派でした。部下からの評判ははっきり言って悪く、飲みにいって彼の悪口をよく聞かされました。副班長は背がひょろっと高い30台半ばの朴訥とした男で、この副班長には私もお世話になりました。「せっかく関西にいるのだから、仕事ばかりでなく、週末あちこち観光するなりしたら…。」と、近場のスポットを教えてくれたりしたのもこの人でした。当時30代半ばでしたから、今はもう引退しているのでしょうね。その下には、30前ぐらいのグループリーダー的なポジションの人が数名いました。高卒で入っているので、職歴は10年以上、班内の各工程を経験してきたベテランで、特定の作業にはつかず、ラインで上で作業が遅れたり間に合わなくなった工員の作業をフォローしていました。ラインで実作業をするのはおおむね20台の正社員や期間工、それに私たちのような実習生でした。通常は大体30半ば過ぎになると、班長、副班長といった立場になるか、あるいは「中間検査」「完成品検査」といった体力的にもっと楽な作業に配置換えされていようです。ただ、私の班には「国鉄」からの出向者とか、別の事業所から派遣されてきた人たちもいたりして、30代半ば過ぎの方がラインで一緒に働くのはさすがにキツそうでした。社員の人たちは場所柄、九州出身の人などが多かったように思います。大卒の実習生はいやがらせを受けるなんていう噂もありましたが、私の班では(一部の例外的な変人を除いて)そのようなことはなく、そこそこ普通に接してくれました。同年代の社員でも、あちらは入社してすでに4~5年働いているわけなので、そこはこちらもそれなりにリスペクトして接したのがよかったのかもしれません。本社に行けばひとつの課で数人なんていう部署もザラでしたが、ここの課は総数で200人ぐらいいたのではないかと思います。課長になると慶弔費用だけでとんでもなくかかるなんて話も聞きましたが、さもあらんというところですね。男女比率は圧倒的に男性が多かったですね。9:1ぐらいだったんじゃないでしょうか。ちなみに私のいた班は男性ばかり15人ぐらいで、ほとんどが独身でした。工場実習の思い出。工場実習の思い出〜その2 工場実習の思い出。~その3 工場実習の思い出~その4 工場実習の思い出~その5(実習期間が9ヶ月に延長) 工場実習の思い出~その6(亀山市でヤクザに監禁される) 工場実習の思い出~その7(亀山でヤクザに監禁されてその後)工場実習の思い出~その8(名古屋でヤクザの車に追突) 工場実習の思い出~その9(続・名古屋でヤクザの車に追突) 工場実習の思い出~その10(名古屋でヤクザの車に追突その後) 工場実習の思い出~その11(痔で歩けなくなる) 工場実習の思い出〜その12(痔で動けなくなってその後)工場実習の思い出~その13(駅伝の練習ってマジですか??) 工場実習の思い出~その14(駅伝ってマジ?~その後) 工場実習の思い出~その15(ジョブローテーションでさらにキツイ仕事に…) 工場実習の思い出~その16(ジョブローテーションでキツイ仕事に…)工場実習の思い出~その17(ラインの同僚のこと) 工場実習の思い出その18(休日の過ごし方) 工場実習の思い出~その19(友人とそのフィアンセの話) 工場実習の思い出~その20(もうひとりの友人のこと。) 工場実習の思い出〜その21(実習終了間近なれど…)工場実習の思い出~その22(実習終了)
2012年10月16日
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さて、つづきです。人間の体というのは大したもので、このような労働環境の中でも、無駄を省いて少しでも負担を和らげるよう、力の入れ加減、抜き加減などを体が勝手に覚えるようです。1ヶ月もすると作業の工程にもなれ、他の工員の人たちに迷惑をかけずに仕事をこなせるようになります。たとえば、一回の工程で私はネジを5〜6箇所締めていたのですが、慣れてくると、ストックの山からガバッと正確に仕様にあった個数分のネジを取り出し、すぐに工具で締められるように瞬時にすべてのネジを指と指の間に挟むなんてことが普通に出来るようになります。ネジを誤って斜めに入れてしまうということも滅多になくなりますし、ライン横の工具置き場とラインとの往復にも1歩1歩の動きに無駄がなくなってきます。肉体労働のおかげで、最初の2ヶ月間で体重が約7キロ落ちましたが、3ヶ月目に入ると、体重の減少はピタリと止まりました。一人前にこなせるようになるのは良いのですが、そうすると今度は、あらためて果てしない単純労働の連続が苦痛になってきます。なにせ、どこの国向けかで多少のバリエーションはあるとはいえ、一日8時間基本的に同じ作業の繰り返しです。1ラウンド(と私たちは呼んでいました。)あたり2時間。東京から名古屋まで新幹線で行けてしまう時間、黙々と同じ作業を続けなければなりません。10分間の休憩をはさんで、午前中に2ラウンド、食後2ラウンドこなすわけですが、午前中はとにかくなにも考えずに作業に熱中します。午後になると、マラソンで中間地点を越えたあとのように、あと○時間、あと○分と終了時間を目標にがんばる訳です。もっとも、その日の作業が終了したからといって、何かよいことがあるわけでもなく、寮に帰って、食事をして寝るということの繰り返しなのですが。(断続的につづく)工場実習の思い出。工場実習の思い出〜その2 工場実習の思い出。~その3 工場実習の思い出~その4 工場実習の思い出~その5(実習期間が9ヶ月に延長) 工場実習の思い出~その6(亀山市でヤクザに監禁される) 工場実習の思い出~その7(亀山でヤクザに監禁されてその後)工場実習の思い出~その8(名古屋でヤクザの車に追突) 工場実習の思い出~その9(続・名古屋でヤクザの車に追突) 工場実習の思い出~その10(名古屋でヤクザの車に追突その後) 工場実習の思い出~その11(痔で歩けなくなる) 工場実習の思い出〜その12(痔で動けなくなってその後)工場実習の思い出~その13(駅伝の練習ってマジですか??) 工場実習の思い出~その14(駅伝ってマジ?~その後) 工場実習の思い出~その15(ジョブローテーションでさらにキツイ仕事に…) 工場実習の思い出~その16(ジョブローテーションでキツイ仕事に…)工場実習の思い出~その17(ラインの同僚のこと) 工場実習の思い出その18(休日の過ごし方) 工場実習の思い出~その19(友人とそのフィアンセの話) 工場実習の思い出~その20(もうひとりの友人のこと。) 工場実習の思い出〜その21(実習終了間近なれど…)工場実習の思い出~その22(実習終了)
2012年10月15日
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今日の空。素直に秋らしいうろこ雲と言うべきところですが、なんだかクッキリしすぎていてやや不気味でもありました…。そう思ってツイッターをのぞいてみたら「すわっ、地震雲か??」といったツイートであふれていました。さて、前回の続き。なんといってもキツかったのが生産ラインでの作業です。私は「四輪車体組み立て」というところで、主にエンジンルーム内のエアクリーナーやハーネス類の取り付けを担当していたのですが、単純にポンと部品をとりつけて終わりというものではないんですね。クルマの周りをぐるりと回りながらハーネスを何カ所か繋いで、クリップを数カ所止め、さらに部品を取り付け、それを数カ所ネジで止めるという作業を一台あたり1分弱でこなさなければなりません。それが一日400回以上。しかも米国向け欧州向けなど、各国仕様が順不同で流れてきて、それぞれの仕様で部品や工程が異なるのです。最初のうちはとてもひとりではこなせず、ベルトコンベアと一緒に自分が流されていってしまいます。そうしたときのために、ベテランの救援要員が配置されていて、「オーイ」と呼ぶと救援要員の方が駆けつけてくれて一緒に手伝ってくれるのですが、ラインに配置された最初の1週間ぐらいはほとんど救援を呼びっぱなしという状況でした。そして、家電製品などと違うのは、とにかく重労働であることです。なにせ相手がクルマですから、大きな重たい部品もあるし、クルマの周囲を歩き回って作業しなければならなかったりします。工程によっては、ずっと腰を曲げたまま作業しなければならなかったり、一台一台クルマの中に乗り込まなければならなかったりするパートもあって、そういったところの作業は熾烈を極めます。今ではロボット化自動化が進んでいるようですが、私がいたころ、自分が「絶対にやりたくないなぁ」と思ったのは、タイヤの取り付け工程とシートの取り付け工程でしたね。実際、実習生の同僚でシートの取り付け担当になった運の悪い仲間がいたのですが、彼は腰を痛めて、休日はほとんど寮で寝たきりになっていました。もうひとつ厄介だったのが電動工具です。ボルトのネジは、空気圧を使った工具で締めるのですが、(私たちは「インパクト」と呼んでいました)この工具の振動で、手が痺れてむくんだようになっていまうのです。仕事が終わって帰ってきて、寮のドアを開閉しようにも、ドアノブを回すことすら難儀する有様でした。そんなこんなで、最初の1ヶ月ぐらいは、実習生が寝起きする寮の中は、あちこちからうめき声が聞こえてきたり、廊下を這って歩いている輩もいたりして、さながら野戦病院のようでした。鎌田慧氏の著作に「自動車絶望工場」という小説がありますが、まさにその通りの世界でしたね。我々実習生は逃げ出すこともできないので、ひたすら歯を食いしばって耐えましたが、出稼ぎで来ている期間工」の方々の中には1週間ぐらいでいなくなってしまう人も珍しくなかったとか。(断続的につづく)工場実習の思い出。工場実習の思い出〜その2 工場実習の思い出。~その3 工場実習の思い出~その4 工場実習の思い出~その5(実習期間が9ヶ月に延長) 工場実習の思い出~その6(亀山市でヤクザに監禁される) 工場実習の思い出~その7(亀山でヤクザに監禁されてその後)工場実習の思い出~その8(名古屋でヤクザの車に追突) 工場実習の思い出~その9(続・名古屋でヤクザの車に追突) 工場実習の思い出~その10(名古屋でヤクザの車に追突その後) 工場実習の思い出~その11(痔で歩けなくなる) 工場実習の思い出〜その12(痔で動けなくなってその後)工場実習の思い出~その13(駅伝の練習ってマジですか??) 工場実習の思い出~その14(駅伝ってマジ?~その後) 工場実習の思い出~その15(ジョブローテーションでさらにキツイ仕事に…) 工場実習の思い出~その16(ジョブローテーションでキツイ仕事に…)工場実習の思い出~その17(ラインの同僚のこと) 工場実習の思い出その18(休日の過ごし方) 工場実習の思い出~その19(友人とそのフィアンセの話) 工場実習の思い出~その20(もうひとりの友人のこと。) 工場実習の思い出〜その21(実習終了間近なれど…)工場実習の思い出~その22(実習終了)
2012年10月13日
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下血による貧血でダウンして入院した初日、病院のベッドでうつらうつらとしながら夢をみました。それは就職したての「工場実習」のときの夢でした。以前コラムでも書きましたが、今の職場に転職する前、私は某自動車メーカーに勤務していました。自動車メーカーに入ると、最初の数ヶ月、ディーラー(販売店)と工場での研修が待っています。ディーラーでの研修は一般に楽しい、面白いとの評判でしたが、一方の工場実習はとてつもなく「キツイ」というので有名でした。私は4月から3ヶ月のディーラー実習を終えたあと、鈴鹿(と書くとどこのメーカーかすぐにわかってしまいますが)で3ヶ月の実習の予定でした。どんなにキツイといっても、勤務は定時勤務だし、週末に休めるのだからなんとでもなるだろうと思っていました。ところが、これが大間違いで、想像以上の過酷な環境だったのでした。まず、そもそも休日がまともにないのです。当時の新車種の売れ行きが絶好調だったせいか、生産が間に合わないようなのです。その結果、土曜日はほとんど毎週「休日買い上げ」と称して出勤になってしまいます。そんなことって、あるのか?と思いましたが、出勤はほとんど強制のようなものでした。勤務は8時間ですが、交代制なのがキモでした。早番のときは朝6時からの勤務で、遅番のときは夜中の12時まで。金曜日が早番終わりで、翌週月曜日が遅番のときは比較的ゆっくり休めるのですが、前述のとおり「休日買い上げ」で土曜遅番で12時に帰宅し、月曜日が6時からの早番だったりすると、休日は丸一日もないようなものでした。私は担当しませんでしたが、別の工程では三交代制で真夜中の勤務になる連中もいました。彼らなどは、土曜日の夜中に仕事をして、日曜日の朝寮に帰し、日中寝たと思ったら、翌月曜日は朝の6時から勤務という、ほとんど休日が休日になっていないような状況でした。(つづく)工場実習の思い出。工場実習の思い出〜その2 工場実習の思い出。~その3 工場実習の思い出~その4 工場実習の思い出~その5(実習期間が9ヶ月に延長) 工場実習の思い出~その6(亀山市でヤクザに監禁される) 工場実習の思い出~その7(亀山でヤクザに監禁されてその後)工場実習の思い出~その8(名古屋でヤクザの車に追突) 工場実習の思い出~その9(続・名古屋でヤクザの車に追突) 工場実習の思い出~その10(名古屋でヤクザの車に追突その後) 工場実習の思い出~その11(痔で歩けなくなる) 工場実習の思い出〜その12(痔で動けなくなってその後)工場実習の思い出~その13(駅伝の練習ってマジですか??) 工場実習の思い出~その14(駅伝ってマジ?~その後) 工場実習の思い出~その15(ジョブローテーションでさらにキツイ仕事に…) 工場実習の思い出~その16(ジョブローテーションでキツイ仕事に…)工場実習の思い出~その17(ラインの同僚のこと) 工場実習の思い出その18(休日の過ごし方) 工場実習の思い出~その19(友人とそのフィアンセの話) 工場実習の思い出~その20(もうひとりの友人のこと。) 工場実習の思い出〜その21(実習終了間近なれど…)工場実習の思い出~その22(実習終了) On the first day of my hospitalization, having collapsed from anemia caused by bleeding, I was dozing on the hospital bed and had a dream. It was a dream about the “factory internship” I did just after starting my first job.As I mentioned in a previous column, before I transferred to my current workplace, I worked for a certain automobile manufacturer.When you join an automaker, the first few months are spent in training both at dealerships and factories. The training at dealerships generally has a reputation for being enjoyable and interesting, but the factory internship is notoriously known for being extremely tough.After completing a three-month dealership training from April, I was scheduled to undergo another three-month internship at Suzuka. (I’m careful not to name the company explicitly, but mentioning Suzuka probably makes it obvious which manufacturer it was.)No matter how tough it was said to be, I thought it would be manageable since it was a fixed working schedule and I could take weekends off.However, I was completely mistaken — the environment was far harsher than I had imagined.First of all, there were hardly any proper days off. Perhaps because the new car model was selling extremely well at the time, production couldn’t keep up. As a result, almost every Saturday became a mandatory workday, referred to as a “bought holiday.”I thought, “Is that even allowed?” but attending work was practically compulsory.The working hours were eight hours per shift, but what made it tough was the shift system. The early shift started at 6 a.m., while the late shift ended at midnight.If Friday ended on an early shift and Monday started with a late shift, I could rest fairly well, but if Saturday was a “bought holiday” with a late shift until midnight and Monday started early at 6 a.m., I barely had a full day off.Though I wasn’t assigned to this, some other production lines had a three-shift system, including midnight shifts. Those workers would work through Saturday night, return to the dorm early Sunday morning, sleep during the day, and start work again at 6 a.m. on Monday — meaning their so-called days off weren’t really days off at all.(To be continued)
2012年10月12日
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今日の昼より食事を通常のご飯にしてみました。でもって、夜は職場の歓迎会で居酒屋へ。さすがに酒はまだ飲めないし、居酒屋メニューも良し悪しなので、みなが注文したコースメニューとは別に、私だけ我侭を言って、冷奴とシーザーサラダとじゃがバターとウーロン茶で済ませました。キツいのは、明日の夜も会食があることです。まあ明日をしのげば土日休めるので、ここは踏ん張りどころ。和食のコースとのことなので、とりあえず無理せず食べられるものだけ食べようと思います。今日は少しばかり朗報がありました。実は、今回の入院、ずっと個室だったことや、上から下まで検査したことで、入院費用が相当嵩んでしまっていたのです。(40万近く…)といって手術をしたわけでもなく、特定成人病と診断されたわけでもないので、私の入っている生命保険では7泊8日の入院費用ぐらいしかでないのです。父をガンで亡くしていることもあり、私の生命保険は三大成人病、なかでもガンに対してはかなり手厚くしているのですが、今回のような疾病のケースでは特約と併せてもいくらも出ません。盲点でした。マイッたなぁと思っていましたが、ふと住宅ローンに生命保険をつけていたことを思い出し、保険会社に電話してみると、こちらで入院一時金+一か月分のローン代相当が支払われることが判明。なんだかんだ併せて、ほぼトントンというところまでまかなえることがわかりました。入院が5日以上だったのと、たまたま月末をまたいで入院したのがよかったようです。いやぁ、助かりました。こうなったら、浮いたお金でワインを…って、買いませんから。
2012年10月11日
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入院している間、熱帯魚と金魚の世話は子供たちにお願いしていました。子供たちはいわれたとおりに餌をやってくれていたようで、水槽はいずれも無事でした。ただ、不在の間、水槽の蛍光灯を点けていなかったようで、熱帯魚水槽の水草がかなりダメになっていました。まあこれぐらいは仕方ないですね。メダカは私が入院している間にも産卵をしたとこのことで、子供たちが採取した容器を今日覗いてみたら、稚魚が数匹孵っていました。どんどん産卵するので、調子に乗って増やしていたら、気づけば稚魚の数は100匹近くになっています。魚になったらさてどうやって飼おうか、それはそれで悩ましいです。↑右から成魚用水槽、そこそこ大きくなった稚魚用水槽、生まれて間もない稚魚水槽、下は卵用。どんどん増えてキリがありません。ちなみに玄関のプランタの世話は、誰もしてくれなかったようですが、幸いにして雨模様の日が続いたため、奇跡的にプランタの草花は無事でした。
2012年10月10日
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ゆはらさんの10デ・クロワ。ボーヌとアロースコルトン。ウメムラさんより アルベール・グリヴォの96ポマール1級かわばたさんのアラン・ユドロ・ノエラ。07ヴォーヌ・ロマネ・ボーモンAWCさんよりリッジの09リットン・スプリングス同じくAWCさんより09シャトー・ド・ボーカステル・オマージュ・ア・ジャック・ペラン。ノーマルキュベもあります。 Yoshiyaさんの10フーリエ。いろいろアイテム入荷してますフィッチさんの03アムール・ド・ドゥーツデ・クロワの10VTが出始めましたね。本日11日ぶりに出社、さきほど帰宅しました。勤務中はわずかなふらつき感こそありましたが、ほぼ通常どおりに働くことができて、まずはひと安心です。今週は定時勤務で早めに帰宅して、来週あたりから徐々にペースをあげていこうと思います。問題は食事ですね~。まだ、自宅では五分粥の生活ですが、外に出始めるとそうも言ってられません。徐々に通常の食事に戻していこうと思いつつ、当面昼食は「うどん」ですかねぇ。まぁダイエットだと思うことにしましょう。飲酒については、次回23日の外来で聞いてみるつもりですが、ぼんやりと11月になったらビールあたりから再開かな、と考えています。ただ、ワイン会については、どうしても酒量が多くなってしまうので、無理をせず今年いっぱい参加を見合わせることにしました。すでにアポを入れていた会の方々には大変申し訳ないと思いつつ、キャンセルの連絡をお詫びをしたところです。今週末の地元の祭も、ボジョレー解禁日も、酒なしで過ごすのは寂しいんですけどね。この先長くワインを飲みつづけるために、あえて今回は回り道をすることにした次第です。
2012年10月09日
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明日から出社。先週金曜日の夜から入院していたので、気がつけば11連休だったことになります。体調はかなりよくなりました。が、食事はまだ5分粥に留めています。頬がこけたと言われて、体重を量ってみたたら、4キロ落ちていました。4日間絶食に加えて、その後も3分粥やら5分粥やらで一日分の基礎代謝のカロリーすら摂取していないのですから、そのぐらい落ちても仕方ありませんねぇ。…というか、ちょうど太り気味だったので、格好のダイエットになったと前向きにとらえるべきか。今回の大腸憩室出血について、医師からは、特にこれと決まった原因はない。したがって、これをしてはいけない、あれを避けなければならないという禁忌こそない代わりに、これさえしなければ再発しない、というものもない、と言われました。といっても、たとえば海外出張や海外旅行で同じ目にあったら目も当てられないし、再発のたびにまた入院していたのでは、(頻度によりますが)仕事にも差し障ることがあるかもしれません。ワインも安心して飲むことができません。では、安心して日常生活を営み、ワインを長く飲み続けるのにはどうしたらいいのか、自分の体と向き合って、考えていかなくてはと思います。医師の先生は因果関係について否定していますが、私自身は下記のような事柄が積み重ねてのことだったのではと思っています。・まずもって仕事面で、例の尖閣問題のあおりをうけて、進めていた中国とのプロジェクトがキャンセルになった。そのための調整や処理でストレスがたまっていた。・前々日の会食で四川料理の店に行き、唐辛子満載の辛い食事を食べた。・3週間ほど前からずっと前の差し歯の調子が悪く(グラつき)、食べ物を噛むのに難儀していた。結果的によく噛まずに食べて負担をかけていたかもしれない。・そもそも夏ごろから暴飲暴食気味で、特に食事の量がどうにも増えてしまっていた。体重も2~3kg増えていたということで、まずは、消化器官をいたわる、ということから始めようと思っています。たとえば…・夜の9時以降はなるべく食べない。・刺激物を極力避ける。(コーヒー、辛いもの、極端に熱いもの、冷たいもの)・満腹になるまで食べない。常に腹8分目にしておく。・極端に脂っこいものや揚げ物などをなるべく避ける。・間食をしない。・下痢気味のときなど、少しでも調子悪いと思ったら、絶食して様子をみる。・飲酒の頻度を減らす。(たとえば週2~3本飲んでいたところを週1本にするとか…)・ボトル1本以上飲むような機会は当面避ける。(=ワイン会の復帰は慎重に。)こんなところでしょうか。オフィスワーク中心の日常生活に戻ると、なかなか難しい事柄もありますが、要は節制を心がける、ということですね。実生活の中でいろいろバリエーションを加えていこうと思います。以上、職場に復帰するにあたって、自戒をこめて備忘録的に記しました。(^^;
2012年10月08日
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縦長になったiPhone5、入院中にソフトバンクショップから入荷の連絡があり、昨日引き取ってきました。退院後初外出がこの案件でした(って、歩いて5分の距離なんですけどね。)予約をしていったので、30分ほどで手続き終了。近所のカフェドクリエに入って、まずは、いつも必ず失敗する「液晶保護シール貼り」に挑戦。多少気泡は入りましたが、まずまずの仕上がりでした。持った印象は、まず軽い!私はiPhone4からの乗り換えですが、先代が手に持つとズシッとくる感触があったのに対して、こちらは重すぎず軽すぎず、ほどほどの心地よい重さ。グラム単位ではかればそれほどの違いはないのかもしれませんが、筐体が長くなった分、体感的には軽いなぁと感じます。画面はちょうどアプリのアイコン一個分ぐらい縦長になりましたね。メモの入力時など、キーボードが画面に出てくると、入力スペースが少なくなって難儀していましたが、それもだいぶ解消されそうです。厚みも先代よりだいぶ減って、薄く長く、スマートになりました。私が購入したのは黒の64GBですが、ブラックのカラーがよく似合っていると思いました。処理速度に関しては(4Sでなく)4からの乗り換えなので、サファリのサクサク感など、さすがに速く感じます。まあ先代機のときもそれほど速度に不満を感じていたわけではなかったのですが、これを経験してしまうと後戻りはできません。LTEに関しては、まだあちこち持ち歩いていないので、電波の入り具合がいまいちわかりませんが、少なくとも私の自宅では感度良好です。使ってみると、wifiの必要性を感じないほど速いですね。料金プランに関しては、LTEになったことで、1000円強、端末代で約1000円、合計2000円高くなります。これは結構痛いのですが、大して電話に使っていないのになぜか今まで入っていたWホワイトを解約したのと、別途契約している無線LAN(NTTコムのHOTSPOT)が11月いっぱいで終了になるので、これでほぼ相殺されます。久しぶりの買い替えで、データの移行にやや難儀しました。先代機に入っていたアプリがいくつか転送できないのです。大辞林やら英和辞典やら、結構値段の高いアプリが含まれていたので、焦りましたが、itunesの「store」メニューから、「コンピューターの認証解除」→「コンピューターの認証」をしたら、無事転送できました。アプリでは、ツイッターやFACEBOOKアプリがまだ対応しきれていないのか、結構落ちます。特に「ついっぷる」はまったくダメですね。早くヴァージョンアップしてほしい…。それと、昔からのユーザーにとって困ってしまうことは、充電用のコネクタの形状が変わったことです。私なぞは、書斎のPC接続用、寝室、職場、充電池接続用と4本使っているので、これを全部代えなければなりません。ソフトバンクショップではオプションのケーブルは売っていなかったので、元気になったら、アップルストアに買出しにいこうかなぁと思っています。まあ、とかなんとか言っているうちにサードパーティの安いケーブルがたくさん出てくるのでしょうけど。iPhone5用iPhone充電器をiPhone5用ライトニングに変換Lightning変換アダプタスマートフォンipho...価格:1,580円(税込、送料込)↑こんなものもあるのですが、11月入荷のようです。
2012年10月07日
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…ということで、お騒がせしましたが、なんとか無事に昨日退院して、1週間ぶりに我が家に帰ってきました。自宅での日常に戻ると、入院していたのがなんだかひと昔前のことのように感じられるから不思議です。食事については、昨日の昼は近所の蕎麦屋のうどん、夜はメカジキに五分粥、今朝も五分粥とスローペースで進めています。再発が怖いので、ゆっくりと時間をかけて戻していこうと思っていますが、自宅にいると子どもの菓子やら何やら必ずテーブルに置いてあって、誘惑が多いのがなんとも…。あと、日中になればいいのですが、どうも寝起きがよくありません。今朝も酷い倦怠感でシンドイ朝でした。この辺がまだ完全復活といかない所以です。先ほど、近所のソフトバンクショップにiPhone5の引き取りに行ってきました。これについてはまた別のエントリーで使い勝手等報告します。
2012年10月06日
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先ほど、医師の先生方からの説明がありました。カプセル内視鏡の結果は、特に所見はなかった。したがって、原因は消去法的な判断となるが、大腸家憩室からの出血だろうとのことでした。こちらのコメント欄にもY.Takeさんはじめ何人かのご専門と思われる方々からの症状に関する分析のコメントをいただいていました。結果はまさにその通りでした。ご慧眼に感服するとともに、いただいたコメントが大変参考になったことを改めてお礼申し上げます。私のほうからは、2点質問をしました。Q:もし、また同じように下血が起こった場合は、どのような初動をとればよいか?A:もう一度、改めて検査をすることになるので、まずは当病院の消化器内科に電話をしてほしい。Q:今後、生活上注意すべき点は?A:特にない。通常通りの生活でかまわない。 Q:逆に、こういうことをしてはいけないというのもない?A:憩室からの出血だとすると、とりたてて何かをするとよくない、というものはない。…ということで、回復後は今まで通りの生活をしてかまわない反面、こうしたことに気をつけていれば再出血が起きずらくなる、というものもないようです。通常業務をしている限りは、病院は職場からも近く安心ですが、極端な例で言えば、海外出張中に再出血が起こったりするとシャレにならないなぁとも思います。暴飲暴食を避けて消化器への負担を減らす、適度な休養をとる、といった基本的なことを実践するしかないのでしょうね。アルコールの再開は、、慎重にいこうと思います。病室のベッドの正面に飾られていた絵画。誰の作品でしょうね?近年の画家のものだとすると、著作権法違反になってしまうかな?
2012年10月05日
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ヒグチワインさんでクリストフ・ルーミエの04リュショットシャンベルタン 25K弱ドングリアーノさんのメオカミュゼ。07&08クロヴジョほかワインピークスさんのラミアブル・エクストラ・ブリュット ウメムラさんの10モンジャール・ミュニュレ同じくウメムラさんのベルナール・セルヴォー。08アムルーズ 安いですとりあえず、本日退院の予定で諸々動いています。とりあえずと書いたのは、例のカプセル内視鏡の検査結果をまだ聞かされていないからです。昨日中には結果を知らせると言っていたのに、いい加減だなぁと思いますが、きっと一万枚という写真データの整理や分析に時間がかかっているのでしょう。一方で、会計は11時にはできると看護師から聞かされているし、次回外来の日程も決まったので、まあ退院できるのだろうなと。この部屋ともお別れ。思えば、大学生のときに虫垂炎の手術をして以来の入院でした。体調はほぼ戻っていますが、では100%OKかというと、まだ往復の通勤電車に乗ったりするのはシンドイなあというレベルです。幸い3連休を挟むので、休日自宅でゆっくり静養しようと思います。そういえば、昨日、「予約していたiPhone5が入荷した」という連絡が入りました。明日引き取りにいきます。おかげで休日中は退屈せずに済みそうです。
2012年10月05日
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TODAさん特売コーナー。カリフォルニアいろいろ面白いものあります湘南さんよりレシュノーの09クロドラロッシュフィッチさんよりドルーアンの09レ・ザムとプルミエ・クリュの2本セット30K飲んでみたいですね。フィッチさんより09コス・デストゥルネル・ブランe-wineさんのジャックセロス各アイテムタカムラさんよりPN100%のカヴァのロゼ(カステル・ダージュ)うきうきさんでミクルスキの10アリゴテ1.8Kです河野酒店さんのルジェ。08ヴォーヌ・ロマネ12k[AWCさんよりフロッグス・リープのバックビンテージ今朝は晴れ渡っていて、病室の窓からの景色もコントラストが効いていました。朝食。まだ3分粥です。昼食はミートローフ。ってまだ3分粥なんですか?聞いてみたら、退院までずっと粥のようです。今日は特に予定はありません。一昨日のカプセル内視鏡の結果が午後に出るとのことですが、医師たちはもうすっかり明日退院を前提に話をしているので、まあ大丈夫なんでしょう。看護師から退院後の生活についての指示がありました。次回外来(23日)までは食事に気をつけて、刺激物などは極力さけるように。また、いきんだり腹をねじったりするような運動も避けるようにとのことでした。アルコールについては?「次の外来まではやめておいたほうが…。」う〜む、やっぱりそうなりますか。気がつけば入院生活も1週間。最初の3日は病室で寝ているだけの生活でしたが、4日目あたりから歩いて回れるようになり、点滴がとれた昨日からはほぼ日常に近い感覚に戻っています。体が回復してくると、さすがに暇を持て余しますね。最初は休養になってよいと思いましたが、いつまでもこんな生活を続けてしたらさすがい呆けてしまいそうです。そういう意味でも明日退院というのは良いタイミングなんでしょうね。
2012年10月04日
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シブいチョイスです。ワインピークスさんのブルゴーニュ・ブランお得4本セットゆはらさんよりシャトー・フォンサレット(ラヤス)のコート・デュ・ローヌ・キュヴェ・シラー99アーベンさんのラモネ。10ブードリオットマリアージュ・ド・ケイさんよりドメーヌ・ルロワの04ルージュお食事中の方には申し訳ありません。これが昨日受診したカプセル内視鏡のカプセルです。無事今朝、対外に排出されました。なるべく回収してほしいとのことでしたが、まさか再利用することはないでしょうし、部品取りでもするんですかね。昨晩から食事を再開したことで、今日ようやく点滴がとれました。昨日のうちに心電図のモニターもとれていたので、これで体につけて歩かなければならないものはなくなりました。いやあ、楽になりました。貧血もほぼ回復して、院内を普通に歩き回れるようになってきました。今日は昨日のカプセル内視鏡のデータ読み取りとのことで、検査一件だけ。胸部のCTを追加で受けました。初日の胸部レントゲンで小さな影が見つかったとのことですが、これは20年前から人間ドックのたびに引っかかっている過去知らないうちに病んだ痕跡です。そう説明したのですが、まあ一応診ておきましょうということで…。ヘリカルCTっていうんでしたっけ?最新のCTは一回で撮れてしまうから簡単ですね。通常の胸部レントゲンより楽なぐらいでした。これなら被爆量も少なく済む?いや変わらないのかな…?今晩の夕食です。ビーフシチューはなかなか食べ応えがありました。右側はデザートの缶詰の桃です。まだ三分粥なのが残念ですが、明日には五分粥になるのでしょう。
2012年10月03日
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ゆはらさんでフレデリック・マニヤン10VR,ジュブレいずれも3K台湘南さんよりルネ・ルクレールの78ジュブレ。7K台[フィッチさんのスタッグス・リープ三吉屋さんの10アルロー。村名、モレ1級などおはようございます。金曜日の夜以来絶食が続いていましたが、昨晩4日ぶりに夕食が出ました。3分粥に豆腐料理、卵のお吸い物、それになんというべきかうまく表現できないものが一皿。あとは杏仁豆腐のデザート。久しぶりの食事だったので、これだけでも結構満腹になりましたよ。なんといっても夕刻に食事をするというイベントがあるのが嬉しい。それにしても、暇を持て余してブラブラとネットを徘徊していると、物欲ばかりが増してきて、どうもいけません。まず、例によってワイン。一体いつから復活できるかもわからないのに、欲しい銘柄が何本も出てきてしまいました。いつものブルピノよりも、少し趣向を変えたもの、たとえば、ジャドの09デュック・ド・マジェンタ・ムーランナヴァンとか、05ボーセジュールベコとか、カマルティーナのバックビンテージとか、モンペラとか、フラワーズとか…。ついふらふらとポチりたくなるのですが、今買っても誰が受け取るのかという話になるし、そもそもしばらくはワインを控えなければならないでしょうから、なんとか思いとどまっています。次にいろいろと欲しくなってくるのはPCと周辺機器それにソフトなど。買ったばかりのMac Book Air(この入院のためにではなく、たまたま先日購入しました)にあわせて、外付けのUSB3.0HDDとか、DVDドライブとか、フォトショップとかオフィスとか…。家のプリンタがそろそろオシャカになりそうなので、こちらも年末までに買いたい、けどエプソンもキャノンも新製品が発売したてでまだ高い。会社に置きっぱなしにしているVAIOも10年近く使っている代物なので、そろそろ11インチサイズのULTRA BOOKに代えたい…。って、MBAを会社で使えばいいのですが、毎日持ち歩くのは面倒だし、マックはホームユースを中心に使いたいんですよね。そんなこんなで、たまにテレビをつけると、今度は通販で宣伝しているマッサージチェアが欲しくなるし、本当にキリがありません。
2012年10月03日
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三吉屋さんの10ドニモルテ。ブル・ルージュ&ブラン、村名ジュブレピノノワールオンラインさんの10シモンビーズ同じくピノノワールオンラインさんよりアルヌー・ラショーの10ロマネ・サンヴィヴァンこちらはプスドールの10ボンヌマールアサヒヤワインセラーさんの10ラモネKATSUDAさんの09コシュ・デュリ。ACブル,ムルソー、ピュリニーお手軽さんの05ボーセジュール・ベコ 。10Kです今日は頭痛こそ残っていますが、貧血がかなり収まってきているようで体調自体はかなり良いです。入院して初めて、病室から出てフロアを歩き回りました。今日の検査はカプセル内視鏡。ニュースなどで存在は知っていましたが、受診するのはもちろん初めてです。私の周囲でも利用経験のある人って聞いたことありません。調べてみると、保険適用となるのは、胃カメラでも大腸内視鏡でも診断のつかない消化器出血などの場合に限られるようですね。保険適用外となると、一個10万円だかする代物らしいので、たしかにそうおいそれとは利用はできません。また、精度自体もまだ内視鏡には及ばないとか、病変を見つけてもその場で処置することができないとか、そういうことを考えると、内視鏡検査が普及している我が国では、使用用途は今のところ、小腸を中心とした消化器検査に限られるということなんでしょう。さて、そのカプセル内視鏡を受診するために、昨晩からまたまた下剤を飲まなければなりませんでした。金曜日から何も食べていないのに、そんなに腸内を洗浄する必要あるのか?と食い下がりましたが、きれいに撮影するために必要ですとのこと。たしかに下剤を飲んでトイレにいくと、水状とはいえ茶色い色をした便が出るから不思議です。3日間、何も食べていないのに…。カプセル内視鏡の検査自体は思いのほか簡単なものでした。まずはカプセルからの信号を受信するためのセンサーを体中に貼られて、送信された画像を蓄積するためのレコーダーに接続、そのレコーダーを手元にもたされます。これが結構かさばりますね。カプセル自体は長さ2センチ強というところでしょう。通常の薬剤のカプセルよりは長さで一回り、太さで二回りぐらい大きい感じですが、飲み込むのは造作もありませんでした。カメラ部分がチカチカと点滅しているカプセルを飲み込むのはなんともSFチックです。カプセルを飲んだらあとは夜の9時まで適当にブラブラしているだけです。まあブラブラといっても前述のレコーダーとセンサー類、それに点滴をつけたままなので、行動範囲は限られますが。↑肩からビデオカメラかけて歩いているような感じです。レコーダーを回収したあと、解析に入るそうですが、写真の枚数が多く、結構時間がかかるようです。結果を知らされるのは明後日になるとか。担当の消化器内科の医師と話したところ、彼自身は、私の出血の原因は(前回の内視鏡でははっきりと分からなかったけれども)おそらく大腸の中にある憩室という変形部分からだろうと踏んでいるとのこと。したがって、今日のカプセル内視鏡で新たに病変を見つける可能性は低いだろうと言っていました。もっとも今日の時点で出血自体は完全に止まっているので、仮に所見が見つかったとしてもよほどのものでない限り、追加の治療はせず、一方で今晩から食事(といっても流動食ですが)を再開して、貧血が進まないことと、再出血がないことを確認した上で退院という段取りになるようです。というわけで、この先順調にいけば、おそらく金曜日か土曜日には退院できる見通しがたってきました。まぁ、まだ楽観はできませんけど。
2012年10月02日
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今日は午後から、胃カメラで胃と十二指腸を重点的に診てもらいました。奥の方まで重点的に調べます、頑張りましょう、と言われたので、覚悟はしていましたが、鎮静剤を使ってもなお、検査では酷く苦しい思いをしました。結果は特に出血につながるような所見は見られなかったとのこと。やっぱりね〜といったところです。内視鏡担当の医師は、昨日の大腸内視鏡ではどうにも出血箇所は見当たらなかったと言っていましたが、別の消化器内科の医師は、私の大腸に「憩室」という外に飛び出した変形部分があるので、そこからの出血の可能性がもっとも高いと考えているようです。いずれにしても、明日、カプセル内視鏡にて小腸を検査することになります。体調の方は、今日も全身倦怠感と頭痛、それに軽い貧血傾向が続いており、長い距離を歩くのがまだしんどいです。まあ3日間水以外口にしていないので、血液も増えようもないのかもしれませんが。食事については、明日の検査終了後、流動食から始めて、下血が再発しないよう確認しながら徐々にもとの食事に戻していくとのこと。そんなわけで、当初予想していたような週の後半からの復帰は難しく、おそらく今週いっぱいは入院ということになってしまいそうです。週末は3連休ということで、入院していても日月はなにもしてはもらえません。なので、できるだけその前に退院したいなぁとは思っています。(でないと、なにもしない休日分の個室料金を払わなければならなくなる…)そういえば、昨日、部屋に有線LANがきていることを発見。Macbook AirとつなぐためのUSBケーブルをアマゾンの「お急ぎ便」で発注したら無事今日到着して、やっとノートパソコンを使えるようになりました。今まではiPhoneからしかネットに接続できなかったので、大きな進展です。これで入院生活がかなり快適になりましたよ。
2012年10月01日
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