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長男の新学期がはじまりました。今日で3日目。今週は午前授業でお昼お迎えでございます。その午後からの過ごし方。実家からの帰宅が1週間延びたのもあり、予定していたというか、子供達と約束していたおでかけがこなせなかったので、午後からの時間を使ってこなしてきました。まずは水曜日。ポケモンの映画は、実家で従兄弟たちと楽しんだ長男。次男は、シンケンジャーとディケイドの映画行きたかったし、長男もディケイドは行きたいというので、レディースデーで私は1000円の日に行ってきました。感想はというと、シンケンジャーは、普段のテレビがちょこっとゴージャスになった感じ?普通でしたが・・・・ディケイド見ました~????これがなかなかおもしろかったですよ。テレビのほうも意外とおもしろいなって思ってたんですけど、歴代のライダーがたくさん出てきてですね。長年の仮面ライダーファンにはたまらないんでしょうね。きっと。仮面ライダー歴の浅い私でさえも、「おお!!」とちょいと興奮してしまうくらい。途中映画の主題歌を歌ってるGacktも出てきたし。これなら1000円払っても惜しくはなかったです。そして、翌日木曜日は池袋サンシャインでやってるトミカ博。これは、トミカ好きの次男のため、お友達と一緒に行ってきました。長男には退屈かなと思ったので、無理に行かなくていいよ~、長男が行きたくないなら、お友達のママが次男を連れてってくれることになっていたので、長男に選択させたんですが、行く!!と。午後からだったので、それほどの混雑もなく。おもちゃを実際に体験できるコーナーで目が輝きます。ショーの途中で、次男が今一番大好きなレスキューファイアーのファイアー1の登場に大興奮の次男。別に~と冷めた返事をしつつ必死にトミカ釣りに望んでる長男。懐かしいトミカ博。長男が幼い頃は、プラレールにトミカ博はかかさず行っていたのに、次男が生まれてからは全く行かず。初めてのトミカ博体験に大興奮の次男でありました。このおでかけで次男のトミカ好きに拍車がかかったようで、今日は狂ったようにトミカで遊んでおります。10月は次男のお誕生日もやってくることだし。お誕生日はレスキューファイアーでほぼ決まりかな。励みになります。
2009年08月28日
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ただいま~日曜日に東京に戻ってきました。ほんとならその1週間前の日曜日に戻る予定であったのだけれど、もし、予定通りに帰っていたら地震で壊れてしまった東名で大渋滞にまきこまれていたはず。亡くなった父が、もう少しいなさいと引き止めてくれたおかげで、大渋滞にはまることなくスイスイと帰ってくることができました。いろんなことがあった夏休み。子供達や家族との楽しい思い出は少しづつ綴っていきたいと思います。悲しい別れもあったけれど、いろんな思いが交錯しつつ、ぼーっとしてると考えてしまうけれど、東京に戻り、実家で甘えていた生活から一変、朝から晩までやることたくさんあって悲しみにふける時間はあまりありません。それでいいと思っています。私は大丈夫。心配してくださったみなさん。どうもありがとうございました。いつもとなんらかわりない私をよろしく。そして、今日は長男の夏休み最終日。実家で、おばあちゃんのゆる~い監視のもと生活していた子供達は、のんびりまったり。「はやく00しなさ~い!!」「何やってんの~!!!」などなど、私の怒声が響き渡っております。さてさて、明日は7時に起きれるのだろうか、長男くん。 この4週間の実家滞在中、日本語が弱い次男へは日本語強化月間。どうも、英語のほうがスムーズなのか、長男には英語。たま~にきていたダダとは英語モードだったけれど、それ以外は日本語。関西弁というか、京都弁が強化されております。「お勉強、しいひんの~」「ほんま??」今まで、しらない日本語は知ってる英語で話したりしていた次男。日本語強化のため、私は基本的に英語を使わないようにしていたら、最近。「え~っと」「う~んと」なんて、ゆっくり考えながら日本語で話そうとする次男。たどたどしい言葉使いがかわいい毎日です。励みになります。
2009年08月25日
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ご無沙汰しておりました。実家生活でネットが常時使えない状況だったので、自宅に戻ってからゆっくりと夏休みの思い出でも綴ろうかと思っていました。お盆明けの週末には自宅に戻るべく準備していたのだけれど、今まだ実家におります。もう、ご存知の方もいるかとは思いますが、私の気持ちの整理をつける意味でも書いておこうと思います。8月12日 父が永眠いたしました。65歳でした。このブログを通しては、あまり触れてこなかった父のこと。生命を危ぶまれるような病気ではなかったけれど、ここ4,5年くらい前からは自宅にて寝たり起きたりの生活。病気からくるやる気のなさからか、どんどん病人になってしまった父。その介護をしていた母と姉。疲れがピークにきていた母のためにもと、父も納得して入院したのが4月。少しづつ、少しづつ前進しては、後退して。7月下旬から帰省で戻った私も何度か病院に足を運びました。熱がでたり、肺炎をおこしたりと一時は危ないかもと宣告されたけれど、翌日には持ち直し、会話もままならなかった父が、「帰りたい」とはっきりとした口調で話したのが10日。その夜には、母、姉、私の3人でいろいろ話して、やっぱり家に連れて帰ろうと決めていました。その2日後。病院での急変。帰らぬ人となりました。家族で退院に向けての話、以前からお世話になっているケアマネージャーさんやドクターにも連絡を済ませた矢先の突然の訃報。あの日から1週間。なんだかバタバタと過ぎていってしまいました。いろんな思いが私の心を駆け巡っています。18歳から実家を出て一人暮らししたり、オーストラリアに行ったり、結婚してからも東京とずっと離れて暮らしていた私。父が病気になり、思うように動けないできないことへの葛藤で苦しんだり、その介護をしていた母の葛藤も大きかった。そんな両親をそばで支えてあげられなかったという私の葛藤も・・・いろんな思いはあるけれど、今、父も母も少し楽になれたのかな・・・と思う。ここ1年くらい。病人になってしまった父の表情は病人そのものでした。お別れのときの父の顔。しわひとつなく、ぴかぴかの安堵の顔。よかった。重い内容読んでいただいてありがとうございました。
2009年08月20日
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