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ノアの方舟のようなものを創ることになったら,私は何を載せるだろうか? 小さい頃から防災グッズを用意するのが好きだった。 遺書を書くのも好きだ。 「友子の場合」という映画が好きだ。 「おつかい」という絵本が好きで、高校のデザインの授業で捏造したほどだ。 もともと、追いつめられた最後の時に何が必要か,を考えるのが好きなのかもしれない。 しかし、もしかしたら「ノアの方舟」がその考え方のベースになっているのかもしれないのだから、幼子に於ける宗教の影響力って怖いもんだ。 記憶に1番残っている私のノア計画。 小学校のクラス(1年生だったのかな)で、自分が好きかどうかを完全に抜きにして、優秀かどうか(将来有望かどうかも含め)で人選して乗せる人を決めた。クールなチョイス。 動物は好きじゃないので最低限。最低限何が良いかな?と思った末に牛を乗せることにした。牛乳が摂れるし、牛車にもなるし牛肉にもなるし農耕の力になるし牛革になるし肥にもなるでしょう? 畑では芋を育てることにした。青木昆陽が「芋が1番だ」っていうことだし。 結局、生きていくのも箱船に乗るようなもので,全てを何ともなしに持っていたり掌握していては行けないのだ。常に緊張感とクールなチョイスを以て、自分にとって本当にそれが最低限のものなのかを問わなければならない。今から自分が手に入れようとしているものが、本当にノアの方舟に乗せるほどの価値があるものなのか、を常に考えた方が良い。
2006/06/08

エステに行った! http://www.wisteria-japan.jp/index.html それぞれの空間が良い香りで,とても素敵な素敵な雰囲気だった!! お店のお姉さんはとっても可愛くて、至れり尽くせりして頂いて申し訳ない。 雰囲気としてはラクーアに似てました。ラクーアのロッカーの鍵にはびっくりしたけど、ここの鍵にもびっくりした! 岩盤浴に1時間も入った。 岩盤浴ってたぶん初めてだと思うんだけどラクーアのもそうだったのかな??モロッコの監獄みたいなやつ・・・ ただ,今回のは個室でした。ちょっと一休みしてお水を飲むスペースも個室。トイレみたい。 全体的に会員制で,個室でお隣と顔をあわせないで済む,というのがポイントみたいだけど、なんか却っておかしい気がしたなあー。枝里子はお友達と一緒だったからおしゃべりも大変だったし。。。 時間を計るのが砂時計なのと,タイマーが音じゃなくて振動で知らせる型なのにも驚きました。つくせり・・・ その後、また個室で顔エステをしてもらった。お姉さん可愛いのにみられなくて残念。薄暗いしコンタクトレンズ外してるし目をつぶってたら寝ちゃったし。 ワザを盗もうと思ったのにな。お姉さん上手なんだもんーー「たぱぱぱぱ!」って手 何本あるんですか??って感じでした。 以前整体デビューした時にも言われたけど「わーーー!すっごく肩こってますね!」って言われた。コリコリ言うの。お姉さんじゃなくて肩が。帰ってきたいま、もう筋肉痛なんですけど。 すごいよい所だった。ぜひエステに通うような人になりたいね!って言いながら帰って来た。 け、ど。 岩盤浴は枕の位置が決まっている。より効率よく温まれる配置に。 そこに頭をあわせると、脚が壁にぶつかってしまいます。脚伸ばせません。 エステの椅子も「深く腰掛けて下さいねー」って言われてやってみたら、頭が枕より全然上で枕にあわせるにはだいぶ浅くかけ直さなければならなかった。 今時,枝里子の身長くらい普通だと思うんだけど。銀座だし、今後外国人も顧客になることだってあるでしょう?ちょっと、サイズの企画が現代的でないな,と思いました。きっと経営者が小柄な方なんだわ。
2006/06/08
anan「美人の種の育て方」 ヘア&メイクアップアーティストの山本浩未さん「20代の美しさは親からもらった素材の勝負。もとが地味なタイプにはツライ時期だけれど、30歳を過ぎると、それまでの年の重ね方が外見をも左右するようになる。老化はチャンスでもあるの!」 20代って,まだまだ素材で勝負で良いんだー。よかった。 20代なら努力してなくても「親から貰ったのだから仕方ないでしょう?」って親のせいに出来るんだね。 いつになったら、後天的なものだけの勝負になるのだろう? 努力しない型には辛い時期だ,30歳過ぎた方が。こわいこわい。 私はすっかり、10歳以降くらいから自分自身の責任なんだ,って思ってた。アルバムをみてると5歳くらいから気持ち悪くなってくるし。20歳くらいで無自覚な時点で、もう遅かったのかな,って思ってたけど、20代はまだまだらしい。 はあー大人になるまでって、だいぶ遥かなる道のりなのね。そろそろ大人なのかと思ってたんだけどな。
2006/06/08
昨日は富を散髪して、親指に水ぶくれが出来た。一生懸命ハサミを握り過ぎたのだ。 今日は人差し指の爪が痛い。親指の爪も痛い。針をぎゅうぎゅう刺していたからだ。 人差し指の爪はボロボロになってしまったから切った。サンゴ色も塗り直そう。親指も除光してみたんだけど、まるでマニキュアを塗っているかのように赤い。可哀想だ。これも後でお風呂上がりに切ってあげよう。 私は針を持つのは左手だ。普通の人はどうなんだろう? 私はよく「左利きなの??」と訊かれるのだけど、あながち左利きだと断言するわけにも行かない。文字を書くのなどを右に直した、というなら「左利きだったけど右利きなんですー」と言える。左を上手に使えるのなら左利きだと言える。私はどちらもうまく使えないのだ。あとバットを振るのも右なのだ。これは更正したのではなく天然だ。バット右利き。 両手不利き。
2006/06/07

こないだ新幹線に乗っていて、物足りなさを感じた。もっとお国柄みたいなものをだせないのかな?と思ったのだ。 移動手段をあれこれ探っていた時に、高速バスのページに「黒人の女の子2人が乗って来た。どう見ても観光客。時間が限られた旅の中でなぜ敢えて高速バスで移動しているのだろう?」と書いてあるのを見た。そうだ。バスに乗るのは時間がある人だ。バスに乗る事自体を楽しみたい人だ。観光客は新幹線に乗る。飛行機かもしれないけど、狭い日本。新幹線で移動するんじゃなかろうか。 としたら、新幹線は観光客の目に多く触れる所である。新幹線は交通手段だけど、その滞在時間は観光客にとっては貴重なものだ。新幹線に乗っていることそのものを観光に出来ないものだろうか? 残念ながら私は日本以外の国の新幹線に乗ったことがない。と思う。 実は日本でだってそんなに乗ったことはない。が、たぶんどこの国の新幹線も、内装は似たり寄ったりなんじゃないだろうか?普通の電車を見る限り。目をつぶってあちこちいろんな国へ連れて行かれて「はい、ここはどこでしょうー!」と目を開けさせられてて、新幹線の中だったらそこがどこかわかるだろうか? シンプルで無機質な室内は、たぶん無国籍で観光とは対照的な位置に属している。 そこで、なにかお国柄をだしたらどうだろうか,と考えた。 さっきから私は,座席の前のネットをじっと見ていた。前の座席の後ろ側に、雑誌などをいれるネットがついている。あれはただのアミアミかと思いきや、よーく見ると1本の紐から構成されているのだ。1本の紐を計算ずくで編むことでそれはシンプルで美しく無駄のないネットになる。職人業だ。 そのネットが造り出される行程を思い描いた。この枠、このねじのハマる穴、この紐。それらがそれぞれ箱に詰め込まれて並んでいる。おばさんだかおじさんが、マニュアルに応じて枠に紐をアミアミする。「これが新幹線の座席に付くなんて想像もつかないねー」と話している。 アミアミ張られた枠が、また箱に詰められて運ばれる。座席にネジでつける人がいる。 それが、今,私が見ているネット。職人業。 ただ、せっかくの職人の業もこれでは最低限に押し殺されていて、よほど澄まさないと見えて来ない聞こえて来ない。敢えてそうしているのだから。 それを、前面に押し出してはどうだろう? ネットを、座席のカバーを、荷物入れを、ドアを、洗面所を、ガラスを、職人業まるみせにして、日本の地域性をありありと見せたらどうだろう? 私のイメージするものは、吉田鞄×京都の織物のコラボレーションだ。黒いしましまのシリーズ。さりげないけど伝統工芸だ。 六本木に行くバスが、村上隆ものだった。外観がタカシ柄なのには慣れている。昔たかしパーティーに参加して、すごく引いてしまった。あの隆。私もコスプレしていけば楽しかったな... なんと、乗ってみたら中まで総タカシ柄だったので驚いた。天井までタカシ柄だ。このキャラクター達は好きじゃないけど椅子は可愛いと思ってしまった。 なにしろ六本木ヒルズが隆にジャックされているのだ。隆好き故に六本木ヒルズに行く人だっているのかもしれない。それならばこのバスは手段でなく目的にもなりうる。このバスに乗りたいからこのバスに乗る。普通の都バスなのに観光名所だ。 これはしてやったりだな、と思った。してやられた。 どうか、もっといろんなものに蔓延させてもらいたい。勿論タカシ柄や、アニメーション文化でなく、「手段を目的に」運動を。
2006/06/06

さっき富と散歩していたらむこうから親子が歩いて来た。 お母さんは両手にスーパーの袋を下げている(スーパーから結構遠い)。中学生くらいの息子は手ぶらで両手で携帯電話を持って電話している。 お母さん! 私はそれを愛情だとは思いませんよ? 自分も紳士だな,って思うんだけど、私はお母さんとスーパーに行ったら「持ちましょうか?」って荷物を持ってあげる。先に車から降りたら(たいてい先に下りる、若者だからね!)親の開ける前にドアを開けてあげる。電車に乗る時はさっさと席を確保して親を座らせる。 当たり前じゃん。だって子供だもの。 育ててもらってるから,とかじゃなく、親が老人だからとかでも、あるけどなく,子供だからじゃない?当然じゃない? なんだろ、やっぱ儒教かしら。 でもこれが美徳。私はこれを当たり前に出来て、幸せに思う。 これを当たり前に出来ないのは、嘆かわしいことだと思う。 この年頃の男の子のお母さんは、子供にこのように接する。恋人気取りなのだろうか?去っていってほしくなくてすがっているのだろうか? わたしは、女の子の子供とはうまくやっていけない気がするから、男の子を産みたい。 だけど、当たり前だけど荷物なんか持たせます。ドアも開けさせます。当たり前です。
2006/06/06

叩き起こされて、いそいでおさげをアミアミして、昨日の夜に用意してわくわくしていたヨーグルト+マシュマロを、ましゅましゅと食べた。 私の両親のドライブはいつも突然。でも今日は沼津とかじゃなくてよかった。こんなにちょっとした、ほんと純粋な「どライブ」って滅多にないわ。いつもガシガシとストイックなドライブばかりで育って来たのですもの。 今日はまず、小林さん家を見に行きました。 小林さんという方が住んでいたお家ですよ、ご存じない? 家の近くにも,お父さんが命名して採用された「ふるさと村」という古い建物を集めて来たところがある。小金井公園にも江戸東京たてもの園がありますね。そんな感じの所でした。ただ小林さん家の一軒家のみでした。 こういう古い建物を見ると、私の家族は長原のお婆ちゃんちを思い出す。 長原のお婆ちゃんちは農家ではなく,住宅街の中にあった住宅だけど、割と広く立派で手入れもきちんと行き届いていたのだった。しかし壊す時に庭の片隅の物置には猫の死体が2匹くらいあったんだよーーー・・・・もうそういうの、ほんと、無理。もう今はない建物なのに、枝里子ずっとそこの傍らを通って木とかも登ってた,って思うと鳥肌。 お父さんは病弱でおばあちゃんっこだったので、長原で育った。だからえり子達も毎週のように長原に通って、ヤクルトをもらって、庭の片隅でたき火をして、ひろい廊下で「ベルサイユの薔薇」のパズルをした。お母さんはおばあちゃんからいろんな花とか植物を貰って,それは今でもうちの狭い庭で育っている。 きょう、小林さん家の縁側に腰掛けさせてもらって、囲炉裏のぱちぱちを聴きながら、誰からともなく「長原の家はさあ・・・」と思い出話を始めるのでした。そして必ず「長原の家だって立派で,保存状態もよかったから,区に寄付すれば良かったよねー・・・」と締める。 枝里子が強烈に覚えているのは大きな桐ダンスを庭で燃やしたこと。あれ欲しかったなあ。欲しかったものがいっぱいあった。家だって勿論欲しかった。今,あそこの長原の土地だけで幾億かするんだよ。でも欲しかったのはお金とか土地じゃなく、長原の家が欲しかったな。親族が集まる場所,という意味でも、ただ古い広い家,という意味でも。 お父さんも今日も「長原の家をまた再現したいねー・・・」と言っていた。お父さんの思い入れは枝里子との比ではない。お母さんとのも違うだろう。 そこで枝里子は「実はね」という言葉を飲み込む。まだまだだ・・・。でもあるんだよ。枝里子は絶対に長原を再現するから。と、誓う。お父さんと長原のおばあちゃんと目黒のおじいちゃんに。 はやくお父さんに見せてあげたい。そしてお父さんの協力があれば、長原はより早く、綺麗に復活するのだけれど。 ただ,問題は,遠いということ。ちょっとここからは遠過ぎる。長原からも遠過ぎる。 お父さんが生きている間に,枝里子はお父さんにまた長原を見せてあげられるだろうか? 小さい頃、枝里子は「お父さんに赤いスポーツカーを買ってあげる」ととにかく約束していた。それはユーノスロードスターのことだ,と決めていた。(自分の趣味) でも今は,車なんかじゃなく、長原を、お父さんに! 楽しみだ。
2006/06/06
学習障害( LD?)だったということが今日判明した。 それって克服できるのか??や、出来てない気がするから無理なのかもしれない。 私、今時の子供を見て将来を,日本の未来を憂いているんだけど、自分自身、授業中歩き回ってたから偉そうなことは言えない。あまり自分では覚えてないんだけど、たぶん1番ひどかったのは中3高1くらいじゃなかったかと思う。言われて初めて思い出すんだけど、隣のクラスの友達を「あーそーぼー」って誘いにいってた気がするから,ってことは抜け出していたのだろう、自分のクラスの授業を。しかもよく頻繁に。 机を廊下にだして遊んでたのは覚えてて、「無邪気な子供だった」と認識しているんだけど、あれだって休み時間だったのかどうか... ひとつだけちゃんと覚えてるのは、英語の時間の始まる前にカーテンにくるまって寝ていたら、先生が「えりこさんとナモさんはいませんね、でも静かだから良いですね」って言って、すっかり無視して授業を始めたこと。その授業中ずっと寝てた。その授業はピンク先生でつまらなくて、興味ある時とない時の差が激しく、興味ある時は根掘り葉掘り聞くの。「なぜ その単語はこういうんですか?なぜ?なぜ??」って。語源とかまで詳しくね。でもほとんどの時が興味を持てない時だった。それよりも楽しいことに忙しかったから... どうやらあれは学習障害だったんだ! 一緒に寝てたナモちゃんが言うんだから間違いない。 そして「枝里子は絶対に学習障害だったよ」って断言されたから間違いない。そう、だから仕方ないの。 学習障害でも、現代の日本の大学なら,卒業できます☆
2006/06/04

久しぶりに自転車で中高のある街まで行った。卒業以来だ。 初めて自転車で行ったのは中1の秋休みの面談のとき。 それから秋休みの度に自転車で行っていたけど、高校生になってから、特に高3の時は駅まで来て定期券を忘れたことに気付いた時とか、もう「自転車で行こう!!」って頻繁に自転車通学をしたものだ。 改めてよく通ったなと思った。自転車で1時間、電車で1時間半。しかも今よりも体力がなかったから、坂道とかも登れなかったのに。 在学中は,そんなことしか考えずに自転車を漕いでいたのだけど、久しぶりにその道をなぞって、枝里子は違う厭な思い出ばかり思い出したのだった。 勿論毎回ではないけれど、自転車で学校に行く途中で,何回か変態に遭遇した。 その時は、とにかく学校とか部活に遅刻しないように!ということに一生懸命で、忙しすぎて割と流してしまっていたのだった。もしくは疲れ過ぎて早く家に帰りたかったとか。 鈍いからいつも,だいぶ後になってから思い出して、憤ったり嘆いたりするんだけど、こうやって何年も経ってから同じ道をたどってみると、意外と覚えているものだ。 この地点でこのように、とか。 そして、それの多いこと多いこと。 痴漢とかする側からしたら、多くのそのへんにいる女の子の1人かもしれないけど、こちらからしたらほんと、ずっと残る厭な思い出なんだよ。ほんと。 右側から自転車で追い越されるのとか,未だに怖い。無意識のうちに怖いのだけど、それはやっぱあのときからな気がするし、あまりゆっくり漕いでいると、またなんか声をかけられるんじゃないか,とか、向こうから集団の高校生が来ると、とにかく怖い!!って思ってしまったりとか。 電車に乗ってもどうせ変態に遭うんだから、それならせめて爽やかな空気のもとの方がマシ,と思って自転車をチョイスしていた節もある。電車に酔ってよく吐いてたし。でも追いつめられないし助けてもらえない(どうせそんなことしたことないし!!)点で自転車の方が危ない。 こう書いてみると、なんだか枝里子がひ弱な可哀想な子みたいじゃないの。 違うの,痴漢とか、捕まえちゃったらその人の今後の人生が悲惨で可哀想だな,って思ってたの。同年代とかだったし。 それに、急いでたから糾弾してる場合じゃなかったの。 やっぱ、学校は近いにこしたことはないな。 痴漢とか変態だった人たち、今頃どうしているんだろう?? 元気かしら。それなら捕まえておけばよかったわ。ちゃんと更正しているでしょうか。2度と痴漢なんかしないでほしい。なんだこのにっき
2006/06/04
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