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偉人の話ではありません。(笑)逆に、デタラメな生き方をしている人、ハチャメチャなヤツとか呼ばれる人間について今日はお話したいと思います。フツー、人は色々なお約束に縛られて生きていますから、時にはこのシバリをぶち切って大暴れしてみたいという潜在的願望を抱いているものです。だからといって、これを実際に行う人はまずいません。そんな鬱積したFEELINGを発散させるために、人は趣味とか娯楽とか、あるいは映画やドラマなど、その中に自身の感情を移入してカタルシスを味わいます。ちょっと危ない道に入ると、SMクラブとか(笑)、女装とか、同性愛とか、非日常空間に倒錯した快感を求めてしまったりすることもありますが、一般的には適度な「お遊び」の世界で充分に発散できるものです。(最近は皆ちょっと危なくなってきているようですが)では、この一般人がストレスを吐き出すための舞台を運営している人たちの場合はどうでしょうか。たとえば、クラブの従業員や風俗系に従事する人々(笑)、あるいは組関係の方々など、俗にいう裏の世界みたいなところに身を置かれる人たちのカタルシスはどのようなことになっているのでしょうか。最近のことは良くわかりませんが、私の時代で言うならば、「一線を越えてしまうヤツ」というのが結構おりました。(笑)まるで映画とかドラマ、小説や伝説(笑)の中に登場するような生き方を地でやってしまうような人たちです。これらの人物像は、比較的誰もが期待している生き方を実際に体現する人ということになります。まあ、他人はそういった人たちを憧憬の目でみつつも、こんなんなっちゃダメだ、とか自分に言い聞かせるための絶好のモデルのようなものでもあり、その感情的根拠は少々複雑です。まあ、簡単に言っちゃうと、「すげーな、あいつホントにやっちゃたよ」みたいな絶賛の裏では「あーあ、馬鹿だなぁ、これで人生棒に振っちゃったな」という、極めて冷静なアナリストのような評価をされるような生き様ということですね。その昔、銀座のクラブ界隈で働く男達の中に、ことのほか男を売っている兄ィがおりました。ちょっと小柄でしたが、筋肉質の体に少々ボクシングなどの心得もあり、ケンカといえば真っ先に飛び出していくというような、「男」看板を掲げたトッポイ兄ィでした。ある日、店のスーホ(ホステスさんですね)が売掛金の回収が出来ず涙を流しているのを見て、この兄ィは持ち前の義侠心を発揮してツケ払いの悪い客の下へ取り立てに出向いたのでした。まあ、よくある話ですね。いい加減ツケがかさんでくるとスーホの給料だけでは賄えなくなってきますから、こうなりゃお客を失っても集金した方が良いという結論に達したわけです。そんなところに、やたらと「男」を売りにする兄ィが登場したのですから、まさに渡りに船とばかりに「本当に頼んで良いの?」などと涙をこぼさんばかりの瞳でお願いすれば、「任しとけ!」と胸を張って出かけて行く兄ィでした。世の中たいがい、ツケ払いの悪い客に行儀の良いヤツはおりませんから、案の定、この客も某組のお偉いさんの縁者で、兄ィが催促に出向くと、「ここじゃ話が出来ないから事務所に来てくれ」とシブイ毛筆で書かれた名刺を1枚渡して、その場をかわして逃げました。フツーならばこの名刺を見ただけで、人の借金のためにソコまでできるかい、と弱腰になって引き下がるわけです。もちろん相手もそれを知ってのやり口ですから、まあ、たいていはここであきらめて、ツケはそのまま可哀想なスーホの元へと戻ることになります。ところが、それでなくとも「男」家業に異常な執着を見せる兄ィですから、オレをなめるなよってなことで、単身その組事務所へと乗り込んで行ったのでした。まあ、相手も銀座で看板を掲げるほどの組ですから、きちんと筋を通して話をしてみれば、出来の悪い縁者が迷惑をかけてすまなかったという具合に話は丸く収まって、兄ィの株は上がり、業界の中でもちょっとした噂になったりしました。さあ、そうなると出来の悪い客当人はメンツを失ったあげく、スーホにもシカトされ、その怒りは兄ィにぶつけられます。ある日、新宿界隈で仲間と飲み歩いていた兄ィは、喧嘩仕度の数人に囲まれボコボコにされてしまいました。兄ィは身から出たサビ、たとえ命をとられたとしても仕方のないことですが、一緒にいた仲間こそとんだ災難、良い迷惑です。兄ィは肋骨を折られてそのまま春山外科に担ぎ込まれ、止めに入った仲間も軽傷とはいえ傷だらけとなりました。翌日、知らせを受けて、騒動の原因となったスーホのおねえちゃんが豪華果物と花束を持って病院に見舞いにやって来ました。付き添いの仲間たちを前に、涙ながらに詫びるおねーちゃんを前にして兄ィはこう語ったのです。「羽交い絞めにされてなきゃ、絶対に負けなかったんだがな。でも二人は間違いなくアゴと鼻をへし折ってやったから、今頃は泣いてるだろうなぁ。この次は後ろに回りこまれねぇように気をつけなくちゃいけねぇな。いくらフイ打ちとは言っても、背中を押さえられるようじゃまだまだだよな」一体この兄ィはナニを考えているのだろう、と素朴な疑問が浮かびましたね。まったく懲りてないというか、正直言ってオレ達とは頭の構造が違うのだと思いました。こんなアホなヤツのおかげで巻き添え喰って大怪我したオレ達は、一体なんなんだと思いましたね。でも、映画やドラマ、小説に出てくる、皆が期待する「突破者」とか「コンジョウ者」ってのはこーゆー人のことですよね。つまり、こういう破天荒な人物は傍で見てるからカッコ良いのであって、決して身内には持ちたくない人物ってことですよね。こんな人が兄弟身内にいたら迷惑千万、周りの人たちの人生がメチャクチャになりそうで困りもんとしか言い様がありません。フーテンの寅さんとかだって、あれはあれで他人だから笑っていられるけど、もし自分の兄ちゃんだったら、やっぱメイワクだよなー。(笑)
2007年02月28日
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つい先日、我家ではちょっとした口論がありました。それは、今年19歳になったばかりの長女が、頻繁に夜間外出(やたら古い表現・笑)するようになり、これを母親が嗜めると、すぐに彼女は「友達に誘われて・・・」と言い訳を繰り返すので、さすがの母親も手を焼き、「おとうさんから叱ってちょうだい」と私にお鉢が回ってきたのです。我家は特別放任主義でもなんでもありませんが、どちらかと言えば両親もあまり自慢できるような生き方をしてきていませんから(笑)、フツーの家庭に比べると子供たちに対してはおおらかというか、いい加減というか、結構ほったらかしだったりします。(笑)一般的に見て放任と言われても仕方がないかなぁとも思うような環境です。まあ、女親は男親に比べて少々心配性のところがあるようで、自分の言うことを聞かない娘にちょっと苛立ってのことでもありました。さて、その口論のきっかけはこういうことです。母親がいくら注意しても、長女はどうもこたえていないようなので、父親からビシッと言って欲しいと言われて、私は長女に「遅くなるときは電話くらいしなきゃダメだろ」と強い口調でビシッ言いました。(笑)「おかあさんだってご飯を作ったりする都合だってあるんだから、せめてゴハンを食べるのか食べないのかくらい連絡しなきゃママに悪いだろ」「ごめんなさい。電話のお金が切れてて電話できなかったの」(彼女のセルラーはプリペイドでした)こんなやり取りにさらに苛立つ母親が口を挟みました。「あのねー、誰もゴハンの心配なんかしてないの!フツー女の子が深夜に帰宅したら、その理由くらいちゃんと聞くでしょ」「そうそう、なんでおまえそんなに遅くなったんだ?」「うん、○○(長女の友人です)がね、どうしても聞いて欲しい話があるっていうから、みんなと別れた後も二人でレストランに残って居たのね」「そうか、それは大事なことだぞ。やっぱり友達は大事にしなきゃな」と、ここで母親がブチッと音を立てて切れました。(笑)「あのねー、いくら友達が大事だからってね、○○はちゃんと宿題や勉強を終わらせてから遊んでるんだからね。あなたは宿題も満足に終わらせてないまま、お付き合いしているんだよ。そこを勘違いしたらいけないの!」「なんだ、おまえ宿題もやらずに遊びまわってんのか?」(と言いつつ、自身の昔を思い出して少し後ろめたい気分になりました・笑)「やってるよー、ただ今日は○○が落ち込んでいるみたいだったから、付き合ってあげたかったんだよ」「そうか、でも、時には親兄弟より友達の方が大事な時もあるからな」と、ここで再び母親の神経がブチッ、ブチッと切れる音が聞こえました。(笑)「じゃあ、お父さんは家族より友達の方が大事だって言うの?」「ああ」そして母親大噴火!「みんな、聞いた?お父さんは家族よりトモダチの方が大事なんだって!」「まあ、話を良く聞けよ、そんな意味で言ってるんじゃない」ということで、ここで道楽親爺の独壇場(笑)ノーガキが始まりました。では誠に僭越ではございますが、道楽者の友達理論をコカせていただきます。(笑)家族というのは、もう生まれた時から逃れられない血で繋がっている関係なので、これは大事にするとか大切にするとかいう以前の問題だと思うんですね。たとえ仲違いしたり、縁の薄い親兄弟だったりしても、家族ということでは、自分の存在の基本であるわけです。ですから、この関係をご破算にして自分の生活は成り立ちません。ところが、トモダチと言うのは、あるいは仲間というのは、あらゆる方向性から自分に関わってくる繋がりです。近所付き合いに始まって、学校の仲間、社会に出れば職場の仲間といった具合に、自分の人生において、その時と場所によって生まれてくる縁なわけです。そして、その中でお互いを思いやれること、つまり友情ですね、それが生まれるということは、血族とはまったく違う「愛」のカタチだと思うんですね。「愛」なんて言葉を使うのはあまり好きではないのですが、他にうまく表現できる言葉が見当たらないので、ちょっとくさい表現ですが我慢して下さい。(笑)まあ、これは私の持論に過ぎないのですが、自分の半生を振り返ってみても、自分が一番困ったとき、行き詰ったとき、助けになったのは親兄弟身内ではなく友達や仲間だったということですね。特に社会に出ると(どんな社会でもですよ・笑)、親兄弟が手助けできることなんてものにはどうしても限界があります。突き詰めて言えば「金」の助けくらいがせいぜいで、それだって身内がいなかったり、皆貧乏していたりすれば頼る事だって叶いません。(笑)私の場合、本当に自分が切羽詰ったとき、ひょいとすくいあげてくれるみたいに自分を支えてくれたのはいつも仲間だったんです。それは、そんな大袈裟なことではなくて、ちょっとした友情みたいなものの積み重ねであり、その関係を大事にしてきたからこそ今の自分があるということでもあるのです。たとえば、職を失って右往左往しているときにメシを奢ってくれた仲間や、行き場のない時に同居させてくれた仲間、こんな仕事があるぞと世話してくれた仲間、そんな積み重ねの上に今の自分があるということを、ある意味誇りに思っているのです。そりゃあ、メシが喰えなきゃ親兄弟頼っていけば、そのくらいの面倒はみてくれるでしょう。でも、仲間の手助けは決して、メシの世話だけではないんです。そのときの自分と同じ土俵で、同じ目線で人生を見ている仲間がいるってことと、その環境の中で自分のことをわかってくれている人がいるということが、どれだけの支えになったかわかりません。私の生きてきた道がちょっと特殊なのか、あるいは私の育った環境が普通とは違っていたのかもしれませんが、それでもその当時、若い頃からしっかりしたヤツもいました。「あいつは生活力があるよなぁ。いっつも食扶ちだけはちゃんと確保してるし、どんなときでも生活をしっかり守ってるもんなぁ」そんなふうに絶賛されていたヤツもいましが、私の仲間はそんなヤツを指してこう言ったものです。「そりゃ、ダチがいないってことさ」ということで、我家の口論の結末はというと、私ら夫婦が関わってきた某友人の名を私が上げたところで、一気に終息しました。「○○が良い例だろ。親がどんなに立派だって助けてやれることなんて限界があんだよ」ヨメは、はっとしたようで、ど~んと上がった血圧はすうっと引いたようでした。今日の親爺の訓示はなかなか良かったね(笑)、と少々自己満足な道楽親爺でした。とは言っても、人はみなそれぞれの生き方がありますから、全てがジジイのノーガキに当てはまるとは限りませんのでご理解下さい。(笑)
2007年02月27日
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まっかに燃ぉ~えた~、太陽だぁ~から~(爆)朝陽?夕陽?さてどちらでしょう?正解は朝陽です。昼間の太陽がこれだけくっきりと肉眼で見れるなんて、ちょっと不思議でしょ?実は昨日、サイパン島から200マイル南にあるアナタハンという無人島火山が噴火して、その火山灰が飛んできているのです。ボルケーノ!活火山島なので、過去に幾度と無く噴火しているのですが、その度に灰が飛んできてこのようなことになります。昨日も娘と買物に出かけたとき、娘が「お父さん、今日は雲が全然ないよ」と言ってましたが、灰で空全域が覆われてしまうので白い雲の姿が見えなくなります。確か1年位前には、大噴火したため、まるで日食のようにあたりが薄暗くなりました。さすがにこの時はちょっと不気味でしたね。(笑) たたりじゃぁ~、みたいなね(笑)そういえば、その頃、鹿児島からお見えになっていた観光客の方々が、「こんなもの大したことないよ、鹿児島じゃ、しょっちゅうだし、もっと煤だらけになることだってあるさ」と笑いながら話されていたのを思い出します。実は、昨日のブログに書いた内容は、この灰を見ていて思いついたことだったんです。現在の科学では、この火山噴火は理論的に説明できるし、私にも簡単なことは理解できます。でも、大昔の人たちはきっと、山にも人格のようなものがあって、怒っているのだ、とかいうふうに理解していたのではないでしょうか。たぶん、自分達の周りの環境は、全て擬人化した「神」として畏れ敬っていたのではないでしょうか。昨日この日記で言いたかったことは、そんなことなんです。科学というか、人間の探究心はこうした「不思議」なことを調べて、どうしてなんだろうというとことから始まったものだと思うし、そうして、理屈で理解していくことで、無用に畏れおののくということを徐々に排除していったのでしょう。まあ、最近はそれが度を越して、人智が自然より勝る、みたいな錯覚を起こしているようですが、もともとは、その原理を追うことが人類の文明を導いたとも言えますよね。だから、今でも「神秘」とか「不思議」とか言ってるものも、たぶん、数十年先には「なあんだ、そういうことだったのか」となるでしょうし、そうやって、自分達の周りの環境、つまり自然をひとつずつ理解していくのだと思います。でも、肝心なことは、その探究心の一番先にあるものは、たぶん、みんな漠然と理解しているもののような気がします。火山島の噴火だって、確かに噴火のシステムや気象観測データから導き出された予想なんかも、かなり高い確率水準まできているでしょうが、ではなんでその「噴火」自体があるのかということになると、これは誰も答えられませんよね。果たして、地球というものに意識や意思みたいなものがあるのか、もっと広げて宇宙という存在について考え出すと、これはもうやはり「神」という考え方を持ってこなければ、先には進めないような気がしてなりません。電気なんかもそうでしょ。使い方はもう誰もが知っていますが、じゃ、電気そのものは何なんだ?って言うと、それは誰も答えられないでしょう。ということで、再び道楽者のノーガキですが、人の理解を超えているもの、わからないものを、さもわかったような言動で人々を怖がらせることは、やはりいけないことではないかと思います。多くの宗教家や心霊研究家(笑)の方々が言うように、この世は魂の修練の場ではないかと、私もそう思っています。ならば、この現象界に現れている全ての人は、それなりの縁(えにし)を持って生きているのですから、その生を全うするのは自分自身の存在そのものであると思うのですね。ですから、その手助けになる導師とか教祖みたいなものも、何かの縁があって関わっているのであるだろうし、であればこそ自身の存在をそこに委ねてはいけないと思うのです。たとえ苦しくとも辛くとも、災難があろうとも、それらのすべてが与えられたものだと考えれば、自身で乗り越えなければその先には進めないと思うのですね。霊障でも、天中殺でも、大殺界でも、なんでも結構ですが(笑)、それを他人の言動で避けることができたとしても、そこで自分自身がぶつかっていかなければ、また同様の事が起きるということにはならないでしょうか?屁理屈?私にもそれほどの確信はありませんが、そんな目に見えない、わからないものを頼りにするくらいだったら、心を開ける友達や仲間と一緒に、歯を食いしばってでも(笑)乗り越えて生きたいと、私はそんなふうに思っています。まして、災いをお金で何とかして避けて通ろうなんてこと自体が、やっぱりちょっと変だと思いますよ。それこそ、あー言えばこー言うってことになって、すべては言葉と理屈だけの遊びなってしまっているのではないでしょうか。そんなことより、心に浮かんだ直感を大切にして、自ら行動を起こすことの方がどれだけ価値のあることか、どれだけ心を鍛えられるか、そしてどれだけ勇気のいることか。そんな自分を磨くチャンスを放棄してはいけないと思いますね。ということで、ジジイのくせにまだ青いですか?でもね、ジジイでもせめてこのくらいの根性を持ってないと、これから先の激動の時代は乗り切れませんからね。さあ今日も一日頑張るぞぉ~!
2007年02月26日
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人は目に見えないものや手足で触れられないものなど、いわゆる五感以外の感覚を「神秘」と呼んで畏れ敬い、なにかとってつもなく素晴らしいことのような存在を創り出す傾向があるようです。神の秘、秘密、秘儀、秘法。。。。。誰もがすぐに入り込めそうなイマジンの世界ですね。前にも言いましたが、私の生活している場所は、過去の歴史でものすごい数の人々が死んだ墓場のような島です。人口密度的に言っても、島の総面積の三分の一くらいが人骨で埋まるのではないでしょうか。そんな場所に「慰霊」「鎮魂」「浄霊」etc。。。色々な名目で色々な形の、そして色々な宗教シンボルが今も作られています。特に戦争の犠牲になられた方々のご遺族の気持ちを考えると、せめて何かカタチのあるもので弔ってあげたいと思うのは当たり前のことだと思います。実際に、山中には未回収の遺骨がまだまだ沢山あります。そんな場所で暮らしていると、世の常識や、私の知識や理解を超えた現象に遭遇したことも一度や二度ではありません。そして、その度ごとに、宗教家あるいは霊能力者なる人がやってきては、あれこれと世話を焼いてくれます。そのアドバイスのいくつかに従って、除霊とかお参りとか行ったこともあります。あるときは生活費もままならぬ時でありながらも、一家で奈良の大神神社まで出かけたこともありました。丁度家内が二人目の子供を宿していたときで、このままでは母体も危ない、とか言われて、なんとか旅費を工面して無理して出かけました。結果ですか?わかりません。(笑)事実として、とりあえず一家全員無事にこうして今も平和に生活しているということです。それが、その霊能者が言うところの、「魂の穢れを落として、親(三輪山)に戻った」からかもしれないし、何百体と憑依された霊を浄化したからなのかもしれないし、もって生まれた生命力の強さなのか、誰にも答えはわからないでしょうね。まあ正直言って、この「わからない」というところが、この手の話のポイントですね。だって、誰にもわからないじゃないですか。「オレにはわかる」「そのとおりだ」と、そう本人が思えばそれが答えだし、それは信じるか信じないかの二者択一でしかありません。わからないものを、こうだ!と言い切られると、スッと入り込んでしまうのが人間の弱いところかもしれませんね。でも、そういう人たちとは対照的な位置にいる科学者なんてのも、突き詰めていくと、信じるか信じないかの世界なんですよね。ただ、昔は神秘と呼ばれていた現象が、現在では簡単に説明されるなんてことも随分ありますよね。「巣鴨の刺抜き地蔵」ってご存知ですか?お地蔵様が印刷された小さなお札を貼ると、トゲが抜けるってやつですね。子供の頃、とても不思議でしたね。ばあちゃんがよく貼ってくれて、指の先や足の先に刺さったトゲをよく抜いて貰いました。当時はまさに「マジック!」みたいな感じでした。でもこれって、お札じゃなくても小さな紙片を貼っておくだけでも抜けるんですよ。(笑)嘘だと思ったら、今度試してみて下さい。ホントですよ。最近、スピリチュアルとか流行りになっているようですが、わからないことに対してはどうにでも言えるってことだけは理解しておくべきでしょうね。疑う心が災いをもたらす!って言われそうですか?(笑)私は全てを否定するつもりはありません。でも、自身の思考を停止させてしまったら、全てを他人に委ねる人生になってしまいます。それは楽な生き方かも知れませんけどね。ちなみに、私に大神神社に行けと言ってくれた霊能者ですが、私が戻ってから3ヶ月ほどして焼身自殺してしまいました。霊障は本当だったのかもしれませんね。ひとつだけアドバイスさせてもらえるならば、人生の全ては弱い自分から始まるということではないでしょうか。今日はちょっと教祖様っぽかったですか(笑)世界道楽教?
2007年02月25日
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人間の感情を表す熟語四文字。でも、どうなんだろう、喜びと楽しいは一緒のような気がする。どうでも良いことなんだけどちょっと気になるなぁ。。。。。。喜んで、怒って、哀しんで、楽しい?それとも楽をする?ってことかなぁ。。。。最近の子供たちは感情が表に出ないってよく言われてますけど、元々、日本人っていうかニッポンの教育ってのは、感情を露わにすることを恥としてきましたよね。平常心とかいう表現で、感情を一定に保つことが美徳みたいに教え込まれてきたのに、なんで近頃は感情を出さないことを憂えているのでしょうかね。私のガキの時分なんざぁ、男は人前で涙をみせるもんじゃないとか、学校の先生にも言われてましたけどね。女も人前で馬鹿笑いするんじゃないとか言われてたし、「たしなみ」なんて表現でこと細かに教わってたような気がします。私は米国領域に出てかれこれ20年以上になりますが、米国圏の人の殆どが「ニッポン人はデスマスクのようで、FEELINGが読めない」って言います。「おおきなお世話だ」と腹の中では思いつつも、う~ん、確かに顔の表情から感情を判断するのは同じ日本人でもムツカシーと思いますね。かたや、米国人のオーバーな表現にもちょっと「胸焼け」って感じがします。どうも私ら日本人にとっては、わざとらしいっつーか、そこまでするか?って、逆にしらけてしまうことの方が多いですよね。こっぱずかしいみたいな。(笑)ほんと、別にどーでも良いことなんですけど、今日はちょっとその辺が気になったもんで書いてみましたが、あまり無表情ってのも確かに味気ないし、いわゆる「あ、うん」の感性ってのも、なんか自己満足って気がしないでもありません。若い頃は、なんかこの、目に見えない「思いやり」「心遣い」みたいな、日本人独特の感覚がとても素晴らしいもの、美徳とさえ思えていたんですが、近頃ジジイになって思うのは、感情を出さなけりゃ通じないことだって沢山あるじゃないかってことですね。たぶん日本人は、ルーツが農業共同体みたいな小さな家族だったから、「あ・うん」で通じることがことのほか多かったんでしょうね。村の人間はみんな家族みたいに性格やら気性やらを全員が把握していたから、言葉にしなくても通じてたんでしょう。よく日本語には主語がないっていわれますが、たぶんルーツはこんなところにあるのではないでしょうか。そう考えると、この「村」意識が崩壊している現代で感情が露わにされないってのも、なんか矛盾しているような気がしますが、これって、無言で分かり合えた時代とは正反対に、分かり合いたくないから無言、無表情になってるということなんですかね。隣の住人でさえ知ったこっちゃないし、関わりあいたくない、ってのが今の風潮ですよね。感情はキーボード叩いて文章にするみたいな。日本人はそのうち「口」の機能が不必要になってくるんじゃないでしょうか。常にディスプレーを通じてしかコミュニケーションが取れない、みたいな。(笑)それはそれで結構面白いかもしれませんね。独自の民族文化みたいな。ずーーっと先の未来人が遺跡をほじくっていたら、人骨の右手には小さなパソコンらしきものが握られていたとかね。しかも顎骨が異常に小さかったみたいな。(笑)「おおっ!これは21世紀にニッポンという国に棲息していたといわれる、幻のコギャルの化石だぁ~」とかね。まあ、どうでも良いことなんですが、少しは感情も使っておかないと、本当に顔面の神経も退化してしまうのではないですかね。ってことで、閃いたんですけど、喜怒哀楽の楽は喜怒哀を楽しむって意味なんじゃないですか。感情を表すことを楽しむ、みたいな理解をすると、ちょっと明るくなりますね。怒ったり、泣いたりだって、感情が出てくればそれなりに生きてることを楽しめます。もちろん喜ぶ感情が多いことにこしたことはありませんが。泣きな~さい~、笑いなさ~ぁい~ では、また明日。
2007年02月24日
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ということで、勢いづいて昨日は、なんと自分のサイトを立ち上げてしまいました。以前にこのブログでご紹介したこともある、高校に5年も行っていたという千葉の走り屋と共に、昨日は一日盛り上がりました。このおっちゃんも自他共に認める道楽ジジイで、定食屋を閉店した後は家に引きこもったままパソコン漬けの日々を送っていたようでした。それならその腕を借りるのも悪くないだろうってことで、昨日は色々と相談に乗ってもらいました。これから着ぐるみを脱いで道楽者の本来の姿に戻ると決意したジジイは、まず手始めに自分自身のサイトを立ち上げてみようと思い立ったのです。そうです、本来の姿に戻ると言うことは、仕事と遊びの境界線のない道楽、遊び=仕事という環境を創ることがまず第一ですから、それにはお小遣いを叩いてでも自分自身のドメインを取って、有料のホームページを作ることから始めようと考えたのでした。なんかワクワクしてきて、昨日は夜遅くまで盛り上がりました。道楽の方はいずれ皆様にもご紹介させてもらいますが、取り敢えずは昨夜の道楽ジジイ二人の会話を再現ブログでお楽しみ下さい。話は共通の友人、在住22年の大手旅行社現地支店長の話題から始まりました。「○○ちゃんはさぁ、やっぱ学歴コンプレックスがあるみたいだよね」「高卒だろ?しかも工業高校だったらしいじゃん」「そりゃ、やっぱさぁ、大手じゃ学歴は重要なファクターだからねぇ」「オレなんか高校卒業したのハタチだからね・笑」「あはは、やろうと思っても中々出来ないよね・笑」「ウチはさぁ、親爺が変わっててさ、担任が嫌いでケンカんなっちゃたんだよね」「へぇ~」「学校サボって喫茶店でお茶飲んでたらさ、担任がわざわざオレのこと探しに来てまでして停学だからね。で、親爺が呼び出されたら、その場で、じゃ辞めさせる、だもん」「担任に目ぇつけられてたんだぁ」「なんかね、オレも親爺も嫌いだったみたいでさ、元は親爺が担任を嫌いだったってのもあるんだけど・笑」「ふ~ん、それで転校したんだぁ」「で、行ったのが定時制だもんね。面白かったよ、これは」「生徒は年上の奴等ばっかじゃん。すぐにチームに入ってさぁ、林道をよく走ったよ」「あはは、林道って、林の道?」「凄いよー、道は真っ暗だし舗装されてないし、下りで一回落っこちゃってさー」「えっ!?落ちたの?」「道から外れた後は綺麗なスローモーションだったね」「谷底にドカンって感じ?よく生きてたね」「それがさ、運良く谷の間に小さなプレハブみたいな小屋が立っててさ、そこに裏返しでドスンって落ちたんだよね」「えっ、裏返しになっちゃったの?」「でも、意外と冷静でさァ、窓開けて這いずり出たんだけど、回りは真っ暗でさ、一体自分はどこにいるんだろう?って思ったね。ひょっとしてオレは死んじゃったのかなぁって」「ぎゃははー」「暗いからさ、車と自分が宙に浮いてるみたいな感じだったんだよね。上に道、下に道、でもってその間にひっくり返った車の前にオレが立ってるんだもん」「誰も助けに来なかったの?」「なんせ林道だからね、誰も気付かないままどんどん下ってっちゃってるからさー」「生きてて良かったね」「ドリフトはさぁ、やっぱ金持ってるヤツには適わないよ。車壊しても次から次へでしょ。こっちゃぁ、生活用の車使ってんだから、ギリギリのところじゃ、金の計算が働くよね」「ふ~ん、そんなもんなんだぁ~」「船橋には金持ってるガキも結構いたからね、ちょっと悔しかったね。だから後半は整備の方にのめりこんじゃってさぁ~、改造は誰にも負けなかったよね、船橋じゃ」ということで、この人はたぶん、初めから着ぐるみ着てないと思う。(爆!なお、この親爺は2年前交通事故で長女を亡くしております。こんな話が出来るようになったってことは、少しは癒されたのかなぁ~。ちょっと安心しましたね。
2007年02月23日
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セット・ミー・フリー~私を自由にして~SET ME FREE WHY DON’T YOU BABY今日のタイトルは、御馴染みシュープリムスのヒットソングのフレーズです。何度もリメイク、リバイバルされた名曲、有名なところではバニラファッジでこの曲を初めて知ったという方も多いのではないでしょうか。そういえば和田アキ子もこのフレーズ使った歌を歌ってましたね。ってか、今日は別に音楽の話ではありません。(えっ?)なんてったって、このブログはへそ曲がり親爺の屁理屈日記ですから、イントロと本編が繋がらないところがウリなのです。(期待を裏切るみたいな~・笑)といういことで、今日は道楽者の熟年ノーガキ人生論です。(笑)実は、ここ最近の生活環境が変わり始め、自分自身を見つめなおすような状況が続いています。そういうと、なんだかもの凄く真面目に人生を見つめるふうな感じですが、そんなに真剣なことではありません。まあ、当然っちゃ当然ですね。所詮どーらく野郎ですから。ただ、素朴に、自分の本来の姿ってなんなんだろ?という自身への疑問から生まれた答えが、今日のテーマである「SET ME FREE」だったのです。思い起こせば、生まれついてのお調子者が、音楽と踊りに感化され、感じるまま、思うままに突っ走った思春期、それは自分の好きなことをするためだけに生きていた本来の自分の姿がそこにありました。そんな「思い」だけで生きた時代だったからこそ、今でも鮮烈なイメージを持ち続けているわけで、言い換えれば、その残像を引きずっているわけですね。若さだけ、勢いだけで突っ走れた時代が終わると、後は一般社会との妥協点を見出して、それなりに本来の自分を無理矢理心の奥に押し込めて生きなくてはなりませんでした。いわゆる「着ぐるみ」を着た生活が始まったわけです。そうですね、30歳くらいからでしょうか。それでも、「趣味」みたいな形で本来の自分も多少は小出しにしながら「着ぐるみ」生活を続けたのですが、40歳を過ぎたあたりからは、この「趣味」の世界すらも実生活の中から排除されるようになり、そのうちにこれが自分の中でのタブーのような存在にもなり始めました。こういった抽象的な表現ではわからないかもしれませんね。たとえば、30代のころはレンタルビデオショップなどをしてメシを喰っていたのですが、この頃はまだ、自分の青春、いわゆるディスコ業界にいた自分の経歴は、ある意味勲章でもあったわけです。(もちろん自分自身の中でですよ・笑)なんというのかなぁ、オレは昔こんな華々しい世界で派手なことをしていたんだぞぉ~(笑)みたいな、ちょっとの自慢とちょっとの自信みたいなものがありました。ところが、これが40代になると、子供も出来、それなりの社会構造の中の一般人としての生活に慣れてくると、これがちょっと足かせにもなってくるわけです。まあ、そんなにたいそうなものでもありませんが、こじんまりとした会社の中間管理職みたいなポジションにつくと、そうそう昔のようなバカな振る舞いもできなくなってくるわけです。もちろん、ある意味学歴社会でもありますので、高卒のディスコ野郎は、そうおおっぴらに自分の過去を語れなくなったりするんですね。(いや、これはちょっとマジです)それはどんなに突っ張ったところで、一般社会でそれなりの生活を確保しようとすれば、それなりのサラリーマン人生みたいな徹を踏まなくてはならないわけですね。たとえば、営業や系列会社との合同ミーティングとかで、同席する人間のバックグラウンドと自分のバックグラウンドのギャップというのは、かなりの苦痛を伴って自身に降りかかってきます。(大袈裟じゃないよー)子供の付き合いで一緒になるご家族の皆様とかね。(笑)だって、相手はフツーに社会の歯車に乗っかってきた人たちばかりですから、ナニを話しても生きるスタンスが違うわけです。ですから、こっちはどちらかと言うとホスト役に回ってしまうのですね。元々が「お水系」(笑)ですから、テキトーに話合わせてヨイショしたり、一緒に泣いてあげて愚痴聞いてあげたり、そんなことが自然にできちゃったんですね。もちろん腹の中では「何言ってんだよ、このタコが」(笑)とか「薄っぺらい人生だなぁ」とか思いつつも、「偉いなぁ~」とか「勉強になるなぁ~」とか言いながら、要領よく生き抜いてきたのです。(笑)まあ、そんな天性のお調子者気質が幸いしてか、現在、小さいながらもそれなりの一般社会人としてソコソコの生活を営んでおります。(笑)ところが、いざ50代に入って、つーか今現在ですね、このブログもひとつのきっかけになったのですが、もうそろそろこの「着ぐるみ」が窮屈になってきてしまったのです。これはひょっとすると道楽ジジイの叛乱?ってか、もう「着ぐるみ」着てようが、脱ごうが、後半の人生にあまり変わりはないような気がしてきたんですね。(あはは)そこで頭に閃いた言葉が今日のタイトルだったのです。つまり、本来の自分、素のままの自分で後半の人生を突っ走ってみようかなと思い始めた今日この頃なのです。だって、今のまま暮らしていたんじゃ、この先どう転んだってこれ以上の人生にはなりませんもんね。ということで道楽親爺はヨメに訴えたのです。「オレを自由にしてくれ~」「何言ってんの、ずーーーっと好き勝手やってきたくせに」「そうじゃないんだ、本来のオレの姿になりたいんだ」「はいはい、生活費だけはちゃんと入れてね」SET ME FREE!(爆!)
2007年02月22日
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以前にお話ししました、島民のための定食屋(笑)が閉店して3週間が過ぎようとしておりますが、常宿を失った我々古株島民は日々、アチコチの食堂を転々とする毎日を送っています。そんな難民のような在住日本人グループが、昨夜、偶然にもとある店に集結して盛り上がりました。皆、同様にアチコチの店を転々として、おおよそ一回りしたところで、「久々にあそこでも行ってみるか」というような具合でたどり着いた古株日本人たちが一堂に会したのでした。そのお店は、やはり在住数十年の古株日本人が、昨年の秋頃開業したこじんまりとした居酒屋で、繁華街のはずれの殺風景な場所にあるせいか、すぐに頭に浮かぶような店ではありません。しかも看板とかも地味なので、やっているのか、やっていないのか、一目ではわからないような店ですから、「そういえば、あそこがあったっけ」のように、適度なサイクルで思い出されるような地味ィ~なお店なのです。(笑)ということで、昨夜は7時頃入店したのですが、お客はカウンターに一人だけ、という閑散とした面持ちでありました。私もカウンターに腰掛けてビールを注文したのですが、なにげにとてつもなく懐かしい歌声(笑)が店内BGMで流れているではありませんか。「ふりむ~くなぁ~、あのこぉろうぉ~」おお、この腹筋の足らない声量と独自の節回し、ヤザワだぁ~。何十年ぶりに聞いた「最後の約束」でした。そういえば店主もほぼ同年代。やっぱりYAZAWAにはまったひとりなのでしょう。そんな、ちょっと爺くさいノスタルジックなポーズで雰囲気を出してビールを飲んでいるところへ、次から次へと古株の皆様が乗り込んで来たのでした。そして店主はなぜかYAZAWAのCDを止めて演歌CDへと切り替えました。ちょっとガッカリした道楽親爺ですが、なんとこの演歌CDが古株親爺達のハートを揺さぶったのでした。(笑)それでは、ジジイの馬鹿騒ぎを再現ブログでお楽しみ下さい。(笑)はぁ~るばるぅ~来たぜっ、はこだてぇ~~「おお、懐かしいッ!サブちゃん」「この頃、まだオレ小学生だぜ」「うそつけ!たかだか30年くらい前の話じゃねぇか」「そう言えば井沢八郎、死んじゃったんだよなぁ。ああ、上野駅、良い歌だったよなぁ」「あのころの上野駅は暗かったよなぁ、北国の集団就職!」京都から博多までぇ~「おっ、藤圭子だ」「歌うまかったよなぁ。娘があんなんなるとはねぇ、やっぱ血統なんかなぁ」「しかし、こんな歌聴いてグッと来るヤツいるのかね」「新宿とか行けば沢山いるんじゃない。上野とかから流れてきて水商売にはまったみたいなぁ~、あはは、鶯谷あたりだったら泣いちゃったりして」「ぎゃはは~、ところで○○さんは出身はどこ?」「オレ?オレは名古屋。で、そのあと東京で20年、そしてサイパンで10年~苦笑」貧しさに負けたぁ~「ぎゃははー、昭和枯れススキ!さくらと一郎かぁ」「なんだよ、このCD、俺たちのためにかけてんのか」え~、バカバカしいので、この辺で止めておきますが、とにかくかれこれ10時ころまでドッカン、ドッカン盛り上がりました。イントロあてクイズみたいな感じでしたね。ちなみにこのCDから飛び出した曲はざっと、「雨」みよしえいじ「北国行きで」朱理エイコ「他人の関係」かない克子「ゆうべの秘密」小川知子「しのび恋」八代亜紀「与作」北島三郎「小指の思い出」伊藤ゆかり「圭子の夢は夜ひらく」藤圭子まるで演歌チャンチャカチャンって感じでした。時代の幅も結構飛んでましたが、これだけ盛り上がれるサイパンの親爺たちって一体?宴たけなわではございますが(笑)、「園まり」と「ちあきなおみ」が出てこないという不満が店主に向けられ、「こんど買っときます」の一言でお開きとなりました。それにしても懐かしかったなぁ~。
2007年02月20日
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昨日、2月18日は中国(韓国)の旧正月でした。中国系のお店はどこも謹賀新年のバナーが掲げられ、爆竹が鳴り響き、中華飯店ではお正月料理が出されていました。YEAR OF PIG新聞の折込チラシには、あまり可愛くないブタの絵が大きく描かれたレストランの広告がふんだんに載っていました。し、しかし、ブタ年って、なんふだかなぁ~。猪だったらもう少し迫力があるのに、なんでPIGなんかなぁ~。なんだか1年中食べまくってブクブク太りそうですねー。(笑)イヤー・オブ・ドラゴンとかカッコ良いのに、イヤー・オブ・ピッグじゃ、ちょっと間抜けで可哀想ですよね。暦で言う干支は日本も同じだと思うんですが、イノシシとブタじゃ、いくら同種だからってかわいそうな気がする。(笑)実はウチの末娘が年女で猪なのですが、昨日はみんなに「ブタ年、ブタ年」と言われ、ちょっと落ち込んでいましたネ。「おまえ、日本人で良かったなぁ~」慰めにもならない親爺の言葉に余計ムッとした娘でありました。(ヤレヤレ)そういえば、西遊記に出てくる猪八戒もブタでしたね。でも、牙があったからやっぱり猪だよね。つまり野生の豚ですよね。豚と言わずに猪と言うニッポン人の思いやりには頭が下がります。(えっ?そうなの?)すみません、正直言って道楽親爺はこの手の知識はありません。後でグーグルってみます。(笑)まあ、そんな他愛もないことを話しながら、昨日は一日近所の中国系のストアやらレストランで繰り広げられた中国のお正月風景を見て回りました。カー・ラジオからは「DON’T WORRY, BE HAPPY~」の歌が流れてきて、ブンチャカ、ブンチャカと、平和でのどかな南国特有のほんわか気分で中国の旧正月を楽しんでおりました。と、そこへ知り合いのマッサージ屋さんの社長が、花火の束を抱えてやってきました。彼は日本人ですが、10数年前に中国人と結婚してマッサージ屋さんを開業して大成功。今や、地元でもちょっとした実業家です。「○○さん、どうしたの、そんなに花火買いこんじゃって」と声をかける道楽親爺。「いやぁ~、隣の店が派手にドンパチ上げるもんで、ウチも負けてられないんですよ」「負けてらんないって・・・・」「ここで負けると社員(中国人)にしめしがつかないんっすよ」「へぇ~、そんなもんなんだぁ」「中国人は負けず嫌いですからね。隣が花火千ドル買ったっつったら、じゃぁウチは2千ドル買って来いってな、感じですよ、へへ~」「ああ、それで買い足ししてるんだ」「昨日は夜通しブッチギリでウチがドンパチ上げ続けて、ドンちゃん騒ぎしたんですけどね、ちょっと転寝してる間に隣がまた花火買い込んできてドンパチ始めたもんでね、負けちゃいらんないんすよ、ははは」急ぎ足で立ち去る店主。。。。。。花火屋丸儲け。。。。。。。。。。日曜日の商店街は再びドンパチの音でやかましくなりました。
2007年02月19日
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食べ物に憑かれまくっている道楽者一家ですが、食いだめってのができたらシヤワセなのになぁ~。とか言っている場合ではありません。実は昨日からご近所、同僚、子供の友達などに小分けにしてお裾分け回りをしています。事情を知らない人にとっては、まるで太っ腹一家みたいです。(笑)やれやれ、これで少しは片付いたと思っていたところへ、なんとまたしても漬物たっぷりお徳用二袋のお土産が追加されました。(笑)これじゃまるで、この漬物を入れるために冷蔵庫を整理したみたいなものです。長女のバースデーケーキだって、まだ全然手付かずで冷蔵庫に入ったままだというのに、なんということでしょう、更に今夜は新たなご夕食の宴が催されることになりました。贅沢なこと言ってバチがあたりそうですが、なんでこうも極端なのでしょうか。小出しにして1年中まんべんなく入ってくれれば、みいんなシヤワセになれるのに。。。(爆とまあ、そんな贅沢な悩みに明け暮れる週末ですが、今日は子供たちが友達と連れ立って、マニャガハ島という無人島へ行くことになりました。サイパン島から目と鼻の先にある小島で、昼間だけマリンスポーツ用に解放されています。もちろん足は船ですので、子供達を送って久しぶりに港へ行ってきました。やっぱり海は良いですねぇ~。毎日見ているのですが、こうして港から見る海はまた格別です。なんか船に乗って沖に出るってのは、ちょっとしたロマンですよね。これは港に続く小道から撮った画像です。今日は良いお天気で、パラセールやら、ジェットスキー、バナナボートなどなど、沖に白波が立って、リゾート地らしさを醸し出しています。でもね、本音で言うと、海は見た目よりも汚染度は高く、「美しい海」が「清潔な海」とも言えないんですよ。やはり船から流れ出るオイルや、地中に沁み込んだ汚染物質などが海水に流れ出て、水質検査値は思うより低いのです。まあ、今後の人類の課題となるのでしょうね。自然との共生。私は、自然保護って言い方があまり好きではありません。人間は自然を保護できるほどの力があるのか?って感じですよね。逆に保護しなきゃいけないのは人間の精神性だったりしてね。(笑)ってことで、せっかく港まで来たんだからと、マリーナにも足を伸ばしてきました。最近、日本では漁船がフェリーに轢かれた(笑)ようですが、あんなに広い海でどうしてぶつかっちゃうのか、素人にはちょっと不思議な感じですね。でもこうして海と船をみていると、たとえわずかな時間でも心がほっとするのは何故なんでしょうかね。白い船は青い海に乗っかると「絵」になりますよね。
2007年02月17日
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何故か昨日の話の続編です。(笑)実は、ウチの長女の誕生日が2月15日で、昨夜は一家で外食ということになりました。バレンタインズデーの翌日が誕生日なんて、こんな合理的なことはありませんね。チョコレートをあげた翌日には、バースデー・プレゼントをもらって、元はしっかり取れる(笑)みたいな、たいへんお得な日に生まれたもんです。それだけでも親に感謝してもらわなきゃね。(笑)さて、2月は親爺のお仕事もかなり多忙を極めておりまして、この季節は観光客が怒涛のように押し寄せてきて、ホテルもゴルフ場もごった返します。とは言うものの、今年は日本が暖冬のせいか、イマイチ伸び悩んでおります。それでもいつもの常連さんは、ありがたいことに今年もやって来てくれました。そんな我家の、御馴染み常連さんのご夫妻が先日お越しになられまして、山のようなお土産を頂きました。それはもう、戦後の闇市、買出し、担ぎ屋のごとく、米やら野菜やらお菓子やらが、なんと中型キャリーバッグ2コに満載されていたのです。う~ん、我家は戦後の難民なんかなぁ~、ってな感じですが、物もらって嬉しくないヤツはいませんね。特にウチのヨメなどは「冷蔵庫が一杯になるとシヤワセになる!」などと賎しい欲張り根性丸出しで、ニコニコしながら冷蔵庫にせっせと詰め込むその姿は、まるで終戦直後のおっかさんのようでした。(笑)まあ、そんな良いこともあれば、一昨日の事故みたいな暗いこともあり、果たしてこれはツイているというのか、ツイてないというのか、この数日間は人生勉強とも言える不思議な体験が続いています。まず始まりは、この頂いたお土産の山の上に、子供たちがクラスメートでやり取りしたバレンタインズデーのチョコやクッキーの山が追い討ちをかけ、更に、近所の知り合いから、「スイカは今が食べごろよ」とお裾分けをもらい、トドメは長女のバースデー・ディナーでした。偶然にも昨夜、この常連さんご夫妻からご夕食のお招きを頂き、せっかくだし、娘のバースデーパーティもこれに便乗させてもらうことにしました。もちろん、娘の誕生日であることは隠してですよ、いくら道楽者一家でも、そこまで厚顔無恥ではありません。ただ、どうせなら大勢で食事をした方が楽しいので、お断りせず一家あげて便乗させてもらいました。さて、子供達をピックアップして、お客様の待つホテルへ向かう道すがら、ヨメからの電話が入りました。「バースデーケーキ取りに行くの忘れてたから、行ってくれる?」「そりゃ良いけど、ケーキ持ってレストラン行くのか?」「ホテルの冷蔵庫で預かっておいてもらえば良いじゃない」ということで、道楽親爺はシブシブ娘のケーキを取りに行ったのです。すると、お店の職人さんが大慌てで出てきまして、「すいません、突然オーブンが壊れてしまって、ご注文の大型サイズが焼けなかったんです」と恐縮してます。長女はケーキを楽しみにする歳はすでに過ぎてますから、たいして気にもしなかったのですが、そこはやはり日本人ベーカリーとしてのプライドなのでしょうか、なんと中型ケーキを二つ、味を変えて用意していてくれたのです。(ゲッ!こんなに喰えるかよ~)それでなくとも家には、お土産の高級菓子や羊羹詰め合わせの他、チョコやクッキーのパッケージが山積みされているってのに、更にこんなケーキを2つももらってどうすんだよ、ってな感じでした。ケーキには長女の名前入りでハッピーバースデーなる文字が入っていますから、お裾分けしたくとも、下手したらあてつけのイヤミになるし、さすがこれにはちょっと涙出ました。(うれし涙?)普段なら「ヤッター!得した!」と、絶対に喚起の声をあげて喜ぶヨメや子供たちですが、さすがにこの時ばかりは「え~、また甘いのが増えちゃったのぉ~」とブーイングです。ケーキの箱二つを抱えてディナー会場に到着した道楽者一家を待ち受けていたのは。。。。「今日はインターナショナル・ケーキ・フェスティバルですので、プチケーキやプリン、フルーツなどもお好きなだけお召し上がり下さい」ひぇ~! と言いつつも、しっかりおなか一杯食べまくった道楽者一家でした。(なんだかな~)そして帰宅して冷蔵庫のスペースを開けるため、一家揃って夜中の2時まで食料整理は続いたのでした。みんな今日は寝不足です。。。。。これって、一体、ツイているのでしょうか?それともツイていないのでしょうか?本当に人生とは難しいものです。(^0^;
2007年02月16日
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事故ってしまったぁ~。。。というよりは、事故らせてしまったというべきでしょうか。昨日の夕刻、子供達を学校からピックアップした帰り道、左折待ちをしていたところを後ろからバッシングされたので、仕方なく右折に切り替えて出ようとした瞬間、後ろの車が私の車の右側をすり抜け右折してきました。ほぼ同時だったので、私は一瞬、衝突を避けるために内側のレーンにハンドルを切りましたが、内側レーンを高速で走ってきたトラックが私の車への衝突を避けるため、反対車線に飛び出し、反対車線を走っていた常用者と正面衝突してしまったのです。(ちなみにここは米国ですから、左ハンドルの右側通行です)幸運と言うのか、不運と言うのか、私の車は被害がなかったのですが、正面衝突をしてしまった2台はフロントがクラッシュしてしまって、結構酷いことになっていました。もちろん私はそこを、しらーっと立ち去るわけにも行かず、すぐに911へ電話をして救急車とポリスを呼びました。幸いにも怪我人はなく、車2台がとても痛々しい姿で道路に置き去りにされました。ピックアップの運ちゃんはロコで、「おまえ、なんて運転してんだよ」と言わんばかりに私の方を睨んでおりました。反対車線で衝突されたのは中国人で、「あーあ、まいったなぁ」という仕草で車を見ておりました。私はというと、車から降りて、まず二人に「ゴメン、オイラのせいだ」と誤り、到着したポリスに状況を説明しました。たまたま、このピックアップの運ちゃんは、私の会社と取引のある問屋さんの従業員だったので、事後、会社まで出向いて、彼のボスに状況を説明し、決して彼のミスではなく、原因は私にあるので、これを理由に解雇など絶対しないようにお願いしてきました。もう一人の被害者である中国人は残念ながらその場限りとなってしまったので、きちんとしたお詫びは出来ませんでしたが、調書には私の氏名、住所も明記しましたので、いずれ会う機会もあるでしょう。セレンディピディ?こういう場合はどうなんだろ。実際の被害がなかった私はラッキーなのでしょうか。それとも、後ろからバッシングされたとき、そのことにあまりにも気を使い過ぎてしまったことがこんな結果を招いてしまったというアンラッキーなのでしょうか。でも、気持ち的には、いっそ自分の車がオカマ掘られていた方が楽だったかもしれない。冷静に見て、高速で走っていたトラックも前方不注意と、急停車しても避けられないほどのスピードオーバーという過ちもあります。一番の被害者、不運だったのは対向車線を走っていた中国人ですね。こじ付けかも知れませんが、これも今の自分に対するなんかしらの警告のような気がするんですね。つまり、たとえ相手を思っての事と言えども(この場合、後方でバッシングした車に気を使って早く道路に出ようとしたこと)、自分のちょっとした判断ミスが、見ず知らずの他人に災いを招かせてしまうという教訓なのかも知れません。(根がせっかちだからね)焦って左折せずに「急がば回れ」のことわざどおり、後続車に道を譲っていれば免れた事故かもしれません。このところ、ちょっと浮き足立っている自分を諌めてくれたセレンディピディ?と言うには、ちょっと犠牲が大き過ぎたかなぁ~。反省しましょう。とにかく、幸運と不運についてじっくり考えさせられました。「運が良かった」ってことの裏側には「運が悪かった」ってことが、必ず存在しているんですよね。まあ、今回の救いは、怪我人が出なかったことと、たぶん車輌は保険でカバーできるでしょうから、事故のショックは別として、大惨事にならなかったことでしょう。ということで、今日の一言です。(笑)このブログをお読みの皆さん、道楽親爺の与太話は、あくまで道楽者の出来事なので、感化されてデタラメなことをしたり、人生を博打にしたり、オレの方がもっとすげぇんだ、とか、つまらぬ影響を受けないようにくれぐれもお願い致します。私は正真正銘、道楽者の大バカヤロウですが(笑)、自分の言動のせいで皆様に災いが及んだりすることは絶対に避けたいし、望んではいませんので、どうかひとつ、くだらない真似だけはなさらぬように重ねてお願い致します。ほんとですよ。それから、人生は決して幸運ばかりは続かないし、不運の裏側にはちゃんと「ツキ」があるのですから、一喜一憂しないで、コツコツと頑張りましょう。(道楽ジジイもコツコツ、セコセコと頑張ります・・・笑)
2007年02月15日
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相変わらずお祭り好きな日本人、今日はチョコレートで盛り上がる1日でしょう。道楽親爺はというと、今朝末娘から小さなKISSチョコを1コもらいました。(泣)聖バレンタイン祭別にどーでも良いことですが、イベントの少ない田舎の島では、それでも結構盛り上がります。チョコレートばかりでなく、フラワーアレンジメントやクッキー、カードやちょっとした贈り物なども届きます。ハズバンドからワイフ、ワイフからハズバンド、友人同士、恋人同士と赤いハートマークで街はカラフルな彩を見せます。まあ、なんにせよ、明るくて良いね。もう随分と昔のことになりますが、初めて女の子にチョコレートをもらったときの衝撃は(笑)今でもしっかりと覚えています。確か中学3年生のときだったと思います。バレンタインズ・デーの朝、机の中にチョコレートが入っていて、「あれ?なんじゃこりゃ」ってな感じでした。私の子供時代はまだまだ封建制度の影を引きずっていましたから、男尊女卑(笑)、まあそんなオーバーではありませんが、まだまだ男女交際が勇気のいる時代でもありました。テレビや雑誌では見たことのある、バレンタインの告白(笑)みたいなものは男子生徒の憧れでもありました。そんな夢のような現実が目の前にパーッと広がったのですから、これは人生最大のイベントでもありましたね。とにかく嬉しかった。(笑)たとえ相手が誰であろうと、全校中の男子生徒でそんな体験するヤツなんてのが一桁以下の時代でしたから、そりゃもう鼻が高いというか、自意識過剰と言うか、周りの悪友つかまえては「ナイショだぞ」と言いながら触れ回ったりしました。(笑)チョコの味? 覚えていませんね。全部食べたのかなぁ?ばあちゃんが念仏あげてた仏壇に乗せて拝んだのは覚えてます。(笑)相手は残念ながら、自分の好きな娘ではありませんでしたが、それから二度ほどデートしたのかな。近所の公園散歩して。(笑)この頃から目移り癖があったのでしょうね。でもこういう思い出っていうのは、やっぱりいつまでも心に残っています。ビンボーの代表選手みたいな生活で、思い出したくないことも沢山ありますが、思春期の一番多感な時に得た良い思いでは、誰にとっても、いつまでも宝物であり続けるような気がします。フランシス・フォード・コッポラ監督の映画「アウトサイダー」のテーマソング「ステイ・ゴールド」BYスティーヴィー・ワンダーを思い出しました。いつまでもゴールドの心を持ち続けて欲しい。忘れてはいけない心のGOLDを思い出させてくれる、今日はそんな日でもあるのでしょうね。STAY GOLD
2007年02月14日
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毎日早起きが続いております道楽親爺です。今朝も日の出前に起床、夜明けと共にお仕事となりました。そんな慌しい日々の中、「偶然」にしては出来過ぎという出来事が頻発して、さすがの道楽者も少々戸惑いを感じています。ひとつは仕事の関係なのですが、連鎖反応のようにいくつもの人間関係が一気に繋がり始めて、「マジかよぉ~」と何度も呟いてしまいました。やっぱり早起きは三文の徳ってことなんでしょうか(笑)前にもちょっとお話しましたが、今、ここサイパンは歴史的な時代を迎えつつあります。(ってかちょっとオーバー?)まあ、簡単に言っちゃうと、従来の自治政府から米国連邦政府に移行するという、新たなドアが開いたというような状態です。私の中では、ニッポンの夜明け、ペリーの黒船来航に匹敵するくらいの一大イベントの始まりのような解釈をしています。そんな、時代のパラダイムが大きく変わろうとする中で、人種の坩堝のようなこの小さな島は、日々伝えられる議会の一挙手一投足に右往左往しています。ということで、このドサクサに紛れてなんか面白いことができないかなぁ、などと毎日ワクワクしてくだらないことを考えている道楽親爺ですが、なんと実は、そんな道楽者が自分以外にも結構いるのだと知ってたいへんに興奮しています。「こりゃ何かのめぐり合わせやね」とか、勝手に自分で納得しているのですが、最近、このめぐり合わせた人たちとの間で「セレンディピティ」がまるで合言葉のようになってしまいました。でも、本当にそんな偶然か必然かわからない展開が毎日繰り広げられているのです。昨日の朝、道楽者の友人と二人「こんなことできないかなぁ」と話していたら、その夜には「そのことについて相談を受けた」って電話が入って「嘘だろう?」「お、俺も興奮しちゃってさぁ、電話せずにはいられなかったんだよ」みたいなことが連発しているのです。せっかくですから、この出来事はなんらかの形でNETに乗せて、皆さんと道楽を共有できればなぁ、とか考えています。(乞うご期待・笑)だって、楽しいでしょ?俗に「事実は小説よりも奇なり」って言うじゃないですか。そんな話、聞いてるだけでもみんな元気になれるような気がするんですねぇ~、なんかほっとする話みたいな。でもって、今朝はそんな爽やかな気分で車に乗った途端、カーラジオから流れてきたのが、コモドアーズのEASYでした。おおっ~、いい感じ!ってなことで、とても良い気分の朝の一曲でしたね。EASY~Easy like something morning~是非、このHappy Feelingを皆様に、スピリチュアル・パワーでお届けしたいと思います。(笑)I send my spiritual power with happy feeling to your heart right away!PEACE!
2007年02月13日
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時たま思うことで、「なんでこんなカッコつけてしまうのだろう」というのがあります。頭の中ではどうしようかウダウダと思い悩んでいるくせに、「しゃらくせぇ」とばかりに思わず口から言葉がでてしまうような場面です。啖呵を切ってしまった後でちょっと後悔しつつも、これがオレの性分なんだからしょうがない、などと自分自身を言い聞かせながら無理を承知の道を行く、大見得を切る、みたいな感じでしょうか。これはもう本当に、性分と言うか、体質(笑)というか、どっぷりと体に染み込んでしまっている生き方のような気がします。カッコつけて言うならば「義侠心」というか、「直球勝負」というか、どうしても引っ込みがつかないところで、勝手に口から言葉が飛び出してしまい、後々えらく苦労するという、馬鹿丸出し的行為であります。(笑)そんな自分の中にある「義侠心」の原点は一体どこにあるのだろうと考えてみたとき、どうしても忘れられない幼少の頃のひとコマがあります。それは草野球に目覚め始めた小学校低学年の頃でした。長屋のガキや近所の鼻タレ小僧が集っては、近所の空き地で日が沈むまで三角ベースに明け暮れていた頃の話です。夏休みともなると、朝起きてメシを喰ったらすぐに空き地へ馳せ参じては、場所の取り合い、鼻タレ同士の対抗試合、そんな中から学校や年齢を越えて、空き地の野球少年達の友情が芽生えてゆきます。(笑)特別な決まりや集合時間があるわけでもなく、その日集ったガキどもが適当にその日のルールで遊びます。当然、年長者がその場を仕切りますが、当時はバットやグローブなどを持ってるヤツは少ないので、道具を持参したガキは特別待遇となります。(笑)人数が7~8人になるとチームに分かれて試合になります。別け方は簡単、道具の数を二等分して人数を振り分けますが、もちろん道具を持っているヤツがピッチャーで4番打者です。ってか三角ベースですから打順はあまり関係ないんですけどね、とりあえず3番サード長嶋みたいな、誰もが夢みる栄光のポジションが存在していたんですね。(笑)それにしても、攻守交替、チェンジのたびにグローブひとつを共有するなんてのは、今の子供たちでは考えられないことでしょうね。不潔だから人に貸してはダメ、とか言いそうですね、今時の親だったら。(笑)さて、そんな草野球が執り行われていた空き地の近くに、不良の家と呼ばれる黒いトタン屋根の家がありました。当時の子供たちにとってこの「不良」という言葉の持つイメージは、とてつもなく怖くて、すぐにでもぶん殴られそうなにーちゃんが飛び出してきそうな響きを持っていました。そして、その不良の家の大不良は、いつも黒い学生服の前ボタンを全部開けて、いつもニヤニヤと人を小ばかにしたような笑いで近寄ってきては、ガキの小銭や、バット、グローブをカツアゲしていきます。当然、後々親が出てきて騒ぎになるのですが、この黒い家の不良はいっこうに懲りることなく、こんなことを繰り返していました。ですから、ガキ連中の間では、その黒い家の近くにボールを打つことがタブーであり、家から学ラン姿の不良が出てくるや否や、道具を集めてサーっと引くみたいな、スリル満点の野球大会でもありました。(笑)当然、野球団に年長者が混ざっているようなときは、不良は遠巻きに徘徊はするものの決して襲ってくることもなく(笑)、無事に草野球を満喫できますが、たまに頼りにならないユニフォームに身を包んだエエトコのボンみたいな上級生あたりだと、不良の登場にビビって泣き出してしまったりして、ブザマな姿を下級生の前で晒すことになって、卒業まで泣き虫野郎の汚名を着せられてしまいます。(笑)そんなある日、低学年のガキばかりが数多く集り、年長者は二人だけという状況で試合をすることになりました。この年長者二人は、小学校高学年の常連で、野球の腕もガキ連中に一目置かれるほどの実力者でした。この二人、他校の生徒ながら、お互いの実力を認め合っている友情少年でした。そんな二人がリーダーでチームを別けるのですから、どちらに選ばれるか、ガキたちにとってはプロ野球さながら興奮のゲームとなりました。白熱するゲームも中盤に差し掛かり、チームリーダーの打席、ボールはバット真芯に当たり、見事なアーチを描いて場外ホームラン、なんとボールは不良の家の真ん前に転がったのでした。ボールの軌道を追っていたガキどもは一瞬にして凍りつきました。打った兄ちゃんは、しまったというような顔をしながらボールを拾いに行きます。黒い屋根の家からは学ラン姿の不良が出てきてボールを拾ってニヤニヤしてます。「すいません」と言ってボールを返してもらう仕草をした兄ちゃん。不良は「おまえ金持ってネェか」とスゴみます。緊張に引きつったまま見守るガキたち。と、そこへピッチャーの兄ちゃんが割って入りました。「にーちゃん、止めてくれよ、オレの友達なんだ」意外な事の展開に一同呆然。「うるせぇな!テメェはどいてろ。おい、おまえ金持ってネェのかって聞いてんだろ!」更にスゴんだ不良は打者の兄ちゃんにつかみかかろうとしました。そのとき、不良の弟は友達に「逃げろ」と言って、不良の前に立ちふさがりました。不良は弟を突き倒しましたが、弟は怯まず不良に食い下がります。それを見ていたもう一人の兄ちゃんは「止めて下さい」と叫びながら不良の体を押さえ込みました。その瞬間、私もがむしゃらに突進していました。「やめろー!」同時にガキ連中は一斉に不良につかみかかりました。さすがの不良も事の成り行きに往生したのか、「離せこのヤロー!」と振り切って逃げるようして立ち去っていきました。まあ、この時の怖さといったらそりゃ、何とも言えませんでしたね。ひょっとしたら自分はここで死ぬんじゃないだろうかと思ったくらいです。さて、嵐の去った後、なんとなく気まずい状況を感じている一同を前に、打者の兄ちゃんが不良の弟に声をかけました。「ホームランで1点勝ち越しだ」そして不良の弟は顔中の涙を腕でぬぐいながらボールを拾いました。この時の私は、いいも知れぬ感動に打ち震えながらも漠然と思いました。たぶん、この兄ちゃんは、不良の兄貴のために友達が出来ず、こうして他校の生徒や、野球以外の繋がりのない仲間としか遊べなかったんだろうということと、打者の兄ちゃんだけが、彼のことを理解して友達であり続けようとしたこと、そんなことを理屈でなく体で理解しました。ゲームの後、不良の弟と別れたもう一人の兄ちゃんが、帰り道に私らガキに言った一言が今でも心に残っています。「あいつはオレのために兄貴に歯向かって行ったんだ」たぶん私の中で義侠というのが芽生えた瞬間だったのではないかと思います。この時から、私はカッコつける体質になってしまったのでしょう。それでも、時々カッコつけすぎて、ひどく惨めなことになった経験も数多くあります。でも、たぶんこれから先もカッコだけはつけて行くのだろうと思います。何故かって?そりゃ、それがとてつもなく気持ち良いことだからに決まってるからじゃないですか。(笑)
2007年02月12日
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昨夜帰宅すると、何故か道楽者一家はテレビの前に集結しておりました。道楽者ママが知り合いから借りてきたDVDを、みんなで鑑賞することになったそうです。その映画が今日のタイトル「レイクハウス」です。湖畔の宿?(笑)なんでも、長女が先行してこの映画を見たようで、「いま会いにゆきます、みたいだった」という彼女の言葉に、道楽者一家は「へぇ~、じゃあ見てみよう」ということになったのだそうです。(思いっきり野次馬根性丸出しですねぇ)主演がキアヌ・リーブスとサンドラ・ブロック、「スピード」以来の競演も話題になった映画です。まあ、映画の話はこれくらいにしておきますが(ってかほとんどしてないじゃん)、ロマンスというのはいくつになっても生活に潤いを与えてくれます。(笑)まして、時代を遡るとか、昔の自分で現在に生きたらとか、そんな空想はとても楽しい世界を描いてくれます。もちろん頭の中の想像ですから、仮にそれが実現されたとしても、決して自分の思うがままになるとは思えませんけどね。でも、こうして歳をとって、だいだい世の中のことなんかもわかってくると、若返りたくなるのは人情ではないでしょうか。(笑)ロマンスだって、こう色々知ってしまった大人が、体だけ若くなったらイッヒッヒ、そりゃ楽しいでしょうね。(いやらしい中年オヤジになってるぞー)特に、若い頃、たいした理由でもなく別れてしまった彼女とか、結ばれなかったちょっとした出会いとか、過去にもどってやり直せたら、なんて考えると、その日は結構ハッピーになれます。それにしたって、その時代にその年齢で生きたからこそめぐり会えた相手だったわけで、今の自分のまま年齢だけ遡ったら、どうなんだろ?そんな出会いはやっぱりゲームでしかないような気がしますね。当時だってもちろんゲーム感はあったのだろうけど、そこには相手を思いやる気持ちの新鮮さが心の底にしっかりと流れていたような気がします。いいかげん歳喰ったら、多少のことではこの「新鮮」さは味わうことはできません。それが年齢を重ねるということでもあり、経験を積むってことでもあるのですよね。とすれば、この歳にはこの歳なりの「新鮮さ」があるはずで、それは明日に期待するということでもあるし、ロマンを追いかけるということでもあるのでしょう。若い頃だって、ただ漠然とした明日への期待というものはあったし、それは今もたぶん変わっていないと思います。ただ、その漠然さが少しは現実的というか、打算的(笑)になっただけのことでしょう。そりゃいくらロマンスって言ったって、「失楽園」みたいなことはまずできませんよね、フツーは。(笑)だから小説や映画が売れるんで、実際にできないことだからそこにロマンがあるってことですね。(やれやれなんとかテーマに戻れました・笑)でもね、道楽親爺は最後のメッセージとして、できそうもないことを実現しようとすることが人間としての究極のテーマかなとも思っています。ただやっぱり、それがたとえどんなに小さくとも、人のためになっているってことだけは忘れずにいたいものです。まだ青いですか?ジジイのくせに。(笑)
2007年02月11日
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おはようございます。サイパン島の「朝焼け」です。夕焼けも綺麗ですが、朝焼けは更に朱が美しいです。特に青空がだんだんと広がっていく光景は、文字通り希望の夜明けです。(笑)サイパン時間午前6時10分。国際空港方面から昇る日の出に雲が燃えるように赤くなりました。夕陽はどこか切なくもの悲しくなりますが、朝陽はいつだって前を向いています。Earth, Wind & Fireの名曲を思い出しました。Keep your head to the skyいつも頭を空に向けていようそうですね、人の頭は重たいんですけど、やっぱり空に向けて立つ姿が一番自然で美しいはずです。いつも頭を空に向けていよう雲が教えてくれるだろうさあ、今日も一日頑張りましょう!(ってか、今日は土曜日じゃん)
2007年02月10日
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どうやら最近の流行は、「癒し」から「ヒーリング」ときて「スピリチュアル」になったようですね。(笑)私たちの誰もが関心の高い「神秘」の領域は、一番手頃なブレインストーミング方法です。思考するだけで非日常空間に自分を置くことができる、簡単なイメージ療法のような気がします。ちょっと間違うと現実逃避という危険も孕んでいますが、まずは「神秘」の世界を描くことで、日常の煩わしさや混迷からしばしの憩いの場を作ることができます。しかし、こうなんでもかんでも語呂合わせみたいにしてこじつけるってのもねぇ、ちょっと考えものですね。スピリチュアル?魂、霊的とか神性、神秘性とかいう意味でしょうか?でも、人間は、というか私達の暮らすこの世界自体がスピリチュアルな存在なのですから、殊更それを強調するのもどうかと思います。まあ所詮これも経済活動の中の出来事でしかないわけですが、かくゆう私もその昔、まだ若い頃にはこのようなスピリチュアル(笑)な世界にドップリと浸かったこともありました。まず最初にハマったのが、エドガー・ケイシーですね。その手のファンの方(笑)なら、誰でも知ってるというくらいに有名な霊能者(?)です。彼はごく普通の靴職人だったのですが、ある時から、人の霊性、いわゆる輪廻転生をたどって過去生を見ることのできる能力に目覚め、それを精神的肉体的疾患の治療に役立てたという立派な人物です。もちろん、彼の業績や記録は財団によって今もきちんと保管され、人類の発展のために貢献しています。これに派生して、星の教団・クリシュナムルティの生涯、ブラヴァッキー女史の神秘学など、「魂」に関する文献はかなり幅広く読みました。日本では、丹波哲郎さんの大霊界(笑)、桐山導師の阿含経、隈本氏の大霊界、高橋親子の魂の成長、京都綾部の大本教、奈良の天理教、手かざしの技、生長の家、創価学会(笑)などなど、広く浅くですが、とにかく霊魂や神性に関わることなら手当たり次第でした。近年では「アガスティアの葉」なんていうのが大変面白かったですね。ちなみに近頃サイババさんはどうしてるのでしょうか?でもって、結論から言わせてもらえば、「信じる者は救われる」といったところでしょうか。「鰯の頭も信心」とも言うように、それを信じて毎日の生活が楽しくなるのであれば、それはけっこうなことです。元来、人は何かにすがりたがるものだし、本当に辛いときはそれが神でも仏でも、たとえ鬼ですら支えになることもあります。それが救いになればそれはそれで良いのではないでしょうか。ただ、時々、これらの規範を人に押し付けてきたり、利害関係を生んだりすることが、救いではなく不幸を呼んでしまう場合があります。特に、この「スピリチュアル」のような、つかみ所のないコンセプトは人によってどのようにでも対応できますから、なかなかにやっかいです。私は現在、2万人以上の人が戦禍に巻き込まれて失命した、墓場のような島に住んでいて、過去何度も不思議な体験をしましたが、さて、これを明快な理屈で説明しろと言われても、屁理屈さえ思いつけません。直感的に「ああ、そういうことなんだ」とか「そうかもしれない」という理解はできますが、果たして実際はどんなものかすら解らないというのが本音です。たまに自分が体験した現象を話したりした時に、「それは仏様が・・」と言う人がいたり、「神様が・・・」と言う人、「ご先祖様の・・・」や「前世の因縁で・・・」などなど、人によって解釈は様々です。(笑)更に、アジア的人種の坩堝のような生活環境にいると、神や仏でも説明不可能な実生活を営まれている人たちも沢山いて、果たして、このような人々に霊魂だの輪廻転生だので割り切れる人生なのかどうか聞いてみたい気もします。(笑)個人的には、是非ともそのスピリチュアルなんたらとかいう霊能力のある方に、こうしたアジアの末端で生活する人々にアドバイスをお願いしてみたいものです。やっぱ、診断料が払えないからダメでしょうかね。ちなみに私は、ある日噺家の洒落に真理を見出しましたネ。「あの世ってのはどんなとこなんですかね?」「さあ、俺も行ったことがないからわからねぇけど、そりゃさぞ良いところなんだろうよ」「なんでよ?」「だって、戻ってきたヤツぁ一人もいねえだろ」お後がよろしいようで。。。。。。
2007年02月08日
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東南アジアを旅された方なら、「日本製」という商品価値、ブランドがかなりなステイタスを持っていることを、たぶん一度は身を持って感じたことがあるのではないでしょうか。特に家電製品、ゲーム機器などに関しては、JAPAN MADEの威光に平伏す人々(笑)を目の当たりにして、多少の優越感を味わったことと思います。とは言いつつ、製品にくっついているマニュアルとか見ると、マレーシア工場とか中国工場とかの表示があって、なんか妙な気持ちになったりします。(笑)アキバなどでも、「これは正真正銘ジャパンメイドだよ、ほらここにMADE IN JAPANって書いてあるでしょ」などと店員と外国人観光客の妙なやり取りを目にすることもあります。ちなみに私もYAMAHAのエレクトリック・ギターを持っていますが、裏面にはしっかりとMADE IN TAIWANの文字が刻まれています。もちろんウチの家電製品のほとんどが、ジャパン・ブランドですが、実際には東南アジアで作られたものばかりです。最近は中国製、韓国製の格安家電も市場に出回っていますが、やはりJAPANブランドは根強い人気があります。たぶん、アジアの工場ってことでは同じだと思うんですけどね。多少高くても、やっぱりブランドネームには相当なプライオリティがあるのでしょう。ってことで、今日は別に家電の話をするわけではありません。(えっ?そうなの)実は今朝がた、NHKのちょっとした対談番組を何気なく見ていてちょっとした衝撃を受けたのです。(ってか、ちょっとオーバー?)みなさんは、アイス・コーヒーが日本から生まれたってご存知でしたか?実は、某食品会社のブランドの話から出たエピソードだったのですが、熱いコーヒーに氷を入れて冷たくして飲んだ日本人が発案者だったそうです。もちろん特定の人ではなかったようで、たまたまその冷やしたコーヒーをアメリカの業界人が、これは結構おいしいのでどうだろって作ったのが試作第一号で、それが瞬く間に世の中に広まったというようなお話でした。まあ、それが事実かどうかは別としても、この我流に加工してオリジナルを生み出すって体質こそが、日本人が持つ素晴らしい才能ではないかと思えるのです。とにかく日本人は、外国から入ってくるものをなんでもかんでも取り込んで、独自の発想で自分のものにしてしまう癖がありますよね。ラーメンなんてのは揺るぎないオリジナルに進化してしまったし、ざっと揚げても、焼肉、カレー、スパゲティ、菓子パンなどなど枚挙に暇がありません。食べ物ばかりじゃありませんね。運動靴のナイキなんてのも、もとは日本国内で売れなかったジョギングシューズを二束三文でアメリカに輸出したら、その品質や機能が優れていたってことで大ヒット、今や逆輸入商品の典型みたいなブランド商品です。こうした感性こそが、日本人の持つ素晴らしい才能ではないでしょうか。いつもニッポン人のネガティブなことばかり取上げてノーガキこいてるんで、今日はちょっと、ポジティブに素晴らしい面についてもノーガキたれときます。(笑)とは言いつつも、裏を返せば節操がないとか、勝手に我流で造り変えてしまう傲慢さなどもあるわけですが、それにしても、キメの細やかなモノ造りということに関しちゃ、世界でも屈指の民族ではないでしょうか。日本の中にいるとあまり気がつきませんが、アジア各国に出回っている商品をみたら、日本の繊細さがとてつもなく目立つことでしょう。下手したら、日本人ってちょっと神経質過ぎるのでは?という疑問すら湧いてきそうです。もちろんアジアだけではありませんよ。アメリカの製品なんてデカイだけでかなり大雑把なものが多いですね。(笑)ただ、道楽者的感性で比べると、日本人は「遊び」の改良や加工には優れた才能を発揮しますが、その根本の「遊び」を創作する感性はイマイチのような気がします。日本独自の遊びが世界を席巻したというのは、コンピュータゲームくらいではないでしょうか。趣味や娯楽の世界で主流になっている遊びのほとんどが、国外から持ち込まれたものですね。年月を経ていくうちに日本風の改良や加工がなされ、オリジナルみたいになっていったものも沢山ありますが、でもやっぱり、この「遊び開拓精神」は体質的に勤勉な日本人にとっては苦手なものなのかもしれませんね。
2007年02月07日
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いやあ、今日のニュースはなんと言っても「抗争殺人事件」でしょう。しかも東京のど真ん中、麻布で起きた射殺事件ですから、メディアも久々に興奮状態のようです。(笑)暴対法成立以来、特に暴力団には厳しい量刑が与えられる昨今では、殺人まで犯す抗争事件は本当に珍しいのではないでしょうか。ということで、別に暴力団やヤクザについてノーガキこくつもりは毛頭ありません。そりゃ、なんつったって「餅は餅屋」っつーくらいですから、私のような道楽者がしゃしゃり出てノーガキ垂れるほどヤワな業界ではありません。あえてひとつだけ言わしてもらえば、渦中の山口組は大きなトラブルもなく六代目襲名が行われていたので、これは裏の組織も更に地下に潜ったのかなと思っていたら、やっぱり起きてしまいましたね、トラブルが。まあ、これは素人が語れるほど安易なトラブルではないでしょうから、評論家のおっさんたちのご高説をうかがって下さい。(笑)道楽親爺の私としては、このアウトローを例に日本社会の歪みについて屁理屈こねさせてもらいます。(笑)ヤクザと呼ばれる集団、最近は暴力団と表現されていますが、この個別社会は「家族」や「村」といった基礎的な集団と同様に、相互互助的な、内部で共有する規範があります。まあこれを「掟」とするならば、通常、社会は、個別社会の規範(掟)で運営されています。そして、この掟ではカバーしきれないときに「法」というものが出てきます。ところがです、ニッポンの社会ではそういう構造がなりたちません。それは、「掟」を持つ個別社会がほとんどないからです。その昔、封建時代には存在した自治的な個別社会は、明治維新以後、急激な近代化を遂げるために全体社会へと吸収されていったからです。平たく言うと、欧米の近代化は、自治都市や協同組合などの個別社会のネットワークから国家が形成されていったので、これらの個別社会と国家とは区別されていたわけです。つまり、個別社会を強化していったことで国家を形成し、法を作る必要があったのです。日本は、これらの個別社会を急速な勢いで取り壊すことによって国家が形成されてしまったのです。ですから、掟=法となってしまい、誰もが同じ規範に則って生活をするという、一見正しい社会のようで、実は得体の知れない「世間」などという社会を作り出してしまったのです。つまり、本来は家族なら家族の掟があって、その掟の範疇を超えたときにだけ「法」が登場してきて判決する、というのが自然なカタチなわけです。ところがニッポンでは、極端に言って、家庭の中も「法」の規範が中心ですから、家族の中だけで存在するべきはずの規範がありません。極論かも知れませんが、例の渋谷の兄妹の殺人事件だって、もし家族の中だけ有効な「掟」みたいなものがあったとしたら、もう少し事態は変わっていたのでは?と思えるのです。ということで、今回のヤクザの抗争事件で学ぶべきことは、個別社会の重要さを改めて見直す時代ではないか、ということです。別にヤクザを賛美するわけではありませんが、彼らは彼らの規範(掟)によって行動したということで、それはすなわち、世間で言う「法」とは別の社会が存在すると言うことの証なのです。(ちょっと屁理屈過ぎたかなぁ~)
2007年02月06日
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え~、今日はモデムが壊れてしまい、久しぶりにパソコンを使わなかった1日でした。こうして、ある生活習慣が中断されるというのも、たまには良いものです。ネット依存症とか言われたりしてますが、確かに、パソコンのない1日は手持ち無沙汰で、知らず知らずにPC中毒になっている自分をあらためて知った思いです。(笑)でもって、モデムを交換してようやくネット接続が復活して、まず見た今日のトピックスは、例の納豆騒動で時の人となった放送作家のブログ炎上のニュースでした。なんでも、この作家は自分のブログの中で、情報操作について触れていたそうで、そこらへんが読者の癇に障ったようで、もの凄い書き込みの嵐で爆発したそうです。もちろん私は読んでませんよ。いくら道楽者だからって、そんなバカバカしーブログなんぞ見る気にもなりゃしません。(笑)ナニがバカバカしいのかって?そりゃあ、そんなとこで苦情やら批判やらを書いてる人たちですよ。そんな行為自体が、自分たちが批判するこの作家の思う壺ってことじゃないですか。だって、この人はメディアのパワーは凄いって言ってるわけで、それは取りも直さず、民衆はみなアホや、と言ってることと同じだからです。嘘をついたヤツは悪いに決まってます。じゃあ、その嘘に乗せられた自分は一体どうなんだってことですね。一対一の詐欺にひっかかったとかいうのならまだしも、テレビを見て騙されたって言ったところで、そりゃテレビを信じる方にも問題ありだろうってことです。大体テレビを何様だと思っているのでしょうか?これがNHKとかだったらちょいと話は変わりますが、民放の番組にはスポンサーがちゃんといて、モノを売るための宣伝をせっせとしているのですよ。そんな営利目的のメディアに騙されたって怒ったところで、それは自分のモラルが軽薄でしたって言ってるのと同じことです。(スポンサーが納豆屋さんじゃなくて良かったね)あらためて思うのは、情報処理に未熟なニッポン人は個人では「人間」ではない、ってことでしょうか。良くも悪くも、メディアの成り立ちは「情報」を民衆にわかりやすく処理してから流す、というものであって、これは日本人の体質にある程度マッチしていたのでしょう。大本営発表(笑)みたいなのが、ヒジョーに受け入れ易い体質なのです。戦時中の軍部の情報操作は別として、戦後民主主義国家として再生したニッポンのマス・メディアは、やはりそれなりの志を持ってジャーナリストの使命を果たしていたと思います。ところが、このメディアが大衆迎合を始めた頃から、本来のメディアの業務を飛び越えてしまったわけです。もう15年も前になるでしょうか、中国の天安門広場で起きた惨劇は、世界中のメディア・ネットワークの深さをまざまざと見せ付けてくれました。ニュース時事がお好きな方なら、未だ記憶に残っていると思いますが、あのときニッポンの報道陣は安全なビルの中で、そこにいなくても書けるような情報をせっせと流していました。同時期にCNNとかABCは、騒乱の真っ只中でTVカメラとリポーターが駆け回っていました。もうこの時点で、ニッポンにメディアは死んだのです。(笑)つまり、報道とかジャーナリズムとかの志を捨て、大衆が喜ぶちょうちん記事やゴシップ情報を垂れ流すだけの、大衆迎合システムと成り果ててしまったのです。ですから、そんなマスコミの情報を真に受けることほど愚かなことはありません。もうひとつ言わせて貰えば、そんなメディアの救世主となりえる可能性を持ったインターネットの世界ですら「炎上」じゃ、情けないですよね。大きなお世話ですが、どうか皆様、情報処理能力だけは常に頭の中に置いておいて下さいね。なお、このブログを炎上させるような書き込みはくれぐれもお断りします。(爆!
2007年02月05日
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確か矢沢永吉っつあんのレパートリーにそんなタイトルの曲があったと思います。どんな唄か随分と昔のことなので忘れました。(笑)ということで、きょうは平和なSUNDAY、南国の道楽親爺から「燃えるサンセット」をお届けします。 これは昨日の帰り道に撮ったSUNSETです。南国だからって、そうそうきれいな夕陽が見れるとは限りません。水平線ギリギリに雲が出て、陽が沈む瞬間まで見られることなんてのは、そうですね、年に10日もないのではないでしょうか。もちろん、見る場所によっても変わりますが、俗にいうグリーンフラッシュまできちんと見ることができるチャンスは大変少ないのです。昨日は帰りの車に乗り込んだ瞬間から、雲間の夕焼けがやたらと美しくて、これは絶対にきれいなSUNSETが見れるぞぉ、とか思い立ち、近くの桟橋まで車をすっ飛ばしました。そしてこれ、最高のシャッターチャンスでした。土曜日ということもあって、桟橋付近はロコのファミリーが沢山いました。子供たちはまだ泳いでいたし、父さん母さんは夕陽を眺めてビールなど飲んでました。陽が水平線に近づくまでは長い感じがするのですが、沈み始めるとやたら早くて、秒読みカウントダウンのような感じです。 はい、そしてこれがグリーフラッシュ5秒前です。残念ながら、この後の画像はちょっと色が飛んでしまっていて、美しさにイマイチ欠けます。(笑)ちなみに、グリーンフラッシュというのは、夕陽が沈む瞬間に水平線がエメラルドグリーンの光を発することを指して、そう呼ばれています。こればかりは、言葉じゃ表現できませんので、どこかで実物をご覧になって下さい。しかし、いつも夕暮れはちょっと切なくて、ちょっと明るい(笑)、なんとなく矛盾したフィーリングに包まれますね。そしていつも思うのは、この沈んでゆく太陽をぜんぜん知らない国の人も見ているってことが不思議というか、ひとつの太陽の下で世界中の人が暮らしているってことが、屁理屈を超えた存在として実感できるこの瞬間こそ、「神」を体感する貴重なひと時であるということですね。感覚で理解する「何か」がそこにあります。
2007年02月04日
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数年前に大ヒットした「ラスト・サムライ」なんて映画がありましたが、結構、それなりに日本人の自尊心を満たしてくれる出来栄えでした。(笑)まあ、少なくとも日本人であることを意識している人ならば誰もが、このサムライの精神というのを根底に持っていると思います。最近の子供たちはわかりませんが、私らの時代は「ちょんまげドラマ」は生活の中にきちんと存在していましたから、漠然としたものでも武士道みたいな精神は潜在的に刷り込まれていたのでしょう。第二次大戦後、アメリカ文化が怒涛のようになだれ込んできて、これらの日本人特有の武士道精神と並んで、アメリカの民主主義的な思想も浸透していきました。その典型が西部劇ですね。映画はもちろん、テレビでもさかんに放映されてしました。テレビというメディアに乗っかった、アメリカの思想教育戦略とも言えるかもしれません。昭和30年代は西部劇だらけでした。ローンレンジャー、ララミー牧場、ライフルマン、拳銃無宿、ローハイド、ボナンザ、などなど、お茶の間のテレビでは少なくとも1日1回は西部劇が流れていました。映画劇場みたいなのも、古い西部劇の名作みたいなのを続々と登場させては、日本国民を興奮の坩堝へと叩き込みました。(笑)そんあ昔見た西部劇には、アメリカの民主主義がしっかりと描かれていました。たとえば、流れてきた無法者が暴れまくって町の秩序を乱すと、保安官や町の男たちが勇気を奮って立ち上がり懲らしめます。町の人たちは恨みを晴らすべく「縛りクビにしろ!」と囃し立てますが、正義漢である保安官がこれを諌めて「いや、裁判にかけるのだ」と、人々に公正な良心を訴えます。私が見たアメリカの民主主義がここにありました。お殿様やお上を頂点とした秩序を持つニッポン民族にとって、これはたいへんに画期的なことであったと思います。私自身も子供ながらに「アメリカ人ってフェアで清々しい」などと思ったのを覚えています。天の声で切腹させられてしまう組織と、あくまでも皆で裁きにかけるという、人民の一人一人が参加する民主主義の原画を見せられた感じでした。多数決なんてのもひどくフェアな響きがありましたっけ。たぶんこれが、一種のアメリカの民主主義や正義を支える根底の思想、あるいは文化として語られていたのだと思います。ところが、2001年の911テロへの報復は、アメリカ自らがこうしたアメリカの民主主義をすっぱりと切り捨てて、アフガン攻撃へと踏み切ってしまいました。ヤツラを殺せ!リンチにかけろ!と叫ぶ民衆を前に「裁判にかけてはいけない」と公然と言ってしまったわけです。その後の展開は皆さんもご存知のように、なんとなくアメリカの都合で勝手な理屈をくっつけながら終わりのない戦争へと突き進んでいます。ではニッポンはどうかというと、これがまた、さもニッポン人の良心とでも言わんばかりの武士道精神を持ち出されて、美しい友情と憂国論でアメリカにつかず離れずの立場をとっています。ジハード(聖戦)と呼ばれる、滅私奉公殉国の戦士に立ち向かうためのカードとして「ハラキリ」「カミカゼ」の思想が引っ張り出されたのだとしたら、それも結構時代錯誤のような気がしますが、ここ数年、メージャーリーグをはじめとする日米合同戦線みたいな盛り上がり方に、一抹の不安を抱くのは道楽親爺の単なる思い過ごしでしょうか。
2007年02月03日
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べつにムツカシー話ではありません。(笑)私が人生大学で学んだ初めてのテーマです。もう随分と昔のことなので、そのときの講師が誰だったか覚えていませんが、とにかくヘラヘラと生きていたその頃の私には衝撃的な言葉でした。「自由と平等は相反するものである」自由を認めたら平等は成り立たないし、平等を実現しようとすれば自由は束縛されます。言葉にすると硬い感じがしますが、極めて当たり前の理屈です。代表的なのが北朝鮮ですよね。皆平等にしようと思ったら個人の自由は限りなく制限されます。それにしたって平等が実現されているわけではありません。そんな矛盾を、自由と平等の「精神」とかいう屁理屈でごまかしているのが政治でしょう。この「精神」っていうのは、たいへんに便利な表現です。そしてそれをど~んと「理想」にして掲げるアメリカはやっぱり凄い国ですね。でもって今日は、この自由とか平等とか民主主義とかゆうものが、どのように世間に流通しているかということについてノーガキたれてみたいと思います。(笑)ヒジョーにわかり易い例として新幹線が良いでしょう。自由席、指定席、グリーン車と別れていますが、これが自由と平等の精神の表現です。そのままの言葉で理解できるのは指定席くらいのもんですね。(笑)座る席が指定されているのですから、指定された席以外には座ることはできないという権利が明確にされています。では、自由席というのは一体どーゆー席のことでしょうか。自由に座ることのできる席という意味ならば、座れない人が出てくるのはおかしなことではありませんか。更に、グリーン車ってのはなんでしょう?指定された席以上に特別な席があるというのも何か変です。では、これを誰にでもわかるように説明すると、一等席、二等席、三等席になります。たいへんわかり易いですね。(笑)でも、こうしてしまうと、今まで意識していなかった国民が「ビンボー人は三等席」と意識してしまいます。つまりこれは、名称の裏側に隠された本音をうまくオブラートに包むようにして、国民に自分たちがビンボー人であることを意識させないための高等テクニックなのです。(ええっー!なんやて!?)これこそが自由と平等、民主主義の精神に則った座席配分なのです。(笑)日本人のほとんどが持たされている「中流意識」なんてのも、まったくもって素晴らしいボキャブラリーです。昔みたいに、一等国民、二等国民、三等国民なんて呼んだら暴動が起きるのではないでしょうか。(笑)日本に限らず、資本主義の国は経済が大いなる矛盾をどんどん生み出します。この矛盾を国民に悟らせないようにするのが民主主義政治のあり方なんですね。苦し紛れに、平等を公平とかに置き換えてみたところで結局は同じことです。そんな苦し紛れのごまかしも最近はボロが出始めています。特に学校なんかが良い例ですね。義務教育=平等=公平ですから、誰が教育を施しているのか、受けているのか、もうまったくわかりません。給食費を払わないとか、子供が先生を選ぶとか、競争はいけないとか、まったくなんのこっちゃねん、って感じですね。でも、いわゆる自由と平等、民主主義の精神を体現するとこうなるんですよね。木を見て森を見ず。これからの時代は、世の中全体の構造を見ていかなきゃいけませんよね。(表現の一部で「青木雄二のナニワ資本論」を参考にさせて頂きました)
2007年02月02日
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このところ屁理屈が続きましたので、今日は昔ながらの小噺でお寛ぎ下さい。(笑)こばなしその壱。「先輩、どうしても必要なんです。1万円貸してくれませんか。二倍にして返しますから」「ダメだよ、そんなこと言ったって、どうせ酒飲んじゃうんだろ?返ってくるアテもない金を貸すほどオレは甘くないんだよ」「そんなこと言わずにお願いしますよ。このデジカメ担保にしますから、お願いしますよ」「う~ん、しょうがねぇなぁ、ほら、じゃこれ1万円」「ありがとうございます。絶対倍返しにしますから」「でもよぉ、いっぺんに2万円返すのは大変だろ?無理しない方が良いんじゃないの。だから今のうちに半分の1万円返しといたら、ほら、残りは1万で済むじゃないか」「先輩、優しいすね、ありがとうございます。恩に着ますよ。じゃ、これ1万円」お後がよろしいようで。。。。。。(マチキンと呼ばれる金融会社にいくと、元金から必ず利息付で1回分引かれた現金が出てきますよね)こばなしその弐。「へい、いらっしゃい」「カカアが漬物用の壷を買って来いっつーんで来たんだけど・・・」「壷ですかい? そんならそこの右にあるのが千円、左にあるのが五百円、どっちにいたしやしょう」「なんだ案外高いんだね壷ってのも。じゃ、左の小さいので良いや。せっかく遠くから来てるんだから、少し負けておくれな」「そうですねぇ、そんならどんと勉強して四百円!」「う~ん、止めとくわ」「旦那には参ったなぁ~、三百円でどうです?もうこれ以上ビタ一文負けられませんヨ」「よし買った!」「ありがとうございました。はい三百円、確かに頂きました」ところが、この客が1時間もしないうちに戻ってまいります。「へい、いらっしゃい。あれ、さっきの旦那じゃありませんか」「カカアに見せたらよ、この壷じゃ小せぇとかぬかしやがるもんでね、悪いけど右ん棚の大きい壷にしてくんない。小せぇのから大きいのするんだ、ちょっとは勉強してくれよ」「七百円!」「もう一声!」「旦那にゃ負けました。ようがす、六百円で手打ちましょう」「そいつぁありがてぇ。で、この小せぇ壷は引き取ってもらうぜ」「へぇ、三百円で引き取らせてもらいます」「よおし、さっきの三百円と、この壷の引き取り賃の三百円でちょうど六百円だぁ。じゃあ貰ってくぜ」「ありがとうございました。またどうぞ」お後がよろしいようで。これは上方落語の「壷算」という有名な噺です。なんでも、15年ほど前に、イタリア人の詐欺師が同じ手口で両替を持ちかけて、東京は上野界隈の商店が軒並み騙されたことがあったらしいです。こうして文章にして書いたものを読めば、ひどくバカバカしく思えるのですが、口頭でやり取りを聞いたりする分には意表を突かれて、割と簡単にひっかっかちゃうから不思議です。関東では、似たような落語で有名な「ときそば」というのもありますね。疲れたとき、たまに落語なんかも良いものです。間抜けな噺なんですが、人と人とのやり取りなんてのは、ずっと昔からたいして変わっちゃいないってことに気が付きます。でも、この笑いが生活の中にあるのとないのとでは、雲泥の差があります。辛さを笑いにできる図太さが必要ってことですかね。どうぞ、皆さんも「笑い」の精神だけはいつまでも持ち続けて下さい。
2007年02月01日
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