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全国の悩める中高年のみなさん、私も悩んでいます(爆!ということで、いくつになっても悩みは尽きぬものです。とにかく頑張って日々を生き抜きましょう!では、今日も道楽親爺のあまり役に立たないブログでひと休みして下さい(笑)しかし、私らみたいな人間の悩みってのも、よく考えたら贅沢なもんですよね。「生きてる」って事実以外のことに思考を働かせては、あーでもない、こーでもないってやってるわけですから、突き詰めちゃうと、結局自分で悩みを生み出しちゃあ、自分で勝手に悩んでるってことが多いのではないでしょうか(笑)まあ、この手の考え方ってのは、本気になればなるほど、更なる悩みを無尽蔵に生み出していってしまいますから、ほどほどにしておくべきなのでしょうね。私は根がノーガキ好きなもんで、すぐに哲学めいたことを垂れたがりますので、ウザイと思われた方はテキトーに読み飛ばして下さい(笑)哲学といえば、私は昔から「?」を抱く言葉に、「人間は考える葦である」ってのがあるんですけど、これって逆さまにすると、葦に脳味噌が乗っかってるだけってことですよね(爆)更に突っ込んじゃうと、葦のままで放っておいてくれりゃ良かったものを、なまじ、考える頭なんぞをくっつけられてしまったから、こんなことになっちゃったんじゃねーか、みたいなね、へそ曲がりな考えというか、屁理屈というか、ノーガキをコキたくなっちゃうんです(笑)葦のままだったら素朴に淡々と生きていただろうにと思うんですよね。人間以外の生物は多少の差こそあれ、「生」を全うしてるだけで、余計なことはなんもしてませんよね。これは、別に人間を卑下して言ってるわけじゃないんです。ただ、私達人間が誇る「頭脳」ってやつが、ひょっとして人間にとっての一番の悲劇を生み出しているのかなぁ、なんてね、漠然と思っているわけです。誤解を恐れずに言いますが、私は「達磨」の教えってのが好きなんです。達磨って、あの真ん丸いダルマです。手も足も出ませんってヤツです(笑)「失くしたと思うから不自由を感じるので、はじめから無ければ不自由さは無い」え~、極めつけのノーガキでしょ?(笑)たとえば、何かの事故で片腕をなくしてしまったとしますよね。今まで2本あったものが1本になって不自由になる。つまり、足らないと思うところに不満が生まれるって言っているわけです、この達磨大師のおっさんは。だから、今の自分をシヤワセに思え、とかそんなチープな教訓話をしたいわけではありません。誤解を恐れずに言わしてもらいますが、人間は千差万別色々な形の体を持って生まれてきています。それはどれを取っても完璧なものなんてないんですよね。そのどれもがたった一つのモノだし、絶対に同じものなんてあり得ませんね。「人間はみな同じ」じゃないんです。絶対に。でも感情は同じですよね。殴られたら痛いし、面白ければ笑うし、悲しければ泣きます。たまに殴られたり縛られたりして嬉しいとかゆーヤツも居たりしますが(笑)。多少、この感覚はツボが違ったりしても(笑)、原則的には同じソフトを持っています。だから、色々な葦の上に乗っかってる余計な「頭」は共通なソフトってことですよね。そんでこのソフトが動かしているハードがいわゆる「葦」である身体ってことです。そこで、手も足もない達磨を思い浮かべてみて下さい。体の部分をひとつずつ失くしていってしまって、最後は手も足もなくなっちゃったのが達磨さんです。達磨さんが転んだ。さあ、今日も一日、元気に頑張りましょう!
2007年05月30日
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しかしまあ、こう次から次へとよく事件が続きますよね。暑さのせいですか?(笑)それとも、みんなどっかが壊れちゃってんでしょうか。でも、みんな、なんでこうもすぐに死んじゃうんですかね?こうなると、なんだか「死」が解決みたいに思えてくるから不思議です。あと、こういう言い方は誤解を招くかもしれませんが、「死」をもって被害者になるっていうところがちょっと気になります。人間関係っていうのは、「死」ってものを介在させると、途端にタブー意識が強まりますよね。特に自殺ってのは、色々な意味で、あらゆることを呑み込んでしまうパワーがあると思うんですね。今回の大臣の死も、これで収めようみたいな流れになっていくのが、ちょっと嫌ですね。死んだ人間を悪く言うな、みたいなね、そんなんがちょっと気になります。生前、彼を追い込んでいた人たちも急速にパワーダウンしてしまうだろうし、周りも、もう良いじゃないか、みたいなね、そんな雰囲気がとても嫌ですね。行き場の無い子供たちの精神と違って、大人の場合は、やはりそこにある種の打算みたいなものもあると思うんですね。まあ、よく言えば「犠牲的」な自決みたいなものですか。サムライの時代から連綿と続く、死を賭して収めるみたいな自虐性にも似たような感覚です。特に今回のように、公的立場で追い込まれた人間として、それを潔い行為とみなすか、犠牲の精神を評価するのか、各人各様でしょうが、基本的には残された者が後始末をするということに変わりないわけで、やっぱり賛同はできませんね。今日はちょっと重たいテーマで書いてしまいましたが、我々一般大衆は今後の国会の行く末をしっかりと見届けるべきだと思います。国を動かす代表者の一人、大臣の自殺というものが、一体どういう扱い方をされて、どういうふうに時代に埋没していくのか、これはニッポン人がきちんと向き合うべき問題だと思います。たとえ道楽者でも、日本という国に所属している以上は、「オレには関係ない」とは言えない事実もあるのです。
2007年05月29日
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悩める中高年の皆様こんにちは。今日もしっかりと非生産活動に励んで、悩みをごまかして生きましょう(笑)早くも5月も今週で終わっちゃいますが、なんと日本はもう真夏日が来たらしいですね。このところ、やたら頻発する凶悪事件はこの暑さの影響なんでしょうかね。特に中高年の殺人事件ってのがやたらと多い気がします。このブログをお読みになっているような方々には、そんな危な系の人はいらっしゃらないと思いますが、人生なんてものはちょっとしたことでコロっと変わっちゃったりしますから、くれぐれも気をつけて下さいね。「ちょっと危ないなぁ」とか「なんかグレそうで怖い」とか「はじけそうだぁ」とか思い始めた時はすぐに、「お笑い系テレビ」とか「夢のワープ」ですぐに頭の中を消毒して下さい(笑)要するに気の持ちようってことですから、どんだけ真剣に悩もうが、どんだけふざけようが、迫り来る現実からはそう簡単に逃がれることはできませんので、道楽者は道楽者らしく、得意技の「ひらきなおり」(笑)を屈指しながらなんとか頑張りましょう。最近、手にした古本で「超能力」に関する対談集を読みましたが、これが結構面白くて、道楽者の愚にも付かないノーガキにはピッタリの内容でした。「超能力」から「能力」へ 村上龍 山岸隆 対談集かれこれ10年くらい前の古本だったのですが、タイトルの如何わしさに(笑)惹かれてつい手にとってしまいました。この山岸さんという方が、不思議な能力をお持ちのようで、いわゆる「超能力」をCDとかに注ぎ込んで販売しているらしいです。でもって、そのCDを聞くと元気になって、同じような能力が自然と受け継がれていく、というようなお話でした。ご本人は超能力のソフト化とおっしゃってましたね。胡散臭いでしょ?(笑)でもね、読んでいくうちに、結構納得する部分もあったりして、まあインチキとかいう類のものではないような気がしました。だって、この二人の話、普通の人が思ってることをズバズバ言っちゃったりして、そのあたりは従来のオカルト系とか新興宗教系とは違っていました。当人たち自身が新興宗教系を批判したりしてて、現に、この山岸さんのCDを売っているのは正式な企業で、その収益はきちんと会社の利潤として計上されているんですね。でもって、山岸さんいわく、宗教法人のように特殊法人の扱いを受けると、その中で動く金銭が不透明で汚れていくって言ってるんですね。だから、会社利益としてきちんと公開していった方が、人々の能力開発には有意義だとも言っています。超能力の製品化ってことでしょうか。結構面白い発想です。まあ、なんというか、なんかわかったようなわからんような(笑)理屈なんですけど、「お布施」だとか「浄化」だとか言って、大金を巻き上げるようなやり方よりは、よっぽど正直かなと思いましたね。正々堂々としてるみたいな(笑)更に、この山岸さんのコンセプトが、ご自身の持つ能力の配布というところが大変面白かったですね。要するに、自分の特異な能力を、みんなが持つようになれば、必ず世界は良くなるはずだってことで、惜しみなく能力の授与を行っているんですね。「スプーン曲げなんてのも、だいぶ科学的に解明されてきてますし、大事なことは、その力を何に使うかなんです」というような発言に見てとれるように、従来の超能力者が陥りがちな特殊性とか神秘性を否定して、その「力」の使い方とか使い道を模索していこうというところがひじょうに前向きで良かったです。あと、もうひとつ面白い解釈がありました。それは、実例として取上げている、「コーヒーを紅茶にする」というエピソードでした。ある時、山岸さんが喫茶店でお茶を飲んでいたときに、たまたま隣の席に居たオバちゃん二人のおしゃべりが煩かったので、そのオバちゃんたちのコーヒーを紅茶に変えたっていうんですね。でもって、当人いわく、「コーヒーが紅茶に変わるわけありません。それはオバちゃんたちの味覚を変えたってことなんです」という説明に、道楽親爺はちょっとビビっときてしまいました。そうなんですよね。私たちだって、時たまこんな似たような経験がありますよね。先入観で、コーヒーだとばかり思っていた飲み物に口を付けたら、なんじゃこりゃ?みたいな感覚ですか。そうした人間の感覚っていうのは、一番確かなようで、一番曖昧なものじゃないですか。その感覚をある種の能力で変えることが出来るっていうのは、不可能ではない気がするんですね。まあ、ノーガキ好きの親爺好みの本だったってことなんですけど、そうして考えてみると、感覚とか感性で自分の前の環境を変えるってことは、案外容易なことじゃないかと思えてきたんです。今日の始まりで言った、悩める中高年(笑)も、自分の感覚をちょっと変えてみたら、案外楽しい現実に変わるのかも知れないと思ったんですね。ってことで、これぞまさしく究極のノーテンキ、道楽者の必殺技ではないでしょうか(笑)それでは皆様、今日も1日、厳しい現実をしっかりとお楽しみ下さい(爆)
2007年05月28日
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昨日は珍しく1日雨模様でした。そんな1日の締めくくり、ようやく雨があがり陽が沈んでいきました。自宅前、空の色があまりにも美しかったので、思わずカメラに収めました。日没後のほんの一瞬でしたが、恍惚(笑)の瞬間でした。今日は、ノーガキは一切コキません(笑)人間のノーガキなんて、この空の色を前にしたら屁みたいなもん(失礼!)、いやまったくの無力、無意味です。この色が皆様の目の前でうまく表現されることを願いつつ、画像をお届けいたします。雨上がり、一皮向けた(笑)ような今日のサイパンはピーカン青空天晴れ(笑)です。
2007年05月27日
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今日は朝から雨のサイパンです。雨季に入ってから暑い日が続いていたので、今日はちょっと涼しくて良い感じです。観光客のみなさんには気の毒ですが、地元民はこれでちょっと一息ついたみたいなとこです。しかし、今日もまたムチャクチャなニュースばかり目に付いてうんざりです。「ガスパン遊び」女子中学生が包丁持ってトイレに立てこもりはっきり言ってワケわかんないです。自分で立てこもっておいて、自分で警察に通報して、説得に応じて出てきたって、傍迷惑も甚だしいですね。良い大人捕まえて遊んでじゃない、って。「オイタしてると、おじさんが乳首を吸っちゃうぞ」って、キツク叱るべきではないでしょうか(笑)ってかおまえはヘンなおじさんかよ(爆)ガスパンって、私らの若い頃もよくやってましたね、子供たちが。ガスライターのブタンガス吸い込んで気持ちよくなるってヤツですね。もちろん私はそんな危ないことはしてませんよ、その頃はもうすでに大人だったし(笑)ってか、じゃあ若かったらやったんかい、って突っ込まれると、自信ないです(笑)私の友人の弟がよくやってましたけど、あんまり気持ち良さそうじゃなかったなぁ~。まあ、そんなこたぁどーでも良いのですが、更に「放火魔が電話予告」ってのも怖いですね。昔の不良が使ったタンカ・シリーズ(笑)に「てめぇんちに火つけちゃうぞ!」ってのがありましたが、ホントに付けちゃったら洒落になりません。これは実際に大きな被害が出てますから、遊びじゃすみませんね。なんでも「気に入らないヤツはみんな燃やしてやる」とか言ってるそうですが、こーゆー頭の温かい輩を好きにさせた社会も悪いです。いつの時代だってヘンなヤツはいたんですけど、それはそれなりに地域コミュニティみたいな仕組みの中で、それなりにプロテクションされてたんですよね。若造がイキがってフラフラしてると、近所のちょっと粋なにーさんやおっちゃん達がたまに懲らしめてくれたりとか、危ないヤツになりそうだと、なにかと目を配ってたりしたもんですよね。ワルさしたって、不良仲間はそれなりに暗黙のルールみたいなのがあったし、それを飛び越えちゃったヤツはもう仕方なくプロになるしかないんですけど、それなりに年取って更生するみたいなパターンが多かったですよね。でもね、最近は子供が子供を育ててるような状態ですから、ボーダーラインがなくなっちゃいましたね。親子でリンチとか、親が子供を殺しちゃうとか、いよいよボーダーレス、グローバリゼーションの世界に突入したのでしょうかね(笑)まあ、いくらこんな愚痴を言ったところで、何も変わりゃしませんが、道楽者的見地で言わせてもらえれば、「遊び」の提供ができなくなった社会ってことになるのではないでしょうか。つまり、精神的に遊べる環境が無くなったってことです。とにかく今の世の中、周りを見渡せばオモチャだらけなんですけど、じゃあ、ナニが楽しくて遊んでるのかって突き詰めていくと、誰もわかんないっていうのが実際のトコじゃないでしょうか。オモチャは豊富にあるんだけど、その場限りの欲望を満たす(笑)みたいなもので、次から次へとオモチャは変わり、しまいには、なんで自分がそれで遊んでるのかもわからなくなっているみたいなね。まあ、所詮は快感に導かれていることは確かなんですけど、その快感がね、ちょっと危ないっつーか、肉体的快感の追求ばかりで、精神的な快感の追求が薄れているような気がするんですよね。うまく言葉では表現できませんが、たとえば私らの子供の頃で言うと、私はよく仲の良い子とふたりで寝転がって絵を描いたりしてたことがあるんですが、お互いが思い思いに勝手に書いているんですケド、なんか楽しくて、下手すると1日中そんな風に絵を描いていたりするわけです。御飯食べるのも忘れて黙々と描く、みたいなね。でもって、ふとそんな思い出の視線を代えて、最近の子供たちの携帯メールとかと比べてみると、夢中になっているその姿が多少ダブるんですけど、やっぱりちょっと違うかなぁ、みたいなね。どちらも独自の世界で戯れているんですが、果たして精神的快感はどこらへんで感じているのかなって考えると、「想像性の欠如」ってのが頭に浮かんでくるのです。ナニが言いたいかっていうと、今の時代は想像したことが比較的安易に実現できちゃうってことなんです。だから逆に想像が膨らまないっていうか、駅の階段でスカートの中をカメラに収めちゃったりとか(笑)、家に火つけて回ったりとか、想像と現実の境界線が狭いってことです。まあ、これらは想像っつーより妄想なんですけど、この妄想だって、飛躍してるからこそ妄想なんで、実際にできるようなことは妄想にもならないと思うんです。私らの時代が決して良いなんて言いたくはありませんが、少なくとも、突飛でもないことを考えるヤツが多かったし、それが人間の幅を創ったのではないかとも思えるんですね。「こいつバカなんだぜ」とか言いつつも、変なこと考えてるヤツに一目置いたりしてました。でもそーいった、夢見たいな想像を膨らますことができる精神的な奥行きみたいなものがあったと思うんです。「こんなんがあったら良いのになぁ」「夢みたいなこと言ってんじゃねー」そんな会話がフツーでしたよね。今はどんなんでしょうか。そーゆー戯言すら聞かなくなりました。できることだらけで、できないことを探すほうが大変な時代になっちゃったのかなぁ。。。。。。。
2007年05月26日
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今日は少々多忙の道楽親爺でしたが、ニュースを見て驚きました。今度は横浜で子供が刺されたそうですね。しかも白昼の大通りで。ショックでした。連日、こんな殺伐としたニュースばかりで、さすがの道楽者も気が萎えてしまいました。どうなっちゃったんでしょうか、ニッポンという国は?完全に壊れちゃったんですかね。昨日のNHK(こればっかでごめんね・笑)の特集で、地球温暖化について取上げていましたが、地球上のわずか三分の一の文化圏の人々が快適な暮らしをする目的で、三分の二の文化圏の人々が飢えているのをほったらかしにしているという現実、これもショックでした。チープな人道主義も良いのですが、こうした現実にそろそろ我々文化圏に住む人間が考えなくてはいけない時代に入っているのではないでしょうか。そーゆー私もヘラヘラと生きているわけですが、なんかね、このまんまじゃ、辛いと思う、この先が。どうせ私はその頃生きちゃいないと思うんですけど、やっぱね、負の遺産を残している自分たちの自覚くらいはね、もち続けて生きたいと思っています。地球を生命体として見た場合、人類はやはり癌細胞みたいなもんなんでしょうね。昨日の話だと、エタノール・エネルギーを作るためには、穀物を主食としてる圏内の人々の生活を脅かすというパラドックスが存在すると言ってましたが、早い話、車を使うのを止めれば良いってことですよね。自動車産業と鉄鋼産業はダメージ受けるかも知れませんが、もう充分金儲けしたんだし、そろそろ違う分野への変身を図るっつーのも、ひとつの課題なんじゃないですかね。すでに欧州では、政府が自転車利用を推進しているらしいじゃないですか。更に風力発電も政府が余剰電気を買い取るシステムで、それなりに方向性を見出しているみたいだし、ゼニ、ゼニばかり言ってないで、そろそろ、こうした取り組みにもきちんと対峙していかなくてはならないような気がします。ということで、道楽者の皆様も、無公害、非経済の新型どーらくの開発が望まれています。非生産活動にあらたな光をあて、将来性のあるどーらくを開発しようではありませんか。ってか、最後でおチャラけちゃいけませんね。でも根が道楽もんですから(笑)そういえば、職質された女性が警官の太ももに噛み付いたってニュースにも驚きましたね。凄いですね、野性的ですね。最近珍しいホットなニュースでした。しかしまあ、女性でヨカッタ。男だったら、ひょっとして、という心当たりがあったりして(爆!
2007年05月25日
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昨日、大人になることを拒否した子供の話をしたら、またまたとんでもない事件が起きてしまいましたね。ナニがあったか、知る由もありませんが、50歳過ぎて隣の主婦を刺すって、これまた尋常じゃないですよ、ホントに。相手も同年代ってのもね、なんか身につまされます。しかし、冗談抜きで、このところの事件って私らの年代ばかりじゃないですか。やはりムツカシイ年頃なんでしょうかね、ワレワレは(笑)人生に疲れるには未だ早いと思うんですけど、みんなワケわからなくなっちゃってんですかね。ひとつには若さの期限が延びたってのもあるんでしょうね。昔の50歳っつたら、もうほんとに単なるジジイでしたから、60歳で隠居、70歳で長生きでしたよね(笑)それがね、今じゃ50歳でも歌って踊ってナンパまでしちゃうらしいですから(笑)、壊れても仕方ないって感じです。また、「チョイワル親爺」とかくだらねーこと言って乗せるヤツもいますからね。50歳でチョイ悪だったら、60歳でワル、70歳で極悪じゃないですか(笑)そーゆーおまえが一番くだらねーじゃねーか、言われそうですが、私は分をわきまえてますので、できるだけフツーのジジイを演じております(笑)まあ、ナニを言いたいのかというとですね、「上のヤツらがダブついているから、下の者もダブつくんだ」ということなんです。どんな組織でも、会社でも、もちろん社会でも、スムーズな流れで下から上に上がっていかないと、システムが目詰まりして必ずトラブルが起きます。不良だって、いつまでも不良のボスが同じじゃ、下の者はどーすんだってことですよね。たとえば暴走族の集会で、頭が40過ぎのジジイだったら、その下はどーすんですか。更に末端の隊員なんて、下手したら孫の年ですよ。大体、自分の子供みたいな婦女子を捕まえて「援交」もないもんですよね。つまりこれって、大人になることを拒否した子供たちの世界ってことでしょ?中味は子供なんだけど、外見は10代から50代まで色とりどりみたいな(笑)だから、大人になることを拒否した50代のおっさんと、同じく拒否した30代のオバちゃんはイコールで、さらにその下の現役子供の10代ともタメで、これじゃ本当に収拾がつきませんね。昔は、いくら自分が「若い」ってノーガキ垂れても、周りがほっといてくれませんから、「おまえはジジイなの!」(笑)って無理矢理役割分担を与えられたりしたんですけど、最近は、周りがみんなほったらかしですから、みんな自分のポジションがつかめないまま、だらだらといっちゃうんでしょうね。もちろんこんな私だって、たまには今のままで若い肉体があったら(笑)とか、夢の世界にワープしたりすることもありますが、所詮それは夢というか想像だからこそ、自分の定位置を見直すことができたりするわけで、ホントに自分が若いままでいたら、こんな恐ろしいことはありませんよね。なんだか今日はやたら抽象的な表現になってしまいましたが、私が暮らしている南国では、時たまメチャクチャにトチ狂ったご年配の方々と遭遇することが間々ありまして、時として、厳しい現実を突きつけられることもあるのです(笑)40過ぎのオバちゃんが20代のビーチボーイに入れ込んじゃって、みたいなこととか、年配のおっちゃんが若い娘とウィンドサーフィンしてぎっくり腰になっちゃったとか、ツバメや愛人、お妾さんなんてのも昔からあったことなんでしょうが、どうも、その形態がね、著しく変わってきたように思えるんですね。本質的にはジジイと小娘の関係なんですけど、本人がどうしても認めない、未だ対等でいる、みたいな錯角ですか。年取っても、センスとかファッションってのも大事でしょうが、そういう外皮が剥がれていってこそ「チヨイワル」なんて味が出てくるもんだと思うんですけどね(笑)どうもイマイチ往生際の悪い人が多いっつーか、やっぱ、大人になることを拒否したっつー表現があたってるのかなあ、そんな同年代を見てると、ちょっと怖かったりしますね。遂に人類は精神と肉体のバランスを超えるトコまできたのでしょうか(爆
2007年05月24日
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全国どーらくファンの皆様こんにちは。貧乏に奉仕して50年、非生産活動推進委員会がお送りする「愚にも付かないノーガキ」ブログで、今日も皆様の多忙な一日の暇つぶしをお楽しみ下さい(爆!しかしまあ、目まぐるしく移り変わる日々に、一体自分はどこに居るのだろうと、ふと立ち止まったりすることもありますが、結局は、またいつもの繰り返しの毎日というのがフツーの人の生活ではないでしょうか(笑)これはまあ言ってみれば、庶民にはできるだけモノを考えさせないようにしようとする、何者かの陰謀なわけでして、どうか道楽者の皆様はこの狡猾な罠にはまることなく、一生懸命、愚にも付かない屁理屈をこね回して、日夜どーらくに励んでもらいたいものです(笑)その昔、愚民化政策なんていう言葉をよく耳にしたりしましたが、今の世の中を見てるとまさ言い得て妙、ピッタシといった感じです。立ち止まって考えたりする輩が現れると、さっと新たな「餌」を目の前にぶら下げては、またラインの上に乗せるといったような、ベルトコンベア作業にも似ていますね。ということで、道楽親爺の今日のノーガキは、ジジイの「ツケ理論」です(笑)幾度と無くこのブログでも書いてきましたが、いつの時代も子供というのは大人のツケを背負って生まれてきて、そのツケを清算することで次の世代の子供にツケを残していく、という、連綿と続いてきた人類の歴史があるわけです。ただ最近は、そのツケを残しているという自覚が、大人にはないようで、負債の垂れ流し状態みたいな感じがしてならないんですね。昔の人は次の世代に負の遺産を残していることを自覚しているからこそ、その中から少しでも正の遺産を残そうと奔走したと思うんです。生きるということは混濁併せ呑むということですから、ツケを残して済まないという気持ちは、「せめてこれだけは」というような形で引き継いでもらおうという性根が見えていました。もちろん、そういうツケを残した大人だって、その前の世代からのツケを清算するために人生を生きたわけですから、まさに連綿と続く人類の歴史でもあります。そう考えると、今の大人、つまり私らが代表の爺婆は、ひょっとして、先代のツケを踏み倒してしまったのではないかと思ったりするわけです。どーゆーことかというと、ツケの清算=大人になるってことだとすると、私らの世代から下の、いわゆる大人たちは、大人になることを放棄したってことかもしれません。つまり、子供のままでいることで、過去のツケの清算から逃げたってことです。大人にならなきゃツケはそのままです。更に、たとえ自分たちが子供のままでもツケは累計加算されていきますから、このツケを背負わされた今の子供たちは、そりゃもう、なんつったって、生まれた時から返済不可能な負債を背負わされていることになります。これは大変なことです。たぶん今の子供たちはこのツケの重さを潜在的に感じているから、大人たち、いや厳密に言うと大人モドキの子供たちと、下手すると対等の立場で対峙しているのではないでしょうか。実は、昨晩「ローレライ」という邦画を見まして、心惹かれるセリフにぶち当たったんですね。ストーリーは、第二次大戦中、米軍が東京に3発目の原爆を落とそうとしている時、日本海軍がドイツ製潜水艦を使ってこれを阻止するという、史実に基づきながらも荒唐無稽(笑)空想ドラマだったのですが、道楽親爺は、この映画のエンディングのひとつのセリフにインスパイアされ、今日の屁理屈となったわけです。(お調子者丸出しじゃん)「我々大人が勝手に始めた戦争で、君たち子供の力を借りなきゃならんというのは辛いことだが、君らの後に続く将来の子供たちのために力を貸してくれ」主役の役所広司さんが、特高少年兵とユダヤ人少女の二人に言ったセリフです。それまで、つまらん映画だと思って見ていた私は、この一言でが~んと頭に一撃を喰らったような感じでした。それはいつだって大人が勝手に始めたことなんですけど、それでも子供の力を借りなければ前には進めないし、その子供もその力を貸すことによって、次の世代の子供の力を借り出していくみたいなことになるのでしょうか。そしてただひとつ怖いと思ったのは、当然のこととして淡々とこのベルトコンベアーに乗せられていくということです。
2007年05月23日
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そんな辞典があるのをご存知ですか?三省堂から出版されているらしいです。つまり、英語圏のアジアで使われている英語のための辞書ってことらしいです。(ウケウリですから、実際にご興味のある方はちゃんと調べて下さいネ)英語が使われている地域は、大きく3つに別けられるそうです。まずは本家イギリス、そのイギリスから移住した人たちの国アメリカ、カナダ、オーストラリアなど、ネイティブ・スピーカーと呼ばれる人たちの住む国々です。2つ目は、イギリスの植民地だったインド、シンガポール、マレーシア、フィリピンなどで、すでに100年以上の英語の歴史があり、公用語ともなっています。そして3つ目が、第二次世界大戦後から英語教育が始まった日本、中国、韓国、インドネシア、台湾、ロシア、サウジアラビアなどなどです。日本人は英米のネイティブ英語を手本に習得したせいもあって、あまりクセはないようですが、すでに英語を公用語として使用しているアジア諸国では、現地文化に根付いた言葉となって各地域特有の発音や表現があるようです。そんな、現地特有の英語表現をまとめたのが「アジア英語辞典」ということらしいです。でも、よく考えてみれば、その地域だけで通じる表現というのが確かにありますね。英語と米語が違うように、アジア各地でもその表現が微妙に違っているのが面白いです。これはたぶん、英語の持つ「合理性」に根付いたものだと思います。わかり易い単語、相互理解が早い単語、そんな感じで淘汰されていった表現が独自の言葉として一般化して普及していったのでしょう。ちょっと例を挙げてみましょう。(これはサンケイ新聞コラムからのウケウリコピーです)heaty (食べ物が)体に熱を与える =マレー英語マレーシアでは東洋医学の影響で、食べ物を陰陽に別けることから、体の熱を取るCOOLINGに対して、体に熱を与えるHEATYと形容するようです。comfort room トイレ =フィリピン英語これはもうズバリ安楽の部屋(笑)ってことで、よくわかりますね。ちなみに停電のことを「NO POWER」って言うのも、そのものズバリ、アジアらしい表現です。やたら停電が多い証明でしょう。日本で使ったら、「体力がない」みたいなことになっちゃうんかなぁ(笑)あと、アジア系は「PLENTY」ってのを良く使いますね。豊富ってことなんですけど、たくさんとか一杯とかいうニュアンスでやたら使います。プレンティ・マネーとか、プレンティ・フードとか、なんだか身の回りに溢れてるみたいな大袈裟な表現ですが、本人たちはMANYとかA LOTに近い表現で使っています。プレンティ・ピープルなんてのにはちょっと戸惑いますね。なんか酒池肉林みたいな、人がうじゃうじゃひしめき合ってる感じですか(笑)たぶんこういう使い方はネイティブじゃ絶対にしないでしょうね。
2007年05月22日
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全国の道楽者のみなさんこんにちは。またまた月曜日がやってきて、きょうからまた新たな1週間の始まりです。さあ、そんなかったるい月曜日は、あんまり役に立たない道楽親爺のブログでしっかり暇を潰して下さい(笑)昨日はだらだらと1日中テレビを見て過ごしましたが、子供の借りてきたDVDやら、親爺の古い映画、日本のテレビ番組、更にNHK(笑)と言った具合に、道楽者一家らしいプログラムで、さすがに頭が痛くなりました。中でもひとつ変な映画がありました。御馴染み近所の中国系レンタルショップでみつけた「BACK STAGE」って映画で、ジャケットの写真が昔のデボラ・ハリー(元ブロンディのヴォーカルです)に似てたので、チョイMUSIC系かなと思って借りてきたんですけど、な、なんとフランス映画でした。でもって、これがやたら暗い映画、しかもフランス語に英語の字幕という、なんだか語学のお勉強のような辛い映画。もちろん、途中からハナ提灯ぶら下げて眠りこけてました(笑)「おとーさん、寝るんなら、テレビ貸して」と娘に言われ、「ダメ、ダメ、まだ後が控えてるんだから」と強引に譲らず、次は東映ヤクザ映画の古典「昭和残狂伝・死んで貰います」を上映(笑)昨日は浅草の三社祭り最終日だったので、古き良きエンコを偲んで、健さんの仁侠映画、久しぶりに見ちゃいました。藤純子と高倉健のゴールデンカップルにマキノ雅弘監督という、東映映画の決定版みたいな映画ですが、木場や深川とか出てきて、ちょっと懐かしかったです。最後は御馴染み、隅田川沿いをドスを片手に殴りこみ、当時の東映ファンが憧れた義理と人情の定番ドラマでした。涙なくして見れませんね(笑)口直しにバラエティー番組を一発。全国住民気質ランキング日本一(原題は忘れました・爆)みたいな番組で、テーマ別に都道府県各地住民にアンケート調査を取ってランキングするという、ケッコー面白い番組でした。たとえば、日本一「正義感の強い」のは宮城県(笑)とか、「自分が好き」第一位は鳥取県とか、時折その土地の珍品なども交え、中々奥行きのあるバラエティ番組でした。しかし、沖縄はKFC(ケンタッキー・フライド・チキン)の消費率が日本一ってのにも驚きでしたね(笑)なんでも沖縄の人は、御祝いには必ずKFC食べるらしいです。そのお返しもKFC、とにかくイベントには必ずKFCが登場するらしいです。何でそんなに好きなの?って聞いても、よーわからんけど、とにかく沖縄はKFCだそうです(笑)ちなみに、殆どのランキングで低位を保ったのは埼玉県でした。そんなに気質が薄いのかね?って突っ込みたくなるほど、個性が薄かったですね(笑)リラックスした後は「デ・ジャブ」でした。言語で見るのはちょっとキツイかなと思いましたが、案外スムーズに見れました。内容はネタバレするとつまらないから書きません(笑)でも、このところこの手の映画、多いですよね。なんか感じ的に「バニラスカイ」に似てた。まだまだ見るぞっ、てなことで、次は「子連れ狼」(笑)。実はレンタルショップ・ブロック・バスターで偶然見つけた昔の映画でした。主演は若山富三郎。この拝一刀はちょっと太めだよね(笑)と、ところが、なんとこのDVD英語の吹き替えヴァージョン。何でこんな古い邦画を英語で見なきゃなんねぇんだよ、とふて腐れて、結局早送りで殺陣のシーンだけ見て、すっ飛ばしです。代わって、娘と一緒に「MIDNIGHT AT THE MUSEUM」を見て終了。子供の映画でしたが、ジジイのにも結構ウケました(笑)ということで、夜も更けてきたので、最後のシメは何故か「NORAH JONES」ライブ・イン・ニューオーリンズで寛いで、皆、ゴー・ツー・ザ・ベッドでした。ノラ・ジョーンズの声って、子守唄には最高ですね。そのまま寝入ってしまい、気がつけば午前2時でした。
2007年05月21日
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暑! 日本の皆様より一足お先に真夏のサイパンです。とにかくピーカンで無茶苦茶暑い日曜日、今日はもう家でひたすらだらだらと過ごしています。ってか、このところ日曜日はいつもこんな感じなんですケド。まあ、今日は比較的風もあるので、エアコンに頼らずとも窓からの涼風で丁度良い感じです。昨夜、末娘がVIDEOを借りてきたので、今日は一家揃ってテレビの前から動かないでしょう(笑)道楽親爺は毎月届く「慰問袋」のテレビ番組を片っ端から見ることにします(笑)実は今日、すでに1本見終わっているんです。今日は何故か、珍しく長女が早起きしたので、二人で「スイング・ガールズ」ってのを鑑賞いたしました。ドリームガールズじゃないよ(笑)これは、東北の女子高校生がひょんなことからビッグバンドにチャレンジするという、今風のドラマでした。最近、こんな感じの漫画の実写版みたいなドラマが流行ってるんですかね。それなりに結構楽しめました(^^)ウチの娘も小学生の頃、ブラスバンドでクラリネット吹いてたりしてたので、共感が沸いたようです。「でも、あんなに簡単にサキソフォンは吹けないよね」といいつつ、結構感情移入して見ておりました。JAZZの後乗り、いわゆるスイングってのは、やっぱり心地良くて、特にクライマックスのホーンアンサンブルなどは、体がウキウキしてきちゃって、なんだか日曜日の朝、チョイFUNKYなノリで親子共にご機嫌でした。かくゆうこの私も、中学生の頃ほんのちょこっとだけ、トランペットをかじったことがありまして、まだまだ音楽に純粋だった当時の思い出なども甦ってきたりなんかして、チョイHAPPYでした。チョイFUNKY、チョイHAPPY!そういえば、このところ我が家では子供たちがやたらとMUSIC系VIDEOに凝ってまして、息子はシャギーラをダウンロードしては歌ってます。末娘はHIGH SCHOOL MUSICALなんていうミュージカル・ドラマをしつこいくらい見ています。長女はオヤジに趣味を見せたがりません(笑)なんでかなぁ~。一時スパイス・ガールズにはまっていたんですけど、最近は特にコレってのはないようです。まあ、血は争えないと言いますか、道楽者、お調子者の家系はしっかりと引き継がれたようです(笑)なんつったって、私は子守唄の変わりにZAPPとかロジャーとか、比較的ヘビーFUNKを聞かせてましたからね。ビートは重めにメロディはシンプルにってのが我が家の家訓です(爆)それにしても、うちの子はオヤジのダンスレッスンを頑なに拒否します。なんでかなぁ~。昨夜も「踊り、教えてやろうか?」って言ったら、「お父さんの踊りは古いってお母さんが言ってたよ」と言われてしまい、「にゃ、にゃんだとぉ~!」と地団太踏んだ道楽親爺は「お前たちはお父さんの本当の恐ろしさを知らないから、そんな戯言にだまくらかされてしまうんだぞ」(って、だまされてるの?)と騒いだのですが、「だってお父さん、パパイヤ鈴木みたいな踊りなんでしょ」などとコカれてしまいました。「だって○○(長男です)は、ベッドでブレイクダンスの練習してるんだよ。お父さんブレイクダンス踊れないでしょ」 更に追い討ちをかけられた親父。「ブレイクダンスはなぁ~、あれは踊りじゃないんだぞぉ~」「ほらね。やっぱ、お父さん、古いんだよ」悔しいけど、言い返せない自分がちょっと情けない(笑)みたいな。くそ~、こうなったらひそかにどこかで特訓でもするか、と衝動的に血迷ったジジイですが、残念ながら踊りに賭けるそんな情熱はすでに消えうせております(泣)ああ、このおとーさんの実力が、いつかは子供たちに認められる日はくるのでしょうか(爆すべてはこの夏の暑さのせいなのでしょう(大笑)
2007年05月20日
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あっという間の1週間がまたも過ぎ去りました(笑)このところオフィスワークが続いてちょっとお疲れモード入ってます。かれこれひと月は、ワープロばかり打っているような日が続きました。昨日、久しぶりに散髪に行ったら(少ないながらもたまには髪の毛を切ります・笑)、馴染みのおねーちゃんに「バケーションで日本に帰ってたの?」って聞かれました。「なんで?」って聞き返したら「だって色が白くなってるジャン」って言われて、腕を見たら確かに肌は色褪せていた。そうかぁ、最近は外にもあんまり出てなかったなぁ~と思い、今日はちょっとだけ散歩してきました。そーいえば、サイパンの散髪屋ってイコールおかまって知ってましたか?理髪師というか美容師というか、ほとんどがオカマなんです。まあ、これはフィリピン人の領域の商売なんで、フィリピンの日常習慣というか常識がそのままここでも生きています(笑)でもね、ニッポンのニューハーフとかと比べたら、やっぱこっちは未だジジイの時代のオカマのまんまです。だからあんまり違和感が無いのかも知れませんね(爆新宿時代もそうだったんですけど、赤坂時代も、私は結構オカマの友人が多かったんですね。別に私はその手の趣味はないんですけど、なんか、根が道楽者ですから、楽しい方に自然と引っ張られちゃうみたいなね。別に気持ち悪いとも思わないし、そーゆー意味では、私の場合、まず誰とでも仲良くなれますね。バイセクシャルみたいな(こらこら!爆)性格の好き嫌いは別としてね(笑)でもって、こっちのオカマ理髪師はまさに「貧しいオカマ」で、女装もしてないっつーか、できないっつーか(笑)、まあせいぜいお化粧くらいかな。それでも昔、新宿で立ちんぼしてたようなケバい化粧じゃなくて、たいへんシンプルなものです。だから、怖いっつーか、汚い(失礼!)っつーか、外見は男のまんまなんですね、ほとんどが。でも性格は、やっぱり良い子が多いですね。苦労人(笑)っつーか、人の痛みを解る人みたいな感じでしょうか。じゃあなんでおまえの担当理髪師はねーちゃんなんだ?ってお思いでしょうが、実はこの娘も、その昔ナイトクラブでホステスやってまして、まあ、あまり美顔とも言えず、結局長続きせず、なんとか理髪師になって踏み止まった(笑)みたいな境遇なんです。そりゃ、なんつっても世界の出稼ぎ人ですから、自国には帰れないみたいな根性で、とにかくみんな生活力逞しいです、フィリピン人は。でもって、クラブ時代の顔馴染みってこともあって、もうかれこれ5年以上、ここの常連になっています。まあ性格的にそーゆータイプだから(ってかどゆータイプなんだよ)ここの散髪は$5なんですけど、私は$20払って残りはチップで置いてきます(笑)結局この娘の応援も兼ねて、まあ月に1度の生活支援みたいなもんです。別に下心があるわけではありません。ってか特に美人でもないし、好みでもないから。(なら好みだったら下心あるんかい?)ただね、性格がひじょうに良い娘なんです。ストレートで。あとはシャレですね。「$5の散髪に$15のチップ置いてきちゃったよ~」みたいな、そんなノリです。自分だって、人に施しできるほどの生活はしちゃいないんですけど、せめてね、自分の気に入った人間は応援してあげたいってな気持ちからです。ってことで、今日は道楽親爺の日常風景をお届けしました。せっかく散歩してきたので、画像を載せますね。日本もこれからいよいよサマー・シーズンですからね。そんな気分を味わって下さい。あと、南洋桜もだいぶ花がほころんできましたから、アップで載せときます。では皆様もそれぞれの週末をそれなりにお楽しみ下さい(笑)
2007年05月19日
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昨日、ちょっと暗黒街(笑)関係の話をしたら、日本ではいきなり物騒な事件が起こって、なんだか妙な感じです。しかし、本当に日本も物騒なことになってますね。いきなり警官撃っちゃうなんてのは、もう尋常じゃありません。報道では、犯人は元暴力団とか言ってますけど、プロがこれだけ過激なことをするってのはもう、かなり究極の危険が迫って来てるってことです。フツー、「暴力団だから当たり前」みたいな簡単な理屈で片付けますけど、道楽親爺に言わせたら、プロだったらいきなり警察官を撃つなんてことはあまり考えられません。逆に素人だったら、犯した罪の勢いで、脈略なく人を撃っちゃうなんてことはありますが、プロが仕事するときは必ず懲役を想定しているはずですから、標的以外を撃つことがどれだけ大きなリスクであるかはよ~く解ってるはずです。ですから今回の場合のように、躊躇無く警察官を撃ったってことは、これはもうかなり末期的な状況と言えるでしょう。つまり、これは仕事じゃないってことですよね(笑)この事件の前にも、暴力団関係という男が拳銃を撃って立てこもった事件がありましたが、ああいった結末ならそれなりに納得できるんですけど、今回の事件は身内の問題でここまでやる以上は、当人はもう死ぬ気でしょうから、危険きわまりないです。死ぬ気ってのは、もう自分を縛るものが何もないってことですから、これほど怖いものはありません。道楽親爺的に言うと、ニッポンは「暴対法」を作った時点で危ない「国」宣言をしたのだと思います。これもよく言われがちですが、「必要悪」とかいう類のそんな簡単なものじゃなくて、善悪揃ってひとつなんですから、そのどちらかが欠けたら成り立たないわけです。善と悪の解釈なんてものは、国や地域、グループや個人でも判断が難しいし、おおざっぱに別けて存在させてるからこそ、世の中が回ってるようなもんです。昼があるから夜があるんで、どっちか片方だけになったら、それこそ不健康極まりないわけです。まあ、こんな抽象的な表現では解りづらいでしょうが、一般社会からはぐれた者はそれなりの受け皿があって、その中でそれなりの秩序を保てたということです。それを、みんなひっくるめて同じ秤にかけようっていうんですから、これはちょっと乱暴なことです。正直言って、今の日本では拳銃どころか、機関銃やバズーガ砲だって手に入ります。ただ、それらが出回るルートに秩序が無くなってしまってますから、こんな物騒なことはないわけですね。更に、裏の稼業と呼ばれた人たちの職業を、表の稼業の人たちが横取りを始めたわけですから、そりゃ切羽詰った裏稼業の人たちは、稼業を捨ててフリーランス(笑)になっちゃうってことですよね。しかも、これを国家権力が後押ししています。いわゆるこの構図の基本が「暴対法」ですね。更に恐ろしいのが「個人情報保護法」です。個人の情報が守られるから良いじゃないかって?う~ん、では、その情報を管理している人はどうなの?ってことですよね。つまりこれは、管理する人は聖人君子、精錬潔癖、間違ったことは一切しません、てなことを無条件で信用するということです。これは本当に危険なことで、少なくともルールのあった世界を、ワールドワイドに広げてグローバリズムの波に乗せてしまったんですから(笑)、自由貿易、自由競売(笑)、早い話、ルール無用のバトルロイヤルと化したもと言えるのではないでしょうか。大体、ニッポンの警察、ゆわゆる国家権力の成り立ちを、ちょっと調べれば誰にでも理解できると思いますが、安全大国日本の警察機構の成り立ちは、暴力団の支援なくしては語れません。それは国家という建前の表世界を維持させるために、自ら地下に潜った稼業の人たちがあったからこそ成し得た事実でもあります。まあ、必然的というか自然の流れで、こうした明暗の世界が生まれていったのですが、近年はこの表の稼業の人たちが裏の稼業を陵辱し始めたという結果こそが「暴対法」に現れているわけです。もちろん、これも時代の流れといえば、それで終わってしまうのでしょうが、こっから先はみんなが、それぞれ個人で責任を持って危険のリスクを背負うということです。ということで、今日のジジイの屁理屈、ちょっとノーガキこきすぎでしたか?なんかね、あまりにもこのニュースが衝撃的だったもので、ちょっとムキになってしまいました。
2007年05月18日
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昨日、知り合いのおっさんが遊びに来ました。かれこれ2年ぶりになるでしょうか。知り合いと言っても、さほど深い付き合いがあるわけではありません。しかもかなり年上です。(ってことは、もうおっさんというより爺さんですね)「なんや、ちょっと見んあいだに随分老けよったなぁ~」大きなお世話です。「そりゃ、みんな年取ったら老けますよ。お互い様でしょ。しかし久しぶりですね」この爺さんも充分老けてきてます。左前歯が1本欠けてました。「実は1年ほどのぉ、パクられておってのぉ、出てきたらパスポートも取られてしもうたんじゃ」(この爺さんは広島出身です)「そりゃ災難でしたね」「おう、ほいでな、8ヶ月のパスポートなら出しちゃるいうもんでよ、やっと来れたんじゃ。でものぉ、タイとサイパンしか行けんのよ、しかものぉ、8ヶ月じゃけん、あと何回これるんかいのぉ」ってことで、相変わらず道楽親爺の知り合いにはロクな方はおりません(笑)この爺さんとの出会いもまたしょーもない事件が発端だったんですが、何故か、チョクチョク遊びに来るようになって、いつの間にか「お知り合い関係(笑)」になってしまったと言うような感じです。せっかくですから出会いのエピソードなど御紹介しちゃいましょう。ってか、別にそんな話にご興味もないでしょうが、他に話すこともないので、暇つぶしにお読み下さい(笑)かれこれ15年ほど前でしょうかね、日本のバブル全盛期のころです。当時はどこもかしこも景気が良くて、特にサイパンはビザなしで入れる唯一の米国領だったので、米国のイミグレーションでは必ず弾かれるお客様が沢山お見えになっておりました。(いわゆるイエローコードってヤツに名前が載っている方々です)その中に、東側の圏内では大変著名な方が一人、常連客としてよくお見えになってまして、私はこの方ともある特殊な事情で「お知り合い関係」でございました。(ってか、危ない関係じゃないよ・笑)(ってか、これまで話してると長くなるので)でもって、この著名人がゴルフをしたとき、たまたま後ろに前述の広島のおっちゃんが回っておりまして、中々に威勢の良いおっちゃんですから、あるホールで打ち込んでしまったのですね。(注)え~、この打ち込むというのは、ゴルフ用語(笑)で、前を回っているプレーヤーがボールの射程距離圏内にいるにも関わらず、後ろのプレーヤーがボールを打ってしまうことを言います。圏内ですから、ボールが当たったりしたら大事故になったりしますので、マナーとして、打ち込みはご法度、タブーのようなものなのです。まあ、たまにヘタクソなプレーヤー、初心者とか、やたらプレーが遅い人とか、「早くしろ」というメッセージを込めて(笑)、時々行われる場合がありますが、通常は、紳士のスポーツ・マナーに則って、暗黙の了解でもあります。さあ、広島対関東の抗争事件勃発です(笑)と思いきや、某著名人が広島のおっちゃんを呼んで二言三言話すと、おっちゃんはプレーを中断してコースからリタイヤしてしまったのです。そして、この広島のおっちゃんはクラブハウスへとやって来て、たまたま昼食中であった私の席に勝手に座り込んでこう言ったのです。「田舎や思うてバカにしとったんけど、なんね、此処は誰が経営しとるんかいのぉ」「だ、誰って、ここは現地法人ですけど、資本は大阪のXXです」「ほうか、関西やったんか。。。。。。」と勝手に納得したかと思うと、今度は急に態度が柔らかくなって、再び質問です。「ひょっとして、あんたも神戸の関係者ですかいのぉ?」「えっ?神戸?違いますよ、私は東京です」「いや、名前がそうやったから、ひょっとしたら思ってのぉ。なめたらいかん思うて・・・」(注)たぶん、この会話、さっぱりわからないと思いますが、私の苗字が神戸の大きな組に属する著名人と偶然同じだったので、このおっちゃんは関係者だと思ったのでした。というわけで、こんなきっかけから知り合いになったのですが、よく考えたら、こんな短い会話で内容を理解した私を、このおっちゃんはやはり同類と判断したのでしょう(笑)結局、同じ臭いを持ってる者同志はいつのまにか「お知り合い関係」になるということでしょうか(笑)ちなみにこの広島のおっちゃんは、浅草でソープを経営しておられる実業家でございます(爆)この度も若い女性をお連れになりまして、リゾートを満喫しておられます(笑)ただし、ご家族と一緒にお見えになる時は必ず、その年の初めての旅行という設定を演じなければならない裏方の苦労もあるのです。あまりに会話が盛り上がってまいりますと、墓穴を掘ることもあり、なかなかテンションの高い関係でもあります(笑)
2007年05月17日
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昨晩は、つい最近開店したレストランに行ってまいりました。レストランというよりは「食堂」といったノリのお店ですが、知人の奥様が開業されたとのことでちょっと顔出してみました。こちら現地では、日本人男性とフィリピン人女性のカップルというのが日常的(笑)でありまして、働き者のフィリピン女性はこじんまりと家庭に収まるという日本の風習を嫌い、とにかく何でも仕事を始めるのがお好きなようです(笑)ということで、本日はとりとめもなく流れていった昨夜の出来事、その模様を存分にお楽しみいただきたいと思います(笑)「いやぁ~、中々小奇麗なお店じゃないの。で、ナニ食べさせてくれんの?」「まだ、メニューが少ないんで、適当に食って下さい。安いですから・笑」「なになに、トンカツ・セットにポークジンジャー、おっ納豆定食なんてのもあるよ」「いちおう、日本の料理を出そうと思ってるんですよ」そこへフィリピン人のお客が数人やってきました。(何故か小声になる)「ナニここ、フィリピン人向け日本料理の店?」「フツーの和食レストランは高くて行けないからなぁ」「日本料理食べるのもいちおうフィリピン的ステイタスなんだろ・笑」「じゃあ、オレはこのシェフお薦めのパスタ・スペシャルってのにしてみよう」「日本料理って言ってんだから、日本のメニュー頼んでやれよぉ」「だって、もしとんでもないものが出てきたら困るじゃん」「大丈夫だって、ここのカミさん、3年ほど日本に住んでたから、言葉も喋れるし、日本の味もよく知ってるから」「そうかぁ、でも、やっぱ最初は無難なものにしとくよ」でもって数分後、何故か全員に味噌汁が運ばれてきました。「ふ~ん、味噌汁なんかちゃんと作ってんだぁ。ってか、オレ、パスタなんだけど・笑」「ハイ、ハイ、ダイジョブ、コレ、サービスノスープダケ」(ふ~ん、サービスなんだ)次に山盛りのサラダが来ました。「コレ、スペシャル・パスタノサラダデス」(ってか、これ二人前はあるぞ)続いて、隣のおっさんにはミックスフライが運ばれてきました。さらに続いて全員に皿盛りの御飯・ライスが配られました。(ってか、オレ、パスタじゃん)「ハイ、コレ、ミンナ、ライス、サービスネ」(ってか、そんなに喰えねぇーよ)続きまして、「鉄火巻き」の登場です。「えっ?これ海苔巻き?」驚くのも無理はありません。テーブルに運ばれてきた「鉄火巻き」は、なんと海苔巻きを斜に切って花模様に並べてあったのです。「うぉ~、オレ、こんなの初めて見たよ、スゲー」(ってか、なんだよこれ?)最後は私のパスタ・スペシャルです。大皿にど~んと盛られた、きしめんのようなパスタにマッシュルームとアサリが絡めてあります。(ボンゴーレみたいなぁ~)そしてフランスパンのスライスが3枚。「これ、オレ一人で食うの?」「良いじゃねーかよ、オレの花盛り鉄火巻きよりメニューっぽいじゃねーか」(笑)「でも、これでどうやって御飯食べるの?しかも味噌汁まで付いてるし」「良いじゃねーかよ、おかずと御飯だから。オレなんか海苔巻きおかずに御飯食べるんだぞ!」(ってかちょっとムッとしてます)「おまえは良いよなぁ、ミックスフライで。無難だったよなぁ~」「でもないぜ。これ、フライっていうかソテーに近いし、なんで春巻きが付いてんだろ」彼のお皿には、海老、魚白身のフライの横、春巻きが2本乗っかっていました。「フライついでに揚げちゃったんだろ」爆笑!「おっ、そろそろ陽が落ちるぞ。見れるかなぁ、グリーンフラッシュ」太陽が水平線に沈む一瞬、エメラルドグリーンの光沢放つことから、それをグリーンフラッシュと呼んでいます。ロケーションは夕陽が間近に見える絶好のスポットです。全員で窓から海を眺めました。想像して下さい。ジジイが三人窓から夕陽を眺めている姿、しかも回りは思い切りローカルのフィリピン風日本レストラン(笑)ひじょうに間抜けな光景です。「あ~、惜しかったね。後ろの雲がちょっと多かったよ今日は」素晴らしいサンセットでしたが、残念ながらグリーンフラッシュは見れませんでした。ごちそうさまでした。ビールと焼酎、その他おつまみみたいな(笑)メニューを頼んで、お会計$43はさすがに安かった。一人$14くらいですか。夕暮れの小さなレストラン、3人のおっさんはそれなりの夕食を済ませ、胸焼け気味の胃をおさえながら無事帰途についたのでした。めでたし、めでたし。。。。。おしまい。
2007年05月16日
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昨日はちょっとヤケクソ気味でいい加減なSituationを描いてしまいましたが、まあ、正直言って、皆様の日常にこうした場面が何気なく繰り広げられているわけですよね。そんな毎日の中で、ふと立ち止まったときに感じた「関係」を御紹介してみただけです。こいつとオレの関係はなんなのだろ?って思ったとき、「お金」以外の結び付きしかないという「真実」を率直に受け止めると、昨日のようなシーンが展開されるわけです(笑)昔はそれでもなんとか回っていたんでしょう。だから、未だにそのイデオロギーから抜け出すこともせず、ただ過去からの惰性で流されている組織なんてのも、まだまだ沢山ありますね。本人は全く気付いていない場合がほとんどですが。これからの時代は、やっぱり人間と人間のつながりが、生きる上での重要なファクターになってくると思うんです。(ジジイのくせして、まだまだ青いですか?笑)今までは、人間性よりも、なにはともあれ生活の安定=お金という構図の中で回っていたからこそ、理不尽な忍耐や重労働を要求されても、みな頑張ることができたんでしょうが、昨今は、たとえ無職になろうとも「餓死」するなんてことはまずないでしょうから、それほどこの構図に頼ることもなくなってきています。ですから、ちょっと角度を変えて見ると、案外バカバカしいと思うことも随分とあります。いわゆる上司と部下の関係にしたって、基本的には「お金」の関係が介在していますから、このメカニズムをよ~く考えてみると、そこでの人間性なんて結局は、後から付け足した存在価値みたいなもんです。だって、その人の魅力で上下関係が生まれたわけじゃなくて、既成の関係の中にそれぞれがはめ込まれたところがスタートなんですから、極端に言えば相互で選ぶことのできない関係ということになります。まあ、運がよければ、多少は自分の好みの相手とぶつかりますが、運の悪いヤツは一生暗い生活に押し込められてしまうような状況も発生してしまうのです(笑)それでも昔の人はそこに、哲学だの倫理観だのをなんとか導入して、「人生辛抱だ」とか「どんな環境でも学べる」とか、現状を納得させる方法を生み出したわけです。果たして、そんな教訓的人生哲学を実践して成功した人が何人いるのか、ちょっと疑問ですが(笑)、少なくとも理想を生み出したことによって、日々の生活が多少なりとも明るくなったのは間違いないでしょう。では、今はどうかというと、そこまでして得られるモノは何か?というような対費用効果で考えられているようです(笑)まずは、その代償を計算してからアクションを起こすみたいな感じですか。まあ、それも今の時代じゃ悪くは無いと思います。(所詮拝金主義だからね)昔のように選択肢がひじょうに狭い中での考察ではありませんから、幾通りもの人生のパターンだって、雛形みたいにそこらじゅうに転がっています(笑)逆説的ですが、だからこそ新しいモノを生み出す可能性が少ないってことでもあります。ということで、道楽親爺のライフワークである非生産活動を、ここであらためて皆様にご提案したいと思います。今までのシステムを壊して新しい時代を作るためには、過去のパターンに拘ったり、乗っかったりしてはいけないのです。今の時代、一番大切なことは、「無駄なことをする」ことなのです(笑)無駄の浪費こそ、人間の本来の姿なのです。決して金銭的意味などをこじつけてはいけません。ただ「楽しいことをする」のです。そこには複雑な人間関係や、ややこしい人生哲学などは一切ありません。あるのは「やってて楽しい、面白い」ということだけなのです。そして、そこでめぐり合った「楽しい仲間」こそ、真の人間関係誕生の第一歩なのです。一緒に遊んで楽しい人、同じ楽しさを共有できる人(茶飲み友達じゃないよ・笑)、つまり無駄の浪費をシェアできる人、そんな出会いにこそ、これからの新しい時代、新しい世界を創りだすキイが隠されているのです。本日も道楽者のくだらない与太話にお付き合い頂き誠にありがとううございました(笑)今日も一日、皆様の生活が素晴らしいものでありますよう、心よりお祈り申し上げます。ではまた明日。。。。
2007年05月15日
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全国の道楽ファンの皆様こんにちは。今日も道楽親爺のあんまり役に立たないブログで、束の間の休息、暇つぶしをお楽しみ下さい(笑)昨日は「母の日」で、すっかりジジイになってしまった放蕩息子の成れの果て(笑)、道楽親爺は久しぶりに年老いた母に電話などして、50数年の懺悔などもしつつ、しばし、人の一生あるいは人生などについて考えてしまったのでした。といっても所詮は道楽者の浅はかな屁理屈ですから、毒にもクスリにもならないのですが、せめて厳しい現実の束の間の逃避、異次元世界へのワープで、日々の鬱憤を晴らし、溜飲を下げる効果は多少ありました(笑)そこで、せっかくですから皆様にも、昨夜、道楽親爺が垣間見たワープの世界を御紹介いたしましょう。昨日はこのブログにもちょっとした「人生論」の真似事みたいなことを書きましたが、書いた後、色々と恥多き自分の過去などを振り返って思いついたことがあったのです。結局、今の世の中は「拝金主義」と呼ばれるように、「金の有るヤツ」が「金の無いヤツ」を使って遊んでいるわけです。まあ、先祖代々からの資産家、財閥、ロイヤル・ファミリー(笑)は別として、いわゆる一般的に「金の有るヤツ」は、どこかでヒトヤマ当てて成金になったはずですから、元々は「金の無いヤツ」だったわけですね。その成金を達成したヤツは運も強かったのでしょうが、やはり、それなりの「志」とか「向上心」などがあったからこそ、人の上に立てたのだと思うんですね。松下幸之助さんとかソニーの初代社長とか、トヨタとか京セラとか、まあ、ニッポンを背負って立つ民間企業の創業者の皆様は、やはり人間的な魅力を持っていたと思うんです。ただ逆説的に言えば、その時代だったからその理念が生まれたんだとも思うんですね。むしろ、時代が必要としていた新たなイデオロギーを創出した人たちでもあったのです。そして、そういった方々が残した遺産が現代にも継承されているわけですが、今やその二代目から三代目に入りつつある現在、果たしてこれら創業者の理念とか哲学みたいなものは未だ有効なのか、という疑問が生まれます。昨今の自治体の不始末や、公共団体の管理能力の無さを見ていると、殊更こうした疑問が増幅されます。道楽親爺の目には、どうしても彼らが「国民の下僕」としての責任感を持って働いているとは思えないんですね。もちろん、それら納税者の代表を、選ぶ側にも問題があるわけで、実際には自分たちの国がどうなっているのか、考えさせないような仕組みを作りあげておいて、自分たちだけで「この世の春」を維持してきた「金の有るヤツ」だけが悪い、とも言えない今日この頃です(笑)そこで、ジジイはハタと気が付いたのです。ってかこっからワープの世界に入ります(笑)そうです。みんなで、このシステムからの脱出を企てるのです。まず、能力も資質もないアホな資本家たちと、本音で戦うことから始めましょう。所詮はマネー・ゲームですから、どうせ遊ぶならしっかりとした「志」を持ったゲームにするべきなのです。ただ「金が有る」というだけの理由で、人の上に立っているしょーもないバカに現実をしっかりと教えるのです。彼らは、「金が有る」という唯一の存在価値が自分を形成しているということを薄々は感づいていますが、ずっと長い間、誰も面と向かって言う人が居なかったため、それが自分の才能だと勘違いしているケースが多いのです。「金が有る」というのは才能ではなく、単なる生まれ合わせに過ぎないのだ、ということをきちんと言ってあげるのです。「このプロジェクトは必ず○億円の利益を生み出すのだ」「ふ~ん、でも今まで成功したプロジェクトはひとつもないじゃん」「な、なんだとぉ、おまえはこのオレの企画をバカにするのか」「違うよ、バカにしてるんじゃなくて、バカだって言ってんの」「おまえ、オレにそんな口聞いて、どうなるか解ってんだろうな」「わからなーいから、おせぇーて・笑」「な、なんだとぉ~、お、おまえ、ク、クビにするぞぉ~」「キャー!クビにしてぇ~、お願い~」「うぐっ・・・・・・(地団太踏んでる音)」「あんたはね、ただ親の財産無駄使いして遊んでるだけで、才能も人徳も教養もないの。金持ってるってこと以外、な~んもとりえのない単なるバカなの。だからナニやったって所詮ダメなの。わかる?」「ク、クビだぁ~!」「はいはい、クビでもなんでもしてチョーダイ。それでも現実は変わらないし、あんたのバカも治らないの。ほんじゃね、ど~も、ど~も、みなさん失礼こきました」(爆!)いかがでしたでしょうか?こんな日がいつか来ることを夢見て、みなさん今日も1日頑張りましょう(笑)
2007年05月14日
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今日は久しぶりにのんびりした日曜日。そして母の日です。道楽親爺は日本にいるこのしょーもない道楽者製作者の母親に電話しました。おかげさまで長生きしてます。ご期待に沿えず、こんなしょーもない道楽息子となってしまいましたが、それはそれなりに頑張ってます(笑)しかし、つくづく思うのですが、人生ってのは背泳ぎですよね。(でたぁ~、ジジイのノーガキ)生きるってことは、空を見て泳いでる状態に似てると思うんです。向かっている目的地は、イメージするだけで実際には目に見えません。視野に入るのは自分が泳いできた軌跡みたいなものだけで、それも実際の視野からは次第に消えていきます。どこに向かって泳いでいるのか、何に向かって進んでいるのか、到達点はイメージだけ。あとは周りの景色を見ながら方向を見定めて泳ぐ、泳ぐ、泳ぐ。その繰り返し。時々疲れて、体を水に浮かせて休むこともあるけど、来た道をそのまま後戻りすることもできず、右往左往しながらもとにかく泳ぐ、泳ぐ、また泳ぐ。でも、時たま横に並んで泳いでくれる仲間がいます。(イルカじゃないよ・笑)同じ方向に進む仲間が居ると気がまぎれます。どこまで一緒に泳いでいくのかはわからないけど、とにかく泳げと励ましあって泳ぎます。そのうちに仲間も、それぞれの進む方向に向かってまた別れていきます。どこまでいけば終わるのか。いつまで泳ぎ続けるのか。誰も教えてくれないし、もちろん誰にもその答えはわからないでしょう。以前見た映画で面白い問答がありました。願い事を叶えてくれるという「神様」だか「悪魔」だかに出会ったひとりの男。彼の願いは「人生の答え」でした。人としてこの世に生まれてきた誰もが持たされてきた封書です。彼はその封書の中の答えを知りたいと願ったのでした。人生の答えさて、神様だか悪魔だかわかりませんが、人間を超えた存在が彼に与えてくれた答えは一体なんだと思いますか?「人生の答え・・・・・・・・それは自分で見つけること」とにかくみんな頑張ってなんとか泳ぎ切りたいものですね。皆様もどうぞ、良い日曜日、良い母の日をお迎え下さい。ではまた明日。
2007年05月13日
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またしても、あっという間の1週間でした。今日は空港に行ったので、フレーム・ツリーを撮って来ました。火焔樹=フレームツリーは、別名南洋桜と呼ばれて親しまれています。花びらが日本の桜に似ていることと、その開花した風景が日本の「お花見」に似ていて、戦前の人々が故郷を偲んでそう名付けたと言われています。例年、この時期、5月~7月あたりに満開となります。世界的な異常気象のせいか、今年も開花はちょっと遅いようですね。未だ七部咲きといったところでしょうか。満開になると、島全体がこの赤い色で覆われます。飛行機から見たその光景は、日本で言うところの秋の紅葉にも似て、たいへん鮮やかです。元々原色が映える南国ですから、空と海のブルー&ホワイトにこの朱色が混ざると、それはそれは綺麗なものです。ということで、空港から南洋桜を見ながら繁華街を経由して帰ってきたのですが、途中でちょっと面白いものと遭遇しました私はここに20年以上住んでますが、サイパンで初めて見ましたよ、鯉のぼり(笑)誰が立てたんだろう?まあ、まず日本人であることはまちがいありませんが、中々できることではありません(笑)ってか、未だに風にたなびいてます。ってか、一番上の吹流しがやたら大きく見えて、せっかくの鯉が擦れてしまってる気がしますね。それとおとーさん鯉、おかーさん鯉、こども鯉、って大きさに段々があったんですね。すっかり忘れてました。ということで、今日もやたら暑い1日になりそうですが、ちょっとほのぼのとした良い気分の朝のドライブでした。どうぞ皆様も、暑さにメゲズ今日も1日頑張って、世の中のためにしっかりと働いて下さい(笑)
2007年05月12日
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昨日は子供の頃の思い出をちょこっと書きましたが、書いてるうちに色々なことが思い出されてきたもんで、今日は当時の「遊び」について書いてみたいと思います。昨日も言いましたが、あのころの子供のアソビっていうのは、全国ネットで流行っていたんですかね?まあ、アソビの数がすくなかったってこともあるから、みんな同じアソビをしていても不思議ではないのですが、そこらへんが妙に気になるジジイです(笑)メンコ、ベーゴマ、ビー球、ケンダマ。。。。。このあたりは全国展開したアソビですよね。地域によっては多少ルールの違いもあるようですが、同年代の子供なら大概知ってる遊びです。また、地域によって流行る時期も違ったりしてましたね。こっちでは今メンコ、あっちではベーゴマ、みたいなね。ある意味、これは学区域別流行だったですか?小学校によっては、違うアソビなんてのも随分あったのでしょうが、当時のアソビの伝播は口伝しかなかったと思いますから、外交上手な子供(笑)がいた学校は頻繁に情報がアップデイトされていたんでしょうね。逆に閉鎖的な学校は昔のまんま、年寄りの遊びを継承していた(笑)みたいなことですか。私が住んでた世田谷はのんびりした土地柄だったもんで、アソビも割と保守的だったと思いますね。学校で夢中になって遊んだってのはなんだろう?グランドに四角形を描いて、それを4等分した枠の中でボールをバウンドさせて回す、って遊びを随分とやってた記憶があります。4つの枠は、小学校、中学校、高校、大学って呼んで、小学校から初めて大学に枠まで進むっていう単純なゲームだったんですけどね。ボールを隣の枠に打ち返せなかったら負け、勝ったら枠を入れ替わるという、ほんとうにシンプルな遊びでした。確かこの遊びは「どん底」って呼んでたと思う。あとは、真中に大きな円を描いて、その中に片足突っ込んで、もう片方の足を伸ばしたところに自分の陣地として円を描き、ジャンケンで負けた人が勝った人を捉まえるっていう遊びが一時空前のブームとなったことがありました。鬼が捕まえた数だけ、自分の陣地の円を継ぎ足していけるという、コングロマリット方式(笑)の人生ゲームのようなもんでしたね。円を継ぎ足して陣地を広げ、相手の陣地を取り囲んだら時分の領地として吸収合併できるという、まさにM&Aを髣髴とさせる一大スペクタクル・ゲームでした。じゃんけんの掛け声が確か「ジャスコン・ピッ!」って言って、この遊び自体も「ジャスコン」って呼ばれてました。しかし、今考えると、まったく金が掛からない割には奥行きの深い遊びしてましたよね。日が暮れるまでずーっと遊んでて、気がつけばグランドの半分以上が円で埋まっちゃったりして、それを眺めて悦に浸るという、今の成金長者立身出世伝さながらのゲームでしたね。そう考えてみると、私らの場合、遊びのステージは学校だったんですね。なんだかんだ言いながらも学校で楽しく遊んでました。そーゆー私なんぞも、学校は遊びに行くところみたいに思ってたくらいですから、今の学校とは比べ物にはなりませんね。色々な意味で。実際に学校は勉強するところだって、本気で思ってたヤツってどのくらいいたんでしょうかね(笑)親には「ベンキョー」って言われ続けてましたけど、私自身、強制的に行かされていたものの、やっぱりそこは遊び場でしたね。徹底的に遊んでばかりでよく怒られました。だから、夏休みとか、長い休みになると、限りなく自由な時間を使えるんだけど、遊ぶ友達が近所の鼻タレばっかりなんで、結構飽きがきちゃって退屈したなんて記憶もあります。だから、朝のラジオ体操もそれなりに級友と顔合わせるのが楽しみで行ってたりしてましたっけ。あの頃育まれた遊びの精神は未だに根付いているんでしょうね。あれだけ夢中になれた情熱はさすがに薄れてきてはいますが、自分だけのこだわりの中で遊ぶ体質っていうのは、まさに道楽者気質ってことで、これも一生、死ぬまで持ち続けていくわけですね。(笑)
2007年05月11日
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ニッポンはやたら「暑い」ようですね。テレビのニュースで見ましたけど、昨日は33度もあったらしいじゃないですか。でも考えようによっちゃあ、「夏の前借り」みたいなもんで、ちょっとトクしたみたいなもんじゃないですか(笑)まあ、こっちは普段がとても暑いので、ニュース見ててもあまりピンと来ませんでしたけどね。ただ、街頭インタビューのシーンで子供たちの茹で上がった顔見てたら、自分の子供の頃の「夏」を思い出しましたね。昔はエアコンなんて便利なもんはありませんでしたから、夏っていえば、子供はみんな茹で上がった顔で、体から湯気出してましたよね(笑)今にして思うと、真昼間っから日が暮れるまで、炎天下でよーく遊んでましたね。そういえば、夏休み前になると「日本脳炎」とか「日射病」とか、定番の病名が登場して来ては子供達を不安の中に陥れたりしましたっけ(笑)「外出る時は帽子かぶってないと死ぬぞ」とかよく脅かされましたよね。でもって、たいてい年寄りが麦藁帽子とか買ってきてかぶらせるんですけど、ビンボーくさくて嫌でしたね(笑)あのセンスが。ジャイアンツの帽子にしてくれ、とか言っても、貸す耳もたんって感じでした。あと、心臓麻痺ってのもよく登場しました。プールに入る前は準備タイソウをしっかりしないと、心臓麻痺で死ぬぞとか言われて、結構怖かったですね。どんな感じで心臓が麻痺しちゃうんだろ?みたいな疑問もありましたが、別に学校以外でプール行くときは、みんないきなり水に飛び込んじゃったりしてましたよね。まあ、そんなこんなで、学校中で大騒ぎするくせに、実際に死んじゃったヤツなんて殆どいませんでした(笑)ところで、みなさんは子供の頃どんなアソビしてましたか?私ぁ、昭和30年生まれですけど、昔の頃のアソビって、地域とか学校によって違っていたんですかね?昔は、今みたいに全国ネットで情報が飛び交ったりはしてませんから、アソビの流行なんてのは実際に全国的なものだったのか、ちょっと気になります。もちろん私らの時代では、テレビが「流行」の全国統一を果たした初めての通信機器だったことは確かですが、中学生くらいになったら「ラジオ」が新たな統一アイテムになったりもしましたっけ。電話リクエストとかね(笑)「この曲は○○さんからのリクエストで、XXさんにプレゼント」とか、思春期の少年少女にとっては、ラジオで名前を公表されることがひとつのステイタスでした(笑)それにしても昔の子供は、あの夏の暑さの中でよく平気で遊んでましたよね。今にして思うと、どこ行っても「冷房」なんてなかったし、せいぜい扇風機くらいで、電車だって汗だくになって乗ってました。だから、海水浴なんてのも、満員電車にギュウギュウ詰めにされて、ようやく海に着くころはもう親はクタクタ、ヘロヘロで、一体何しに行くのかよくわかんなかったですよね。忍耐強かったね、みんな(笑)それでも子供は元気一杯、ずーっと遊んでましたっけ。帰りの電車で寝ちゃったりして、親は大変だったね、今にして思えば。ご苦労様でした(笑)あと、私の時代で忘れられないブームといえば、やっぱり「忍者」ブームでしょうね。なんだったんですかね、あのノリは。根来忍者の末裔とか、服部半蔵の末裔とか、よくわからん専門家も随分いました。最近でも「にんたま」とか「なると」とか忍者を扱った漫画もありますが、なんつったってルーツは私らの時代の「隠密剣士」とか「忍の者」、あとは「カムイ伝」とか「柳生武芸帖」「ワタリ」などの白土三平漫画ですよね。手裏剣とか撒きビシとか、クギや鉄クズ使って作っちゃうやつとかいたりして、夢中になって遊んだ覚えがあります。忍者部隊月光なんてのもありました。最近の米軍とかSWATとか見てると、ゲリラ戦の特殊部隊なんて、まるで忍者部隊そのまんまですから、案外このアイディアは時代を先取りしていたのかもしれませんね。なんか今日は話が飛びすぎましたが、ニッポンのみなさん、どうぞ暑さにメゲず今日も一日頑張って下さい。南国のジジイも暑さにメゲず頑張ります(笑)
2007年05月10日
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全国の道楽者の皆様こんにちは。非生産活動推進委員会がお送りする、あまり役に立たないブログです。今日も道楽親爺の与太話で、厳しい現実からしばしの逃避をお楽しみ下さい。しかし、なんだかんだとノーガキこきながらも、気がつけばこのブログも今月で3年目に入るんですね。よくもまあ、こんだけくだらないことを書き続けたもんだと、我ながら感心してしまいました。結局、ノーガキが好きってことなんでしょうが、あとどのくらい続けられるのか自分でも想像がつきませんね。ということで、日記の内容も時々過去の記事とダブることもあるでしょうが、昔から読んで下さっている方も、最近読み始めていただいた方も、あまり深く考えずに、ほんの一時の暇つぶしに、そのまま続けてお読み下さい(笑)さて、今日のお話は自然と人間についてのジジイのノーガキです。このところ、自然を「癒し」などと呼んでタイソウな商品価値にまで高めてしまう人がおりますが、自然ってそんなに甘いもんじゃありませんよね。最近、やたらと自然災害が増えているからそう思うのかもしれませんが、地震や津波や台風とか、そういったものがいわゆる「自然」で、果たしてその都合の悪いところは隠しちゃって「癒し」ってのもね、それこそ不自然ですよね(笑)そういった厳しい自然はどっかに置いといて、「自然こそ人間の最高の癒し」だとかノーガキこいて良いのでしょうかね。つまり、人間が自然と向き合ったときの選択肢は2つしかないと思うんですね。それは、「やるか」「やらないか」の二つです。台風が来る。「逃げる」か「残る」か。地震が来た。「逃げる」か「残る」か。とまあ、字で書いちゃうとあっけないんですけど、いわゆる自然と対峙した時の人間というのは、曖昧な判断という余地が残されていないということを言いたかったんです。厳しいよね。これを自然の側から表現すると、台風は来るか、来ないか、地震は来るか来ないか、ってことでしょ。中間ってのはないんですよね。来ると来ないの間、「来たみたいな」ってのはありません(笑)結局ジジイはなにが言いたいのかというと、現在の人間の生活形態というのが、この曖昧な判断で成り立っているということなんです。みたいな、っていう表現が流行るのもわかるような気がします。経済的活動で言うところの「株価」なんてのが良い例ですよね。上がるか下がるかは「確証みたい」なものを拠り所にしているわけでしょ。自然のようなきちんとした確証や根拠なんてないわけですから。下手したら、その確証を自分たちで作っちゃったりして、そしたら自然までコントロールできるような錯覚も持ち始めたのではないでしょうかね。ヒトが生存と生殖に必要以上のモノを生産しはじめたときこそが、ヒトとしての独特な経済活動を始めたときってことですか。生存と種の維持(保存)に不必要な、余分なものを生産するようになったことで、人間だけが、日常的な生活と、非日常的な生活を持つようになったのでしょう。生きることと、自分の子孫を残すこと、これ以外のモノを作り出しているのは、世界広しといえども(笑)、人間だけなんですよね。その人間が、「自然で癒される」ってのもね、ひどくおかしなものですよね。ってことで、あいかわらずのジジイの屁理屈いかがでしたでしょうか?なぜ、道楽者のジジイが非生産活動にこだわるのか、少しは理解して頂けたら幸いです(笑)さあ、みなさん、今日も1日頑張ってテキトーに生きましょう!
2007年05月09日
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連休も終わり、日増しに暑くなっていく今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。(笑)こちら南国も、太陽がやたらと近づいてきているように感じるほどに、日々暑くなってきております。でも、1シーズンの世界にいると、この季節があるってことがどんだけ素晴らしいことか、あらためて実感するものなんですよね。そう思うと、日本って国は春夏秋冬、きちんと4つの季節があって本当に素晴らしいところです。日本人の気質っていうのも、こうした環境から育まれたものだと思うし、なんといっても1年に4回も頭の切り替えが必要になるということが、独自の感性を生み出したのではないでしょうか。季節に備えるって表現がありますが、3ヶ月ごとに頭を切り替え、迫り来るシーズンに備えなければならないわけですから、よく考えたらボーっとしてる時間なんかないですよね(笑)そこらへんに日本人の勤勉さみたいなものを育む土壌があったのではないですかね。過去形で言ったのは、今はその自然の切り替えがあまりなくなってしまったからです。暑いって言えばエアコン、寒いって言えば暖房、旬の食べ物だって1年中食べることが出来ますから、頭の切り替えもだんだん鈍くなっていっちゃうんでしょうね。南国にいると、年中同じ暮らしが続いていますから、記憶の縦軸がよくわからなくなることがあるんですが、最近のニッポンもこうした記憶のリマークが欠けてきています。「あん時ゃ、みかん喰ってたから冬だろ?」とかね、旬の味覚も季節を越えちゃってるから、あまりあてにならなくなりました。それでも、肌で感じる季節だけはしっかりと記憶されますから、私のように年代まで超越したりはしませんよね。「あ~、そういえば、あの時は大雪だったなあ」とか、「夏が短かったんだよね」とか、大体、自分の年齢と時代のフォーカスを合わせることができます。ずーっと季節が一緒というのは、「あの時は暑かった」「この時も暑かった」「去年も暑かった」「その前も暑かった」って延々と暑かったしか続きませんから、去年の暑さと、おととしの暑さの違い、とかで記憶するパターンってのが不可能です(笑)だから、私の記憶は時々、同じ時代に居てはいけない人が一緒になったりして、ケッコー笑われることもあります。何年前だったっけ?なんてのもちょっと難しいですね。ただね、悲しいかなアウトラインはきちんと衰えているんだよね(汗;白髪も増えたし、ハゲも拡がったしみたいな(笑)ということで、今日はジジイの愚痴に成り下がってしまいましたが、「夏の初めのフィーリング」ってのは良いものです。着るものもダンダン薄くなってきて、肌も露わになるし、ぽわーんとした感じの中で海をイメージする広告とかも増えてきて、ワクワクしますよね。やっぱ冬より夏の方が良いよね。ってことで、夏ばっかりのとこに住んでるんだけど、人間なんて「ないものねだり」ですから、最近は冬に憧れたりしますね。長袖にジャケットとか着てみたいってか、身が引き締まる風ってのも中々オツなもんです。ちなみに、こちら南国のお金持ちは、お家の中に冬場をつくることが、ひとつのステイタスになってたりします。エアコンを死ぬほど強くして、長袖長ズボンにジャケット着込んで、まあどっちかっていうと冬ってか秋だよね、そんな季節をバーチャル体験する贅沢が好まれています。なんだかなぁ~って思いますけど、南国で生まれて南国で育った人々は、こうして異国情緒を味わうのです(爆)
2007年05月08日
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さて、ようやくゴールデンウィークも終わりましたが、皆様のホリデーはいかがでしたでしょうか。道楽親爺のゴールデンウィークはといえば、当然お仕事だらけの1週間でございました(笑しかも、この連休後半の金曜日には、ノースウェスト航空のフライト・キャンセルなどございまして、慌しい週末を余儀なくされたのでございます。(泣)まあ、この悲劇に遭われた方々も災難ですが、私達のようにこれを取り巻くお仕事をしている者は色々と事後処理が大変なのです。少ない機材(航空機)でギチギチの運航スケジュール、いわゆるチャプター・イレブン(倒産)間際のノースウェスト航空ですから、1フライトをキャンセルすれば、世界の運航スケジュールにほころびが出ます。したがって、当然翌日のフライトに影響がでるということですね。ということで、結局収まったのは、連休最後の日曜日、昨日のフライトでなんとかかんとか皆様無事ご帰国されました。(ちょっと疲れた)何を隠そう(ってか別に隠してないけど)、実は道楽親爺は小さいながらもホテルなんぞで働いておりまして、これがまた空港の近くなもんで、こういった緊急事態には航空会社には重宝がられるポジションにいるのです。そりゃ、空港の中、缶詰状態でさんざ待たされた挙句、「やっぱり飛べません」などと言われて「ああ、そうですか」なんて客がすんなり言うわけありませんから、「腹減った」だの「いつ飛ぶんだ?」だの「そんなら早くホテルに連れて行け」だの、客の苦情の嵐をできるだけスムーズに処理するためには、まずはできるだけ早くホテルに押し込んじゃうというのが常套手段です。人間なんて意外と現金なものですから、眉間にシワ寄せて、目を三角にしてさんざん騒いでいた人々も、ホテルに入って口の中になにか食べ物でも放り込まれれば、とりあえずは理性を復活させることができます。まあ、でも、アメリカの航空会社なんてのは、ケッコーいい加減ですから(ってか特にNW社はね)、こーゆー事態になると、日本語のわかる(喋れる)スタッフはいつの間にかいなくなっちゃうんですよね(笑)つい数時間前までは、チェックイン・カウンターで「キケンブツワアリマセンカ?」とか「オコサマワコチラカラドウゾ」なんて、妙に親切(大きなお世話)なスタッフがウロウロしていたくせに、キャンセルと決まった途端、全員英語しかわからないスタッフに早代わりします(笑)怒鳴ろうが喚こうが、「I’m sorry, I don’t speak Japanese」なんて、大抵の日本人が理解できる単語を並べつつ対応してくれます(笑)たまに血の気の多いおっさんとかが、「どないしてくれんねん!はよ、なんとかせえや!こらぁ」とか凄んだりして、ビビッた職員が空港セキュリティなどを呼んでしまって、連行、拘束されるというような大惨事になることもあります。(ほんとですよ)とまあ、そんなこんなですったもんだした挙句、キャンセルしたフライトは翌朝飛び立っていきました。今回は、本当に機材整備のためのキャンセルだったので、パイロットやクルーも全員宿泊しました。ってか、そんじゃ、本当じゃない機材整備って何よ?とお思いでしょう(笑)まあ、今はもう皆様もご存知でしょうが、座席数が採算分岐点まで埋まらないような時は、空港に駐機させて翌日の乗客と一緒に運んだ方が経費節減になるんですね。日本の空港は駐機料がメチャクチャ高いですから、そんな遣り繰りをするために、アジアの田舎空港がよく利用されるんですね。飛行機をそこに1泊させても、空席多数で飛ばすより安いみたいなとこです。そんなもんです。話しを戻して、フライト・キャンセルの翌日、その日は2往復しなければなりませんから、当然早朝出発になります。お客様には「ご朝食券」が配られておりますが、なにせ出発時刻の2時間前チェックインですから、結局朝食抜きで皆様空港に向かわれました。ホテル側はパッケージなっていますから、食べようが食べまいが、NW社に請求しますので、この場合「坊主丸儲け(笑)」となります。そうこうして、なんとか一夜のすったもんだも収まり、やれやれ、後は無事飛んでくれることを祈るばかり、と朝のコーヒーを飲みにレストランに向かったジジイは、そこで楽しそうに朝ごはんを召し上がられているフライト・アテンダント(ようするにスッチャーデス・笑)の皆様に遭遇し、またも世の中の理不尽さを噛みしめたのございます。
2007年05月07日
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今日5月5日は子供の日です。昔は「鯉のぼり」が欲しくてしょうがなかったんですけど、今にして思うと不思議ですよね。なんであんなものが欲しかったんだろ?私らの子供の時分、っていうか私の住んでた世田谷区梅が丘じゃ、鯉のぼりを立てられるような庭のある家に住んでいた子供なんて少なかったから、実際に風にたなびく鯉のぼりの実物を見たことなんてありませんでした。(笑)まあ、せいぜい図工の時間に作った画用紙の鯉のぼりを、窓の縁に洗濯物と一緒にぶら下げて楽しんだくらいのことでした(笑)でもって、数少ない庭付一軒屋に住む級友が自慢する「鯉のぼり」を、みんなで見に行ったなんてこともありましたっけ。なんだったんですかね、あの騒ぎは(笑)「こんにちは~、鯉のぼり見に来ました~」とか言って、自転車に乗っかってみんなで出かけていった鼻タレ小僧は、棹の上でだらんと垂れ下がった鯉のぼりをただじっと眺めては、「風吹かないかなぁ」とか言ってたんですけど、いったいなにが楽しかったんでしょうかね?今時の子供は鯉のぼりなんて喜ぶのでしょうか?我家?そうですね、さすがに外国にいるってこともあって、その昔、数少ない親戚の方から小さいながらも「兜」セットを送って頂きまして、毎年飾っていました。今年はメンドーなので出してません(笑)長男は今年で17歳になるんですが、テレビゲームの影響でしょうか、結構この手のものが好きです。そういえば十年ほど前に、友人から「日本刀」を贈られたこともありましたっけ。「無銘刀だけどよぉ、いざとなれば2~3人は斬れるぜ。居合い刀だから」って、ワケわかんないこと言って持って来てくれました。「おまえ、よく税関で捕まらなかったなぁ」って言ったら、「レプリカ、レプリカ、コピー、コピー」って言ったらすんなり通してくれたぜ」だって。(笑)でもって、「地元のよぉ、骨董商のダチから譲ってもらったんだけど、それでも10万円くらいはするらしいぜ」とノーガキ垂れたこの男は、横須賀で船の修理などを手掛けるエンジニアです。別にやくざ者ではありませんが、自慢できるほどのカタギでもありません(笑)「いちおう刃止めはしてあるから、使うときは磨師に出した方が良いぞ」と奨めてくれましたが、一体どーゆー時にこの刀の出番があるのでしょうか。ってか、刀の磨師なんてここにゃ居ねーぞ(爆)でもね、不思議なもんですよね。やっぱ日本人なのかなぁ。刀を持つとね、なんか精神的に気合が入ります。息子にも持たせたんですけど、初めは怖がっておそるおそる抜いたりしてたんですが、慣れてくると刀身をじっと見入ったりなんかして、逆にこっちの方が怖くなっちゃったりしましたね(笑)ただね、質問がまた子供らしくて可愛かったですね。「昔はこれで人を斬ってたの?織田信長みたいに」織田信長はテレビゲームの主人公です。「ああ、そうだよ。でもこれはその時代じゃなくて、合戦武士が侍としてお城で働いていた頃の刀なんだ。だから刀身っていって、刀の長さが短くできているんだ。これはね、家の中での斬り合いを想定して作られたんだよ。居合い抜きって言ってな、素早く刀を抜いて相手を斬るためのものなんだ」「・・・・ああ、そうか、座頭市みたいなヤツね」「まあ、そんなもんかな。でもあれは仕込み杖っていって、杖の形をした刀なんだ」ってか息子に何の話してんだよ、おまえは、って感じですが、さすがに男の子はこの手のアイテムには興味があるのです。「じゃあ、お父さんも刀で人斬ったことあんの?」「あるわきゃねーだろ(笑)それじゃ人殺しじゃねーか」「そうだよね。でもお母さんが、お父さんは昔不良だったって言ってたから、ひょっとしてあるかなって思ってさ」今時の子供たちにとっての「侍」が活躍していた時代って、どの程度の昔だと思っているのかちょっと不思議な気がしたのを覚えています。ちなみに我家では昨晩、家族会議でこの「兜」と「刀」を展示するかどうか(笑)協議しましたが、長男の希望で取りやめになりました。ってか、「どっちでも良い」という返答だったので、両親は即、中止決定をしました。(笑)面倒臭いからね。「でも、刀は見てみたいなぁ」の長男の最後の一言で、何故か自分の息子を頼もしく思った道楽親爺でした。(こらこら)
2007年05月05日
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パンパカパーンでお馴染みの横山ノック先生がお亡くなりになりました。私らの時代では「漫画トリオ」のメンバーとして人気のあった漫才師です。後年は大阪府知事など務められたオモロイおっちゃんでしたが、どちらかというと関西の芸人さんは破天荒な自滅型みたいな人が多いですよね。同じ横山でも、やっさんこと横山やすしさんは、また派手な人生で有名でしたが、やはり寂しい晩年だったようです。最近では突っ張り漫才の竜介さんも亡くなられたし、そうしてみるとノックさん75歳の死は安穏なる引き際だったのかもしれませんね。(合掌)まあ、しかし関西人というのは一般的に派手ですよね。大体がにぎやかだし、独自のテンポを持っているような気がします。比べて関東人は気取り屋が多いと言われていますが、これは生粋の東京人が少ないってことも原因のひとつではないでしょうか。元々、江戸は各地各藩のREP(代表)が形成した町の集合体ですから、いろんな国の文化がごちゃ混ぜになっているんですね。まあ、今風にいえば「大使館」の町が寄り集まって「江戸」という都を造り出したってことでしょうか。そうしてみると、関西人はもともと土着民が中心になっていますから、その体質っていうのはもう、やはり血統みたいなことになるんでしょうね。もちろん大阪も昔から大都市でしたから、近隣の国からの流入もあったでしょうが、本質的な人情というのはその根底に脈脈と受け継がれてきたのでしょう。もうひとつの大きな違いは、江戸は「大使館」である武家屋敷が中核をなしていたのに比べて、大阪は商人が中心になって栄えていったということだと思います。江戸っ子の「見栄」みたいなものは、やはり侍のしきたりから派生してきたものだと思うし、浪速の「そろばんずく」はやはり商人の気質から代々受け継がれてきたものではないでしょうか。まあ、言ってみればこのあたりが、関東対関西の気質の違いのぶつかり合うルーツなんでしょうねもうちょっと大きな分布で言うと、北からの流れで関東、南からの流れで関西というようなトレンドもあるのではないでしょうか(笑)私も血統的には、福井~新潟あたりからの流れを汲んでいますから、どちらかといえば関東圏に属しますが、裏日本からの流出先としては京都なんかもあったようですね。京都もまた一風変わった気質を持つ土地柄といえますね。関東と関西の間に挟まって、大変上品な風貌の都という感じがします。やっぱり公家が多かったからでしょうか、侍も町人も見下したようなところがありますよね(笑)でも顔とか表情には出さない、みたいなね。田舎者をからかうようなところがあります。京都出身の宮崎学親分が著書で書いていますが、「湯豆腐」は京都人のプライドとおちょくりが生み出したメニューだと指摘しています。それは、豆腐なんてものは元々冷たいから美味いので、それをたいそう品格のある料理に見せかけて田舎者に食べさせて、腹の中で笑う、その陰険さが京都人の血だとも言っています。これは京都のあじどすえ、みたいにして勧めておいて、いかにも「通」ぶって食べる相手を、「よくもまあこんなまずいものを。。ぷっ」みたいにおちょくる根性が、代々武家によってないがしろにされてきた公家の意地、みたいな表現をされていたのが印象的です。天皇はいつも時代の武力に利用されてきたわけですから、本音を見せないという体質は長く続いた歴史から生まれてきたものなんでしょう。それでも、ニッポンは島国ですから、全国津々浦々、本質的な部分はやはり同じでしょう。民族的にも、あまりにもかけ離れた民族に侵略されたこともないし、蹂躙されたこともありませんから、同じ民族という最低限のつながりだけは信じられるのではないでしょうか。まあ、そんなところがニッポン人のノーテンキなところかもしれません。島から出なけりゃ、とりあえず平和は守れるみたいなね(笑)それでも、そんなニッポンの平和もいつまで続くのでしょうかね。。。。。。
2007年05月04日
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昨日の続きでもう一発ノーガキこきますね。屁理屈好きの方もそうでない方も(笑)、しばし憩いの一時、今日の暇つぶし(笑)としてお楽しみ頂ければ幸甚と存じます。なんちゃって。とにかく世の中はある一定の法則というか、パターンというか、型というか、そんなものに人をはめ込んでいるわけですが、やはり大事なことは自分の気持ちというか、意思を持つということではないでしょうか。そう言うと、なんだかワガママ放題、勝手な自我を通すみたいに聞こえますが、そうではなくて、自分で選ぶという行為について、もう一度考えてみましょうという提案です(笑)昨日も言いましたが、ご多分に漏れず私も若い頃がありまして、アホな行為の限りを尽くして遊びまくっていたころ、見かねた大人がこのどーしょーもない若造を捕まえては、色々とお説教などをかましてくれました。まあ、世間一般にいうところの「常識論」みたいなことだったんですけど、今にして思えば、これらのアドバイスは結局なんの役にも立たなかったってことですか(笑)「いつまでもそんなことしててどうすんだ」とか「まだ今ならやり直せるぞ」みたいなことでした。つまり、そんなわかりきったことを言われても、それは単なる将来への脅しとしか聞こえなかったし、結局は、「そんなトコに居ないでこっちに入れ」って言われたようにしか受け取れませんでした。もちろんへそ曲がりの私は「へっ、大きなお世話だ、俺はおめーらとは違うんだ」って突っ張ったりして、「オレは君たち平民とは違うのよ」みたいなね、コンプレックスの裏返しみたいな勢いがありました。(結局、平民以下に成り下がりましたが・笑)なんであんなに反発したのか、今にしてようやく、その時の自分の「思い」が何だったのかに気がついたのです。それは、その説教者たちが、私自身の才能とか資質とか本質的な部分を無視して、自分たちが住む一般常識の中に取り込もうとしていたのが、たぶん本能的にわかっていたからだと思うんですね。でもって、それはいわゆる我々が施されてきた「教育」と同じことで、とにかく、何でもいいからこの枠の中で生きなさい、というような押し付けが我慢ならなかったんですね。たとえば、私は一時服飾デザイナーになろうと思ったりしたこともあったんですが、そんな時でさえ、周囲では私の資質についてではなく、一般的社会の枠の中でしか見てくれてなかったんですね。「そんな夢みたいなこと言って、おまえにできるのか」とか「デザイン学校なんて出たって、どうせロクな就職先なんかないぞ」(うん、それは確かだった・笑)とかね、要するに、自分を殺して社会に順応しろとしか聞こえないアドバイスばかりだったわけです。そんな昔の自分を振り返ってみても、結局、生きていく上での選択肢を狭めることが、当時の学校教育だったのかなって思うんですね。今はどうか知りませんが、なんで、こんな画一的な選択肢の中に子供を置くのかってことですよね。でもそれは、当時の日本の経済基盤から言えば当然だったのかなとも思えるし、次世代の経済を担う目的とか、将来の子供たちには今の自分たちよりもっと裕福な暮らしをさせたいと願う、親心みたいなものであったのかもしれません。(ちょっと大人になった?)現在も経済的に貧困な近隣アジアでは、そんな選択肢の前に「生死」を分ける選択肢があって、今の日本人には想像もつかない現実の中に身を置く子供たちがゴマンと居ます。じゃあ、これらの子供たちにどれほどの違いがあるのかっていうと、それは入れ物が違うだけで、心の使い方はたぶんそれほどの差はないと思えるんですね。なにが言いたいのかというと、貧困の中で「生」を全うするためには、たとえ少なくとも自らの意思で選ぶ選択肢というものがあると思うんですね。人任せではなく、自分で決断しなければならないという状況があります。それは決して周りから押し付けられたものではなく、自分が選んで進んでいく道なわけです。かたや、ニッポンの子供たちはどうかというと、あり余るほどの選択肢があるにもかかわらず、自らの意思でそれを選ぼうとはしていないように見えて仕方がないのです。どっちが良い悪いではなく、どちらも不幸な状況なんですが、私が言いたいのは「生きる」ということを知るのは、自分の道を自分で選ぶという行為の中でしか見出せないというようなことでしょうか。こんなに沢山の選択肢がある日本で、なぜこんなに沢山の子供が自らの命を絶ってしまうのかって考えると、それは自らの意思で選ぶという行為を育んでいないからではないかと思うんですね。いや、そんなこたぁないだろ、今時の子供たちはみな好き勝手やってるって思われるかもしれませんが、本当に彼らは自らの意志で選んだ好きなことをしていますかね?私にはそうは思えないんですよね。ファッションとか、流行とか、その外観は個性的(?)で違って見えるかもしれませんが、それを動かしている基本ソフト(笑)は昔からあまり変わっていないような気がします。もし本当に、今の子供たちが自らの選択で今の時代を生きているのだとしたら、それはモノを考えることを放棄したということではないですかね。もしそうだとしたら、これはちょっと怖いことですね。自らの意思を持って思考することを放棄する。なんかマンガっぽいかもしれませんが、たぶん買いかぶりすぎでしょうね(笑)でも、このままの状態が続いていったら、たぶん思考停止時代に突入するのも時間の問題のような気がします。ってか、ひょっとして誰かがそうさせてたりしてね。。。。。え~、チョイ五月病の症状が出始めている道楽親爺のノーガキでした。みなさん、今日も1日がんばりましょう!
2007年05月03日
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本当にあっという間に五月になっちゃいました。よく考えたらもう1年の半分近く来ちゃったってことですよね。良いのだろうかこれで?ってか、こうして時々思い出したように悩むんです。こうして何十年も、こんなふうに考えながら生きてきてるんですけど、結局何も変わらず、また寝て起きる繰り返しになるんですけどね。(笑)それでも常に心のどこかに「こんなんで良いのかなぁ~」ってのがグズグズしていて、劣等感みたいなものかなぁ、道楽親爺だってそんなネガティブな面も持っているのです。まだまだ青いですか?ジジイのくせに(笑)ただ、さすがにでたらめなことを50年近くもやってきてると、この、良いのかなあっていう、その基準が、かなりずれてきてますね、一般人とは(笑)フツー、中高年あたりになると、「俺の人生こんなんで良いのか?」とか言う場合は、ごくまっとうな社会的位置付けとか、社会の一員として生活してきたまっとうな自分とか、そういったものを見つめ直したりすることで、自分と向き合ったりしますよね。これってすごくまじめで健全な行為だと思えるんですね、私には。だって、一般社会で普通のことをずっとして来たってことがどれだけ大変なことかは、私のような道楽者だからこそ理解できることだし、尊敬すらしてしまいます。まあ、言ってみれば教科書に書いてあるような生活を実践されてきたわけでしょうから、さすがに歳を食ってくれば、そこに辛辣な疑問のひとつやふたつあって当然なわけで、それを押し殺して頑張ってきた自分を振り返って愛しく思うのは人間らしいことだとも思えます。だからこそ、社会的義務を全うした先輩方が晩年、思い切り好きなように生きてみたいと願う気持ちは、こんないい加減な私ですら十分に理解できます。ただね、悲しいかな、教科書どおり生きてきてしまった人に、社会的な枠を取っ払ってまで人生をはみ出すことが出来るかっていうと、これが案外難しいことなんですね。だから、ムードだけで、辺鄙な田舎の土地を買って農業してみたいなんて言い出して、結局、二進も三進もいかなくなっちゃったなんて例が後を絶たないってのもなんとなくうなずけます。田舎でのんびりと畑でも耕して暮らしたい。てなこと言って、退職金全部突っ込んじゃってド田舎の廃業農家なんぞ購入したりして、最初の1、2ヶ月こそ老夫婦でワーワー言いながら楽しく充実した日々を満喫したりしますが、すぐに厳しい現実がやってきて、今更後悔しても後の祭りなんて例も随分とあります。言ってみりゃ、キャンプ・ファイヤーとかバンガローとか山小屋とか、そんな類の延長線上でしか考えていなかったという不幸に気づいた時はもう遅いわけで、資金も底を突き、なんのこたぁない不便な田舎の一軒家で老後を淋しく送ることになっちゃったりするんですね。ご近所の本業さんたちだって「百姓をなめるなよ」みたいなね、当然ですよね。それこそ半生かけてその道でメシ喰ってきた人たちにしてみれば、リタイアメント・プランとか言って気軽に農業を始められたら、逆にそれこそ「俺たちはこれで良いのか?」ってなりますよね。ってか笑い事ではありません。私のような相当いい加減なヤツでさえ、歳食って悩んでるんですから、みなおんなじです。え~、相変わらずジジイの話はすぐ脱線してしまいますが、じゃあ道楽親爺は何考えてんだ?って言われるとですね、「このまま、一般人の真似してていいのか」ってことなんですね(爆)この十数年ほど、私はどうも一般社会人を演じ過ぎてきてしまったようで、最近は特に、これで良いのかと思い始めているのです。このまま、フツーのジジイを演りとおすのか、おまえは?ってな感じですか。ということで、一般の皆様が我慢に我慢を重ね頑張ってこられた人生、そしてようやく定年を迎えられ、さあこれから好きなことをするぞ、というような時代に、何故か道楽親爺は一般人としてヒトヤマ狙おうなどという欲求に駆りたてられているのです。(なんじゃそりゃ)若い時分に、俺はタダモノじゃないぞ、と豪語して一般社会と縁を切った私ですが、結局タダモノでしかなく(笑)、何故かゲームオーバー間近のこの歳になって、一般社会で勝負したいみたい欲求が生まれてきているのです。もともと天邪鬼の私ですが、もしこんなデタラメな生き方をしてきた無学歴の親爺が、世間一般でフツーに認められるよなことをしたら、そりゃ面白くないですか?(ってか言ってることわかってんのか?)だからといって、そんなだいそれたことをしたいわけではありません。ただね、もし私みたいなデタラメなヤツが、少しでもまともに社会と関わる立場の人間になったとしたら、今までの価値観を変えられるって気がするんですよね。というのも、なんだかんだ言っても、世の中には暗黙のうちに信じ込まされていることってのがたくさんあるわけで、それをひとつでも壊すことができたら、たぶん次の世代への「正」のツケが残せるような気がするんです。ディスコでね青春を爆発させていた時によく言われたんですよね。「おまえ、今は良いけど、年とったらどうすんだ? そんなんじゃまともな就職もできないし、一生水商売やるしかないぞ」みたいなね、当時の大人のほとんどが概ね似たような説教をしてくれました。こんなんが一般常識なわけでしょ。確かにまともな就職はできませんでした(笑)ってかもともと、まともな就職なんて考えてなかったけど。でもって、私はこう思うんです。これは私自身の意思とか能力以前に、こうしたらこうなるっていう方程式に当てはめることでしか人間を見れないというところに問題があるので、そんなパターンを崇拝しているやつが多すぎるってことだと思うんですね。っていうか、そう信じ込まされてきたみたいな。だったら、この一般的パターンにはまらない例を作るってのは、かなり面白いことかなと思えてきたんですね。特に今悩んでる同年代の方々にとっても、なんとなく面白い出来事になるかなぁ、みたいなね。とまあ、そんなことで、残り少ない人生を自分なりに楽しんでみようかなと思い始めている今日この頃です。(笑)・・・・・・五月病?よくあるらしいですね、首吊っちゃったりする人が、五月は、特に多いらしいです。(爆!
2007年05月02日
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今日はメーデー(MAY DAY)です。と言っても特に意味はありません(笑)ゴールデン・ウィーク第一部から第二部に入る合間の今日この頃、あまり役に立たない道楽親爺のブログでしばし憩いの一時をお楽しみ下さい。(なんちゃって)今日の道楽親爺の与太話は「恋愛格差」についてです。最近やたらと話題になる「格差」ってヤツですが、別に労働問題とか、所得格差だとかムツカシイ話がしたいわけではありません。私のごく身近で頻繁に起こっている冗談のような、美しくも悲しい恋のお話です(笑)それは最近のニッポンの若者、特に男がどうもだらしないというか、情けないというか、同じニッポンの女を満足に口説くことができないのか、どうも安易にアジア人女性にアプローチする若者の姿を見るたびに、力が抜けてしまうジジイなのです。こう言うと、なんかジジイが若者に嫉妬してるみたいに思われそうですが、道楽ジジイはそんなことで若者に嫉妬なんかしやしません。逆に色々と口説きのテクなどを伝授したりしている今日この頃です(笑)ということで、今日のテーマがこの他人種間における恋愛的格差です。(なんじゃそりゃ)え~、よくスケベ爺たちが近隣アジアに春を買いに出かけますが、私が今日お話しするニッポンの若者がアジア人女性に入れ込んじゃうそれとは、実際のところ五十歩百歩、外観が違うだけで中味は一緒ということなんですね。まずこれらの行動生態に関する諸条件を列挙してみましょうか(笑)1. お手軽:そうです、なんといっても第一の理由がこれ。お手軽なんです。ニッポンでそれなりのおねーちゃんを口説こうと思ったら、それなりのプロセスを踏んでいかねばなりませんから、そういった面からいうと、途中の面倒臭い手続きを端折っちゃうこの恋愛パターンは大変お手軽です。2. 経済的:概ね対象となる女性の母国では、ニッポンの若者が手にするお小遣いで、大家族がひと月は楽に生活できます。3. 言葉が通じない:これは恋愛に落ちる際のたいへん重要なファクターです。(笑)その生活の基盤や常識が違うということが、優位な国の人間にとっては、たいへん思い入れの深い行動となって現れます。まして、言葉で説明できない分、想像力に委ねられますから、それはニッポンでいう「恋に落ちた」ストーリーよりも、更に壮大なドラマの主人公と成りがちです。4. あきらめも早い:これは第一の条件と比例しているのですが、お手軽な分だけ、諦めも早く、意外と淡白に割り切ってしまう若者が多いのも事実です。そうして、終いにはドツボにはまって、恋愛ゴッコを繰り返すうち、帰らないところに行ってしまうのです。(笑)これは男ばかりでなく、最近はドツボにはまったニッポンの女性も多く見られます。また、反対に恋に入れ込みすぎて一途な思いで人生を棒に振った人もいます。(笑)さて、このような諸条件を前提に、よく起こりがちな事例を御紹介してみましょう。まず、恋に落ちた青年はすぐに「プレゼント」をあげたがります。まあ、これは万国共通、惚れた人にモノを差し出す行為というものは、無償の愛の表現でもあります。これをニッポンで行うとすると、プレゼント・バリュー(価値)=私の値段?ということになりますので、若造のお小遣いではちょっと限界があります。それらが原因で、女性上位の傾向が現れているのではないでしょうか(笑)え~、アジアで恋に落ちる若者の多くが、ニッポンでの恋愛経験がほとんどありませんから、プレゼントひとつ選ぶにしても、中々にポイントをつかめません。そこで、無難なところでPS3プレーヤーとか、デジカメなんぞを買ってきます。受け取ったアジア嬢は、憧れの日本の電化製品をもらって、それはそれは大喜び、HAPPYです。お国ではお金持ちのお子様しか手にできないような品物を手にしたことで、その商品そのものよりも、それを手にしている自分が好きというようなものです。愛のカタチを表現したあんちゃんは、プレゼントを手に感動に打ち震えるその姿を見て益々アリ地獄のような恋の渦に巻き込まれていきます。数日後、PS3を持ったアジア嬢は、それだけでは何の意味もなさないという事実を知ります。あるいはデジカメで取った画像を、それだけでは何もならないということを知って愕然とします。近くの物知りにたずねると、パソコンやプリンターが必要なことを教えられ、その費用額に気分はいっきにブルーとなります。まあ、二人が直面する最初の「格差」がここにあります。若者は当然、パソコンくらいはあるだろ、まあなくても友達の一人くらいは持ってるだろくらいなところが前提ですね。言ってみりゃ日本じゃフツーですからね、その辺は。アジア嬢は、憧れていた機器ですが、それは垣間見た夢の商品のようなもんですから、その使い方だとか楽しみ方なんてのは二の次です。まずは手に入れてみたものの、結局自分の世界では分不相応なことを自ずとわきまえてしまいます。ということで、書き始めるとキリがなくなりますので、この二人の恋の行方、後は皆さんで想像して下さい。最後に、もうひとつ必ずといって良いほどの「格差」現象を御紹介してお別れです。アジア嬢のお誕生日にアクセサリーをプレゼントした若者。できるだけ見栄えの良い、有名ブランドのネックレスを選びました。受け取ったアジア嬢は喜び勇んで身に付けます。そして一言、「これ純金ですか?」の問いに、若者は「純金じゃないけど、これはジバンシーだよ」と答えます。おわかりですね。アジア諸国では貨幣に信用がありませんから、身に付けるものはできるだけ換金可能なものが喜ばれるのです。どうぞ楽しいゴールデンウィークをお過ごし下さい。さようなら。
2007年05月01日
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